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2012年1月 7日 (土)

■a white day~ミューズの座布団・その六 SS『ひだまりスケッチ×☆☆☆』 -更新第746回-

◆a white day~ミューズの座布団 SS『ひだまりスケッチ×☆☆☆』
  その一 / その二 / その三 / その四 / その五 / その六 / あとがき
 





       ×     × 




「なずな氏は失礼だなー。そんなことを考えていたのですかい?」
「ごめんなさい、だけど、おかしかったんです」
 なずなの漏らした本音話に宮子がぼやき、聞いていた沙英はもう話の
出来る状態ではなかった。電柱に手をつき、おかしい、おかしい、おか
しい、おなか痛い、おなか痛いと、せっかく持ち直した腹筋をまたひど
くけいれんさせている。その声は夜の暗がりに腰まで浸った町には大き
過ぎ、ひたりとガラスのような空気にびりびりと振動を残した。どこか
の家で犬の鳴く声、遠く、急行電車の過ぎる音。その波の形を少しずつ
いびつに乱していく。自分の声が起こすさざ波に沙英も気がついて、徐
々に息を深くしていった。
「あーおかしかった……なるほど、それでたこ焼きね。じゃあ帰ったら、
それ持ってゆののところに陣中見舞いだ」
「ですなあ」
 ぽろりと小さな先輩の名前が挙がったのは、唐突な様でいて、ずっと
周到に用意されていた様でもあった。海の水がお日様に照らされて雲に
なり、山に雨と注いで染み入って、やがてとろとろと冷たく人の喉を潤
すような、気の長くて遠回りな循環がそこには感じられる。
「けど、だったら甘い物の方が良かったんじゃない?」
「たい焼きと、迷ったんだけどねー」
 淀みなく、二人がゆののことを話すのを、なずなは口をはさむことも
出来ずに聞いていた。山小屋の管理人が山に語りかけるのを聞く、登山
客の心持ちがした。その循環の中には多分ヒロもいて、大きな渦、巨大
な歯車、そのどちらも持ち合わせていなくても、どこか遠く離れたせせ
らぎに、ゴトゴト静かに回る水車くらいのありようで繋がっているに違
いないと想像がついた。
 そんな風に、二人を行き交う言葉を交互に目で追って歩いているうち
にあらぬ景色が眦の端から広がり、また浅い夢を見ている様な錯覚に陥
る。昔話に出てきそうな山が瞼の裏側にシンプルな稜線を描いて、さら
にその上には、不器用なおむすびに似た月が浮かぶ。見上げた本物の空
は、二人が公園を出た頃にはまだたなびく程度だった薄い雲に覆われて
しまっていた。今日の月は大きかった。そこだけ雲が透けるくらいに煌
々と明く、古い街灯などよりも、よほど白くて強い。その雲にも、月の
明るさにも阻まれて、星は見えそうになかった。
 なずながふっと我に返ると、宮子たちはもう随分先にいた。立ち止ま
り、肩半分に振り返った二人の視線に追いつこうとなずなが小走りにな
りかけたそのとき、さっきまでなずなの見ていた月の先を見上げた宮子
が、あっと嬉しそうな顔をしたのに気を取られ、なずなは足をもつれさ
せた。
「わ」
「おおお、あぶない」
 爪先の尖った感触とともに勢いよく数歩余分にまろび出し、前を行く
二人を追い抜いてしまいはしたものの、転ぶほどには至らなかった。な
ずなは、驚いた二人の空気を背中に感じて慌てて振り返ると手提げに引
っ張られるようにして頭を下げた。その勢いの良さに二人がまた驚く。
「いや、謝んなくても。でも、大丈夫? それと、それ何、ボンゴ? 
さっきから不思議に思ってたんだけど、どうしたのさ、そんなもん。な
ずなが叩くの?」
 画材はともかく、さすがにそこまでは想像が及ばなかったのだろう、
沙英のもっともな問いになずなが説明に窮したところへ、
「くたびれた? 持とうか?」
と、宮子がするりと割り込んだ。それ、案外重いでしょー、とこともな
げに差し伸べられた手は、長くて大きい。そうでなくても宮子はそれと
同じ重さのトートを肩に、背中には倍の重さのザックとイーゼルを負っ
ている。
 なずなはえっと目を瞠ると、今一度、自分のゆび先にかかった手提げ
から、白い革の張られた上面だけを覗かせているぼんごに視線を落とし
た。
 宮子の言うように、肉厚の白樫で出来たぼんごはほどよく重い。両手
で体の前に提げるとその重さが肩を回って背中をぐいと引っ張るから、
少し、胸と背筋を強く張る力が必要だった。自分の健や肌がこの楽器と
同じだけのしなやかな張りを求めている気がする。溜め息の聞こえてき
そうだった午後。ゆび先に感じる重さも、朝から変わっていない。ただ
それでも、こうして一日をともにしていると、それを提げていてもバラ
ンスを乱してしまうことはなくなっていた。手提げの揺れた拍子に脛を
ぶつけることももうない。なずなは小さく息を吐いた。アパートはもう、
目と鼻の先だった。
「いえ、せっかく、ですから。最後まで、持ちます」
「そう? じゃあお願いねー」
 二人の間で話が終わってしまい置き去りを食った沙英は目を泳がせた
が、「お客を呼ぶための最終兵器だったんだけどね」と宮子の付け加え
た一言で、いくらか納得がいったようだった。
「結局、出番はなかったんですよ……」
と、さらになずなが付け加え、ね? と手提げの中のボンゴにほほえみ
かける、その横顔には、朝会ったときよりも何かが足されているように
沙英には思えた。
「そうなんだ? だったら、ゆのがまだへこんでるようだったら、それ
でも叩いて、励まして上げたら?」
 沙英は冗談めかして笑い、なずなの小さななで肩を、インクの濃い香
りのする掌でぽんと押した。


       ×     × 


 会話が途切れ、宮子は今し方自分でおルスにした粒を平らげて残るは
二つ、なずなはようやく折り返しの四粒目に取りかかった。湯気の白い
帯は次第に薄くなり、今は熱ではなく、時折辺りを静かに凪いでいく風
にカツオ節が揺れている。そのわずかな湯気が空に吸い込まれてたなび
き、青く晴れていた空を、雲が薄く覆い始めていた。
 すこし急いだ方が良い気がして、なずなは楊枝をたこ焼きに向けるが
つるんと逃げられてうまくいかない。楊枝は二度目でうまく刺さったが、
なんだろう? その先から伝わる感触のおかしさに、なずなは首を傾げ
た。
 その粒は、おルスだった。
 ぱくりと口に入れ、さっきと同じ要領でどれだけ口の中を探し回って
みても、こりこりと柔らかな小部屋の主の姿がない。小麦ダネの温かな
感触、ソースの甘辛さに、青海苔とカツオ節と不思議な香味。宮子の言
った通り、あるじ不在でも顔の内側に広がる美味しさはもうすっかり形
になってしまっている、そのそこはかとないさみしさの影は伸び続け、
広がり続け、その色が黒からグレーへ、そして白にまで届いて光と境目
を失っても、まだ止まらない。
 さみしい、さみしい、さみしい。
 その場の代名詞で、そこにいないと寂しくて、ついでにちょっとユー
モラスで。いつでも独り立ち出来てしまう。それは、その姿は、佇まい
は、そうまるで。そう考えると、さっきまで宮子がたこに向けていた言
葉が重たく思え、自分が寝起きするあの温かな中間色のアパートが、朝
な夕なに落とす影がたこ焼きと重なった。そこでは、タネになっている
小麦粉、ソース、カツオ節に青ノリ、そしてたこ。どれをとっても、自
分に担えそうな役割なんてどこにも見当たらなかった。
 ああ、私はひだまり荘のおルスなのかも知れない。
 理屈には、合わないかも知れない。けれど今口の中に広がる、確かだ
けれどもそこはかとなく、物足りないけれども取るに足らない、何より
も、もっと些末なたくさんのことにかまけて素通りされてしまいかねな
いやるせなさには共感できたし、ともに哀しみ合える気がした。残った
四つの粒を乗せた舟の重みが、スカートから覗く、あの頃と何も変わら
ない小さなひざ小僧にのしかかってくる。
 なずなは、たこのいないたこ焼きをもぐもぐごくんとおなかに飲み込
んでしまうと、膝の上の舟をそっと両手ですくい上げて宮子を見た。宮
子は残りわずかとなったたこ焼きに別れを惜しむように、食べてしまお
うか、もう少し眺めていようか、難しい顔で思案に暮れているようだっ
た。
「あの……宮子先輩。残り、お手伝いを……」
「なずなどの」
 二人の声がほぼ重なった。なずなはびくりと身をすくめ、宮子は宮子
で「どうぞお先に」だなんて、先を譲るようなことはしないで続けた。
「このたこ焼き、ちょっとお洒落だよねー」
 お洒落。たこ焼きが? それは舶来の品だからだろうか。なずなが答
えあぐねるうちに、宮子はまた、楊枝をゆび先でくるくると回した。
「冷めても表面がぱりぱりしてて、中はあったかいまんまだね。どーな
ってるんだろー」
「ああ、それなら知ってます」
 ヒロと乃莉が話しているのを聞いたことがあった。表面に油を振って、
揚げ物のように加工をすると良いのだと。そうすると外はパリッと固く、
中は柔らかに、そして温かさを保つことが出来ると言っていた。けれど
も、その美味しさを「お洒落」と結びつけた糸が、どこから出てきたの
か分からない。
 なずなの伝え聞きの説明を受けて、宮子は色々考えてあるんだねえと
感心をし、鼻先を舟の舳先に近づけて、すんすんと鼻を利かせてわずか
に眉をゆがませる。
「なんだっけなあ、この香り。ちょっと変わった香り。ほら、なずなど
の。食べて食べて」
「香り……ですか?」
 宮子にせき立てられて、なずなは舟を一旦膝に戻すと、とりあえずも
う一粒口に放り込んでみた。同じ歯ごたえと舌触り、そしてもう一つ、
はじめにも感じた、ソース、青海苔、カツオ節にも負けない何か強い香
気があったことを思い出す。
「これって……」
 宮子は喉まで出掛かって思い出せないらしく、なんだっけ、ホラあれ、
と身をよじり、震えて、あげくに暴発した。
「ほら、あれ! えーとー……『ポッパァーイ、タァースケテェー!!』」
「!」
 突如ものすごい裏声で叫んだ宮子に道行く人は振り返り、なずなはベ
ンチごとひっくり返りそうになる。その勢いで背中をしたたかに打ちつ
けた拍子に、つかえていた物が飛び出した。
「あ、オリーブ?」
「それ!」
 言われてみればなるほど、甘いような、味の輪郭に髪の毛一本分ほど
の酸味を残した香りは確かにオリーブオイルのものだった。すべての香
りの上にさらに一枚、薄い膜を張るきりのその香りには確かな気配があ
りこそすれ、何かと何かが混ざって生まれた一瞬のグラデーションよう
にも思えてしまうから、気付かず素通りしてしまいかねない。先ほどま
でのなずな自身がそうだった。けれどもこうして気付いてみると、それ
が偶然ではなく、天秤ぼ上に最後に乗せられた大切なピースであること
が、そこに生じた調和のやさしさから感じ取れた。
 謎の解けた宮子は、そーだー、そーだよーと上機嫌で、筋肉質の船乗
りが活躍する舶来アニメのテーマを口ずさみながら、もう一度その甘み
のある香りを大きく吸い込んだ。
「うーん。最後まであったかいためだけじゃなくて、香り付けにも一役
買ってるんですなあ」
「そうですね。外人さん、色々工夫してがんばってるんですね」
「なずなどのの、そのヘアスタイルもオリーブなんだっけ?」
「え? あ。はい」
 オリーブは駅前の美容室の名でもあった。双子の姉妹スタイリストの
切り盛りする店で、ひだまり荘で一時、ブームになったことがある。な
ずなの髪型が話題に上った時のことだ。
 宮子はなずなを見つめて嬉しそう大きく笑い、ラスト二つのたこ焼き
のうち、一つをぱくんと口に入れた。そっかそっか、なずな氏はオリー
ブかあ、とおかしな納得をして。
「ふんわり、イイ匂いがするところもそっくりですしナ」
「え」
「あ、そうだー」
 そうして宮子はまた勝手に話をぶつ切りに、空を見てなにごとか思い
出すと、まだ口の中にたこ焼きが残っているにも関わらず、最後に残っ
た一粒に向けて例の構えをとった。ほいっ、とどこまでも陽気なかけ声
で、楊枝はたこ焼きにするりと刺さり、抜け出てきた先にはまた、たこ
だけが捉えられていた。その様子を少し呆れて見守っていたなずなだっ
たが、その楊枝が、自分の前にひょいと差し出されて面食らった。
「……なんですか?」
「たこだけ、ご返杯。さっき、おルスのとそうじゃないのの交換になっ
ちゃったでしょ」
「え、でも……最後の一つなんですし」
「おルス引いたのは、あたしだからね」
 そう竹を割った様に言われて、なずなは上目遣いに考えた。なるほど、
計算は合う。こだわるつもりはなかったが、自然に開かれた宮子の目に
譲ろうという気配はなかった。これもまた家訓であるのかもしれない。
風がそよいで、にがお絵がぱたぱたと揺れ、なずなはあまく乱れた髪を
ゆび先で耳にかけ直すと、目の前に差しだされた楊枝のたこに、そのま
まぱくりと食いついた。
「おっ」
 こりこり固くて、すこし柔らかい。宮子がくれたそのたこは、粒がや
や大きいことを除けばソースも青海苔も何もない、小麦ダネとオリーブ
オイルが少しからんだただ温かいだけのたこだったが、淡泊なようで、
身の詰まった力強い野性味があった。ぎゅっとかみしめるほどにしみ出
すほのかな甘みと、独特のゴムにも負けない弾力が、歯と言わず骨と言
わず、体の芯まで押し返してくる。耳の奥にこもる力が背中にまで伝わ
って、その度に自分の中で何かが一つになるような手応えがある。なず
なは、オリーブ。なずなはじっくりと味わって、やがてごくんと飲み込
んだ。
「おいしいです」
「うん」
 そして宮子は、なずなのその笑顔を見届けると、結局おルスになって
しまった最後の一粒を、ぱくん、ごくんと丸飲みにしてしまった。



     × ☆     ☆     ☆



「私が叩いても、うまく、鳴らないと思いますけど……」
「いいんじゃないの」
 散々しぶるなずなに沙英は、やってあげたらと、無責任で、半ば強制
に近い抑揚で背中を押す。へこんだゆのを励ましになずながボンゴを打
つ企みに、宮子も乗り気だった。
「大丈夫、教えた通りにやりたまえ。ゆび先と、手首の返しが秘訣なの
だよ」
「それはたこ焼きの話じゃないですか……」
 なずなに軽くいなされ割り込んだ宮子がばれたかと舌を出し、それを
聞いた沙英がまた、ぶっと勢いよく吹き出す。
 歩いてきた住宅街の細い通りを抜けると、いつもの学校とアパートの
前を走る、ささやかながらも一応国道の番号がふられた通りに出る。三
人がアパートに近づくにつれ、庭に面したベランダと大窓に、歯抜けに
三つ、明かりがともっているのが見えてきた。二階に一つ、一階に二つ。
どの窓もカーテンの色柄が違うから、夜空に温かな中間色のパッチワー
クのように浮かび上がって見えた。
「みんな帰ってるみたいだね」
 沙英が言葉にするまでもなくなずなの頬がぱっと明るみ、そうですね、
と答える声も、トーンが一つ弾んで上がった。その控えめな瞳は、ソー
ダ水の色の中に花柄の散った一階の窓、乃莉の部屋しか見えていないよ
うだった。歩調までそそくさと上がった小さな背中を見て、沙英は一つ、
溜め息とともに苦笑して宮子に視線を送った。
「宮子も、お疲れだったね」
「ふえ、何がー?」
 がしゃがしゃと無粋なロボットの様に、大きな荷物を揺すって歩くそ
のとぼけた返事が何の駆け引きでもポーズでもないことはこの二年で身
に染みてきた。並びのいい白い歯の隙間からもれる一見でたらめなメロ
ディが、何日か何ヶ月か、何年かかけて頭とお尻が繋がる法則性を持っ
ているかもしれないことも。
「ん、なんでもないよ」
「ねえ、沙英さん」
「ん?」
「ヒロさんにね、チャーハン作ってもらうんだ」
「チャーハン?」
 宮子の話の切り出し方はいつも唐突だった。話し相手の沙英を見ても
いない。宮子はまぶしそうな視線を、恐らくキラキラした目で乃莉の部
屋明かりを見ているのであろう、三歩先のなずなの背中に送っているき
りだった。言葉で終わらない宮子の話は、唐突でも、その瞬間にだけ腑
に落ちるしっとりとした重みがあった。それだけ分かっていれば良いの
だと、他はともかく、沙英は思っていた。
「ふーん。いいんじゃない? ヒロも腕、ふるってくれるよ」
 いつもと変わらぬ落ち着いた調子で言う沙英の横顔を、宮子はちらと
盗み見ると、その答えに満足したようにへへと軽い笑いをもらした。
「でもあんた、先週もそんなこと言ってなかった?」
「へ。せんしゅう?」
「うん」
 思い当たる節がないではないのか、宮子はぜんまいじかけの早さで腕
を組んだ。
「……そだっけ」
「そうだよ」
「そうだっけー……」
「そーうーだーよ……あれ? ピラフだったかな……」
 宮子のいい加減に引き摺られ、沙英自身の記憶もあやふやになってい
く。なるほどそうか、先週……。ぐぐぐ、と音を立てて腕組みを深くし
ていく宮子を横目に、沙英は温かく、
「まあ、いいんじゃない」
ともう一度、同じ言葉で笑った。
「あんたが食べたいって言うなら、何度だって作ってくれるだろうし」
 アパートの名前五文字をべつべつのプレートに描いた表札の前を過ぎ
て門柱を抜けると、それじゃあ、と手を振った沙英は自分の部屋へは向
かわずに、まっすぐヒロの部屋へと足を向けた。なずなはそれを見てほ
んの一瞬だけ疑問符を浮かべたがじきに察し、宮子はそれよりさらに早
く、「さすがですなあ」と開きっぱなしの大きな口から気持ちをダダ漏
れにした。
 なずなも、乃莉の部屋に灯る灯りに後ろ髪を引かれる思いがあった。
が、手に提げたぼんごと、一日駆けずり回って少し汗ばみ、少しほこり
くささを感じるパフスリーブの肩に歯止めをかけられて、ぐっと抑えて
カンカンと音の鳴る階段を上がった。
 階段を上がりきったところに、宮子が足を止めていた。
 朝から見続けたスネ丈のジーンズからはみ出す上等のアキレス腱をま
っすぐに伸ばして、壁にも手すりにもよりかからず、旅人のように何か
を見上げている。空と雲と月。夕方降りてきた風は空に帰って、雲の高
さではほどほどに強く吹いているらしい。雲は、晴れはしないもののな
びいてかすれ、高く低く、あちこちで濃淡をせわしなく変えた。月から
すこし外れた辺りに、十円玉ほどに穴の空くのも見えた。
「……綺麗ですね」
「お月さまー? うん、そうだ……」
「いえ、星です」
「……ね。え?」
 滑らかに、自分の言葉と言葉の間をなずながすり抜けていったのを聞
いて宮子は目を瞠り、なずなと空を交互に見遣った。
「お星さま?」
「はい」
 宮子はもう一度、いつもの穏やかさで、けれどもきっぱりと答えたな
ずなと、空に空いた雲の十円はげを見くらべる。今日の月の光は乱暴で、
ちいさな星の光など飲み込んでかき消してしまう。宮子が拾い集めるの
は、そんな小さな渦の泡、焦げたネジ、そんなものだった。
「綺麗、ですよね」
 なずなはもう一度その雲間を見遣って、まるで尋ねるみたいに囁いた。
なずなの大きな瞳は、髪の色と似た銀色の光を受けて遠く、どこに焦点
を結んでいるのか分からない。その目を見て、宮子は理解し、にこりと
微笑んだ。
「そうだねー。明日は、一緒にお星さまも見られるといいね」
「そうですね」
「それじゃあ、あとで」
「はい」
 そこでようやくぼんごの手提げを宮子に返し、いつもの言葉を交わし
てドアノブをまわす。二〇三がふられたその部屋は、なずなが越してく
る以前はただの物置部屋だったのだそうだ。上級生四人からは、大家に
請われて安い昼食で掃除を手伝った話を聞かされた。
 かちゃりと静かに開いたその扉の向こうから、他の誰の物でもない、
みかん色の空気が漂い出て……手にしたたこ焼きの袋から立ち上るオリ
ーブオイルの香りと縒り合うように混ざり合い、やがて、境目を失った。





                          (おしまい)





      ××× エピローグ ××× 





  コンコン


沙 英「ただいまー。ヒロー、いるー? 起きてるー?」


  がちゃがちゃ


沙 英「(あれ、開かないなあ。寝てるのかな)」
ヒ ロ「あ、沙英? ちょ、ちょっと待ってね。よーいーしょーっ」


  ぎぎぎぎぎぎぃぃぃぃぃ……


沙 英「うわ、すごい音」
ヒ ロ「沙英……おかえ……りっ!」


  ぎきぃ!!


ヒ ロ「ふー……。やっと開いたあ」
沙 英「ただいま……。ドア、どうしたの? 具合悪いの?」
ヒ ロ「わからないのよ……。
    帰ってきたら、なんだか立て付けが悪くなっちゃってて……。
    すごく開きにくいのー」


宮 子「……」
なずな「…………」
宮 子「………………(これは……正直にだまってよう)」
なずな「……………………(ですね……)」




                           → あとがき

 

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コメント

■ちひろさん
毎度おせわになっております。

いやあ……なんというか、頭が下がります。
本当にがっつりと読み込んで戴けて、
こめたもの、拾って欲しいと思った物をしっかり拾って頂けるというのは
ありがたいものですね。
本当にありがとうござます。
しかし、そうして拾って戴くのに胸焼けを起こさせているのは戴けないですね。
次回はもっと、持ち味を残しつつ、軽やかに読めた上で、
拾ってもらえるようなものにしたいと思います。
要は緩急の問題なのだと思うので。
今回も、一応そこは意識したものの、
やはりエゴというか、欲が前に出すぎたのだと反省しています。

 「もっとおもてなしの心を!」

……というのを旗印に精進したいと思います。
沙英さんの「おつかれ」は、あくまでも沙英さんの解釈ですが、
「(乃莉が不在で)一人で寂しそうにしていたなずなに、
 先輩っぽくなれないことをしてくれたんだね、
 あんたも肩凝ったんじゃない?」
くらいの意味合いです。
実際、宮子にどのくらいそのつもりがあったのかは……
推して知るべし、ですけども。
答えた彼女の「何がー?」をどうとるかは、
読み手の宮子像がものを言うところだと思います。

マそんな感じで、どこまでも素人くささの残るアレですが、
今後とも、ご意見宜しくお願いします。

ここまで色々見透かされてはもう、素直に聞くほかないのでw
すごくためになります。
ではまた。


■sytloさん
毎度おおきにです。
いつもながら、じっくり読み込んでいただけているようで恐れ入ります。
お楽しんで戴けたでしょうか?

今回は前回と比べ、いくらかは本編と近いところも出るようにと
一応は腐心した甲斐があったようでwホッとしました。
確かに、なずなには明確な問いがあったわけではないですね。
自分でも気が付かなかったけどw

ちょっと今回はこってりし過ぎたかなあという反省があります。
その辺、苦言のようなものものあれば(お好みレベルでも全然構わないので)
ご意見を戴けるとありがたいです。
やはり、分かって読んで下さる方がまず楽しめるようにしたいので。
自分っぽさも損なわずにそういうものが書けるようにもなりたいので。

今後とも宜しくお願いいたします。

投稿: ikas2nd | 2012年2月 5日 (日) 11時04分

 オイサンこんばんは。SSの方、改めて感想を書かせて頂きます。

 あとがきにも書かれていましたが、確かになずなと宮子って二人だけって殆ど無いですね。隣に乃莉っぺやゆのっちが居ることはありますけれど、こうやって二人きりで午後を過ごすというのはなさそうですね。

  そもそも、ひだまりスケッチという漫画は一日を「切り取った」作品、
  アニメは一日を「通した」作品で、微妙にテンポと言うか、見ていて違うと感じます。
  あの、ゆのっちが目覚めて始まる件は、4コマ漫画では出来ないことだなぁ。
  
 そんな二人がドタバタと(宮子の元気さの所為ですかね)、公園に行って絵を描いたりたこ焼きを食べたり。そしてその話に沙英が爆笑する。この辺りは、凄くひだまりスケッチっぽい雰囲気でした。
 でもやっぱりなずなのことにフォーカスを当ててみると、どうもひだまりスケッチとは違う。それはいい意味での違いで、ああいう風にナイーブになってしまうなずなも、普通にひだまり荘には居るんだと思います。
 で、これはあくまでサイトロの考えなのですが、なずなは明確な答えを見出さなかったんですよね。というか、明確な問がなかった。進路に悩んだヒロさんが沙英に抱きしめられたような、ああいう件がなかった。只、なずなの中にある波が、たまたまマイナスの方向に向いていた時に宮子と一緒になって、過ごしてみると宮子先輩のことがちょっと分かったような気がした。
 最後の一文、とても好きです。

  ……手にしたたこ焼きの袋から立ち上るオリーブオイルの香りと縒り合うように
  混ざり合い、やがて、境目を失った。

 ゆのっちのようにお風呂ではなく、部屋に入った所で幕が閉じる。不思議と言うか、なずな独特のテンポを感じました。


 更新の方楽しみにしていますが、どうかお体にはお気をつけて下さい。
 それでは、また。

投稿: sytlo | 2012年1月21日 (土) 21時06分

お返事どうもです。

いやいや、別に全然大丈夫ですよ?
オイサンの書かれる作品は、いわゆるキャラ小説とは一線を画しますんで。
知らない作品のSSでも問題なく楽しめますです。

第1章で宮子となずなの(オイサンの中の?)キャラクターは掴めますし。
それこそ「雷かと思った」で二人の関係性までが浮き上がりますし。
(そういった意味でもあの表現は秀逸だと思いました)

題材問わず、オイサンの作品を楽しみにしておりまする。

投稿: JKP | 2012年1月20日 (金) 02時15分

■JKPさん

まいどどうもです。
いやー……なんかすみません。
楽しみにしていて下さったのに、お待たせしておいて、出てきたのが
全然土俵の外のお話だったのでは……。
申し訳ない。
もう少し、原作をご存じない方への配慮もしようかと考えたのですが。

距離感と足場、いや、その通りだと思います。
どちらかといえば足場よりですが、距離も少し縮まった。
そんな感じです。

次回は多分お分かり頂ける話か、もしかするとまたオリジナルをやるかもしれません。
懲りずにまた遊びに来て下さいまし。

今年もどうぞ、ご声援宜しくお願い致します。
ではまた。

 

投稿: オイサン | 2012年1月19日 (木) 01時46分

どもです。
ちょいと遅くなりましたが、簡単に感想をば。

段々となずなから宮子への距離感が近くなっていく様が良いですな。
違うかな?
近くなっているのではなく、なずなの足場が固まってきたからそう感じるだけなのかな?
とにかく1章と6章では明らかに違う空気感がとても爽やかに感じました。
オイサンの地文の筆力、流石という感じです。

個人的にツボだったのは、「雷が落ちたのかと思った。」の表現ですね。
いや、何故よりにもよってそこなんだ、と自分でも思うのですが(苦笑)
この文章なずな1人称よりの3人称じゃないですか。
ひだまりを知らない私は、この1文でなずなと宮子のキャラクターと関係性をはっきりと視ることが出来た……と感じたんですよね。
もしここが完全3人称で「なずなはそれをまるで雷のように感じた」とか書かれていたら興ざめも良いところだったと思います。

……あれ?
自分で何がそんなに違うのか解らなくなってきた。
文章って難しいですね。

何分「ひだまりスケッチ」を存じ上げないので、何言ってんだこいつ?みたいなところがあるかもしれませんが、そこはどうかご容赦を。

今年もよろしくお願いいたしまする。

投稿: JKP | 2012年1月16日 (月) 08時17分

「a white day~ミューズの座布団」感想

 ども、Twitterの方で軽く感想を書きましたが、オイサン渾身の一作の子細な感想を
お送りしたいと思います。

 まず、ツイートの方で「おおきな月餅」と比喩しましたが、
こういうイメージが重なったから
 1.好きな人にはたまらないもの
 2.一口一口がずっしりと濃く複雑な味わいを持っている
 3.調子に乗って食べると胃にもたれることがある

 1についてはここの常連さん達がそうだと思います。
 2についてはこのあとにも書きますが、世辞をさっぴてもそう思います
 3については私が「疲れた」とツイートした理由にもなってますが、一口一口が
  濃いので、調子に乗って読んでいると集中しすぎてしまう、ということと、
  これもあとに書きますが、今回のストーリーの主役であるところのなずな嬢に
  感情移入が過ぎると読後感が重い(これは私だけかも知れない)から


 感想を、表現とか技巧的な部分と、お話のストーリー立ての部分に分けて書いて
いこうと思いますが、まずは表現とかそっちの方から。

 相変わらず、と言うか、さすが、と言うか、細かい仕草とか様子、周囲の状況、
空気の匂い、キャラの仕草など、微に入り細に渡って丁寧に書きこまれていて、
キャラが感じている世界をこちらも共有しているような、読み手が作品世界の中に
別次元の存在としてあるのではなく、透明人間にでもなって同じ空間で同じ空気を
吸っているような感覚、読んでいてそんな気分になります。
 また、その世界の様子を描写する言葉、語句も陳腐なものではなく、よく考えられて
いると感じました。
 これらがからみ合うことで、一文一文がどっしりと重い複雑な味わいを持つ、
独特なオイサンワールドを醸し出しているのだと思います。
 上述の2の部分ですね。
 これは私が逆立ちしても真似できない部分で正直に「すごいなあ」と思うところです。
 多分、この書き込みの濃さ、密度、言葉の選び方をして、上述の1の方々を惹きつけて
いるのだろうと思います。
 個人的には、なずなの少し伸びていて切ろうと思って切りそこねた爪が指に食い込んで
それをなずなが気にする描写が印象に残っていて、あれをどのくらい気にするかが
なずなの気持ちの余裕を表していたのだろうな、と。
 あと、宮子の良い意味で天真爛漫さ、おおらかさ、悪い意味でのつかみ所のなさ、
粗雑さが描かれていたなあ、と。
 そんなように感じました。
 私はひだまりの原作しかほぼ知らず、原作も最新刊を買いそびれている状態
なので、なずなと言う女の子の外面と登場最初の頃に受けたおとなしい印象が強くて、
内面が、彼女の芯がどれだけ通っていて太いものなのかはわからないから、なずなの
心情描写があれで良いのかはわかりませんが、あの個性派揃いの中でやっていけてる
という事を考えると、彼女も内面はそれなりにしっかりしていてもおかしくないな、とは
思います。


 ストーリー面。
 上から目線で申し訳ないですが、よく練られたお話だと思います。
 こういう話が書けたら楽しいだろうな、と。

 なずな、という物静かなキャラのある休みの風景からスローにスタートして、それを
宮子という存在がテンポアップして、一気にお話が動いていく。
 なずなは宮子に引きずられ振り回されながらも、面食らいつつも付き合い、それまでに
ない経験をし、またスローテンポに戻って日常に帰っていく。

 裏になずなのあの5人の中での位置づけと言うのが流れていて、宮子の「この部屋は
みんなの部屋と違う匂いがする」と言う言葉が象徴する、そしてなずなもそう思って
いたあの5人の中で唯一の普通科で浮いた存在と言う、このお話当初の彼女の位置は、
話が終わる頃には浮いた存在ではなく、オリーブオイルの比喩を用いて、浮いている
わけではなく隠し味としてしっかりと調和しているということを匂わせている。
 そのために、たこ焼きの風味付けにオリーブオイルを用い、オリーブオイルを用いる
ことに違和感がないようにたこ焼き屋の店主を外人にして、なおかつなずなの部屋が
みかんの良い香りだと言うところから、香りを手がかりに話しを持ってきている。

 境目、という表現もそうですね。
 スローに始まる序盤のなずなの、ひだまり荘と自分が融け合ってしまいそうな様子を
して境目がなくなると言っていますが、その話が最後の最後、オーラスのシーンで
生きてくる。

 コンガと言う意表をつく、でも宮子ならありか、と思わせるアイテムを話の
アクセントに使う。そして、気を引きつつ出番なく終わらせる。

 お話の緩急も、伏線の張り方と回収も、話題のピースの散りばめ方も、よく練ってある
なあと、思うことしきりです。

 あえて言うならば、ちょっと詰め込み過ぎかな、と。
 たくさんの話のかけらがギュッと詰め込まれていた感じがして、それを咀嚼するのに
時間がかかるような気がします。

 ところで、沙英がラスト近くで宮子に「おつかれ」と声をかけていますが、沙英に
とってなずなの相手をすることというのは「つかれること」という認識なんでしょうかね。


 さて、ここまでこう評価してきて、ではなぜ私が読後に「疲れた」と言ったか。
 ヒントはたまゆら~hitotose~第1話と第5話なんですが、この話は以前から
オイサンにはしているので、なんとなく理由がわかってもらえるんじゃないかと思います。

 私はこう言う感情移入対象が振り回されるお話って苦手です。
 先が見えない状態で振り回されることを楽しめる人とそうではない人が世の中にはいて、
私は後者なんですが、多分なずなも後者なんじゃなかろうか、と思うと、余計今回の
お話は彼女にとっては精神的にきつかったろうなあ、なんて思いながら読んでいました。

 元々、私は宮子の無神経さとかがさつな部分というのはあまり好きではなくて、
一方でその部分が宮子の魅力でもあることもわかっていますので、これはもう基本的に
私は彼女とは相容れないだろう、と言うのが原作を読んだ時の印象です。
 前作の「ミューズの祝福」「ミューズの烙印~宮子」では宮子について、その芯の
太さと繊細さに好印象を持ったのですが、今回のお話においては私が持つ宮子の悪い
部分の印象がそのまま描かれちゃってたなあ、と。

 だから、お話としてはよく練ってあって、表現も相変わらず緻密で空気の粒まで感じら
れるほどだし、伏線もその回収も、読み終わったあとでかちりとピースがハマるように
できているのだけど、読み終わって大きな月餅を一度に食べてしまい、食べ疲れて
しまった。濃い味のものを食べてお腹が若干消化不良になってしまった。
 ま、そんなところですかね。
 今回のお話に関しては、まとめて一気に読むのではなく、アップされるごとに読んだ
方が良かったかも知れません。

 ま、こんなところで。

投稿: ちひろ | 2012年1月15日 (日) 20時58分

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