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2012年1月 8日 (日)

■盆地の年明け -更新第747回-

実家に帰ってたとき、親父殿が
「お前たちはもう、
 まあ結婚はするにしても、子供を作ったりはせずに
 自分の人生を楽しんだ方がいいんじゃないかなあ」
って言ってたんですよ。


  2012年元旦の、夕方に二人でふらりと出かけた散歩の帰り道のことで、
  よく晴れていて、
  東の坂の上から西へ向けて、家へと下っていくところ。
  西の空の崖の上の雲の色が、薄いオレンジに染まってとても綺麗でした。


別に、オイサンら兄弟の親としての資質とか、
結婚できるかどうかとか、
男としての能力(生殖能力に限らずね)みたいなものに疑いを持ってるわけでは多分なくて、
多分、
今のこの世の中の状況がいかにおかしくて難しいかを……
身に沁みて、なのか、単純に自分の頃と比較してなのかはわかりませんが……
よく理解して、そんな風に思ったのだと思います。

うん。

うちの親父殿はもうちょっと頭が古くて固いものだとオイサンも以前は思っていて、
それでもここ十年くらいは、
ああ、結構砕けた考えも持ってるんだなあ、
そんな風でも笑えるんだなあ、
と思えるようになっていたのですけど、
そういうことまで言うとは思っていなかったので軽く驚きました。
軽くですけどね。
へーえ、みたいな感じで。



そして同時に、胸が少し痛みました。
さみしかった。



そのときオイサンは、家に向かって親父殿と並んで歩きながら、
「お母さんはどう思ってんの?
 結婚してって言うけど、孫抱きたいんじゃないのか」
と訊いてみましたが、その辺のコンセンサスまではとれていないようで、
「お母さんがそう言うのはなあ……
 一人やったら、体壊したときとかに大変だからとちゃうか」
という推測にとどまりました。
まあそれも分かる感覚ではあるけど、実際のところはどーだか分かりません。
父と母は、感覚的にはあんまり通じ合えていないから。

親父殿のその言葉、
「自分たちのことを先ず考えて生きた方が、
 これから先は良いのかもしれない」
には、単純な内容としてはオイサンも賛成ではあります。

けれども。

その言葉は単純に、
アドバイスとして受け止めて、迷ったときに素直に従って良い類のものなのか、
それとも、
オイサンたちのために自分の何かを諦め、妥協して漏れた言葉であって、
オイサンたちはその言葉に、甘えてはいけないものなのか……
その辺が、もう一つ分からなかった。



どっちのやさしさから出た言葉だったんだろう。



そんなことが感じ取れない、
オイサンのセンサーはやっぱり欠陥品だとつくづく思う。
センサーじゃなくて、そのあとの解析処理機能の問題かも知れませんけどね。

もしかしたら、
カチンときて奮起すべきものだったのかも知れないなあ、
と思ったりもする。
「ふざくんな!」
と。
「嫁と子供くらい食わせてやれるよ、見てやがれ!」
と。

  ……まあ、オイサンがそんな気骨溢れる益荒男でないことは
  多分さすがに理解していると思うので
  そういう賭けには出ないと思うんだけども。

いやー……うん。
本音は、多分、きっとねえ。

もっと、親父殿自身の見てきたように、
親父殿のお父さんやお母さん、先立たれていった親族や周りの人たちのように、
「普通に」年老い、
「普通に」看取られていくのだと、
どこかのタイミングまではきっと思い、望んでいたのに違いなくて、
それが幸せなんだと信じて生きて来たに違いなくてですね、
でも、
自分の子供たちの様子が自分たちの思っていた姿と違うこともさながら、
その「普通」の難易度が、いつの間にか世の中的に、
恐ろしく上がっていることにも気付いていたんだと思います。
この五十年の、日本の国の普通。

  もっとも、歴史をきちんと振り返れば、
  オイサンや親父殿の思い描く「幸せ」、家族とか結婚とか継承の像は、
  本当に戦後のここ数十年のうちに出来上がり刷り込まれたものでしかないのですけど、
  その幸せ像の幸せさはあまりにインパクトがあり過ぎ、絶対的過ぎました。
  疑いようのない、最高の幸せであり過ぎる。
  豊かに贅沢になり過ぎたのかもしれない。

だから、
「裏切られた」って気持ちも、あるんじゃないかなあ。
色んなものに……対して。



……。



ウン。

  もしかしたら、そうやって「うまくやっていった」両親兄弟と自分を比較して、
  「自分は、なんだかうまくやれなかったな」
  とか思っているのかもしれない。
  だとすると……それは、申し訳ない。
  胸に詰まるものがありますね。
  うーん……。
  ……。

  ……。

ウチの親父殿は、
決して論理性やクレバーさに富んだ頭の良さをもっているわけではないんですけど
(あるのかも知れないけどそれを上手に人に説明できるタイプではないので)、
そういう「(幸せとかの)正しさ」とかを直感的に嗅ぎ取る聡さのようなものは
きちんと持っている人で、オイサンはそこはすごく信じてます。
兄とお母んは、そこんとこよくわかんないみたいだけど。
人の間で、人と身を寄せ合って生きてる人だからね。
オイサンと違って。

オイサンにもね、直感としてはあるんですよ。
なけなしのアレですけど。
どんなに辛かろうが、貧しかろうが、
子をもうけない、個体の幸せを優先する幸せが生き物にあろうかという、疑念が。

それはやはりどこかが間違っているんだと思う。
「国が!」とか、
「社会が!」とか、
あるんだけど、
結局根本的にはそれらを築いてきてそういう結論を口にしてしまった
「人間というイキモノが!」
というところに行き着いて、
「国とか社会じゃねえ、それ以前に人間だろ、健やかさだろ!?」
って言わないといけないんだけど、それを踏みつけにして、
いよいよそれを自分が親に言わせてしまったことに、
うーん……
なんかその、なんて言うんだろうなあ、
それは幸せではなくてかなしみであって、
現代の人間は、ちょっと「現実を見つめ過ぎ」なんじゃないか?

自分の外側にあるゲンジツさんを、
あまりにも強大なものとして捉え過ぎているんじゃないか……
そんな気さえしてきます。
空気読み過ぎっつうかさ。


  「生まれてこない方が幸せだ」
  と言っているに等しいんじゃないか。それは。


なんだろう。
なんかおかしい。
なんかおかしい気がするぞ、親父殿よ。

親父殿にそれを言われたとき、
何がそんなにさみしかったんだろう? と不思議だったんですが、
親にそういう風に言わせてしまった自分の不甲斐なさ、能天気さも一つだし、
生き物として、子を残すことが能力的に断たれてしまったわけでもないのに
それを放棄して個体の、
未来に繋がらない幸せを……未来を断つ幸せを幸せだと思ってしまったことも一つだし、
そういう時代を築いてしまった人間ってのも、一つだと思います。

ただ、逆にその、オイサンの胸にさくりと巣食った小さな痛みこそが多分、
オイサンの大好きな、かなしみというエンジンスターターであって。
もしもそんなことを狙い済まして放たれた矢なのであったとしたら、
オイサンの親父殿は……
存外、出来る男であることですよ。
思う壺。

  念のためにお断りしておくと、
  オイサンは別に生命礼賛の人じゃないですし
  (寧ろ「人生設計」という言葉の最後に
  「遅くともここまでには終わらせる」という仕様があっても良いと思ってるクチ)、
  別に、生き物だから絶対こうだとか、
  子供を作らない人、作れない人を批判する気はないですけど、
  ホントごめんなさいね、
  でもその瞬間に、ふっと胸のすき間の簾を差した諦め気味の光が、
  すごく寂しかったんですよ。
  しまったなあ、と思った。
  そのことを書き残したかったんです。

  気分を害された方ごめんなさい。

  自分の人生は自分の人生、と思っていた時期がオイサンにもあって、
  それはそれで間違っていませんし、
  結婚や子供に限らずとも、人間というやつは素晴らしいもんで、
  後の世になにごとかを継承することはできます。

  血肉は繋がっていなくても、共感し、教えあうことで、
  途切れず、つながり、残すことが出来る。
  それは人間の知性の成せる業で、素晴らしいことだと思います。
  なんかしら残すことが出来ればホッとできるのでしょう。
  それがどこから受け継がれてきたもので
  誰に喜ばれるものなのか、誰を喜ばせ、安心してもらいたいのか、
  ということが大切なのだと思うのです。

  ……まあ、その「何かを残す」ということも、
  エゴでしかないとは思いますけどね。
  何も残らなくてもいいのかもしれません。

  でもオイサンは、それが多分ちょっとさみしかった。
  そして多分、
  それを知性ではなく血肉のぬくもりでやりたかったに違いない親父殿に対して、
  申し訳ないと思った。
  そんな話なのです。

  あとついでにですけど、
  オイサンはあまり、「人生」っていう言葉を使うのが好きではないです。
  話がオオゲサになる気がして。
  だから自分で使ってしまいそうになったときには、
  生活とか、暮らしとか、営みとか、一生とか、
  もう少し砕いた言葉に置き換えるようにしています。

  けど、その言葉自体はとても好きです。
  使うべき人が然るべきタイミングで使えば、
  その言葉の背景に広がる様々のことが、
  適切な形とサイズと温度で、渾然一体となって伝わる気がします。
  意味をあまり深く考えず、ぽろっと使われる時ほど、使い方が上手な気がします。
  あまり関係のない話でしたね。

これも、やろうと思えばノベル風に出来たかな。
まあそれは改めてですね。

家にメールでもおくっとこ。





さて……。





どうしましょうかね。




オイサンでした。




R0046105





  

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