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2015年3月29日 (日)

■お漬け物の家~SS『ヤマノススメ』(後篇) -更新第978回-

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 山頂での休憩を終えて下山ルートに入ると、周りはじきに雑木に覆
われて展望がなくなり、距離は長いが緩やかだった登りと裏腹に短く
急峻な斜面の断続になる。急激に下っては短い平坦、下っては平坦、
の繰り返しだった。時に岩場で四つん這いにもならなければならない
ような下りを、楓さんを先頭に、ここなちゃん、あおい、ひなたと列
を作って、時に手を貸しあいながら下っていった。
 小一時間も下って膝と背中にそれなりの疲れがこごり始めたあたり
で、道は比較的なだらかな林の道にさしかかった。足もとは、いつも
ほんのりと水を含んでいそうな土の地面がどうにかひと二人すれ違え
る程度に顔をのぞかせて道をつくり、右手と左手には緩やかな斜面に
青白いブナの幹が立ち並んで、遠く視界の奥まで天然の格子柄を作っ
ている。
 ここなちゃんの前を行っていた楓さんが足を止めた。それを察して
ここなちゃんも耳を澄ませてみると、忘れもしない、先週テレビで聴
いたのと同じ、チュクチュクというさえずりが視界の先に幾重にも重
なる林の奥の木の陰の、そのまだ先から聞こえてきた。
「楓さん、これって」
「そうみたいね。あおいちゃん、ひなたちゃんも」
「はい、わかりました」
「任せて! 見つけるよ、あおい」
 さえずりは右と左、林の両側どちらからも聞こえているように思え
た。もしかしたら山と木々の響きの加減で、本当は片側からだけで鳴
いているのかも知れなかったが、あおいとひなたは右側を、ここなち
ゃんは楓さんと同じ、左側に生い茂るブナの林の根本からてっぺんま
で、幹を避け葉をかわして、奥の、奥のさらに奥まで、あの青い小さ
な体を見落とさないようにと視線を走らせた。
「近くではないわねえ」
 普段と変わらず平らかな楓さんのトーンが目の前の木立の海をより
広く深く感じさせて、どこに注意して目を凝らせば良いのかわからな
くなる。だまし絵のように、縦に、横に、木々が縞模様を描き出し、
青い鳥の声は渦を巻きながら少しずつ遠ざかっていってしまっている
ように感じられてきた。
 そうだ、双眼鏡。
 さっと胸元へ走らせた手が空を切る。登りの間中首から提げていた
双眼鏡を、さっきお昼を食べたときに背中のザックにしまいこんでし
まった、そのことに気付き、ここなちゃんは小さな体を素早くひねっ
てストラップの片側から腕を抜くとザックを体の前に滑らせ、双眼鏡
を探した。
「あれかしら」
「え、いたんですか?」
「どこどこ?」
 楓さんの息を殺す一言にひなたとあおいが色めき立つ。双眼鏡はす
ぐに見つかり、ふわふわの髪を器用に逃がしながら首に提げ直したま
では良かったのだけれど、コンパクトにたたまれたそれを広げて自分
の目の位置と合わせ、楓さんのゆび差す方へ視界を動かしながらダイ
ヤルを回してピントを合わせる……その間に、声はまた、どこからも
聞こえなくなってしまった。風が木々の葉を揺らす音と、まばらなメ
ジロの鳴き声……町や道からはなれ、さほど名の知れた訳でもない森
は、ひと気もなく静まりかえった。
「楓さぁん」
 最後列にいたひなたがすがるような声を上げてからも、楓さんはふ
た呼吸ほどの間、眼鏡の奥の瞳を固めて耳を鎮めていたが、やがて長
い息とともに姿勢をゆるめて肩をすくめてみせた。
 そのニアミスを最後に、この日の登山でルリビタキに出会うことは
とうとうなかった。「登山道入口」の立て札の背中を見つけた楓さん
の、はい到着、みんなおつかれ、という「もう一山、オカワリいこう
か?」とでも言い出しかねない溌剌とした声は、やはりいつもと変わ
りがない。
 麓に温泉のある様な山でもなかったので最寄りの町に見つけておい
た銭湯で汗を落として電車に乗る。その銭湯で湯船に浸かりながら
「ここなちゃん、ちょっといい?」
と、不思議な鼻をきかせてきたのはやはりあおいだった。
「あの双眼鏡って、誰かから借りたの?」
「あ、はい、そうなんです。わかっちゃいますか?」
 山頂で一休みしていたとき、景色を見たいと言うひなたとあおいに
双眼鏡を貸した。モスグリーンの鏡筒にちょこちょこ迷彩のような斑
紋の入ったその双眼鏡はどっしりとした重量感があり、しっかりと構
えればその重みは安定感に変わって取り回し易いのかもしれないけれ
ど、女の子が首に提げて歩くにはいささか重すぎたし、ダイヤルも、
折り畳むための機構も、ゆび先や手首などの力の入りづらいところに
力を要した。あまり使い込んだ風ではないものの、どことなしに油臭
さを感じさせる風合いとデザインのそれを、あおいはいちいち、重っ!
 とか、固っ! とか分かりやすい悲鳴を上げながら一頻りいじり回
して楽しんでいた。
「うん、なんかね、ここなちゃんっぽくないなーって」
「やっぱりですか。クラスの友だちが貸してくれたんです。私、ああ
いう道具は持ってないですから、鳥を見るなら要るだろって言って」
「ふーん。……男の子……だよね?」
 まだ、日が傾き始めて間もない。きっとこの町と同じくらいの年齢
であろう、昔ながらのタイルを敷き詰めた古めかしくも広々とした浴
場には、自分たちを除いては、湯気の向こうに腰の曲がったシルエッ
トが一つか二つかすんで見える程度で、広い壁面をいっぱいに使って
威風堂々と描かれた時代物の富士山も、半ば貸切だった。持て余した
ような空間のどこかで天井から水滴が垂れて、ぴちょんと細い音が響
いた。
「はい、そうですよ」
「ほ、他の山のことも教えてくれたっていう?」
 正直なあおいの瞳の中に、きらきら、というよりぎらついた輝きが
芽生えて勢いを増してくる。上気しているのも、鼻息が荒いのも、ど
うやら湯あたりなどではなさそうだ。困ったことになったなあ、と思
いながらも、ここなちゃんは「はい」と正直に答えた。
 貸してくれたのは、あの図書室の小峯くんだった。つい昨日のこと、
小峯くんは日直の仕事をしているうちに移動教室に出遅れて教室にひ
とり残っていたここなちゃんを見つけ、席までやってきた。小峯くん?
 次、生物室だよ? 移動教室遅れるよ? そう返したところへ手渡
されたのがあの迷彩柄の双眼鏡だったのだ。小ぎれいな百貨店の紙袋
に入れられ、添えられていたのは「鳥、見るなら使うかと思って。も
う持ってるなら持って帰るけど」という、やはり木訥な一言だけだっ
た。違う山へ行くことになったと告げたとき、小峯くんの瞳に差した
影の色が、南中を前にした教室のほの暗させいなのか、落胆とかそう
いう気持ちのせいなのかはわからない。悪いことをしている様な気に
なりつつも、必要なことは確かだし、話をしてから三日も経つのにわ
ざわざ持ってきてくれた、そこにふわりとはさまった不思議な緩衝地
帯のような気持ちの正体に触れてみたかったから、その道具は素直に
借り受けることにしたのだけれど。
「なーるほどねー? なんかゴツいからお父さんのかなーって思って
たんだけど、そういうことかー」
 眼鏡を外し、長い髪をタオルにまとめているから別人のように見え
るけれど、そのさっぱりした口調はやはり楓さんだ。あおいは興奮気
味にひなたのところへ戻り、ほらやっぱり! やっぱり男の子のだっ
た! と、いくぶん潜めた声で報告しているが、壁に描かれた富士山
に反響して丸聞こえだ。
「そうなんです。だから余計、会えたら良いなって思ってたんですけ
ど。仕方ないですね」
 ちいさな手のひらに湯を掬ってぱしゃりと顔をすすぐ。くったりと
背中をタイルの壁に預けると余分な力が抜けて、ただ水道水を温めた
だけの湯でも、肩や腋や膝、体中の色々なすきまから入り込み、使い
古したものを運び出してくれるような心地よさに包まれる。長い息が
漏れた。
「また来ればいいんじゃない? あの山にいるのはさっきので大体分
かったんだし、もう一つ、アテもあるんだしね」
「はい、そうですね。今度は……」
「ねえここなちゃんここなちゃん、飯能に帰ったらさあ、あのお漬け
物のお店教えてよ。あたし、あれ気に入っちゃった。買って帰りたい」
「あ、それいいわねえ。あたしも買って帰ろう。いい?」
 ひなたはお漬け物の方に興味津々のようで、さっきのここなちゃん
の話ですっかりスイッチが入ってしまったあおいのコイバナに辟易し
たのか、ざぶざぶと湯船を泳ぐようにして割り込んできた。
 もちろんです、お店のお婆さんも喜ぶと思います。振り返って答え
たとき、壁に広がる富士の裾野に画面の端から退屈しのぎみたいに張
り出して描かれた梅の木の枝に、これまた小さく小さく、一羽の鳥の
描かれているのが目に入った。
「ああ、これもメジロね。この辺、メジロで有名なのかしら?」
 三人を置き去りにし、お湯をかき分けて顔を寄せて見るここなちゃ
んに、眼鏡を外した楓さんが眉をしかめて言う。その小鳥はくるっと
丸い体に鮮やかな苔のような緑色をしていて、少し驚いたようにも見
える愛嬌のある面差しは、見間違いようもなくメジロだった。
「そうかも知れませんね……そうだ、メジロと言えば、ひなたさん」
「ん、なに?」
「今日たくあんと交換してくれた、『冷めると余計においしい目玉焼
き』の作り方、教えていただけませんか? 黄身にしっかり火が通っ
て、固くなってるのに味が残って濃厚で。お母さんに作ってあげたい
んです」
「え、い、いいけど……ここなちゃん、メジロからそれを思い出しち
ゃうんだ……」
「え、あれ? お、おかしいですか?」
 最近のお母さんは仕事の時間がときどき不規則で、夜半を過ぎて帰
ってきたかと思ったら翌日は昼からの出勤、などということがままあ
った。そんなときは先に起きたここなちゃんがお母さんの分まで朝ご
飯を作り置いて出かけるのだが、卵焼きならいざしらず、目玉焼きだ
とどうしても、作り置いておくと美味しくなくなってしまうのがここ
なちゃんの目下の悩みの種だったのだ。今日、ひなたがお弁当に入れ
てきていた目玉焼きは、その名に恥じず、驚くくらいみずみずしい味
わいを残していた。
「別におかしかないけど。いいよ。帰ったらメールする。忘れてたら
言って」
「じゃあじゃあ、今度はそれをお弁当に持って、ルリビタキにリベン
ジだね! またその男の子に、双眼鏡借りてさあ」
「あおい……あんたホント、そういうの好きだね」
 瞳をときめきで輝かせ、我がことのように割り込んでくるあおいに
ひなたがまた憎まれ口をたたき、いつもの漫才が始まる。
「ここなちゃんの家は、お母さんととっても仲がいいのね」
 さて、と豪快に、楓さんが頭のタオルをほどいていつもの姿に戻り
ながら湯船に立ち上がると、四人の中の誰よりたくさんの曲線を有す
る体のラインの上を、水の帯が滑り落ちていく。女らしいのに頼もし
い。はいっ、と銭湯に響いたここなちゃんの声の大きさに、絵に描い
たメジロの目が、いっそう大きく見開かれて見えた。



     ▲    ▲    △




 それから少し経った何度目かの休みの日、空は抜けるような快晴で、
それなのにあおいとひなたはそれぞれの自室におり、なぜ自分たちが
この佳き日を持て余しているのかについて「あたしは遠出しようと誘
ったのにあおいが渋ったから!」だとか「ひなたがいつまでも電話に
出ないから!」だとか、電話越しに責任をなすりつけ合っていたのだ
が、そこへブーン、ブーンというお定まり小刻みな振動を伴ってここ
なちゃんからのメールが届いた。
「今日もダメでした~」という件名に涙マークをあしらったそのメー
ルには、ルリビタキさんまた会えませんでした、というシンプルな本
文に一枚写真が添えられていて、どこかの山の頂上なのだろう、今日
の青空とそれに負けないくらいどこまでも連なる緑の山の遠景をバッ
クに、片想いの相手に巡り会えなかったとは思えない笑顔でここなち
ゃんがブイサインを作っていて、その首からは、水色の、いかにも彼
女にぴったりな、小さな双眼鏡が下がっていた。
「ひなたひなた、この写真!」
「あー。ここなちゃん、双眼鏡買ってもらったみたいだねー」
 またぞろ鼻息の荒いあおいに、ひなたはわざと芯を外した打球を返
したのだが、その山なりの球も何やら大きくあさっての弧を描いて写
真の青空に吸い込まれていったような錯覚を覚えて、スマートフォン
の空にぐぐっと顔を寄せた。放った打球の消えていった辺りだけ、ぽ
っちり一点、何かが横切っているようにぶれて、空の色が違っている
気がするのだった。
 もー、ホントひなたは分かってないなー。そうじゃないでしょ、こ
の写真。自分で撮った写真じゃないじゃん! 誰かと一緒だったんだ
よ、誰かなあ? あの男の子かなあ? そうだよね、絶対!
「ああはいはい、そうかもねえ」
 その違和感の正体が気になって、画面を見る角度を変えたり、明る
さをいじってみたり……思いつくことを試してみても、不自然に色を
変えた空の理由は分からない。似た色の鳥が横切っているのではない
か--。それは真っ先に思いついたことではあるけれど、口にするこ
とはなんとなく憚られた。
 それにしてもこの写真は、見れば見るほど、山と空と、丁寧にフレ
ームに収められた木々の枝、写真に興味はないけれど、とても大切な
おもてなしのために部屋をしつらえ、料理を運ぶときに磨き上げた廊
下をすべるつま先と同じ繊細な高鳴りを秘めている。額装を思わせる
巧みさで画面に呼び込まれた幾本かの枝のひとつに、あの日の大きな
双眼鏡がこっそりと、しかしわざとらしく引っ掛けてあるのも見つか
って、ひなたはへへへと声をひそめ、やるじゃん、と笑った。あおい
の腐ったようなコイバナもあながち間違っていない。なるほど気持ち
を少し足して見てみれば、ここなちゃんと木々と雲と稜線に囲まれて
切り取られた空の青は、鳥のかたちと思えなくもない……。
 画面をゆび先でつまんで拡大してみても、そこだけ色の違う空の理
由はやっぱり見えてこず、それは光の加減かもしれないし、携帯のカ
メラのいたずらなのかもしれない。ただの目の錯覚。勘違い。『もし
かしてこれ、鳥なんじゃない?』とあてずっぽうを口にすることは、
ここなちゃんを糠喜びさせるだけかも知れないけれど、それならそれ
で、別に構わないではないか。
「ひなた? もしもし? どしたの?」
「べーつに。あおいは相変わらず、肝心なとこが見えてないなーって
思ってさ」
 そんなやりとりのところへ、同じ写真を受け取ったらしい楓さんか
らもメッセージが届いた。
『ここなちゃん、またほっぺにお弁当つけてないw?』
 改めてみればなるほど、ここなちゃんはにっこり微笑んだ唇の端に、
またあの刻んだたくあんの粒をくっつけている。この写真を写し手は、
その肝心なことに気付けなかったのか、それとも、気付いていながら
それを言い出すことが、まだ出来なかったのか……。
 あのたくあんよっぽど気に入ったんだね、さすがの女子力モンスタ
ーも食欲にかかっちゃ形無しだねと笑い合い、青空に粒と滲んだ朝露
の様なルリビタキの幻と、舌先をのばせば届く先にある、糠がほどよ
く香る黄色い粒の喜びを、いつか取り替えっこする日も訪れるのだろ
うかと考えたけれど、お母さんに買ってもらったばかりの双眼鏡では、
口元についたたくあんに気付く日はまだ少し遠いのかもしれない。
 それじゃあびっくりさせようと謀り合い、『ここなちゃん、口元に
たくあんついてるよ』と文面を揃えたメールの送信のボタンを三人同
時にタップしたあと、ひなたはベッドを飛び降りた。お父さん、ちょ
っと出かけてくる。お漬け物買ってくるから、夕ご飯和食にしてよね
……。
 あの日から、倉上家でも例のお漬け物は定番になりつつあった。歩
き飽きた飯能の道を駅に向かって歩きながら、思い出すだけで十分に
反芻できる歯ごたえと糠の風味にほくそ笑んだ自分を、ひなたはちょ
っと、お爺ちゃんみたいだなーと思った。
 
 
 
 
 
 (終わり)
 
 
 
 
 
 

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