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2012年12月23日 (日)

■ケイオスの秩序 -更新第830回-

今常駐させてもらっている先の会社の敷地の中に、
それはそれは立派な二本のメタセコイアと一本のヒマラヤスギが、
何かの記念樹として植えられておりまして。

それが余りに立派なものだから、
朝、仕事に入る前と、お昼に食事に出るとき、
立派だなあ、きれいだなあと毎度見上げてしまいます。

どちらの木も凛と一本、大きな幹を持っていて、
その幹からほぼ一定の太さの枝を、上の方は短く、下の方は長く、
きれいな円錐型を描くように生やしておられ、
まさにザ・西洋の樹! といったシルエットをお持ちです。

面白いもので、
メタセコイアさんの方はその枝を全て斜め上方へ向けて生やしているのに対して、
ヒマラヤスギさんは比較的、地面にピシッと、水平に伸ばしている。

  まあ画像でも検索してごらんなさい。
  何となくわかるから。

  ▼メタセコイア
  http://bit.ly/UR8IMM
  ▼ヒマラヤスギ
  http://bit.ly/T7o68j


その違いのせいで、
メタセコイアさんは全体的にすらりと鋭い感じに仕上がり、
ヒマラヤスギさんは、どしりと落ち着きのある佇まいを感じさせます。
どちらも負けず劣らず、美しい。

  色の違いのせいもあるでしょう。
  メタセコイアさんは、暖色系の葉の色を季節が進むに連れて少しずつ薄くしていき、
  ヒマラヤスギさんは一定して、深い緑の葉をつけておられる。

普段、そんなにぶっこんで植物に興味がある方ではないので、
漠然と「あーきれいだなー」くらいにしか思っていませんが、
こうして「よく似ていて、かつ微妙に異なるもの」を並べて眺めていると、
その違いがかえって際立ち、
何故、その、違いが生まれなければならなかったのか、
そんなことを考えてしまう。

ずばっと言ってしまえば、
彼らと彼らの祖先の生まれ育ってきた環境のちがい、
なのだろうけど。

暖かいところ、寒いところ、
雨が多い、少ない、
雪が降る、降らない、
日が照る、照らない、
風が強い、弱い。
生き物が多い、少ない。

そんな条件にさまざま適応した結果、
かたや枝の角度を少しずつ上げ、
かたや、真横にずばりと踏ん張ることに決めたんでしょう。

  しかしメタセコイアさんの、あの枝の角度といったら
  あれはアレで
  「ん、こんなもんかな。……足らんな。次の代ではもうチョイ上げるかな」
  みたいな調整も、恐らく重ねてあの角度に決めたのだと思うと
  味わい深いというか、……あの美しさにとても合点が行く。
  マそもそも「水平から始まった」のかどうかも甚だアヤシイのではありますが。

敷地内には他にも、
ケヤキ、くすのきなど多様な植物が植わっていて、
上から下まで貫通した幹を持たず
途中からワナワナと枝分かれしつつそこからさらに枝を生やすものや、
ごつごつと節々で伸びる方向を少しずつ変えながら、
「伸びる」というよりも「昇る」という動的なイメージを持つものもある。

うーん。

もっと早くにこういう面白さにも気付いておれば、
こういうものをちまちまちまちまと見つめる研究などに
従事しておったやも知れぬなあ。
実に面白い。

  魚にしても、そうでね。
  昨日、海老名で『新・エヴァンゲリヲン劇場版 Q』を見てきたんですけど、
  お昼に食べた焼き魚定食に出てきたのがあまり馴染みのないお魚で、
  板長さんに聞いてみたところ「たかべ」というお魚だとおっしゃる。

  R0055365

  実に日本で食べられる魚らしい魚、
  犬でいうところの柴犬的な雰囲気を持っていて、その美しさにすっかりやられてしまった。
  ……いや、柴犬は食べないけども。

  そんな風に、色々あることを知っていながら
  あまりその色々に、視点をフォーカスしないで生きてきてしまった。
  そこを何かのはずみで「あ、これ実はすごい」「面白い」と
  思うことが出来たら、さかなクンさんの様に突き詰めて生きていくことも、
  もしかしたら出来たかも知れない……閑話休題。


マそんなことで。

果たして、平安・鎌倉の昔に、
こうした和のテイストとは異なる影を携える木々が日本の国にもあったなら、
そこにかかるしろがねの月、
真っ青な空にV字に交わる、飛行機の白く眩しい機体を見て、
かの歌聖たちは果たしてどんな歌を詠むだろうか?



……。



などというコトもですね。
なんだかやけにしんしんと、骨身に染み入る今年の冬の冷たさを感じながら
考えてしまう、
ボディーだけおっさん、
ソウルは乙女、
歩く姿はギガンテス、
でおなじみのオイサンですよ。



■『エヴァQ』感想



デ見てきた。
『エヴァンゲリオン新劇場版:Q』。
公開直後から大フィーバーしてたんで、もうすっかり開き直って
ネタバレもガンガン見た上、お話の概要と順序くらいはほぼアタマに入った上での視聴。

もう、見終わった方々はなんか言いたくて書きたくて仕方がないようで、
公開の初日から、Web上では「なんだありゃ」「イミが分からん」の大合唱で、
考察やら推測やらが溢れ返っておったのは少しでもご興味をお持ちの諸氏ならご存知の通り。

その中身の大半は、
ストーリーがあんまりにも突飛あること、
どうやらまた庵野カントクが受け手を挑発するようなメタファをてんこ盛りにしている、
みたいなことだったのでどうにも積極的に見に行く気も起こっていなかったんですが……
テレビで流れたCMの、画の方がなんだかとても楽しそうな画だった
(『フリクリ』っぽい崩れが面白そうだった)ので、
それを楽しみに行こうと思って見に行くことにいたしました。



……。



いえね、何て言うか……。
オイサンなんかは『新世紀エヴァンゲリオン』を、テレビ本放送の最初の最初から
リアルタイムに見ていたクチでして
(と言っても当時の我が家はテレビ東京系のUHFが一切入らなかったので、
当時、京都の大学に通っていた兄が、お知り合いの録画したテープを借りてきて
それを見ていたので本当のリアルタイムではないけど)、
一番最初に見た、聞いた、「残酷な天使のテーゼ」のカッコ良かったこと、
これから一体何が起こるんだろう? というワクワク感なんてのは、
当時の若さも手伝って筆舌に尽くし難く、
その後に巻き起こったムーブメントを見るに、似たような感情を味わった人たちも、
きっとまあ大勢おられたんだと思います。



  マ如何せん、内容が内容だけに、
  「単にアニメーションの出来、娯楽としての質の高さを正当に評価された」
  とは言い難いのは衆目の一致するところだと思いますが、
  にしたって、あの盛り上がりようといい、
  20年近く経った今尚これだけの観客を動員していることといい、
  客観的に見れば(色々含めて)日本のアニメーション業界において
  エポックメイキングな現象であることは、まあ間違いがきっとない。

  その熱をどれだけ浴びられたかでまた実感はちがうと思うけど。
  何千本・何万本と生み出される作品の中で、
  そんな風を吹かし得た作品がどれだけあったかということを考えれば。

デその、ワクワクする『エヴァンゲリオン』、
カッコイイ『エヴァンゲリオン』は、
そんなえらいことになってしまったお陰で、
受け手と作り手は、ずーっと喧嘩をしてるような状態だなあと思える。

多分作ってる方も受けてる方もそうは思っていないと思うけども、
作ることも、受けることも、それは相手を「意識する」ことに他ならず、
その意識の形状は、オイサンの見る限り、相手に向けて矛先を構えた形をしている。
それをケンカと呼ばずになんと呼ぼうか。

テレビシリーズが「ああいう」形で終わってしまってものすごい賛否両論を呼び
(オイサンはあれは好きです)、
それを補う形で『劇場版』が作られ、
どうやらそれでひと段落ついた、これで『エヴァ』も落ち着いた、
と、
思っていたら、
また何故か庵野カントクが「もまいら映画つくろぞ」と言い出した。
その狙いが果たしてどこにあったのか知りませんが。
いろいろ話は聞きますけど。

四部作の半分まで、『序』『破』ときて、
ここまではオイサンはあまり「好きじゃなかった」んです。
面白いと思えなかった。
で、今回『Q』で……また、監督がちゃぶ台返しみたいな、
今までのことを全部無視してそっくり返すようなお話を語りだし、
主人公を中心に据えたメタファーの舞台に
「未だにアニメなんかを見てる17年前のもまいら」
を引っ張り出してケンカをふっかけ始めた、らしい。
大体そのような考察が、Web上を埋め尽くし始めた。



……あのー、ダメなんですかね?



17年前に、あのカッコイイ『残酷な天使のテーゼ』の映像を考えながら、
「超面白いロボットアニメを作ろう!」と、きっとカントクも考えていたにちがいなく、
けどそれは一回目はどうやら上手くいかなくて、
映画で作り直してみて、
まあ上手くはいったけどそれでも皆がみんな万々歳で喜んでくれるには至らず、
思うところがあってもう一回やってみようと思った、
その行きつく先は、
一番最初に考えた、ただの「超面白いロボットアニメを作る!」ということに向かうだけじゃ
ダメなんですかね?
あの『残酷な天使のテーゼ』を、そのまま写し取ったような物語を、
ひとえにもう一度ちゃんと作ろう、というだけでは……ダメなんでしょうか?
監督も、我々も。

我々の中の人たちは、多分それを見たいだけなんだと思うけど。



監督は、ただ作りたいように作ればいいじゃん。
最初に作りたかったように作ればいいんじゃん?



どうしてそう、「もまいら」相手に語りかけ、
ケンカをするようなことをしないといけないことになってるんでsy










って、いうようなことをですね。










「あー……多分、『Q』見て帰ってきたら、俺は書くんだろうなあ」
と思っていたんだけれども。
あのね、全然、そんなことなかったわwww

いやー。
見に行ってみるモンだね。

面白かった。
普通に。
格別な、突き抜けた面白さを感じられたわけでは無かったけれども、
監督は、「ちょうかっこいいバカみたいなハッタリの効いたロボットアニメ」を、
快感の真ん中で作ってるんだと思いました。

楽しそうだった。
と、思う。
少なくとも冒頭、希望の艦・ヴンダーが空飛ぶあたりでは。

「うわー、オッサン相変わらず、ケレン味大暴走だ!」と、
嬉しくなってしまいました。
あそこですごいホッとした。
「コレ面白いかも」、と。

  そしてここまでを見た時点で、
  「この話多分、シンジ君のことはほっといて、
   全然新しいマンガとして見ればいいんだな」
  と思い始めた。

ネタバレ前評判では、
シンジ君が置いてきぼりで、見る側もそのとばっちり喰って
ワケの分からない14年後のストーリーのド真ん中に放り出されて意味が分からず、
そのままずるずると何の説明もされないまま最後まで連れて行かれる、と聞いており、
マ確かにそれはその通りなんですが、
その辺に関しては諦めがついておるのであまり気にはならない。
そんなもんだろ? お話なんて。
語り手有利の後出し上等のじゃんけんで語られ、
必要なことだけで構成されるものなんだから、
提示されないものを求めても仕方がない。

なぜ何もかもを丁寧に説明されること前提で見ているのか。
あの情報量で充分じゃん? と、見ながら思った。

  『破』からずばんとぶった切られた時間軸の上で語られるから、
  『Q』はかなり安心して見られた。
  面倒くさいんじゃよね。過去の面影が尾を引いてるのは。
  むしろ、『序』をここから始めれば良かったんじゃね?と思った。

話は確かに、前作『破』から14年経っていて、その間のコトは見る側にはほぼ知らされず、
今後真面目に、間を繋げて整合性を保つつもりがあるのかどうかは分からない。
けどまあ、それはそれでいいんでしょう。
多分ないと思う。
無い方が都合がいいコトはたくさんあるんでしょうし、
その14年は、多分今後、メタファーの舞台になると同時に
「設定の緩衝地帯」として大いに活用されるのではなかろうか。
そんなことしてまで監督が何かを語ることももうないと思うけど。

ミサトさんや他のクルーがそれなりに年をとっている中、
アスカが年をとっていない理由を
「エヴァの呪縛」
と、バッサリと切って捨てた様に
(これは各所のネタバレ的考察で言われているメタファと大いに関係しているのでしょうけど)
「てきとーにハッタリこいとけば、
 もまいらがまた勝手にグダグダ捏ね回して間を埋めてくれるだろう」
的な姿勢が、似非SF屋さんとして、ストーリーテラーとして誠実な態度であるかどうかは別として、
まあ、まあ、アリなんじゃないでしょうかね。
イザ、そこを突っ込まれたときに困らないように、ざっくりした構想くらいは
緊急回避用に用意してあったりなかったりするんでしょうけど。

エヴァまわりの設定の数々……
『破』の時のビーストモードとか、今回の「コード:Triple7」とか、
拾い切れないくらい膨大な、裏付けありげな用語ばかりがバンバンならんで
逆にあり過ぎて本当に裏付けが考えられているのか疑わしさが先に立ち、
深みを失くしてただの適当な、言葉の羅列になってしまっている気がしないでもない
(考えられているとしても、そこまでオリジナルが過ぎると現実と
繋がらなさ過ぎて最早ファンタジー)。

そこまで計算して、見る側を小馬鹿にしようとしているなら
それはそれですごいと思う。

だから、終盤の戦闘シーンはかなりばかばかしくなっていて、
正直「もうどうでもいい」レベルだった。
それまでの積み重ねやリアリティとの整合がないので、
作り手の都合のいいようにいくらでも振り回せるから何とでも出来る。
また、お話のバックボーンも見る側には知らされていないから
予測したり考えたりが出来ないので、もう眺めてるしかない。

そうそう、ぷち3rdインパクトが起こったせいで地表はほぼ壊滅状態になってしまってて……
あの、
最初の『EVA』のいいところの一つに、
「現実に近い風景の中を、巨大ロボットっていう異質なものが
 リアルな質量をともなって歩く」
っていう、地続きの没入感があったと思うのです。
エヴァのデカさとか重さ、電力供給とか、原子力駆動にしたらどうなる、とか。

なのだけど、
今回の舞台では地表がすっかり壊滅しているせいで、
現実感のない世界の中で、どのくらいの大きさのものが、どのくらいの重さで動き回っているか、
ということを、映像から肌で感じることが出来がたい。
ビル街で巨人が腕を振り回せば物が壊れるよ、っていう窮屈さ、比較対象がない。
判断の前提、感覚のゼログラウンドをどこに置いたらいいかがわからない。
浮ついた感じがする。

  いくらエヴァが真っ赤な空と地面の中で、
  巨大なしゃれこうべを踏みつぶしながら戦ったとしても……
  禍々しさや神々しさは生まれるけど、
  心で正しく捉えられるだけの手触りのある感情はなかなか生まれないと思う。
  うーん。
  ……なんかね。
  その辺は、そこら辺の安っぽい鬱ゲーみたいで、残念だったように思います。

シンジ君の葛藤にしても。
等身大・リアリティと地続きのものだった……ハズ。多分
その当たりの点で、旧版とは大きな隔たりがあるように思います。
その辺は……ちょっと残念でしたけど。
今回は
「その辺の窮屈さはどうも14年の空白っていう時間的な方向にシフトさせよう」
という狙いがあったから、そっちはもういいや、と思ったのかも知れない。

あ、でも、冒頭の宇宙での軌道表現なんかは
かなり現実に即した形で作られているらしいので、
オイサンにはわからないだけで、そういう「物理的リアリティ」は
随所に盛り込まれておるのかも知らん。



……なんか文句ばっかり言ってる感じだな。
おかしいな、面白かったんだけど。



庵野カントク、やっぱりすげえなーと思いましたよ。
こういう言い方は僭越極まりないんだけども、
オイサンのような立ち止まったままのオタクを、
何年もかけて、何億円も使ってdisろうっちゅうだけあって、
この十何年で、たくさんの新しいことを出来るようになってるんだなあ、と
スゴく思った。

それは新しい会社を立ち上げてまでアニメを作ろうとしたり、
そこに人を呼び集めたり、お金を集めたりっていうようなことから、
作品の表現的なことでもスゴく思った。

一番ガツーンと来たのは
カヲルくんとシンジくんのピアノの連弾のシーンで、
あーシンジくんめっちょ喜んでんな、解放されてんなーってことが伝わってきて、
昔の『エヴァ』じゃこうは行かんかったろうなーと思った。

  ……マその辺は、旧シリーズからの蓄積があってこそ
  こういう「無茶な」表現も、自己パロディの延長線上において
  出来るってコトだと思いますけども。
  「こいつらおかしいだろ? でもこいつらならこうだろ?」
  っていう。

  そうそう、
  「(ピアノを)上手になるにはどうすればいいだろう?」
  「反復練習しかないよ」
  というやりとりを聞いていて、
  多分、絶対、語り手的にはそんなことはないと分かった上で、
  「ああ、こりゃカントクのことだな」
  と思ったりも、した。
  上手く作りきれなかった『エヴァンゲリオン』を、
  こんだけ毎回、何年も、何億もかけて作り直しをして、
  ようやく上手に出来るようになりました、という。
  絶対本人はそんなこと込めてないと思いますけどね。

終盤近くの世界崩壊(再生?)のシーンなんかは、
噴火とか隕石なんかの具体的な現象を伴わずに
空が裂けたり地面が割れたり、みたいなことを象徴的に描いていて
相変わらず、そういうイメージの力はすごいなあと感心。
星が生まれたり死んだりっていうときには
このくらいのことは起こっているんだろうなあと何となく納得させられる。

ただ、でも、
当初、見に行く原動力となった画の面白さは……あんまり感じられなかったかな。
思ったよりもおとなしかったと思います。

全体的には、お話はスピード感があったけど、
一回ながーい話を作っておいてそこからいりそうなシーンを切り出して継ぎ接ぎしたような性急さを感じたとか、
宮村優子は今ほかになにやってんだろうかテンションかわらなくてスゴいなとか、
ヴンターとかセントラルドグマとか、それこそエヴァシリーズを見て
「『エヴァ』って『手』が印象的なモチーフになってるのにはなんか意味があるのかな」、
と思ったとか。

ほかにも色々、思うところはあったのだけども。
なんていうか、
ようやく『「新」劇場版』と言えるくらいのことになってきたかな、
と思えて面白かったです。

  『破』まではホント、違和感しかなかったからね。
  『Q』から本気出す、というプランの元に、
  「『序』『破』は敢えて今まで通りっぽくいきます」
  と計算づくでガマンしてきたんだったらスゴいわな。

バラ蒔いたものを回収する気がどこまであるのかわかりませんが、
今回と同じ調子でやってくれるなら期待はもてるかなーと思います。
『破』のまま、終わらないでいてくれて良かった……けど、
じゃあ、
結局、
テレビでやった『エヴァンゲリオン』は、
ますます一体何だったんだ、ってことにはなるかしら。
マ良いけど。



良いお年を。←早い。


 

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