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2012年9月27日 (木)

■一本の道を歩いている途中で、一つのことに出会うということ~SS『女神異聞録ペルソナ』あとがき -更新第812回-

どんなことでもそうでしょうけども、
一つのことに、ムダに一途に寄り添っていると、
ワリと何かが返ってくるものなのでしょうね。

その接する態度が、真摯であったり誠実であったりする必要も、実は「ない」と思える。
真摯や誠実なんていう言葉や態度は所詮人の世のご都合ゴトにしか過ぎなくて、
国ざかい県ざかいを一つ跨いだだけで不実に裏返り得るものだし、
客観的になろうとするならば、実はあまり、大した意味はない。

そのときに本当に意味を持ち得るモノは、
時間と距離、そんな普遍のモノなのかもしれない。
何日、何時間、何センチ、何メートル、
そんな単位も意味のない、絶対の、自然の、時間と距離。

  イヤイヤでも、シブシブでも。
  雄と雌、同じ檻に入れておけばいつかはつがうという奴です。
  それを受け入れるかどうかは、また別問題だけど。

動機が不純だとか、打算や煩悩にまみれているとそのとき思えたとしても、
ただ長く、深く、濃く寄り添い続けることで、
そこに込められたものを読み出し、一つの真理であると「正しく勘違い」をして、
人生なんていうばかげたモノの上を歩いていくための指針に出来てしまう
チカラや機会を授かるのだと思います。

  それがご褒美なのか罰なのかも、また別問題として。

映画監督さんとか音楽家さんとか、
若い頃に何百本映画を見たとか、何千曲音楽を聴いたとか、
その中で、映画には、音楽には人生のすべてがある! 私はそこからすべてを学んだ!
みたいな感覚を持ち、言葉にしたりなさいますけども、
それは全くその通りで、あらゆることにおいてそうなのではないか。
スポーツでも、畑仕事でも、男女関係でも。



オイサンです。
マクラが長くなったな。



何の話かと言えば、
先日アップした初代PS版『女神異聞録ペルソナ』(めんどくさいので以下『異聞録』)のSSの
後書きのようなものを書こうと思ったんだけども、
思えば『異聞録』との出会いやその後の関係は、
オイサンとテレビゲームが上で書いたみたいな関係にあったから
成り立つものであったように思えたので、こんな出だしになってもうた。

マ自分にとってテレビゲームが本当にそんなパートナーなのか、
そんな大層な感覚を得られるほど、
「深く寄り添ってきた!」と胸を張って申仕上げられるモノなのかわからないけれども、
やっぱり『異聞録』との出会いと出来事は、その機会の一部だったように思える。



■聖エルミンの庭で。



別に、このSSを書こうと思った特別な理由なんかはなく、
ある時期様々なゲーム中の印象に残った「場所」について、
物語風に何か書こうとしていた時期があって、
その中の一つにこの「聖エルミン学園」も挙がっていたというだけ。

だからタイトルは素っ気なく「聖エルミン学園」だし、
話の主役もゲーム本編の主人公でなく訳の分からんおっさんになっている。
ゲームの中の一舞台(「一場面」ですらなく)の空気を、
ちょっとだけ面白く書こうという試み。
うまくいってるかどうかは分からぬが。

  ちなみに他には
    ・摩周湖(『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』・掲載済み)
    ・ロンダルキア(『ドラゴンクエストⅡ』)
    ・特急ヴェガ(『お嬢様特急』)

  なんかがあります……あれ? なんかもういっこなかったかな。
  マええわ。

数あるゲームからこの題材をエントリーした理由は……
やはり、初代『異聞録』が個人的に印象的なゲームだったから、なんだろう。

『ペルソナ』シリーズが『3』から雰囲気を大きく方向転換したように、
『異聞録』はFC・SFCと続いてきていた『女神転生』『真・女神転生』のイメージを
ガラッと変えるものだった。

自分自身、『女神』『真・女神』シリーズは
FC版の初代『女神転生』をつまみ食い程度に遊んだくらいでほとんど無縁だったのが、
『異聞録』には電撃的に惚れ込んだ。
3Dダンジョンものはむしろ苦手で、忌避さえするほどだったのに。





『異聞録』の一体何がそんなに自分に響いたのかは正直わからん。
発売のほとんど直前になって、電気に打たれたように
「これはやらなあかん!」
と思い立って購入に踏み切った記憶がある。
あれはよくわからない、不思議な体験だった。
あんな風にゲームを欲しいと思い、購入に踏み切ったのは後にも先にもあれきりだ。

他にも、
シナリオ途中に仕込まれた会話選択肢によるバッドエンドに、
それとほぼ予測がついていながらも自分から突っ込んで玉砕し
アタマからやり直しになったとか、
雑誌に投稿したインプレッション記事が採用されて丸1ページ載ったとかが重なって、
『異聞録』は思い出深い一本になった。

……今じゃ、RPGで、会話選択肢で一発バッドエンドなんて
あんまり考えられんものな。
「お前はケムコ製か!」
と突っ込めたピップ君は14へ進むと良いと思います。

  ……。
  ホンマじじい向けのブログやでここは。

その場でバッドエンド食らって即再開可能、くらいならネタとしてあるかもだけど、
『異聞録』さんは底意地が悪いというかFC時代のスパルタン仕様の名残というか、
バッドが確定する会話シーンからバッドエンドに至るまで
相当時間を要する(普通に1、2ダンジョン、十数時間はあったんじゃなかろうか)ので、
その選択肢手前のデータが残っていないとマジ即死。
アタマからやり直しになる。

  初代プレステが爛熟へと向かう、上り坂にあたるこの時期の作品群には、
  多かれ少なかれそういう遊び心があったように思います。
  強引でも他と違うことをしたれ、それが面白いと言い張ったれ、みたいなね。

とはいえ、その選択肢も、それまでのストーリーをキチンと読み取れていれば
バッドエンドに向かう選択肢を選ぶことは、まあ、先ず、ない。
素直に、物語の主人公を演じることに抵抗したりさえしなければ。
どっかのアラフォーみたいに、
プレイ時心身ともに凹んでおり、
己が身をゲームに投影して、ヒロイックファンタジーにあるまじき
後ろ向きな選択肢を選んだりしさえしなければ、
バッドエンドになぞ。
そうそう、辿り着いたものじゃない。

……。

けれども、そういう憂き目にも遭ったおかげで……というか、
自ら望んでそういう結末に突っ込んでいった結果として、
まさに主人公と一体になれたという意味で、
この『異聞録』は真正面から向き合った最初で最後のRPGだったなあと、
このように感じてもおるわけです。
これは、ワリと真面目にね。

まあ、RPG本来の「ロールプレイ」=「役割を演ずる」という意味からは
真逆のプレイではあったわけですが。
「自分を物語の主人公に預ける」ものであるはずですが、
逆にオイサンは、役柄に自分を押しつけたワケですからね。
そりゃあ話のスジは歪みますよ。

やっぱちょっとおかしなゲームだったと思いますよ。
今と違って、なかなかセーブも出来ないしね。
大変なゲームだった。

  そういえば、PSPでリメイクされる『FFⅢ』のクリスタルタワー以降は
  原作に則ってラストまでセーブポイントないらしいですね。
  トチ狂っとるなあ。

最近では、そうまで思い入れられるゲームに、そうそう出会わない……
というよりも、
自身の出力の問題でゲームに対してがっぷりとコトを構えることが出来ず、
ゲームからあまり多くの深いものを受け取ることが出来ずにいる。
やっぱり、どこか心が離れてしまっているんだろうなあと思う。
寄り添えていないし、向き合えていない。

これまでの人生というのは、
小学校二年生のときに最初のファミコンが発売され、
それ以来、
テレビゲームはずっと自分の傍にあって、
自分の暮らしの節目節目にはそこで語られる物語が目印のように寄り添っていたし、
こうやってモノを書いたり、人と話をしたりするときに、
自分をドライブしてくれるものはゲームから得た様々な感情であったりする。

  自分が新しく抱く興味や、新しく起こす行動は、
  まあ大体ゲームがきっかけになっていたな。

人との出会いとか、旅先の風景とか、
心を震わせてくれるものは他にももちろんあるのだけれども、
そうした「現実に存在するもの」の多くは、どうにも、
あくまでもそこに固定されたものであって自分にはついてこない、
自分のものにはならないものらしい。
残念ながら。
人の視線を借りながらも、
自分の体験としてモノゴトを引き渡してくれるテレビゲームの世界は、
オイサンにとっては最適な世界だった。

  まあ、それも子供の頃からそういう世界に浸ってきたから
  そういう人間になってしまったのかもしれないけれども。

ある物事から何かを読み出そうとすることや読みとることの大部分は
当然論理や物理に因るけれども、
うち何割かは想像力や思いこみに依っていて、
オイサンの場合は後者の割合が恐らく人よりもかなり高い。
妄想も甚だしい、思いこみが激しい、というやつだ。
論理・物理の及ばない場合に限らず、
自分の思いで勝手に補って、悪く言えば自分に都合のいい、
よく言えば前向きな解釈を与えて自分の中に(ある意味)自分で感動を生み出して
一人で勝手に、本来与えられた以上の燃料で走っているのがオイサンだ。

そういう人間にとって、
寄り添うもの・ドライブしてくれるものがなくなるというのはなかなかに深刻な事態だ。

初代『女神異聞録ペルソナ』は、リリースされた『エヴァ』から数年経った当時の、
オイサンに限らない時代の若者の気分にマッチしたというのもあると思うけども、
オイサンを強くドライブするに足りるものだったわけで、
未だにこうして、その当時の燃料の一部を借りて走っていたりする。


……。


マそんなこんなでPS版初代『女神異聞録ペルソナ』から、
「雪の女王編」にまつわるSSをお届けしたのですが。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
↑話の運びがいろいろおかしい。

相も変わらず、お話としてはさして流れのあるものでもないので、
その辺の雰囲気を感じ取ってもらえればなあと思います。

『異聞録』のソフト発売が確か1996年、
このSSを書いたのもそれと同じか少ししてからだと思うので
長けりゃ14、5年、少なくとも10年はくだらないというシロモノです。
オイサンがまだ二十代後半、ヘタすりゃ前半の頃ですね。
うわー( ← ムドオン ← 即死魔法

何故そんな、大昔のシロモノを今更ここに上げようと思ったのかというと、


  \キジノ ミズマシ!/\ドッw!/


おいおい、今日のお客はクチが悪いなあ。
そんなんじゃありませんよ。
えー、何故そんな遺物を上げようと思ったのかというとですね、


  \オチャニゴシ!/\ドドッww!/


いい加減にしなさいよ! 営業妨害で訴えるぞ?コンチクショウ。
ねえ。
すみませんねガラの悪いお客が多くて。
えー、まあ、強いて言うならお茶濁しなんですけれどもw
最近書くこともあまり無いんでねw
すみませんね、ええ。

マ『ペルソナ』シリーズも、
いつの間にやら今やテレビゲームシーンに欠かせない一翼、
一大人気シリーズに成長していて
オイサンなんかは目を疑うばかりなんですけれども。

今回改めて、この古ぼけたSSを載っけておこうと思ったのは
……『P4』が世間的に大活躍してるので、
もしかしたら需要もあるのかな、などと小賢しいことを考えたからなのですが。

けれどそもそも『異聞録』は現在人気の『P3』『P4』に比べると
ゲーム的にもシナリオ的にも重たメで日陰者ですし、
その重たい『異聞録』をさらにかっ飛ばしてジジイ目線にしたこのSSに
需要なんかあるわけもねえな、と再掲用の加筆修正を加えながら
しみじみと思い知った

うーむ。
何を血迷っていたのだ俺は。



■『ペルソナ』シリーズとゲームシーンの隆盛



雑談。

上でもちょろっと書いたけど『ペルソナ』シリーズも大きくなったもので、
移植とはいえ、
まさか新ハードの看板に抜擢されるようになるとは思ってもみなかった。
FC・SFC時代の『女神』『真・女神』シリーズは、メジャータイトルとはいえ
やはり一部の熱狂的なファンのものという感は否めず、
路線を若干ポップ化した『異聞録』も、
発表当時途絶えがちだった本筋(『真・女神』シリーズ)の続編として嘱望されてはいたものの、
所詮は外典、一介の外様に過ぎなかった。

  今の表舞台への躍進ぶりは、オイサンの様な古い世代にはまだまだ
  「はー、あの『女神』がねえ」
  という感はぬぐえないんじゃないかなー。
  違和感あるもの。
  いかがでしょうね、アラフォーゲーマーズの皆さん?
  『3』からの、更なる方向転換がものすごく奏功したってことなんでしょう。
  偉大な決断……だったのだろう。

『3』以降のお話運びはポップ過ぎて個人的にはあまり好きになれない、
というか、やっててノリ切れぬ。
でもこれがイマドキの若い人たちの「気分」であって
これが「リアル」なんだろうなー。

……だから、『P3』『P4』を
「学園ジュブナイルファンタジーだから」
という見立てで「自分の青春時代を追体験しよう」と期待してみても、
自分の中に全然ない世界が展開されるので
「お、なんかおかしい。こんな世界ボク知らない」
ってなっちゃたりするんだろう。

少なくともオイサンはゲームの『P3』でそうなって、
『P4』はゲームではやらず、アニメで見て最初は肩透かしを食ったけど、
「ああ、こういうもんなのか」と途中からナットクして見てました。

  若者らしい悩みや迷いが描かれても、どこかファッショナブルに映ってしまう。

けど、『3』が発表されたときのビジュアルショックは、
ハッタリ好きな私にはちょっと堪えられないものがあった。
影時間というワリとありきたりだけど問題があって使い辛いはずの発想を、
その問題点を町に林立する棺桶というビジュアルの力業で乗り切るパワー。
銃とコメカミっていうペルソナ召還の絵面。
いやいや。
シビレた。

『ペルソナ』シリーズが躍進を始めるのと同じくして
『モンハン2ndG』がミリオンとか売れるようになり、
PSPがハード的な主役に躍り出たあたりからが、
実はゲームシーンの様子が変わったいたということに気付かされるようになった時期だった。
オイサンはまだまだ、
『ドラクエ』『FF』『ゼルダ』の牙城はくずれんなー、
いつ流れが変わってしまうのかなー、
と思ってたんで、気がついたらじんわりと変わってた、
というのはワリとショックでもあった。

『FF』は亜種が連発されるようになり、
『DQ』も外伝的なシリーズが正ナンバーの長い隙間を埋めるようになって
存在感が薄まってしまったような気がするし、
『ゼルダ』もリリース間隔が縮まって「職人のきまぐれな手作り」的な
肌触りがなくなったように感じている。

  なんていうか、大工さんがトンカントンカン、ゼロから建てる家じゃなくて
  モジュールごとにかっちりフォーマットが決まってしまって
  その組み合わせだけで拵えられる家になっていったような。

  「このネタの部分だけ、こっちの新しい、
   よく似てるけどちょっと違うネタと入れ替えて作ろう」

  みたいなもの。
  それが必ずしも悪いわけではないのだけれども、
  やはり面白味や、全体の統一感は損なわれるように思う。

まあ、宮本さんの胸先ヒトツで作られていた時代と変わってしまって
今の『ゼルダ』は
「宮本さんの思想や意志・感覚を継いだ人たち複数人が、
 持ち回りでアイデアを出し合って組織で組み立てている」
体制になってきているようなので……なんというか、
組織として、製品としての工業生産物としてはそれが正しいのでしょうけれども、
やはりその……「個人の視点やニオイ」が支配しない「作品」は、
面白味を大きく欠くと思う。

  だったら、宮本茂が、堀井雄二が死んだら、
  『ゼルダ』は、『ドラクエ』は一生プレイできなくなっちゃうよ、それでもいいの?
  という話だけど、オイサンはむしろそれを望む。
  ていうかモノゴトそれが自然だと思う。
  ……が、資本主義というか、会社組織や経済がそれを許さない。
  ざんねんな世の中である。

  人気がある・需要がある、収益が見込めるという点で
  そうした商品を隙間なく並べるのは大事なことではあるのだろうけれども、
  ことテレビゲームに関してはあまり並べすぎるのは良くないのではないかと、
  そんな風に思った。
  1本のソフトが拘束する時間が長すぎるし、
  しかもそれが複数同時にリリースされたりするのだから
  やはり刺激的に飽きてしまうし、可処分時間にも限界があるし。
  あの頃からのサイクルの縮め方は、
  ユーザーの首も、メーカーの首も絞めてしまったように思う。
  ありがたいことではあるのですが。

  ついでに言うと、カプコンのゲームも、
  ある時期を境にやたらとバランスが取れすぎているゲーム、
  ガイドや枠組みがしっかりしすぎていて、
  ゲーム全体が非常に押しつけがましいというか、
  作り手の意図以外の遊びを許さない「あそびのないあそび」ばかりになってしまって
  好きじゃなくなった。
  どんなに見た目やテーマに惹かれても、なかなか素直に手に取れなくなってる。
  今PS3に控えてる『エクストルーパーズ』なんかは
  見た目やシステムには興味をひかれるんだけれども、やはり素直にみられない。

受け継ごうという意志はすごく大事だとは思うんだけど。
けれどももし、そのことによって、
芽吹くはずの新しい萌芽に不要な時間を歩ませているのだったら、
それは大きな間違いであるように思う。

話を『ペルソナ』に戻そう。

その『異聞録』と『P3』の間にいた『2罪』『2罰』が、一番不遇だった気がする。
個人的には。色々と中途半端で。
キャラクターはかなり好きだったんだけども。
ギンコのBGMがすごく好きだった。

戦闘に時間がかかりすぎた。
一回の戦闘じゃなくて、ペルソナカードを集めるための戦闘と、
レベルアップのための戦闘が別々にしか成立しないから
単純に考えてフツーのRPGの倍、バトルを発生させないといかんかったんよね。
交渉でも経験値がもらえれば良かったんだけど。
もう、色々細かいことは忘れちゃったけどな。
敵方に鉤十字のちょび髭のおっさんが出てきたときにはかなりびびった。
「こんなの出して大丈夫なの??!?」と。
思い出話。


まあ、そんなことでね。


言っている間にも、
先週のファミ通と、開催中の東京ゲームショウで『真・女神4』が発表された。
けどまあ、上でも書いたみたいに、そもそも『女神』はオイサンの守備範囲外なので
あまり深くコミットするつもりはないのだけれども、
ちょっと面白そうかなとは思う。

今やオイサンのようなオッサンの、
肌にも、暮らしのリズムにも合うゲームには
(こちら自身の問題もあって)なかなか巡り会えなくなってしまったけれども。
願わくば。

……ゲームは、やっぱり深くのめり込んでナンボですからね。
イヤ、何事においてもそうなんだけどさ。
ホント。
やるなら、そのものと自分との境目が曖昧になるくらいやらないと、
なにかしらを得ることなんて出来ませんからね。

気まぐれや時間潰しでやるなら、それはそれでいいですけれども。
何かを求めたり、何かを信じようとしたりするのであれば、
長く歩いていく人生のうちの、大切などこかの一歩を預けるくらいの気持ちでやった方がいい。
そーすれば嘘でも思いこみでも、応えてくれるもんだから。

  物事ってのは、案外。
  マそれもオイサンの感覚にすぎませんけどね。
  誰かに真似させられるもんでもない。

それだけの価値を感じさせてくれるような、
あるいは、
その気もないのに時間つぶしの延長で預けてしまった長い長い時間を
寄り添う気持ちに変換してくれるような、
若い人たちの気分に合ったゲームがリリースされることをね。
祈ったり願ったりしてしまうオイサンですよ。


どんな形であれ。


マとりとめもありませんが、こんな感じでヒトツ。
オイサンでした。



 

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