« ■些伽巳日記~あしたは小諸の風が吹く・後篇 -更新第951回- | トップページ | ■釣りキチがナナハンにまたがってサイコロ片手に今日も一日がんばるぞい! -更新第953回- »

2014年11月 9日 (日)

■G(グラスリップ)のレコンギスタ~2014年・秋アニメ チョイ感想+『グラスリップ』の話 -更新第952回-

湯気が濃いとか薄いとか、
最初に言い出したのはだれなのかしら?
オイサンです。

その濃淡で表現の自由だとか青少年が健全だとかが測られるレベルの低さをこそ先ず恥じたいと思おうではないか。

イヤそれにしたって、最前線で戦ってる人たちにとっては
死活の問題であることは理解してますけどもね。

来季から始まるという『艦これ』のPV第2弾が公開されてますな。
マ『艦これ』全然分からないオイサンにはワリとどうでもいいんだけども、
ただ、これだけの人気作というか、期待されたコンテンツを作り手がどう料理するか、
数多ある選択肢の中で、どういう路線を選択したうえで面白さを足したり維持したりするのか、
その一挙手一投足には、素直に注目したいと思ってはいる。

  マここまで見たところ、『ガルパン』+『うぽって』みたいなんかな、と思ってるけど。
  設定というか、艦娘という存在の抽象化・記号化・象徴化に関しては、
  『うぽって』くらいまでぶっ飛んだ方へ持っていってしまった方がいっそやり易かろうし
  見てる方も理解しやすいんじゃないかと思ったりするけども。

マそんな出だして始めてしまったので、今回は大体アニメの話です、久しぶりに。
小諸関係ないアニメの話です。次回からまた小諸の話です。イヤわかんねえけど。
2014年、秋アニメのここまでの感想……と、前期の話で+α。



■『Gのレコンギスタ』



富野御大、渾身の一作……なのではないでしょうか。
非常に切実な思いがこもっているとお見受けする。



面白さという意味では、今期ぶっちぎって面白いです。
一応『ガンダム』の系譜ではあるのだろうけど、
別に『ガンダム』である必要も、それを意識する必要も特にないと思う。

ただ。面白いんだけど。
作品背景、世界情勢、文化的背景が、作中の情報からでは(現時点では)ほぼ分からないので、
何が、何故、起こっているか分かりにくい。
まあ富野カントク作品では往々にしてあることのようだけども。
そんなんでよく面白いって言えるな、と思うんだけど、
「恵まれた環境の利発な少年が、生き物として一つの衝動を追い求めて、
 切迫した状況の中でも機転を利かせて(それなりに複雑な社会に自分を馴染ませながら)快活に生きていく」
姿が、見ていてとにかく小気味いい。
それだけわかれば、当面不自由はないのだと思う。
必要なことは、必要なタイミングで開示されるでしょう。

いちいち、画面のはしばしに、快活さというか……躍動感が宿っているように感じる。
他の作品と何が違ってこんなに生き生きとしているのかわからないけど、とにかく熱と軽さがすごい。
不思議だ。
主人公は社会的には恵まれた環境にいて、Gセルフを動かせる(今の所仕組みは分からない)ということもあって、
ある意味では「特殊な能力の持ち主」ではあるんだけど、
なんて言うか、結構ふつうの子に見える。
「伝説の勇者」「スーパーサイヤ人」的な、ものすごい特殊な人ではないように見える。
せいぜい、「お金持ちの家の子」「血液型がちょっと変わった子」くらいなもんで、
宇宙人とかニュータイプとか、そういう類の凄みは感じない。
そういう子が明るくハキハキと立ち回る主人公像が、見ていてとても嬉しいです。

  マ今の世の中、「お金持ち」ってのはスーパーサイヤ人みたいなもんだけどさ。

なんだろうかねえ、この小気味の良さは。
戦争とか軍隊とか政治とか、しち面倒くさいものと日常との境い目を極めてあいまいにして地続きにしてしまい
(戦争の場にチアガールがいるとか、戦いに赴くときに、当事者たちが極端な感情を発露しないとか)、
明るく描くことで、深刻な場面でも極力受け手のストレスを軽減してるように感じる。

  これは『ペルソナ4』『アルペジオ』の岸カントク作品や
  『黄昏乙女アムネジア』とかで見られた、シリアスさのストレス軽減のやり方とはまた違っていて面白い。

もうとにかくエンディングが好きで、
「元気のGは始まりのG」、という、泥臭くもださいフレーズとタイトルに、
監督の込めたる思いの全てがある気がしている。

タイトルにある『レコンギスタ』は「レコンキスタ」を造語化したものらしく、
本来の意味に則るなら「再征服」。
『G』はもちろん『ガンダム』ではあるだろうし、
今後、作中でもっと別の意味も与えられることもあるのかもだけど、
歌詞にある様に「元気」「始まり」の意味を、監督はどこかで与えたいと思っているのだろう。
だとすればそれは「元気による再征服」、
「君たち若い人は、君たちの世の中は、もっと元気であれよ」という監督の気持ちなんだろうなあ、
と受け取った。

以前は「だからお前らはダメなんだ、気持ちが悪いんだ!」
と怒鳴りつけて突き放すばかりだったカントクが、
とうとう噛んで含めるように優しく語りかけてくるようになった、
それはもう、やり方を変えないと伝えたいことが伝わらない、進んでほしい方向に進まない、
そうしたって思うように運ぶとは限らないけど、
せめて自分はこの三十何年でやってきたことにせよ、その誤りを正すことにせよ、
伝えなければならない、伝えたい、だからやり方を変えるんだ、そのくらい今回ばかりは伝わって欲しいんだ、
という気持ちが、EDとタイトルから痛いくらいに感じるのです。

  ……イヤ、別にオイサンはそんなに『ガンダム』詳しくはないし、
  監督の言説にもそう深く触れてきたわけではないけども、そんな風に思ったのよ。
  勝手に、個人的にだけどさ。

「プライド」とか「サクセス」っていう言葉でしか人生の、生の成功を語れない
その狭さ・不器用さは相変わらずなんだろうけど、
なんかこう、「もっと元気にやって、もっと幸せになってくれ」っていう気持ちは本当に伝わる、
素晴らしいEDだと思います。いや、さすが、さすがです。
勝手に感心してるけど。的外れだったらゴメン。

OPもかなり好きなんだけど、なんでまたガルニデリアなのだろう。
カントクが若手でイキのいいの指名したのかな? 「G」つながり……ってことはないだろう。

タイトルバックで大の字の姿勢で着地しようとするGセルフのポージングも、
他ではあまり見ない、力強さのカタチをしている。
かっこよさ・スマートさドリブンではない。
しっかり立て、歩け、走れ! 前に進め! っていう、
監督の悲痛なくらいの願いであるように……マいつもながら勝手な思い込みの妄想だけど、感じるのです。

ところで、相変わらず脚本というか、人物の喋り口調が独特だけども、
これはカントクのキャラクター含みで考えてこういうものになっているんだろうか、
それともごくごく自然に、こういう風になってるんだろうか。

見たくなくても……見る!



■『デンキ街の本屋さん』



最初見た感想は、「あ、なんだ、オタクカルチャー縮小再生産系だったのか」。
つまるところは『げんしけん』の系譜ってことです。
オタクのカルチャー、暮らしや世界をいじって笑おうってやつで、
正直、中身的には「イマドキこういうネタかー」という感じ。
もはや古めかしいというか、マンネリな感じ。



とはいえ、『げんしけん』から既に12年経ってるわけで、
そろそろ一回りして『げんしけん』をリアルタイムでは知らない世代が出て来ても不思議ではなく
(『げんしけん』はまだ一応現役だけど)、
そういう新しい層に向けてのモノなのかもなー、と思って見ている。やたらPOPだし。
とすればアリではあるなあと。マおっさんが改めて見るようなものでもないと思うけど。

とりあえずOPが素敵でキュンとなるので、
それを聴くために流して、本編はあんまり真面目には見ないという感じになってます。

ときどき普通に面白いこともある。
カメコが好きです。あと腐ガールちゃんがやたら食う絵も好きです。
ですぞー。



■『繰繰れ!コックリさん』



一風変わった逆ハーレム・ネオロマンス系アニメ(だと言い張るぞ)。
残念少女にイケメンがむらがる画ヅラはまさにハーレム系。
ネタがさほど尖っているわけでもなく、もう小鞠の独特の口調だけが心地よくて見てる感じ。
ラクに流せはするのだけども。わりとめんどくさいな。
OP主題歌がなんだかキャラソンみたいで残念だが、ジュリアナスタイルの小雛はすごく好きです。
かぷめん。



■『甘城ブリリアントパーク』



アラフォーおすすめの一本。
テンポの良い、如何にもラノベらしいコメディ。
個人的には、狙って繰り返されるマンネリネタが心地よい。
お色気とベタな笑いとバイオレンス、あとちょっぴりのセンチメンタルと浪花節に彩られた、
娯楽の王道ともいうべき隙のなさは原作の凄みなのだろうけど。
そこを京アニさんが丁寧に仕上げて完成しているのでしょう。

一言で言うならコッテコテ。
ちょっとしつこいくらいなんだけどそれでもゲップを出すことなく見続けられる。
理由は分からない。
振り返ってみると
「よくこのバターのかたまりに生クリーム塗ったのを平気で食べられたな俺は」
という気分になるんだけど。
コレマタ、目新しさはないけど安心してラクに見られる系。

ところで、番組の合間にOP曲とED曲のCMが入るのだけども、
OPを歌ってる姉ちゃんがもうなんというか一昔前の土人コギャルみたいなんで、
やたらテンション高く嬉しそうに激しく歌って踊る、
見た目的にはまあオタクの嗜好とマッチしそうもない感じ(オタクとか超バカにしてそう ← 偏見)。
反してEDの方は女性声優さん四人の劇中ゆるふわユニットのお歌。
妖精さんっぽい衣装でふんわかふんわかしている。
音楽的にも映像的にも、きっとOP側の方が高度というか豪華なことをやっている様な気がするけど、
オタクの多くはEDの方を好んで買っちゃうんだろうな、とか
勝手に思って見てるとなんだかヘンな気分になるです。
曲の個人的な好みとしてはどっちもそこそこ。

ときどきザクッと現実的なコト言って不意に殺しに来るのやめて下さい。
ヘーリコォープタァー!!



■『俺、ツインテールになります』



「この世界には二通りのラノベしかない。
 『インフィニット・ストラトス』か、そうでないものかだ」


という言葉がありますが、その意味ではマンガは『インフィニット・ストラトス』です。

あんまり真面目に見てはいない。
とても馬鹿馬鹿しい方向に振り切れている、……えーと、ラノベの伝統芸能みたいなものです。



OPがテンポ良くて好きですね。
真礼たそはお歌はあんまりですね。

  どうでもいいけど、『ごちうさ』のBD副音声で、
  真礼たそが同業者(つまり共演者)からも真礼たそ呼ばれてて笑ったw

「見ないことによって面白さが増す」タイプのクソアニメ、だと思います。
見ても大損はしません。
いや、嫌いじゃないですよ。
設定が吹っ飛んでる割に展開のテンションは高くないので、
あー、作ってる人は真面目なんだろうなあ、と思えてしまうあたりがちょっと残念。



……。



他には『天体のメソッド』『失われた未来を求めて』、
あと『魔弾の王と戦姫』はじわじわと追いかけてますけど、特に書くこともない。
みんなそれぞれ丁寧に、それぞれの追いかけるべきところを追いかけていてちゃんとしていると思う。
すごく面白いかどうかは別にして。
なんかこう……ぶっ刺さるほどのものはないかと。
「皆さん真面目ですね」っていうのが正直なところ。

『未確認で進行形』とか『ろこどる』とか、とてもきちんと作られていて見ている間はとても面白い、
ああコレ好きだなあと素直に思えるのだけども、如何せん下手にデキが良すぎて素直な分、
イザその期が終わってしまったらするっと心からいなくなってしまうモノが結構ある……。
なんかこう、ざりっと心に引っかかるエッジが、どうしても必要になるのだと思います。
消費されて終わりになってしまわないためには。

そんな時代だから、ちょっとアホすぎるとか、ダメすぎるとか、えろいとか、鬱だとか……
ゆがみを伴ったクソアニメ的なものの方が、より人々の心に残って行くのでしょう。

このへんのスルッと系アニメを見るなら、
ちょっと『グラスリップ』を見返したい気分のオイサンです。



■『グラスリップ』をこのタイミングで振り返る



「意味が分からん」「つまらない」と評判の『グラスリップ』でしたけども。
いや、ホント意味はわからない。
未だにわからない。
けれども私はその「見てる人間がわからない」という点に着目したいし、また評価もしたい。





 ▼意味が分からない

あのー……「ワケ分からん」モノっていうのは、ホントにワケが分からんというか、
個人が個人だけの感覚・感情で、自分でもよく分からないまま振り回してくるモノっていうのも確かにあるのだけれども、
世に出回るワケの分からないモノの大半はそうではなくて、

 「作り手のさじ加減によってそのようにコントロールされている」

か、或は

 「『ワケが分からない』ということでしか表現し得ない、ワケが分からないことそのものが表現であるもの」

のどちらかである場合が殆どなんだ、というのが私の解釈なのですね。

人間……特に、何かものをこしらえようなどといういう人種は、
何の手がかりも拠り所もなく、「自分でもワケが分からん」状態のまんま、
一つの世界を創作することなんてそうそう出来ない、というのが、
甚だ個人的・主観的ではあるけれども、オイサンの持っている感想・感覚でして。
好き勝手に、いい加減に、考え散らかして(しかもそれが完結して)終わる、
なんてことは、それこそある種の天才か、子どもにしか出来ないと思っておる。

だから大概の「ワケ分からん」作品においても、
作り手の想定した物語の全ての経由点は、
……ロジカルに、誰から見ても同じように繋がるように出来てはいないかも知れないけれども……
作り手には必ずその繋がりが見える・繋がる理由(理屈ではないかもしれないが)がある
(小さな断絶はあっても、わずかなベクトルからの推測で繋がることがほぼ確定的である)ように、
なっているものなのだと……思っている。

だから、『グラスリップ』の物語は、ハタから説明なしに見れば、
たいていはしっかりとは理解不能だけれども、
考えられ、象徴化され、断片化されたものなのであろう、という感触は得ている。
理由・理屈は推し量ることができないくらいにそぎ落とされている。
けれども、「大体こういうことを空気感だけで描きたいのだろうな」と感じ取る
感触や手掛かりは残されていることが、自分には感じられる。

  中途半端に意味が分からない、適当なつながり方をするものであれば
  そこには手抜きやいい加減にしか考えていない可能性が期待できるが、
  あそこまで徹底して意味が分からない物は、
  逆に、作り手に強い確信がなければ成立しない、という確信だ。

その物語の理由……点と点がなぜ繋がるのか・何を以て繋がっているのか? ということは、
必ずしも全ての受け手に伝わらなければならないわけではないと思うし、
表現した結果理解されなかったからといって、微に入り細に入り、説明されるべき物でもない。

  その辺はなんというか……人間同士のクラウドコンピューティングみたいなもの、ではなかろうかと感じる。
  発信したメインのプロセッサは基幹となる最上位の抽象的な思考・情報だけを持って発信し、
  繋がっている受け手のプロセッサはそれを受信して、
  補うなり、デコードするなり、断片的なジョブを請け負うことになる。
  どこかでそれら全体が繋がる場があれば
  (というか、受け手のプロセッサが処理した結果をメインが回収しないと何にもならないけどw)、
  もっと全体が納得できる作品になったに違いない。
  とはいえ、それをメイン側が企てるのは野暮だと思うけど。

脱線したけれども、確かに『グラスリップ』は全体通して意味が分からなかった。
まだ考え切れていないから分からないだけかも知れないけど、とにかくスッと分かるものではなかった。

忌むべき、理由やプロセスのない手抜かりによる「わからなさ」ではなく、
仕組まれた、やむなきわからなさだった。
また、全体的な感触としては、あの分けのワカラナサは、
本能的に理解できる分けのわからなさだったので、すっと腑には落ちたのだった。

その
「理由・理屈は分からないけれども、ふわっとした感触や輪郭だけを残して伝える試みと、
 成功させたこと」
については、とてつもなく高い評価を与えたいと思う。


 ▼未来の断片

あと、よく見かけるのが「ファンタジー要素は要らんかった」という話。

主人公たる透子とカケル君に
「未来のビジョンが見える・一瞬の音が聞こえる」
という物語要素が、混乱のもとであって不必要だったんじゃないか? という話。

これもまた……実はファンタジー要素でもなんでもなかったんじゃないか、
というのが自分の感触で、そこから生まれる混乱・わからなさもまた、非常に魅力的な要素だった。

あの二人に見聞きできる謎の現象、それを共有してファンタジックなことに結びつけているのは
あくまで物語の上での登場人物二人自身だけであって、作り手でもなければ機械仕掛けの神でもない。
お話の中にいる二人が「これってこうだよね」と語らっているだけであって、
確信的な提示ではなんもない

あのビジョン表現がファンタジー要素であると言ってるのは、
若い二人の主人公の思いこみ、誤解……そんなものでしかない、
という可能性が非常に高い。

  透子だったか、カケルだったかの母親が、同じ現象を体験しているというから、
  思春期・青春期特有の何かの象徴・記号なんじゃなかろうか。


「じゃあ実際、その現象の正体はなんだったのか」?


……それは明らかにされないし、明示される必要もやはりない、と思っている。
だってきっと、そういう時期に感じる様々な、理不尽な心の波打ちや衝動は、
誰にだって全部説明できる物ではないし、過去様々な表現の分野においても、
それだけで一つの作品になるくらい取り沙汰されているのだから。

そういうトリックを使って、受け手を混乱に……表現の土俵に引きずり込んだのは、
とても上手なやり口だったと言わざるを得ないと思う。
受け手は、主人公たちの言動を使った作り手のもくろみに、まんまと騙された。

……そもそも、主人公といえどあくまで物語の登場人物の一人に過ぎない者の言動を、
まるっと飲み込んでしまうのも迂闊なんだろうし、
「全部が説明されないといけない、理解できるようにつくられてないとならない」
というのも、受け手のおごりというか、わがままというか、贅沢というか、過保護というか。
劇中の説明ゼリフを無防備に信用した上、最後まで手放せないという癖は考え物だと思う。

……マそれを、たかだかテレビアニメに求めんのか? っていうのは別な問題としてあるけども、
少なくとも「テレビアニメにあっちゃいけない要素」ではないとは思う。
そういう作品があることは喜ばしかろうし、
そういうモノがある、ということを示しただけでも、やはりこの作品の価値は高い。
商業的に成功するかはやっぱり別問題だけども、
それこそ受け手がどうこういう問題でもない。

  言っとくけども。
  今ここで書いてることが、作り手の思惑に一致した正解だという保証はないし、
  当たってる可能性もすごい低いと思ってもらっていい。
  自分でも「当たってはいないだろうな」と思いながら書いてる。
  むしろ当たってない方が若干有り難いくらい。
  この引き出しはちょっと面白いから、
  自分で考えついたことに出来るならその方が嬉しいものw


 ▼強さと優しさと鬱展開

んでここからはお話の構成的な評価の話。

縦軸は上で書いたような、謎現象を心に抱えた主人公・透子と不思議系少年・カケルくんの恋愛物語で、
横糸に、高校生男子2人(+1人)と、女子3人のグループ恋愛模様が絡んでくるんだけども……
この描かれ方がまた……素晴らしかった。

あのー……メインの5人グループが出てきたとき、誰もがドロドロを予期したと思うのです。
それは、このアニメの制作スタジオの、過去作品の傾向からも、
ある種それを期待されてもいたろうし、期待されながら敬遠されてもいたろうし。

けども、その展開を、根底に流れるヘドロのような感情、期待感だけを残して、
それが上澄みまで浮上してくること、忌避されうる実体的なドロドロを描かずに済むような、
それでいて無理のない(実際はあるけどそう感じさせない)物語の展開を作り上げたやり口には、
諸手を挙げて賛辞を送りたい。

ドロっとしたものが5人の心の底に渦を巻くたびに、
登場人物たちが自ら強さ・やさしさを発揮することで、
安易に極端な感情に走ることをサラリサラリと避けていく、その様子は実に痛快だった。
それがまた、押しつけがましい、熱血や女同士のイチャイチャした友情に依らない(依り過ぎない)ところも
好感度が高い。

鬱展開とか、ちょっと何かあるとすぐ「殺してやる」「死ぬしかない」という
極端な感情に走ることの多い昨今のサブカル系物語界隈において、
本作の示した方向性は、それこそ「鬱展開」と同じ強さ・重さ・大きさでもって、歓迎されるべきだと思う。

人物たちは皆、決して冷静なわけでもなく、湧き上がるドロドロの感情に心を乱して
忸怩たる、納得のいかないものを抱え込んでいくのだけども、
折り合いをつけて、心を上手に濾過していく様が……
「とても分かりにくく、ふんわりとした感触と輪郭だけを残して」
描かれていくからたまらない。

[強い、やさしい、しなやかであるということは通り一遍の言葉だけでは描かれない」
ということを、そのわかりにくさを恐れずに描き切った物だと、自分は解釈している。
素晴らしかった。

  ここでそのいわゆる極端な感情の展開、鬱展開とか、対立関係にもちこまれなかったことが、
  上でも書いた「分かりにくさ」に大きく寄与してしまってる部分も多々あると思うんだけども、
  それはもう致し方ないし、その道をテレビアニメの上で選択したことは、
  無謀でなく勇気だったと評価したい。

また、昨今テレビアニメの上で確立されてきた、
シリアス展開・鬱展開を予期させることで受け手の興味を惹きつけつつ、
物語によるストレスを受け手に与えないためにそこからさらっとキャッキャウフフを挿入する手法……
あれはあれで考え抜かれた素晴らしいものだけど、そこへも逃げてない。
シリアスなまま、ストレスを回避している。
「刺激はドギツイけれども受け手の心にストレスを強いない」
表現の最右翼として、もっと評価されてもいいのになー、と思う。

ここでのさらっと感、ふわっと感を実現するためには、
不思議系主人公二人……透子・カケルの、
アッケラカンとかしたバカさ・天然さ(by透子)と、
無機質で無表情だけども冷徹に過ぎない存在感(byカケル)が不可欠だった。
こういう点においても、キチンと考えられて配置されてるなあと感心するのです。

カケルくんの登場と、人物各々のやさしさによって、
彼らは、正しく、何も失うことなく先へ進んだんだと解釈している。
これは大きなエポックだ。



■Closing



マそんなことで……色々偉そうなゴタクを並べてはきたんだけども、
ここまで書いてきたように、
「なんだお前も、具体的には何にも分かってはいないんじゃん」
と言われたら反論は出来ないワケで。

  けどそれはまた、作品の性質上、致し方ないものでもあるよなあ、と開き直ることにする。

確かに、一つ一つの現象を、根拠を持って解釈したり、意味を与えることは私も出来んです。
分からぬ。
けど逆に、昨今のアニメ界隈の作品は、わかり過ぎるし、箱庭的に物語の隅々にまで作為が行き届きすぎて、
正直こぢんまりとまとまり過ぎている、
そういう作品がもてはやされやすいように感じる。

行き届いていることは決して悪いことじゃないけど、
作り手がそれを全て「僕らがこう考えてこう作ったんですよ」と明かす必要もなく、見せなくてもいい、
受け手に見せて説明しなくてもいいところは多々ある。

それが何故かというと、ヨノナカって、そういうモンやん? と思うから、なんですね。
理由・理屈が全部明らかにされてるわけでなし、
明らかになっている部分においてさえ、個々人によって運用・適用のさじ加減が違って、
それによって個々人の耳目に届く像は位相が違っていたりして、
そのズレによって、その先ではまたゆがんだ像になっていく、その連鎖の繰り返し。

一つの物語世界を、ひとりの受け手が全部理解して、説明出来る必要は、やっぱないと思うんです。
作り手はそれを出来るに越したことはないけれども、
「隅々まで作って隅は説明しない」のか、
「隅は敢えて作らずに残しておく」のかもまた、作り手の自由、マチの取り方でしかないと思う。
ただ「こういうモノを描く」という確信があったら、それでいいと思うので。

そういう選択がされたこと、それが最後まで貫かれたこと、
かつ、それが届くような形で描き切られたこと……誤解を恐れず「成功させたこと」って言っちゃうけど……を、
オイサンは、とても嬉しいこととして、この作品とともに受け止めたいと思ったのでした。

マ、「それにつけても意味が分からなすぎる」とか、
「聖地が聖地聖地しすぎだろ!」とか、
「止め絵演出多用し過ぎでやっぱり意味が分からない」とか。
種々、問題がないとは言いませんけども、それを補って余りある魅力を持った作品だったと……
個人的には、大事にしたいと思うのです。

『グラスリップ』。

……なんかこう、夏になると思い出す作品が、また一個増えたような気がするです。


Dsc09755



マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。





 

|

« ■些伽巳日記~あしたは小諸の風が吹く・後篇 -更新第951回- | トップページ | ■釣りキチがナナハンにまたがってサイコロ片手に今日も一日がんばるぞい! -更新第953回- »

[ご意見]」カテゴリの記事

アニメ・コミック」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/55967/57938110

この記事へのトラックバック一覧です: ■G(グラスリップ)のレコンギスタ~2014年・秋アニメ チョイ感想+『グラスリップ』の話 -更新第952回-:

« ■些伽巳日記~あしたは小諸の風が吹く・後篇 -更新第951回- | トップページ | ■釣りキチがナナハンにまたがってサイコロ片手に今日も一日がんばるぞい! -更新第953回- »