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2014年3月 8日 (土)

■春、はらはらと。 -更新第911回の2-

 
つづき。


▲二の段 麺類は衰退しました。


衰退していくものの持ってる独特の雰囲気って……ええやん。
オイサンです。
そういうの好きです。

廃墟みたいな枯れきったものも悪くないけど、
出力が30%を切るか切らないかくらいの、
つかもうとするとその感触のもろさに思わずあっごめんと手をひっこめてしまいそうになるような、
それでも最初に手を出してしまう程度に生命を残している物がいい。

先日、
大部分が閉鎖され、今はもう使われていないであろうたくさんのパイプが
天井を這っているとある工場の中を歩いていて、ふっと思った。

ある時期にはそれなりに栄華を誇ったはずの工場で、
その只中にあっては誰もまさか今みたいに衰退した様子を思い浮かべることなんてなかったに違いないなあ、と思う。

別にそれは、そこに限った話ではなくて、
今のゲーム業界だってそうだし、SONYやらSHARPやら、
AppleだってGoogleだって、きっといずれそういう風になっていくのだろう。

  オイサンが大学生の頃は、日本のテレビゲーム産業(特にコンシューマ)は、
  きっとずっとこのまま明るく華々しい道を歩き続けるのだろうと
  思ってやまなかったですからね。
  まあアホなゲームオタク大学生が、考えるでもなく思うことですから
  何の根拠もない希望的観測でしかないワケだけども、
  たとえそれが経済のアナリストだったり
  会社を経営している経営者本人であったにしても、
  どれだけ危機感を持って、未来に備えているつもりでも、
  「おとろえる」ということから逃れることは出来ないんだと、なんとなく思う。
  「世の中には絶対はない、あるとすれば絶対ということがないことだけが絶対だ」
  というけど、何者であってもその「さみしいおとろえ」から逃れられるものがいないことも、
  不変の掟であるように思う。

『人類は衰退しました』にはそのさみしさが感じられなかったので惹かれることがなかったけど、
ちゃんと読み、ちゃんと見れば感じることもできるんだろうかな。
ちょっとまた改めたチャレンジしてみたくなってきた。

おとろえゆくものが持つ穏やかさが好きです。

『ヨコハマ買い出し紀行』もおとろえゆく世界でのお話ではあるんだけど、
あくまでも「おとろえゆく世界『での』お話」であって、
「おとろえゆく世界『の』お話」ではないので、
「おとろえゆく感」とか、「既におとろえている感」が、
「おとろえる以前のヨコハマ」をある程度知る・知ろうとする人間でないと
上手く伝わらないんではないかな、という感触を持っている。

『猿の惑星』みたいに、
現在とおとろえ後の世界のものすごく大きいギャップをガツン!!と感じて
うわーっ! ってなっておしまいならいいんだけども、
「おとろえる」ということの、あるやなしやのなだらかな傾斜を上手く捉える・捉えさせるのは
なかなか簡単ではないのだろう。

つづく。
 
 
 


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