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2014年3月23日 (日)

■輝きの車窓から!!~劇場版『THE IDOLM@STER』の感想……であって感想でない、あるオールドゲーマーの『アイマス』語り -更新第913回-

 
前回の『モーレツ宇宙海賊』に続き、2週連続で映画館に足を運ぶことになった。
劇場版『アイドルマスター』を見るために。

『モーレツ宇宙海賊』よりも全然お客入ってました。ほぼ満席?
金曜日に座席予約をしようとしたところ
目当ての劇場では土曜の上映が夜の部しか見当たらず、
もう少し早い時間の部がないか他の劇場も探してみたのだが
その時点で既に、色んな劇場でそこそこ以上のシートは埋まった状態だった。
公開開始からもう結構経ってると思うんだけど、さすがの人気ぶりです。

  ちなみに早い時間の上映がある劇場もあるにはあったのだけど、
  場所が微妙に遠かったので結局パス。

肝心の中身は……
マ良くも悪くもアニメの『アイドルマスター』だったなあ、というのが率直なところ。






■『アイドルマスター』を語るために必要なこと



先ずはざっくりと……面白かったか、そうでなかったかの感想。

そもそもTVシリーズの頃からアニメ『アイマス』が描くストーリーらしいストーリーは
特に面白いとは思わず、普通か、それ以下の楽しみしか見出していなかった。
劇場版も、基本センとしてはそこをはずさなかった。

  シンプルで熱血。寄りみち、ケレン味、ほぼ無し。

それが悪いというわけではなくて、
そうなるのには『アイマス』なりの理由があると思っているし、
決してダメなものではないので、
ここでは「『アイマス』らしさを保った、ブレのない内容だった」としたい。
らしさを守り、その中でのクオリティは保っていた。
「原作のファンにオススメ!」というやつでしょうか。
それを踏まえた上で個人的な感想を付け加えるなら、特に新鮮味・面白味を感じられるものではなかった、
と書いておく。

そもそもオイサンは『アイドルマスター』という「ワールド(作品世界)」に愛着や思い入れがない。
作品やコンテンツに思い入れがないわけではない。

  「器には思い入れがあって、中身には思い入れがない」、
  或いは
  「料理には思い入れがないが、店や料理人には思い入れがある」
  と思っていただければ良い。

ゲームをロクにやっていないので、
ヒロインたちのパーソナリティの深いところはよく知らないし、
ともに戦い、成長し、汗を流したわけでもないから、
たとえばアーケード時代から苦楽をともにしてきたPのみなさんとは全く目線が異なってしまうし、
MAD全盛時代の熱を知っているわけでもない。

  よーするに、
  「ああ、俺の娘たちが頑張っている! 大きくなっている!」というだけで泣けたり喜んだり、
  ハラハラ出来たりしないということで、
  それがないのはワリと、この作品にとっては致命的だと思われる。

ではどうして、劇場に足を運ぶほど『アイマス』を「観る」のか? と問われたら
その動機は(オイサンにしては珍しく)ハッキリしている。

憧れと羨望、そして悔恨に他ならない。

『アイドルマスター』はオイサンにとって(事実はどうあれ)、
「あの」(どの?)ナムコが作った育成(恋愛)シミュレーションであって、
(やはり事実上はどうあれ)「ナムコが」「ナムコとして」送り出した最後のビデオゲームであって、
そしてそのムーブメントに自分が乗り遅れた、乗りそびれたということが、
遠巻きから指をくわえてでも『アイドルマスター』を眺め続けることをやめられない、
恐らくはこの先もそうし続けるであろう理由だ。

「未練」と呼ぶのが一番しっくりくるのかもしれない。

仲間に入れて欲しい、
「いーれーてー」と喉まで出かかっているのに言えない。
そんなところに「ナムコの」『アイドルイマスター』はある。

今回の映画でもそうだった。

大トリのクライマックス、765プロの面々と候補生6人が歌い上げる『M@STER PIECE』のライブシーンを見、
先日のさいたまスーパーアリーナでのライブに思いを馳せた。
それが開催されることを当日まで知らず、
全国から猛者たちが、ぞくぞくと埼玉入りしている様子を、Twitterで何となく眺めていた。
その場に参加していた彼らには、同じ劇場版を見てももっとより強くたくさんの思い出や
彼女たちと過ごした濃密な時間が感じられるのだろう。

  実際、どうやらそのシーンの客席の歓声なんかは、
  横浜だかでやった、以前のライブで拾ったものを使っていたらしい。

そこに自分はいない。
だからと言って、そこにいない自分を強く悔いて血の涙を流したり、
歯ぎしりをしたり、くやしさに打ち震えたり……そんなことはないのだけれども、
こころにうっすら、弱い毒を含んだ靄のかかったように、
胃もたれの様な違和感がときどきのしかかってくる。
ことは「未練」なのだから、そういうものだ。
強い動機は含まない。

  ちなみに、その前に『ラブライブ』が似たようなライブをやってたらしいが
  そっちには特段何も感じなかったことを追記しておく。

 ▼ナムコという存在に惹かれて

また、さっきからナムコナムコ言ってるが、ではナムコという会社に格別の思い入れがあるのかと言われれば
それも実はそうではない。
刷り込みの様なもので、
なんとなくすげえ、
なんとなく職人肌の、
なんとなく商売下手で、けどそこがカッコイイ、世界の著名ゲーム人たちも憧れるゲーム会社の始祖の巨人。
そんなイメージがあるだけだ。

多分実際にお世話になっている度合いでは
オールタイムトータルでいったらKONAMIさんの方が上だろうし、
なんならケムコさんの方が上かも知れない。ワリとマジで。

  一時期……小学校高学年~中学時代くらいは、ちょーケムコシンパだったんすよ。
  『インドラの光』に始まって、『砂漠の狐』『真田十勇士』『スパイvsスパイ』とか。
  まあメジャーどころばかりで本数も大したことはありませんけど、子どもの財力ですから。
  『ファミコンウォーズ』と『砂漠の狐』が並んで売られてるところで
  『砂漠の狐』を選ぶ小学生ですよ(中学生だったかな)?
  もうそれで充分だろ!

  ▼ケムコ 砂漠の狐
   
   どうだーい、くそ地味だろーう?

  ちなみに『真田十勇士』は同時期発売の『里見八犬伝』とよく並べて売られていたのをよく覚えている。
  『ホワイトライオン伝説』はいまでもやりたいです。
  『悪魔の招待状』のシリーズは「怖いから買っちゃだめだ!」という兄の強い反対に遭って買わせてもらえなかった。
  そんなビビることかよ。
  閑話休題。

  ▼真田十勇士
  

ナムコの話だっての。ケムコの話で盛り上がるな<俺
ただ、「アミューズメント」といえば「ナムコ」だったのだ。
TV版『アイマス』の初代OP「READY!」を初めて聞いた時、
サビに「エンタテインメント」という言葉が出てきたのを聴き、
「2番のここの歌詞は確実に『アミューズメント』だな」と妄想をたくましくしていたところ、
後日フルで聴いた時本当にそうで、このときばかりはちょっとシビれた。

何の話をしてるかわからなくなったけど、とどのつまり、
ファミコン前夜からゲーム好きのオイサン(生粋の御仁からしたら全然ニワカのレベルだが)からすれば
ナムコといえば自分に血肉を与えてくれた魂の親の一人で、
そのナムコがナムコで無くなる最後の時(今だって中の人たちは「ナムコはナムコだよ!」って言うに違いないけど)に送り出した忘れ形見、
それが『アイドルマスター』だった、っていうくらいの認識でおる。

しかもそれが……『リッジレーサー』や『エースコンバット』、
『ドルアーガ』や『パックマン』でなく、
ナムコらしくない恋愛育成ギャルゲー! ……の皮をかぶった、
何とも無骨でナムコらしい対戦ゲームだったということがまた、
その存在感をオイサンの中で特別なものにしているのだった。



……皆さん、お気付きだろうか?
ここまで映画の感想らしい感想がなかったことに。



どーしてここまで「個人的な思い入れの話」をしたのかといえば、
『アイドルマスター』という作品に限っては、
深くコミットした人間でないと何が正であるのかということが言えないと思うからだ。


俺たちの『劇場版 アイドルマスター』の感想はここからだ!


……といっても、冒頭でちょっとだけ書いた
「アニメの『アイマス』らしさからブレのないもので、個人的には物足りなかった」
というのでほぼ全部だ。

この映画を支える物は、まっすぐな思いが支えるまっすぐな物語で、捻りもてらいも寄り道もない。
あとから思うと
「何でこの話で2時間越えるんだ?? 『モーレツ宇宙海賊』より20分増しだと???」
と思うくらいの内容だった。
テレビ版でやれと言われたら、多分2回で終わらせる内容だ。

  繰り返すけど、それがダメなんじゃなくて、
  それがアニメ『アイマス』の持ち味で、オイサンはそれが物足らないというだけだ。

出番はほとんど、春香に伊織、律子とP、あとギリギリ千早と美樹に限られる。
他の765プロのメンツはほぼ何もしていないという驚異的な事実。
伊織が、すごいいい味を出していたのが印象的だった。
千早・美樹に至っては、すでに春香をブッ千切れる強烈なポジションを獲得しているので
今作では「おまえらはちょっと黙ってなさい」と一線から除けられる位置に下げられ
(というか彼女たちは今回のテーマとは別なベクトルを背負っているのでおおっぴらに前には出られない)、
そーなるとまともに弁の立つ(コトが許される)キャラが伊織しかいなかったから
イキオイ伊織がすごく前に出てきて活躍していた。
雪歩、アミマミ、響に貴音、あずさ、真、やよいは……
本当に何もしなかったな!
一応それぞれがキャラクターを発揮する場面は用意されていたけれども、
物語をドライブさせることとほぼ無関係だった。
それについてはあまり誉められた作りではないと思う。

  序盤で出てきて牡蠣喰って終わった貴音さんとかもう
  ブレがなさ過ぎて却って漢気を感じさせたり、
  気まずい空気のところに介さず入ってくる、
  「空気読まないキャラだから出来ること」が一番の見せ場だったあずささんとか
  ワリと不憫です。
  (個別のファンに向かって)キミたちゃこれで満足なんかね。

いくつかのサブになる事件があって、
それぞれ、持ち前のキャラクターでクリアしていく場面があっても……
まあ人数多いから難しいかもだけど……良かったのではないかな。
ほぼ全部、伊織にやらせてしまったことがちょっと残念。
それもまあ、外様であるオイサンの勝手な言い分でしかないんだけども。

  ていうか、原作の深いエピソードを知ってるわけじゃないので
  何か使えるものが転がっているのかもよく知らないんだけど。
  この辺がニワカの辛いところだ。

今回は、思い切って他の面々は取っ払ってしまい、
春香さんがソロで活動したときのエピソードっていう扱いにしてしまうくらいでも、
目先がちょっと変わって良かったんではないか……くらいにまで思う。

マ765プロあって、メンバーあっての春香さんですし、
今回は春香さんを真ん中に据えた「765プロのお話」でもあるから
(そこへ思いを束ねられているように見せるために、
あんまり意味の無かったPの留学研修なんてものでワリと無理に軸を通している)
周りを無くしてしまうとそれはそれで話にならんのだけど。

 そういう意味で、ラストのキメぜりふは、
 「私は、天海春香だから」ではなく、
 「私は天海春香で、ここは765プロだから」とか 
 「私は、765プロの天海春香だから」くらい言っても良かったんじゃないかと思う。
 そこまで背負わせての「私は、天海春香だから」だったのだということは理解しているつもり。

 ▼メインテーマ

メインの話もすこし食い足りなさがあった。

全員の成長、765プロの前進が一つの見所で、それは存分に感じられたけども
(しかしそれをやってしまったらPが要らなくなってくるわけで
プレイヤー・視聴者は困ったことになると思うんだけどそれはまた違うお話)、
もう一つのテーマだった、
なぜあの太ってしまった候補生の子……カナちゃんでしたっけ……が、物語上「勝った」のか、
彼女の持っている物が天海春香につながり、
春香の持っているチカラを肯定することこそを、もう少ししっかり見せる必要を感じた。

  それが今回の、天海春香の、
  すなわち765プロの「アイドルとは」というところを見せる仕掛けだったはずだと思うからだ。

あの太ってしまった候補生の子は
憧れと思いこみだけでアイドルになろうとしてしまった子で、
その思いと行動は春香に直結する。
イマドキの世の中、生きていくためには黒髪の子の言ってることの方がより「客観的」で
「論理的」で「一般的」で「常識的」であり、根拠に富んで説得力がある。
それは「職業・アイドル」としてのやりかただ。

……んだけれども、そんなもん吹っ飛ばしてもやれるのが「アイドル」だよ!
っていうのが春香のアイドル像だったわけで、その「正しさ」を、
太子(いま命名)が「その気持ちだけでもってなぜやっていけるのか」
「その何が優れていたのか」を、
理屈でなく、映像で見せることが出来ていたらもっといい物になっていたと思う。

誰よりもついつい一歩前に出てしまうだとか、
誰よりも少しだけ声が届くだとか、
少しだけよくファンの顔を見ている、だとか。
それを拙い気持ちが(巡り巡って具体的な力となって)支えている彼女は、
天海春香のあとに続く、同じDNA……とまでは行かずとも、同じタンパク質のパーツを持つ者であることが、
言葉でなく、映像で、もう少し強く描かれていて欲しかった。

もっともっと、夢を見ることによって強くたくましく、図々しくなれる、
けれどそのエゴがアイドルのアイドルたる武器である(少なくとも765プロという場においての)
ことを見せてくれたら良かった。

個人的には、もう一つ密かに引かれていたセンである、
今回の悪役を買って出た黒髪の候補生の子と伊織の関係の方が、
先々と良い関係を築いて残しそうそうで、世界が広がっていきそうなところに魅力を感じた。
彼女はのちのちも伊織に相談を持ち掛けたりするんじゃないだろうか。

実際のところは黒髪の子も悪役ではなくて、あり方の一つでしかないので、
彼女も肯定される必要があった。
それをするのは今作の図式の中では伊織であったはずだ。
そういうフォローはなかったなー。
そういうものがワリカシきちんと描かれていたので、
オイサン的には『サマーウォーズ』はより愛しかった。

 ▼象徴としての『M@STER PIECE』と、「アイドル」に託す魔法少女たちの夢

あと、主題歌(?)の『M@STER PIECE』は買った。
なんだかやけに耳に残る曲だったので。

 


けどこれは、単純に「いい曲」「良い歌」ではないように感じた。
計算しつくされて作られた、感動を呼ぶために巧みにデザインされた歌、
技術の申し子であって、魂が魂にダイレクトに訴えかける歌ではないのだと聴いていて思った。
もちろん、その「技術」は魂によって得られたものかもしれないけど。

どこでそのことを見分けるのかというと……
単純に、聞きながら「あ、ここ泣かせるためのメロディを挿入してきてる」と、
分かってしまうところだ。
いい曲だが、聞いていてネタが冷静に見えてしまう。
これはこれで、技術的に誰にでも狙って出来ることではないと思うが、
どこかに手クセのようなものの気配をぬぐい去ることが出来ない。
「なんだか分かんねえけど涙が止まらねえ!」
という類でない、どこか冷静に聴けてしまう、そんな曲だと感じる。

誤解のないように申し上げておきますけど、好きです、この歌。
ヘビロテする類でなく、大事にとっておいて、ここぞというときにだけ聴きたい。
聞き過ぎることを抑制するためにポータブルプレイヤーに入れることを自ら禁じたいほどである。
そうと分かっていながらも完全にやられてしまう歌でもある。
泣かないわけじゃない。聞く度、毎回涙ぐむ。
作中でこの歌が流れるときのライブシーンの映像をほとんど鮮明には憶えていないのだけども、
この曲を聴けば、彼女らが歌い、弾み、ステップを踏む映像が、
劇中の映像とは無関係に生成されて浮かんでくる。

この曲は象徴的だ。
超性善的な位置に「アイドル」を位置づけ、
「すべてを乗り越え、キラキラの無邪気が最高で最強! なぜなら、それがアイドルだから!」
という、天海春香を筆頭においた765プロの面々の歌だ。

  実際、思うところはヒロインごとに違うのだろうし、作り手の思いがどこにあるのか分からないけれども、
  少なくとも、TV版『アイドルマスター』の物語と、今回の劇場版『アイドルマスター』を見た上での理解は
  そういうものに落ち着いた。

  ……もちろん、映画の主人公が春香ではなく他の所属アイドルになっていたら、
  新しい一面や新しい765プロの姿が見えたに違いないのだが、
  主役に春香をおいた時点で話はこういう姿にならざるを得ず、
  それを選んだことは上記のような解釈を是とするものだと考える。

これほどまっすぐに、捻りも衒いもなく「夢」を謳えるのが『アイドルマスター』の強みであって、
それを許しているのは他ならず、『アイドルマスター』がビデオゲーム出身、
すなわち体感的メディア出身であるからだ。

彼女らとともに苦しみ、笑い、泣いてきた時間があるから、
かつてプレイヤーであった視聴者Pたちは『アイドルマスター』と地続きの空間にいる限り、
愛や夢や勇気が絵空事でないことを知っている。
知っている者には伝わるから、まっすぐに歌っても嘘くさくならない。
アイドルでありつづけるために悲しみが伴わないわけではなく、
悲しみを「ものともしない」姿はやっぱりウソなんだけど、

それがどーした!!

っていう何物をも寄せ付けない強さは、そういう下らない勘繰りを跳ねのけて尚眩しい。
『WUG』がやろうとしている「アイドルの生身の人間面」というのはまた
一つの真理面ではある
(非体験型物語の、現実をトレースして生まれたものからはそうとしか語れない)が、
「人間だけど、それより"もっと"アイドルだよ!」
というのが『アイマス』の……というか、765プロの面々の言い分であるように思う。

それを可能にしたのが、やはり「ゲーム屋としてのナムコ」だったことに……
オイサンは感動を禁じ得ないのだった。
謳われている夢の姿や、夢を謳うことそれ自体には感動はしないのだけど、
「『アイドルイマスター』になら夢が歌える」ことには、やっぱり感動してしまう。

だから主役は春香で良いし、この物語で「正しい」ことを確信する。
如何せん、オイサンがそこにいられなかっただけだ。

近年の「魔女っ子」は、ワリとグーパンチで殴り合う存在になってしまったけども、
愛と夢と希望を振りまくのは彼女たちアイドルの仕事になっていて、
765プロの面々は、現代の魔女っ子なのかもしれんなあ、などと思ったりもした。

  これがまた「魔法少女」って呼ぶと絶望に堕ちる人たちになってしまうからややこしいけど。

ただ、それが作り手の独りよがりになってしまってはよろしくなく、
『アイマス』のPたちが力強く頷けるものになっていないと意味がないワケで、
ロクにPとして活動をしていないオイサンにはそのヘンの呼吸というか、共通認識というか、
Pたる方々が彼女らに何を見るのか、何を求めるのか、ということを知りたかった。
どこまで行ってもオイサンは蚊帳の外から見ることしか出来ない話なので。

『アイドルマスター』も、
アーケード時代からの人、コンシューマに来てからの『1』『2』の人、
携帯ゲーム機になってからの人、
そしてソシャゲになってからの人と、
世代で見ているものがもう全然違っているだろうから、
ひとくくりにすることは難しいだろう。

だからその誰もが出力88%くらいで納得できるであろう、
こういうGeneralな『アイドルマスター』のラインを守ることがベストな選択だったのだろう。
エッジの利いたやつを見たいと外側の人間としては思うわけだけども、
それ言い出すとまた某『KissKiss恋してるサックスアニメ』みたいになりかねない。
大外の人はそこそこは見られると言うけど
生粋のファンからはなかったことにされてしまうような
生まれてこなければよかった奇妙な果実になりかねないので……
ねえ。
難しいところだと思います。
冒険できないのは惜しい気がしますが。


  ついでに言うと……成長して大人になっていき、
  へたすりゃ自分でシゴトとってきちゃいそうになっていく765プロの面々を見て、
  アーケード時代からの生粋のPのみなさんはどんな風に思うんだろうなー、
  ということに興味がわいたりする。



■Closing~輝きの車窓から。手や顔を出さないでください。



マそんなことで。
色々と、ああだったらいいな、こうだったら面白かったのにな、ということを書いてきたわけですが、
それも私が大外にいることを自覚しているから言えることであって。
それを取っ払って考えたとき、この映画はおそらく、ベストな出来であるはずだ。

オイサンは行けない。彼女たちと一緒に、輝きの向こう側へは、決して。
たとえオイサンが輝きの向こう側へたどり着く日が来たとしても、
それは彼女たちとは違う輝きの向こう側のはずだという確信が、このオッサンにはある。

『アイドルマスター』は、オイサンにとって、掌からこぼれた至上の宝石だ。
そうでなければならない。そうであってほしい。
そうであることを現実にするために、オイサンは羨望のまなざしで、決してその世界に参加せず、
指をくわえて遠巻きに見守り続ける。
そのきらめきは、輝きの向こう側へと過ぎ去ってなお眩しすぎる。
そのことを、今回の劇場版はより鮮明な輪郭をともなって教えてくれたと思う。
見に行って良かった。

さようなら『アイドルマスター』。

これからも、どうぞよろしく。

オイサンでした。



 P.S
  2週立て続けの映画館通いで、映画見るのがまたちょっと楽しくなってきてしまった。
  前は映画館、2時間じっと見てるのが結構得意ではなかったんだけど、
  やっぱりこう……環境がいいですね。
  2時間、強制的に集中できるのがいいわ。
  ただ、映画館で見るんだったらときどきアニメじゃない作品もはさまないと、
  なんか感覚がおかしくなりそうだ。


▼READY!

やっぱこれが一番好きだなー。
これを見たときは、もう少し近くまで行けるかと思ったんだけど、やっぱり無理だったなー。

 



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コメント

■JKPさん

毎度おおきに。オイサンです。
いや、そこでやめないでご意見を下さいましなw
ていうか見にいかはったん?
何度か誘おうと思ったんですけども、あまり良いタイミングが見つからず。

また映画見に行きましょうな。
んでわ。

投稿: オイサン@ikas2nd | 2014年3月30日 (日) 22時15分

アイマスと聞いて飛んできましたよ。
でも、じゃあ何を語るかを整理しようと冷静に振り返ったら、野球観戦の時と同じことをしてしまいそうな気がしたので、やめておきますよ(笑)
まあ、あれです。
アイマスは「kisskiss恋しているサックスアニメ」に勝るとも劣らない「SOS千早が巨乳になりましたロボットアニメ」をやっていますのでね。
色々思うところがあるんじゃないでしょうか(笑)

投稿: JKP | 2014年3月24日 (月) 00時36分

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