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2011年12月18日 (日)

■白湯の如き愛おしき日々 -更新第735回-

体と心が参っていて、
寒くて、
どうしようもなくおなかが空いているときに何か考えるのは
後ろ向きなことばかり思いついてしまって得策ではありませんが、
そんな時口にする最初の食べ物にも、
まだゆとりがあるなら気を配った方が良いです。

オイサンです。



■空腹のときに食べる物の話



それは普段摂る食事とは違い、
体全体に染み渡るみたいに温かな熱をもたらして……
なんかこう、
一種救われたような感慨をもたらす場合があります。

つまり……そのとき食べた物が、特別な、夢のようなものであると錯覚してしまいかねない。
その感動はヘタをすると人生観を揺るがしたりしかねません。

  ブッダが断食やら苦行の果てに食したと言うミルク粥も、
  似たようなモンだったんじゃないでしょうか。

オイサンが今朝がた、エクセルシオールで最初に飲んだカフェオレがそれでした。

朝、時間がなくて何も食べずに家を出、
電車は遅れてるわ体は重いわ……
なんかもう……どうしようもなく陰鬱な気持ちでシゴトバの最寄まで来たのですが、
まだどうしようもなく眠たくて、
このままオシゴトに向かってもとても使い物になる気がしなかったので、
少しだけ、何かおなかに入れて寝てから行こうと
毎朝コーヒーを買っているエクセルシオール(カフェです)に入ったのです。

そこでホットサンドとクラムチャウダーと……
あの、先日からおなかがもうどうしようもなく弱っておりまして、
カフェイン的な刺激物は出来るだけ避けたかった。
とりあえず味のやさしめのものにしようとカフェオレを注文したところ、
サンドとスープは少し時間がかかるとのことで
先にカフェオレだけが出てきたのでそれを持って席で待ちました。

そのカフェオレを一口胃に流し込んだところ……
それはもう、ビックリするくらい体にしみわたりましてね。
アレでしょうね、空っぽの胃にモノが入って、先ずは胃に血液が集められて血管が脈動し、
そこから吸収された熱がまた全身に発散していく様な。
体中の血管が一瞬でふわっと膨らむのが、手に取るようにってのはおかしいですが、
分かりました。

途端に目も覚めましてね。
あれは、ちょっと寄り道をして正解でした。

漲る様な湧き立つような、というものではなかったんですけれども、
まさに「生き返る」という言葉がしっくりくる感じでした。

まあオイサンは過去に何度かこういう体験もしてますのでアレですけども、
初めてこれを喰らうと、
なんというかその食べモノを特別なものと思いかねない。
そういう本能的な多幸感というのは、ものすごく訴えて来ますからね。

恋に落ちるのも、多分似たようなしくみなのでしょう。
そっちの方はオイサンとんとうといのでよう知りませんが。



■お白湯ちゃん



そう、ここ数日、胃が……弱ってましてね。
今は随分マシですが。
普段はばりばりコーヒーやらなんやら飲んでるオイサンですが、
なんかもうあまり味のあるものは飲みたくなくて、
かと言って冷たいものもイヤで、
シゴトバでどうしたものかなあと途方に暮れていました。

そこで思い立ったのが、いっそ白湯でも飲んでみるかなあ、ということでした。

弱ってる方とか、ご病気の方とかが飲んでいるのを、
たまにドラマとかでみたことがありまして、
ただのお湯なんて、飲んでどうにかなるのかなあと思っていましたが……
これが、まあ。
すごいもんですね。
かなり良い塩梅でした。

当たり前ですが体は温まりますし、ぬるくなった水とはわけがちがって、
何だか美味しい。

……まさか自分が白湯を飲んで救われた気分になる日が来るとは夢にも思いませんでしたが、
なんだか良い体験をした様な気が致します。

毎日のヒビ割れの中にひそんだ、素敵なものを見つけた様な。
これを機に、たまに白湯を飲む暮らしを続けてみたいと思います。


皆さんも、ちょっと弱った折には是非お試しくださいましな。
ホント悪くないので。

あ、白湯(さゆ)ですからね。ただのお湯。
白湯(パイタン)じゃないですからね。
それとんこつだから。



■デンジマン嘘つかない



忙しいほど何かを考える人と、その逆の人がいる。

「思う」と「考える」を使い分けたがる向きが世の中にはある。

実際ニュアンスは異なるのだろうけど、
それはイマドキの、その「たがる」傾向がそうさせているようにも思える。

殊に、「思う」よりも「考える」の方が上位に据えられる傾向が強い。
それは多分、自然発生的で、発し手の意図・意志を感じさせない「思う」よりも、
「考える」の方がより意図的で、
人の手が入った志向性を感じさせるからだろうと思う。

まあ、そんな使い分けを考えたがる人ほど、
「考える」ことこそが人間の人間たる所以と価値であって至上の態度である、
とか考えたりしてそうなので、分からない話ではない。

……が、オイサンはこの傾向があまり好きではない。

はたらく様になってワリとすぐに、
「シゴトで『思う』という(言葉を使う)のは良くない。
 思うんじゃなくて考えるようにして、『考える』って言え」
と教わって、ああなるほどなあ、と思ったものだけれど、
最近は、それもなんか抵抗があるなあ、と思っている。

「思う」という言葉に、
「調べもしないで勝手に漠然と頭に描いているだけ」
というイメージが付きまとうから、ということだ。
でもそのイメージも、その風潮そのものが付加したモノなんではないかなあ。
誰かえらい人が、あるときふっと感じて言い出したんじゃなかろうか。
「思いつきで言うんじゃない、もっとしっかり考えなさい」
とか。
誰かの勝手な言葉へのイメージ。

  そしてそういう人に限ってその場で
  「これはフラッシュアイデアなんですがね……」
  とか言っちゃいそうだな。

辞書的には同義・類義で載ってますしね。
あまり意味のある使い分けだと思わない。

「……と思うんですよねー」
「……と考えてるんですよねー」

と言った時に、前者では注意を受けてよくないイメージを与え、
後者では特に何もない、という……
生まれる窮屈さに比して、言葉の世界にとって、あまりメリットが見出せない。
肩ばっかり凝る気がする。

「思う」の方がやさしさが勝る、耳あたりが丸いから、
例えば誰かの悩み事に対して意見を言ってあげるときなどに、
「私はこう思いますよ」と言って上げた方が、
「私はこう考えますよ」と言うよりも、やわらかく伝えることが出来る、
というようなことは考えられるが。
その分
「この人思い付きで言ってるのか、真面目に考えてくれてないのか?」
と思われる可能性もないではないけれども。

……などというイメージのハナシも、
オイサンの勝手な思い込みかも知れないし、
それこそ先の風潮に引きずられたものかも知れないし。
まあそもそも、言葉はイメージや風潮で出来上がっていくものですしね。
それで良いのかもしれませんが。
「生き物だ」とはよく言ったもので。

  しかし人間に言わせれば、言葉も経済もみんな生き物だな。
  マいいけど。
  以前のエライ人に、ドヤ顔で「電子回路はウソをつきませんから」と言った人がいたけど。
  これを式にすると、

    電子回路=ウソをつかない
    インデアン=ウソをつかない
    電子回路=インデアン

  つまり、インデアンはデンジマンだったんだよ!!

    ΩΩΩ<ヘー

  話を脱線させることにかけては古今無双、
  「本題の置石」の異名をとりますオイサンです。
  閑話休題。

「『全然+[肯定]』(全然大丈夫、とか)が誤用だ」というのも、
歴史的に見れば誤用だという認識の方が間違ってる
(ややこしいけど、つまり「全然大丈夫」は間違った言い方じゃないということ)らしいし。

まあ世間さんがそうおっしゃるんですから、
自分もセケンにいる限りはそのセンは踏まずにいこうと思いますけどね。
逆らって得のあるハナシでなし、野放しにして困る話でなし。
自分の頭や作品の中で、面白く使いこなせればそれでいいわけです。

思葉惟(オモハ・ユイ)というキャラクターが脳内に生まれた。

……ちなみに、「おもはゆい」は「面映い」と書き、
「照れくさい・決まりの悪い」という意味なので、
「思う」とは全然関係のない言葉なのでお間違いのないように。

オイサンでした。




 

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