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2015年9月15日 (火)

■風韻軌道~過ぎ去りしあの夏のホーム~SS『お嬢様特急』より・前篇 -更新第1000回-

『心地よいリズムが否応なしに体に刻まれるから、列車の
旅は乗客たちに不思議な一体感を生む、と列車好きたちは
言う。それが本当なのかどうかは、生物学や、或いは心理
学の先生に譲るとして、いまはそのリズムに身を任せてい
たいと思う。
 レールの敷かれた人生の下らなさを誰もが声高に謳うけ
れど、一旦降りたホームで時間をつぶして、次の列車に乗
るもよし、特急列車に乗り換えて、前を行った列車を追い
抜くのも痛快なものだ。同じホームに立ったとき、いつや
ってくる列車に、どのドアから、どんな荷物を提げて乗り
込むのか、それは自分次第なのだから。そして、隣には誰
が座るのだろう。
 それもまた、答えを求めるまでのとても重要なプロセス。
人の一生は、きっと誰もが同じ一本道のレールの上だ。け
れど、力ある人はレールを曲げるし、知恵ある人はスピー
ドを変える。思わぬ事故。見たことのない駅。各駅停車、
特急列車、限られているそれらだとて、すべての選択肢を
目の当たりにする人がどれだけあるだろうか。決して完璧
な自由ではないけれど、人の手に余りあるほどの道が、そ
の一本のレールの上に広がっている』

 そこまで書いて、僕は万年筆を握っていた手を止めた。
伸びをして覗いた窓の外はもう暗い。山間の峡谷をいま、
この特急ヴェガは走っている。線路沿いに時折現れる集落
のともしびが、薄くガラスに映った僕の顔に重なりながら、
尾を引いて後ろへ後ろへ滑っていく。遠く山の上には、そ
れとは趣の違った星の光も見える。寄り添って立つはずの
木々の葉の一枚一枚はその鮮やかな緑色を闇に黒く塗りつ
ぶされていた。
 僕は凝り固まった首筋を押さえ、一つ浅く息を吸って喉
の乾き具合を確かめた。小休止の頃合いだ。ソファから立
ち上がり、もう一度、大きな伸びのついでに見回すこの個
室は決して広くはないけれど、ここまでの十日あまり、不
自由を感じたこともない。さすが、超豪華列車を名乗るだ
けのことはある。けれどこの旅も、もうじき終わる――ド
アを開け、なじみ始めた自分の部屋の匂いが、流れ込んで
きた通路のまだ真新しさが残るカーペットの匂いで薄まる
のに少し寂しさを覚えながら、僕は売店へと足を向けた。



    ×     ×     ×



 車内にある売店で、ちひろさんがイチオシだという缶コ
ーヒーを勧められるままに買い、客車の通路を縫って歩く。
展望車まで行って空を眺めようと思った。列車は瀬戸内海
を遠く臨んで走っている。広島を出、小郡を過ぎて関門海
峡に差しかからんとするばかりだ。山と谷、その隙間から
覗く海、その繰り返し。車内はどこへ行っても冷房が効い
て快適だが、窓ガラス一枚隔てた外の熱気は、日本の夏そ
のものだった。
 そういえば、この缶コーヒーとちひろさんを見て思い出
すのは、旅の始まりにペンケース一式を失くしたことだ。
稚内の駅に忘れたのか、移動の途中で落としたのか……は
たまた、ヴェガ車内のどこかにあるのかは分からない。と
もかく、出発駅の稚内から次の停車駅だった旭川までの間
にペンケースが自分の荷物から失せていることに気付いて
慌て、落ち込んだ気分を味わったのだった。先行きが不安
だ、やはりこんな列車での旅なんて、生来インドア派の自
分にはがらじゃなかったのだと、やたらな悔やみ方をした。
 そのペンケースには特別希少なものや大事なものを入れ
てあったわけじゃない。ケース自体も使い込んだ万年筆も、
個人的な親しみこそあるものの、どこにでも売っているほ
どほどの物でしかなかった。逆にその分、「どこにでもあ
るものだからこそ、しみ込んだ自分だけの時間が大切なの
だ」という、拗れた感覚のほうが厄介だったわけだが。
 旅のはじめからそんな後ろ向きな思いにとらわれている
僕を見かねてか、売店で車内アテンダントを務めるちひろ
さんが教えてくれたのがヴェガオリジナルの万年筆で、ヴ
ェガの運行を記念して作られた海外の有名な文具メーカー
の製品にヴェガ独自の意匠を加えたそれは、失くした相棒
にすぐとって代われるほど魅力的な品物ではなかったにせ
よ、その場をしのぐのと、万が一本家が見つかったあとに
もセカンドとして使い続けるのに十分な風合いを備えてい
た。

「ね? これもなにかの縁ということで、一本いかがです
か? いまならこの缶コーヒーもオマケしちゃいます!」

 そのときは、捌ききれない記念グッズをていよく押しつ
けられた気がしないではなかったけれど、ちひろさんの人
となりを知ったいまではそれが本当の親切心から出たせめ
てもの提案だったのだろうと反省する。それとは別に、彼
女自身、陰気な顔の男がいつまでも車内をうろついている
ことに耐えられなかったのかもしれないと、新しい勘繰り
にほくそ笑んでしまうことはある。
 ケースとそのほかの筆記具については、旭川の文具店で
調達してしまった。店のことは、僕と同じで稚内から乗っ
ていた桜井真美さんに教わった。些細なことがきっかけで
知り合った彼女は、絵を描くのが趣味だというだけあって
画材などの事情に明るく、東京で降りてしまってもう会う
こともないだろうけれど、機会があればもう一度きちんと
お礼をしたいと思う。
 結局車掌さんが連絡を取ってくれた稚内の駅にペンケー
スの遺失物は届いていないというし、旅が終わりに近いい
までも車内を歩くときは気をつけているけれど、そうして
旅が始まると同時に手にすることになった筆記具たちは、
いまやすっかり僕の鞄の中に居ついてしまっていた。とも
あれ、そんな思いにほだされたり、救われたり、まんまと
一杯食わされたりしながら……僕は、こんなところまで来
てしまった。次の停車駅は博多だ。
 小一時間に、小郡で三十分の小停車があった。日が落ち
る寸前の時刻に、ほんのしばらくホームに降りただけであ
っという間にシャツが汗でずくずくになるほどで、西日本
の熱を僕は初めて肌で知った。
 そのホームで、名古屋から乗ってきた風音さんに頼まれ、
僕はカメラのシャッターを押した。ファインダー越しに見
た、駅名の看板と土地の少しの景色をバックに、手のひら
で斜陽を遮る彼女の笑顔が、それまでの晴れ晴れとした明
るさを映しながら物憂げな色を帯びていくのを見るのは、
夏の短い黄昏がそんな色をしているせいだけでないことを
知っている僕には少しきつかった。



    ×     ×     ×



 目指す展望車は、四号客車のあとにさらに食堂車があり、
娯楽車があり、そのうしろに連なっている。その最後尾の
二両を繋ぐデッキの手前でお尻のポケットで携帯が震えた。
未だ使い慣れないそれを、缶コーヒーを取り落としそうに
なりながら捕まえて、早足でデッキへ駆け込んだ。
 一体誰からだろう? 家族には、旅情をそぐからよほど
のことでもない限り鳴らしてくれるなと家を出るときに念
を押してあった。持ち始めたばかりの電話の番号を知る友
人も多くはない。液晶の表示を確かめ、ボタンを押す。我
ながらわざとらしいと自嘲しながら。相手は一人しかいな
い。
「あ、もしもし。あの、私、千歳です。いま、大丈夫?」
 それは、広島でこのヴェガを降りた友人からだった。半
日以上かけてようやく埼玉は上尾にある実家に帰りついた
という報告だった。
 ヴェガに乗ってしまったことで、結果的にとはいえ推薦
入学を蹴ることになってしまった彼女への、周りからの、
殊に家族と親類からの非難は強く、さすがに何から何まで
万事円満と言えるほど上手くはいっていない様子だったけ
れど、それでも、今の彼女なら多少の反発にめげてしまう
ようなことはないだろうと思う。
 彼女は答えを見つけた人だった。目の前に停まっていた、
始めから終わりまでレールを敷き切られ、その上を走るこ
との出来る時間さえ限られた、哀れな……ひと連なりの列
車。十分なお金も、宛もないままに飛び乗っていい筈がな
いことは、聡い彼女には当然分かっていたはずだった。明
日からのことがある。昨日までの自分もいる。右にも左に
も進めない、進みたくない、そんな瞬間に、目の前に開い
たヴェガの白い扉が何かを語りかけてきた、そんな風に思
ったのだという。
「いまにして思えば都合のいい妄想だし、ただの逃避だっ
たと思うんだけど。本当、そこに電車が停まっててくれて
良かったわ」
 控えめに笑い、ちょっと怖い冗談を挟む余裕さえある。
選択の余地も何もない、一本のレールの上をたった一度き
り走るだけの、この列車がどんな風なのか、その先に何を
見ているのか……それを知りたかったし、もしかするとそ
こに覚悟みたいなものがあるんじゃないかと思ったのだと、
彼女、千歳さとみは話してくれた。
 そして彼女は答えを見つけた。列車が運んできたのは新
しいものではなくて、降りるために乗るという、ほんの些
細な時間のずれをこしらえるためのきっかけだった。それ
まではどこにも見あたらなかったそれを自分の中から作り
出し、旅に出てしまったことから終わらせることまでを一
つの解答にして、彼女は列車を降りることで体現して見せ
てくれた。ヴェガの旅から帰り着いた郷里の町は、今まで
見たことがない色をしていただろう。昨日まで、その町に
確かに居座っていた明日は、もう目の前からなくなってい
たはずだ。
 そんなことを言ってもね、と彼女は続けた。
 全部が全部を、自分一人で作り出したわけじゃない。列
車が停まったときそれぞれの駅にあったもの、空気の肌触
りとか、山から聞こえてきた音とか、ごはんの匂いとかが
積み重なって、ちょっとだけ無茶をしてみようという気分
にさせたのだと、だから強いわけでも、偉いわけでもない
のだと、
「本当、ただの偶然なのよ」
と、まるで背中の真ん中でも痛いみたいに、ひどいでしょ?
と笑って話を締めくくった。
「じゃあ、そろそろ切るね。旅行、この先も気をつけてね」
 電波に乗ってやってくる彼女の声はデジタルに変換され
ても思いを損なわず、しっかりと僕の耳の奥に届いて消え
た。まるで自分が励まされているような。ただ無責任に、
ふわふわと勝手なことを言っているだけの楽な自分に。
 一口、二口と缶コーヒーに口を付け、一日ぶりにその強
さに触れ、僕は列車を去ろうとする彼女の言葉を思い出し
ていた。

 不思議だわ。人に迷惑をかけているのに、自分が間違っ
ている気がしないの――。

 しばらくの間、携帯電話の液晶画面に点滅する通話終了
のメッセージを見つめ、それをポケットに押し込むと、ず
っと反対の手に握っていた缶コーヒーが少しぬるくなって
いるのが、やけに敏感に感じられた。僕は――。



    ×     ×     ×



 カタン・コトン・カタン、カタン・コトン・カタン、と、
デッキでは列車のリズムがよりダイレクトに感じられるし、
窓の外を風景も、客車で見るより速く、飾り気無く過ぎ去
って見えた。もたれていたデッキの壁を背中で蹴るように
して弾みをつけ、半歩踏み出すと、ちょうどいい速さで開
いた自動ドアの向こうから流れ込んでくる冷気で全身が洗
われるのを感じた。展望車の室温は、デッキより一、二度
低くしてあるらしい。
 連結部をくぐると、外の世界の光景がほとんど丸ごと、
目に溶け込んでくる。車両の外に投げ出されたような錯覚
に陥って足がぴくりとすくんだ。デッキから展望車へ移る
ときはいつもこうなる。展望車はいわゆるロビーカーで、
壁と天井はガラス張りの部分の方が多いのではないかとい
うくらい視界が広いせいだ。ここへ来れば、列車がいまど
んな場所を走っているのかを、どんなアナウンスより正確
に知ることが出来た。旅の始まりに北海道の夜を走ったと
きは、その天然物のプラネタリウムの幻想的なことに圧倒
され、東北の山並み、見慣れたはずの東京の風景でさえ、
横へ、後ろへと絶え間なく流れていくこの窓から眺めると
まるで一つの絵巻物を見るように新鮮に思えたものだった。
僕の日常は、この窓からだったらいくらかはましに眺める
ことが出来ただろうか。
 この特急ヴェガの始発駅、北海道の稚内から僕は乗って
いる。僕はいわゆる「鉄」ではないし、旅行好きというわ
けでもない。九州の南端に「夢の崎」なんていう専用の終
着駅まで設けて、八月の十五日間を一度きり日本を縦断す
るヴェガのことも、テレビや駅のチラシで少し知っている
くらいだった。奇跡のような確率でこの特別列車の搭乗権
を引き当てた鉄道好きの伯父を見舞った「のっぴきならな
い都合」とやらが、僕にその権利を譲り受ける機会を運ん
で来でもしなければ、他の誰かに眺められる立場で、この
窓の外にいたことは間違いない。伯父ののっぴきならない
事情というのも、簡単にまとめれば「断れない仕事が入っ
た」ということにおさまるのだけど、仕事の原因がふた月
ほど前に地球の裏側で起こった大きな地震にあり、本来受
け持つはずだった職場の後輩はその地震に恩のある先生が
倒れたために伯父に代打を打診してきて、断ろうとしたが
その後輩の奥さんというのが伯父の奥さんが若い時分に患
った大病から命を救ってくれた人の娘さんであったことが、
地震で起きた津波で沈みそうになった船にふられていた識
別番号がきっかけで明らかになり、その病気の話が伯父と
奥さんを引き合わせた大きな契機になっていたこともあっ
たのだが、しかしそれでも今回ばかりはと渋る伯父の息の
根を止めたのは、仕事の発注元の更に先にいた顧客が今回
のヴェガ計画の大口スポンサーでもあって、次回の企画が
持ち上がったときには優先的に口を利いてもらえるという
条件だった。
 ここまでくるともう何が何やら、偶然と必然の三十八度
線を巡る争いがいつ終わるのか皆目見当もつかないけれど、
ともあれ、僕が譲り受けたのは権利のみで求められる最低
限の費用や旅先で必要になる負担は自分で支払ってここに
いるのだから……我ながら、いま身を置くこの時間に、不
確かながら魅力をかぎ取るくらいの衝動は持ち合わせてい
たのだろうと思う。そう、衝動だ。どうしてそこまでして
この列車に乗ろうと思ったのか、確たる思いにおぼえがな
い。強いて言うなら、ほかに使い途を思いつかなかったの
だ。見栄か、ファッション。自腹を切ったことまでひっく
るめ、この二週間を切り抜いて昔の友だちに見せびらかす
くらいしか、改札をくぐる前の僕には思いつけなかった。
列車を降りたら、なにごともなくその二週間を差し引いた
だけの昨日の続きの明日を始めるつもりで、僕もいた。そ
れだって、ひとの営みの鮮やかな一形態だと思っていたし、
大きな変容の種が心に兆したいま、尚のこと強くそう思う。
 
 
 
    ×     ×     ×
 
 
 
(続)
 
 
 

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