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2012年6月22日 (金)

■導線/境界 -更新第779回-

 
 
 
■序
 
 
 
 スコーン──。
 まさにその打撃音のごとき早さと軽さで、今日はスコーンを食べに
行こうと心に決めてしまったのは、Twitterのタイムラインに
見つけたその文字の並びが耳の奥に響かせる夢の快音に、すっかり心
まで打ち抜かれてしまったからだった。
 スコーン。
 おもちゃのビニールバットで軟球をミートしたときの、幼い腕と胸
に残るあの音、あの感触だ。私は、幻の中で自分の打ち返した打球が
雲の底をかすめる長い放物線を描いて、八幡宮の背後にこんもりと繁
る、鎌倉の森へ吸い込まれていくのを見送った。
 かくてこの日の私の行き先は、由比ヶ浜にあるオープンテラスの喫
茶と決まった。スコーン──。かつて二度訪れたことのある店だ。ス
コーンを食べに行く。まだ、朝の八時を過ぎて間もない頃だった。



■一. 朝



 いつも気がつけば過ぎ去ってしまう土曜の午前を少しでも引き留め
たくて、行きつけの珈琲店で少し重めの文芸誌を開く。先ごろ芥川賞
を受けた作家の新作が掲載されているというあおりに惹かれて出しな
に買ったものだったが、それよりも、堀江敏幸、平野啓一郎、江國香
織と綿矢りさ、四人の講演の、文字起こしが興味をさそった。昨年三
月の大地震、そのとき、小説家、職業文筆家としての彼らが何を思い、
何をし、何をどのように書くかという話だ。仕事だからそれを考える
のか、それともそれを思うことが出来るから彼らが小説家であるのか
は分からない。そのとき私は、そしてそれからの私は、何を考えただ
ろう?

R0048310

 そうして午後になると、昼を馴染みの割烹のランチで済ませ、すぐ
さま最寄りの駅から列車に乗り込んだ。
 主菜は魚、客はまばらが常のその店が、この日に限って肉が主菜で
お客もやけに多かった。店の水槽で立派なカワハギがぼんやりしてい
るのを見て、美味しそうなの泳いでいますねと話のきっかけ作りのた
めとはいえ板長に言ってしまったことは、あとあと自分がひどく即物
的な生き物であるように思われて後悔の種になった。
 海と山を結ぶブルーのラインが象徴的な──改めて思うとこの青は
絶妙だ──私鉄で三十分あまり。そこから野暮ったいオレンジと緑の
電車に乗り換えれば、江ノ島モノレールの始発駅までは数分で着く。

 何も、由比ヶ浜まで出なければスコーンを出す店がないというわけ
でもなかった。心当たりは他に三軒あって、うち一軒は同じ沿線の上、
二十分ほどのより近いところにあったし、また一軒は、家から徒歩で
十分のところにある。三軒目は北海道は旭川にあるから、こちらは土
曜の朝の思いつきで気軽に赴くことは難しい。敢えて「難しい」と言
うにとどめるのは、ことの次第によってはそれだって辞さない覚悟の
表れだ。甘味のためなら空も飛ぶ。キリンの首が伸びたのは、もしか
すると木々の上の方に生える葉の方が甘いからなのではあるまいか。
ともあれ、この日の行き先を由比ヶ浜の店に決めたのは、その店が唯
一オープンテラスだからというだけだ。スコーン。朝見たまぼろしみ
たいに打ち上げた打球が、天井に当たってホームラン扱いとなるのは
無粋だと思った。
 もう一つ理由としては、今日こうしてスコーンを食べに出かけるき
っかけをこしらえたつぶやきの張本人がその店を知っていたからだ。
彼の発言をTwitterに見つけたとき、スコーンですか、良いで
すねえ、とついうっかり、それ以上返しようもないリプライを送って
しまって後悔したのだが、ありがたいことにあちらさんも、いい店を
知っているんですよ、とあまりうまくない世間話を運んできた。気ま
ずさも手伝ってそれに乗っかってみたところ、私も知っていた由比ヶ
浜の店の名が挙がったのだ。
 その相手とは実際の面識はなかったのだが、これまでのやりとりで
互いが大体どのあたりを根城にしているかという察しがつくくらいで
はあった。向こうもそれに準じて由比ヶ浜という絶妙な立地の店を持
ち出したのだろう。
 それじゃあ、今日は足を延ばしてみますかねえ、と本気を濁した返
事を送ってみると、すぐさま、僕も行くかも知れません、と花の咲い
たような応答が向こうからもあって、一先ずやりとりはそこで締まっ
た。

 列車の中で、私は朝の続きの雑誌を開いた。地震。
 そうだ、件の地震の最中、私は先に述べた旭川にある店で、まさに
スコーンと紅茶でくつろいでいるところだったのだ。関東に住む身で
ありながら、あのとき私は関東はおろか、本州にさえいなかったので
ある。地震慣れしない、テレビもラジオもない、それどころかCDを
かけるためのアンプさえいかれていて「戴き物なんですよ。機械にな
んか疎いからどうしていいか分からなくて。くれたご当人に修繕をお
願いしてはいるんですけどね」と呑気に笑う女主人が──正しくは女
主人の母親に当たる、私の母親とほぼ同い年の老婦人が切り盛りする
その店に集った旭川の地元の人たちの中で、私は上等な座り心地の椅
子を伝ってくる揺れに、内地の人間らしく敏感に気付き、Twitt
erの流れで何が起こったているかを知ったのだった。

 そんな場所まで私を連れ出したのは『北へ。~Diamond Dust』に他
ならない。ドリームキャストでリリースされた『北へ。White
Illmination』の続編としてPS2でリリースされたそのゲームソフトは、
北海道各地を旅しながら、地元の少女たちと心を通わせていく物語ゲ
ームだ。ある年の年末に、その旭川編に登場するフィンランド生まれ
のフィギュアスケーター・北野スオミとの恋物語と、作中実写で映し
出される冬の北海道の風景にすっかり魅せられてしまった私は、明け
て翌年の一月、初めての北の大地を踏んでいた。そのときの旅は羽田
から旭川を経由し、最北端の宗谷岬を目指すもので、作中に描かれた
白と青の美しい風景が再現されることはなかったけれどもその代わり、
濃淡様々な灰色と、凶悪な風と雪に彩られた道行きは、私の心を異国
の少女との恋物語以上にかたく捕らえてはなさなかった。





 北海道はおろか、一人で飛行機に乗ることも、宿を取ることさえ初
めての初めて尽くしだったあの旅は、Z軸を持つ世界と持たない世界
が互いに触れ合い絡み合うことは決してないが、両者が線でつながり
合い、面で交差する、その空間の一瞬を、心とゆび先からいかにZ軸
を排して捜し当てるか……そんな旅の始まりだったように思う。以来、
今でも、北の大地の虜である私の渡道は今日までに十五回を重ね、夏
よりも冬の景色を愛してやまない。

 旭川のスコーンの店は、作中にもそのまま登場する。初めての旅の
終盤で、私はその店のお茶とスコーンにもまた魅入られ、旭川を訪れ
る折には必ず寄せてもらうようになり、何年に一度の訪問であるにも
関わらず顔なじみの知遇として扱ってもらっている。そして昨年、そ
の店で、私は……何度目かになる訪問の最中に、あの地震に遭遇した
のだ。だから私は、あの地震も、あの地震によって起こった様々な不
都合も、どこか自分の物として触れられていない。あの地震は未だ、
私にとってブラウン管の向こうよりもまだ遠くにあるものだ。



■二. 湘南モノレール 獣の夢



 経由駅で、JRから湘南モノレールに乗り換える。遠回りだが、こ
れに乗ることも、今日の目的の一つでもあった。
 国内では珍しいという懸垂式モノレールの、その名の通り一本のレ
ールにぶら下がったゴンドラ様の車体の足下には遮る物がなく、市街
地を走るうちはちょっとした空中散歩の気分だった。しかし軌道が山
間にさしかかるや、車体は公共の交通機関にあるまじき鼻息で上昇と
下降を繰り返すようになり、左右のカーブでは、遠心力のなせるわざ
なのか、はたまたレール自体にひねりが加わっているのか、ヘアピン
を攻める二輪車の趣で車体を傾がせコーナーに挑みかかっていく。三
次元的なうねりを感じる中、窓のすぐ外には野生の木々から張り出し
た枝が迫り、車体の起こした風と、ときに車体そのものが、それらと
ぶつかりざんざか切り裂く音を立てた。
「なるほど……」
 この湘南モノレールはアップダウンが激しくてちょっとしたジェッ
トコースター気分が味わえるから、一度乗ってみると良いだろう、と
アドバイスをくれたのも、誰あろう、今朝のTwitterの人物だ。
彼は古くからこの界隈に住む、生粋の地元民であるらしかった。

 鎌倉もまた、かつては私のあこがれの町だった。

 プレイステーション用ソフト『NOeL』の続編、『NOeL~la neige』
の舞台にこの町が抜擢されたのは、ただ単に制作プロデューサーの好
みが理由だったというのは後に展開された解説本の中で明かされたこ
とだが、今にして思えば、携帯テレビ電話でコミュニケーションをと
ることが当たり前になった時代の架空の恋物語の背後に広がる風景と
して、海に、山に、古刹に小路という、十年二十年の時間で揺るがな
い大きな輪郭を持つこの町は最適だったのではないだろうか。歴史と
いう土台の重みが、その上澄みに張る皮膜程度の時間の変化を些細な
物に見せる。その確固としつつ曖昧なありようは、同じ湿りを吸った
土の上に立つ生き物同士のつながりを、受け手に感じさせるために不
可欠のものだ。画面の向こうにいる彼女らが、自分たちと同じ土壌の
上に立つ同じ仕組み、同じルールの生き物であること。
 それに、『NOeL~la neige』のヒロイン三人の性格が、表面上はそ
れぞれ多様に見えながら共通して芯にまとっていた凛とした大和撫子
の、かつ男勝りとさえ呼べる空気は、武家、武士の時代を象徴するこ
の町の水と空気に育まれたというバックボーンを負っていたからとい
えるだろう。彼女たち──橘柚実、門倉千紗都、碧川涼の──三人は、
考え方も、恋にも、ときに先鋭的で自由闊達な女性の性質を持ちなが
ら、ときに古風で、いかなる権利も自由も侵さないしなやかさを備え
ていたように思う。それもまた、Z軸のこちらと向こうが作り出す幻
の立体感だけがなしうる理想の業でしかないのだが、私はやはり彼女
たちの、その生き生きとした隙間だらけの世界に魅せられたのだった。



 山の間に間に、不意に視界の開ける地点があって、里山、古い家々、
海がまぶたをかすめていく。猛スピードで緑のトンネルを駆け、抜け
出したかと思うと山から山へ、谷を越える跳躍。彼の御仁はこの路線
をジェットコースターになぞらえたが、私には、自分がまるで傷だら
けになりながらも獣道をかき分け疾駆する、四つ足の何かになったよ
うに感じられた。



■三. 由比ヶ浜 



 獣の夢からさめて終点の駅でモノレールを降りると、あとは緑色の
トロトロ電車で由比ヶ浜まではすぐだった。この日は大きな連休とい
うわけでもなく、天気もとりたてて良くはなかったので人出は多くな
く、海も町も、緑色の窓からよく眺められた。鎌倉の海は美しいわけ
ではないと、眺め慣れたからというわけでもなく思う。

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 目当ての店があるのは、由比ヶ浜の駅で電車を降り、笹の幹から気
まぐれに伸び出た小枝のような道をひょいひょいといくつか折れたり
逸れたりした先にある閑静なエリアで、白くて厚みのある石壁の家が
続ている。ただ高級住宅街と味気なくまとめてしまうのもどこかずれ
ているような気にさせる区域で、健やかであるためにはこれだけの時
間と空間の広がりが必要で、それは贅沢でもなんでもない、心が手足
を投げ出して大の字になったときの大きさなのだと、暗に言われてい
るような場所だった。人と車がすれ違えるかどうかという幅の生活道
路には、家々の敷地から張り出した雑木の枝が木陰と木漏れ日を作る。
この道は、そんな周りの家々のあるじたちの、気まぐれというか、善
意というか、美意識のようなものの隙間に生み出された小道である。

 店は繁盛していた。
 縁側のような、屋根の下の席をかろうじて確保して陣取ると、私は
ぼんやりと視界をあらためた。たとえ席が埋まっても、窮屈さ感じず
に済むのは、オープンカフェの良いところだ。
 ちょっとした公園ほどの広さがある店には四人掛けのテーブルが十
あまりあるが、その殆どは、屋根のないところに、木々と調和するよ
う不規則に向きを変えて配されている。木立が作るうすく緑がかった
陰と、どこからでも抜ける海と山に冷やされた風のおかげで夏場でも
涼しく、今日のような中途半端な日和には、肌寒い時間が結構あった。
 客は、家族連れ、葬式帰りの老人会のような集まり、カップル。木
の葉型にくり抜かれた陽光をそれぞれの肌の上にゆらめかせて、皆、
普段とは少しずつ形を変えているようだった。椅子に大きく背中を預
けると、目に入る木立から漏れる光がきらきらしてため息が漏れた。
『NOeL~la neige』がクリスマスから春先にかけての物語であるのに、
三人のヒロインに夏の匂いを感じるのは、彼女たちの学校の制服が深
い緑色をしているせいだろう。目当てのスコーンと飲み物のセットを
待つ間、あたりの透明な緑色に目を奪われているうち、衝動的にデジ
タルカメラを取り出して、写るかどうかも分からないその光の筋にむ
けてカシカシと何度かシャッターを切った。撮りたい物はいつも空間
や間隙であって、実体であることは少ない。物にくり抜かれた空間が
私の被写体だ。それは文字を並べるときも同じで、そのものに迫るよ
りも、周囲を埋めていった方が早道だし、伝わる感触が濃い。光の形
はだんだんゆがんで、三人の少女の形になっていく気がする。

 客の動きは少なかった。皆なかなか、ここに広げた自分の場所を仕
舞おうとしない。私の隣の席には私同様女性の一人客が座ってチョコ
レートケーキを食べ、ぼうっと心を投げていた。やがてスコーンが運
ばれてきて、私はまた、そのオレンジ色の焼き菓子にレンズを向けた。
 さて、と、オレンジ色の焼き菓子を前に、改めて居住まいを正す。
 スコーンは元々好きな菓子の一つだったが、それに拍車をかけたの
が『ダンタリアンの書架』だ。『ダンタリアンの書架』は第一次大戦
直後のイギリスに似せた世界を舞台に、謎の少女ダリアンと主人公ヒ
ューイが、幻書と呼ばれる稀覯本を巡って戦いを繰り広げるファンタ
ジックなライトノベル原作のアニメ作品だったが、その中で、沢城み
ゆき演じるところの蒼白小柄の美少女ダリアンが、頭のてっぺんから
つま先まで真っ黒なゴスロリファッションに身を固め、時代がかって
高圧的なせりふ回しで好物のスコーンをおねだりし、ヒューイはじめ、
周りの大人たちがあやすようにそれに折れていくという小間劇の方が
なんとも心地よく、ミステリータッチの物語の本筋はお世辞にもほめ
られた面白さではなかったが、ダリアンとヒューイの甘味コント見た
さに結局最終話まで見せられてしまったのだった。



 『ダンタリアン』の不吉に赤みがかった暗い画面を思い出しながら、
私は運ばれてきたスコーンを手に取って二つに割った。その断面から
熱がふわりと噴き出して、一瞬、景色がたわむ。さらにもう半分に割
り、そこへクロテッドクリームをどさりと乗せる。たわんだ空気の向
こうにダリアンの、蕩けるような、否、幸せに蕩け切った白い頬が重
なった。あの恍惚の表情と、それにふさわしく演じきった沢城みゆき
の引っかかり一つない滑らかな声が、今の私のスコーンへの幻想をよ
り一層甘くさせている。クリームも良いがジャムも良い。ヒューイ、
なにをしているのですこのノロマ! さっさとお茶の支度をするので
す! はいはい、ただいま。私は熱の揺らめきの向こうへフォーカス
を合わせて、急いでもう一度シャッターを切った。

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 スコーンを割る、クリームかジャムをナイフで掬って乗せる、かぶ
りつく、コーヒーをすするという作業をもくもくと繰り返して、セッ
トに二つ付いてくるスコーンの一つ目を片づけたとき、そういえば、
彼もきているのだろうか、この店に? そのことが不意に気になった。
もちろんこの店のことを話したあの相手だ。
 出入りのない客の顔をもう一度眺め回してみるが、木々に阻まれた
り、遠すぎたりして顔の見えない客もいる。そもそも、私は彼のこと
を男だと思っているが、本当にそうなのだろうか。確かめたことはな
いし、仮に相手がそうだと言っても、それが本当である保証はどこに
もない。また彼も私と同じ一人で来るものだと思いこんでいるが、誰
かと連れだって来ていたって不思議はない、むしろ世間では、どうや
らその方が自然だ。そう思うと、今この場にいる誰もが、彼女かも知
れない彼であっても不思議はないように思えた。来ていなくてもなん
の不思議もない。
 携帯電話を手に取って、Twitterで彼の発言を探してみるが、
朝私と交わした言葉のあとにそれらしいものは見あたらなかった。も
う一度顔を上げて見回すと、私が下を向いていたすきにテーブルが一
つ空いていた。そこに座っていたのは確か二人連れの女性客、いや、
片方は男だったかも知れない。いやいや、老夫婦だったのではなかっ
たか。ボーイのかいがいしい働きで空いた食器はすばやく片づけられ、
その痕跡ももはや伺えない。そして、今し方駐車場に入ってきた車か
ら子供を抱いた若い女が降りてきて、その席に収まる。不意に、目の
前でさっきまでチョコケーキを食べて放心していた女が立ち上がり、
また勘定を済ませて出て行った。時計を見ると時間は十五時を回って
いて、木立から降ってくる光が、注意深く見ていないと気付かない程
度に色と形を変えた。それにつられて影も変わる。私は諦めて、もう
二つ目のスコーンを割った。

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■四. 和田塚~鎌倉



 長谷から鎌倉まではお決まりのコースがあって、もう何度も徒歩で
行き来をしたことがあったが、由比ヶ浜から鎌倉へは徒にて抜けたこ
とがない。あらまほしき先達もないけれども、携帯電話に地図を出し
て、二、三度拡大と縮小を繰り返せば、大体の道すじは知ることが出
来た。

 鎌倉の道は広くもなければ整ってもいない。雑然と、小ぎれいでは
あるがいなか道まる出しで、幼い頃父に連れられ帰省した山陰のいな
か町を思い起こさせる。すこし歩くと山が見え、すこし歩くと海が見
え、社がのぞき、路地が現れ、そこに猫が座ってこちらをじっと観察
していたりして、それが誰からの使いなのかわからないから油断がな
らない。人間は、クルマ二台がどうにかすれ違えるような幅の道のそ
のまた端っこに引かれた路肩の白い線を守りつつゆらゆらと歩くこと
になる。自転車と、老人と、サーフボードが、それでも喧嘩をしない
のは、多分ここに住まう人々が、いくらかのゆとりを持つ人たちだか
らなのだろう。銀色の輪を三つに区切ったり四つに区切ったり、ある
いは四つ横に繋げてたりするエンブレムのクルマが頻繁に通り過ぎて
いくのを横目で見送り、そんな風に考えた。余剰から生まれた美徳だ
からといって、その価値が損なわれることなどない。ないのだが、い
ざそれが底をついたときにこの狭い道幅で丸いエンブレム同士が正面
衝突を起こさないように、社に手を合わせることは忘れないでいた方
が良い。などと考えながら歩いていると、目の前に現れた公立の小学
校のものとは思えない巨大な門に圧倒され、私は抵抗するようにカメ
ラを向けた。

 ──カシリ。


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 ファインダーを覗く時間は心が落ち着く。レンズを通して、自分が
ものをどう見ているのか、どう写し撮りたいのか、目の前にあるもの
がどう美しいのか──を考えることに、不思議と、自然と集中出来た。
 私のカメラは小さなデジタルカメラに過ぎないのだが、曲がりなり
にもそれを持つようになったのは北海道での旅の記録を残したいと思
ったからで、つまりはたかだか十年にも満たない写真歴しかない。そ
れでも、カメラを構えるゆとりがあるかどうかというのは、自分の心
の状態を示す、一つのバロメータになっていた。これもまた『北へ。』
との出会いがもたらした熱の産物といえなくもない。
 実は、この日までの数ヶ月、私は眠る時間もまともにとれないほど
に忙殺される日が続いていて、それはまさに自分の心が自分の中にな
い状態だった。十年のうちにぽっかり空いた、その日の日付の写真が
存在しない期間。そのとき自分の身に何が起こっていたのか、将来の
私は写真に頼らずとも、その空白にこそ思い出すのだろうと思う。

 そんな押しつぶされそうな日々に起こった『彼女とカメラと彼女の
季節』との出会いは、一つの実りだったと思う。

R0048411

 『彼女とカメラと彼女の季節』──『KANO-CAME』と略されたそのま
んがは、カメラ好きの女子高校生ユキに、家が貧しいことを除けば平
凡な少女あかりが惹かれていく女子高生同士のいわゆる百合モノで、
家に帰ることもままならない仕事漬けの日々の中でどうにか一人の時
間を作りたくて通っていた、職場の人間のあまり寄りつかない定食屋
に普段自分ではあまり読まないタイプの青年まんが誌が毎号積まれて
いたのだが、あるとき、間違って買われてきたのだろう、一号だけ飛
んで名前のよく似た兄弟誌が混じっており、その一冊にたまたま載っ
ていた作品だった。
 連載途中の一話を拾い読んだだけのそのときには、話の筋こそわか
らなかったが、絵柄、あやうく途切れそうになりながら繋がっていく、
瑞々しさのある細い線の絵柄に引き込まれた。この前日の金曜にめで
たく単行本の第一巻が刊行されていて、私は帰りの電車でスーツ姿を
憚ることもなく読みふけり、改めて物語全体をも満たしていた瑞々し
さの虜になったのだった。
 タイトルにある通り、ストーリーの中で写真が大きな媒介になって
いることも、もちろん私を惹きつけた要因のひとつだ。
 また、「月子」という潔い筆名も私の興味を強く引いた。これはあ
とから分かったことだが、Twitter上の知遇がかつて身を寄せ
ていた職場の上役がこの作者の近い血縁だという。この作品との出会
いといい、するりするりと繋がっていく様々な脈の端緒はどこにはじ
まりどこに終わるか分からない。しまいには、くるりと一つ、大きな
輪を描くような気がする。

 鎌倉の駅までそう遠くはなかった。雰囲気の良さそうないくつかの
路地とコーヒーショップを見つけるうち、初めての道は見慣れた交差
点へとこともなげに合流した。なるほどここへ繋がるのかと、違った
角度から眺める町の面差しは、席替えをして、親しかったはずの友人
の顎の形を初めて左側から見たときのようなさわやかな驚きに息をも
らす私を見て、にやりと笑っているようだった。



■五. 鶴岡八幡宮



 親しみをもって裏口と呼ばれる鎌倉駅西口の、見慣れた旧駅舎の時
計塔の辺りには、これから食事にでも繰り出そうという待ち合わせの
人でごった返していた。
 駅まで来てしまえばあとはJRで引き上げるだけと考えていたのだ
が、暮れなずむ駅舎の空を見上げていると、今朝まぼろしの中で見た
打球がまたも頭の中の空をスコーンとよぎっていった。そういえば確
か、数ヶ月前にここを訪れたときも八幡宮には参りそびれていたはず
だ。そのことに思い至ると途端に落ち着かない気分になり、ここは挨
拶だけでもしていこうと地下道をくぐると、小町通りの流れに乗った。

 時間は五時を回ろうとしていた。神様もぼちぼち店じまい、という
時間帯にも関わらず、小町の人出は相変わらずだった。観光客向けの
古い店と新しい店、さらに普段使いの薬局やおもちゃ屋がごっちゃに
並ぶこの通りは雑然を越えて混沌としている。地元の人間、観光客、
日本人外国人、ずりずりと人の流れにすりつぶされるようにして進ん
でいくのに堪え切れず、考えなしにわき道へ逃げるとここでは結局ど
こにも繋がっていなくてまた元の流れに戻ってくる羽目になったりす
る。それでも一軒だけ、初めて見る面白そうなティーハウスを見つけ
て看板を写真に収めたりして、三の鳥居の前に吐き出される頃には、
空はもう一段黄昏の度を深めていた。

 鳥居をくぐって太鼓橋を背にして立つと、ずどんと深い奥行きをも
った風景が、瞳の奥を突き抜けて後頭部まで届いて抜けた。
 その眺めは横にも広く、右目と左目のちょうど両はしから始まる参
道の両脇には、既に店じまいをあらかた終えた屋台がぽつぽつとだけ
並び、遠く風景の奥底、消失点に向けてぎゅっと加速した視線の先に
は品の良い小物入れのような舞殿が、ことりと小さく置かれている。
そしていよいよ、舞殿に隠れてここからでは見えない大石段を上った
視界の最奥部に、鶴岡八幡宮の本宮が鎮座在しているのだった。

R0048429

 十年あまり前、『NOeL~la neige』に惹かれ初めて鎌倉を訪れて以
来、私はこの風景の虜なのだった。
 それらすべてを抱き込むように、後ろと横から生い茂る鎌倉の山森
は、日が傾いて濃くなっていく夕闇よりもさらに濃い葉陰を、こんも
りとした輪郭のところどころに蓄えて、じっとこちらを伺っている。
その様子は、神々しくも禍々しくも見ることが出来て、一体その中に
どんなルールを隠し持っているのか……およそ人の理屈では量ること
の出来ない深遠さを感じさせるのだった。瞳の端から端まで過不足な
く埋める横長の、人の目にぴたりと収まる妙なるバランスのこの風景
はまさに鎮守と呼ぶにふさわしく、雑念を追い出し、心を埋め尽くし
てしまう。もう一つ、これと同じ気持ちにさせる景色を私は知ってい
た。北海道の摩周湖だ。人の目にあつらえたみたいに、ぴたりと視界
に収まる天空の湖は、あらゆることを忘れさせ、青と白の色合いで、
鏡の湖面の如く心を鎮めてしまう。
 何がそう感じさせるのかわからないし、同じ気持ちを共有しようと
気心の知れた友人を連れて来ても理解してもらえなかったのだが、こ
の参道の入り口に立ってぐっと本宮を見つめていると黄金色の風が吹
いてきて、心の骨組みにこびりついた憂いや汚れを洗ってくれるよう
な気分になるのだった。それで何が解決するものでもなくて、ただ心
配事の表面を磨いてくれる。それだけで、気分はえらく変わるのだ。

 私は、もうそこより奥へは進もうとはしなかった。景色の奥底から、
細胞のすき間を吹き抜けていく奇跡のようなその風を、心と体に取り
込もうと幾たびか深呼吸を繰り返し、目を閉じ、また景色を眺め、カ
メラを構え、その風景の中に立つ自分を背後から見るような錯覚にと
らわれながらその後頭部を捕らえようとした。奥まで進めば、何か変
わったことはあったかも知れない。これまでとは違うものも見られた
かも知れなかったが、今日はこれで十分だと思ったし、何よりももう
面倒くさかった。

 ひとしきりシャッターを切ると、今度は携帯電話を取り出しておま
けのカメラを起動した。お世辞にも優秀とは言えないカメラだが、手
っ取り早くTwitterにこの景色を届けるにはこれに頼るほかな
い。ああ写したい、こう撮りたいと願ってみても、このカメラに望め
ることはしれている。最低限の設定だけをいじって、フレーミングだ
けは丁寧に決め、あとはいかにもぞんざいにシャッター代わりのボタ
ンを押した。シャキリとわざとらしい音とともに参道の奥行きは押し
込められ、画像がメッセージとともに自分のタイムラインに並んだの
を確認すると、私は参道の奥の奥、お宮の上の山に向かって出来る限
り厳かに一礼を供すると、きびすを返して踏み出した。
 ──そのとき、黄昏に沈み始める鎌倉の、よそよりもだんぜん深い
もののけ色をした薄闇の中に携帯電話の赤いランプ光が揺らめいた。
何事かと灯した画面には、今鎌倉にいるんですかと、先ほどの写真を
めざとく見つけた彼の御仁からののんきな口調のメッセージが届いて
いる。あの店にいたのだろうか? それとも、どこかで入れ違いにな
っていたりしたのだろうか? 私は尋ねなかった。今日はもう無理な
んですけど。彼のメッセージは続いていた。舞殿の周りが、ちょっと
広場みたいになってるでしょう? その脇に、お正月なんかに色んな
所から寄贈されてくる酒樽が積まれる場所があるんですけど──。そ
れは私もよく知っている。唐突なんですが、来週その場所でお会いす
るというのはどうでしょうね?
 スコーン。
 プラスチックの快音が、またも脳裏を横切った。オレンジ色のいび
つなボールのまぼろしは、長い、長い弧を描いて緑と朱の、厳かすぎ
るバックスクリーンを越えていく。液晶画面の文字を彩る声は、細い
細い、厚みを失くした16:9の空を伸びたあのアーチの先に連なっ
て、男か女か分からない。ただそこにあるのは、凛と鳴る、鈴の音の
ようにまろやかな瑞々しさだけだった。
 
                          (お終い)
 
 
 

|

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