« ■Lonely Way~湯水のように~air mail from Nagasaki -更新第1070回- | トップページ | ■もうすぐリオデジャネイロ -更新第1072回- »

2016年6月17日 (金)

■夏蝉とパラフィン紙 -更新第1071回-

蝉の声を聴いた。
オイサンです。


朝、市ヶ谷の駅からお堀に沿ってしばらく歩き、
車通りを逸れて靖国神社の裏を抜け、武道館の冠たまねぎが見える坂の上に立ったとき、
それまでとても梅雨入りした6月の空とは思えない青さをペタリと貼り付けたようだった空からさあっと色が引いて、
坂の下の町まで全部、淡く透明なグレーのフィルターを纏った。

そのとき思い出したのは、
古書店で、箱型のカバーをかぶるような大振りの真面目くさった本を引き抜いたときについてくる、
あのパラフィンを染み込ませたグラシン紙の色合いと、シャリシャリとした感触だった。
まるで町全体が一冊の古書になったように淡い半透明にくるまれて、
少しかしこまって、居ずまいを正したように見えたのだ。

そこへ、蝉の声。

今しがた少し呼吸を浅くしたばかりの町並みにはそぐわない、ジリジリ、ジリジリという
工事現場のような声が、パラフィン紙で出来た町をぴりぴり震わせて
じっとりとした空気を運んできた。



それが、今年最初の蝉の声になった。



  ……と、思ったんだけど!
  こないだ「国道299号走破の旅」で十石峠に行ったとき、蝉の声、先に聞いてた。
  到底蝉とは思えない鳥のような鳴き声で、
  よつさんが気付いてくれなければ見過ごすところだった。
  エゾハルゼミという、ひぐらしみたいな、ツクツクボーシみたいなやつだった。



その日の朝はまーあ良く晴れていて。
家を出たらあんまり明るく感じたので、一時間ほど寝坊したのかと時計を見てしまった。

  ……そんな天気のせいでしょう、関東1都5県は取水制限が決まったみたい。
  前の夜、風呂場で水に感謝を捧げたくなったのは何かの予感だったんだろうか。

  ▼利根川水系のダムで水不足 10%の取水制限へ | NHKニュース
  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160614/k10010555891000.html

ただ晴れただけでなく、前日の雨が激しかったおかげで光もとても澄んでいて、
空の青も葉の緑も冴えていた。
気分が、えらく清涼だった。


……ところで、
三十、四十と年を経る中で
「自分の気分の良さに断りなく世の中は動いてる」なあとつくづく思う。
自分の気分が晴れていようが曇ってようが、世の中は、「別に」通常営業なんである。
良いことが起こる度合いも普段と変わらないし、
悪いことだって、こちらの気分を斟酌せずに、普段と同じく降りかかってくる。
考えるまでもなく当たり前のことだけど。人間、案外このことを忘れがちだ。
「今日は気分が良いから、なにか良いことが起こりそうな気がする」
と平気で考える。
気掛かりを抱えて、ドンヨリ重い気分のときに、
「ああ、今日は何か良いことが起こる予感がする!」と思える人は
なかなかおらんのではないだろうか。
いたらそやつは、結構なメンタルの持ち主だと思う。

それはさておき。
気分が良かった、といってもやたらに高揚したり浮ついたり、社交的になったり(うざい)というのでなくて、
あたりの見え方と聞こえ方が、広く、明るく、精細になるのだった。

まず、視界が広くて深い。
いつもが35mmなら、今日は24mmか、22mmくらいあって、
全天球とはいわないまでも半球分くらいには手が届くようだった。

  より野暮くさい言い方をすれば、
  視界の広さそのものは普段と変わっていないハズだけれども、
  普段ならば視界の中でも意識の向いてるエリアについてだけ認識の解像度が上がるところが、
  こういう日は視界全域に対して認識の解像度が底上げされる。
  「見えてはいるけど意識が向いてない」はずの箇所も、細かく意識に流れ込んでくる。
  写真で言えば被写界深度が上がる(ピントを合わせた距離・領域以外にもピントが合うような)、
  そんな状態。

モノをとらえる速度もはやくて、
数メートル先の鳥が羽ばたいて電線にとまる、その羽の陰影や、
足の関節の柔らかなしわが鮮やかなことにハッとするゆとりがあった。
さえずりながら交錯して飛ぶ鳥の、誰がどの声を発しているかも追って拾えた。

  ……ホントならこんなコト、
  文で書くんじゃなくて写真に撮って見せてしまえば済む話なのだけどね……。
  それが出来ずに片手落ち。不甲斐ないやら切ないやら。

日和は、確かに良かった。
飛び抜けて良かったと感じるのは、気分の良さがゲタを履かせているのもあるかも知れない。
広い視界のはしばしまでをくっきりと捉えられたから、そんな風に見えたのかもしれない。

靖国神社の裏手の、どうということのないただの会社の石壁に張り付く陰影が美しい。
オイサンがここに差し掛かる時間は大体いつも同じだけど、
日の上る時間は季節によって変わるから、見られる表情も当然変わる。
晴れた日の陰影が一番ドラマチックだとオイサンが思うのが今くらいの時期だ。

空の色から、木々の緑の色から、何から何まで一段階深く透明で、
雲にかげったグレーの幕がかかった町並みにさえ淡麗さが見いだせるのだから、
「気分の良さ」というのは始末に負えない。


……。


格闘マンガの『修羅の門』には、「四門が開く」という概念と表現がある。
主人公・陸奥九十九が、自身の流派である陸奥圓明流の必殺奥義(とかくとえらく安っぽくなるが)を
出すときなどに踏み入る状態のことであるが、
作中では「肉体のブースターを開け続ける状態である」、と分かり易くは説明されている。
より速く、より強く、より効果的に技を出すための体力上限解放状態である。

このとび抜けた気分は、自分のそういう状態なのかもしれない、などと思いながら、
下り坂の頂上に立った。
そこで、蝉の声を聴いた。

……実は普段でも、少し天気が良ければ、世間はこのくらいの色をしているのかも知れない。
ぼんくらな自分が、それをそれとして受け止められていないだけで。
だとすると、とても惜しいことをしていると思う、
思うがしかし、
毎日コレでもくたびれるだろうし、時間が足らぬであろうし、飽きるだろう。

自分は、自分のコレに感動してるが、
より強い、より鮮やかなものを見ている人もいるだろうか。
それはきっと訓練や知識では手に入らない、きわめてフィジカルなところに備えられた性能であろう。
あなうらやましや、悔しや。

若い時分には、自分にもふつうに出来ていたことかも知れない。
衰えたことにすら、気付けていないだけなのかも知れない。

これをより頻繁に、飽きずにやり続けられ、自分の生み出すモノに反映し続けられるのが
天才と呼ばれる表現者たちなのかもしれないなあ。

外の世界の鮮やかさを、より広く、深く細やかに受け止めることが出来たら、と
やはり羨ましく思うオイサンだった。


ツクツクボーシ、ツクツクボーシ。


……しかしコレ、この受容感覚の加速状態は案外、
血圧がやたら高くて脈拍が上がってる、とか……
そんなよろしくない原因でも起こったりしそうな気がするな……。
『天上天下』の光臣みたいに(引用元が格闘マンガばっかりだ)。

 
 

|

« ■Lonely Way~湯水のように~air mail from Nagasaki -更新第1070回- | トップページ | ■もうすぐリオデジャネイロ -更新第1072回- »

[日記]」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/55967/66057225

この記事へのトラックバック一覧です: ■夏蝉とパラフィン紙 -更新第1071回-:

« ■Lonely Way~湯水のように~air mail from Nagasaki -更新第1070回- | トップページ | ■もうすぐリオデジャネイロ -更新第1072回- »