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2012年6月の5件の記事

2012年6月27日 (水)

■全日本カワイラシイ選手権大会-準決勝- -更新第781回-

地球のみなさんこんばんわ。

今日もはじまりました、ムダにナイーブなおじさんの日常
『ゆび先はもう一つの心臓』の時間です。
司会はおなじみ、ムダにナイーブなおじさんことオイサンです。

時間ですッつってもその時間がいつなのか決めるのはテレビの前のあなたです。
何故ならただのWebページだから。
テレビですらないな。まあイイやどうでも( ← てきとう)。

とりあえず勢いよく始めてみようと思ったものの、
のっけから理屈っぽくなってしまって失速感満載。
テレビの人はすごいなあ。とりあえず元気だけは絶やしませんものね。

マ最近は、のっぺりした作り笑顔とか、画面の向こうのだだっぴろい空気とかが
なんとなく読み取れる様になった気もいたしますが、
コレが果たして、

 1)自分がトシをとって何か新たに読み取るチカラを得てしまった

からなのか、

 2)テレビ業界的に画面の向こうのエアーコンディショニング、
  つまり空気感管理が甘くなってて
  昔はもれてこなかったスキマ風がこちらに届くようになってしまっている


からなのか、はたまた或いは

 3)高画質・高音質化が進んで、画面の向こうでやってることは変わってないのに
  要らんモンまで地デジさんがお運びあそばしている


から、なのか……真相はわかりませんけれども……
ではここで本日のラストミステリー。
本当の理由は、上の1)~3)のうちどれでしょう?

正解が分かった方は正解と思う番号を2)と書いてですね、コメント欄にお送り下さい。
正解者の中から抽選で一名の方に
オイサン家の近所のクリーニング屋特製エコバッグ他、なんやかんやを差し上げます。
もちろんオイサンのサイン入り。
こういうの何て言うか知ってる? セルフブランディングって言うんですよ。
言いませんよ。
言うんですよ。

でも真面目な話、昔に比べて画面の向こうの別世界観って、なくなってません?
グルメ番組のロケで空が曇ってる時とか見てると、
もう芸能人もラクじゃないなーと思ってしまうオイサンです。
あからさまな雨天ロケとかねえ。
笑顔の芸能人、ホントえらいと思うわ。



■偶像崇拝のバラードのエレジーのブルース



おー、このフィギュアはちょっと欲しい。

 ▼花咲くいろは 松前緒花 完成品フィギュア
 http://www.amiami.jp/top/detail/review?scode=FIG-MOE-6043&page=


フィギュアでそんな風に思ったのは、この佐天さん↓以来か。

 ▼とある科学の超電磁砲(レールガン) 佐天涙子 完成品フィギュア
 http://www.amiami.jp/top/detail/review?scode=FIG-MOE-2471&page=


『花咲くいろは』は、丁度見られなくて完全にノータッチなんですけど、
いや、これはかわいいなあ。
何が心の琴線に引っかかるのかわかんないけど。
両手を上げて、胸を反らせてるのがポイントなのか?
もしくは、そういうポーズのサマになるキャラクターであることがポイントなのか。

……まあ、佐天さんはおヘソかわいいのがポイントなんですがね。
嗚呼、女子中学生のおヘソかわいい……。
おヘソがかわいい佐天さんのヘソの緒下さい!!


  ファンファンファンファン…… >∩<


オヤ遠くからサイレンの音が。
何か事件でしょうか、オソロシイ世の中ですね。
しかし我々善良な市民には関係ないので気にせず参りましょう。

  ……マ正直、「へその緒下さい」ってのは
  相当にキモチワルイと自分でも思いますが。
  そんなのもらってどうするんだろう。
  ……食べるんだろうか?
  すみません、気分が悪くなった人は手を挙げてください。見えませんけど。

あまり、フィギュアを欲しいと思うことはないですね。
オイサンの場合。ねんどろいどとか、figmaとかもです。
こないだ出てた『モーレツ宇宙海賊』のやつも、
まあかわいいとは思うけども、
なかなか買って手元に置こうとまでは思わない。
何故だろう。
買ってきちんと飾っておける場所を確保出来るならいいんですけど、
それもちょっと難しいのでなかなかお迎えに上がるにいたりません。
やっぱまず、お部屋をきちんと整えないとなー。



■機動下町センダギSEED Destiny



かわいいと言えば、
土曜日、ちょっとばかり遠出をして買い物をしてきました。

遠出といってもたかだか都内なんだけど。
千駄木あたり。
私のお出かけの場合、無駄に歩こうとするので
本人的にはすごい遠出をしたような気分になる。
今回も、お茶の水でゴハンを食べ、そこから上野の公園を経由して
日暮里・千駄木のあたりまでぶらぶらと。

R0048861 R0048871

巾着袋と日本手ぬぐいです。
巾着はリバーシブル。デジカメを入れるのに使おうかなあという感じ。
てぬぐいにはコレと言った意図はありません。
あとは小物を少々。

ところで千駄木あたりというのは、町並みがゴチャ然としていて雰囲気がいいですね。
起伏もあって、下町っていうんでしょうかあの辺を。
曲がりなりにも都心なので、人はそこそこいるしクルマ通りも少なくないので
歩きやすいかと言われればそうでもありませんが、
ふしぎとのんきな気分になれました。
またちょっとブラついてみるのも良いかも知れません。
もう少し目的があればね。

まあ町並み自体がかわいいのかと言われたらンなことはなくて、
古びたガンコジジイなんかに衝突して、やたらでかい声でカーン!と怒鳴られたりして
オシマイなんでしょうけどね。
くわばらくわばら。



■時代を超えて、かわいいのガワと根っこと。



先日、『グリーングリーン』の動画を探し直していて見つけたんですけれども。

▼『魔界天使ジブリール4』OP



いやー……すごいわ。感動した。
このシリーズも、いつの間にか四作も出てたのね。
初代からもう10年経つのかー。
『1』が出てきたときも、OPを見て、
「うわっすごいのが出てきた!」
と思ったものですけれども、これもまた、それを受け継ぎつつ、違う意味ですごい。

ちなみに言うとオイサンはエロゲはやりませんし、
今まで真面目にプレイしたものも(真面目……?)数えるほどです。

丁度、エロゲー・同人ゲーがオタクカルチャーの中心に寄って来始める時代のギリ手前が
オイサンの若者としてのオタクの最盛期だったため、
且つ、家に自分のパソコンなんかない世代であったので
(二十歳過ぎた頃にようやく共用のを家で買ったくらい)、
自分の文化の中心にはないのです。

なので、エロゲー・同人ゲーについてはオタクのたしなみとして
大体の潮流とか主立ったものを知っている程度。

  ……いや、お世話にはなるんですけどね。
  初めて自分で買ったえろのためのえろっちいアイテムは
  当時のいわゆるエロゲー雑誌ですからね。PC98とかの。
  性の入り口からして、生身は無視したところから入っているという。

『ジブリール』は社会人になってから出始めた作品ですが、
マそんなことだもんで
そもそも習慣としてエロゲをプレイするものとしてチェックするってことがないので、
やはりプレイしてはいないです。

  毛嫌いしてるわけではないですよ。
  別にアレですよ、オイサン、
  オンナノコが触手にからめ取られて素敵なメに遭うことに嫌悪感を抱くような
  物わかりの悪いオトナではありません。
  全然キライじゃありません。
  「まんじゅう怖い」的な意味であれば怖くて仕方ないですけど。

  「わしゃあアレじゃ、触手モノが怖い。
   ……。
   ふう。
   今度はティッシュが怖い」
  「ジジイ自重しろ」 

  ……っていうか、この↑タイミングじゃ間に合ってませんね(何が?)。
  最低だッ……これって……。

『ジブリール』の初代は確か、
エロゲのOPにアニメーションとフラッシュを組み合わせたスタイルのもの
(なんか名前があったと思いますが忘れた)が色々出てきた頃の作品で、
その中でもアタマ一つ飛び抜けた豪華さ・カワイサとセンスの良さを持っていて、
度肝を抜かれたのを思い出します。

存在を知ったのは……多分、動画とかゲームの情報ページだろうと思います。
やっぱりね、見たときに、胸が「キュン」と音を立てましたものね。

  センスの良さやスピード感なら他の作品も全然負けていなかったんですけど、
  『ジブリール』にはそこにさらに、ゴージャスな感じがあったと感じてます。
  逆に言うと、当時の他の有名どころ作品のムービーは若干チープだったんですね。
  オカネかけられないのを手をかけ知恵を絞っててカバーしているんですけど、
  『ジブリール』にはその、「如何ともし難いチープさ」が感じられなかった。

   ▼いただきじゃんがりあんR
   
   ぱっと思い浮かぶ有名どころではこの辺り↑でしょうか。時期が一致するか分かりませんが。
   これが悪い、安っぽいと言ってるわけではないんです。
   これはこれで、表現の一つの形として一つの域に達していると思います。
   オイサンも好きなのですが。けどやっぱ。一歩届いてない。そう感じるわけです。


  『美味しんぼ』の、おもてなしの心を試す鍋料理対決において、
  山岡さんが知恵を絞って「新しい、楽しい鍋」を考案してきたのに対し、
  海原雄山がカニ鍋やらしゃぶしゃぶやら、金のかかる贅沢な鍋を五つ並べて
  「(良いものを選ぶことは当然として)
   金をかける・贅を尽くして見せることそのものが、
   先ずはもてなしの相手を尊ぶ姿勢であり、それを伝えることである」
  みたいなことを言って圧勝していて、
  マ単純に賛成出来ないむきもあるとは思いますが
  オイサンなんかは嗚呼ナルホドと、ストンと腑に落ちた次第。

  もちろんオカネ出せばそれで良いってハナシではなく、
  それだけのことをしても先ずはあなたに対して惜しいと思っていない、
  という気持ちを見せることだと、そんな話です。

  つまりそんな感じです。

デ、今回の『4』のOPですけども。
やっぱり、胸がちょっとキュンとなります。すげえな。

だって……10年ですよ?
10年のうちに「カワイイ」という言葉の指すところも変わっているでしょうし、
映像という面での時流、何がかっこよくて何がそうでないかという流行廃りもあれば
制作の為の技術も変わっているでしょう。

なんていうか、それらをひっくるめて追従しつつ、
ベースとなるものというか、最終的に帰着するべきところは見失わずに着地してる、
そういうすごみを感じました。

  あ。
  つっても、この映像自体既に1年以上前のものであることは忘れないで下さい。
  オイサンが一年経ってからびっくりしてるだけなので。

ヒロインのデザインの、肝となる部分はやっぱり変わるでしょう。
絵柄一つとっても、多分、線の太い細いから始まって、
どんな服着せるのかとか色合いとか、もう全然違うでしょうし。
映像のスピード、緩急、密度。
どういうパーソナリティのオンナノコが受けるのか、その品ぞろえはどうするのか。
ギャルゲーだけならそれでいいとして、エロゲーにはその上に、
じゃあそのパーソナリティを持った子らを、どういやらしくイタスのか、
パーソナリティを生かしつつ、お客さんを満足させるためにイタラシメルのか、
どういうイタサレ方をするのが、彼女らを一番輝かせるのか、というような造形が、
きっと必要なことでしょう。
さらにまた、デフォルメの仕方もまた変わってますし。

今回目を引いたのは、小さな正方形を主モチーフにおいて、
それでどんどん視線をコントロールしてるところと、
そのちりばめられたスクウェアの動きの緩急の付け方でした。
ひゅっと素速く動いて、いったん引いたように速度をゆるめる。
さりげないように見えて全然さりげなくないっていうか、
こういうことをどう発想するものなんだろう? ととても不思議に思っています。
すごいわー。
見てて飽きないわー。

まあ緩急の点においては、ワリと手癖でやってるのかなー、
その手癖のスピード感が、オイサンの生理に合うだけなのかもなーとも思いますが。

キャラクター個々が、飛びぬけてカワイイとか斬新とか、そういうことはないと思います。
単品で抜き出してくれば多分ワリカシフツーで、
他と並べたら、オイサンみたいなミーハーでは区別がつきません。
一つ一つが鬼気迫るようなものではない。

けれども、……なんなんでしょうねえ、
あの色合い、あの速度、あの動きの軌跡、
それらと組み合わさって「表示」されたときに生まれる一瞬の表情っていうんでしょうか。
大方は止め絵をぶんぶん動かしているだけなんですけど、
その隙間を、受け手の妄想でさせるというかね。
『アマガミ』の立ち絵スクリプトと似たようなことです。



……いやー、オンナノコって、かわいいなあ。



と。
改めて思ってしまった。
なんだそれ。

もちろんね、生身の女性とは全然違う「オンナノコというキャラクター」の話です。
現実から生じて、多方面からの解釈と要求に応じて
そのおいしいエッセンスだけを時流にそって抽出したものの話。
「二次元のオンナノコ」というキャラクター。
そらもうすっきりサッパリ、原作(?)からはかけ離れたものになってまして、
且つ願望的な部分ばかり強調されているので
そんなもん可愛くて当たり前なんですけれども……
それにしたって、ここまで可愛いもんかね(ドン)!!

……と、怒り出してしまうくらいかわいらしく切り出していると思います。

とその反面、その清潔さとのギャップで、
なんだか高校生という年代の生々しさみたいなものも、やたら感じたりして。
あー……ヤりたい盛りなんだろうなあ、男の子もオンナノコも……。
みたいな。
オイサンには当時、そういう自覚はほとんどなかったのでよくわからんのですが、
一般的にはみんな、キョーミ津々で、
隙あらば、抜いたり挿したり、入れたり出したりしたい時期なんだろうなあ、と……。

その二つが相まって、
そのカワイさ極まった子らがナマナマシいところを見せてくれるのかしらー、
と思ってると……なんかね。
欲しくなってきちゃった。
『ジブリール4』。
年甲斐もあったもんじゃないな。
多分買いはしないと思うんだけど、賛辞として、ですね。

  そんなもん要らんから買うてくれ、って言われるんでしょうけどw

つってもまあエロゲーの中でも抜きゲーなんでしょうから
あんまりそういう細やかなところとは無縁で、
それこそ都合のいい、サービス満点の展開しか待っていないんでしょうけども。

その昔、『同級生』が出た当時
あのキャラデザインというのは当時のエロゲ界においては画期的というか
要するに「エロゲらしくない、脱ぐとは思えない」ものだったらしく、
それが界隈を驚かせたということなのですが。
この『ジブリール4』のOPも、エロゲらしさはさほど匂ってきませんものね。
ラスト付近で下着が舞うとこと、
あとは伝統の白スク戦闘服? くらいなもんで。

根っこは残して、ガワは時代に合わせて着せ替えて、
やりたいこととやらなければならないことを切り分けて乗っけていけるもんだなあと
(どっちがどっちかは別として)、
表現ってモノは、なかなか自由なもんだなあと改めて感心した次第。
なんかね、希望があるなあと。
エロゲーのOPを眺めながらしみじみしていた土曜日ですよ。


以上。
ここんとこ気付いたカワイイもの噺三連発でした。


  ファンファンファンファンファ  ∩  ピタ


おや、サイレンが鳴り止みましたね。
家のすぐ外ですね。
近くで何かあったんでしょうか、怖いでsピーンポーン




やろうどもずらかれ!!
 ヘソの緒の回収は忘れんじゃねえぞ!!



……オイサンでした。



 

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2012年6月23日 (土)

■神様のオママゴト -更新第780回-

ものの見事に台風でしたね。
オイサンです。
いやあ、ヒドイ目に遭った。

オイサンとこの最寄り駅は、
改札前のコンコースが駅ビルの北から南まで貫通してオープンになってまして、
もちろん屋根はあるんですけれども、
横から吹き込んでくる雨でもう、すみからすみまで角淳一です、ではなく(誰がわかんねん)

隅から隅まで水浸しになってしまってました。

貫通してオープンっていっても、結構広いんですよ?
北側の入り口から南側まで2、30メートルはあるんじゃないですかねえ。
間はイベントひろばになってて、ちゃんと屋根もある。

電車を降りて改札を出、その風の通り道に歩み出たとたん、
まだ出口は全然遠いのに横っ面に雨が当たる有様で、
こらアカンわと、その両入り口の真ん中辺りにあるカフェ
(ここは完全に屋根壁に囲まれててさすがに吹き込んでこない)に逃げ込んで
しばしお茶を飲みつつ行き交う人を観察していたんですけども、
もう屋根も壁もないみたいに、風に煽られ雨に濡れ、
えらいことになってました。

あんなになってるのは初めて見たなあ。

新宿から乗ったときにはまだ全然降っていなかったので、
その様相の変わりっぷりにびっくりした。
電車で座れなくってイライラし、

「こんなとき俺に超能力があったら、
     となりの車両の窓を一斉開放してやるのに……!」

とか考えたからバチが当たったんでしょうか。
そんなんだから神サマはオイサンに超能力をお授けにならなかったのでしょう。
お前、ヒト見る目ェあるやないか(上から。

部屋に帰ってももうビュンビュンガタガタで、ちょっとスゴかったですね。
エキサイティングでした。
……駅だけに。( ← 今思いついた

結局カフェで待ってたってそう簡単に雨風おさまるはずもなく、
テキトウなところで覚悟を決めて出て行くことに。
カサなんか、あって無きが如しでしたね。
それでもカバンが濡れるのくらいは多少防げたので、
体はほとんどずぶずぶになりながらも風にカサ突っ張って十分ほど歩いて帰ったんですが、
その中間地点あたりで突然ケータイのアラームがなりまして。

曲は『ツインビーヤッホー!』の「海のかなたへ!」。
……ちょっとテンション上がりました。
何をしているのだか。

▼ツインビーヤッホー!stage3

このBGM。しかし今見ても出来のいいゲームだ。演出的には2DSTGの理想形の一つだと思う。

翌朝は、台風一過。
東京はキレイに晴れまして、いつも通り三駅分歩いて出社したのですけれども、
靖国神社の裏手にて、
誰が捨てたかカップめんのカラに雨水が溜まり
そこに木の枝、木の葉が浮かんで、まるでおままごとの後のようで。

空の神様が遊んで帰ったんですかねえ。

昔のひとも、こんな感じに何か痕跡を見つけては、
神様の仕業だ、精霊のおかげだと、
信仰に変えていったのかも知れませんな。

▼『熱帯低気圧少女』OP あした天気になあれ




■ブログが薄い



最近ブログの更新がうすくて申し訳ない。なにやってんの!
どーしてここまで書く気が起きないというか、
ネタに乏しいというか膨らまないというか、
そんな感じなのかなーと改めて考えてみたのですが、
何のことはない、よーするにTwitterでしゃべり過ぎてるんだなということみたいです。

Twitterの呟きを見てると、
以前だったらこれでひとくさり唸ってそうだなーというネタがいくつも見つかります。
だもんで、ためしにここ数日でTwitterで突っ込んだ内容を使って
ちょっとなんか書いてみようと思います。



……手抜き?
バカ言っちゃいけねえ。
これはコレで、手がかかるんじゃぜ?



って言うかさ、ホントはもっとしっかり話が出来る題材を、
いかに手軽に済ませちゃってるのかって思うよ。
凝縮してるとか、簡潔にまとめてる(ブログの方が余計なハナシが多い?)とも言えるけど、
セツナ的に処理して膨らませる機会を逃してるってことの方が大きい気が、
オイサンみたいな性分だと思ってしまいますね。
こんばんわ齊月セツナです。( ← 未だに『エルツヴァーユ』が好き)

▼封神領域エルツヴァーユ





■今日も明日もいつもの道で~通勤経路のエトランジュ


しかしまあ、駅の中にしろ電車の中にしろ、
日本はどこ歩いてても広告だらけですよね。
その光景を当たり前のものとしか思っていなかったんですけど、
最近そのことに改めて気付いて……なんだか、たまに気分が優れなくなったりします。

字、字、字、字、字。
絵、絵、絵、絵、絵。
写真、写真、写真、写真、写真。
コマーシャリズムの嵐。しんどいわ。

外国もこんなもんなのかしら。
アメリカはここまでではなかった気がするがなあ。
ガイジンさんはびっくりしないのかしら。

しかしそんな中でも、
総武線ホームへ上がる階段の脇に貼ってあるカードゲームのポスターは
オイサンの心の癒しです。
アレなんなんだろ。
『ヴァイスシュバルツ』ですかね。
違うアニメ作品のヒロインが4人並んでるんですけど、
『真剣恋』と、『これゾン』のハルナさんがあしらってあって、ちょっとだけ元気が出る。
一服の清涼剤です。
ありがたいハナシです。
ナマンダブナマンダブ。
オタクで良かった(そうか?)

んでデンシャには大概決まった乗車口からのるんですけれども、
あの車内広告の枠は、やっぱ決まったメーカーさんが決まった場所を押さえてるんですかね。
大体オイサンのアタマの上辺りはKIRINさんのチラシなんですが、
最近はアレです、『午後の紅茶』。
イケメンが無糖紅茶とおにぎり片手に、
「おにぎりに無糖紅茶は合う、アリだ」みたいなことを言ってます。


……いやあ。
ムリヤリでしょ。


ないない。ないよ。
生茶チームとケンカになればいいのに。
「人ン家のシマを荒さんでくれんか!」とかって。
ねえ。
市場開拓は結構なんですけどさ。
味覚とか感覚とか、そういう人間の根っこの大事な部分を、
コマーシャリズムのために歪めるのは、良くないと思いますよ。
広告主! 本当にその組み合わせに自信があるのなら、
イケメンなぞ使わず出川と江頭で広告を作り直して出直してまいれ!

あと最近、黒ウーロン茶の車内チラシに
『笑ゥせぇるすまん』のマンガの台詞を書き換えたのが使われてまして、
あーホンマにセールスマンになったんや、とか思ってしまいます。
たまーに、全然イミわかんないのもあったりして逆に怖かったりする。
アレ、一覧で見られるページとかないのかな。
と思ったらやっぱりあった。


  ▼サントリー黒烏龍茶のページ
  http://www.suntory.co.jp/softdrink/kuro-oolong/img/magazine.pdf
  pdfが開きます。


これの①の6コマ目、
説明したのに「はぁ?」みたいに言われた喪黒さん、黙っちゃって、
「(なんか俺がすべったみたいな空気になってるがな)ドーン!!(逆ギレ)」
みたいに見えて、電車の中で吹きそうになったオイサンです。
そして③はおっさんが完全にコワれてて、読んでてちょっとコワイ。
あと、ゴルフ場ではちゃんとポロシャツ着てる喪黒さんダンディ。

  しかしこうして改めて見ると、やっぱ藤子不二雄の画力はすごいね
  マンガ力っていうのかな。
  背景なんか、さりげないのにすっごいしっかりしてる。
  ヘタに無駄に描きこんであるっていうんじゃなくて、
  過不足のないディティールで描かれてるっていうのかしらね。
  人物の邪魔をしないのに、目を配れば当たり前のことが当たり前のように書かれている
  数コマ分の抜粋を見るだけでもため息が出るくらい見事だと思います。
  今の人たち、これをお手本に頑張ってほしいです。
  抽出と省略。
  大事大事。

デンシャを降りたら何駅か分歩くんですけども、
その途中で、冒頭で書いた神様のおままごとのあとを見つけたりしつつ。

いつも途中の松屋で朝ごはんを戴くのですけども。
最近夏の新メニューで、(自称)さっぱり系メニューの
「豚しゃぶ丼」「おろしポン酢豚しゃぶ丼」が加わったようなんですが……
いやー。

 「『おろしポン酢豚しゃぶ丼』は、
  『豚しゃぶ丼』よりワンランク上のプレミアムメニュー!」

って……。
吹き出さずに淀みなく言える、店内アナウンスのお姉さん、さすがプロ。
オイサンには、何テイク重ねようが絶対真似出来そうにありません。
ホンマ、エエ加減にしとかんと。
JAROさんが黙ってまへんえ。

あと店内のオリジナル番組みたいなんで
「松屋エンタメセレクション」とか流すのやめてもらえませんかね?
おかげで全然自分の好みに合わない曲がいちんちアタマん中巡ったりして、
ちょう不愉快です。

ほーんと、どこもかしこもチラシばっかりだよ。
ウンザリするです。

……けど、アレですな。
こういうコト書いてると、『ギャラリーフェイク』に書いてあった
「北斎こそはコマーシャリズムの寵児なのだよ!」
みたいな、Prof.フジタの言葉も思い出されて、
こういう中から生まれてくる美しさも間違いなくあるんだろうなあとは思います。
糸井重里とか大好きですからね。オイサン。
コマーシャルアートが悪いって言うわけじゃないんだ。
セッソーのないのがイカンのだ。
節操なき医師団(あかんがな)。



■世界は狭く、しかし濃く、そして深い。



しかしまあ……
Twitterやっててしみじみ思うのは、よそン家のことは、ホント分かんねえってことですね。
これまで自分の身の回りでは当たり前だったことが、
まったくそうでなかったりする。

それはもう、自分の家の中だけの話ではなくて、
たとえばこれまでお付き合いしてきた友人知人親類縁者の、
知る限りのご家族関係を見渡してみて、
「ああ、どこン家でも、大体こういうことくらいは共通してるもんだな」
と思っていたことでさえ、
つまり、ある程度色んな家の中を見渡してそう知見していたことでさえ、
ずっぱりと「同じだと思ったら大間違いだ!」と言われかねない。
それは恐らく、オイサンがお付き合いしてきた方々が、
やはり何らかのハカリでもって偏差が生まれ、
均質化されていたということなのでしょう。

ある程度、似たような方々としかお付き合いをしてこなかった、ということで。

たとえば、親は子のことを愛しているものだとか、
その愛がどのような形で現れるものだとか、
どのように住み、食べ、ふれあい、暮らすのか、
ある程度住んでいる家の形や大きさが同じであれば(という推測がつけば)
大体こんなもんなんだろうなー、と思えていたことが、
もうそんなこと全ッ然ない、まったく違う前提というか、
前提観(なんだかよくわかんないけども)みたいなものの上で暮らしてたり、する。

だから自分の前提のもとでヒトに何か言葉を投げかけようとした時に、
もう全然相手にとってはとんちんかんで通じないとか、
下手をすれば傷つける、怒らせるなんてことも起こりうるわけで、
そういうことが難しいなーと思ってしまったり、するわけです。

それを「いやお前ン家おかしいよ」と切って捨てることも出来るのだけれども、
それをやってしまうと「あのオッサンは古い」と逆に切って捨てられることにもなるわけで、
ひと一人励ますだけでも本当に難しい。
親身になるってのはそういうことなんだなあと、ひしひしと感じたりするのです。

その変化は空間や経済の問題とあわせて、
単純に時間に伴ってしたりもするのでしょう。

お若い方の言葉を聴いていて、どうもご両親と話がかみ合わないらしい、
オイサンなんかだとでもそれは単なる視点の違いや互いの思い違いであって、
多分おとーさんおかーさんはあなたのことを
こういう風にも考えて言ってるコトではないのかね、
あなたのことを考えてないワケではきっとないと思うよと
ごくごくシンプルに当たり前に考えてしまったりもするのだけれども
実はそんなの大間違いで、親がホントに自分勝手で
子供のコトなんか一切斟酌していない場合がもう、なんか平気であったりするっぽい。

となると、ああオイサンはなんて恵まれて育てられてきたんだろうかと
逆に凹んだりもするのです。
ボンボンやなー、と。
圧倒的に「足りてない」。

  まオイサンがボンボンなのは
  (つっても別に全然カネモチの家の子とかじゃないですけども。
   お金回りはフツーだと思いますよ)
  このスウィートメルヘンなノーミソの中身を見てもらえれば
  火を見るより暖かいのですが。

そーは言っても、それまでやめてしまってはもう
オイサンには言えること出来ることはなくなってしまうので
それもままならないのですが。

ムズカシイデスネー(シロメ



■Closing



R0048846
台風一過の東京


……ほぅら。
どうよ。
Twitterで呟いた分だけじゃなくて、その周りで思い出したことまで、
こんだけ出てくるわけですよ。
いやー、殺してるなあ。
色々と。
Twitterコワイ。

マそんな感じなんで、Twitterで言っちゃったから、って思わないで、
出来るだけ言ったことは見直して、拾えるところは丁寧に拾い直していく。
そんな習慣をつけた方がいいかもですね。

……いや、無理してブログの記事を充実させたって、
別にオイサン、儲かるワケじゃないんですけどね。

うん。
でも、だってホレ。
ここは『ゆび先はもう一つの心臓』ですから。
ツマリはそういうワケってコト!フゥー!!



オイサンでした。



 

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2012年6月22日 (金)

■導線/境界 -更新第779回-

 
 
 
■序
 
 
 
 スコーン──。
 まさにその打撃音のごとき早さと軽さで、今日はスコーンを食べに
行こうと心に決めてしまったのは、Twitterのタイムラインに
見つけたその文字の並びが耳の奥に響かせる夢の快音に、すっかり心
まで打ち抜かれてしまったからだった。
 スコーン。
 おもちゃのビニールバットで軟球をミートしたときの、幼い腕と胸
に残るあの音、あの感触だ。私は、幻の中で自分の打ち返した打球が
雲の底をかすめる長い放物線を描いて、八幡宮の背後にこんもりと繁
る、鎌倉の森へ吸い込まれていくのを見送った。
 かくてこの日の私の行き先は、由比ヶ浜にあるオープンテラスの喫
茶と決まった。スコーン──。かつて二度訪れたことのある店だ。ス
コーンを食べに行く。まだ、朝の八時を過ぎて間もない頃だった。



■一. 朝



 いつも気がつけば過ぎ去ってしまう土曜の午前を少しでも引き留め
たくて、行きつけの珈琲店で少し重めの文芸誌を開く。先ごろ芥川賞
を受けた作家の新作が掲載されているというあおりに惹かれて出しな
に買ったものだったが、それよりも、堀江敏幸、平野啓一郎、江國香
織と綿矢りさ、四人の講演の、文字起こしが興味をさそった。昨年三
月の大地震、そのとき、小説家、職業文筆家としての彼らが何を思い、
何をし、何をどのように書くかという話だ。仕事だからそれを考える
のか、それともそれを思うことが出来るから彼らが小説家であるのか
は分からない。そのとき私は、そしてそれからの私は、何を考えただ
ろう?

R0048310

 そうして午後になると、昼を馴染みの割烹のランチで済ませ、すぐ
さま最寄りの駅から列車に乗り込んだ。
 主菜は魚、客はまばらが常のその店が、この日に限って肉が主菜で
お客もやけに多かった。店の水槽で立派なカワハギがぼんやりしてい
るのを見て、美味しそうなの泳いでいますねと話のきっかけ作りのた
めとはいえ板長に言ってしまったことは、あとあと自分がひどく即物
的な生き物であるように思われて後悔の種になった。
 海と山を結ぶブルーのラインが象徴的な──改めて思うとこの青は
絶妙だ──私鉄で三十分あまり。そこから野暮ったいオレンジと緑の
電車に乗り換えれば、江ノ島モノレールの始発駅までは数分で着く。

 何も、由比ヶ浜まで出なければスコーンを出す店がないというわけ
でもなかった。心当たりは他に三軒あって、うち一軒は同じ沿線の上、
二十分ほどのより近いところにあったし、また一軒は、家から徒歩で
十分のところにある。三軒目は北海道は旭川にあるから、こちらは土
曜の朝の思いつきで気軽に赴くことは難しい。敢えて「難しい」と言
うにとどめるのは、ことの次第によってはそれだって辞さない覚悟の
表れだ。甘味のためなら空も飛ぶ。キリンの首が伸びたのは、もしか
すると木々の上の方に生える葉の方が甘いからなのではあるまいか。
ともあれ、この日の行き先を由比ヶ浜の店に決めたのは、その店が唯
一オープンテラスだからというだけだ。スコーン。朝見たまぼろしみ
たいに打ち上げた打球が、天井に当たってホームラン扱いとなるのは
無粋だと思った。
 もう一つ理由としては、今日こうしてスコーンを食べに出かけるき
っかけをこしらえたつぶやきの張本人がその店を知っていたからだ。
彼の発言をTwitterに見つけたとき、スコーンですか、良いで
すねえ、とついうっかり、それ以上返しようもないリプライを送って
しまって後悔したのだが、ありがたいことにあちらさんも、いい店を
知っているんですよ、とあまりうまくない世間話を運んできた。気ま
ずさも手伝ってそれに乗っかってみたところ、私も知っていた由比ヶ
浜の店の名が挙がったのだ。
 その相手とは実際の面識はなかったのだが、これまでのやりとりで
互いが大体どのあたりを根城にしているかという察しがつくくらいで
はあった。向こうもそれに準じて由比ヶ浜という絶妙な立地の店を持
ち出したのだろう。
 それじゃあ、今日は足を延ばしてみますかねえ、と本気を濁した返
事を送ってみると、すぐさま、僕も行くかも知れません、と花の咲い
たような応答が向こうからもあって、一先ずやりとりはそこで締まっ
た。

 列車の中で、私は朝の続きの雑誌を開いた。地震。
 そうだ、件の地震の最中、私は先に述べた旭川にある店で、まさに
スコーンと紅茶でくつろいでいるところだったのだ。関東に住む身で
ありながら、あのとき私は関東はおろか、本州にさえいなかったので
ある。地震慣れしない、テレビもラジオもない、それどころかCDを
かけるためのアンプさえいかれていて「戴き物なんですよ。機械にな
んか疎いからどうしていいか分からなくて。くれたご当人に修繕をお
願いしてはいるんですけどね」と呑気に笑う女主人が──正しくは女
主人の母親に当たる、私の母親とほぼ同い年の老婦人が切り盛りする
その店に集った旭川の地元の人たちの中で、私は上等な座り心地の椅
子を伝ってくる揺れに、内地の人間らしく敏感に気付き、Twitt
erの流れで何が起こったているかを知ったのだった。

 そんな場所まで私を連れ出したのは『北へ。~Diamond Dust』に他
ならない。ドリームキャストでリリースされた『北へ。White
Illmination』の続編としてPS2でリリースされたそのゲームソフトは、
北海道各地を旅しながら、地元の少女たちと心を通わせていく物語ゲ
ームだ。ある年の年末に、その旭川編に登場するフィンランド生まれ
のフィギュアスケーター・北野スオミとの恋物語と、作中実写で映し
出される冬の北海道の風景にすっかり魅せられてしまった私は、明け
て翌年の一月、初めての北の大地を踏んでいた。そのときの旅は羽田
から旭川を経由し、最北端の宗谷岬を目指すもので、作中に描かれた
白と青の美しい風景が再現されることはなかったけれどもその代わり、
濃淡様々な灰色と、凶悪な風と雪に彩られた道行きは、私の心を異国
の少女との恋物語以上にかたく捕らえてはなさなかった。





 北海道はおろか、一人で飛行機に乗ることも、宿を取ることさえ初
めての初めて尽くしだったあの旅は、Z軸を持つ世界と持たない世界
が互いに触れ合い絡み合うことは決してないが、両者が線でつながり
合い、面で交差する、その空間の一瞬を、心とゆび先からいかにZ軸
を排して捜し当てるか……そんな旅の始まりだったように思う。以来、
今でも、北の大地の虜である私の渡道は今日までに十五回を重ね、夏
よりも冬の景色を愛してやまない。

 旭川のスコーンの店は、作中にもそのまま登場する。初めての旅の
終盤で、私はその店のお茶とスコーンにもまた魅入られ、旭川を訪れ
る折には必ず寄せてもらうようになり、何年に一度の訪問であるにも
関わらず顔なじみの知遇として扱ってもらっている。そして昨年、そ
の店で、私は……何度目かになる訪問の最中に、あの地震に遭遇した
のだ。だから私は、あの地震も、あの地震によって起こった様々な不
都合も、どこか自分の物として触れられていない。あの地震は未だ、
私にとってブラウン管の向こうよりもまだ遠くにあるものだ。



■二. 湘南モノレール 獣の夢



 経由駅で、JRから湘南モノレールに乗り換える。遠回りだが、こ
れに乗ることも、今日の目的の一つでもあった。
 国内では珍しいという懸垂式モノレールの、その名の通り一本のレ
ールにぶら下がったゴンドラ様の車体の足下には遮る物がなく、市街
地を走るうちはちょっとした空中散歩の気分だった。しかし軌道が山
間にさしかかるや、車体は公共の交通機関にあるまじき鼻息で上昇と
下降を繰り返すようになり、左右のカーブでは、遠心力のなせるわざ
なのか、はたまたレール自体にひねりが加わっているのか、ヘアピン
を攻める二輪車の趣で車体を傾がせコーナーに挑みかかっていく。三
次元的なうねりを感じる中、窓のすぐ外には野生の木々から張り出し
た枝が迫り、車体の起こした風と、ときに車体そのものが、それらと
ぶつかりざんざか切り裂く音を立てた。
「なるほど……」
 この湘南モノレールはアップダウンが激しくてちょっとしたジェッ
トコースター気分が味わえるから、一度乗ってみると良いだろう、と
アドバイスをくれたのも、誰あろう、今朝のTwitterの人物だ。
彼は古くからこの界隈に住む、生粋の地元民であるらしかった。

 鎌倉もまた、かつては私のあこがれの町だった。

 プレイステーション用ソフト『NOeL』の続編、『NOeL~la neige』
の舞台にこの町が抜擢されたのは、ただ単に制作プロデューサーの好
みが理由だったというのは後に展開された解説本の中で明かされたこ
とだが、今にして思えば、携帯テレビ電話でコミュニケーションをと
ることが当たり前になった時代の架空の恋物語の背後に広がる風景と
して、海に、山に、古刹に小路という、十年二十年の時間で揺るがな
い大きな輪郭を持つこの町は最適だったのではないだろうか。歴史と
いう土台の重みが、その上澄みに張る皮膜程度の時間の変化を些細な
物に見せる。その確固としつつ曖昧なありようは、同じ湿りを吸った
土の上に立つ生き物同士のつながりを、受け手に感じさせるために不
可欠のものだ。画面の向こうにいる彼女らが、自分たちと同じ土壌の
上に立つ同じ仕組み、同じルールの生き物であること。
 それに、『NOeL~la neige』のヒロイン三人の性格が、表面上はそ
れぞれ多様に見えながら共通して芯にまとっていた凛とした大和撫子
の、かつ男勝りとさえ呼べる空気は、武家、武士の時代を象徴するこ
の町の水と空気に育まれたというバックボーンを負っていたからとい
えるだろう。彼女たち──橘柚実、門倉千紗都、碧川涼の──三人は、
考え方も、恋にも、ときに先鋭的で自由闊達な女性の性質を持ちなが
ら、ときに古風で、いかなる権利も自由も侵さないしなやかさを備え
ていたように思う。それもまた、Z軸のこちらと向こうが作り出す幻
の立体感だけがなしうる理想の業でしかないのだが、私はやはり彼女
たちの、その生き生きとした隙間だらけの世界に魅せられたのだった。



 山の間に間に、不意に視界の開ける地点があって、里山、古い家々、
海がまぶたをかすめていく。猛スピードで緑のトンネルを駆け、抜け
出したかと思うと山から山へ、谷を越える跳躍。彼の御仁はこの路線
をジェットコースターになぞらえたが、私には、自分がまるで傷だら
けになりながらも獣道をかき分け疾駆する、四つ足の何かになったよ
うに感じられた。



■三. 由比ヶ浜 



 獣の夢からさめて終点の駅でモノレールを降りると、あとは緑色の
トロトロ電車で由比ヶ浜まではすぐだった。この日は大きな連休とい
うわけでもなく、天気もとりたてて良くはなかったので人出は多くな
く、海も町も、緑色の窓からよく眺められた。鎌倉の海は美しいわけ
ではないと、眺め慣れたからというわけでもなく思う。

R0048366

 目当ての店があるのは、由比ヶ浜の駅で電車を降り、笹の幹から気
まぐれに伸び出た小枝のような道をひょいひょいといくつか折れたり
逸れたりした先にある閑静なエリアで、白くて厚みのある石壁の家が
続ている。ただ高級住宅街と味気なくまとめてしまうのもどこかずれ
ているような気にさせる区域で、健やかであるためにはこれだけの時
間と空間の広がりが必要で、それは贅沢でもなんでもない、心が手足
を投げ出して大の字になったときの大きさなのだと、暗に言われてい
るような場所だった。人と車がすれ違えるかどうかという幅の生活道
路には、家々の敷地から張り出した雑木の枝が木陰と木漏れ日を作る。
この道は、そんな周りの家々のあるじたちの、気まぐれというか、善
意というか、美意識のようなものの隙間に生み出された小道である。

 店は繁盛していた。
 縁側のような、屋根の下の席をかろうじて確保して陣取ると、私は
ぼんやりと視界をあらためた。たとえ席が埋まっても、窮屈さ感じず
に済むのは、オープンカフェの良いところだ。
 ちょっとした公園ほどの広さがある店には四人掛けのテーブルが十
あまりあるが、その殆どは、屋根のないところに、木々と調和するよ
う不規則に向きを変えて配されている。木立が作るうすく緑がかった
陰と、どこからでも抜ける海と山に冷やされた風のおかげで夏場でも
涼しく、今日のような中途半端な日和には、肌寒い時間が結構あった。
 客は、家族連れ、葬式帰りの老人会のような集まり、カップル。木
の葉型にくり抜かれた陽光をそれぞれの肌の上にゆらめかせて、皆、
普段とは少しずつ形を変えているようだった。椅子に大きく背中を預
けると、目に入る木立から漏れる光がきらきらしてため息が漏れた。
『NOeL~la neige』がクリスマスから春先にかけての物語であるのに、
三人のヒロインに夏の匂いを感じるのは、彼女たちの学校の制服が深
い緑色をしているせいだろう。目当てのスコーンと飲み物のセットを
待つ間、あたりの透明な緑色に目を奪われているうち、衝動的にデジ
タルカメラを取り出して、写るかどうかも分からないその光の筋にむ
けてカシカシと何度かシャッターを切った。撮りたい物はいつも空間
や間隙であって、実体であることは少ない。物にくり抜かれた空間が
私の被写体だ。それは文字を並べるときも同じで、そのものに迫るよ
りも、周囲を埋めていった方が早道だし、伝わる感触が濃い。光の形
はだんだんゆがんで、三人の少女の形になっていく気がする。

 客の動きは少なかった。皆なかなか、ここに広げた自分の場所を仕
舞おうとしない。私の隣の席には私同様女性の一人客が座ってチョコ
レートケーキを食べ、ぼうっと心を投げていた。やがてスコーンが運
ばれてきて、私はまた、そのオレンジ色の焼き菓子にレンズを向けた。
 さて、と、オレンジ色の焼き菓子を前に、改めて居住まいを正す。
 スコーンは元々好きな菓子の一つだったが、それに拍車をかけたの
が『ダンタリアンの書架』だ。『ダンタリアンの書架』は第一次大戦
直後のイギリスに似せた世界を舞台に、謎の少女ダリアンと主人公ヒ
ューイが、幻書と呼ばれる稀覯本を巡って戦いを繰り広げるファンタ
ジックなライトノベル原作のアニメ作品だったが、その中で、沢城み
ゆき演じるところの蒼白小柄の美少女ダリアンが、頭のてっぺんから
つま先まで真っ黒なゴスロリファッションに身を固め、時代がかって
高圧的なせりふ回しで好物のスコーンをおねだりし、ヒューイはじめ、
周りの大人たちがあやすようにそれに折れていくという小間劇の方が
なんとも心地よく、ミステリータッチの物語の本筋はお世辞にもほめ
られた面白さではなかったが、ダリアンとヒューイの甘味コント見た
さに結局最終話まで見せられてしまったのだった。



 『ダンタリアン』の不吉に赤みがかった暗い画面を思い出しながら、
私は運ばれてきたスコーンを手に取って二つに割った。その断面から
熱がふわりと噴き出して、一瞬、景色がたわむ。さらにもう半分に割
り、そこへクロテッドクリームをどさりと乗せる。たわんだ空気の向
こうにダリアンの、蕩けるような、否、幸せに蕩け切った白い頬が重
なった。あの恍惚の表情と、それにふさわしく演じきった沢城みゆき
の引っかかり一つない滑らかな声が、今の私のスコーンへの幻想をよ
り一層甘くさせている。クリームも良いがジャムも良い。ヒューイ、
なにをしているのですこのノロマ! さっさとお茶の支度をするので
す! はいはい、ただいま。私は熱の揺らめきの向こうへフォーカス
を合わせて、急いでもう一度シャッターを切った。

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 スコーンを割る、クリームかジャムをナイフで掬って乗せる、かぶ
りつく、コーヒーをすするという作業をもくもくと繰り返して、セッ
トに二つ付いてくるスコーンの一つ目を片づけたとき、そういえば、
彼もきているのだろうか、この店に? そのことが不意に気になった。
もちろんこの店のことを話したあの相手だ。
 出入りのない客の顔をもう一度眺め回してみるが、木々に阻まれた
り、遠すぎたりして顔の見えない客もいる。そもそも、私は彼のこと
を男だと思っているが、本当にそうなのだろうか。確かめたことはな
いし、仮に相手がそうだと言っても、それが本当である保証はどこに
もない。また彼も私と同じ一人で来るものだと思いこんでいるが、誰
かと連れだって来ていたって不思議はない、むしろ世間では、どうや
らその方が自然だ。そう思うと、今この場にいる誰もが、彼女かも知
れない彼であっても不思議はないように思えた。来ていなくてもなん
の不思議もない。
 携帯電話を手に取って、Twitterで彼の発言を探してみるが、
朝私と交わした言葉のあとにそれらしいものは見あたらなかった。も
う一度顔を上げて見回すと、私が下を向いていたすきにテーブルが一
つ空いていた。そこに座っていたのは確か二人連れの女性客、いや、
片方は男だったかも知れない。いやいや、老夫婦だったのではなかっ
たか。ボーイのかいがいしい働きで空いた食器はすばやく片づけられ、
その痕跡ももはや伺えない。そして、今し方駐車場に入ってきた車か
ら子供を抱いた若い女が降りてきて、その席に収まる。不意に、目の
前でさっきまでチョコケーキを食べて放心していた女が立ち上がり、
また勘定を済ませて出て行った。時計を見ると時間は十五時を回って
いて、木立から降ってくる光が、注意深く見ていないと気付かない程
度に色と形を変えた。それにつられて影も変わる。私は諦めて、もう
二つ目のスコーンを割った。

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■四. 和田塚~鎌倉



 長谷から鎌倉まではお決まりのコースがあって、もう何度も徒歩で
行き来をしたことがあったが、由比ヶ浜から鎌倉へは徒にて抜けたこ
とがない。あらまほしき先達もないけれども、携帯電話に地図を出し
て、二、三度拡大と縮小を繰り返せば、大体の道すじは知ることが出
来た。

 鎌倉の道は広くもなければ整ってもいない。雑然と、小ぎれいでは
あるがいなか道まる出しで、幼い頃父に連れられ帰省した山陰のいな
か町を思い起こさせる。すこし歩くと山が見え、すこし歩くと海が見
え、社がのぞき、路地が現れ、そこに猫が座ってこちらをじっと観察
していたりして、それが誰からの使いなのかわからないから油断がな
らない。人間は、クルマ二台がどうにかすれ違えるような幅の道のそ
のまた端っこに引かれた路肩の白い線を守りつつゆらゆらと歩くこと
になる。自転車と、老人と、サーフボードが、それでも喧嘩をしない
のは、多分ここに住まう人々が、いくらかのゆとりを持つ人たちだか
らなのだろう。銀色の輪を三つに区切ったり四つに区切ったり、ある
いは四つ横に繋げてたりするエンブレムのクルマが頻繁に通り過ぎて
いくのを横目で見送り、そんな風に考えた。余剰から生まれた美徳だ
からといって、その価値が損なわれることなどない。ないのだが、い
ざそれが底をついたときにこの狭い道幅で丸いエンブレム同士が正面
衝突を起こさないように、社に手を合わせることは忘れないでいた方
が良い。などと考えながら歩いていると、目の前に現れた公立の小学
校のものとは思えない巨大な門に圧倒され、私は抵抗するようにカメ
ラを向けた。

 ──カシリ。


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 ファインダーを覗く時間は心が落ち着く。レンズを通して、自分が
ものをどう見ているのか、どう写し撮りたいのか、目の前にあるもの
がどう美しいのか──を考えることに、不思議と、自然と集中出来た。
 私のカメラは小さなデジタルカメラに過ぎないのだが、曲がりなり
にもそれを持つようになったのは北海道での旅の記録を残したいと思
ったからで、つまりはたかだか十年にも満たない写真歴しかない。そ
れでも、カメラを構えるゆとりがあるかどうかというのは、自分の心
の状態を示す、一つのバロメータになっていた。これもまた『北へ。』
との出会いがもたらした熱の産物といえなくもない。
 実は、この日までの数ヶ月、私は眠る時間もまともにとれないほど
に忙殺される日が続いていて、それはまさに自分の心が自分の中にな
い状態だった。十年のうちにぽっかり空いた、その日の日付の写真が
存在しない期間。そのとき自分の身に何が起こっていたのか、将来の
私は写真に頼らずとも、その空白にこそ思い出すのだろうと思う。

 そんな押しつぶされそうな日々に起こった『彼女とカメラと彼女の
季節』との出会いは、一つの実りだったと思う。

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 『彼女とカメラと彼女の季節』──『KANO-CAME』と略されたそのま
んがは、カメラ好きの女子高校生ユキに、家が貧しいことを除けば平
凡な少女あかりが惹かれていく女子高生同士のいわゆる百合モノで、
家に帰ることもままならない仕事漬けの日々の中でどうにか一人の時
間を作りたくて通っていた、職場の人間のあまり寄りつかない定食屋
に普段自分ではあまり読まないタイプの青年まんが誌が毎号積まれて
いたのだが、あるとき、間違って買われてきたのだろう、一号だけ飛
んで名前のよく似た兄弟誌が混じっており、その一冊にたまたま載っ
ていた作品だった。
 連載途中の一話を拾い読んだだけのそのときには、話の筋こそわか
らなかったが、絵柄、あやうく途切れそうになりながら繋がっていく、
瑞々しさのある細い線の絵柄に引き込まれた。この前日の金曜にめで
たく単行本の第一巻が刊行されていて、私は帰りの電車でスーツ姿を
憚ることもなく読みふけり、改めて物語全体をも満たしていた瑞々し
さの虜になったのだった。
 タイトルにある通り、ストーリーの中で写真が大きな媒介になって
いることも、もちろん私を惹きつけた要因のひとつだ。
 また、「月子」という潔い筆名も私の興味を強く引いた。これはあ
とから分かったことだが、Twitter上の知遇がかつて身を寄せ
ていた職場の上役がこの作者の近い血縁だという。この作品との出会
いといい、するりするりと繋がっていく様々な脈の端緒はどこにはじ
まりどこに終わるか分からない。しまいには、くるりと一つ、大きな
輪を描くような気がする。

 鎌倉の駅までそう遠くはなかった。雰囲気の良さそうないくつかの
路地とコーヒーショップを見つけるうち、初めての道は見慣れた交差
点へとこともなげに合流した。なるほどここへ繋がるのかと、違った
角度から眺める町の面差しは、席替えをして、親しかったはずの友人
の顎の形を初めて左側から見たときのようなさわやかな驚きに息をも
らす私を見て、にやりと笑っているようだった。



■五. 鶴岡八幡宮



 親しみをもって裏口と呼ばれる鎌倉駅西口の、見慣れた旧駅舎の時
計塔の辺りには、これから食事にでも繰り出そうという待ち合わせの
人でごった返していた。
 駅まで来てしまえばあとはJRで引き上げるだけと考えていたのだ
が、暮れなずむ駅舎の空を見上げていると、今朝まぼろしの中で見た
打球がまたも頭の中の空をスコーンとよぎっていった。そういえば確
か、数ヶ月前にここを訪れたときも八幡宮には参りそびれていたはず
だ。そのことに思い至ると途端に落ち着かない気分になり、ここは挨
拶だけでもしていこうと地下道をくぐると、小町通りの流れに乗った。

 時間は五時を回ろうとしていた。神様もぼちぼち店じまい、という
時間帯にも関わらず、小町の人出は相変わらずだった。観光客向けの
古い店と新しい店、さらに普段使いの薬局やおもちゃ屋がごっちゃに
並ぶこの通りは雑然を越えて混沌としている。地元の人間、観光客、
日本人外国人、ずりずりと人の流れにすりつぶされるようにして進ん
でいくのに堪え切れず、考えなしにわき道へ逃げるとここでは結局ど
こにも繋がっていなくてまた元の流れに戻ってくる羽目になったりす
る。それでも一軒だけ、初めて見る面白そうなティーハウスを見つけ
て看板を写真に収めたりして、三の鳥居の前に吐き出される頃には、
空はもう一段黄昏の度を深めていた。

 鳥居をくぐって太鼓橋を背にして立つと、ずどんと深い奥行きをも
った風景が、瞳の奥を突き抜けて後頭部まで届いて抜けた。
 その眺めは横にも広く、右目と左目のちょうど両はしから始まる参
道の両脇には、既に店じまいをあらかた終えた屋台がぽつぽつとだけ
並び、遠く風景の奥底、消失点に向けてぎゅっと加速した視線の先に
は品の良い小物入れのような舞殿が、ことりと小さく置かれている。
そしていよいよ、舞殿に隠れてここからでは見えない大石段を上った
視界の最奥部に、鶴岡八幡宮の本宮が鎮座在しているのだった。

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 十年あまり前、『NOeL~la neige』に惹かれ初めて鎌倉を訪れて以
来、私はこの風景の虜なのだった。
 それらすべてを抱き込むように、後ろと横から生い茂る鎌倉の山森
は、日が傾いて濃くなっていく夕闇よりもさらに濃い葉陰を、こんも
りとした輪郭のところどころに蓄えて、じっとこちらを伺っている。
その様子は、神々しくも禍々しくも見ることが出来て、一体その中に
どんなルールを隠し持っているのか……およそ人の理屈では量ること
の出来ない深遠さを感じさせるのだった。瞳の端から端まで過不足な
く埋める横長の、人の目にぴたりと収まる妙なるバランスのこの風景
はまさに鎮守と呼ぶにふさわしく、雑念を追い出し、心を埋め尽くし
てしまう。もう一つ、これと同じ気持ちにさせる景色を私は知ってい
た。北海道の摩周湖だ。人の目にあつらえたみたいに、ぴたりと視界
に収まる天空の湖は、あらゆることを忘れさせ、青と白の色合いで、
鏡の湖面の如く心を鎮めてしまう。
 何がそう感じさせるのかわからないし、同じ気持ちを共有しようと
気心の知れた友人を連れて来ても理解してもらえなかったのだが、こ
の参道の入り口に立ってぐっと本宮を見つめていると黄金色の風が吹
いてきて、心の骨組みにこびりついた憂いや汚れを洗ってくれるよう
な気分になるのだった。それで何が解決するものでもなくて、ただ心
配事の表面を磨いてくれる。それだけで、気分はえらく変わるのだ。

 私は、もうそこより奥へは進もうとはしなかった。景色の奥底から、
細胞のすき間を吹き抜けていく奇跡のようなその風を、心と体に取り
込もうと幾たびか深呼吸を繰り返し、目を閉じ、また景色を眺め、カ
メラを構え、その風景の中に立つ自分を背後から見るような錯覚にと
らわれながらその後頭部を捕らえようとした。奥まで進めば、何か変
わったことはあったかも知れない。これまでとは違うものも見られた
かも知れなかったが、今日はこれで十分だと思ったし、何よりももう
面倒くさかった。

 ひとしきりシャッターを切ると、今度は携帯電話を取り出しておま
けのカメラを起動した。お世辞にも優秀とは言えないカメラだが、手
っ取り早くTwitterにこの景色を届けるにはこれに頼るほかな
い。ああ写したい、こう撮りたいと願ってみても、このカメラに望め
ることはしれている。最低限の設定だけをいじって、フレーミングだ
けは丁寧に決め、あとはいかにもぞんざいにシャッター代わりのボタ
ンを押した。シャキリとわざとらしい音とともに参道の奥行きは押し
込められ、画像がメッセージとともに自分のタイムラインに並んだの
を確認すると、私は参道の奥の奥、お宮の上の山に向かって出来る限
り厳かに一礼を供すると、きびすを返して踏み出した。
 ──そのとき、黄昏に沈み始める鎌倉の、よそよりもだんぜん深い
もののけ色をした薄闇の中に携帯電話の赤いランプ光が揺らめいた。
何事かと灯した画面には、今鎌倉にいるんですかと、先ほどの写真を
めざとく見つけた彼の御仁からののんきな口調のメッセージが届いて
いる。あの店にいたのだろうか? それとも、どこかで入れ違いにな
っていたりしたのだろうか? 私は尋ねなかった。今日はもう無理な
んですけど。彼のメッセージは続いていた。舞殿の周りが、ちょっと
広場みたいになってるでしょう? その脇に、お正月なんかに色んな
所から寄贈されてくる酒樽が積まれる場所があるんですけど──。そ
れは私もよく知っている。唐突なんですが、来週その場所でお会いす
るというのはどうでしょうね?
 スコーン。
 プラスチックの快音が、またも脳裏を横切った。オレンジ色のいび
つなボールのまぼろしは、長い、長い弧を描いて緑と朱の、厳かすぎ
るバックスクリーンを越えていく。液晶画面の文字を彩る声は、細い
細い、厚みを失くした16:9の空を伸びたあのアーチの先に連なっ
て、男か女か分からない。ただそこにあるのは、凛と鳴る、鈴の音の
ようにまろやかな瑞々しさだけだった。
 
                          (お終い)
 
 
 

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2012年6月16日 (土)

■帰って来たひとたち。 -更新第778回-

安らかに眠るときの「すやすや」という擬音、
一体最初に使われたのはいつ頃の何なんだろう。
使い慣れているからそう思うのかも知れないけども秀逸だなあ。

オイサンです。

2週間あまりもほったらかしですみません。
いやー……どうしたんだろう(こっちのセリフやッちゅうねん)。

ほんと、……なんでしょうね。自分でもよくわからないや。
いや、書こうと思って書き溜めたネタや、
書き進めてるネタもあるんですけど……なんというか、アップする機を逸したというか。
世間では色々それなりの事件も起こってますしね。
言おうと思ってることもあったんですけど。

マしみったれた話はいいや。
ちょっと前からの話になりますけど、また宜しくお願いします。
なんかかんか、書いてはいかないと……死んじゃうから。



■食べ物の話



先々週の日曜。
以前住んでいた町の、よく通っていたお店へランチを食べに行こうと思い
意気揚々と出かけたのだが、如何せん、家を出た時間がちょっと遅すぎた。

途中で昼を迎えてしまって、燃料切れになって目が回り(大袈裟ではないのよ)、
そのとき近くにあった、心当たりの店に駆け込んでしまった。
ぐぬぬ。

  しかし、ジョギングとかするようになって、
  本当に「お腹が減って目が回る」ということを体験するようになったんすよ。
  ていうか、血糖値が下がったりなんだりで、
  視野が狭まったり足元がおぼつかなくなったりという現象のことを
  そう呼んでるんだな、と理解した。
  昔の人はうまいこと言う、っていうか、情緒がありますよね。
  「ハラが減って目が回る」
  だなんて、かわいいじゃないですか。愉快じゃないですか。

  「空腹で血中に糖分が不足して脳に十分な栄養が行き渡らなくなり、
   視界の狭窄を起こしてオリマスでフンバルトヴィッヒ」
  とか言っても面白くもなんともないですもんね。
  ……ププ。なんだよフンバルトヴィッヒって。

  オイサンのその状態が、果たして血糖値起因のことなのかどうかは
  ちょっと怪しいんだけども。
  だってちゃんと食べててもなるんだもの。
  アレなんなんだろうなあ。

マ緊急回避とはいえ、今回のお店も過去に数回来たことがあって、
お値段のワリに豪華でボリュームもあるといういいお店なのです。
ちょっと遠いのと、
開店前からちょっとだけ並ぶ程度に混むので、
あんまりゆっくり出来ないんで敬遠してたりしますが。
お店の側も、お客さん詰め込んで捌きたい・回転早めたいオーラ全開なので。
一人の客は、広い席が空いてても必ずカウンターに詰めて座らされる、みたいな。
そこがちょっと残念。
でも美味しい。

鯵のプロヴァンサル、というお料理でした。
一番下の土台に輪切りの蕪、その上にソテーした鯵が乗っていて、
さらにその上にたまねぎやら香草やらが乗っている。

R0048538

上に乗っかっているモノの味の濃いいところを、
下の方のものの淡白さ・仄かさでちょっと抑えて、
全体としては蕪の水分で若干淡白よりになりながらも
舌のところどころに酸味や脂の甘みがのしかかってきて、
なんというか、食べていてタイクツしないお味でした。
舌のあっちコッチで色んな味がして、とても楽しい。

「あー、味のハーモニーってなこういうことか」
と実感。
料理をオーケストラの演奏になぞらえる方がおられますけれどもその気持ちがちょっと分かった。
あっちこっちで違う楽器が鳴ってるのが分かるわけです。
その上で全体が美しく、リアルタイムにカタチを変えておる。

デ、こういうお料理を見て怯んでしまうのが、
「……どういうカタマリで口に運べばいいのだろう? 崩しちゃまずいの?」
ということですやね。
普通に考えれば、上から下まで乗っかっているものをいっぺんに口に入れるのは、
多分ムリ。

フォークで押さえてナイフを入れるだけでもどこかしらがグズッと乱れ、
そこから決壊して結局はお皿の上でずぶずぶに混ざってしまいます。
見てくれがキレイなものだから崩すのがマズイ様な気になるのですけども、
結局ごっちゃになってしまったのを食べてみて分かったのは
「あ、コレごっちゃに混ぜて食べていいんじゃないの?」
ということでした。
ごっちゃでも美味しかったし、
というか、ごっちゃになったのが美味しかった。

口に運ぶ度に、乗っかっている材料が違う組み合わせで味をつくるので、
毎回味がちょっとずつ違ってきて、そしておいしい。

日本にも、出てきたときは整って見た目きれいなものを、
ごちゃっと混ぜて食べた方がおいしいという様な料理がありますが、
多分このテの料理はそれと同じなんじゃないかと
そんな風に感じたのでした。
大変美味しゅうございました。

本当の正解……というか、お作法であるとか、作り手の意図としてはどうなんだろう?
こうやって口に入れると一番美味しいように作ってるんですよ、っていう、
味の設計意図みたいなものは。

「自分が美味しい食べ方が正解」
っていうもっともらしい言い方は出来ると思いますけど、そうではなくて。
やっぱりなんかしらあると思うので、そこは知りたいと思うオイサンです。
なんかその。

「美味しけりゃいい」
「面白けりゃいい」
「楽しけりゃいい」

ってのは、よく言われるんだけども、それもそうだし、分かるんだけども、
そればっかりってのはちょっと乱暴だと思うんですよね。
そーじゃないだろうと。



■謎のカレー屋



食べ物屋話の二発目。
お仕事の帰りに、入ったことのないカレー屋で夕飯を戴いた。
こちらもホスピタリティという面では今ヒトツだったが肝心のカレーは美味しかった。

今や、カレーの本場がインドなのかどうかは分からないけれども
どうもインドでカレーの勉強をしてきたマスターらしく、
ていうかただインドにかぶれてしまった人っぽい気もするけど、
まあインドが発祥の地では恐らくあろうのでその方向性は間違ってないと思うけど、
よーするに発祥のインドカレーを日本風にアレンジしたカレー、
ということを売りにしている様でした。
美味しかったですよ。

Img00912201206151923

二種類のカレーを半分ずつ選べるダブルカレーセットを頼みました。
チキンカレーと野菜カレー。
マイルドさの中に、ピリリ、というよりも舌全体を刺激するような、
どちらかと言えば平面的な刺激の辛さのカレーでしたね。
平面的というと語弊があるな、広がりがある、というのか。
刺すようなではない、包み込むような辛さ。

ゴハンの硬さも丁度良い。

ただ如何せん、店全体が薄暗くて……
カレーが撥ねたのに気付けず、お店から出たら
Yシャツにカレー染みが三つ出来ててびっくりした。
ていうか恥ずかしかった///

  胸につけてるマークはカレー染み。
  帰マンもびっくりだわ。

▼帰って来たウルトラマン


こちらも、もうチョイくつろげたらよかったなーとは思いました。
四人がけのテーブル席が3つあって、
お一人様向けにはカウンターが4席あるが、ちょと狭い。
テーブルは空いてたんだけどカウンターに座ってくれと言われた。
マいいんですけどね。
一人で四人がけは、それはそれで居心地悪いですからね。

個人でやってるお店らしく、そんなに広くはないので、
グループのお客が来たら逃したくないんでしょう。
こういうお店はアレですね、
全部二人がけのテーブルにしておいて、くっつけたり離したり、
すぐに出来る様なテーブル構成にしておくのが良いかもですな。

他にも、
「追加オーダーは出来ません」とか
「大盛は残さない人だけ」とか、
「一人でやっていて、注文を受けてから何やかややるので
 集中すると待たせるかもしれません」
とか、色々と注意書きがあって、
色々神経質な感じがちょっと怯んでしまう。

……過去になんかあったんですかね。

マ今のご時勢、自分の思い通りにならないとナンクセつける人には
不自由しないでしょうけど。
ホント、なんだかんだうるさい人多いもんなあ。
オイサンも人のこと言えないのかも知れんけど。

あと、オイサンとほぼ同タイミングで入ってきたアラレちゃんルック
(眼鏡・帽子・オーバーオールっぽい服)のおねーさんが、
カレー褒めずにデザートのプリンを

 「ここのプリンは日本一だと思う!」

とベタ褒めして帰って行った。
ワロタ。カレー褒めたれよw まあ常連さんみたいでしたけど。

その人の食べてたドライカレーが、なんかシソの香りがすごくしてですね。
美味しそうで。
しそのスパゲティが大好きなオイサンは食欲そそられたので、
次回はアレを注文したいと思います。
また行く気ですよ。
エエもちろん。



■MK-Connection



土曜日……筋トレのお供に、音泉からちょこちょこWebラジオを流していると。

……ム?
目の錯覚か? 
金月真美と國府田マリ子のユニットWebラジオ番組がなんとか……
(つд⊂)ゴシゴシ



( ゚д゚)



( ;゚д゚)



(;;゚д゚)



(  д )  ゚ ゚





現実だーーー!!




……いや、情報遅くてすみません。
なんか5/23頃には発表されてたみたいなんですけど。
オッサンだもんで。
なんでも、お二人のユニットでアニソンカバーアルバムを出すとかで、
その特番Webラジオみたいです。
びっくりした。


 ▼金月真美 & 国府田マリ子 RADIO CONNECTION
 http://www.onsen.ag/mk/


しっかしまあ、なんつうか……
オバサン二人でラジオやらすと……強いね!
開き直りというか、心地良い諦めというか。無理をしない強さで溢れかえっています。
不惑とはこのことか!!

なんていうか……「諦めるってカッコイイなあ」と、聞いてて思ってしまいました。
無論、ただ諦めているだけじゃなくて、
色々やり切り量り終えてのことだから、スッパリいけもするのだろうなあ、という感もあるのですが。

どっちかのお名前が響く人は、とりあえず聴いてみて欲しい。
楽しいわ。

歌は……やっぱり、ちょっと衰えてるね。
技術的なことというよりも、筋力的な問題だと思うけども。
真美姐自ら、

 「自分が曲を選んだら、『only my railgun』は選ばない」

と、それは好き嫌いじゃなくて、むしろ『only my railgun』は好きだけど
自分じゃ安全に歌えそうにないから選べないと、
そんな風にいってましたけど、まあ、それは確かにその通りだなあとw、
試聴版を聴いて思ってしまいました。
やっぱり専門に勉強して鍛えて続けてないと難しいんだろうなー。
CDは一応ぽちっておきましたけども。

ホントもう、大人の色気とか全然なくて、
ひたすら色々あきらめのついちゃったオバサン二人、
しかしただのおばさんではなくて、一度はある意味天下をとったおばさん二人が
楽しそうにしゃべってますんで、ワカル人は是非一度聴いてみて下さい。
デ気が向いたらCDも買うと。



■ムカエレコード地下スタ通信



ちなみに、この日そもそも聴こうとしてたのは、
『坂道のアポロン』のwebラジオでした。

  ▼ムカエレコード地下スタ通信
  http://hibiki-radio.jp/description/aporon


男性声優二人のかけあい、なんていうか、
設けられてるコーナーのありきたりさとか
やってるご本人たちが明らかに
「……こんなの面白いの? めんどくさいな」
と、分かってやってる、思いながらやってる感がヒシヒシと伝わってきて、
その成分が微妙に面白いです。

気の合う声優さん同士でフツーにトークしてる時間が、
やたらイキイキしてるのが伝わってきますからね。
「もうずっとこれでしゃべって終わりにしたいなあ」
って感がw
絶対、影でディレクターに
「ねえ、今回もうコーナーやらないでこのままいこうよ。
 ……だめ? えーw」
って言ってると思います。



■坂道のオロゴン



せっかくなのでアポロン話。
そう、アポロンと言えばアポロン音楽産業。
当初、『ドラゴンクエスト』の音源をリリースしてましたね。
お世話になりました。



ではなく。



『坂道のアポロン』はねえ。
面白いです。
文句なく面白いんです。



が。



つまるところ、これまでの原作ありノイタミナ作品と同じで、
こぢんまりですねえ……。
「一映像作品として完結してますよ」っていうスケール感と説得力に乏しくて。
やっぱりちょっと食い足りず、残念な感が……あるねえ。
カタルシスがない。
すごく。
原作のいいところ、面白いところを切って貼ってまとめました、
っていうつまみ食い感が否めない。

どっかでこのカンジ味わったなー、と思ったら、
そう、『うさぎドロップ』と同じ。
同じ面白さで、同じ食い足りなさ。
『うさぎ』に比べると随分良くなったとは思うんですが、
それでもまだ、端っこの方から吹いてくるすきま風みたいなものを感じたときに
ふっと我に返ってしまいます。

原作を読んだわけじゃないんですよ。
けど、なんかそういう……借り物感といいますかね。

詰め込みすぎているわけでもないのに、駆け足に、焦りを感じます。
これはこれとして完成度は高いと思います、それは間違いないんですけども、
その背後に、もっと(制作にではなく物語の世界に)時間を与えられ、
広く深く表現された完成形の影を感じてしまう。
その上澄み(にしてもえらく上等な上澄みですが)だけを見ている気分に、
やっぱりなってしまいますね。
何がそうさせるのか分からないんですけど。
贅沢だとは思いますが。

でもそれを解消するために、映像版に映像版として、
ちがうエピソードや結末を与えてしまうと、
よっぽど上手く、新しくやらないと、それはそれで原作レイプだとか、
別もんだっていう話にしかなりませんからね。

同じところから始まって、
同じ道を歩き、
道半ばではなく一つけじめのつく、本来と違う目的地まで歩き切らせるっていう……
すごい難しいことですからね。

うーん。
どうすればいいんだろう。
この物足らなさでもって原作に寄与することが目的なら立派だと思うんだけど、
一作品としてはすごくもったいないなー。
アニメ版しか見てない側の人間としては。



えーとー……ひとまずこんな感じで。
先週、また岩男さんのライブに行って来たんでその話もあるんですけど、
それはまた次の機会で。

今日はこんな感じー。



 

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2012年6月 2日 (土)

■「ヤバイ。アイツえろい。チョー可愛い」「お前なに言ってんの?」 -更新第777回-

朝のシゴトバで、珍しくオモロイ会話があったんで書いとこ。
そのとき、フロアにいたのはオイサン含めて四人。

 ・ヒロシさん 最年長。落ち着いたメガネのさわやかクールガイ。
 ・トラさん  アラフォー。お酒と女の子が大好きな、ジャパニーズビジネスマン。
 ・ムトウくん 若手。鳥類系のビックリ顔がキュートなおすもうさん。
 ・オイサン  弊社。 
 
 

▼序・トラさん
 ト ラ「今朝すごいもん見ちゃったよ」
 オ イ「ほう。またかね」
 ト ラ「若いオネーチャンがさあ。
     スカート短すぎて、ほぼ半ケツ。
     かがんだらカンペキケツ見えるくらいでさあ、
     俺もうそれで嬉しくなっちゃって! 今日は一仕事終えた気分!」
 ムトウ「トラさん」
 ト ラ「ん?」
 ムトウ「お疲れさんっした!」
 一 同「おつかれー!」
 ト ラ「アリガトウッ」


▼破・オイサン
 オ イ「俺もこないだ面白いの見たわ」
 ト ラ「何なにナニ」
 オ イ「電車でこう……座ってたらさ。
     前に、ちょっとスマート目のおっちゃんが立ったんだけど、
     その人のベルトのバックル、
     長方形のプレートを、英字を残して彫りぬいたみたいになってたのよ」
 一 同「うん」
 オ イ「その書いてあった字が……『STAR』
 一 同「ぶっw」
 オ イ「『コイツ相当自分に自信あんなー!』と思ったら、おかしくて」
 ト ラ「それは見たら笑うわw」
 ムトウ「フツウに考えたらちょっとした罰ゲームですもんねww」
 オ イ「にしきのあきらかと思って顔見てみたけど違った」
 一 同「ぶっww」


▼急 ヒロシさん
 ヒロシ「みんな楽しそうでいいなあ」
 ト ラ「ヒロシさんも何かないスかw」
 ヒロシ「そんな面白いこと……アでもこないだ、」
 一 同「おっ」
 ヒロシ「こないだ電車の中で若い女の子が」
 一 同「うんうん」
 ヒロシ「美容室の……予約かなんかの電話してたんですね。
     それで美容師さんの指名かなんか……」
 ムトウ「ああ、ありますね」
 ヒロシ「ええ、訊かれたんでしょうね。誰かご希望ありますかって。
     それでその女の子が、
     『温水さんでお願いします』
 一 同「ぶはっwwwww!!」
 ヒロシ「私もうおかしくてww」
 ト ラ「温水はねえわw!」
 オ イ「よりによってwww」
 ムトウ「温水に髪切られたくないですねwww」


▼エピローグ ムトウくん
 オ イ「ヒロシさんもすごいネタ持ってるじゃないですかw」
 ヒロシ「いやあwははははw」
 ト ラ「さ! じゃあ次は……」
 一 同「……」
 ムトウ「僕っすか!?」
 オ イ「ハードルは上がったけど!」
 ムトウ「いや無理ですw! 温水には勝てないっすw!」
 

 
ムトウ君、お若いのに賢明である。
危きに近寄らぬ、これぞ「武」。渋川先生もびっくりだ。お見事。
しかし、いやあ。久しぶりにシゴトバで笑った気がする。

どうも、オイサンです。



■「ヤバイ。アイツえろい。チョー可愛い」「お前なに言ってんの?」



先週の、日曜日の夜。
オイサンがいつもの割烹でゴハンを戴いておりましたところ、
オイサン含めたカウンター席五人の話題がケータイ電話の話になり、
二つ隣で飲んでいたオネーサン(つっても多分向うが年下)が
オイサンのBlackBerryさんを見て

「えろい」

と、おっしゃった。
……ほほう。
「えろい」?

曰く、

「最近もう皆スマホじゃないですかー。
 あたしまだフツーのケータイなんだけど。
 デ……何気にねー。あそこ(と言いつつオイサンの方見て)、
 あーBlackBerry持ってんなー、と思っててー。
 えろい。
 あれですよねー、証券会社系の人とかが持ってそうですよねー。
 ニューヨークとか行った時でも回りみんなもってて、おおおおおおお、みたいな」

……おお。
なんかすげえな。
「えろい」。
そうか、えろいのか。
ああ、うん。
ワカル。
なんか分かる気がするぞ、その「えろい」は。


 ▼BlackBerry えろさの正体

彼女の認識ではBlackBerryは、
スマートフォンがまだ世界的にも一般的ではなかった頃からあるスマホの老舗・ハシリであって、
その頃から必要に追われて持たざるを得なかった人々……
スピードを要求される人々が使うツールであるらしい。
デその人々ってのは証券・金融系の、いわゆる世界を股にかける系ビジネスマン。
ただのサラリーマンではなく、ビジネスマン然としたビジネスマン。
……らしい。

  アレっすよアレ。
  アオキとかコナカのCMでスーツ着てるようなカオしてる人たち。
  ちょっと違うw?

多分、アメリカのウォール街とかで働いてるような人たちですよ。
きっとね。
ともあれ、そういう「ムダにデキル系」の方々が持っているもの、らしいです。

えーとね、大体合ってると思います。
BlackBerryさんを取り巻く状況の認識とそれに伴うイメージとしては、
オイサンも大体同じ。
あ、オイサンはムダに出来ない系ですけども。

デ、その「えろい」。
何がえろいのかって、彼女の口ぶりから察するに、
別段BlackBerryさんの色合いやフォルムなんかの装丁が、
肉感的・官能的・いやらしい……そう言っているわけではなく、
また、かつて出会った所有者たちの持つイメージが共通してエロかった、
と、そういうわけでもなく。

恐らくですが、
BlackBerryにまつわる証券・金融系ビジネスマンのもつ
妖しさや怪しさ、胡散臭さ、あまり良くない意味でのオトナっぽさ、
そういうものを総合した「えろい」だったんではないかなあと思いました。

シャキッと小奇麗、こざっぱりしていて、
彼らはオカネをもっててゆとりがある、
けれどもその魚も住めないような清潔感には生活感がなくてどこか胡散臭く、
叩いて舞い上がるホコリまでキラキラしているのは何故なんだい、
持ってるのは結構だけど、お前らその分厚い財布は何によって支えられているんだい、
と言いたくなる、ぬめぬめした「得体の知れなさ」。

いや、彼らが悪いコトをしてるってんじゃないんですよ?
そりゃあ彼らのお仕事は彼らのお仕事で真っ当なものです。
ただ「ヨーワカラン」というだけで。
そういうヨーワカラン人たちが挙って使っている、
得体の知れないヨーワカラン情報が詰まっているものを指して
「えろい」と、こう評したのではないかと思うのでした。

  「危険な香りがする」と言い換えても良いのかもしれない。
  大の大人が、一体その中になにを隠しているのだい? という感覚。

そもそもの意味の「エロい」にしても、ただ「エロのためにエロい」ということは、
エロの専門家以外ではなかなかないと思うのです。
エロの専門家ってなんじゃい。
エロいこと自体が目的の人のことです。
エロをメインにした俳優さん女優さんですとか、エロまんが・エロゲー作りの人とか。
或いは、エロに潜む美しさや醜さを探求する人。

デそうでない我々が常日頃に挿し挟むエロさには、
そのエロを媒介として何か別の目的を達成するための手段として存在してるように思います。
その最たるものが繁殖ですけども。
ええ。
分かりやすいですね。
異性を誘引するための手段ですね。
何かしらの「たくらみ」があって、我々はエロを発揮する。
いわば、何らかの目論見が、絶妙に、意図的に、
隠しきれずに隠されているのがえろさであって、
BlackBerryさんにはそれを感じるってことなんでしょう。

  殊更にオサレであるとか、ファッション性が高いとか、
  そういうものでもないってのは明白ですしね。

「皆が持ってて、皆が使ってる」iPhoneなんかには、
当然それぞれ使い方があってナカミだって全然違って当たり前なんですが、
謎っぽさがない。

そうなあ、そのえろさは「謎めいてる」っていうのも近いのかもしれない。
ちょっと危険なにおいがして胡散臭い、なんかそんな感じだと思う。
だから多分、まだiPhoneが普及してない頃のiPhoneには、
同じようなえろさが備わっていたのだと思います。

その場にいればその「えろい」が指すところというのは
言語化出来ないまでも直観的に受容出来ると思うんですけど。
言語化するのは大変。


 ▼カワイさの上を目指して

デ彼女の使った「えろい」、
もう少しお若い女性群が極めて多様に多用なさる
「カワイイ」
の一段上の表現なのかもしれんなあと、オイサン的には思ったのですが。

「『カワイイ』の上は『ヤバイ』が近い気がする」

というご意見というか、感覚の方もおられまして、
オイサンの感覚は、そこからはちょっとズレがありました。

あくまでキラキラ・サラサラ・フワフワしたもの、
邪気のないもの(あるいは邪気そのものを透明にして光を当て清廉にしたもの)に対して
評価を与えるのが「カワイイ」なのだとすれば、
ぬめりや湿り、汚れのようなものまでをプラス評価側の天秤に載せられるよう
強化拡大した言葉が「えろい」なのではないか、と感じた次第。

  評価の視野を広げたというか、一歩踏み込んだというか。
  ワルいことでも「面白い」としてプラス方向にカウント出来る様にした言葉。
  そんな感じ。

で「ヤバイ」がどうかというと、
オイサンには、肯定的に用いられるときの「ヤバイ」には
裏返った悪、プラスに数えられる悪を評価する要素が感じられない。
「ヤバイ」はもっと、直線的な言葉であるように見えます。

たとえば「チョイ悪」には、その価値観自体に若干の負のエッセンスが含まれます
(アウトロー、インモラルという意味で)が、
チョイ悪のレベルの高低を評するときに「ヤバイ」は用いられるだろうか?
と考えると……オイサンの感覚では、それはあまり聞く機会がないものです。
「良い」チョイ悪(ナンスカソレ)、価値の高いチョイ悪を評するときには、
「えろい」を適用した方がしっくりくる。

  チョイ悪オヤジを指して「ヤバイ」と言った日には、
  「ただの暴力的なアブなそうな人」と取られかねない。
  「ヤバイ」には、本当の負の状態を評価する使い方があるので、
  ヘタに二義的なものに適用すると混乱しかねないからじゃないかなあ?
  と思うのです。

  キモカワイイはあるけど、キモヤバイはない。
  キモカッコイイはある。
  それはやはり「キモイ」が否定的なニュアンスを含むからじゃないかしら。
  キモイ人を指して「あいつヤバイ」と言ったら、
  100%「ものすごく気持ち悪い」の意味でしょう。
  元の言葉にブーストをかけるのが「ヤバイ」の仕事に思えます。

マそもそも、肯定的「ヤバイ」の適用範囲が広すぎるというのもありましょう。
かっこいい、オイシイ、すごい。
全部「ヤバイ」であって、それは「最高のさらにその上の評価」のようなものだと
オイサン理解してます。

  ……マその評価点が、高低どのあたりに位置するのかは、
  固定的なのかどうか、甚だ怪しいですが。

「ヤバイ」そのものは(多分)形容詞なのでしょうけど、
色んな形容詞に「最高に」とか「狂おしいほどに」という副詞(?)まで取り込んで
評価の程度を強化したものが、肯定的「ヤバイ」の、ナカミの姿なんじゃないかしら。

  マ「最高にヤバイ」もあるんでしょうけど。
  そうなるともうワカランわw

だからもしかすると「カワイイ」も、
ものすごくかわいいものは「ヤバイ」に取り込まれて「アイツヤバイ」
で表現されてしまうとやなかとでしょうか(九州弁)。

ただし。
負の軸を持ちがたい「ヤバイ」では「えろ」さには踏み込めないので、
「狂おしいほどえろい」ものは「ヤバイ」では評価できない。
……なんかそんな気がします。
まあ、あまり多様な意味での「カワイイ」、
それこそオイサンの想像を絶するような適用の仕方をされているところに
さほど出くわしたわけではないので、
もしかすると「カワイイ → ヤバイ」のパスも存在するのかもしれません。


……。



えーと?



ああそうそう、BlackBerry。



だもんでつまり、アレだ。

謎めきが魅力のBlackBerryさんとしては、だ。

ギャルゲーのヒロインのストラップを提げてたり。
壁紙が、ギャルゲ絵『ひだまりスケッチ』ドラクエのマップ
かわるがわるなったり!
あまつさえギャルゲ絵の画像フォルダがちょっとあったりする!!

……そんなオイサンのBlackBerryなんぞは彼女にとっては、
BlackBerryではないんでしょう。
決して「えろく」ないのでしょう。
ある意味では本当にえろいのですが。
つかフツウですよねえ?ねえ?

それは異次元のBlackBerry……あるいはBlackBerryの暗黒面、DarkBerry!!

「貴様……DarkBerryの使い手か!!」
「いーかーにーも!
 Black? クックック……ぬるい! ぬるいぬるい!!
 私から見れば貴様のBlackBerryなぞ白も同然!
 ホワイト……WhiteBerry!」

とか言ってみたいけど、それはそれでぜってえ通じねえな。



■おまけ



割烹での、その後の会話。



「『フューチャーフォン』って何なんですか?」



……ああ。
フ「ィ」ーチャーフォンね。よくあるよくある。
その場にはオイサンの他に四人のモサがいたんですけども、
誰も『フューチャーフォン(=フィーチャーフォン)』が何なのか分からない。

黙って話を聞いてると、スマートフォンの他に三種類あって、
いわゆる普通のケータイ電話と、ガラケーと、フューチャーフォンらしい。
あー。よくあるよくある。

そんな話になってきたので、一応オイサン分かる限りでご説明したんですけど。
……あのさあ。
なんでそういうことを説明していると、
皆さん若干引き気味になってこられるのでしょう?

「(うわ、オタクっぽい)」

みたいな眉の顰め方になってくるんでしょう? 気のせい?
不思議だなあ。
オイサンの説明の仕方がキモイだけなのかなあ。

 「フィーチャーフォンもガラケーも、
  フツーのケータイと同じもののことをいうんですよー
  別名なんですよー」


というお話をしただけなのに。
別に、

 「オゥフwwww
  フューチャーフォンでござるかwwww
  拙者未来の電話には一家言持ち合わせてござるよwwwフヒヒwww
  なわけあるかいッツwww
  フューチャーではなくフィーチャーww
  フューチャーではなくフィーチャーww
  二回言ったwwww
  フツーの携帯電話のことを申すので申すwwwwコポォwwwwww
  おおおっとwww
  これはITメイディアやWikiペイディアにも書いてあるごく一般的なインテリジェンヌであってwww
  別に小生、決してデズィタルガジュエットのオタクというわけではwww
  コポポォゥwwwww
  ござらんヌwwww
  フォッカヌポォゥィッヒwwwwwwww」


とか言ったワケではござらんヌゆえwwww
コポォw

ちなみにそこにおられた面々は、
40代後半と思しき男性が2名、
40代前半と思しき男性が1名、
30代後半と思しき女性が1名。
いずれも、あまりデジタル的なものにはさほど詳しくはなさそうで、
家でコソコソゲームしてるくらいなら外出て酔っ払って
オネーチャンオニーチャンナンパして遊んだ方が楽しいやいィヤホォー!
……って感じの方々。
お一方は若干普通に知りたそうだったかなあ。

  ちなみに40代後半男性の一人は、
  2ちゃんをガチで「ツーチャンネル」と呼んでいたので
  ガチ勢キタコレでござるwwwwオウフ

彼らのような人種にとっては、
デジタルの「こまごましたこと」というのは分からないのが当然であって、
あんまり分かり過ぎると
「カッコワルイ・キモチワルイ・オタクッポイ」
という評価をするシステムが出来上がっている。
……ような気がするんですけどいかがでしょう
(オイサンだってそんなに詳しいわけじゃねえぞよ)。

彼ら彼女らが、なんかそういうものに対して
「分からないんですよねー」と言うときは、
ヨッポド(今使えなくて困ってるとか)でない限り
「あー俺もわからないー」
「デスヨネー」
という同意を得たくて言ってる場合がかなりある、そんな気がします。

  ……ンなことない?
  オイサンの被害妄想?
  困ったときには飛んできてくれて、余計なこと・難しいことを言わず尋ねず、
  「……直った?」
  「……直りました」
  とだけ、直してくれるのが、いいオタクなのでしょう。
  そこにある機能だけが大事なのであって、
  余計なことは知りたかないんでしょう。

訊かれたような気になってウッカリ説明でもしようもんなら、
つまらなさそうに流されてオシマイだからお前ら気をつけろ!
マいい加減、どっかで自分がオタクだってことを
明かす方向に持っていかないとなー。

でもなー。
オタクdisるのも、ああいう飲み屋の場じゃあ大事な解消材料みたいだし、
オイサンがいることでそういう話題を使えなくなっちゃうってのも申し訳ねえよなー。
どーすっかなー。

どうでもいいけどあのコピペのオタク口調、超楽しそうでいいなあ。

▼戦えオタキング

オタクの心象風景って大体こんな感じだったような気がするけど、
これももう時代がかった風景になっちゃったなあ。もはや「道」じゃないもんなあ。
イヤ、それはオイサンもだけどさ。



オイサンでした。



 

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