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2013年6月の3件の記事

2013年6月16日 (日)

■時間と恋をするまち~仙川・『GJ部』編~ -更新第870回-

ちらっとオシゴト方面に忙しミが増してきてしまいました。
オイサンです。

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マ今のご時世、ありがたいお話なのかもしれませんけどね。

そんな都合なので金曜日も帰りが遅く、週末早起きが出来なくなってしまいました。
もったいない。

  あと最近、妙に腰が痛いんだよなあ……腹筋の仕方が悪いんだろうか。
  走っても、そんなバカみたいな距離走ったわけではないのにすぐに足に疲れが来てしまって……
  年齢、なんですかね。
  なんだかんだ言ってもう38ですもんねえ。
  ビックリするわ。
  オイサンが38歳って。
  おっさんか。

まオッサンの嘆きはそれとして。
そんなことで、土曜日、早起きの出来なかったオイサンは、
梅雨らしくなく天気も良かったので、前々からちょっと気になっていた仙川の方へ行ってみました。

ナゼ仙川かというと……『GJ部』の舞台が仙川だったからですね。
思いっきり駅名も出てましたし。
まあ舞台が、というよりも背景に使われていた、というくらいに止めておくのが正解のような気もしますが。
最近は、妙に面白い『ゆゆ式』に出てきた彼女らの最寄り駅がどこなのか気になっています。
「小田急っぽい」「京王っぽい」などと言われていますが、
まあどこなんでしょうね。
JRっぽくはないなあ、とは思います。

  あと帰りに気付いたんですけども、『はたらく魔王さま』の舞台の笹塚も、
  ワリとあの近所だった様で? ちゃんと調べてませんが。
  ついでに寄ってこられるようなプランにすれば良かった……かな?
  マ思いつきで行ったんでしょうがない。
  それに二箇所いっぺんは、ひと所の印象が薄まるので好ましくはないか。
  そう遠い場所じゃないんだし、また行きゃあいいや。

「特に計画らしい計画を今から立てられるわけでもなし、
 そう遠くないあの辺にでも行ってみるか」
くらいのノリです。

……しかし、関東に出てきてそろそろ15年になろうというのに、
相変わらず土地勘が全くないな。
有名な地名からでも、大体どの辺と当たりをつけることが概ね出来ない。
未だに仮住まいの気持ちでしかいないからなんだろうなあ。
まあそんなオイサンにとって、こういう遠征お散歩は
土地勘をつける意味でもなかなか有用ではあるワケです。
多分。
行ってみないと分からないこともたくさんありますしね。
以前ぶらついてみた池袋付近も、あんなに人が住んでるなんて思わなかったもんなあ。



■Prologue



遅い朝ごはんを食べ終えて一旦町田により、ヨドバシでヘッドホンをいくつか視聴。
以前買ったやつは……どっかに置き忘れてきたっぽいorz
一応心当たりはあちこち当たったのだけど、……結局出てこなかった。
ウーム。
あの、藤沢の喫茶店に忘れたと思うんだがなあ。
謎である。
あんなデカいモンどうやってなくすんだか。
凹む。

まあそんなんで、捜索と届け出にもひと月あまりお返事がないので諦めて、
次を探すことにいたします。
さすがに、代用の980円のイヤホンでは寂しい。

デ今回は、前回のヘッドホンを使っていて苦痛だった
「耳の中に空気がぎゅっと詰まった感じがあって、長時間聴いていると非常にしんどい」
という点をどうにか解消できないか、に着眼して機種を選んでみようと思います。

ヘッドホンは、耳にギュッと空気が詰まって動かない密閉感がどうも苦手で長時間聴くことが出来ず、
もうやめようかなあと思っていたところどうやら「密閉型」と「オープンエア型」というのがある様で、
色々試すうち、後者ならそんなに草臥れることもなく聞くことが出来るっぽい、ということが分かってきた。
ナルヘソ。
しかし開放型というだけあって遮音性は高くなく、戸外で使うにはボリュームに相当気を使わないとダメっぽい。
まあそのヘンはしゃあねえですな。
オイサン、そもそもそんなデカい音で聴きませんし、気をつければどうにかなるんではなかろうか。
どうにもやばそうだっていうなら断念する。

  大体目安で言うと、ウォークマンのボリュームで10までくらいしか使いません。
  それ以上で聴いてるとつらくなってくる傾向にある。
  マ録音ボリュームが関係するんで一概にそれでどのくらいとは言えませんけども、
  まあ普通で考えてそう大きな方ではないと思います。多分。

この時点で候補は3つあって
ヤマハのHPH200 
ゼンハイザーのHD239 
あとAKGの……なんかぼやっとした色の丸っこいやつ(らんぼう)。
K420BLUかな?
あと、パパさんからもう一個、ゼンハイザーのPX100/200というのを勧めてもらったので
それも候補に。

本命はヤマハのヤツ。
理由は、the pillowsの『トーキョーバンビ』を聴いたとき、
2番の冒頭から入ってくる高音のギターが一番きれいに聴こえたから。
まオイサンの耳なんていい加減なモンなんで、
それが正しい選考基準かどうかなんてわかりゃしませんけれども。



……と、いうのが実は先週までの話で、
結局今週、ヤマハのを買ってしまいました。

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使い込むのはまあこれからですが、
二日ばかり使ってみた感じでは以前ほどのしんどさはやはり感じないので、
まあ、まあ、仲良くやっていければな、と思います。




■喜多見~仙川



などとヨドバシでうらうらしていたら思いのほか時間を食ってしまった。
お昼ゴハンは仙川で食べようと何軒か気になるお店をピックアップしてきたのに、
喜多見に降りた時点で時間は13時半。
チョイ小腹が空いてきてしまった……。

  あ、今回のプランでは、小田急の喜多見駅から仙川駅前まで、トコトコ歩く感じです。
  電車で行くとなると、案外面倒なんですよね……。
  下北沢で降りて京王に乗り換えて、明大前でまた乗り換えて、みたいになる……
  ということに、帰りは電車で帰ったのでその時に気付いた。

喜多見の見つかりにくい箱根そばでサッパリと軽く冷やしおろしそばをいただいて歩き出します。
天気はいいし、風もさわやかだし。
ホントに6月?

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……正直、もうちょっと近いと思ってました。喜多見から仙川。
意外と遠かった。歩けないことは全然ないけど。
8kmくらいでしょうか。

  ……と思って今測ってみたんだけど。
  4㎞弱? ばかな……。全然近いじゃないか……。
  なんであんなに時間かかったんだ? 気のせい?
  一時間強かかっとるなあ。(twitetrのログを見ながら)
  寄り道も何にもしてないんだけど。

喜多見の駅近く、小田急線に直交するように小さな川が流れていて、
それに沿ってしばらく歩くのだけども、
緑地公園みたいな細長い園地が川に沿って設けられている。
地図で見た感じそこは平地なんだろうなと思っていたのですが、
平地は平地でもただの平地ではなく、なんと地上から10mくらい?
3階建ての建物くらいの高さの、その屋上に園地の設けられているような構造で、
高さがあって気持ちがいい。

どういう目的があってワザワザこんな構造にしたのか分かりませんけども、
いや、なかなか気持ちのいい場所です。
川はそこから見下ろせたりして。
面白い。

  あと、初めて歩いたけど、喜多見近辺はとても閑静で、
  駅前を外れると風と葉擦れの音くらいしか聞こえませんでした。
  意外。
  高そうな家がいっぱいでしたし、お高いんでしょうねあの辺。

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しばらく川に沿って……北西方向ですかね、遡上し、
あとはちょっと住宅と山に入っていく感じで途中から真北に向かって川からは逸れていきます。

……結構な田舎なんですね。
そこそこの広さの里山があったり、田畑があったりなんかして。
田舎田舎。
山の入り口に学校があったりなんかして。
野球部さんが練習試合をしておいででした。
ガンバレー。

  朝ウォーキングしたとき(この日は明け方に盛大に足がツって走れなかった)も、
  町田の傍を歩いた時も、
  近辺の中学校が練習試合やってたんだけど流行ってんの?(←そういうもんでもないだろ)



■足がツった



そうそう思い出した。
この日の明け方……5時か4時か、ものすごい勢いで足がツったのでした。
いやあたまげた。
右足ですよ。
黄金の。
多分もう二度とピッチには立てない。立ったことないけど。
マウンドにも立てない。立ったことないけど。

なんなんでしょうねアレ。
死にやしないんでしょうけど……。

  関節技って、あれよりも痛いんでしょうね。
  アキレス腱固めとか。
  マジでか。
  格闘家すげえな。
  高田延彦とか、ただの面白くないオッサンだと思っててゴメン。
  お前すごいわ。 ← てきとう

  

  あと今、適当に高田延彦を検索したらトップに大学のページが出てきて、
  あのオッサン大学でなんか教えてるのか!
  とビビっていたら検索対象が「たかだのぶこ」になってた。
  誰だよのぶこ。
  閑話休題。

しばらく冷やしてみたり、ギッチラギッチラとほぐしてみたりしたんですが
やっぱりそうそう痛みは治まってくれず、
この日は涙を呑んで朝ジョギングを諦め軽いウォーキングにしておきました。
オッチニオッチニ。

どうでもいいけど、ああいうものすごい痛みが走った瞬間って、
思考がなのか、感覚が、なのかわかりませんが、加速しますよね。
時間軸に対して、普段よりもたくさんのことを思い描けるようになる。
交通事故に遭う瞬間とかも、そんな風になるらしいですが。

  走馬灯ってのも似たようなもんなんだろうなあ。
  どうなってんだ人体。

ちなみに、「足がツる・こむら返り」という現象は、
体が冷えたり、疲労して体の中の電解質のバランスが悪くなって、
脳から筋肉への指令が正しく伝達されなくなり、
あっちゃとこっちゃで「引っ張れ」「縮めろ」の命令が釣り合わなくなって起こるんだそうです。
ちゃんとやってくれ。
ビックリする。
閑話休題。



■仙川にて



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サテそんな田舎ゾーンを抜けてしばらく行くと
仙川の駅付近、商店街のはずれに行き当たるんですけれども、
突然ゴミっとし始める。
人通りが増え、田舎の続きで道は決して広くなく、
且つ整備されていなくてごちゃっと入り組んでいるのに車の通りが多い感じ。
ぬおお。

  駅に近付いて人通りが増え、クルマの流れと交差するポイントが増えるので
  流れが滞り始めるんでしょうね、このヘン。
  ちょっと怖い。

お昼ゴハンに数軒、喫茶店を数軒めぼしいお店にアタリをつけてきたオイサンですが、
到着時刻が既に15時前と真っ当なお昼のお店はいい加減ご休憩タイムの様相。

程よいお年の、オッチャンオバチャンからおじいさんおばあさんに移ろうかというくらいの
年齢の方々と、
あと女子高生が妙に目立つ駅前の商店街を、
ふらふらと人波にホンローされながら歩きます。
楽しい。

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みち幅は広くなく、鎌倉の小町通りの狭い部分くらいしかない。
4人並べないくらい。
商店街、ひと気が結構あったなあ。
まあ駅前から住宅地に抜けるまでの通りみちってだけかもしれないけど、
ああいう立地なら活気も出るってものですね。
マ商店街って言ってもチェーン店がたくさん入ってるようなアレですけどね。

とはいえ中々歴史の古い商店街ではあるようでして、
オイサンの入った二軒のお店はどちらもオイサンと同い年くらいでした。
そんなしっとりと落ち着いた二軒のお店をご紹介。


▼一軒目 アンカーヒア (アンカーヒア
 http://tabelog.com/tokyo/A1326/A132601/13052952/

ゴハン屋さんというよりは喫茶店に近いのかな。
ダイニングバーという位置づけになっておるな。
36年目? になるお店。

ランチに、グラタンとライス、唐揚げのセットを戴きました。
ホントは唐揚げじゃなくハンバーグだったらしいのですけど
もう時間が遅くてなくなっちゃったんだと。
そんなの全然オッケーっす。

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  お前さっきそば食うてたやないか、と言われそうですが……
  さっきのはおやつです!!

歩いてのどが渇いていたのでコーヒーを先にもらいました。
うむ、オイシイ。

 ▼みんなハマってます!

ゴハンが運ばれてきて、
サテ戴きましょうかという段になったときお店のマスターが、

「よろしければゴハンにかけてお召し上がり下さい。
 みんなハマッてます」

と、テーブルにコトリと、何かちいさなボトルを置いていきました。
みんな? みんなって誰?
↑メンドクサイこどもオッサンか。
冗談はさておき、出てきたのは「唐辛子ふりかけ」。
ふむ、小田急OXで、以前似たようなのを買っていたけど
違うものなのかな?


  (サラサラサラ……)
  (モグモグモグ……)


あ、前食べたのよりこっちの方が美味しいわ。
唐辛子は唐辛子なんだけど、こっちはふりかけらしくお塩味がキツイですね。
刺激的。
これは買って帰ろう。
グラタンも唐揚げも、ホクホクで美味しかったです。

あと、九州の方から旅行で来られていたらしい大きなキャリーバッグを引いたお嬢さんが、
お店の人と顔見知りなんでしょうかね、
やたらと話しかけられ、他のお客さんからも話しかけられてましたね。

なんだろう、彼女にとってこのお店は、
オイサンにとってのcafe 花みずきみたいな場所なんでしょうかね。
いいですね。分かる気はします。
あー花みずき行きてえなー。



 ▼二軒目 彼留哩
 http://tabelog.com/tokyo/A1326/A132601/13048436/


お店の名前は「ぺるり」と読むようです。
クニヲアケナサーイ。

間口の狭いビルの2階にあるお店で、通りへは看板が出ているきりで、
メニューも何も、中がどんななのか分からない。
そんな状態で狭い階段を上がらねばならないこの状況は、
下調べがなかったら間違いなく後込みしてしまうシチュエーション。

場違いだったら申し訳ないですものね……。

そうして踏み込んだ世界は、すっかりオイサンの知る昭和の大人の空間でした。
湿った木々の色をした物陰ばかりの世界。
ドアを開けるなり、常連さんとおぼしき耳の遠いご老人たちの話す大きな声がして、
ぐるっと見渡すと存外広い。
店の形は通りから奥へと広がる深い長方形で、
入り口のドアは、その長い辺のちょうど真ん中辺りに位置していた。
向かって左手、通りに面した窓の方は明るく、奥まった右手は薄暗い。

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変わった形のミルク注ぎ


どこに座ったものか……。
それとも、店の流儀があって、客の座る場所は店主が決めるスタイルなのか。
それを確かめようと店主の姿を探したが、カウンターにも厨房にも影がなかった。
と、全部で十ほどあるテーブルの、
埋まっていた三つのうちの一つに腰掛けて新聞を読んでいた老人が立ち上がり、
「いらっしゃい」
と、ある意味では場違いなオイサンを訝りもしないで言った。
客ではなかったのか。

彼が何も言わずに厨房へと引っ込んでいったものだから、
これは好きなところに座っていいということだなと理解して、
オイサンは窓に近い二人掛けのテーブルについた。
ついでに言うと、この窓が西向きであることにはあとで気付いて後悔することになる。
超西日。暑い。

小柄で気さくな感じのご主人は、
「そっちの四人掛け使っていいよ、広い方に座りなよ」
と勧めてくれ、恐らく、この先客が混んで一杯になるようなこともないのだろうけども、
とりあえず二人席で十分なのでそこに座った。

チョコレートケーキとアイスコーヒーのセットを注文し、
落ち着いて、ぼんやり店内を見回す。

なぜか置かれた二台の黒電話、
南の方の島で崇められていそうなデザインのお面。
将棋の駒の形をしたみやげ物の通行手形が、
それぞれいろんな観光地の名前で壁にずらっと下がっている。
一番手近で目に付いたのが「黒部・立山アルペンルート」のもので、
あの小柄なご主人の人となりになんとなくピタリとはまるような気がした。

傍らのテーブルにはマンガが無造作に積まれていた。
最近の雑誌もあるが、単行本の類は随分時代がかっていた。
「美味しんぼ」の初期の巻はまだ新しい方で、
なんだったか、『昭和バンカラ派』とか、
オイサンのちょうど生まれた頃に刊行されたようなものが多い。

 ▼昭和バンカラ派
 http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/2013/

壁の「エスプレッソ始めました」のお知らせの紙は、一体いつ貼られたんだろう?
紙の黄ばみ具合も、インクの褪せ具合も極端さがなくて判別おぼつかず、
ケーキは多分出来あいの、大きなメーカーか、近所のパン屋かという風情のもので、
銅製のジョッキマグで供されるコーヒーも普通に美味しいものでした。

味は突出したものではないと思う。
ただ、何もかもが落ち着き払っていた。
そこに根を張った、あらゆるものの時間が年上だった。

しばらくすると、入口近くの席で御主人と楽しそうに話していた年輩の常連さんたちも去り、
頭の上の方を漂うに流れる音楽と、ご主人のめくる新聞の音だけが、
かさり、かさりと時間を刻むようになる。

あ、ごめんウソ。
背丈のそれほど高くない、壁掛けの柱時計さんがいて、
コッチコッチと振り子を振っておられました。
時間が16時をまたぐ時、どんな音が鳴っていただろう。
ボーンだったろうか、ジャーンだったろうか。思い出せない。

そんな静かな時間が余りに心地よかったもんで……テクテクと歩いてきたくたびれもあって、
しばし、眠りに落ちてしまいました。
グースカ。

言ってしまえば、すごく昔の雰囲気を残した昔の喫茶店です。
いまどきのような、特別なおいしさとかサービス、
誰にも平均的な、時間制の居心地の良さを提供してくれるわけではなく、
目に付きやすい落ち着きを求めていくと肩すかしを食らうかも知れません。
とろりとした、30年前の時間の、重さと、流れを自ら選んで身を浸しに行くには、
これほどよい場所はないと思います。

……そう、子供の自分が眺めていた昭和の大人が住んでいた世界と、
今、大人になってしまった自分たち大人の住まう世界とは、
まるで違うもののように見えるのだよなあ。
当たり前のことなのだろうけど。

あの頃の大人は、今の自分などよりもグンと大人に見えていたのだけれども、
精神的な成熟度としては、今の大人の方がきっと大人なのだろう……と、
オイサンなんかは思う。

  自分が成熟した大人かどうかは別問題ですよ?w
  一般論ね。
  平均的な人間像の話ね。

精神的な成熟度、と言ったら語弊があるかも知れない。
物わかりの良さというか、合理性の高さというか。
30年前よりも「らんぼうなおとな」の割合は減ってんじゃないか、っていう話。

でも、それはどうなんだろうなあ。

感情を飼い慣らすことは、多分今の大人の方が上手なのだろうと思うけど、
上手に感情を解き放つこととか、生き物としてより自然に近い形で振る舞いながら、
手の届く範囲の自分の世界と上手に折り合いをつけていくことにかけては、
きっと昔の大人の方が上手だったんだろうなあ、などと感じるわけです。
どちらがより大人っぽいかと言われたら、
オイサンは実は後者だと思うワケです。

  頭と理屈でどうにかなることは、実は子供でもそこそこ真似出来るけれど、
  皮膚感覚でしか分からないものは、本当に時を経ることでしか得られない。
  だからこそそれを身につけたものを「オトナ」と呼ぶんではないかなあ、と。
  そしてその正しさは、あくまでも限られたエリアでしか通用しないことなので、
  大人はいつだって世界標準ではありえないんじゃないか、
  ……なんて、今の世間の流れからはまた、ちょっと外れたことを思うのでした。

でもそれは多分、相手にしなければならない世界の広さが、
昔と今とで違うから……致し方ない面もあるのでしょう。
手の届く範囲は変わらないかも知れないけれども、
少なくとも耳目の至る半径は、優に数千・数万倍の距離に至るでしょうから……
勢い、その振る舞いはその半径に合わせて均されなければならず、
最大公約数的になっていくのだろうなあ、と。

そんな、30年の時間の境目をくぐった一時間あまり。
ごちそうさまでした、なんだか大変すばらしい時間でした。
今度はエスプレッソをいただきにあがりたいと思います。



……とか言いつつ。



この15分後、帽子を忘れたことに気が付いて、
慌てて取りに戻ったのはナイショです。
しまらねえなあw

しかしまあ、なんでしょうね。
GJ部の面々は、みなさんメグミちゃんの策略にまんまとはまって
すっかり紅茶派の様ですけれども、
森さんの、お母さんと娘さんといっぺんに誘って、
一緒に訪ねてみたい……そんなお店でした。



■バンジョーな駅前にて



そんなこんなで一眠りもし、ワリと落ち着いた気分。
特に見て回るような場所のあるでなし、日も傾いて参りました。
駅前にもひとが増え、そろそろヨソモノは引き上げましょうかね、という気分になった頃。

「ぺんぺけぺん」と非常に軽妙な、三味線をブリキにしたような音色が、
軽くなったオイサンの、鼓膜に弾けて散りました。

見れば、駅前の、小さな広場のようになった場所で、
スラリと背の高い人当たりの良い笑顔のオニーチャンが。
なんか見たままブリキの三味線みたいな弦楽器を抱いて、
聴き覚えのあるメロディーを奏でていらっしゃる。

アレンジこそ違え、このメロディーは、そう『おおシャンゼリゼ』。

梅雨とも思えないさわやかな風の中、オレンジ色の光が緑の葉を透かせて
ペケペケ弾けるひょうきんな弦の音は……イヤハヤなんとも、
このときのオイサンの気分にコレ以上ないくらいマッチして……
もしあのバンジョー弾きのお兄さんが悪い悪魔の使いか何かで、
ついて行ったら海に落とされると分かっていても、
あのときの気分だったらついて行ってしまっただろうなあ、などと。

これが部長とのデートの別れ際だったら、なんて思うと、
背の低い部長と小さなハイタッチの一つもしたくなるくらい良い雰囲気になったなあ、
部長もきっとああいう音色は好きに違いない、
とか妄想を膨らます気持ちの悪い37歳です。死ねばいいのに。


▼おおシャンゼリゼ


▼バンジョーの音色


▼ギターでのおおシャンゼリゼ





■Closing



とまあ、そんな調子で。
帰りはふつうに、京王線と小田急線を乗り継いで帰ってきたのですが。
ホントただの印象だけですけど、
良い出会いのあった町でした。
仙川。

『GJ部』らしかったか?
と問われたら、別にそんなことぜーんぜんないトコでしたけど。
気分の良い町だった。
そんだけですね。
たまたまね。

そこだけは掛け値ナシに『GJ部』的だった。
サムライマスターにも、クルクル回るメイドさんにも会えませんでしたけど。
また近いうちに遊びに行きたいと思います。

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以上、チョイ長くなりましたけど。

「油分94%カット! おいしさそのまま!」という謳い文句に惹かれ、
「カルビーライト」というダイエットかっぱえびせんを買ってみたところ
もう全ッ然別モンと言って良い食感で超びっくりしたオイサンでした。

いや、おいしいんですけどね。
あれはもう別モンだろ。

最初、「なんで名前が『ライトかっぱえびせん」』じゃないんだろう?」
って思ったけど、納得だよ。




▼I wish ときめきの魔法

右側のちっこいのが部長です。カワイイ。



 

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2013年6月 2日 (日)

■あすみんの笑い声が絶えない、アットホームな職場です。 -更新第869回-

リラックマを盗撮するオイサンです。
いや、特に意味はないんだけど。

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貴様ッ見ているなッ


六月に入り、少し蒸し暑くなったと思ったらこの週末はやけに風も涼しくて
夏の装いで町を歩けば少し肌寒いくらいで軽い戸惑いを覚える。
おかしな日和だ。

けどその涼しさのお陰で夜に回そうと思っていたジョギングを
明るいうちに済ませることが出来て、
いい光の具合の中を走ることが出来たのはありがたかった。
明るいうちに走ると人も多くクルマ通りも多いので愉快なことばかりではないんだけど。

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偶然とはいえ美しい画が。ニルスみたい。

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この時期は、日暮れ前の少し諦めたような光線の時間が、
強くはないけど長く残っている様な気がする。

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金曜の帰りが遅くなってしまったせいで土曜日はうまくペースを作ることが出来ず、
ぶらっと出かけてぶらっと帰ってきて寝てしまうという、
サラリーマンのおっさんか、というだらけた一日を送ってしまった。
こんばんわ、サラリーマンのおっさんです。

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まあサラリーマンのオッサンは、
かわいいカフェでスコーン食ってたりあんまりしないと思いますけど。



■原作『異国迷路のクロワーゼ』



アニメ版が中々面白かった『異国迷路のクロワーゼ』
(尻切れトンボでちょっと勿体なかったけど)ですが、
遅ればせながら、原作のマンガの方を読んでみた。

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というのも、どうやらこの原作のマンガは舞台としている地元おフランスはパリにて
なかなか好評を博しているという噂を耳にしたので興味がわいたのでした。
曰く、舞台となっている19世紀フランスの情景を精緻に描き出しているのだとか。
ホントかよ。

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噂を耳にしてから(といってもwebで読んだ話だが)しばらくは、
本屋で見つけたら買えばいいと思い、あちこち、
本屋によっては気にかけていたもののとんと巡り会わず、
いよいよ痺れを切らして今回『ひだまりスケッチ×ハニカム』のBDを注文するのと一緒に
アマゾンさんにお願いして持ってきてもらう運びとなった。
アマゾンさん頼りになる。

そうして読んでみると、なるほど確かに絵がうまい。
びっくりするくらいうまい。
描き込むというのとは違う、陰影だけを残して実線は読み手の想像力で補完させ
線は、本当に見せるべきキメのコマ以外では極力省くという手法で
オイサンの期待したマンガのうまさとは違ったけども、
この人、ものすごい真面目に絵の勉強をして基礎の出来ている、
本当の「絵」を描かせたらフツーにすごい上手な人なんだと思わせます。
写実的なんだけど抽象的、という、マンガらしからぬ、独特の面白い絵でした。

オイサンの期待するマンガのうまさというのはいつだって
みず谷なおき先生の絵が基準になりますから、
たぶん今の時代のマンガとは対極にある感じだと思います。

お話は、アニメまんまなので新鮮なところはあまりありませんでしたけど、
実は1巻はずいぶん前に購読済みで、
お話が見たことあるのを分かった上で2巻を買いたくなるくらい絵が良かった。

コレ、原作、今も話進んでるのかしら?

続きがあるなら、OVAでいいから作らないかなあ。



■『ひだまりスケッチ×ハニカム』BDリリース完了



6巻揃ったー。

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……つって、5巻買うの忘れてて慌てて6巻と合わせて注文したんだけど。
あと、オマケで付いてたキャラソンカップリングCDも全然聴いてなかったので
慌てて聴いてるところです。

5巻のオーディオコメンタリーでは、
大家さん役のサワシロンことサワシロンと、
沙英さんの妹、智花ちゃん役の釘宮理恵さんがゲストだった。

んー、なんか珍しい、『ひだまり』周りではあまり聴かないトークだった様な気がするな。
大体ゲストさんと所帯じみた話になることが多いのに、
ワリとお芝居と自分、みたいな話だったような気がする。
釘宮さんは所帯話がおおかったか?

サワシロンは一番年下のくせに、あすみんにも釘宮さんにも終始タメ口で
それ大丈夫なの? とちょっと心配になるくらい。
堂に入ってるから嫌みではないんだけど。

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サワシロンの感想はいちいち切れ味鋭くて、
(大家さんがゆのっちに「大家さんだってまだまだ若いです、夢は何ですか?」
って迫られて「イヤあたしはもうそんなんいいからムリだから」ってなるシーンを見て)
「あたしら役者なんかやってると、今くらいのトシになってもまだまだ
 (同じ目線の位置で、同じ一つのことを延々磨いてる先輩がいっぱいいるから)
 初心の頃はこうだったな、今はこういう考え方だな、
 じゃあもう少しこうしてみよう、こういう目標と夢を持って進むようにしよう、
 とかって思っちゃうけど、
 役者やってなかったら大家さんくらいのトシになったらこういう
 (=新しい夢なんてもう持てない)考えになるのが当たり前なのかなって思った」
とか、
「この子ら(=ひだまり荘の六人)はさあ、
 人生ゲーム一つやるにしても、クルマの色塗り替えたり、マスを書き換えてみたり、
 そのひと手間を惜しまないで、毎日のちょっとしたことを面白く変えちゃうんだよ、
 そこがすごいよね」
とか、
ホントいちいち作品の中のことに自分なりの感じたことを引き出しにしまってて、
ああこの人すごいんだわ、とちょっと思ってしまった。

  「『ひだまり』が始まると、毎週ラストのお風呂のシーン見て
   『あー、一日の終わりにはキチンとお風呂の時間を持たないと駄目だな』
   って思う」
  とか。色々感じてらっしゃる。

ミズハスとかシンタスとか、ラクしようとするもんなw
もちろんそれも芸とか照れとかなんだろうけど、
けど、ここで語ろうとするかそうじゃないかってのは
一つの「差」である様な気はするねえ。

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さあ、これであとは……『卒業編』を待つばかり、なのかな。
原作の方は休載が続いてるみたいだけど。

……どうでもいいけどさ、
キャラット本誌、表紙に『ひだまりスケッチ』って書いておいて
いざ開いてみたら「休載です、表紙は修正間に合いませんでした」っていうの、
なんども続いたらさすがに詐欺っぽいので気をつけた方がいいと思いますよ芳文社さん。
重々分かってることだとは思うんだけど。
せっかくなんだから、キレイに締めましょうぜ。

金曜には『ひだまりラジオ』の更新があったし、
BDのコメンタリーが2時間分あったりして、
部屋にアスミスの笑い声が絶えない週末であった(ナンダソレ)。

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これでまだ『寝起きにポテトチップス』が消化できていないというんだから……
アスミス天国。

しかし、放映当時も思ったけど、夏目とのクリスマスエピソードはいい出来だなあ。
この4期『×ハニカム』は本当に隙がない。
完璧だ。……OPが若干粗いコトを除けば。

なんかお空の写真ばっかになったなあ。
こういう写真撮るのはメンヘラに多いらしい……。
マに受けるわけではないけども、
言われてみると、うつむく代わりに上を向いてるだけのような気がしないでもない。
上向いてるか、下向いてるかの違いでしかなく。

前見て歩けって話ですね。

風が強くて雲が面白く、空がホントきれいだったので
走ることにあまり集中できないジョギングでした。

てってけてってけ。


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2013年6月 1日 (土)

■去りし日の美しさと思い出のかなしみを一杯の珈琲とともに。~OVA『ヨコハマ買い出し紀行』感想など -更新第868回-

先々週の週末のお話。
二人のツイッターフォロワーさんに連れられて、
三浦半島の方までクルッとロングドライブしてきました。
オイサンです。

なぜ三浦半島かというと……
『ヨコハマ買い出し紀行』という漫画の舞台になっておるからです。
そのお二人が、『ヨコハマ』の大ファンでおられる。

  マ大ファンという言葉で片付くのかどうか、ソウルフード的なアレです。
  恐らくは、彼らの「オタク」としての人格の根幹を成す礎と呼べるレベルのものだと
  オイサンは推測します。

オイサンは、確か兄貴がその漫画好きで、
実家には揃ってた筈なんですけれども手を付けたことはなく、
パパさん……あ、パパさんて言っちゃった、マいいや、
パパさんと知り合ってからお借りして読んだのですけれども、
さらに最近になって、そのOVA版のアニメをお借りして見たのです。


P5181326


なのでまあ、そのときのお写真を交えつつ、OVA版の感想を中心に、
『ヨコハマ買い出し紀行』全般についてちょろっと書いておこうかなあ、というのが
今夜の趣旨でございます。



■OVA『ヨコハマ買い出し紀行』の感想



先ず全体的な感想から述べると……
このOVA二作品を見たことで、
原作コミックスを一通り読んだ上であまり上手くつかめていなかった
『ヨコハマ買い出し紀行』という作品の姿をようやくつかめたような気がする。

  マそれが、世の『ヨコハマ』ファンの方々の考える像と一致するかは
  かなり自信がありませんが。
  なんかまた生粋の方々からは怒られそうな感想を抱いているような気がする。
  マその辺はしゃあねえ。ご容赦しやがれこのヤロウ。

かといって、このOVA二作品が原作になかったことを独自の解釈で描いていたり、
分かりにくかったことを噛み砕いて描いてくれたのか? というと、
ことさらそれもなかったと思う。
どちらのOVAも、原作に存在する要素に忠実に、
原作にはなかった音や動きや色という要素をうまくサンプリングして与えようとしている、
様に思えた。
オイサンの見る限り。

「自分以外の人が、原作をどういう風に読んだか?」
という二つの例が、言葉ではなく作品として再構成されるという形で提示されたことで、
「他の人(=このOVAを作った人たち)はこう読んだのか、そういう読み方か」
というコトが見えた、という感じです。

  競馬好きの人が作った競馬ゲームをプレイしてみて、
  ようやく競馬の面白さがわかった、みたいな、そんな話。

面白かったのか、面白くなかったのか……そういうきかれ方をすると困ります。
「原作のファンにはオススメ!」っていう、
某有名ゲーム雑誌のクロスレビューでおなじみのフレーズは出てくるけど、
オイサンがこの映像からことさら感動や喜びのようなものを得たかというと、
それはなかったです。
ただ、先に書いたような「あ、こういう作品だったのか」という発見はあったので、
今一度原作を読んでみよう、そしたらもっと楽しめるかも知れない、
という気にはなっている。



■何が分かっていなかったのか



サテ、のっけでイキナリ
「『ヨコハマ買い出し紀行』のことをつかめていなかった」と書いたのだけども、
ではこの『ヨコハマ』OVA版を見て、オイサンが一体何を分かったのか?
という話をする前に、
「何を分かっていなかったのか?」
ということからちゃんと書いておこう。そうしよう。
「作品が分からないって、ソレどういうことよ」
という疑問もあるでしょうから。

……まあぶっちゃけると、
「何を描こうとしている作品なのか」
「作者が一番見せたいものがなんだったのか」
が、先ず分かってなかった。

  それ全部じゃないですか、とか言わない。その通りだから。

別にね、テーマとかメッセージとか、そんな大袈裟なものとも考えてはないんです。
すべての作品にそんなモンが与えられていると思っているワケでもないですから。
ただ、作者が読者に、どういう楽しみ方をして欲しいと思って描いた作品であるのか、
読み手にどういう感情を起こさせることを考えたのか、
作者自身、このお話を思いついたときにどんな気持ちでいたのか……。
キレイな作品なのか、汚い作品なのか(=キレイさを伝えたいのか、汚さを伝えたいのか)?
うれしい作品なのか、悲しい作品なのか?
全編通して読んでみても、9割方、そんなことが分からない作品だったワケです。



■分かったこと



『ヨコハマ買い出し紀行』、
あらすじなんかは省きますけれども、
この作品の世界には大きく二つの層が存在する、とオイサンは考えている。

一つは、過去に起こった「終末の始まり」という大きな変化によって
多くのものが失われたという意識の層。つまり、破壊による喪失感の層。

もう一つは、世界が終わり始めて結構な時間が経過し、
諦観によって安定し始めている意識の層。
いわゆる、作中で「とろとろ」とか「てろてろ」とか表現される、
比較的穏やかな意識の層。

  それはフツーに読んでおって伝わってくるハナシで。

この二層のうち、オイサンは前者こそがこの「作品の」根底、
作者が表現しようとするものの根底であって、
後者は表層や上澄み、
前者を伝達するための媒介でしかないと思っていたのだけれども。
実はそれがそうではなかったことに、今回のOVA2作品を見ていて気が付いた。

  実際、作品の中の「世界」では、前者の空気が大勢を占めているのだと思う。
  あの世界に暮らす「人々」の心の底には、
  終末の訪れという大きな衝撃によってなぎ倒された、
  心という木の幹の切り株がどすんと居座っているのだろうし、
  その根も少しずつ腐っていってはいるはずだ。

すなわち、原作においてほぼ語られない「終わりゆく」ということそのものの方は
表現の上では実はうわべであってあくまでも「設え」或いは「下拵え」に過ぎず、
この破壊と喪失のあとの世界の風景を、
もっと純粋に美しいと受容する感性をこそ、
この作品において提示したかったんだな、と今回改めて理解した。

「終わりゆく」という大きな時間の流れの中の、
「今」という時間に一瞬現れる純粋な「美しさ」を創り出し、描こう、
大きな喪失を伴って生まれたはずの終末の風景と時間のありようを、
それらは背後に膨大なかなしみを背負っているけれども、
ただ肯定的に描こうという目論見のものだったんだ……と。

  ……いや、実際合ってっかどうか、知んねえよ?
  そう考えた方がオイサンの「心の理屈に合う」ってだけのことで、
  もし作者がそうではないようにどこかで明確に語っていたのであれば、
  オイサンは
  「うーん、じゃあその目論見は上手くいってないですね」
  とおそらく言ってしまうくらい、前述のように感じた。

表現の実体としては、その二層のどちらか一方だけではなくブレンドで、
下位階層に「喪失感・かなしみ」がドッシリと構えているからこそ
上位層の「美しさ・穏やかさ」が下位階層からの照り返しを受けて
ただ美しいだけではない色を帯びるのだけども、
主として描きたいのがどちらなのか、
最終的にカメラのフォーカスが合っている(というかフレームに入っている)のがどちらか?
といえば、上位層である美しさ・穏やかさの方だということだ。

P5181497



■アルファさん



そんな風に理解したのも、この物語の主人公であり、
世界を受け止めて解釈を与える役どころにいるロボットのアルファさんが
この終末が始まった後の世界を、常に肯定的に捉えているからだ。
そのことが、OVAではクッキリと描かれていたし、
記憶を振りかえる限り、原作でもそうであったように思う。

  どーして今まで、そのことに素直に気付けなかったのか不思議だが。
  さんざん初っぱなからそういう風に描いてあったはずなのに。
  正直こうして書きながら、「なんでいまさら」と思わないではない。

色々語弊はありそうだけども、先ずはズバッと言ってしまうと……
ロボットのアルファさんは、この作品世界に生きる人間たちとは異質な存在だ。

オイサンは、基本的には、
この世界に生きて住まっている人間が心に持っている感情というのは
先に述べた二つの意識の層で言えば、前者──喪失のかなしみだと捉えている。

  何なら、またいつ激しさを増すとも知れない終末への畏れや怯えであるかも知れない。

少なくとも、世界の終末が始まる前からこの世界に生きていて、
終末の始まりを目の当たりにした世代であるところのオジサンや先生といった年寄り、
あるいは終末が今のような落ち着きを見せる前に生まれ育った世代はそうだと思う。
世界が今の状態に落ち着いてからこの世に誕生した
タカヒロやマッキのような子供たちはその限りではないだろう。

その大人や老人たちにしても、
今なお泣いて喚いてかきむしるような感情を残してはいないだろうし、
かなしみに暮れてただ立ち止まってもいないのだろう
(中にはそういう人間も当然いるのだろうと思う)けれども、
さまざまなものが失われた世界の姿を見るにつけ、
100%穏やかな気持ちでおられる筈は、フツーは、まあ、ない。……と、思う。
それがあるのはすっかり壊れてしまった人間くらいでしょう。
諦め・吹っ切れもあるだろうが、諦めるのも、吹っ切るのも、
根底にかなしみがあるからだ。

そうした中で、やはり大人の姿・知性を有してしていながら、
世界の記憶については子供と同じで、今の世界の姿をほぼフラットに、
終末前の、世界・記憶との対比なしに評価することの出来るアルファさんの存在は
異質だと思った。

  それが単純に「過去を知る者とそうでない者」の差でしかないのか、
  或いは「ロボットだから」ということも幾らかは関係するのか?
  という疑問もある。
  後者は原因ではなさそうだし、作中に言及もなかったと思うけども、
  ただ、ロマンとしてはそれも多少あるんじゃないかと希望として持っておきたい。

  もしかしたら、ロボットのアルファさんは、
  記憶では記録……感情の寄り添わないデータベースとして過去の風景を
  体内に持っているのかも知れないけど。
  そんな設定はあったかな、覚えてないけど。

世界観としては、ロボットは人の暮らしに溶け込んでいる、ことになっている。
その看板に偽りはないし、キチンとそのようにも描かれている。
ただ、だからといって、ロボットが「他者」でなくなったわけではない。
このかなしみの有無の差異が生じるのは、
「自分なのか、他者なのか」レベル
(つまりは経験と環境にはぐくまれた感性のレベル)の話で、
たぶん、「ロボットが異質」なのではなく、
アルファさんの個性がロボットの中でもある程度異質なのだろう。

  確かアルファさんも
  「ロボット的にはかなり初期型的な位置づけにある」みたいな設定だったと思うので、
  アルファさんの個性・異質さにはそういうことが作用している部分もあるのではなかろか。

  人間が世界の変貌を見て悲しむのを汲み取り、今の世界はかなしいのだな、と
  シンパシーを(強く)獲得するロボットもいて、
  アルファさんにもそういう機能は当然のごとくあるのだろうけども、
  それよりも「美しさ」に素直に反応してしまうパーソナリティを
  有しているのではなかろうか。

P5181502

なのでここで言う「世界におけるアルファさんの異質さ」は、
ロボットが世界に溶け込んでいるという設定に相反するものではないと思うし、
それよりもむしろ、
「他者として異質なパーソナリティを有し更にロボットでもあるアルファさんが、
 オジサンや先生と境目なく、摩擦なく暮らしている」
ことが、ロボットが世界に溶け込んでいることの象徴でもあるのかも知れない。
アルファさんは人間とロボットの境界面、エッジとしての役割も
負っているのかもしれない。

 ▼美しいのか、かなしいのか。

そんなアルファさんの、こわれゆく世界を見つめる視線の中には、
過去へのかなしみがないし、遠慮もない。
壊れたあとの世界を傍観者として見ていて、美しさへのその純粋さには容赦がない。
キホン無味乾燥ないわゆるロボット然としたロボットでなく
人間臭い揺らぎを目いっぱい持った存在のアルファさんだから、
その美しさに向かいあう時の迷いのなさは、
彼女の中でもかえって際立っている様に、オイサンには思える。

  ただし、原作の方で時折登場する終末世界のもののけのような存在たちに関しては、
  アルファさんにせよ誰にせよ、
  それらをただ観測する立場にとどめられて作品の内側からの解釈は与えられず、
  読み手にゆだねられているけれども。
  そのあたり、この作品は「物言わぬ終末の博物記」でもあるなあと思う。

終末のおとずれはアルファさんにとっては他人事……というと言い過ぎなので、
それでも「あずかりもの」ぐらいの距離感が、おそらく正しかろう。
あの世界の終わりは、おそらくアルファさんにとって……
或いはロボット全体にとって、人間ほど地続きの感覚ではないのだろう。

オイサンはこれまで、
この「アルファさん=傍観者である」ということをキチンと捉え切れていなくて、
アルファさんの中にもイカれてしまった世界へのシンパシーが幾分かはあるものだと、
何でかはわからないけど思いこんでしまっていた。
つまり、アルファさんも終わりゆく世界のことを根底ではかなしみのあるものと捉えていて、
「美しさ」をその下にひっついてくるかなしみごとすくい取っているのだと思っていた。
けれども実はどうやらそうではなく、
そこに存在する美しさに関しては、純粋に、おおむね肯定的にただ「美しい」と捉え、
そこにかなしみが内包されていることを、
周囲の人間の様子から理解してはいるのだが、意識はしていない様に思える。
彼女が終末世界を眺めて発する「キレイ」の根っこに、かなしさは見受けられない。
かなしさへの意識は、どこか別の箱にしまってある。



  そして、そのことは、
  (普通に考えたら)作者の意志や意図、メッセージだとも考えられる。



つまりアルファさんは、終末後の世界の肯定者の立場で世界を見つめ、
言葉(言外だったり行間だったりはするけども)にすることを作中において課されている
……様に見えた。
そのことにオイサンは、
最後の最後、OVA二巻目の壊れた富士山のラストシーンに至るまで、
ほんとにまったく、気付けずにおったのです。

OVA一巻で、アルファさんは、
水没したかつての町を高台から見下ろし、水底に灯る街灯の美しさに感涙し、
二巻では、同様に欠け落ちてもとの姿を失った富士山を見上げて
「昔の完璧な姿もいいけど、リラックスした今の形の方が好き」
とひとりごちる。
後者に関しては心にとどめた言葉のように描かれていたが、
前者は、原作にもあったように、世界の当事者である先生を伴って言葉にされる。

P5181519


異なる人間が手掛けたOVA一巻、二巻ともにそういうシーンが盛り込まれるということは、
やはり作品としてそういう感覚があるのは確かなんだろう、
と感じます。

  色々と見落としていたのだけど、
  もしかするとあの世界には水没都市や壊れた富士山を見て「キレイ」などと言ったら
  烈火のごとく怒り出す人間や泣き出す人間もまだまだいるのかも知れない。
  もちろんそれを描く必要も意識する必要も(そういう作品ではないから)ないのだけれども、
  その要素を排して、そうではないオジサンや先生たちだけを描くこと自体が、
  作者の著したい思いなのだろう。
  こんな世界だったら、もしかすると場所によっては変な宗教とか
  蔓延ってたりするんだろうなー、などという妄想も広がったりする。
  閑話休題。

しかしそうした「終末後の世界の美しさ」を主として謳うからといって、
文明批判的なのかと言われたらそれも違って、
先にも少し述べた、原作で時折描かれる「もののけのような者たち」の存在の
優しいながらも不気味な感じ・少し不安にさせる感じは、
実に絶妙に「美しさだけに終わってしまう気配」に釘を刺している様に感じる。
たくさん壊れ、喪われ、かなしみに満ちた世界を美しいとは何事か、と
言葉にすることなく、それとなく押し黙らせるチカラがある。
それは、アルファさんというキャラクターから引き去った
「かなしみへの配慮」という機能を独立させたものなのかなあ、と考えている。
基本的にそれらの存在は言葉を発しないので、とても淡い主張ではあるのだけれども。

オイサンにとっては、
この作品の下地に敷かれたかなしみの層の深さ・大きさ・重さというのは、
ちょっとどうしてもインパクトとして看過出来ない大きさを持っている。
下拵えに過ぎないにしても、物言わぬその地層の存在感は、
それだけで畏れに値するものなので……
そんなのほっときゃいいんだよ、と言われて無視できるサイズのものではなく、
この作品に触れるとき、どうしてもそちらに軸足がよってしまうことは
申し上げておこうと思う。
無粋なのかも知れないけど。

オイサンにとって、未だ『ヨコハマ買い出し紀行』は
あくまでもアルファさんが見つめた世界の美しさ以上に、
そうした不気味さや、
夏の西日の様な、世界の底から照り返す琥珀色のかなしみが主張する
ドラマの物語ではある。
世界をただ美しいと解釈するアルファさんが自ら求め、
瞳や舌から記憶したたくさんの風景から抽出されたかなしみを以て
終わりゆく世界をどうにかしようというお話なのだと思うのだけれども。

それはそれとして、どこかにしまっておいた方が良い話らしい。

 ▼いきるひとびとが語ること

しかしまあ、こうして考えれば考えるほど、
「人間不在の」作品であることだなあ、という思いを強くいたします。
人間ドラマがほぼ皆無なのでそう感じるのでしょうけれども。
人のドラマらしいドラマと言ったら、タカヒロの成長と出立くらいなものか。

世界が終わる、そこに人が生き残る、というモチーフからは、
一発目にやはり人間賛歌的なことを安易に連想してしまうのだけれども、
そういうことでもないと思うのですよ。
「終わりつつある世界の中でもたくましく生きる人々」という見方は、
言葉の問題でしかないけれど、彼らの姿になじまないようにオイサンは感じる。

作中で主として登場する、アルファさんの美観を受け入れる優しい人々は
基本的に「折れてしまった」あとの人たちであるように映る。
キホン、すっかりやられてしまった人たち。

死んでしまったワケでも、はかなんで自ら死のうとする人たちでもないけれども、
立ち向かったり、掘り起こしたり、そういうわけでもない。
彼らのスタンスは、せいぜい、折れた切り株の脇に鉢植えを置く程度のことで、
へし折れたあとの木々を、いかなその残り株が巨大であったにしても
それをたくましいと呼ぶことには抵抗があるし、
たくましさというものは、「時代の夕凪」であったか、「てろてろ」であったか、
その空気感にそぐわないなあと思うのです。

たくましさがあるとするなら、
タカヒロやマッキといった、まだてろてろの時間の中でしか生きていない
子供たちのものだろうなあ。



■小道具と、世界と。



ここまでのことをちょっとまとめる。

・作中には、
 「世界の終末」による喪失感とかなしみの意識の層と、
 「世界の終末」によって強制的にもたらされた穏やかで緩やかな時間と風景がある。

・作中の時代の背景として、
 人々の心には前者の意識が依然深く横たわってはいるが、
 後者の意識を受け入れ、穏やかに生きる諦観も現れている。
 終末が始まった以降に生まれた者には、その区別はない
 (前者の意識がそもそもない)。

・作中で主として描かれるのは、「後者の美しさ」である。
 その伝え手であるアルファさんは、前者のかなしみの存在に気付いていなかったり、
 無視したりするわけではないが、
 そのうつくしさの前に立つとき、かなしみの存在は別勘定である
 (「かなしみがあるから」「かなしみはあるけど」などとは考えない)。

そんな風に、作品の成り立ちがややこしいものだから、
作中の表現についても考えが二転三転してしまった。

たとえば、小道具。
OVA1巻目の冒頭で、アルファさんがピストルを携えていることが示される。
これが、終末が始まった世界のブッソウさの象徴であることは理解できる。
作中の現在において日常的に必要なものであるかどうかはわからない。
見る限り出番はないし、「美しさ」を描くことが主旨であることを考えると、
これは終末世界を演出し、背景を説明する小道具である。

また先にも述べた、
OVAにはあまり登場しないが原作の方で登場するモノノケ然とした者たち……
その出自が一切明らかでない、終末期突入前の建造物であるとか、
終末の過程で生まれたと思われる、不吉だったり不気味だったりする者たちも
ある意味では小道具なのだけれど、これが結構強烈で、
オイサンはやはりこれを見た時点ではその印象に引きずられ、
「根底に流れるかなしみを描く作品なんだな」
と改めて考えてしまった。
存在感がありすぎたわけです。

それでオイサンはその罠にはまってしまって、
OVA第一巻目の方は原作同様すっかり混乱してしまい
「ああ、このわからなさは確かに『ヨコハマ』なんだけど
 やっぱりわかんねえな」
と思ったのである。

OVA二巻目の方では、そのテの喪失感や終末世界を予感させる小道具は、
その存在感の強さ・大きさを嫌ったのか出てこなかった(と思う)ので、
素直に鑑賞することが出来……今回得た結論に達することが出来たわけだ。

ついでに言うと、
「合間合間にオサレ表現が加わって、より軸がブレてきておる」
とも思った。
なんか、合間に挟まるミュージッククリップ(一巻か二巻か忘れたけど)なんかは
「こういうマンガ好きなヤツは、こういうオサレ表現好きだろ?」
って言われているみたいで、オイサンは若干癇に障る感じです。
その辺には、媚びというか、狙い澄まして作られている癇は否めなかった。

  ……。
  ところで、オイサンが今こうして生きている、
  オイサンの目で見る世界を代弁する小道具とは、果たして如何なるものなんだろうかね?
  オイサンの生きる世界は一体どんな形をしてるんだろう。
  自分では分からないから、すごく気になる。

 ▼世界を背負うBGM

BGMはゴンチチで、完全に穏やか・のんびり方面。
OVA2巻目は違う人だったと思いますが、こちらも穏やか・ふんわりな音楽で
傾向としては一緒。

いずれにしてもOVA見始めたタイミングではまだ、
これまで述べてきたように『ヨコハマ』世界の本質はかなしみにあると思っていたので、
「『ヨコハマ』にゴンチチかー……。とりあえず体裁繕った感じだなあ」
と思っておりましたけど、
まあ、今となっては正しいアサインだったんだなあと思う。

とはいえ、冒頭でピストル突きつけられてかーらーのーゴンチチだったので、
やはり混乱は必至。
最終的には落ち着くとはいえチグハグな感は否めない。
もしかすると、このチグハグな感じ、
土台と上澄みが完全に分離した不安定な感じこそが、
あの世界に実際に足を踏み入れたときに漂っている空気なのかも知れない。

 ▼椎名ヘきる as アルファさん

そこで椎名へきるですよ。
最初「アルファさん椎名ヘきるですよ」と聴かされたときは、
えー、と思いましたけれども、今となっては別にアリかな、という感じ。
ベストかと問われたらそれは分かりませんけれども、
駄目では全然ない、と思ってます。

もう少し落ち着いた感じとか、低めの声だとか、
しっとりした感じがするべきなのかなーと思いもしましたけれども、
自然にメカっぽいという印象で良かったような気がする。
ちょっと無邪気すぎて、
落ち着いた表情になったときのお芝居の重量感が若干不足していたな、
という不満は残る。


どーなんだろ。


結構おっちょこちょいな人だし、ふんわりしてるし、
そもそもオイサンの中でアルファさんの中心にある感情がなんなのか分からないので
他のどんなキャラに似ているのか分からない。
今だと、案外シンタスなんかは(椎名へきると似たセンでという意味で)良いのかも知れない。
梨穂子と沙英さん、4:6くらいでどうだろうか。

ただ、声質としてはもう少し声の表面が滑らかな人が良いと思わないではない。

P5181560



■Closing



とまあそんな感じで……
原作の内容を具に覚えているワケでもなく、OVAの方も詳らかなわけではないので、
まだ色々とすっぽ抜けているコトが多々あると思うのだけれども、
ひとまず、この作品への自分なりの確信を得るためには、今のこの感触を持った上で
今一度原作を読み返してみる必要があるなあと考えておる次第。

今回お借りしたOVAは、
『ヨコハマ買い出し紀行』という作品ががどういう作品かというと
実は(少なくともオイサンにとっては)そういう作品だったということに気付く、
良いきっかけになりました。

……あのー、まあ、ね。
そもそもこのOVA自体が、アリなのかナシなのかという点において、
原作ファンの間ではほどほど未満のモノの様ですので、
「いやいやいや、そんなモンから引っ張って来てテキトウな解釈するなよ、
 もっと原作の方をしっかり読めよ」
という向きも、多分あるとは思うんですよ。

そういう外伝的というか、メディアミックスっぽく生まれてくるものを
どこまで原作世界の解釈に加味して良いかというのは
個々のスタンスに依ってきてしまうと思います。

オイサンは、
「そうした方が面白かったり分かりやすかったり、
 受け手として広がったりするなら、そうしたらいい」
と思う派なので、そうしてます。
OVAはOVA、原作は原作と、個別にルールを設けて解釈を進めるなら
また違う結論が出てしまうと思います。

けど、まあ、「OVA版から生じた感想」という意味では、こんな感じになりました。
どうなんでしょうねw
自分的には、よくわからなかったものに手ごたえがついて、
実りのある考え事だったし、腑にも落ちた感じで一応満足。

所詮ニワカの戯れ事なんで、穴ぼこだらけであるとは思いますけども、
癇に障ったり、いやいやここはこうだべよ、というツッコミ等々ございましたら
『ヨコハマ』エクストリームな方々のご意見も戴けるとありがたいかなあと思います。


マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。

P6010045
※これは全然関係ないトコで食べたスコーンヌです。



 

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