« ■ひがしの最果てにて -更新第845回- | トップページ | ■THE FESTA!!~超ひだまつり in 日本武道館!~Rpt.01 -更新第847回- »

2013年3月12日 (火)

■ことばに、ならない。~『たまこまーけっと』#9感想 -更新第846回-

今日の朝、オシゴトに向かう道すがら
塀の上に見かけたスズメが白い息を吐いていたように見えたのだけど、
そういうこともあるものだろうか。

オイサンです。

調べてみたところ、
スズメの平熱というのは42度近いみたいなので人間よりは全然あるかな、
という感じではあるのだけども。
ふむう。



■今週の『たまこまーけっと』がほんのり衝撃的だったので書いておこう。



『たまこまーけっと』の話です。

全体的な雰囲気はいつも通りで、
他の回と特段ちがうということはなかったです。
格別に気合の入った回、というわけではなかったと思う。
エンディングが特殊だったから、実はこう見えて送り手としてはリキ入ってがのかも知れない。

今回スポットが当たったのは、妹のあんこちゃんとお父さんの豆大さん。
あと、オマケでもちぞーの誕生日。
10月10日の「おモチの日」に起こった、3つの出来事の顛末。

一つ目は、あんこちゃんのストーリー。
何話目かで出てきた、メガネの男の子・柚希くんが10月10日に引っ越してしまう。
それを知ったあんこちゃんは凹んでいましたが、
もちぞーとたまこの後押しで、
当日にうまく、お別れと、再会の約束が出来てメデタシメデタシ。

二つ目は、お父さん・豆大さんのストーリー。
たまこの父・豆大さんとお母さんが出会った
(というか、親密になるきっかけになった)のが
どうやら10月10日のおモチの日……なのだろうか? そういう説明はなかったけど。
そして、コレマタ何話目か(2話目?)でたまこが口ずさんでいたヒミツの鼻歌は、
豆大お父さんが学生時代にお母さんを想って作った歌だった。
……が、お母さんがオンチだったため
たまこにはキチンと伝わっていなかった、というオチ。
お父さんとお母さんの出会いのエピソード。

オマケの三つ目は、もちぞーのバースデイ。
10月10日生まれのもちぞーさん、たまこに祝って欲しいんだけど
おモチの日とあってたまこの頭は例年おモチ一色で……
それに加えて今年は、あんこちゃんのことも、豆大さんのこともあり敗色濃厚。
……と思いきや、最後の最後で、たまこは実は憶えていて
お祝いしてもらえました、メデタシメデタシ。

この三つのエピソードを、どうして一話に束ねたのか……
その意図はちょっとワカリマセン。
強いて考えるなら、
再び出会える別れと、二度とやり直せない別れ、その対比なんですが。
もちぞーは……あんま関係ねえな。
ウン。
この辺の理由は、ちょっとわかんねえ。

  どうでもいいけど、最近毎回みどりちゃんもカンナちゃんも
  ワンカットくらいは可愛いシーンがあってうれしいですね。
  先週のおモチを頬張るとこなんかもう
  抱きしめてちゅっちゅしたいですね。

オイサンがガツンとやられたのは、その辺のことではありません。
たった一つのせりふと、それを引き出した場面との、
重層的でありながら無関係という形の鮮やかさにやられてしまいました。
ガツーン。



■「搗きたてのおモチ、すぐ食べた方がおいしいに決まってる」



このセリフ。このセリフにガーンときた。
主としてからむのは、あんこちゃんのストーリー。
シーンとしてはワリとありがちです。

自分の気持ちに正直になれず(なってはいるんだけど勇気が持てず)、
引っ越していく柚季くんにお別れを言いに行けないでいる
あんこちゃんの背中を押そうとして、たまこが
『今搗き上がったばかりのおモチを柚季君に持って行って欲しい』
という場面。

いやもう、シーンとしてはベタですよ。
ベタ。
ただその、セリフが捻りも衒いもなくてあまりに清々しく、
ドキリとさせられた。
 
 

 たまこ「ね、あんこ、おねがい。
     柚季くんにこれ、持って行ってよ」

 あんこ「え?」
 たまこ「このおモチ、柚季くんに食べてほしいんだ」
 あんこ「あ……」
 たまこ「柚季くん、きっと喜んでくれるから」
 あんこ「……」
 たまこ「だって搗きたてのおモチだもん。
     すぐに食べた方が、おいしいにきまってる!」

 
これですよ。
別に、何かを象徴してるとか、
明らかなメタファ(っていうのも矛盾してる気がするが)として
機能してるわけじゃない。

なんかね、うまいこと言おう/言わせようとしたり、
含みや記号や象徴を持たせようとして、
ヘンに粘っこくなったり説教めいたりしてしまったりするところなんですが、
ホントにまったく、たまこに
「おモチのことしか言わせなかった」
コトが感動的。

セリフ自身に、暗喩的な象徴みたいな、修辞はないんですよ。
いわゆる含みというか、「絡めてうまいこと言う」みたいな仕掛けは。
ホント、そうゆうのはこのセリフにはないと思う。
ないと思うし、ないの分かってるんだけど、
あるように見えてしまうのがすごいところで、未だにあるように見えてる。
やっぱり何かあったんじゃねえか? と思って見返してみても、
やっぱり見つからないワケです。
ひたすらモチのことしか言ってない。

 「搗きたてのおモチだもん。
  すぐに食べた方がおいしいにきまってる」

ね?
なんかこう……気持ちのことを謳ってるように見えるじゃないですか。
ジッサイ、その勢いというか、言葉の持ってる説得力に
「そうか、そうだよね」とあんこも思ったと思うんですよ。
「だから、だいじょうぶ!」みたいな気持ちが……。

何が「だいじょうぶ」なのか全然わからない、
あんこが「だいじょうぶ」と言ってもらいたいコトと、
たまこの発する「だいじょうぶ」な気持ちが全然繋がらないおかしなハナシなんですけど、
この際大事なのは「だいじょうぶ」ということばであって、
どれだけ強く、その「だいじょうぶ」が発せられるか、
そういうことではないかなーと思います。

たまこにとって一番強い「だいじょうぶ」を発することの出来る、
絶対の確信を持って保証できる事実が
「搗きたてのおモチがおいしい」
ということ、だったのではないか。
それを聞いて、はじけたみたいに走り出したあんこの足取りの力強さがまさに、
その言葉の持っていた強さを物語っている。
すごくシンクロして見えたのでした。

そこには多分、たまことあんこ、
心と心、目と目で会話したやりとりが、
このおモチに関するだけの会話で取り交わされていたことがあり、
それを読み取れている、読み取らせる見せ方になっている、
ってことなんでしょう。
それが凄まじかった。

  この脚本を書いたのは誰だあっ!
  お菓子を買ってやる!! ビ、ビスコ……!
  (元ネタが分かった人は帯をしめなおせ)。

とどのつまりは、あんこちゃんが柚季君のところへ向かうための言い訳づくり、
きっかけ作りでしかないんだけど、
それを、一見全然関係のないようなことば……と見せかけて、
何か象徴性があることば……と見せかけて、
実はやっぱり本当に全然何も関係のないことばだけで作り上げてしまった、
そのことばの作り方に衝撃を覚えました。



……んだろう、たぶん。 ← 自分でもよく分かっていない



オイサン勢いあまって、このとき、
「こんな台詞書いてみてえ」
とツイートしたんですけど、それはあんまり正しくなくて、
こういう「シーンと言葉の重ね方」が出来るようになりたいってことです。
台詞だけで完結するものじゃないですから。

あと、コレはまた全然違う話なんだけれども、
そのあと、何故かあんこのことを

 「デラちゃん、あんこをお願い!」

ってデラに任せちゃうところとか、
あまりうまく立ち回れなかったもちぞーにも

 「もちぞー、ありがとね」

とお礼を忘れないところとか。
何か、今回はたまこの女の大きさというか、
主演女優の面目大躍如な回だったような気がいたします。



……あー。



となると、豆大さんとお母さんの恋話を一緒にやったのは、
「お母さんらしくなりつつあるたまこの面影」を、
間接的に重ねたかったのかも知れない。
直接的な描写は一切ないけど。

ただ同じ回で描き、同じ時空に並列におくことで
ゆるくつながりを感じさせたかったのかも知れぬ。
となれば巧妙だ。
古き良きお母さんの肖像というか。
リアルではないかもしれないけれど、
日本の物語の中で神聖的に描かれてきた、
母親の理想像としての「のんきな肝っ玉かあさん」の大きさを
たまこに感じさせるために。

だってオイサン、
今回の話でずいぶんたまこのこと好きになりましたもん。
だってじゃねえよ。
何がだってなんだよ。

  ところでそういう「のんきな母さん」の存在は、
  「昔はどこの家でもそうだった」みたいに語られますけどそれは多分ウソで、
  どこかのフィクションから漏れ出た、
  色んな人の理想の、冷えた煮凝りみたいなもんなんじゃないかと思います。

  ついでに、デラちゃん。
  あの場面で「あんこをお願い」とふられて、二つ返事で
  「あい分かったぁー! 任せるがよい!」
  と引き受ける辺り、ヤツはいい男だと思うし、
  それなりに人生経験も積んだトシなんだろうなあ、と思う。
  デラちゃん、結構好きです。
  閑話休題。

演じている声優の洲崎さんは……
多分、意識的にそこまでのオーダーを負って演ったのではないと思うけど。
そういうこともなくてツルッとやってるからまた良いんだろう。
たまこ的にも、「持ってたものがツルッと出てきた」だけのことで。
説明されて意識的にやろうと思ったら、
そーとーオバサンにならないと出来ないだろうなー。



マそんな感じでヒトツ。



エピソード的にはわかりやすい人情話の三本立てて、
フツーに見る分にはホロリとさせるエエ話、
好かん派の人たちには、「ナンダコレ意味わかんねえ」と言わせる
恰好のターゲットみたいな話だったと思いますが、
オイサン的には、まさに神回。
見ごたえ十分な面白い回でした。

うん。



■ちなみに



10月10日がおもちの日、なんて全然知らなかったんで
ホントかどうか調べてみたんですが、こんなの↓は出てきました。

 ▼100%お餅ミュージアム|全国餅工業協同組合
 http://www.omochi100.jp/mochinohi/index.html

Wikipediaによると10月10日はほかにも、

 ・ マグロの日
 ・ 缶詰の日
 ・ 肉だんごの日
 ・ 釣りの日
 ・ 冷凍めんの日
 ・ トマトの日
 ・ お好み焼の日


など、盛りだくさん。
釣ったマグロを肉団子の缶詰にして、
それと冷凍めんとトマトを使った広島風お好み焼きを作れば万事解決ですね、
分かります!

キャラとしてはカンナちゃんが好きだったんだけど、
今回の話でちょっと、たまこに転んでしまいそう。

以上、
若き日の豆大さんがウォークマン聞きながら店番してるの見て
「え? そんな最近の話なの?」
と思ったけど……
エエトコ20数年まえのことだと考えれば、
もしかして豆大さんと俺は、そんーなにトシ変わらないんじゃないか、
という事実に行き当たって若干死にそうになったオイサンでした。


こえー。
時の流れこえー。


P3090476
都合良くおモチの写真はおモチでないので五目ゴハンです。


 

|

« ■ひがしの最果てにて -更新第845回- | トップページ | ■THE FESTA!!~超ひだまつり in 日本武道館!~Rpt.01 -更新第847回- »

[ご意見]」カテゴリの記事

アニメ・コミック」カテゴリの記事

コメント

■サイトロさん
 
まいどおおおきにのオイサンです。
『たまこまーけっと』、ご覧になってますか。
毎回高い水準で面白いですね。
今期はコレと『GJ部』で大満足のオイサンです。
 
サイトロさんは#9のあの場面から
「たまこの、お店のおモチの食べてもらいたさ・自信」
を感じたということのようですね。
それを聞いて驚いたのは、
オイサンも1回目を通して見た時、あの場面から残ったのは
 
「あ、こいつ(=たまこ)モチのことしか考えてねえw!
 モチ都合だ、モチ食ってもらいたいだけだw!」
 
っていう印象だったんですよ。
今サイトロさんが感じているのは、たぶんそれと似たようなことなのではないかと推測します。
 
実は今回の記事を載せる前に、
その1回目のままの感想で書いた記事があります。
長くなりますけど、オモシロイからそのまま載せますねw ↓

--------------------------------------------------------
■「搗きたてのおモチ、すぐ食べた方がおいしいに決まってる」

このセリフ。このセリフにガーンときた。

このセリフが主としてからむのは、あんこちゃんのストーリー。
お友達の引っ越し当日の10月10日、
お別れを言いに行けないあんこに、おモチの日のイベントで搗いたばかりのおモチを
たまこが差し出しながら言った言葉がこれだった。

別に、何かを象徴してるとか、
明らかなメタファ(っていうのも矛盾してる気がするが)として
機能してるわけじゃない。
そういう「仕込み」や修辞は読み取れない。
そういう類の鮮やかさではなかったんです。

「搗きたてのおモチを持って行(くのにかこつけて、お友達にちゃんと会って)きなさい」
という、所謂「粋なはからい」の態度でもないし、
「芽生えたそういう気持ちを大事に、新鮮なうちに伝えておいで!」
っていう、前向きでお節介? な気持ちのメタファも見えてこない。
否、ほんのり見えては来るんだけど、
それは受け手の受け手による受け手のための思い描き……妄想であって、
たまこの視点に立つと「そんなつもりないよ?」と小首を傾げてくるに違いない。

本当に、たまこの頭にはただただ
「搗きたてのおモチはおいしい」ということしかない。
勿論、
「引っ越しするお友達におモチを持って行ってあげて」
とは思っているんだろうけど、
それはどっちかというと人(あんこ)の気持ちを慮ったものでなく、
モチ側の論理(なんだそれ)、
モチのエゴ(だから本当に何ですそれ)しか見えていなくて
「つべこべ言わずに
 いなくなるそいつにモチのうまさを思い知らせてやれ、
 食わずにいなくなるなんざ許せねえ」
的な(そんな乱暴な気持ちでは当然ないけど)スタンスでしかない。
うまいこと言おうとして失敗した、っていう描写でもなく。

  おモチは、おいしい!
  その向こうに何か繋がるものはあるかも知れないけど取り敢えず関係ない。
  食べてから考える!
  ……という。
  モチの向こうの風景は、あの子、多分霞んでると思うんですよね。
  そんなことは考えなくても、
  おモチが人生のすべてを解決してくれると「知っている」。

  そう、「会いに行っておいで」という気持ちと、
  おモチを差し出す気持ちに一切のリンクが見出せないのです。
  ついでだとも、エクスキューズ作りだとも解釈できない。
  おモチが強い動機にもなり得ない。
  独立した二つの気持ちにしか見えてこんのです。

それを、モチに対して不純な、人間の都合でしか見られない周りの目を通して見ると
「ああ、なんかうまいこと言って背中を押そうとしてくれているんだな」
と見えてしまう、という……
作劇や修辞、人間の想像力を逆手に取った人物像の形成だと感じました。

  たまこはどこまでもモチに対して無邪気で真摯で純粋なのであって、
  すなわちモチの世界の天使。
  ハイもう自分でも何言ってるか、半分はわからない。

まあ、妹の背中を押す気持ちがないワケでもないんです。
それももちろん、人としてのたまこの気持ちとして。
たまこの言いたいコトも、このセリフを通してどストレートに伝わってくる。

でもそのコトと「おモチを渡す」ことは意識の上ではまるでリンクしておらず、
その
「現実世界の、ひとの心のレイヤー」と、
「モチ世界の、モチ天使としての心のレイヤー」とが
それぞれ影響し合うことなく偶然あまく重なったことで、
モチのことしか考えていないたまこが「モチうめえ」って言っただけなのに
モチ天使ならぬあんこの心が突き動かされた!
「ように見える」という(そしてそれがギャグとしても扱われていない)、
実体のないあの不思議な空気に、ぽよんとした衝撃を受けまんた。

「いやいやいや、それはさすがにおかしいだろ! 意味が分からないよ!」
と思ったあなた……ウム。
まあ、気持ちはわかる。
あなたはきっと、立派な人間だ。
それでいいと思う。
 
■Closing
 
実際のところ、たまこは、あんこを後押しをする気持ちで、
なんかうまいこと言おうとした、言ったつもりでいる、のだと思うんです。
ホントはね。
作り手もそのつもりで描こうとしたのではないかと。
 
  そう考えると、ラストでもちぞーのお誕生日も憶えてましたヨ、という描写も、
  「モチのことばっかで頭いっぱいなわけじゃないんだぜ」
  っていうメッセージとして意味を持ってくるワケです。
 
……にしてもねえ。
これまでのたまこの人物像であったり、
あのせりふそのものから読み取れる意味からだと、どう考えても、
気の利いたことや、粋なはからいを意図しているとは思えない。
「モチのうま味」が前面に出過ぎている。
それよりは、上で書いたような「現象」だとした方が、
オイサン的には納得がいくし、
面白いし、
鮮やかだと思えました。
理屈ではなさ過ぎる、天使の所業として。
 
(中略)
 
マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。
--------------------------------------------------------

……とまあ、こんな具合です。
 
随分アタマのおかしい感じに仕上がっててコレはコレで気に入っていたのですが、
イザこいつをアップしようとしたときに
「念のためにもっかい見直そう」
と思って本編を見直してみたら……思いのほか、
たまこがちゃんとあんこのことを見ている流れになってたのに気が付いて、
ビビって書き改めたのでした。
俺w計画性www
 
マ何が合ってる・間違ってるってことはなく、
最終的にどう判断するかは受け手それぞれのものなので良いとして、
あのセリフがやたらと強い引力を持ってることは疑いようがないんだなあと、
サイトロさんにコメントをもらって
「アおんなじこと考えた人いるんだわ」
と思えました。ハラショー ← ロシア人の血
 
今でもちょっと
「ホントにたまこは、あんこのことを考えておモチを持たせたのかな?
 モチのことしか考えてなかったんじゃないかなw?」
という疑問が残らないではないのです。
店に入って来るときやその直前のたまこの表情が描写されていないことが、
作り手にその意識が希薄なことを物語っているように感じます
(曖昧にするために敢えて省いているともとれますが)。
 
分かりやすく作るつもりがあるなら、
「(あ、あんこが渋ってるな? よーし)」
みたいなたまこの顔が挿しはさまれていいと思うんですよね。
一応主役なんで。
 
マそんなんで、随分長くなってしまいましたが。
私にとっては#2が深く謎めいた大変面白い回だったんですけど、
それに続く面白い回だったと思います。
どうして3本立てにしたのかな? などの謎も相俟って。
 
今期ももうじきおしまいですが、
最後まで楽しんでみたいと思います。
 
ほなまた。
うさぎ山商店街で待ってます、きっと見に来てくださいね。
オイサンでした。
 

投稿: ikas2nd | 2013年3月13日 (水) 22時09分

オイサンこんばんはですー。
季節の変わり目ですが、お変わりないでしょうか。


『たまこまーけっと』9話、EDでホロリと来てしまいました。
ノスタルジックに浸る過去もまだまだ無い自分ですが、あのお父さんが戻らない過去を恥ずかしそうに歌って、写真を見つめるシーンに思わず涙腺が緩んでました。
お父さんとお母さんの間に何があったのか、というかお母さんの経緯について今回敢えて答えを明示しなかったのは、『たまこまーけっと』という物語には必要とされてない、時代は現代なんだけれど商店街はあの頃の――今ではなさそう、と思わせるような懐かしさを感じさせる世界観では暗く影を落としそうな話だったからでしょうか。不自然ではなかったんですけど、ちょっと気になりました。

たまこの言葉、もといこのシーンはごく短な間にたまこというキャラクターの大部分を表しているように思います。自分の家のおもちは世界一、だからみんなに食べて欲しい、そんなおもちに恋する女子高生。彼女のキャラクターについては既に視聴者にも浸透している筈なのに、この言葉は凄く新鮮に、且つゆるりと耳に入って来ました。こういう、キャラと言葉がしっくりとはまる事を実感出来るのってそうそうないなーと思います。


オイサンとは観点がまた違うとは思いますが、この9話は自分にとっても『たまこまーけっと』がより好きになった回でした。

『ゆび先はもう一つの心臓』、また遊びに来ます。
それではまた。

投稿: サイトロ | 2013年3月13日 (水) 00時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/55967/50735400

この記事へのトラックバック一覧です: ■ことばに、ならない。~『たまこまーけっと』#9感想 -更新第846回-:

« ■ひがしの最果てにて -更新第845回- | トップページ | ■THE FESTA!!~超ひだまつり in 日本武道館!~Rpt.01 -更新第847回- »