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2016年3月の4件の記事

2016年3月27日 (日)

■電車に乗ってどこまでも。~朗読劇『それから』感想、そして二つの塔の見る夢~・その二 -更新第1051回-

オイサンです。

地元から友人がやってきて、朗読劇を聴き、東京観光をしたとある週末の話。
その2日目。

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▲▲△ オイサン的Tokyoスカイツリー観光 ▽▼▼



サテ。
土曜日は、そうして夕方から観劇し、
翌・日曜は、西からきた友人を連れて毎度苦手な東京観光へ。
今回は、

「スカイツリーを間近で見たい……というか、
 『スカイツリーに行ったという既成事実が欲しい』」

という、友人・ペ氏からのなんだかよくわからないご要望を受け、
一人では行ったモンかどうか、何となくモヤモヤしていたスカイツリー&ソラマチとやらへ行ってみた。
実際スカイツリーには上らなかったので、ソラマチ周辺だけの話になる。

  ちなみにスカイツリーって、いま普通に上れるのだろうか?
  一時期予約がいるみたいな話だったから、ロクに調べず今回はパスしたけど。

そしてまた、オイサンはソラマチのオサレショップや
巷のOLに人気のオサレゴハン屋さんになんかには大した興味がありません。

  ……多分友人が「行ったという事実が欲しい」と言ったのは、
  オイサンのそういう感覚とほぼイコールなのではなかろうか。
  「堪能してキャーキャー言いたいわけではなく、
   ボンヤリと輪郭だけでも見ておきたい」、くらいの。

……なのでイキオイ、今回の訪問の目標は
「トニカク無料で行ける一番高いところまで行って、
 一番良い or なんか面白い眺めを拾って帰る」
になる。

  ……しかしさあ、行ってみてびっくりしたけど、ソラマチって……
  アレでエエのんかね? お台場とか、おおたかの森SCといったい何が違うんだ?
  メロスには、旭川にあったデカいイオンとの違いがわからぬ。
  もっと言えば、地方の郊外ロードサイドショッピングモールとも同じに見える。
  ニッポン中おんなじにする気か? アレで全体、良いのだろうかね……。
  誰だ、アレを求めて、アレを良しとして、アレにGoを出しているのは。
  なんとなく「とりあえず他に案もないから、アレとコレとソレ並べときゃいんじゃね」
  って決めてるんじゃないだろうな。

などと、ジジイみたいな文句ばかり言ってても始まらぬ。ソラマチ最高!
とりあえず歩いて回って、面白かった場所を書いていく。



■30F・31F
辿り着ける一番高いところがココ。フロア的には、お高めの食べ物屋街です。
眺めは……まあ、高いですけども、東京の灰色の町を見下ろして楽しいかは Σm9 あなた次第!!
オイサンはワリと頑張らないと、楽しみを見出すことは難しいです。
まあテンションは上がりますけど。

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尚、通常のエレベータ・エスカレータではたどり着けず、
専用のルートを通らないと行かれないので注意。



■謎の『アイカツ』コーナー
エントランスのフロアから2、3階エスカレーターを上ると……突然の『アイカツ』!!

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か、かわいい!!
いや『アイカツ』は見たことないしあんまり知りませんけど、ずらっと並んでるとなんかこう……
天国ですね! かわいい。
さすがだスカイツリー(なにがだ)。天国だった。

見た目では、オイサンこの子が好きです(どんな子か知りませんけど)。

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ペ氏に誰が好きかと聞いたら、
なんか一個だけあったアイカツとは関係なさそうなナマミ女子の看板を指差したので
分かり合えそうもありません(なんでだ)。



■プラネタリウム・水族館
7Fにはプラネタリウムなんかがある。コレはちょっと興味をそそられた。
久しぶりに見に行ってみるのも良いかも知れぬな、プラネタリウム。
別にソラマチじゃなくてもいいので近場で探してみるか。

なお水族館もあるようだが、今回はお目にかからなかった。
お好きな方はどうぞ(そんなオススメ紹介があるか)。



■ドーム広場
屋外からスカイツリーを臨める場所。7Fだったかしら。
ソラマチのビルにツリーが映りこむのが見られて、なかなか面白く
この日一番の眺めであった。
鏡に映った自分の姿にウットリするスカイツリーさんや、

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偽スカイツリーさんと正面から対峙する
男らしいスカイツリーさん
の姿

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……が見られます。



■謎の千葉工大コーナー
8Fだったか、突然ワンフロアまるまる千葉工大のコーナーがあり。
実物大のバルキリー模型が展示されている。なぜだ。
後から来たカップルがテンション上げてて楽しそうだった。
正直オイサンは……このくらいの、しかも動きもしない模型では特にテンションは上がりませぬ。
ガウォーク形態が、半分壁と床に埋まってるだけですからね。
せめて全身あるか、変形するかしないと。
中身はいくらかでも詰まっていたのかしら、アレ。
コレ企画した人、バルキリー好きなんだろうなあ。お台場ガンダムが歩くのとどっちが早かろう。

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ほかには、アフリカに落ちた隕石からとれた鉄鉱石で作った日本刀などが展示されている。
説明員さん(恐らく千葉工大の学生さん)が
「ニッケルが含まれていてあまり強度が出ないから、実は日本刀には向かない」
と言うから、
じゃあなんで武器にいったんだ? その鉄鉱石の組成が生きるアイテムって何があるんだ?
という質問をした、困ったオッサンはコチラ。野暮だねえw

尚、日本刀の定義としては「日本でとれた砂鉄を使うこと」という物があるらしく、
厳密には日本刀ではない、と言う人もいるそうな。
ちなみにアメリカでも同様のことが行われていて、その時は銃が作られたというから……
オトコノコに任せるとどうしてもそういう方面に向いてしまうらしい。
或いは、武器というのが加工であったりという技術を最も必要とされる
リファレンスになりうるものなのだろうか。
それなら話は分からないでもないが。

原発事故のときに活躍したラジコンロボットのコーナーもあり。
実際にPSっぽいコントローラで操作してるところを見るとグッとくる。
キーコンフィグにばっかり目が行ったりするゲーマー目線のオッサンはこちら。


……。


えー、スカイツリー周りは、大体以上です。
もっと人でごった返している物かと思ってましたが、そんなでもなかった。
マ着いた時間が早かったのと、天気がそれほど良くなかったというのもあるかもしれない。
とうきょうスカイツリー駅周りはちょっと閑散。
東京ばななが人を呼び込むのに大変そうだった。

尚、みやげ物屋で20000円もするスカイツリーの置物を売ってたりするんだけど……
アレ、どのくらい売れているのだろうか。どうも、光る色が変わるだけのシロモノらしいが。
何か機能をつければいいのに……などと考えてしまう貧乏性。
Wifiルーターとか、液晶にメッセージを流せるとか。
スカイツリー、そもそもそんなに見栄えのするカタチしてないしね。
緑色と黄色のツートンとかってワケにはいかなかったんですかね。



▲▲△ 東京タワー ▽▼▼



お次は東京タワー。普通に電車を乗り継いで、

  押上 → 大門 → 赤羽橋

と移動。
どうにか地上から、観光バス・周遊バスやらを乗り継いで行けないものか?
と検討もしてみたけど、あまり便利のよい手段はない模様。惜しいなあ。
ハシゴ出来る交通手段を用意しておけば、外から来るお客さんも便利なのに。

赤羽橋で電車を降りて少し歩けば、ビルの間や向こうにタワーのお姿が見え隠れするけど、
……ムウ、順番を間違えた感ある。
スカイツリーのやり過ぎた大きさを見てからでは、
東京宇タワーさんはちと迫力不足。工事用のクレーンのようだ。

迫力不足なのだが、しかし近くまで行ってみると、
見上げるのになんともちょうど良いサイズであることが良くわかる。
スカイツリーさんは大きすぎて意味が分からなかったが、これならいいぞ。
タワーさんはなんというか、話の分かるヤツ、物の加減のわかるヤツだな。いいぞ。

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東京タワーさんはどことなく催しや佇まいも牧歌的で、
入り口では猿回しなんかをやっていた。中のお店も、ソラマチに比べて幾分ゆるく昭和の香りがする。
すごくいい。オイサンのセンス的には、ツリーよりこっちの方が肌に合う。

タワーには展望台が2つある。大展望台(150m)と、特別展望台(250m)だ。
まずはみやげもの屋など軽くうろついた後でチケットを買って大展望台へ。

  尚、大展望台へ上るには900円、
  特別展望台へはさらに+700円(合計1600円)が必要になる。


この大展望台と、ソラマチの30F・31Fの高級レストランフロアが大体同じ高さらしい……
ムウ。
スカイツリーさんの露払いが、タワーのNo.2と同じレベルだということか……
ツリーさんが本気を出したらタワーさんなんかひとたまりもないじゃないか。
そして実際、タワー大展望台からの眺めは
ソラマチ30F・31Fよりも若干低いくらいに感じた。
眺めとしては十分良いのだけどねw べつに比べる必要はない。

サテ大展望台を一回りして、イザ特別展望台へ!
……と思ったらなんと、特別展望台行きのチケット売り場が行列している……!
ば、ばかな!
スカイツリーですら行列なんかしてなかったのに!
大人気!


なので、スカイツリーさんでも上までは上らずにおいたので、
東京タワーさんのホンキも今回はお預けとし、次回の楽しみに取っておくことに。
マこのあとの予定もあることですし。



▲▲△ 俺より強い国政へ会いに行く ~トークで頑張る東京観光▽▼▼



「国会議事堂が見たい……」


などと友人が、
亜麻色の長い髪を風に遊ばせ、恋を失った美女のように言うので、
……すみませんウソです、
突き出た腹をなでながら火炎瓶くさいコトを言うので。

ヨシワカッタ、そこまで言うなら国政にヒトコトもの申しに行くか!
ってなモンでして、
何か良い交通機関がないものかあたってみたのだけど見当たらず、
結局徒歩で向かうことに。徒(かち)にてまうでけり。
歩いても3㎞程度だというので、
途中途中の官庁やら大使館やらの建物を拾い集めつつ。

拾い集めたのは、
  ・スウェーデン大使館
  ・スペイン大使館
  ・アメリカ大使館
  ・特許庁
  ・内閣府
  ・首相公邸・官邸
そして、ザ・国会議事堂。

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……マ全部、外から眺めただけなので特別なことは何もありませんが。
しかしなんともまあ、歩けど歩けどすれ違うのは高そうなクルマばかりで
住む世界の違う地域だなあと思うばかり。
テロ警戒だかでやたら立ってるお巡りさんを肴に茶化して歩くくらいしか、
庶民には自我を保つ術がない。

 オイサン「見たまえよぺ氏、軽自動車なんかいっこも走ってないぞ?
       間違ってもキミ、スティングレイ(※)なんか走ってないぞ」


  実際、ポルシェやマセラッティばっかり走っていたのである。
  なおスティングレイはペ氏の愛車であり、実家帰ったおりは大変お世話になってます!

 ペ  氏「おお、でもちょっと軽っぽいのもおるで」
 オイサン「あれはキミ、メガーノじゃないか。ルノーだぞ」
 ペ  氏「あんなんどこで買って来んねん」
 オイサン「ああいうのは、彼らの家にはきっと『なんとなくある』んだよ。
      芋やらリンゴやらと同じ感覚で、お隣さんからもらったりするんだ。
      『お、そのクルマどしたの?』
      『んー? さあ、なんか家にあったの適当に乗ってきた』
      みたいなことだ」

 ペ  氏「wwwww」
 オイサン「wwwww」


などと、金持ち暮らしで精一杯の冗談を言い合う。
そうでもしないとアイデンティティどころか、存在自体が消し飛んでしまいかねないので
どうにもしようがない。
この空間では我々のような庶民の暮らしは半ばファンタジー、
「えーw? いや、ありえないっしょっっw」
の世界なのである。我々は「あり得ない」存在なのだ。
間違ってもこのエリアでは、焼いた餅を無料で配ってくれる古本屋に出くわすことなどないのだ。

  今年の正月、実家に帰ったときに奈良の南の方をぶらついていたら
  そんなお店に行き当たったのである。

途中特許庁で、ニュース映像っぽいアングルの写真を撮りたがるペ氏。
何に使うんだそんなの……。
まオイサンも一緒になって撮るけどさ。 ← 二人とも四十路
内閣府をやりすごし、その向かいの首相の公邸・官邸を眺めて進めば、
やがて国会議事堂。
いよいよ国政にもの申すとき。


 オイサン「……しかしアレだな、ペ氏よ。
       まかり間違って今日、このあとテロとか起こったら
       大概の省庁やら大使館の監視カメラに映っているであろう我々は
       真っ先に疑われかねないな」

 ペ  氏「せやな。俺はこれから関西帰るからエエけど、君とこは真っ先にヒト来るやろな」
 オイサン「……ズルいぞキミは」


だがいかんせん、生来の日陰者気質が存分に発揮されてしまい、
やってきたのは議事堂の裏手だった。
仕方がないので周囲をぐるっと一周することに。どう考えても怪しいアジア人二人連れ。
我々は要求する! 断固要求する!! (なにをだ


 オイサン「むーん。横断幕とかヘルメットとかプラカードとか
       持ってくれば良かったな。何の準備もしてないぞ」

 ペ  氏「要らん要らんw」
 オイサン「せっかくだから、お腹すくまでハンガーストライキでもやっていく?」
 ペ  氏「イミ無いやろw」


……マご覧の通り、省庁やらを巡ってみたところで
オイサンに大した知識や政治への関心があるワケでもないので、
かなりチカラ技のトークで頑張っている次第です。どうしようもねえなw
そうしてひと通り巡ったら、あとは新宿まで、都営新宿線で一本。
地下鉄で毒ガスを撒かれるのが恐ろしい、という方は
おとなしく地上でタクシーでも拾うことをオススメします。

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マ東京に来てこんな観光する御仁がどの程度いるか知りませんが、
同じルートを辿るときの参考にでもなすって下さい。
天気が良いことと、ほどよく冗談の通じるお友だちと一緒であることが楽しめる最低条件ですw

まあ……まともに見所があると思ったのは国会議事堂くらいのモンで、
あとは……高いクルマが走ってるところが見られる、ぐらいがアピールポイントですかね。
都心のド真ん中なのに、比較的ひとが少なくて静かというのも良いと思う。



オイサンでした。


 

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2016年3月26日 (土)

■電車に乗ってどこまでも。~朗読劇『それから』感想、そして二つの塔の見る夢~・その一 -更新第1050回-

去る土曜日、西方より来る友人に誘われて、
「声の優れた俳優による朗読劇」なるものを観劇してきた。

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朗読劇『それから』



どれからだよ、
と突っ込まれそうですが、夏目漱石先生の『それから』です。
それ以外のどれからでもありません。

  夏目漱石『ヒトカラ』。
  ……言ってみただけ。

出演俳優は、梶裕貴さん、竹達彩菜さん、津田健次郎さん、阿澄佳奈さん。
関俊彦さんや小西克幸さん、原由実さんもお出になられていたご様子。
全員がいっぺんに出るワケではなく、
日にち・上演回によって読み手さんは変わります。
オイサンが聴いた回では、先にご紹介した四人が登場。

聞き終えてみれば、確かに、他の役者さんの回も見てみたいと思わせる内容。
2公演・3公演セットでお得なチケットなどがあると嬉しいかもしれない。
マ演劇屋さんなんかは、セット公演でおトクにしてしまったら
一気に採算が合わなくなりかねないけど。

朗読劇、というもののスタイルがワリと特殊だったので、
その形式を簡単にご紹介申し上げておきましょうかね。


■形式
・役者さんは、あくまでも「読み手として」舞台に上がっている。
 「物語の中の役として」ではない。
・ただし会話文は人物ごとに読み手が固定されている。
 台本の先頭で
  男1:役者名(人物名1・人物名2・人物3)
  女1:役者名(人物名4・人物名5・人物6)
 のように、人物の担当は書かれている。
・台本は(台本も販売していた)役名では書かれておらず、
  男1(=読み手):~(本文。地の文・台詞(「」書きの会話文)含む)
  女1(=読み手):~
 となっている。「どの読み手がどこを読むか」が書かれている。
・「」書きの会話文も、舞台の台本のように台詞として書かれているわけでなく、
 『○○は「××」と、言った』のように、あくまで朗読として本文通りになっており、
 そのように読まれる。
・地の文は、4人の誰かがかわるがわるに読んでいるが、
 どこで読み手が交代するのか、そのタイミングは分からない。
 文の途中で替わることはない。
 案外、この地の文の割り振りが、この公演の作り方、演出の仕方の一つのキモである気がする。
・照明はあるが最低限。
・音響もあるが、音楽はなし。雨音、足音など、重要なエフェクトのみ。
・時間は1時間40分ほど。途中休憩はなし。



■感想
デ朗読劇、約1時間40分ほど聞いて、
イヤなかなか、オイサンもいんちきメルヘン野郎とはいえ曲がりなりにも書き物士として
なかなか刺激的な内容だったと感じる。
ストーリー的にも、朗読劇という形式的にも。

……ほな寝んなや、と言われそうですが。
イヤごめん、序盤~中盤にかけて結構寝ました。
だって梶さんの読みになかなかなじめなかったんだもの。

  ちなみにオイサンは不勉強ヤロウなので、夏目漱石先生の作品は
  『それから』も『坊ちゃん』も『三四郎』も、その辺のは何ヒトツ読んでません。
  小中高と、ほとんど活字読まない人だったからなあ……。



■朗読劇、そのむずかしさ
文章というのは不思議なもので、
読んで、心を動かしてみるまではそこに何が書いてあるかは分からないものです。
そんなん当たり前やん、とお思いかも知れませんが、
視覚から取り込むモノであるワリに、視覚的に得られる情報がほとんどないという事実は、
オイサンにとっては意外であったりする。

  これはオイサン独自の感覚かも知れませんが、
  絵や音楽などは、「視る・聴く」が先にあって、そのあと心が動く感じがありますが、
  文章は、「心が動くこと」が先にあるように感じます。
  読んで、それに沿って心を「動かし」て、
  ようやく「その文章・文字列にどのような意味があったか」を理解できる……
  そんな感触がある。

書き手がいかに情感や感情をぐりぐりと彫り込んだ文章だとしても、
結果、紙面に定着する視覚的な手ごたえとしてそういう痕跡はほぼ一切残らない。
ただ目で追う分には、客観的にはそこに残るものは、どこで見ても同じ、文字以外ない。
新聞記事も、名作古典小説も、ラノベも料理のレシピも
(無論書式によって見栄えは変わるけれども)、
視覚的な構成成分は変わらないので刺激としては同じ。
非常に「平坦」な世界なわけです。凄みもなかなか……感じ難い。

  その辺、音楽も同じなのだろうけども、
  楽譜って視覚的・図形的・意匠的な凄みも結構残るのかなー、なんて思います。

その均質な、けれども意味や程度の込められた文字列に
感情をどの程度乗せるかというのは「受け手」にこそ委ねられるもので、
朗読において、台本となる小説、物語の「受け手」はすなわち「聴衆」である。
であるならば、
「聴衆に届くまでは、その『均質さ』は保たれるべきなのではないか」とか、
「イヤこれは『朗読』ではなく『朗読劇』なのだから、
 文章の『発し手』が、その独自の判断で感情を乗せても良いのだ、
 寧ろ乗せる必然があるのだ」と言えなくもない……
とか、
演じられることを前提に書かれた戯曲と違う小説が朗読され演じられるに当たって、
「文章」を流通させる読み手・演じ手としての俳優は、
果たしてどれだけ情報を付加して受け手に対して流通させるべきなのか?
地の文に感情を乗せるか? 会話文にも感情は乗せるべきなのか?
……などという「朗読(劇)、如何にあるべき」的解釈について色々と考えてしまった。

書き手というのはその均質さを了解し、その上で「最終受け手」に委ねる。
文章を一連に読んで(時間を経過させて)初めて発生する起伏や彩りのさじ加減を、
全て読み手に渡す。

朗読は、その間に一人流通者を介する行為で、
読み手を「単なる流通者」とするのか、或いは「一部表現者」とするのかで、
この先の話は違ってくる。

「流通者」とするとき、朗読は可能な限り「そっと」、
質や形状への影響を最小限に留める形で行われるべきで、
感情や抑揚を、必要以上に付加するべきではない。
ではなんのために「流通者」を介するのかと言えば、
文字を音に変換すること、一度に多数に伝達すること、などがあると思うし、
(これも表現の部類に含まれはすると思うが)声色という色を、文字に与える、
などの効果があると思う。

今回の朗読劇、副題がまた奮っていて、
「声の優れた俳優による……」とついている。
面白い。
「演技の優れた」ではない辺りがすごい。
「声の演技の優れた」でもない。
あくまでも「声の優れた」人たちが読む、と置いてるあたりにひっかかりがあって、
つまり、舞台の意図としては「演技することを秤に乗せていない」可能性がある。
結果的に、オイサンが今回見た物には演技もバリバリに入っていたのだけど、
このタイトルを見たときに……というか、見ていたから、
今回の朗読劇に期待したのは「文字の流通者」としての読み手というものへの意識だ。

マその辺のことに答えは出ていないワケなのだけれども、個人的には
「付加される情報は最低限にとどめるべきなのではないだろうか」
「とどめた上で、受け手を楽しませるのが優れた朗読なのではなかろうか」
というのが、現時点での解釈になっている。
せいぜい読み方の、文章の切り方や抑揚によって、
誰によって語られ、どこが強調され、どこが修飾されているかをわかりやすく伝え、
最低限の感情や情感を演出する、くらいが良いように思った。

  でなければ演劇にしちゃった方がいいなあ、と思ったので。
  マ演劇にしてしまう(=抽象的な文字の世界を具象に現出させる)と
  やはり細部などが気になってしまうから
  そう単純な話でもないことは分かっているけれども。

朗読劇が演劇のレッサーバージョンや廉価版……手間ヒマの省略版に貶められてしまわないためには
その特長をより突き詰める必要があるよなあ、と思った次第。
視覚的・具象的でない、文字・言葉というものの効果が、
最終受け手の中で最大限に発揮されるように受け渡すことが肝要であるなあ、と。



■閑話休題
というところから、
固定化された視覚情報が豊富な絵との対比の話に持って行こうかと思ったんだけど、
……存外、絵も文も実はそのヘンの伝達力にたいして変わらないんじゃないか?
という気が……なんかしてきた。

<誰かが笑っている>ことを表現しようとするとき、
「絵なら、笑ってる絵を描けば伝わるよなあ」と思ったんだけど、
別に文でだって、<笑っている>って書けば伝わる。
それだけだと<どんな風に笑っているか>は伝わらないけども
それは絵でも同じで、
絵では<笑っている>絵を描くことは、
<どんな風に笑っているか>まで含めて必ず一体化して同時に表現することになるから
それが伝わるだけだ。
文でだって<大笑いしている><微笑んでいる>と書けば<どのように>も合わせて伝わる。

<微笑んでいる><笑っている><大笑いしている>と書いたとき、
それぞれ読んだときの受け手が受ける印象が受け手によってまちまちで一律じゃないじゃないか、
ということがあるように思ったが、
絵でも、描き手が<大笑い>のつもりで描いた絵が、
受け手に<微笑>だと受け取られることもあるだろう。
程度の差はあるだろうけど、絶対のアドバンテージとして絵の方が有利だということも、
実はそんなにないのではないか、と思えてきた。

ただ、絵の方が、表現するときによりオーバーに表現して
誤解のないように描く「クセ」がより強く根付いている気はする。
むしろ視覚に現れないことを表現するときに伝え難い分、
難しい場面も多いのかも知れない。

ただやはり、絵には「伝達の同時性」があるし、
「ものすごく大事なことを目立たないように描いて」後々のためにボヤかすことも
比較的容易なので、表現上うらやましいな、と思うことは多々あるのだけども。

  マそれもこれも、我が文作の未熟の致すところよ。やりようはいくらもあるに違いない。
  未熟ッ!

話を今回の朗読劇に戻すと、地の文は基本的には淡々としていた。
終盤以降、感情を強く乗せるところもあったが、地の文の演出は最低限だったと思う。会話文部分は感情たっぷりだった。

上でも書いた、感情の乗せる範囲と程度・音響・照明など、
演出のコンセプトがすごい問われる。
書き手と同じくらいの葛藤が生じるんではなかろうか、という感覚があり、
なんなら朗読劇専用に書かれた小説があっても良いのではなかろうか、
と思うくらいである。
それが台本とどう違うのか? という疑問もあるけど、
やっぱ小説は小説のていをなすのだろうし。

なおオイサンの興味の一点に阿澄さんが出演しているというのがあったのだけれど、
あすみんらしい見せ場という意味ではちょっともの足らなかった、
という点でマイフレンドとは見解が一致した。

竹達さんが、役どころの良さ(主人公・代助と道ならぬ恋に落ちる三千代)とあいまって
非常に病的な雰囲気を出していて良かったのと、
よく知らない津田健次郎さんという役者さん(三千代のダンナ、主人公代助の親友・平岡)が
とても迫力があって良かった。
地の文を読むのが誰が上手いか……という点について、
聴いているときはあまりそういう視点で聴けていなかったので
感想を持てなかったのが残念。片手落ちでふがいない。

阿澄さんが登場するということでこの回のチケットをとってもらったのだけど、
一度聴いてみたあとになって思えば、
大ベテランの関俊彦さんや、個人的に好きな小西さんの読む回を聴いてみたかったと思う。
「声の優れた俳優による朗読劇」、第2回があるなら、
そういう観点でも回を選ぼうと思う。



……んで、土曜日に劇を聴き、
あけて日曜は東京観光でスカイツリーと東京タワーをハシゴしてきたのだけども、
そこからは長くなるので改めます。



オイサンでした。


 

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2016年3月22日 (火)

■独特の町へ -更新第1049回-

どうもどうも、オイサンなんですけどね。

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先週は西方から友人が来てたので、彼と一緒に朗読劇を聴きに行ったり、
東京観光にスカイツリー → 東京タワー → 国会議事堂+省庁の建物めぐりをしたりしてた。
なかなか、色々と面白かったです。

  しかしとある情報筋によれば、スカイツリーからの眺めよりも
  六本木ヒルズのナントカビルのスカイテラスからの眺めの方が面白いらしいので、
  次はそこへ行ってみようかと思います。
  まスカイツリーに行ったっつっても、ソラマチ辺りをうろうろしただけで
  本番のスカイツリーへは登らなかったんだけどね。
  登るか! あんな人の多そうなところ!!
  ……とはいっても、実はスカイツリー&ソラマチよりも
  あとから行った東京タワーの方が、体感的には人が多かったw
  規模的な話もあるけど、それでも熱気があったなあ、タワーの方が。

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デ今週の3連休は、もうほんの思い付きで思い立って、
静岡県は掛川にある、加茂荘花鳥園、加茂花菖蒲園へ行ってきました。
ここに何があるかっつうと、
アニメ『氷菓』で、千反田さんの実家のモデルになったんですね。
前日の11時回ってから思い付きで決めたので、
ホントもう行って帰っただけですけども、他に何にもなかったんで全然正解でした。
1泊とかしてたら持て余してたわ。

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掛川までは小田原から新幹線で1時間ほど、
掛川から、加茂荘のある原田というところまでは、
天竜浜名湖線という、どローカルなディーゼル路線で20分程度。
駅を降りても商店はおろか、田んぼと畑と学校しかないような
ド鄙な土地でした。オイサンは大好きですけど。

  なぜか駅前の道路沿いに、ぽつねんとたこ焼き屋さんが屋台を出しておられて
  ついつい買ってしまいましたが。
  ちょう美味しかったです。
  ちなみに駅は無人です。

マ他にも面白いことが幾つかあった、印象深い小旅行ではあったんで、
これもまた書こうと思います。

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しかしまあ……その帰り、時間を持て余して電車の時間とも合わなさそうあったので
一駅余分に歩いてみたのだけど、
のどかだけど不便そうなひとくちに穏やかとも言い難い雰囲気をもった町でした。
近くの掛川も、新幹線が停まるとはいえ田舎町でしたしね……。

それが悪い、とかではなく。
その独特の雰囲気に、奇妙な浮遊感を覚えて帰ってきたのでした。

そうそう、ひと月ほど前には、これまたフラッと御殿場にも行ったんですけども。
そこも、似たような感じでしたね。

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2016年3月13日 (日)

■ティファニーでガンプラを。~私信、『アマガミ』SS、「Plastic Joy」に寄せて~ -更新第1048回-

オッスおらオイサン。

今日のお話は、とあるお友だちに読ませてもらった
『アマガミ』の、絢辻さんにまつわる二次創作・SSの感想なので、
細部に関してはご当人以外にはサッパリわかんないと思うけど、
久々に『アマガミ』や絢辻さんについて思うことなんかを書くので、
せっかくだからご本人の許可を得て、こっちに載せちゃうことにした。

  いえーい。  ← 何がだ

デ、読ませてもらったんだけど、
先ずは、感想が2年越しになってしまったことを素直にお詫びしておきます。
メンゴメンゴ。

受け取った直後にもちゃんと読んだのだけど、
公私ともに超忙しい時期でもあって(お会いしたのもすごい合間を縫ってお会いしたんだったと思う)、
キチンとした感想を返せずにおりました。
今回改めて読み返してみての感想は……
だからもう、2年前とは違う感想になってしまうことはご容赦戴きたいのだけど、

「愛」とは、斯くも尊く、斯くも無邪気で、そして斯くも気恥ずかしいものであったか!

……と、そんな風に感じ入るものだった。


「恥ずかしい」とは書いたが、きっと、多分、
その恥ずかしさは書いてしまった今なんとなく分かってもらえるものと信じて書いた。
2年前には恥ずかしくなかったかもしれなくて、
今は恥ずかしいかもしれない……そんな恥ずかしさ。

お話自体はシンプルで、
それだけに愛と「祝い」に満ちていることが伝わりやすい、暖かいものでした。
そこがまた開けっぴろげで、恥ずかしさに直結してしまってると思うのだけど。

この結末にたどり着いた絢辻さんが、ナカヨシから来たのか、スキBEST・スキGOODから来たのかは
アマガミの実プレイから遠退いてしまった自分には推し量ることも難しいが、
いずれにせよ、
幸せな結末に辿り着いた絢辻さんへの、溢れんばかりの「おめでとう」に
むせかえるようだった。

登場人物の殆どが二人の門出の式にやってきて祝辞を述べるシーンでそれはよく感じられて、
キャラクター全員を登場させるのは二次創作としてのサービス精神でもあったのかもなーと思いつつ、
「誰からも祝われるまでになった二人のそれまでの時間」がさりげなく表れているのが
個人的には印象的だった。
あーホントに佳き二人であったのね、という感慨……というか、
そうであって欲しいという書き手の願いが、なんかもうパンパカパーンでパンパカパーンで。



……けど、どうなのでしょうね?



こうして、ビターではあるけれどもダークではない、
ハートウォーミングになってしまった絢辻さんは、
あの厳格な絶対輪郭を保っていてくれるのだろうか?



絢辻さんは、ブラックホールを抱えていた。



胸の深奥に、ブラックホール……
「無」の頂点であると同時に重力と質量の権化であり「在」の極致であるところの
奈落を抱えていたからこそ、そこから先に何者の介入も許さないくらいの強い強い強い強い輪郭、
事象の地平面をともなって
ボクらが愛してやまない唯一無二の絶対輪郭・「絢辻詞」というカタチでいてくれたワケで。
それを感じさせなくなったいま、彼女の輪郭はどうなってしまうのだろうか。
それが心配でならない……。
久しぶりに、そんな気分に浸ってしまいました。

  まオイサンは、そういう輪郭の残る気配が多分にあったからこそ、
  オイサンは「スキ」よりも、
  「アコガレからのナカヨシ」が好きだったりしたのだけれど。
  ……となると、それが感じられないこのSSの絢辻さんは、スキ系列の絢辻さんなのかしら?
  と妄想をたくましくするところではある
  (お会いした時に直接そんな話を既に伺ってたらごめんなさい)。

そんな気分にさせるほど、幸せいっぱいの絢辻さんのお話だったね、
ということです。

単体の読み物として、ヒトツ率直な物足りなさを述べると、
冒頭で述べた通り良くも悪くもシンプルで、シンプルさがたたり、
イマドキのオンライン・オフライン関わらず蔓延する物語作品から見れば、
どうしても、どこかで見た、誰かの何かの作品と重なってしまうところがある――



――のだけれども、それがダメかと言われたら、そうでもない。
二次創作のSSってそのくらいでいいんじゃないかなという感触を、
今回読ませてもらって改めて持った次第。



確定的な類似ではなく、全体的な枠組みが
「ああ、なんかこんな話どっかの何かで見たなあ」
という程度のことだけど。
けど、ヘンに作り込まれ過ぎて端から端まで風呂敷が畳み込まれるようなものよりは、
オイサンはよっぽど好きだけど。
モ少し余韻があっても好みかなあ。

デそういう好き嫌いを除いたとしても、だ。



特に、『アマガミ』は過程のゲームだ。



ADVだから、本来は一つの結末にたどり着くための過程は基本的に限定的で有限で、
SLGのような広がりは無い、
ハズである、
にもかかわらず、
過程に肝を置くゲームだ。
と、オイサンは思う。

  間口の広さは普通なのに、懐は不可思議に深く、そして出口はない、という
  歪むのもここまで来るとキモチワルイな!(ほめことば)
  ……という異様な(ほめことば)姿をしていた。

システムとしては完全にADVなのだけど、プレイするうちにSLGの味がしみてくる。
それは濃いプレイヤーたちの中で呼び起される感情が同じテキストを読んでも通り一遍でなく、
同じ道筋を辿りながら、パーソナルなステップを踏み次の展開に対して納得を得ている。
そうした手続きの事実はプレイする本人の外からは観測できないハズのものであるにも関わらず、
同じ世界に触れるプレイヤーたちは同朋たちの中で何かが起こっているのを
ボンヤリ察してしまうから、
そこに発生し存在する、個人の数だけの分岐を知り、それがSLG的である錯覚を起こす……。

……まゲームにしろ音楽にしろ映画にしろ、
娯楽物なんてのは多かれ少なかれ受け手の経験と引き出しによって違う味がしみてくるものですが、
『アマガミ』は特に個人の個人的な核に、針の形をした爆弾を打ち込んでくるらしい
(そしてどうやら、殊に傷を持つ者たちにはよりそうであるらしい)。

そういう個を相手どるゲームの二次創作なのだから、
ちょっとやそっと、骨格や輪郭が似ていたってどうということはないのではなかろうか。
個人が個人の材料と思い入れで勝負することが大事で、
そのはしばしに埋め込むパーツで、自分だけの輪郭を与えれば良い……んじゃないかなあ。
そしてたいがい、何故かそこに「ゆがみ」が埋め込まれるのがまた、
『アマガミ』の面白いところではあった。

だから、
「『アマガミ』が受け手にそういう(こういう)物語を書かせてしまう」ことは不思議でもなんでもなく、
今回読ませてもらったお話はまさにそういう物だったなーと思う。

書き手のアナタ自身の中で、
 「いつか幼い絢辻さんが川に投げたというおもちゃの指輪と、
  『アマガミVA5』にあったアンソロジーのストーリーと、
  エンゲージリングと、
  Plastic・Joyの歌の歌詞に現れたdiamond ringと」
が重なって、!他ならぬ一人の書き手が!いてもたってもいられなくなった、という、
熱の高さや鳥肌の立ったような昂揚感のあることが良く伝わるし、瑞々しいと思う。
その時点でもう勝ちだと言っていい。

  フシギなもので、なんかそういう
  「あ、そういう遊び方をしてもいいんだ」と思った人が、
  結構いたみたいね。他の環境とも相まってね。

……しかしそれだけに、やはり「我がコトの様に恥ずかしい」わけでw
ムズムズするわいw

……あの、言っておきますけれども、
オイサンはいま物凄いエラそうにして書いていますが、
これもまたものすごい恥ずかしいコトをしているという自覚のもとにやっているので、
なんかもうスミマセンでした。




……と、そういうことをふまえて。




これがまた、その世界を何も知らない人が読んでも共感出来てしまったり、
なんとも言えない気持ちにさせてしまったりすることが出来れば、
それはとても鮮やかだとオイサンは思うので。
ここから先は、読者としての贅沢。

オイサンは、一度お会いしたきりの第一印象からで申し訳ないけれども、
書き手のアナタのことを大変に豪放磊落な人物だと思っている。
その上で、人から認められる頭の良さや周到さなど、
緻密な面もきっと持っているのだろう、とお聞きする話の端々に感じていた。

大概どこかしらが鬱屈していて、
新品の折り紙を袋から出したら何故かどの折り紙も全部四隅の一つがちょこっとだけ折れちゃってた、
みたいなところのあるTwitterを通じてお会いした30人近い輝日東住人の中で、
アナタは稀有なパーソナリティを発揮しておられた。
アンタだけだよ、あんなんだったのw

  そうは言っても、上で書いたみたいに
  「瑕を持つものに這い寄ってくる『アマガミ』」だけあって、
  アナタも不思議なくらい主人公にシンクロする事件を抱えておったのでしたっけね。

「僕ってどんなんなんスかw」ってお思いになると思うけども。
まあお会いした皆さん、それぞれなんがしかの面で「アンタだけのあんなん」なんだけど、
その矢印の向き方が誰とも違っていた。
その分オイサンも面喰らって腰が引けてしまったところもあるんだけど、
その時点でも十分面白かったし、ときどき会って話を聞きたい人だなあと思う。

だからもっと大胆に、書き手であるアナタの持ってた当たり前、
でも他からしてみれば「お前なんじゃソレ」って言わずにいられない当たり前を、
作品の世界にぶちまけてみても良かったんじゃないかなーと思う、
っていうか、そういうのを読ませてもらいたいって思いました。
それはまあ、読者としての希望。

パーツにとどまらず、欲望・願望に収まらず、
土台からして自分ワールド全開の、新しい、『アマガミ』らしい冒険を。
今回の画サッパリまとまっていたから、
もっともっと「書き手くさい」ものを読みたいです。

絢辻さんは、比較的「閉じてしまった」ところのあるヒロインなので、
自分らしさを盛り込んで広げることは……難しいと思うんだけどね……。
情報も少ないしね……イヤ、遊び辛いとは思うのよ、ほんと。

  だからこう、当時、公式にはもう少し……ね。
  広げて欲しかったなとは思うんだけど、
  それはそれで、オイサンが最初に絢辻さんに感じた「完成度」と相反するんだけどさ。

オイサンの思うアナタの像を思うにつけ、
もしもアナタの愛したヒロインが、より快活で、より開かれた、
中多さんだったり、森嶋センパイだったりしたなら……
という妄想が尽きなかったりするです。

今現在、『アマガミ』や二次創作や、お好きなアーティストたちの作品と
どういう距離感で生きておられるのか分からないけど。
そういう遊びも見られると楽しいなーと思います。



……ね。



どーなんだろ。



まだ自分たちの体に、『アマガミ』や絢辻さんは息づいているんだろうか?
そんなことを思い返す価値を感じさせてくれる作品だったと思います。




……以上が、あなたが書いて、私が読んだ、
PS2版『アマガミ』の絢辻さんSS、「Plastic・Joy」の感想だったワケです。
相変わらずナニ言ってっか半分以上わからない感想だけれども。
どーでしょうね。

謎多き絢辻さんの物語、
そこにどんな自分なりの解釈を加えるか、
どの絢辻さんを自分の一番好きな絢辻さんに据えるか。
なんかこう、ゲームの『アマガミ』の絢辻さんでSS書いちゃうっていうのは
オノズとそういうトコが出ちゃうんで。

やっぱりこう、この作品に関しては、
みんなに「おめでとう」って言われちゃう、そういう絢辻さんだったよね、
と言うところが全てだったのかなと思います。



「ポチャーンって、安物のくせにずいぶん良い音がしてたわ」



次があるなら、是非。
カナダの森で、インドネシアのジャングルで。
絢辻さんが一体どんな絢辻さんらしさに出会うのか。
そんな話を読みたいです!  ← 無茶を言うな

オイサンも未だに書いてます。
次は、梨穂子で。
誕生日に間に合うといいけど、無理だろうなw



マそんなんで。
またお会い出来る機会があったら、面白い話を聴かせてください。
ホント、2年もすみませんでした。

気長によろしく。
オイサンでした。



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