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2014年8月 2日 (土)

■in JAPAN, but Not JAPANESE. ~『思い出のマーニー』感想~ -更新第939回-

焼きおにぎりにスク水型の日焼け跡が残せるアルミホイル下さい。
オイサンです。

うーむ、もしあったら、それでもどうにかできそうな自分が恐ろしいぜ……。
腐ってやがる! キモすぎたんだ!



●○● 土曜日のマーニー ○●○



先週の土曜日。
渋谷でやる、舞台版『ドリームクラブ』(というかライブステージ)を見に行こうと思っていたんだけど、
webサイトを確認してみたら形式がオールスタンディングとなってて
観客がサイリウムを振ってるお写真(前回の様子だろうか)が載ってたので、
このノリは多分自分には無理だなーと思い直して断念。
見てはみたいけど、無理しても仕方ない。

となるとサテ、お昼の時間がぽこっと空いたのでどうしようかと思案したところ、
ジブリの新作の公開が始まっていたことを思い出した。
『思い出のマーニー』。
どうもあまり、お客の入りは芳しくないらしい。

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※以下、音速でめっちょネタバレするので、
    ダメな人はもう諦めて読んで下さい(飛ばせといわない)※※











  ▼『思い出のマーニー』はジブリの最期になるのか。

ジブリという組織は、今の興行ペースと作品クオリティだと
1作品あたり興行収入が100億はないと回っていかないのだそうで
(それもスゴイ計算の話だけども)、
ブランドとしての宮崎駿が劇場公開作品制作からの引退を表明したことで
この先それだけの実入りを期待し続けて行けるかもわからず、
制作スタジオとしては解散、今後はIP管理だけを続けていく、
なんて話もワリと生々しく聞こえてきている。
「もしかするとこの『マーニー』がラストかも……」
とか、半分は宣伝含みなんだろうけど、そんなハナシ。


  ▼米林監督~動画描きの遺伝子と、ほとばしるもの

今回の『思い出のマーニー』の監督の米林さんの前作、『借り暮らしのアリエッティ』は、
アニメーション……「動画」としてはとても精緻ですごかったんだけども、
お話としてはどーも、従来のジブリを期待している人たちの期待に沿えず、
「地味」「つまらない」「わからない」の烙印を押されているので、
その影響もあって今回の不入りに繋がってるのでしょう。

以前読んだ、ジブリの鈴木敏夫プロデューサーのインタビュー集によると、
米林さんはアニメーション作家……「動画描き」としては宮崎駿の血をもっとも色濃く継いでいる、
ネクストジブリの旗手だというけど。
それは、言われてみてみると、何となく納得する。
宮崎駿の本質が、ストーリーテラーではなく、絵描きなのだと知っていれば、すとんと腑に落ちる。
しかし、不遇だ。
あの髭のじいさんほどの、なんというか、馬力というか、
熱量は持ち合わせていないように、作品からはお見受けいたす。
怒りのエネルギーというか。
同じくらい深くて広い海を持っているのかも知れないけど、
荒れ狂わない、静かな海の持ち主であるよう。
絵本作家さんがまるまま動画屋さんになったようなイメージ。
宮崎駿は、猛獣使いと猛獣を一人二役やるひとが動画屋やってる感じ。

  あとでも書きますけど、宮崎駿の描くものは、どんなに見た目の文化や時代を異にしても、
  根底にはどうしようもない日本くささがむんむんとしてたとオイサンは感じるけど、
  米林監督のは、今回の『マーニー』にしろ『アリエッティ』にしろ、
  舞台をわざわざ日本に置き換えてもどこか違う国の出来事に見えます。
  それは多分、宮崎駿という人が、
  日本というものを好きで好きで嫌いで嫌いでどうしようもないからそんな風になるんでしょう。

マそんな、公開しょっぱなから不遇の気配シャバダバな『思い出のマーニー』ですが、
流石に公開開始翌週の昼間の回の、良い席が余ってることはないだろうと思って
TOHOシネマの座席予約を覗いてみたところ……
あらら。
ガラガラだわ。
すごいいい席いっぱい残ってるわ。
こらアカンわ。
アカンやつや。

殆ど劇場ド真ん中の良い席がぽてちんと残っていたので、
そこを拾って午後からお出かけすることにしました。

ホンマに大丈夫か、ジブリ。


 ▼『思い出のマーニー』感想

デ感想。
面白かったです。ものすごく面白かった。

もらわれっ子で喘息持ちのJC・杏奈が夏の間だけ療養にやってきた道東のド田舎で、
湿地のほとりに建つ謎の洋館に住んでいるらしい謎の金髪美少女マーニーと出会い、
ひと夏のシャバダバをドゥビドゥワする話。

  アちなみに、マーニーの正体は杏奈の亡くなった祖母の、幼少時代の姿です。
  杏奈の祖母・マーニーは、両親からは構われず、
  いけずなお手伝いさんたちにいびられる辛い幼少時代をその洋館ですごします。
  やがて幼なじみの日本人と結ばれ娘をもうけるも、夫が早くに亡くなり、
  折り合いが悪く勝手に結婚して出て行った娘も事故で無くしてしまいます。
  マーニーは孫(=杏奈)を引き取りなんとか育てようとしますが、
  長きにわたる心労でやがて自分も逝去、杏奈は今の養父母に引き取られた……
  というところから、今回のお話は始まってたんですよ、ってハナシ。

杏奈の見るマーニーの夢(?)とウツツが不規則にクロスオーバーする描かれ方をするので、
どーして杏奈がそんな頻繁に夢の世界へダイヴしてしまのうのかとか、
その間の杏奈はどういう状態なのかとか、
物語と表現の整合性みたいなことを言い始めると「よくわからん」し、
明確な意味や「何がどのように起こったのか?」は説明出来ないつくりなのだけど、
主題の描かれ方、謎の明かされ方はとても鮮やかで、
中盤に至るまでの、杏奈とマーニーのふれあいが続く流れでは
もうずーっと、胸がドキドキしてました。

  お陰で、見終わって映画館を出ると、ドッ……と疲れた……。
  ずっと心臓がパクパクいってたんだもの。走ってるのと変わらんよ。
  見ている間に3回鳥肌がたちました。
  最初は、マーニーの登場シーン。
  真ん中はわすれたw
  最後は、マーニーが杏奈の祖母だと分かった瞬間……これは、
  人によってタイミング違ってくるんじゃないだろうか。
  オイサンは嵐のサイロに向かう途中、メガネっ子に呼び止められたところだった。


物語がはらんでいる謎も、その謎をより不可思議に見せるための演出も押しつけがましくなく、
最初から最後まで、見る者のペースでとても興味深く見られる作品でした。
素晴らしかった。

何より、テーマ自体はとても静かに水面下でだけ展開するのが良かった。
説教臭さがほぼゼロ。

自分という小さな存在と、世の中のさまざまなものとの「折り合い」に苦しむ杏奈は、
マーニーと出会うことでちょっとだけ元気を取り戻すのだけど、
マーニーは杏奈に「頑張れ」とも「強くなれ」とも言わず、
杏奈も「頑張ろう」とか「おばあちゃんの気持ちを受け継いで強く生きよう」とか、
殊更考えたりしない。
屋敷で辛い時代を過ごす(そしてその後もつらい人生を過ごすことになる)マーニーと、
クサクサとコミュ障人生を送っていた杏奈が知り合って、
仲良くなって、通じ合ってなんとなくお互いを励みにしてちょっとだけ元気になる、そんだけ、
っていう、それがすごく良かった。
淡々と事実だけが紡がれて共有されていくんですね。
事実の影で芽生えた気持ちとか、だからどうしたっていうメッセージが直截には語られない。
「生きろ」とか、言わないわけです。
うるさくなく面倒くさくなく説教臭くない。押しつけがましくない。

結構自分で考えて解釈しないと伝わってこないので「わかりにくい」んだけど、
それはテーマのお話で、ストーリーラインはすごく素直。
「ストーリーは分かり易く、埋め込まれたテーマはそれなりに」という、
絶妙なバランスになっていたと思う。
説教臭いのは、ジブリ映画の悪いところでしたからね。
米林さん、上手に処理したなあと思います。

  一つフシギだったのは……
  杏奈はこうしてマーニーと出会ったけれど、
  当の幼いマーニーは、屋敷で辛い生活を送っていた時……
  杏奈と出会っていたんだろうか???
  辛い暮らしの中で、杏奈を励みにしていたんだろうか???
  マーニーが一方的に杏奈の前に幻として現れただけなのか、
  それともあの不思議時空は二人に共有のものだったのか。
  後者だったらより面白いなあ、とオイサンは思う。
  それも全く語られないので、見る人の解釈の自由。
  意識してか分からないけど、多分、そういう風にとっておいてあるんだと思う。
  見せようと思えば、久子さん(※)の画の中に杏奈を象徴するものが描かれている、
  など、ほのめかし方はいくらでもあったはずだから。

   ※幼少時代のマーニーのリアル友だち。
    湿原のほとりでマーニーを懐かしみ、洋館の絵を描いているところを杏奈と知り合う。
    彼女の画が洋館から見つかることで、過去と現在が繋がることになるキーマン。
    あ、あと一つステキだなーと思ったのは、
    久子さんみたいな自分のおばあさんの友達とお友だちになれるっていうのは
    なんだかステキだなーと思いました。
    この作品、キービジュアルが出たときから、百合だ百合だと騒がれてましたが、
    オイサンにしてみりゃ、杏奈とマーニーの関係より、
    この杏奈と久子さんの関係の方がよっぽど百合いと思ってみてました。
    ウッフン。( ← ?)

テーマはきっと、「ゆるし」ということだと思います。
悪いことをした誰かや何かを許す、という狭い意味ではなくて、
「受け入れる」「あきらめる」に近い、とても広い意味での「ゆるし」。

自分の弱さ、他人の弱さ、或いは他人の強さも、世の中の理不尽も不公平も、
ひっくるめて「ゆるす」。
そうすることでもっと世界は生きやすくなるよ、っていう、
とても優しい物語だったと思います。

これは多分、怒りの塊のようなものである宮崎駿には描けなかったテーマなんじゃないだろうか。
やつぁきっと「許さねえ!」で終わりますよ。

比較的似た雰囲気を持つお話としての『トトロ』とか『紅の豚』でさえ、
やっぱり彼の場合はガツガツした凶暴さがありましたからね。男くさいというか。
そうそう、男くさい、男の子くさいんだよ、宮崎さんのは。

あと、英国文学が原作のこのお話を、わざわざ日本に舞台を移し、
日本向けのアレンジを加えているにも関わらず……
どーも、何もかもが日本に見えない。
ニッポンという名前の、西洋風ファンタジーに見えて仕方がない。
逆に、宮崎駿が描くと、『トトロ』『もののけ』『千尋』は言わずもがな、
『ハウル』『紅の豚』みたいな作品でさえ、どこか日本めいている。
人物が日本の顔をしているというか。根っこの気分が、日本人くさい。
色の具合とかは同じなんだろうかなあ?
印象に引っ張られているのかもだけど、風景の色味のせいの気もちょっとしたのだけど。

けど、多分、画の感じはジブリとしてはずっと統一したものをもってるのだと思うので
(『猫の恩返し』もやはり日本には見えなかった)、
この日本っぽくない画に日本の魂というか、泥臭さを吹き込んでいたのは、
きっと宮崎監督独特の気質なのだろうなあ、と思う。
テンポとか、縁起とか、登場する事物たちの振る舞いとか。

本作は、上でもちょっと書いたみたいに、
原作はえげれすの児童文学作品から借りてきているらしいけど。
これを原作を借りてこず、フルスクラッチの日本作品として『トトロ』を削り出せてしまう、
宮崎駿という男は、やはり破格の創造者だったんだなあとつくづく思う。

今後は、絵描きとしての筆頭は米林さんでいいと思うけど、
そういう創造者、イメージメーカーとしての宮崎さんを凌ぐパワーの持ち主が、
新しいジブリに合流してくれればいいのになあと思うオイサンです。

そうなると、また……米林さんの良さは消えて、
怒りの作品群になっていってしまうのかもしれないけど。


  ▼生き残ってくれジブリ。

しかしまあ……ジブリかあ。
昨年、ジブリ周り、鈴木敏夫プロデューサー周りの書籍を結構読んで、
こんな人たちだったのか、
こんなむちゃくちゃな組織だったのかと驚きながらも
あそこまでのものを作るには、このくらいの無茶苦茶でフレキシブルな体制じゃないとダメなのかも知れないなあと
納得したりしてたんだけど。

逆に、ここまで無茶苦茶が出来る組織体制で、
無茶苦茶が許される社会的な地位を得ていても(「ジブリだから、宮崎だから仕方がない」みたいな)、
宮崎駿や高畑勲の全力は出せないんだ!? と愕然とした。
ここまでやっても、彼らには縛りが課せられる。
なんてこった。

だからこう……せめて、無茶な環境ならば化け物みたいな力を発揮できる人間の受け皿として、
ジブリには存続していてもらいたいなあと思うんですけども。
日本アニメーションの未来と芸術のために。
いると思うんですよねえ、そういう人。
無茶な環境でないと馬力の出せない、社会性は欠落してるけど能力のある人間。

……けどそれは、組織の力ではなくて、
どちらかといえば鈴木敏夫個人の資質なのだろう。

あとは、ジブリが残っていればいい、鈴木敏夫がいればいいっていう話でなくて、
日本の社会とか、文化とか、国民性の問題で。
そういう規格外の人間の活躍の場を、如何に許容するかということになるように思う。
今の世の中は、先ず第一に組織や規格にはまれることが存在が許されるための第一関門であって、
如何にすごいパワーを持っていてもそれが出来ないとなにも許されない、
型にハマりながら型破りの力を出しなさいっていう
イカした禅問答に答えられる人が残ってる、みたいなところがある気がする。

  まあ、いよいよ、そういう人でも自己プロデュース能力さえあれば
  個人でなんとかできる時代がきてるとは思うけど。
  それも持ってる人ってのはまたまれだと思いますしね。

……けど、まあ、社会性に欠けてるパワーキャラは、
きっと昔から淘汰はされてきたのでしょう。
ときおり、やっぱり鈴木敏夫みたいなプロデュース気質を持った人とか、
王様みたいなパトロンにに見いだされ気に入られた者だけがたまたま生き残ってきた、
みたいなところがあるんだろう。

それが、知恵を駆使してどうにか組織の体でコーティングして、
だましだまし30年も生き残ってきたのがジブリという組織の正体なのかも知れぬ。
鈴木さんみたいな無茶な手腕の持ち主が、まだ無茶の利く時代に生まれて全盛期を過ごし、
年をとっても顔を利かせてどうにかこうにかアチコチ調整つけて。



……マそんなことで。



とても優しく、興味深く見られる動画だったので……
オイサンは、このままジブリが終わって欲しくない、終わらせるのは惜しい、
もう何作か、宮崎駿のいないジブリ作品を見たいなあと思わせる、
それだけの力を秘めた作品だったと思います、
『思い出のマーニー』。

マーニーと二人で出かけた嵐のサイロに杏奈だけが取り残され、
さすがに怒ってしまった杏奈が問い詰めに屋敷へ向かうシーンの、
屋敷の全景が捉えられたカットのスピード感と、
そのシーンの主要人物であるはずなのにほんの小さくだけ描かれた窓辺に立つマーニーの姿。
あのカットは、宮崎カントクではちょっと見た覚えのないカットだった。

  ……マ『もののけ姫』からあとは、そんなに真面目に見たわけじゃないから
  見落としてるだけかもだけど。

これから先の新生ジブリの片鱗を、色々と見せてくれたと思う。
すごい良いと思うんだけどなあ。
確かに「宮崎アニメ」ではなかった、けれど「ジブリ」だった。
それって、エエことやと思うんですけどね。

Biwase
『マーニー』では釧路・厚岸・根室でロケハンが行われたらしいですが、
写真はオイサンが訪れた、霧多布湿原の琵琶瀬展望台からの眺め。(2007年)



オイサンでした。


 

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