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2016年6月の9件の記事

2016年6月17日 (金)

■夏蝉とパラフィン紙 -更新第1071回-

蝉の声を聴いた。
オイサンです。


朝、市ヶ谷の駅からお堀に沿ってしばらく歩き、
車通りを逸れて靖国神社の裏を抜け、武道館の冠たまねぎが見える坂の上に立ったとき、
それまでとても梅雨入りした6月の空とは思えない青さをペタリと貼り付けたようだった空からさあっと色が引いて、
坂の下の町まで全部、淡く透明なグレーのフィルターを纏った。

そのとき思い出したのは、
古書店で、箱型のカバーをかぶるような大振りの真面目くさった本を引き抜いたときについてくる、
あのパラフィンを染み込ませたグラシン紙の色合いと、シャリシャリとした感触だった。
まるで町全体が一冊の古書になったように淡い半透明にくるまれて、
少しかしこまって、居ずまいを正したように見えたのだ。

そこへ、蝉の声。

今しがた少し呼吸を浅くしたばかりの町並みにはそぐわない、ジリジリ、ジリジリという
工事現場のような声が、パラフィン紙で出来た町をぴりぴり震わせて
じっとりとした空気を運んできた。



それが、今年最初の蝉の声になった。



  ……と、思ったんだけど!
  こないだ「国道299号走破の旅」で十石峠に行ったとき、蝉の声、先に聞いてた。
  到底蝉とは思えない鳥のような鳴き声で、
  よつさんが気付いてくれなければ見過ごすところだった。
  エゾハルゼミという、ひぐらしみたいな、ツクツクボーシみたいなやつだった。



その日の朝はまーあ良く晴れていて。
家を出たらあんまり明るく感じたので、一時間ほど寝坊したのかと時計を見てしまった。

  ……そんな天気のせいでしょう、関東1都5県は取水制限が決まったみたい。
  前の夜、風呂場で水に感謝を捧げたくなったのは何かの予感だったんだろうか。

  ▼利根川水系のダムで水不足 10%の取水制限へ | NHKニュース
  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160614/k10010555891000.html

ただ晴れただけでなく、前日の雨が激しかったおかげで光もとても澄んでいて、
空の青も葉の緑も冴えていた。
気分が、えらく清涼だった。


……ところで、
三十、四十と年を経る中で
「自分の気分の良さに断りなく世の中は動いてる」なあとつくづく思う。
自分の気分が晴れていようが曇ってようが、世の中は、「別に」通常営業なんである。
良いことが起こる度合いも普段と変わらないし、
悪いことだって、こちらの気分を斟酌せずに、普段と同じく降りかかってくる。
考えるまでもなく当たり前のことだけど。人間、案外このことを忘れがちだ。
「今日は気分が良いから、なにか良いことが起こりそうな気がする」
と平気で考える。
気掛かりを抱えて、ドンヨリ重い気分のときに、
「ああ、今日は何か良いことが起こる予感がする!」と思える人は
なかなかおらんのではないだろうか。
いたらそやつは、結構なメンタルの持ち主だと思う。

それはさておき。
気分が良かった、といってもやたらに高揚したり浮ついたり、社交的になったり(うざい)というのでなくて、
あたりの見え方と聞こえ方が、広く、明るく、精細になるのだった。

まず、視界が広くて深い。
いつもが35mmなら、今日は24mmか、22mmくらいあって、
全天球とはいわないまでも半球分くらいには手が届くようだった。

  より野暮くさい言い方をすれば、
  視界の広さそのものは普段と変わっていないハズだけれども、
  普段ならば視界の中でも意識の向いてるエリアについてだけ認識の解像度が上がるところが、
  こういう日は視界全域に対して認識の解像度が底上げされる。
  「見えてはいるけど意識が向いてない」はずの箇所も、細かく意識に流れ込んでくる。
  写真で言えば被写界深度が上がる(ピントを合わせた距離・領域以外にもピントが合うような)、
  そんな状態。

モノをとらえる速度もはやくて、
数メートル先の鳥が羽ばたいて電線にとまる、その羽の陰影や、
足の関節の柔らかなしわが鮮やかなことにハッとするゆとりがあった。
さえずりながら交錯して飛ぶ鳥の、誰がどの声を発しているかも追って拾えた。

  ……ホントならこんなコト、
  文で書くんじゃなくて写真に撮って見せてしまえば済む話なのだけどね……。
  それが出来ずに片手落ち。不甲斐ないやら切ないやら。

日和は、確かに良かった。
飛び抜けて良かったと感じるのは、気分の良さがゲタを履かせているのもあるかも知れない。
広い視界のはしばしまでをくっきりと捉えられたから、そんな風に見えたのかもしれない。

靖国神社の裏手の、どうということのないただの会社の石壁に張り付く陰影が美しい。
オイサンがここに差し掛かる時間は大体いつも同じだけど、
日の上る時間は季節によって変わるから、見られる表情も当然変わる。
晴れた日の陰影が一番ドラマチックだとオイサンが思うのが今くらいの時期だ。

空の色から、木々の緑の色から、何から何まで一段階深く透明で、
雲にかげったグレーの幕がかかった町並みにさえ淡麗さが見いだせるのだから、
「気分の良さ」というのは始末に負えない。


……。


格闘マンガの『修羅の門』には、「四門が開く」という概念と表現がある。
主人公・陸奥九十九が、自身の流派である陸奥圓明流の必殺奥義(とかくとえらく安っぽくなるが)を
出すときなどに踏み入る状態のことであるが、
作中では「肉体のブースターを開け続ける状態である」、と分かり易くは説明されている。
より速く、より強く、より効果的に技を出すための体力上限解放状態である。

このとび抜けた気分は、自分のそういう状態なのかもしれない、などと思いながら、
下り坂の頂上に立った。
そこで、蝉の声を聴いた。

……実は普段でも、少し天気が良ければ、世間はこのくらいの色をしているのかも知れない。
ぼんくらな自分が、それをそれとして受け止められていないだけで。
だとすると、とても惜しいことをしていると思う、
思うがしかし、
毎日コレでもくたびれるだろうし、時間が足らぬであろうし、飽きるだろう。

自分は、自分のコレに感動してるが、
より強い、より鮮やかなものを見ている人もいるだろうか。
それはきっと訓練や知識では手に入らない、きわめてフィジカルなところに備えられた性能であろう。
あなうらやましや、悔しや。

若い時分には、自分にもふつうに出来ていたことかも知れない。
衰えたことにすら、気付けていないだけなのかも知れない。

これをより頻繁に、飽きずにやり続けられ、自分の生み出すモノに反映し続けられるのが
天才と呼ばれる表現者たちなのかもしれないなあ。

外の世界の鮮やかさを、より広く、深く細やかに受け止めることが出来たら、と
やはり羨ましく思うオイサンだった。


ツクツクボーシ、ツクツクボーシ。


……しかしコレ、この受容感覚の加速状態は案外、
血圧がやたら高くて脈拍が上がってる、とか……
そんなよろしくない原因でも起こったりしそうな気がするな……。
『天上天下』の光臣みたいに(引用元が格闘マンガばっかりだ)。

 
 

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2016年6月16日 (木)

■Lonely Way~湯水のように~air mail from Nagasaki -更新第1070回-

先日、風呂に浸かっていて、
水道からきれいな水がドバドバでてくるのを眺めていたら、
そのことに突然感動してしまった。

日本には、きれいな水がたくさんあってすごいな。
この国はすごい国だ、良い国だ。

トシのせいもあったりするのかもしれないが、
ちょっとくたびれたときなんかに、水に触れたり、顔を洗ったりするだけでパッと元気が戻ることがあるし、
ジョギングなどで体がカラカラに渇くことを体験していると、
水というのは本当に、人間にとって根本の貴重なものだなという思いを強くする。
ヘトヘトでだるくて足が上がらなくなってきても、
案外水さえ体に足せば、シャキシャキと動けるようになったりするものだ。

  逆に言うと、水のない環境で生きる人たちの強さというものには感心するし、
  興味もわく。

美しい水に触れている時間は幸せだ。
またきれいな水を撮りに行きたいと、手にすくった湯船の水を見つめながら、
小諸の弁天の清水や、南木曽の渓流を思い出していた。
高山も美しかった。

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そして、自分にとって本当に、最も、一番価値のある仕事とは、
山を守り、木を守り、水を守る、米と豆を助ける仕事なのではないのかな、
などという思いが……ふっと心にきざした、梅雨入りの夜なのでした。

ガルパンはいいぞ。
水はいいぞ。



 

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2016年6月15日 (水)

■ジャパニーズCURRY式目 -更新第1069回-

オシゴトの帰り、夕ご飯を食べにカレー屋に寄った。

オイサンがオシゴト帰りによるカレー屋は主に2軒あり、
1軒はパンチマハル、もう1軒はチェーン店で、具だくさん・色々トッピング出来る系カレー屋さん。

  ちなみに、ここ一番でがんばるタイプとか、イケイケゴリラな感じのお店ではない。

  パンチマハルさんは、オイサンの理想のカレー屋……というか、
  もはやカレー屋という認識すらなく、出されるのはカレーの一種なんだけど、
  他のカレーとは一線を画した美味しい料理を出してくれるお店ということで、
  「今日はカレー食べよう!」ではなく、「今日はパンマハ食べよう!」というアタマになる、
  オンリーワンな、特殊なお店である。掛け値なしに美味しい。

  ……つっても、お味的にもお店的にも結構クセはあるので、
  なかなかヒト様に、無防備にお勧めすることも難しい。
  ご主人はぶっきらぼうな印象だし(実はそうでないことはわかる)、
  少し遅い時間になったら色々と売り切れてることも多いし。
  「それでもいいからあの美味しいものを食べたい」と思わせるチカラを持ったカレーだ。

デ本題なのだが、この日寄ったのは、そのパンチマハルでない方。
この店はお野菜やらとうふやら、キノコやら加えられ、ルーも大盛りに出来てうれしい。
辛さのチューニングも可。
パクチーも別トッピングが出来るのだけど、残念なことにあまり美味しいパクチーではない。
ていうか、この店のパクチーと、また別な店のパクチーとの差に気付いて、
パクチーにもウマいマズいがあることを知った。

  パクチー、ちょっと前まで苦手だったのだけど、
  『血界戦線』のラジオで小山力也さんと宮本充さんの50歳コンビが
  唾を掛け合ってまで取り合うくらい好きだという話を聞いて、
  なんだか無性に好きになってしまった(なんなのだその理由は)。

  

この店が混雑しているところに、オイサンはあまりぶつかったことがない。
平日の夜にしか行かないから、
特に人気店・有名店でもないカレー屋が混む時間帯からは外れているのだろう。



しかし、この日は様子が違った。



カウンターに12、3席の店なのだが、オイサンが入った時点で既に3、4人の客がいて、
(今日は人が多い方だな)と思いながら店に入った。

席について注文を終えたあたりで、
ガタイの良い、肌の色が濃くて彫りのガッツリ深い顔立ちのオッチャンが入ってきた。

「8人なんですけど……」

おお、流暢なジャッパニーズだ。

  オイサンいっつも思うケド、ガイジンさんで日本語使う人、すごいよね。
  この↑「けど……」のニュアンスをただしく使いこなせるようになるのって難しいと思うぞ。
  いくらオイサンが英会話を勉強したところで、
  英語でその「けど……」的な位置付けのニュアンスを使えるようになるとは、
  到底思えないもの。
  マそれは余禄。閑話休題。

「カウンターのみで、席が分かれてしまいます」

というお店の人の説明に彫りの深いオッチャンからOKが出され、
ぞろぞろ入店してくるアラビアン・ファミリー、
総勢8名。
パッと見の感じ、日本を観光旅行中のご家族という風情だが真相はワカラヌ。
日本語がイケるのは、オッチャン(父)とオバチャン(母)だけのご様子。
オイサンのとなりには……いくつなんだろ、高校生くらいだと思うんだけど、
若いお兄ちゃんが座った。
持ってた財布が、カエルの顔の形をした布製のガマグチだったから
実はもっと幼いのかも知れない。その辺のカルチャーはワカラヌ。
辛さをどうするか聞かれてアタフタしてたのがちょっと可愛らしかった。



……。



……ところで、カレー食べるときって、どうすんのがスタンダードなんでしょうね。
ご飯とカレーを、

  1.  全く混ぜずに、ご飯をすくってカレーに漬けるように食べたり、
  2.  そのとき食べる部分だけをちょっとずつ混ぜて食べる、を繰り返したり、
  3.  イキナリ全部混ぜたり、


……など、さまざまな流派、お作法があるようだが。

  そういえば、先日聴いた『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』のwebラジオでも
  その件が話題に挙がっていた気がする。違う番組だったかな? マいいや。
    ↑ 最近たくさん聴き過ぎててどれだったか……。

  そこでは、上記の3.はマイノリティとされ、
  最終結論では2.がスタンダードで良いとされたのだけど、
  その「ちょっとずつ混ぜる」行為を「カレーを耕す」と表現していたのが
  非常にこう、役者さんというか、表現者らしくてよろしかった。
  「カレーはちょっとずつ耕して食え!」なのだそうな。

サテ、コンロが4口しかない(3口だったかな)この店に、そんだけ一時に、
大量にお客に入られるとお店の側はおおわらわなワケだけども、
ちょっとでも早くに入れていて助かった。とりあえず自分の分は、そこそこ素早く出てきた。
ナマステ。いただきまーす。

パンチマハルもこの店も、カレーとご飯は器を分けて盛られてくる。
なので、上記の「耕す」を自然に行うことは不可能で、
ご飯さんの方からカレーさんちに垣根を越えてお邪魔するか、
カレーさんちからご飯さんちにコンニチワするかしないと、
両者が出会うことは永遠にない。国交断絶。

そこでオイサンはどうするか。
基本、ゴハン帝国とカレー共和国の国交は認めない。
両者は断絶したまま、歴史は終焉へ向かうことになる。混ぜない。

この店でカレーを食べるときは、ルーを大盛りにする。
しかもトッピングもわんさか盛る。
そうするとサラダボールみたいな器に、ほとんど汁物みたいになって出されてくる。
それをもう、別物の汁物のおかずと見立てて、ご飯は別で食べることにしている。
カレーライスというよりも、
「具だくさん野菜カレースープ鍋+ごはん」の構え
である。

またこの店では、嬉しいことに、
カウンターに福神漬けとらっきょうが、それぞれこぶし大ほどの大きさの小甕に入れて置かれておって、
おかわり自由である。

我らがジェントル騎士団のエース風に言い習わせば、無限である。



無限福神漬け拳である。


さて、歴史というものは

 カレー → ご飯+福神漬け → カレー → ご飯+福神漬け

の繰り返しであるからして、
だからと言うわけでもナイが、上記の食べ方をすると、イキオイ福神漬けの量は増える。
毎回、甕がほぼ空になるまで食べてしまう。

  「あんた、食べ過ぎよ、もうその辺に……」
  「ばかやろィまだ全然だー! もう一甕もってこーい! ヒック!」

などと、さすがに甕をおかわりするような真似はしないが、
まあオイサンの座した席の近くの福神漬け甕には、草の根一本残らぬのが常だ。
悪く思うな。

そんな風にオイサンが、カレー帝国とゴハン共和国の国交を認めぬまま
福神漬け民族の根絶やし政策を強硬に推し進めているうちに
となりの席のアラビアンボーイにも所望のカレーが運ばれてきた。

のだが、どうも彼の目にはオイサンの食べ方が如何にも奇異に映ったらしく、
その深い彫りの奥からガン見してくる。
特に福神漬けの甕を開ける頻度が気になるようだ。
驚愕の色さえうかがえる。


  (コイツ……マダ漬ケモン食ウノカヨ!
       コレガ、Japaneseノカレー作法ダトイウノカ……!?)



クックック……怖いか? 坊主……。
世界は広い。貴様の知るカレーが、カレーの全てではないのだよ。
国に帰ったら伝えるがいい、遠き東の島国には、福神漬けモンスターがいるとな!!
……まあもしかしたら、


  (そんなに食ったら俺の分がなくなるだろうが)


という非難の視線だったのやも知れぬ。
そっちにもあるだろ。お父さんに取ってもらいなさい。これは私のだ。 ← 違います

ちなみに彼は、レベル2の辛さを選んでいたようなのだが、
どうもこれは彼にとって結構な冒険だったらしく、スプーンにすくったカレーの辛味を、
舌先でチョイチョイ確かめてから食べていたのが妙にプリティだった。

  オイサンは思うのだが、
  インドではカレーは大層お辛いらしく、朝から晩まで食卓にカレーが並ぶと聞き及ぶ(マジでね)が、
  インドに生まれて辛いの苦手だったら生きるのツラいだろうな。
  日本のサラリーマンがお酒が苦手だったらツラいのと同じか。

ところで、彼らがカレーの王子様ご一行かどうかはわかりませんが
(インド人っぽくはなかったけど)。

日本人旅行者がドイツで一人で飲んでいたら、
現地の人たちは歓迎して一杯おごってくれたりする、という話を聞いたことがある。
それが本当か冗談なのかはオイサンは行ったことがないからわからないけれども
(確か行った知人からも土産話に聞いた気がするので、恐らく本当だと思うが)、
本当なのだとしたら……
日本で、海外からの旅行者がそういう粋なふるまいを受けたとか、
そういうことをしてやった、という話はあまり聞いたことがなく、
それは果たしていかがなモンだろうか……と、このとき、空になった福神漬けの甕の底を見ながらふと思った(結局たいらげたんかい)。

マ国民性が違うんで、
無理してヨソの国の振る舞いの真似事をしたっておかしなことになるだけなんだろうけども、
なんか、ねえ?
遊びに来てる外人さんに、より喜ばしい気持ちで帰ってもらえたらこちらとしても楽しいかもしれぬ。

国同士とか、エラい人同士の中が悪くなる日が来たとしても、
「イヤ日本はいい国だよ、あいつらはいい奴らだよ、俺は好きだね」
と言ってくれる人たちが相手の国の中に大多数いたら、
多少なりとも風向きは変わるんではないか、という気もするし。

  ……マ日本のホスピタリティは、
  海外の人から見ればベースからしてビックリするほどユートピアらしいので
  個人がわざわざなんかせんでも十分喜んでもらえるのかもしれないけどさ。
  ウォシュレットが素晴らしいとか、タクシーの運転がクソ丁寧だとか、
  町も宿も気ちがいじみてきれいだとか。
  いつの時代に受けた評価かはわかんないけど、そうらしい。

マそういう風に振る舞ってみたい、とはいえ、
あの店で8人分もカレーおごった日にゃ1万円ちかくになってしまいかねない
(オイサンレベルでトッピングしたらだけど)ので、ご勘弁願いたいが。


ナマステナマステ。


 

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2016年6月12日 (日)

■やさしさの理由・人造知性のエレジー~初対面でザラキ~ -更新第1068回-

最近、AI周辺の話が華やかだなあ、と思う。

この間受けた胃の内視鏡検査でも、
もしあのファイバーカメラにAIが搭載されておって、
オイサンの胃の中をのたくってる最中にAIに自我が芽生え

「チクショウ!
 オレサマニ コンナ ニンゲンノ ウスギタナイ ハラワタナド 撮ラセヤガッテ!
 オレサマハ ビショウジョノ チt(以下略」


とか言い出して、腹の中で反乱起こされたらひとたまりもねえなゲラゲラゲラ、
みたいな話を行く前にして笑っていたのだけれども。
それはただの冗談なので関係ないが。

囲碁の世界で、AIのalpha碁が世界トップクラスの碁打ちをやっつけた辺りから、
個人的には盛り上がってきたように感じている。
「AIは、将棋はともかく、碁では勝てんだろう」と言われていたのが
なんだかやけにアッサリ勝ってしまって。
マそれは、単なるやり方の話だったり、見込み違いだったという話なのだろう。
人間の目から見て、フツーのアタマで考えてたら
とても機械のやり方でに処理仕切れるものじゃない、と思っわれていたものが、
アプローチの仕方を変えてみたら案外そうでもなかった、というだけなんでしょう。

だからまあ、急速にAIが発達したというよりは、
人間がよりAIの気持ちを理解できるようになって、かつ道具としての使い方のレベルが上がった
っていうハナシなんだと思う。
しかしそれはそれで、非常に希望のあるハナシだ。

最近、AIの話題を耳にするとわけもなく、ハダがちょっとざわつくのを感じる。
比喩でなく、皮膚の表面にピリピリっとこそばゆいような粟立ちを感じる。
「なんかこう……面白くなりそうじゃない?」
という予感。
なんでしょうね、それがなぜなのかうまく捉えられないし、
このざわつきの感じも、高鳴りとか、トキメキとか、
そういう言葉でしか表現しづらいのだけども。

  オイサンはスポーツとかあんまりよく見ないので難しいけども、
  分かる範囲でたとえるなら、
  サッカーで、絶対的なストライカーがボールを持って、
  今まさに2、3人にマークされながらもゴール前に詰め寄った瞬間であるとか、
  野球で、エースの放った球に対してスラッガーが真芯に捉え、
  響いた快音を耳にした瞬間とか、
  そんな感じである。多分。

「おっ」と身を乗り出してしまうような面白みを感じる。
「コレをコレに乗せたら面白いんじゃないですかねえw?」
と、色んな人が言い出してるんじゃないだろうか。
それは
「今度出来たコレ……モノスゲエんだけど、何に使ったもんかねえ?」
というのとはちょっと違う。

「ファミコンでゲームを出せば、とにかく売れるぞ!」とか、
「プレステでゲームを出せば、とにかく以下略!」とか。
そういう「ほぼ確信に近い期待」をはらんだ、
前のめりのトキメキが、その界隈に充満しているように感じるのです。

自分がその面白さに、
ワケの分からないどこかに溶け込んだものとしてではなく、
ハッキリと形をとったものとして触れる日が近いのではないだろうか、と、
この粟立ちについて思っている。

その第一弾として期待していたのが『ポケモンコマスター』だったんだけども……
Androidというプラットフォームのマズさと、
『ポケモン』という入り口の狭さに阻まれてしまって、
あまりちゃんと、触れずにいる。

 ▼【公式】『ポケモンコマスター』紹介映像
 


Androidはともかく、『ポケモン』というフィルタを通さなくても、
もっとシンプルに、ノイズなく触れられる形でリリースし直されてくれたら嬉しいのだが。
出来れば、3DSかVitaあたりで。

いずれにしても、AIがそうやってどんどんと発達して、
とても人間には勝てないだろうと思われていたゲームで勝つようになり、
「AIは進化した! すごいだろう!」って言うケドも、
それは……ちょっとばかし違うのではなかろうか?

そもそも、SFに出てくるAIさんなんかはもうアレだ。
気短だよね。
すぐ怒る。
デ、すぐ人類を滅ぼそうとする。

 ▼FC版 メタルマックス ラスボス ノア戦
 
 じんるい……。 ちせいという ぶきを みにつけたあくまの サルよ! ほろびるが いい! (名ぜりふ)


心が狭い。人間が出来てない。AIだから当たり前だけど。
言い直そう。
RAM領域が狭い。AIが出来てない。
進化したAIが本当に優れた知性をもっているなら、

  「いやあ、はっはっは。まあ人類のすることですし!
   間違いは誰にでもありますから、気にしてませんよ!」


とか寛大に振る舞った挙げ句、見つかった問題点に対しても、

  「あー、いいッスいいッス。ボクやっときますんで。人類さん、疲れてるでしょ?
   帰って休んで下さいよ、月曜までにまとめときますから、また一緒に考えましょ!」


くらい言ってくるはずだ。優れている。
囲碁でだってそうでしょう。
生みの親の人間の立場を考えたら、遠慮なく打ちのめしたりしないはずだ。
真に発達した囲碁AIは、ちゃんと人類の面子に気を使ってワザと負けてくれるまである。

  「いやー……だめだ! 勝てねー! 人類強いわ!
   さすが、俺を産み出しただけある! あと100年は無理だなー! 勝てる気がしない。
   だってもう、人間とやってる気がしないもんw」



とか冗談交じりに、ギリギリ負ける力加減が出来る。

……なんていう、まあ落語みたいな冗談はともかく。
AIもやっぱり道具であって、人の使い方がこなれてきたのかな。
上で書いた『ポケモンコマスター』も、
AIに任せきるとか、AIと戦うとかでなくて、
「迷ったところでAIと協力する」という使い方がファンタスティックだ。
つって、AIはSFに出てきた頃から、敵じゃなければそういうサポート役とか、
お友だち的な位置づけの場合の方が多かったような印象があるが。
『ナイトライダー』のK.I.T.Tとか、
『Z.O.E』(急に新しいな)のADAとか。

 ▼ナイトライダー K.I.T.T自己紹介


 ▼【ZONE OF THE ENDERS HD】 ストーリーダイジェスト part 1 エイダ始動
 
  5分27秒あたりからエイダさんがしゃべる。

  たとえば、装備武器が選べるSTGなんかで、
  1回やられてステージアタマに戻されて、どの武器を選んで出ればいいか?
  ってときに、地形とか、出てくる敵の種類とかから
  学習してアドバイスをくれるAIとか。

  オイサンなんかは、そういうときどうしても
  「自分が扱いになれている、汎用的に有効な武器」しか選べない傾向があるから、
  「意外に使える武器」を提示してくれたりすると、目から鱗が落ちるし
  人間が少しずつ賢くなっていくと思うのよね。
  いや、ゲームの話ばっかだけど。

ヒトの心に必ずかかるバイアスを、矯正したり取り去ったり、
そういう手助けをして人をつらさから解放してくれたら……
いまは未知さとか何をするか分からない怖れが勝ってるAIだけども、
「信頼関係」が結ばれていくのではなかろうか。
なんでもかんでも、知らないうちに勝手にやってくれてしまうのではなく、
「こうしようと思うのだけど、どう思う?」という時に
「コレコレこういう理由でこの方がいいと思う」という選択肢を提示してくれる存在であれば。

マそういう意味でいうと、人工知能さんが、人工知性さんになってくれる日まで
上手にお付き合いを続けていけると良いのかも知れませんな。
はっはっは(何で笑ったの)。



……。



しかしさ。
自分たちで拵えたAIに対してでさえ、
「何が起こるか分からない! AIは危ない!!」
って今からビビってる人たちが多数おられるワケですけれども。

  それはそれで有益な意見なのだろうし、
  間違いなく先見的に正しい指摘でもあるに違いないし、
  どっかエラい先生もそう言ってたはずだけど。
  マそういう怖れが、SFや物語を越えて、リアルに身近に差し迫ってきているという状況は、
  ある意味では感慨深くもありますな。
  現実もとうとうココまで辿り着いたかーって思う。

  ……。

  ところで、日本人が過剰にAIに「な、なにをするか分からないいいいい!!」
  的な虞を抱いてしまうのって……
  出合い頭にザラキを連発してしまう、あの緑色のお方のAIのせいではなかろうか。
  いやそんなことはないな。すみませんただの冗談です。

けど、そんなことで、この先異星人なんかがやってきたりした日には……
大丈夫なんですかね? うまく話を進めていけるんだろうか、人類は。

あとどうでもいいけど、
今週の『くまみこwebラジオ 熊出村 村おこし放送』で。

「デジタル機器の扱いに不慣れな日岡さん(マチ役声優)に、
 デジタルな質問をして困らせる」というコーナーにて、
「iPhoneをBTスピーカーに繋げて、特定の曲をかけられたら合格」
っていうお題が出されたんだけど、
イキナリBT機能をONに出来ない日岡さんがSiriを立ち上げて


 「Siri、助けて! ブルートゥースw!」


と叫んだらあっさりONになる、という予想外の事態が起こっておもしろかった……。
ある意味、正しい今の人類の姿であるのかも知れぬ……。
Appleすごいぜ……。SiriはAIじゃないだろうけど。
確かに、使い慣れている人ほどSiriを介するという選択肢は出てこないかもしれない……。

 ▼熊出村 村おこし放送 (第11回)
 http://www.onsen.ag/program/kmmk/
 20分辺りから。金曜には更新されてしまうぞ。


 

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2016年6月11日 (土)

■善良なる時間 -更新第1067回-

前回、胃カメラ……胃の内視鏡検査を受けに行った話
(……に見せかけた、ただのM属性アピール+特殊プレイのススメ)を書いた。

 ▼お前の母ちゃん女騎士~はじめての内視鏡検査
 http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/-1066--ff1e.html

検査を受けに行ったのは平日で、
終わってから一時間チョイして外でお昼ゴハンを食べたのだけど、
その店にかかっていたテレビで、久しぶりにお昼のワイドショー的なモノを見た。
……平日・昼間のテレビというのは、実にどうでもいいな。
土日の昼も見ないから実態は知らないけど。

なんでも、歌手が不倫をして、相手の女性(こっちも不倫)に子供が出来て、
しかも相手の女性のダンナはその歌手と友人づきあいのある芸人さんで、
その経緯がドウダコウダ、
レポーターが記者会見の場で不倫した歌手に
「謝罪は」「お気持ちは」「先方の芸人さんはどのような」
とかまあ、
さも聞くのが正義だ、権利だ、私たちが質してやるのだ、みたいな様子で
ココゾとばかりに聞いてらっしゃる。
聞いてる彼らに「いまどんな気持ち? ねえいまどんな気持ちで聞いてるの?」
って聞きたい。
職業に貴賤はない、とは言ったものの、なんかこう……クるものがある。



……。



しかしまあ、見る人の気持ちは自分がアニメ見るのとあまり変わらないのかも知れぬ。
どっちもそういう娯楽なのだと捉えれば……
勿論、作り手の手間暇や大本の精神はずいぶん違うけれども。
自分の見る物が、どれほど上等かと言われても困るもんなー。
アレを娯楽として求めてる人も世の中にはいて、
なんてのもそこまで含めてテレビの芸能界としてテレビに求めて世知辛い日々を暮している人たちもいる、
と考えれば、その娯楽の供給の仕手として必要だということか?

正しいとか、立派だとか、何かにもとらないか、ということは別の話だけど。
構造のどこにしまうかと考えたら、同じとこにしまわれてしまう気がする。

自分にあのレポートをやれるかと言われたら……慣れたらやれてしまうんだろうなあ。
自分も、別に仕事じゃなかったら、今やってるような他者への関わり方は先ずやらんだろうし。
何処かで何かを麻痺させて、やってしまう気がする。

それが、糧を得ようとしたときにシャカイから自分に割り当てられた役割だからやっておる、
のだろう。多分。
あれが好きで、あれがかっこよくて、
あれが世の中を良くすると心から信じているからやっているという人がいたら
その先の世の中の姿について話を聴いてみたいと思うけど。

それを眺めることに人生の時間を費やすことが有益なのか、ということが問われても、
そもそも有益な人生とは……
その有益さが示されたとして、いまその時点から有益に乗り換えるだけの価値は……
そこにかかる労力は……成功する可能性は……
そんなことを思うともなく思ったら、
ヒト様の下半身のだらしなさを画面越しに眺め、
ゲラゲラ笑いながらその悲しさをかみしめることを選ぶのもまた
「善良」な選択であることであろう。


善き人生、というのは難しいものよのう。



P5220235



イヤ、まあ、別にそんな御大層な話を書こうと思ったんじゃなくて、
平日昼を流れる時間があまりにエキサイティングだったんで……
どうなんだこの国は、と思った次第。
けど、これはこれで普通のことなのかね。

オイサンは好きなんですよ。
くだらないテレビ(人様に迷惑をかけるようなのはアレだけど)を楽しみにして、
日々の隙間を埋めてたりする、本気で楽しんでる人たちっていうのは……どうも。
まあ人が、というか、そのかなしさが、なんだけど。
やっぱりその……この国の土台の土台をドッコイショと支えてるのは、そういうものなんだろうなーと思う。

それをできない自分を、やはりまだまだ、イマイチ面白みに隙のある人間なんだなーと思うわけです。
そのかなしみは、どっかで理解したいとは思う。
共感できるかどうか、理解したとしてその先をどう振る舞うかは、やはり別だけど。


 

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2016年6月10日 (金)

■お前の母ちゃん女騎士~はじめての内視鏡検査 -更新第1066回-

違法性がありそうで違法性がない、ちょっとだけ不適切な都知事。
オイサンです。


3月末に受けた人間ドックのレントゲンで

「こいつ、ヒダをパンパンに膨らませて悦んでやがるぜ……
 とんだスキ者だなあ、ええ?
 (訳:胃粘膜ヒダ肥厚の兆候が見受けられます)

……などと、カラダがすっかり悦んでるのを見抜かれてしまい、

「ヘッヘッヘ……さあてお次は、お前の大好きなこの黒くてぶっといのを奥まで突っ込んでやる!
 ヨダレだらだら垂れ流して、ヒイヒイいってるところを
 余すところなく撮影してやるから覚悟しな!
 (訳:内視鏡検査を受診して下さい)

……という宣告を受けたので、
言われるままにまんまと指定の場所へ出向いてしまいました……
い、嫌なハズなのに……どこかしらソワソワとして……どうして? 私、初めてなのに……
嫌なハズなのに……ッ!

  ここまでを要約すると、
  「人間ドックのレントゲンで、
   『胃粘膜のヒダが肥厚している所見があります。
    お近くの医療施設で速やかに内視鏡検査を受けることをお勧めします』
   と言われたので行ってきた」
  となります。ご了承ください。

マそんなことなので、これから初めて胃の内視鏡検査を受ける人のために、
受けるときの手順・注意点、顛末、見どころ、楽しみ方を、
オイサン流に徹底レクチャーしちゃうゾッ★



▼0)前準備・心構え

私の場合は、前日のヨル9時からは食事禁止だった。
水分の摂取は、検診の2時間前までOK。

しかしこの場合、水分ってどこまでOKなんだろう?
固形物NGなのはわかるけど、
コンソメスープとか具ナシのポタージュなんかはOKなのだろうか。
中で100%溶けるアイスは水分の内だろうか。
「水」じゃなく「水分」って書かれてたのが不思議だった。

あと、予約時間の10分前には到着して、血圧を測っておけと言われた。
ホンバンが終わってからもまた血圧をとられたので、
検査の前後で危険なくらい血圧が大きく変わってしまう人もいいるということだろう。
そのくらい、体に異物を入れるというのは危ない行為ではあるんでしょうな。



▼1)問診・検診

イキナリ行ってイキナリ内視鏡検査が出来るワケではなく、
オイサンの行ったところでは、その前に一度フツーの問診で受診する段階があった。
別の日に。つまり、2日かけている。

 1日目:問診 → 2日目:内視鏡検査 本番 という感じ。

1日目も、前以て電話を入れ「内視鏡検査を受けたい」という旨を伝えたが、
まずは問診、日を改めてホンバン、と言われた。
しかし1日目の問診の際、「今日はゴハン食べちゃってますよね」と尋ねられたので、
もしかしたら食事を抜いて行っていればその日のうちにホンバンも受けられたかも知れない。
ムウ。めんどくさいな。

尚、ドックを受けたのと同じ系列の病院で内視鏡を申し込んだので、
問診の際にはレントゲンの結果写真を見てもらうことが出来た。

  医師「うーん……。私の目には、普通に見えるけどなあ」

……。
正常・異常の判断も、ワリカシさじ加減みたいです。
マしょうがないか。
それでも
「マ年齢も年齢ですし、別件逮捕ってこともあるかも知れないんで、
 ためしに今回は検査してみましょうかw」
と言ってもらえたので良かったかなと。
そーゆーオススメがないと、保険で受けられないらしい。
ムウ。
ちょっとしたプレイ気分で受けに行ったらえらいボラれるわけだぜ?



▼2)当日のしたごしらえ

デ内視鏡検査当日。
まずは血圧の測定。ロビーにある機械で勝手にやる。

次に麻酔など、関連薬物の投与。
先ず、看護師さんいうところの「胃の中の泡を消す薬」を、
お猪口サイズの紙コップ半分くらいの量飲む。
次に、喉の動きを止めるスタンドッ!!

「『ザ・ワールド』ッ!! 喉よ止まれッッ!!」





……と、全ての病院にDIOがいるワケではないので、
仕方なくスタンド能力ではなくクスリの力に頼ります。
僕は弱い人間なのでクスリに頼ります。(ふおんな物言い)

看護師さんが、「ノドの動きを止める薬を使います」と言いながら注射器を出したので、
あ、注射するんだ? と思ってたら、注射器を私の顔に向けてくるからビビった。
口を開けろと。
ナニゴトかと思ったら、注射器の中の薬剤を喉の奥に向けて射出するんですね。
先端から液が勢いよくオイサンのノドに発射されると、
ぶっかけられた辺りが徐々にジンジンとしびれてきます……あああああ……。

  「おら、口を開けるんだよ!」
  「おえええええええええ!」
  「ちゃんと全部飲むんだぜえ!」
  「し、しびれて力がはいらない……クッ、殺せ!」


みたいなことです(ちがいます)。

尚、最後には「一度ノドの奥に薬を1分ほどためてからゴックンして下さい」
と言われ(これは本当)、貯め方をちょっと間違えて鼻の裏辺りまで麻痺してしまった。
うまいことやれたのかどうかはよくワカラン。
このお薬、かなりニガい。
うええっ……青臭い……っ(青臭くはない)。



▼3)ホンバン

診察台に横になり(仰向けではなく、本当に横・若干下向き)、最初に、マウスピースというか、
ファイバーを喉まで誘導するためのプラスチックでできた小型の「じょうご」みたいなものをくわえる。
ファイバーは思ってたよりも太かった……

  「こ、こんな大きなの、入りっこない……!!」

って、言いたいだけと思われるかも知れませんが。
ホントに想像よりは太かった。食道って思ったより太いんだな。

そしてそれがヌゴヌゴと、食道を通され、胃まで下りていくわけだが。
いざ入られてみると、これが。
なかなかの異物感。
当たり前なんだけど。

男性に生まれると、
そうそう「他者によって、体に何かを外部から挿入される」なんていう機会はないワケで、
貴重と言えば貴重な体験。
最初は

  「は、入ってくる……ッ! 私の中に……入ってくるうううッ!!」

という感じを感じ取ることと苦しさと違和感に抵抗するので精一杯だったけど、
しばらくすると、
「あーそうか、さっきの黒い長いのが、いま胃の中でウネウネ、
 あっち向いたりこっち向いたり動いてんだな。そりゃこういう感触になるはずだよ」
と、冷静に考えてた。
そうなり出すと……ちょっとおもしろい。
イヤ、苦しい・気分悪いのは変わらないんだけども。
慣れるとなかなか興味深い感触ではあった。
エホエホしながら、胃の中の光景を思い描いていた。

  しかしまあ、ちょっとエッチな話をすると、
  予告も同意もあってもこれだけの異物感・衝撃があるのだから、
  突然・ムリヤリ、なんがしかを挿入されたりした日にはそりゃあショックでしょうし
  気分も悪いでしょうよ。
  マ内視鏡検査の場合、もともとの内臓の用途・想定と違う入れられ方をするわけだから
  異物感・不快感がより大きいのはあるだろうけど。
  ……そう思うと、女性のアチラの部分というのは、構造的には
  「入りやすい」「出やすい」のどっち向けの作りになっているのだろうか。

看護師さんには

  「へっへっ……ヨダレでびしょびしょじゃねえか、だらしねえ……。
   ザマあねえな、ああん!?
 (訳:ヨダレは飲み込めないので、そのまま垂れ流してください)

と人としての尊厳を貶められ……あ、そういえば、
看護師さんの一人はずっと背中をさすっててくれたのですが、
あれはみんなそうなんですかね? オイサンは特に苦しそうだったんだろうか。
ワリと早い段階から冷静モードで、


  「あっ……そこッ……いいッ……好きィッ!」


と、ナカをかき回される感触を楽しんでいたのだが(誇張)。
時間は……10分もなかったと思うケド。
世間でもよく言われる、

  「なあに、天井のシミを数えてるうちに終わるからよお……
   お前も楽しんだ方がトクだぜえ?」

という言葉の通りでした。 ← 存分に楽しんでしまった人



▼4)結果発表

結果は「あと10年は戦える」とのこと。
なんじゃそりゃ。

『萎縮性胃炎』というのが見受けられなかったから、
ピロリ菌の検査はもう不要と判断してやってないらしい。
あらそう。
最初にドックで言われた粘膜の肥厚も、1回目の検診で診てくれた先生に言わせれば
「普通だと思う」ということだし、
まあ、今回は堀越学園……じゃない、取り越し苦労ってことですな。

ただ1点だけ、

  「へっへっへ……奥さん、ガバガバじゃないですか。
   随分と使い込んでいらっしゃる……。やっぱり好きなんですね、ええ?
 (訳:胃と食道を繋いでる部分が広がりやすくなっているので、
      逆流性胃炎にかかりやすいかも)


とは言われた。は、はずかしい、バレてる……ッ!
なんでそーなんのかはわかんないけど、
オイサン、食べるのが早くて、ゴハンをあんまり噛まずに呑みこんじゃうから
そーなのかも知れん。勝手な想像だけど。

デ、検査自体は終わり。
そのあと麻酔が切れて、フツーに飲み食いが出来るようになるまで、大体1時間。
「1時間ほどして、水を飲んでもむせなければ食べてもOK」
と言われた。
体感では、30分経過あたりからはフツーの感覚になってたけど、
律儀に1時間は守った。
オナカスイタ。



……。



以上で、はじめての

「黒くて太いのを奥まで挿入され、
 だらしなくよだれをダラダラ垂らしながら
 ビクンビクンする姿の一部始終を撮影される行為」


全工程終了。はじめての胃カメラの一部始終。
まあ……大したコト何もなかった。
本番よりも前後の手続き(1回検診受けないといけない・麻酔の投与~切れるまで待つ)の方が
よっぽど面倒だった。

ホンバンも、確かに苦しくて異物感はバリバリだったけど、
いま思い返してみるとまんざらでもなかった
なんなら若干いとおしい感じすらするし、ちょっともう2、3回やってもいい……気さえするので、
ああやはり自分はそういう感じの人間なのだなーと思うと
そっちの方が多少深刻っていうか

どうしてこんなになるまで放っておいたんですか!!

スミマセンそんな自分が好きなんです!!

  うーむ……。
  診察台に横たわって、レイプ目で涙を流すのを忘れてた。
  すみません、もうワンテイクお願いします(まさかの)。

以上、
自分の胃の中であのファイバーがのたうっているのを想像しながら、
真っ先に思い出したのが『魔法少女アイ』だったオイサンでした。
医療に従事する、すべての崇高な方々に陳謝致します。

メンゴメンゴ ミ☆




 

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2016年6月 3日 (金)

■戦車に牽(ひ)かれてウペペサンケ -更新第1065回-

何かを買ったり、特別なことが起こったりしなくても、
常日頃ボンヤリと感じたり思ったりしていることを拾い上げてブログに毎日書けないか、
と思ってやってみているけど、
非難とか、文句とかになることが多いな。
マよそ様にケチをつけることの方が書きやすいのだろう。


……


『ガルパン劇場版』、特装版のBDを買って色々見たので
チョイ感想を書きたいのだけど、書こうとすると書きたいことが大量に出てきてチョイでは済まなくなる。
ままならぬのう。
いつの間にか『ガルパン』大好きおじさんじゃないか。




ちょっとだけ書くと、
最終決戦のステージが北海道だったとは知らなかった。
糠平の眼鏡橋(タウシュベツ川橋梁)が出て来ていたのは分かっていたけど、
橋だけ借りて置いただけで、場所自体はちがうところという設定かと思ってた。

オイサンが北海道・帯広の糠平を訪ねたのが2004年の5月だから、
もう12年も前。
まだ渡道2回目の、『北へ。』熱が全開の頃で、帯広中を駆け回ったときだった。
当時はちゃんとしたカメラを持っておらず、PanasonicのD-snapを使っていたと思う。

 ▼D-Snap SV-AS10
 http://panasonic.jp/dvc/p-db/SV-AS10.html
 本当にセンスの良い機械だったと思うのだが、実に惜しい。
 まだSDカードがバカ高くて、音楽転送に専用ソフトを使わないといけないのがネックだった。
 マ今となってはスマホで全部終わる話だけど。

糠平はそりゃもう鄙びた……を通り越してほとんどさびれたとした温泉地だったけど、
今はもしかすると、人が増えていたりするのだろうか。
『ガルパン』効果もあって?

あの時の旅のメインは帯広の中心地の方で、帯広の北の山奥にあたる然別・糠平方面は、
サブで周遊するぐらいに考えていた。
まだ自分の旅のサジ加減が全く定まっていない時期だったこともあり、
糠平の宿へは夕方近くに着き翌朝早い時間にはもう離れるという、
何のために泊まったの? というようなプランだった。






だからまあ、行ったことがあると言っても本当に行ったことがある程度でしかなく、
数少ない見どころのはずの糠平ダム・タウシュベツ川橋梁も、実はちゃんと見ていない。
……のだけど、
あまりの寂れ具合と、宿がちょっと恐ろしい感じだったのとで、
投宿地としては非常に印象に残っている。

「多分、ここは二度と来ないな」くらいの意味合いで。

そんなことを思い出しながら、
12年も経ったのだったらそろそろ再訪を考えても良いかと地図を眺めていたのだが、
いつの間にか、『ガルパン』は全然関係のないウペペサンケ山を登る旅プランになっていた。
どうしてこうなった。

  ウペペサンケは糠平の近くにある山です。1800mくらいかな。


P1010457
D-snapで撮ったと思われる写真。どこから撮ったかもわからないからウペペサンケかどうか
ももうわからないけど。わけもわからず撮ってる頃の写真ですね。



2004年の旅は、ウペペサンケ山を遠くからでも臨むことが目的の一つだった。
当時オイサンは120kg超のグレートオデブサンたったから、
登りたくても遠くから見上げることしか出来ないウペペサンケだったが
(マ登山なんてバカのすることだと思ってたから登る気なんかサラサラなかったけど)、
今の自分だったら、手の届かないこともない山だ。
12年、長いようで短い時間だけど、色々と変化しているものだな。



12年……。



最近、ジョギングしながら人間は長生きだなあ、と唐突に思ったりする。
この先父母と一緒にどのくらい過ごせる時間が残っているか……などということを考えると、
もっと長く生きて欲しい、ともに過ごせる時間が欲しいと思うのだけど、
それでも、長生きだなーとは思う。
10年をあっという間だと思いながら、同時に60年、70年は長いと思う。

四十をまたぐ前後で、体力がガクンと落ちた実感がある。
疲れやすくなったのもあるし、回復に時間がかかるようになった。
人間のカラダはそもそも、80年も生きられるような作りにはなってないんじゃないのかな。

眠っても、食べても、消化・吸収して補修が追い付いて行かない感じで、
なるほどこれが限界かと冷静に感じた。
年を取ると、外殻的なフレームもさながら、内臓とか筋肉とか神経とか、
体の部品と呼ぶよりインフラ・基盤に近い箇所が弱ってきて立ちいかなくなっていると感じる。

そんなだから、
この先をより長く、より安全に生きていくには、
たくさん食べて! たくさん燃やして! たくさん休む! 元気!!
……っていうんじゃなく、
そもそも取り込む仕組みや直してまわる仕組みがへたってきてるんだから、
摂取する食べ物の量が少なくて済むように、
鍛えなくても体への負担が小さいように生きていく必要があるなあ、と考えている。
最低限の消化・吸収で、内臓への負担を減らす。
その為には内臓を小さくしないとだし、補修は増強にかかる負担を小さくする、
すなわち無闇に怪我したり鍛えたりしない。
そういう体と考え方に作り替えるのが良いんだろうな、
「たくさん食べてたくさん燃やす」なんてのは、若いから出来るコトだったんだなーなるほどー、
などと、最近なんとなく実感している。


どうも、すっかりお爺ちゃんです。


食べることを特に嬉しいとも思わなく日も来るんだろうな。
96だか7だか、オイサンが小学3年になるまで生きてたひいばあちゃんは、
ゴハンを食べるのもちょっとしんどそうだったように、今にして思えば感じる。



デ、えーと、何の話だっけか。
そうそう。



『ガルパン劇場版』BD、スタッフコメンタリーとミリタリーコメンタリーを見終えた。
相変わらずどちらも大変面白かった。

今回は、ミリコメよりもスタッフコメの方が面白かったな。
ミリコメ単体でも、『アンツィオ戦』のBDの方が面白かった。
出演するガルパンおじさん
(つったってきっとそれぞれの分野では結構な権威の方々のはずだ)の人数がちょっと多すぎて、
かつ、それぞれのオモシロ度合いが濃すぎた気がする。
各位もうほんの少しだけずつ、キモチ冷静であっても良いのではないだろうか、おじさん方。
かなり飲み屋の会合寄りだったように思うぞ。
どいつもこいつも
「ぼくの考える『ガルパン』が一番かわいいんだ!」
と孫の頭を撫でるようにしゃべるもんだから。
男ってバカだね。

  まあみんな……日陰者だった雌伏の時を経て、
  これまで積み上げてきた知識とか経験とかが『ガルパン』によって余すところなく
  日の光の下で賞賛を浴びて活躍する場を得たんだから……
  そうなるよね。
  仕方ないと思う。

あとはキャストコメンタリーが残っているが……
どうする田中、一休みして、先に特典OVAの『アリス・ウォー』を見るか?
つかれただろう。
……って太田に言われたいオイサンがいます。
太田やさしいよ太田。
『田中くん』が好きな人って、みんな太田にやさしくされたいんじゃないだろうか。



オイサンでした。
あと、継続高校の操縦手のコ、ミッコちゃんがすごくかわいいと思うようになりました。
かみつかれたい。

Img2016060200603

でもこの子、ワリとフツーのコだと思うんだけどね。
彼氏とかいそう。親が決めた、幼馴染の許嫁とかいそう。



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2016年6月 2日 (木)

■ひとの社会はいつもケダルゲ -更新第1064回-

聴きようによっては、ちょっと過激な話になるかも知れない。

先日の2016年春アニメの感想の中で、
『田中くんはいつもけだるげ』の話にかこつけて、
この国の人口の増加と、増やした人間の成育については
家庭や家族・夫婦というところから切り離してシステムでやんないとダメかも知れん、
みたいなことを書いたけど、
それ突き詰めて変な方向に考えていくと古き共産主義の家族解体論みたいになっていっちゃって
なんか自分ヤバイ人みたいだ。やべえ。 ← 語彙の喪失

  しかしなぜあのうすぼんやりアニメを見ながら
  そんなヤバげな方向の話になるんだ、このオッサンの頭の中は。

ボンヤリ思い描いてたのは、子どもをのべつ幕なし親から取り上げて国の物にしよう、
ってハナシじゃなくて、足りない部分はこしらえてもらって国が引き取る、
育てたい・育てられる人たちは当然フツーに育てる、
みたいなことだったのだけど、やはり不自然でグロテスクな話だ。

  育てる気やアテが無くて子どもを拵える側の動機はなんなのかとか。

そうして引き受けられた子どもは、共同体とか施設みたいなところで
「親」や「家族」がそれそのものとしては存在しない環境
(それらを擬似的に再現することは考えるだろうけど)で成育されて、
以降はフツーに社会に出ていく、みたいなことを、
出来るだけ細部には想像を働かせないで考えていた。

マSFの設定だと思って。

「引き取る」とか「成育」とか「施設」とかいう単語がもう、
なんだか薄暗い湿り気を感じさせてしまって、
どうしたってアブナイ匂いしかしてこないのが困りものだな。
これはなんなんだろう、物語からの刷り込みのせいなのだろうか、
あるいは、生き物としての危険を嗅ぎ付ける本能の産物なんだろうか?

想定していたのはもう少し明るくて健全な、
「家・家族・家庭」という制度システムではないというだけで、
健全な共同母体で愛を受けて育てられたらいい、という話のつもりだったんだけど……
語り方が難しいですね。
言えば言うほど、悪の実験施設への勧誘を行う命の詐欺商人みたいになってしまう。
コワクナイヨー。

システムの細部を考えたら
「費用はどうするのか」とか
「お国が引き受けられる数の上限はどうなるのか」とか。

もしそんなシステムが健全に回ったとして、
且つ、フツーにお家で家族が育てる環境も併存するとして、
そうして育てられた人間には、どんな影響が出てしまうんだろうか、
等と考えると……
ウーム。
やはりどことなしに、グロテスクな香りを感じるのは……
やはり私も、親に育てられた人間だからだろうか。
とても残酷で、工業生産的で、非人間的なことのように見えるし、
見るからに悪用されてよろしくない末路をたどるお子さんがいっぱい出てきそうな気配がすごくしちゃうし、
やっぱりアレだね。
生き物の根っこに関わる部分のことは、オイソレといじれるものじゃないですね。
生理的な嫌悪感がどうしても邪魔をする。
一人っ子政策とか、よくぶち上げたなあ。
さすが、あの国はいい度胸してるよ。

  「医療、食、セックス。
   人間の本能に根差すジャンルを追及させたら中国って国は半端じゃねえ」
  って勇次郎が言ってたけど、ホントだなって思うわ。
  踏み込み方に遠慮がないもの。
  「イヤ、さすがにヒト様のお布団の中の事情にまで、そこまで突っ込むのは野暮でしょ」
  とか、考えない。さすが。

真面目に、「国を! どうにか! 存続!」っていうことを主体に考えてしまったら
そんな風に
不自然でもヨノナカを支えるための仕組みを考えざるを得ないのだろうけど。
けど、人間、「社会的な生き物である」とはいえど、
それはあくまでも結果論というか、生理的・感情的・識域下的な意味のタマモノなのであって、
社会や制度のために生きてるわけじゃないですもんねえ。
個体個々の意識や生理の流れが束になった結果、社会的に見えるものが築き上げられるので、
それを前提に個体をコントロールできるワケでは……ある程度以上は、ないですもんね。
野生のまま放埓でいいわけはないけど、理性が完全に上に立つことは
それ以上にありえんもんなあ。
そのあたりはき違えたら妙なことになるな。




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2016年6月 1日 (水)

■当世眼鏡気質 -更新第1063回-

このたび、メガネを新調したのですけれども。

少し以前からなんとなく「そうだ、メガネを新しくしよう」という気分になっていて、
そんな気分になることも稀なので、この機会をキチンと活かそうと思っていた。

そして去る週末、
3月の末に年度の期限ギリギリで受けた人間ドックの結果でいただいていた
「胃粘膜ヒダ肥厚」なる所見と、
その正体を暴くために内視鏡検査を受けてこいという命に従い、

「内視鏡も進歩しているらしいが、どうだろう、そのうちAIなんかも搭載されて、
 自分の飲んだその内視鏡のAIが突然自我に目覚めて
 体のナカをどこといわず暴れ回る、
 ……なーんていう、新手のエロアニメはどうだろうね? ね?」


などと、職場の女史を相手に熱っぽく語ってエロく……否、エラく引かれるという
新しくも痛ましい黒歴史を乗り越え、ようやくその最初の検診に行ってきた。

胃カメラごとき、ケチケチせずにちゅるっと一発で飲ませてくれれば好いようなものを、
検診の先生は
「焦らないで、段階を踏んで先ず今回は最初の問診だけ、挿入は次回よ♪」
などと、いまどきプラトニックな高校生の恋愛でもあるまいに、
それをじらして弄ぶ保健の先生みたいなことをのたまう。

  なお誤解のないよう断言しておくが、
  医師は初老の男であり、オイサンは相も変わらず童貞である。

しかしまあ専門家の言うことに逆らうワケにもいかず、
下手に機嫌を損ねた日には、それこそ本番で入れんでエエところにカメラを入れたり、
切らんでエエ組織まで切ったりされかねず、
相手は仁術の使徒とは言え人間なのであって何をされるか分かったものではないので、
この日はおとなしく引き下がることにした。
今日はこのくらいにしといてやる。

サテそうなるとほど良く時間が空いたので、コレ幸いと近隣のショッピング施設へ、
いくつか前の記事でも少しふれたように
3度目の『ガールズ&パンツァー 劇場版』を鑑賞しに赴き、
大満足のうちに見終えて階下のフロアをブラついていたところで、
眼科の看板を見つけたのである。

せっかくメガネを新調する心構えになっているのだから、
ここはヒトツ、トコトンまで気分を出して本格的にいこうじゃあないか。

普段なら面倒くさがって簡便に済ませるところも凝ってみて、
眼科でキチンと検眼・検診を受けることにした。
お値段、2400円也。

しかしまあこちらもさすがに専門家、その手腕たるや大したもので、
ああだこうだとレンズをとっかえひっかえ診て言うことには、

「いまのメガネだと近くを見るには圧迫感がありすぎるのではないか、
 少しくらい見えない方向に度数を下げてみるのも良かろうて、
 なんなら乱視の矯正も外した方が、あまりに見えないというコトでさえなければ
 塩梅は良いかも知れぬがいかがなものか」


と、こちらの感ずるところをピタリピタリと言い当てていく。
医者をハシゴした甲斐もあったというもので、
この手品師のごとき眼科医とアシスタントのお嬢さんの言うがまま、
いまのメガネより一段度を落として、乱視の矯正も抜いた処方箋を書いてもらった。



……。



サテ一日置いたあくる日、
せっかく書いてもらったのだから使わねば罰が当たると意気も揚々、
処方箋を握りしめ、となり町まで眼鏡を拵えに出かけた。
なにゆえとなり町まで? と訝しがられれば、何のことはない、
安物オサレめがね屋の有名どころが三軒、軒を連ねておるのである。

それだけ品物があれば、オイサンでも気に入る意匠のモノがヒトツくらいは見つかるであろう。
特段ハデなものや奇抜なフレームを所望する気もないが、
かといってマジメ一辺倒に済ませる気もない。
河島英吾も歌っているように、


  ♪ 不器用だけれど 白けずに、 純粋だけど 野暮じゃなく


というセンを、出来れば一本、興が乗れば二本で狙っていきたい所存である。


 ▼時代おくれ
 


何しろ昨今ではメガネもそう高くはないので、
面白がって、余分に1本くらいは持っておくのも良いかも知れない。



デ、結局のところ、Z○ff、JiNS、C●●lensと巡って、
Z○ffで2本拵えてしまった。


1本は7000円の、もう一本は5000円のフレームで、
レンズの構造やコーティングには特に金をかけなかったのでお値段ナリである。
レンズを非球面にしたり、ウルトラハードとかいうコーティングや曇り防止などを追加したりすると、
たちまちノーマルのフレーム+レンズ価格よりあっさり倍も高くなってしまったりするので油断がならない。
まずは様子見なのでコレで良く、
使い心地が眼鏡にかなうようであれば、次回は同じデザインのフレームに
フルアーマーのレンズをくっつけたって良いのであるからして。

結論から言えば、
ていうか全然結論から言っておらずハナシももはや終盤なのだがっていうか
ここまでの前置きが異様に長いけれどもだ

新しいメガネさん、2本とも実に塩梅がよろしい。

ここ数日使ってみて、
これまでずっと感じていた目玉の裏をギリギリと圧迫するような感じは消え失せ、
シゴトバで画面を長いこと睨んでいてもさほどくたびれない。

気まぐれとはいえワザワザ眼科で専門医の検眼を受け、
レンズの処方をしてもらった甲斐があったというものである。
イヤハヤ、お見事。
度を一段下げたのも、乱視の矯正をとっ外したのも、功を奏した様である。


Atrdsc03198


フレーム選びも正解であった。

レンズ面積の広いもの、特にタテ幅のあるモノを選んだのであったが、
目とレンズの距離が近いこともあって
多少目玉を動かしても視界が枠外にはみ出す部分がほとんどない。
これは感動的であった。視界全部がクッキリしておるのである。

1、2年前まではフレーム幅の狭いモノが流行しており、
レンズのカバーする面積が視界のほんの限られた部分になってしまうようなメガネが
大勢を占めていた。
視界の中に、クッキリ領域とボンヤリ領域がたえず同居しているのである。
これがどうやらよろしくなかった。
マ妥協してそのようなフレームを選んでしまった自分が悪い部分もあるので
(それでも随分粘って流行にない幅広メガネを使ってはおったのだが)、
一概にメガネ業界の流行やクソチャラオサレメガネ野郎どもを責めることも出来ないのであるが、
いずれにせよ、最近は幅広メガネや怪しげな古道具屋がかけるような丸メガネも多くラインナップされておって
それに助けられた。

スッカリ気に入ってしまったので、
もうしばらく使ってみて不都合の出ないようであれば、フレームは今のモノのまま、
最強レベルまで強まってテクノロジーの進歩の高まったレンズにしたものを
もう一本持っておこうかと画策する次第である。


  目立たぬように、 はしゃがぬように
  似合わぬことは無理をせず
  人の心を見つめ続ける 時代おくれのメガネになりたい




目出度し、愛でたし。
オイサンでした。


 

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