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2012年7月21日 (土)

■稜・線・鼎・話 (前編) ~『アマガミ』SS・絢辻さん・薫・中多さん・~ -更新第788回-

「ありがとう、中多さん。またお願いねー」
「あ、えと……はい。し、失礼、します……」
 そう言ってお辞儀をし、被服室の扉を閉めたら、がまんしてい
た深い深いため息が、はぁー……っと体から漏れた。ああ、緊張
した。
 遅い放課後の、廊下の窓から見える空にはもうあまりオレンジ
色の部分も残っていなかった。人の気配がほとんど消えたコンク
リートの校舎は十二月の空気に冷やされて、しんと染み入るその
冷たさがおへその奥まで届いた。
 一体、誰から噂を聞いたんだろう? 多分、美也ちゃんだと思
うのだけど……演劇部の人にお願いされて、お芝居の衣装作りを
手伝っていたらこんな時間になってしまった。今は冬だから時間
はまだそんなに遅くはないのだけれど、空がそんな色をしている
ものだから……人のまだいる教室には明かりが灯り、そうでない
ところはほとんど真っ暗闇。廊下の電気の灯り方もまだらになっ
ていた。
 被服室のおとなりと、そのまたとなりはもう暗闇で、そのまた
となり、美術室はなんだか不思議な明かりの灯り方をしているの
が気になった。普通の教室二つを繋げた広さのある部屋の、後ろ
半分の奥の方、窓側にだけ電気がついているみたいで、鈍くて遠
い、ぼんやりした光がちょっぴり怖い。きっと、熱心な部員さん
がまだ残ってお仕事をしているんだろう。
 その前を通り過ぎようとしたとき、明かりの消された奥の棟の
暗がりから、まるで黒い帳からほつれ出すみたいに歩み出てくる
人影があった。絢辻先輩だった。
「あら? えっと……中多さん?」
 手に黒くて大きな当直日誌を持って、いつも通り深い黒の制服
をきちんと着込んで髪も黒、けれどどの黒もしっかりと手入れが
行き届いて、その表面にはするすると、ときどき白い光が滑って
いく。いったいどうしたらあんな風に出来るのだろう? 私はい
つも不思議に思う。
 どうしたの、こんなところで? 絢辻先輩は、私が特に部活動
をやっているわけではないことを知っていて、こんな時間までこ
こに残っていることを不思議に思ったみたいだった。けれども挨
拶ついで、事情を説明すると納得してくれたようで、そう、と一
つ静かに頷くと、
「それじゃあ気をつけて、なるべく早く帰るようにね。中多さん
は、可愛……」
とそこまで言って、視線を一瞬だけ私の顔から……どこを見たの
か、チラリと下の方へ滑らせた。
「……凶悪」
「え?」
「ううん、なんでもないわ。……中多さんは可愛らしくて、魅力
的だから」
「え? あ、はい。……いえ、そんな……えっと……はい……」
 突然そんな風に言われて私は、またいつものしどろもどろに戻
ってしまう。一瞬だけ、先輩の笑顔の唇の端に苦々しい物がにじ
んだ気がしたのは、明るさと暗さのブレンドされた、黄昏の校舎
の光の加減だと思う。
 絢辻先輩はそれきりくるりと向きを変え、ぼんやり光りの灯る
美術室の扉に向き直った。まるでもう、私なんかここにいないみ
たい。あとから思えば私はその時点でもう帰ってしまって良かっ
たはずなのだけど……なんだかまだ、お話に続きがあるのかと思
えてしまって、立ち去ることが出来なかった。
 先輩はごく普通に教室の引き戸をノックして、失礼します、と
凛と通る滑らかな声で戸を引いた。

 ──部屋には、誰の姿もなかった。

 外から見たまま、明かりは教室の後ろの奥側にしか灯っていな
くて、四分の三は色をなくした闇の中。蛍光灯の弱い光がちらち
らと、かろうじて全体に届いてはいるけれど、たとえば隅の方に
何かうす気味の悪い物がうずくまっていたとしても、気付くこと
が出来なさそう。カーテンの裏、教卓の陰。唯一明かりのおりて
いる一画には──ここも遠くてあまりよくは見えなかったけれど
──出しっぱなしのイーゼルにキャンバスが載せられたままにな
っていて、脇に置かれたイスの上にも、画材のような小物と鞄が
置き去りになっているようだった。やっぱり、今の今まで誰かが
ここで絵を描いていたのは間違いないみたい。動く物のない部屋
では、普段は目にとまらない蛍光灯の瞬きが、なんだかそれらの
静物を生き物みたいに動かして見せていた。古い映画のコマみた
いに。
「ふむ……」
 私がそんなことを考えている間にも先輩は、部屋を見渡して鼻
の奥でつぶやくと、つかつかっと明るい一画に歩み入ってしまっ
た。私はといえば廊下から、多分私と同じ風に感じているのだろ
う、そこに取り残された物の様子を確かめる先輩の、ときどき暗
がりとの境目が曖昧になる髪と背中をただ眺めていたのだけど…
…ある瞬間、キャンバスに目を留めた先輩が「……へえ」と、感
心したような長い息を漏らしたのを聞いて、足が自然と前に出て
しまった。先輩は、そう呟いたきり、動かない。
「ど、どうかしたんですか?」
「あら?」
 まだいたの? そんな後半が省略された調子だった。私が近寄
って声をかけるまでの一分足らずの間、絢辻先輩はじっと絵に見
入っていて、今も私のことはちらりと見ただけで、すぐに瞳をキ
ャンバスに戻して言った。
「ううん、なんだか素敵な絵だなと思って」
「そうなんですか」
 先輩は何も言わずに少し身を開いてキャンバスの前をゆずって
くれたから、私はイーゼルの上で黄色い光を浴びてる画布を覗い
てみた。
「山……ですね。テラスの風景でしょうか」
 描かれていたのは遠く臨む山々の稜線で、多分、食堂のテラス
席からも眺めることの出来る輝日東の山側をぐるりと囲う尾根筋
をモチーフにしているのだと思う。そこへ本当の風景とは少し違
う、空の形や、木々や、雲や、風のようなたなびきが現実にはな
い色で足されていて、厚みとあたたかみ、不思議な奥行きを感じ
させた。でもそれは、
「こんな絵を描く人が、うちの学校にいたのねえ」
と、しきりに感心する絢辻先輩には悪いのだけれど、私にはなん
だかありふれた風景画に、変化を加えたもの以上には思えなかっ
た。なぜだろう? 私はこういう絵を見ることが取り立てて好き
なわけではないし、美術の成績もあまり良くないから……きちん
と分からないだけなのかも知れない。上手な絵に変わりはないし、
本当のことと印象のようなものが混ざり合って、少し夢を見るの
と似た気分にさせてくれる。それは確かに、少し特別な安心感を
与えてくれた。この感じを、私は他のどこかで感じたことがある。
どこだろう? それは分からなかった。
「中多さんは、どう?」
「え? わ、私ですか? 私は、えっと、その……」
 静かな調子を取り戻した先輩に尋ねられ、私はどう返していい
かわからなくてまたしどろもどろになる。私の性格を察してか、
先輩はふふっと微笑んで
「いいわよ。また、まとまったら聞かせて頂戴?」
と言ってくれたのだけれど、
「……はい。すみません」
それは、ちょっと違うんです。やっぱり、それが「格別なもの」
だとは思えなくて。私は、ただ俯いてしまった。
 先輩、ごめんなさい。
 その時だった。
「びゅんびゅんびゅん~あたしの絵筆はダイナマイト~♪ あた
しにかかれば~どんなモデルもイチコロよ~、っとお」
 静まり返っていた廊下から、ちょっと絵を描くことを表現して
いるとは思えない歌が聞こえてきた。聞き覚えのあるその声は、
どんがどんがどんがらがったと上機嫌なまま段々近付いてきて、
やがてその主が、
「あれ、絢辻さん。どしたの?」
「棚町さん」
と、開け放してあった扉の前に姿を現した。



      ◆    £    ◇    ξ



「あたしに、何か用事?」
 派手にウェーブした髪と、すらりと細身の体のライン。ハンカ
チで手を拭いながら教室に入ってきた、そのどちらかといえば可
愛いや綺麗というよりもかっこいいシルエットを持った女の先輩
は、先輩……美也ちゃんのお兄さんと一緒にいるところを何度か
見かけたことがあった。名前は多分、さっき絢辻先輩が呼んでく
れなければ思い出せなかったと思うけど。
「ううん、そういう訳じゃないの。美術部は全員帰ったはずなん
だけど、鍵が返ってないからついでに見てきてくれないかって」
 絢辻先輩はスラスラ応じ、なるほどそうだったんだと私も心の
中で掌を打った。その直前に一つ、先輩が長く、大きく息をした
のが気になったのだけれど……それはとても静かにだったから、
隣にいた私にしか分からなかったと思う。
「ああそっか、ゴメン」
「ううん、気にしないで。最後に戸締りをきちんとしてくれれば、
何も問題はないから……そっか。じゃあこの絵は、棚町さんが描
いたものだったのね」
 絢辻先輩の告げた事情に棚町先輩は悪びれる様子もなくて、ス
カートのポケットから捜し当てたホルダー付きの部屋の鍵をゆび
先でくるくる回し、その棚町先輩から視線をそっとキャンバスに
移した絢辻先輩の言葉は、尋ねるというよりも、どこかその事実
を心に馴染ませるために丁寧になぞるような節があった。そして
また、それを打ち消すみたいに、
「あたしの用事はそれだけ」
と、話を戻して締め括った。
「ん、まあね。あたしも、もう帰るつもり……で? 中多さんは、
あたしに?」
「え?」
 急に、自分の名前がポンと挙がったことにびっくりしてしまっ
て私はすぐに返すことが出来なかった。私が驚いたことに驚いた
先輩は、「どうかした?」といつでもパッチリした目をさらに丸
くした。
「あ、いえ……。私は、その、たまたま……なんですけど……」
「ふん。けど?」
「あの、すごいですね……。あんまり、お話したこともないのに
……」
 それは、私の素直な感想。
 お話をしたことは確かにあったけれど、それもほんの二言、三
言。その場には美也ちゃんがいて、美也ちゃんのお兄さんがいて、
私は美也ちゃんにつられて言葉を交わす、ほんのその程度のこと
だった。そうやって、すぐに人の顔と名前を憶えられる人を、私
はすごいと思う。
「ん? ああ。そりゃ、まあねー」
「え……」
 棚町先輩は背も高くて、少し言いにくそうに、そしてなんだか
引きつったような笑いを浮かべて私を見下ろした。見上げる私と、
視線が微妙にズレるのは何故だろう。不安になって窺った絢辻先
輩の表情も、棚町先輩の視線を追って、なんだかぎしりと音を立
てたような気がする。空気が軋んだ。
「……それだけ立派なのには、なかなかお目にかかれるモンでも
ないし……ねえ、絢辻さん?」
「立派……ですか?」
 首を傾げた私をよそに先輩たち二人は、ちょっと、棚町さん!
 だってぇ絢辻さぁーんと、咎め、ふざけあいを始めてしまって、
私はなんだか身の置きどころがない。棚町先輩が視線を落とした
襟や胸元を見てみても、いつも通り私の胸が邪魔なばっかりで、
これといって変わったところはなかった。けれど一つだけ、自分
でもあれっと思うワンポイントに目がいった。制服の胸ポケット
からのぞいた、白いアイレット刺繍のハンカチ。そういえばさっ
き被服室で、衣装の柄の参考にと持って来たのを両ポケットが塞
がっていたからとりあえずそこに挿し込んで、そのままになって
いたのだった。そのハンカチはパパがフランスに出張した時のお
土産で、小さくて可愛いからよく持ち歩いていたのだけれど、い
つかの機会に使っていたのを、棚町先輩も見ていてくれたのかも
知れない。やっぱり絵を描くような人はそういうところにも敏感
なんだろうなあと、私はまた感心をした。
「これは、パ……お父さんから、貰ったモノなんです」
 私は乱れたそれをポケットから抜き取ると、ふわりと広げて、
きちんと畳み直した。
「棚町さん、それはセクハ……え?」
「まぁーたまたそんなこと言ってぇー、絢辻さんだって本当は気
にな……は?」
 私が言うと、まだナンヤカヤと言い合っていたお二人はぎょっ
となってこちらを見た。『それは確かに、そう言えなくもないか
も知れないけど』。そんな風に言いたげだった。
「ヨーロッパ出張のお土産で……。あの、どうかしましたか?」
 私はまた何か、おかしなことを言ってしまったのだろうか? 
けれど二人とも、私の手の中のハンカチに気が付くと、ああ、と
なんだか白けたように息を揃えた。
「そう。お父さんに」
 絢辻先輩はふっとトーンを翳らせたけれど良かったわねと言っ
てくれ、棚町先輩には何故か「なんか、ゴメン」ときまり悪そう
に謝られたあとで
「ま、そういう物なら大事にしないとね!」
と、頭をがしがし撫でられてしまった。
 
 
 
                        (つづく)
 
 
 

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