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2011年11月の7件の記事

2011年11月27日 (日)

■ゆめみる生クリーム~『ひだまりスケッチ×SP』プチ感想 -更新第732回-

あ風邪ひきました。
オイサンです。ズビー。

まあ、ちょっとノドがいがらっぽくて、ウズウズと頭が重くて、微熱がある、
という程度で済んでいるのでマシですが。

これで鼻が詰まってくると、
集中力がなくなるわモノの味が分からなくなるわで目も当てられないわけですが、
今のところそれはどうにか回避。

……この風邪多分、コンビニの店員さんからもらったんですよねー。
先週の木曜だったか水曜だったか、
コンビニで買い物をしたときにレジを打ってくれた店員さんが、
マスクをして、ぜーぜー言っててですね……

  (ウワー、これヤな予感するなー)

と、相手の心配もせずに思ったのですよ。
なので家に帰ってしっかり手洗いうがいをするまでは
何も口にもいれなかったのですけれども……
多分、アレが原因だよなー、と都合よく考えているオイサンです。

あのねえ、客商売の人は、風邪ひいたら休んで下さい、
特にバイトの店員さんなんかは!
「俺が休んだら店がつぶれる!」なんていう個人事業主は知りませんけども。
せめて、接客する相手の目に見えるところで、応対する前に消毒して見せるなりなんなり、
形は必要だと思うオイサンです。


……マそんなオイサンでして、
相変わらずロクにうちにも帰れない暮らしをしてるもんで面白いことも書けませんが、
精一杯、ちまちまと拾い集め、
コマギレに書き溜めていたことでも日記に付けておこうかなあという次第です。
そういうのを繋いだだけなので何かと散漫ですが、
しばらくはこういうので勘弁して下さい。



■『ひだまりスケッチ×SP』



ようやく『ひだまりスケッチ×SP』のBDがリリースされました。
ひゃっほい!
先月末と今月アタマの二回に分けてBS-TBSで放映されてたのですが、
如何せんオイサンちには地球外からの電波を拾う仕組みがないので見られなかったのでした。


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いやー、こんなにリリースを楽しみにしている作品って、あんまないですね。
今見ている作品も、毎週の放映をワクワクしながら見られれば一番いいのですけど
そこまででもなく。
マたまにこうしてリリースされるから、その分楽しみもヒトシオってのはありますが。
なんかねー、もうねー。
あー、俺やっぱ『ひだまり』好きなんだなーって思います。
普段そんなでもない気でいますけども。

ただその分、欠点が全然見えなくなっていて、
本当に欠点がないのか、補正がかかっているだけなのか、
判断がつかなくて困ります。

  とは言いつつも、『×☆☆☆』のTV放映のときは、
  作画クオリティが低いなあと思って結局BD・DVDは買わずじまいだったんで
  その辺は案外、中立の目を保てているのかなとは思いますが。

少なくとも前回のBD・DVD『×☆☆☆ 特別編』に至っては、オイサンの目では
『ひだまりスケッチ』としての欠点らしい欠点は見つけられませんでした。
あれは、


「『ひだまりスケッチ』のアニメとして」一先ず「完全である」


と言って差し支えないと思う。
ことここに至って、完成の域に達している。
あくまでも「『ひだまりスケッチ』としては」ですけども。

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デ今回の『×SP』は……ちょっと、色気を出し過ぎかなあという気はします。
変化のない円熟、即ち伝統芸能の道へ踏み出すべきだったところを、
ちょっと、新しくモノを足し過ぎてしまった気がする。
開幕カウントダウンの、犬カレー演出ですとか。
EDも今回、これまでとは毛色を変えてきましたね。
その辺が。
ちょーと、らしくないかなと思いました。
目先はかわったけれど、他のものにカンタンに挿げ替えることが出来てしまう
ちょっとした換装に終わっていて、「引くことの出来る」ものだなあと。
今回は、もう一度『×☆☆☆ 特別編』の「まま」をやれば良かったと、
今回に限っては思います。

新鮮な気持ちで見られて良いなー、という気持ちもあるんですよ。

  最近、原作にちょっと百合百合しさを強調した話があったりだとかということに
  違和感を感じたりもしておりましたけれども、
  それもちょっとありますね。
  それは単に、新規参入組である乃莉っぺ・なずなの
  パーソナリティのなせる業であるかも知れませんが。

「変化しないと先細るばかりだろう!」
というご意見ご指摘もごもっともですが、
それは、伝統芸能の道に入ってから二歩なり三歩なり進んでから考えることで、
角を曲がってイキナリやることではなかったかなあ、
という気がいたします。
マこうしてリリースのあるのもあと何回あるか分からないので、
出し惜しんでる場合じゃないってのはあるでしょうけどね。

……でも、四期やったら、また四期特別編はあるんじゃないのかしら。

 ▼OP

オイサン的には歴代最強OPです、コレ。
住人以外の出番がほぼないのが弱いと言えば弱いのですが、
画的に一つのストーリーになってるのが……ツボだなー。

と、言ってますけど。
実は一番最初に(Youtubeで)見たとき聴いたとき、
「……なんだこりゃ?」
って思ったんですよ。随分コドモっぽいな、大丈夫か? と。
あまり、良い印象ではなかった。
それが『ひだまりラジオSP』のオープニングのバックで流れているのを聴いていて、
サビの

  ♪ 苺のケーキは! (トリホーダイ! タベホーダイ!!)

の歌詞が耳にどうしても引っかかり、
何回か繰り返し見ている内に、映像の細かい気配りのようなものがぽろぽろと……
心に映り込んできてですね。
ああ、こらアカンわ。
やられた、と。





話(巨大ケーキ作り)の発端がヒロさんというのも、
なんとなく意外性でニクイ。

サビに入るとき、誰か二人の手がメレンゲ? の入ったボールを
素早くさらっていくカットが一瞬だけ挿まるんですが、
あれがなんだか異様に好きで。
「ワレ先に!」っていう、曲がりなりにも「作り手」である彼女らの、
一瞬のエゴが垣間見える様ですごく好き。

あと、最初にヒロさんがテーブルに設計図を広げて
みんなでそれを覗き込んでいるのを下からアオるカットで、
その図に見入っているゆのっちに、宮ちゃんがちらっと視線を送る、
その気遣いなのか、さりげない関係の表現にすごくグッと来た。
乃莉・なずなも似た様なリアクションをしますね。

あと、最近ほかでもどっかで見た気がするんだけど、
「歯」をね。
歯を見せて笑う絵がすごく印象的で、

  ……あ、思い出した。『アイマス』だ。

今回、ヒロさん以外、みんな一度は歯を見せて笑う。
苺を抱いて笑う沙英さんが一番印象的ですが、
続くカットで乃莉×なずが、その次では一瞬だけだけど宮ちゃんが、
みんな歯を見せる。
なんか、いいですね。
すごく好きです。

これ、他の人はどんな印象を持ってるかすごく気になるんですけど、
なんか一つ、表情の幅が広がった気がして、
コレ一辺倒になるんじゃなくて、効果的に笑顔の使い分けがされるようになると
すごくいいなあって思います。
思いついて、やってみて、「あ、コレいける!」って思った人は、
今頃シメシメと思っていることでしょう。

あとはまあ、最近何かといったら
なずなちゃんのことばっかり見ているオイサンですが、
カップリングの妙味と言いますかね。
なずなちゃん、カップる相手のNo.1は勿論乃莉っぺさんなんですが、
その次はヒロさん、ゆのっちなんだなあということに、
……当然なんとなくは気付いていたんだけど、
こうもはっきり見せられると、面白いですね。
宮ちゃん、沙英さんと二人で映るカットはない。

乃莉っぺさんは宮ちゃん、沙英さん、誰とも絡んだりしていて、
偏りつつも自然な画になっているなーと感心。

やっぱなずなちゃんは、
宮子はちょっと苦手(というのではないかもしれないけど、ちょっと距離のある存在)で、
沙英さん相手は緊張してしまうんだろうなあ、とか思った。
勿論コレも自然の帰結で偶然かもしれないんだけど、
それを思わせるだけの自然さと言うことですよ。


 ▼OPの歌詞


メロディに対してちょっと寸詰まりのところが、
心地よくポンポンポーンと弾むようなのが妙味ですねえ。
最初、作詞はまた畑亜貴さんかと思ったのですが、
なんとmarbleのmiccoさんでビックリ。
でも

  ♪ べたぼめライフ!

とかは、
miccoさんっぽいセンスですね、確かに。
結構ブッ飛んではいるけど、畑亜貴さんよりは意味が分かる。
でも、じゃんけんの「早出し」は……ズルくないよね?
やった方が不利にこそなれ。


 ▼本編


初期の頃と比べると、随分スピードアップしてますよねー。
比較したわけではないですが、初代の頃に比べると随分カット数が増え、
1シーンごとのテンポがアップしている様な気がします。

まあ基本的に、中身は相変わらずなんですけどね。
ほぼ原作のある通りにある。
原作6巻に収録されたエピソードが中心で、
オイサンは6巻は今までの中でもかなり好きな巻なので、それだけでもワリと満足。
ただ、最初に述べたようなスピードアップした感が、
4コマつぎはぎアニメの肝でもあるブツ切れ感をちょっと加速している様な気もして、
そこかしこでリズムが悪いなーと思うところはありました。

  コレは、『×☆☆☆』でもたまに感じていたことで。

前編のBパートと、後編Aパートが特に見ていて、ちょっとしんどかった。
そのせいなのか、原作のネタのせいなのかわかりませんが。

「ガリバーごはん」も「クイックルターン」もフィーチャーされてて
嬉しかったんですけどね。
クイックルターンは映像化して面白さを保つのは難しかったかもしれません。

大部分は冒頭で書いたような感想なわけです。
新しいことは置いといて、ちょっと落ち着いても良いんじゃない? というね。
ちょっとアングルを凝ってみたところとか、
大家さんがまくしたてるシーンの動きとか。

一つ一つは良いですし、目を引くんですが、
……なんというか、らしくなく。
「そこは『ひだまり』が勝負するべきところなのか?」
という疑問が、見るたびにわいたり、するんですね。
そういう、世間が勝負するようなところは敢えて控えて、
もっとちがう独自の演出で、それに負けない見せ方で引き付ける、
のが、『ひだまり』荘の面々の持ち味だとオイサンは思っているので。

まあ、基本の線を残して下されば、
作り手が色々楽しみながらやってもらえるのが一番なんですけどね。


 ▼終わりに。


『×SP』の前半戦だけ見終えてお湯を沸かしながら、
一つ、
フッと思ったことがあります。

第四期が制作されるきっかけを作ったイベント「ひだまり王決定戦」、
その景品として

  「王の言うコト(可能な限りで)なんでも聞く」

が設定された時点で、誰かが「四期を!」って言い出すであろうことは、
全然、想定の範囲内だと思うんですよね。
ていうか、誰が優勝したって言うと思うんですよ。

  コレを設定しちゃうのもすごい度胸……というか、
  作り手も受け手も、期を重ね、イベントを重ねて、
  お互い匙加減を理解してることを信じあえてるんだろうなあということが伺えるんだけども。
  「出来る範囲で無茶いえよコノヤロウ」って言う。

だって、考えてもみてご覧よ。
そこに立った人間は、そこに立つまでに、立つために、
『ひだまりスケッチ』を、
『×365』を、
『×☆☆☆』を、
『ひだまりらじお』を、
原作本買って、DVD買って、CD買って、
アホほど、繰り返し、見聞きしたに違いないんだもの。
大好きなんだよ、その人は。
「王になりてえ!」って思うくらい。
そしたらその過程で、
「……四期、やんねーのかなー……」
って思うよ。絶対だよ。
巧妙なワナだよ。
出来レースですよ、こんなもん。

  だって、なんだよ。
  「テリーが与えたダメージ」ってw
  答えられるか普通、そんなもんw

だからつまり、何が言いたいかって言うと……。

スタッフも、もしかしたら……
……四期に向かって背中を押して欲しかった……
んじゃないかなあと、ちょっと美し過ぎる妄想をしてしまいました。

「俺ら(スタッフ)は、『ひだまり』まだいけるんじゃないかと思うけど、
 ていうかいい加減、作れるモンなら次作りたいんだけど!
 ……上をさ。説得しないといけないのよね。
 オトナだから。
 『まだ需要ありますよ、稼げますよ!』って、証拠突きつけて。
 ……お前ら、『ひだまり』のこと、まだ好き? どれくらい好き?
 お金出せる? 時間かけられる?
 集まって、熱上げて、言える?
 お願いがなんでも叶いますよ、って時に、『ひだまりの四期をやってくれ!』って言える?
 ていうか、言ってくれ。
 あとは任せた」

……試されたんじゃないかなあ、と思う。
悪い意味ではなくね。
お尋ね申し上げられた、と言ってもいいけど。
ほんとオトナってずるいw

いや、まあ、ホントにもうね。
ただのブ熱い妄想でしかないんだけど。
オイサンはきっと『ひだまり』も、スタッフも、
キャストもウメスもひだまらーもなんか大好きなので、
そういう気持ちの良いモノにアタマの中で仕立て上げてしまってるだけなんだけど。

  だってもうこのオジサン、
  書きながら泣きそうになってますからね。
  ママあのおじちゃん泣いてるキモーイ。
  これ、指差すんじゃありませんホントダキモーイ。

マそこまで美しいばかりではないにしても、
そういう部分も、あったんじゃないのかなあ。


 「言うんじゃないですかね?」
 「言う……だろうねえ」
 「言ったらどうしますw?」
 「困ったねえwww」


くらいの話は、多分。
そこをマッタク想定してなかったとしたら、
それは寧ろ、ただの迂闊な人の集まりだと思いますけどねw

 「……はー。やっぱきたかー」
 「きちゃいましたねえ」
 「きたねえ」
 「きましたね」
 「……」
 「……」

 「……」
 「どうします?」
 「どうしようか?」
 「どうしましょう」

 「……」
 「……」

 「……とりあえずさ」
 「はい」
 「ちょっと資料、作っといてくれる? 上に持ってってみるから」
 「あw はいww」

みたいなね。
いいじゃんいいじゃん。

……に、してもなー。
不思議だなーと思うんすよ。

あのね、言ってしまうと、
「ゼッタイに見ないハズ」だったアニメなんすよ。
『ひだまりスケッチ』なんて。2007年1月当時。

だって、「まんがタイムきららCarat」とか、
なんかフワフワかわいい感じのお手軽な4コママンガばっか集めた雑誌でしょ?
って思ってた当時のオイサンが、読むわけないもの。

あの頃、確か『ARIA』とか『スケッチブック』とか、
「ぽわっ」としてることばかりを売りにした、
……なんつーかなー。
ハピネスとキレイ、キラキラした哀しみとのんびりばかりを売り物にした作品が溢れていて、
「これもそんなんの仲間でしょ?」
って思ってましたから。

  いまだにあの辺は、少し苦手だったり致します。
  偏見なのでしょうし、
  あの辺と「この辺」がどう違うのかと言われたらそれもまた難しく、
  多分いくらか慣れもあって、
  今現在オイサンが楽しんで見ている「あの辺」に近い作品群と、
  当時の「あの辺」の作品群とは、もう大した差はないのかもしれませんが。

ほんっと、たまたまだもの。
当時まだビデオデッキだったけど、とりあえず次期のアニメをのべつ幕なし
予約につっこんで、多分そのときも
「『ひだまりすけっち』ぃ? なんだそりゃ?」
って、出所も、絵柄も見ないで、ホントぶちこんだだけのはずですもん。
見るまで知らなかったのよ。

こんだにでー…… ← この辺で涙ぐむ
魅せらでるだんて、おぼわだいじゃだいですか。

ホントもう自分で全然イミわかんないんですけど。
好きっていうのがリクツじゃないと、つくづく実感する次第ですよ。
やーもー。
よくわかんないなあ。
恥ずかしいなあこういうの。 ← ホンマに恥ずかしい

まあそんな感じで、一応4期は来年には放映されることが決まったみたいですし、
それを楽しみに、日々頑張っていきたいと思います。



■その他、こまごました感想



『はがない』。
ものすごく面白いワケではないんだけども、
毎週必ず一回、オイサンのツボを突いて来てくれるので
ネタアニメとしては非常に気楽で優秀です。

  「こんな良いアヘ顔は、なぁーかなか描けませんやぉー!!」

……とかね。

作品のベクトルは全然ちがうけども、
優秀さと言う意味では前期の『ロウきゅーぶ』に通ずるものがあります。
マ世間ではその優秀さを「面白い」と呼ぶのでしょうけど。

このツボへのはまり具合は、
オイサンが完全に隣人部への入部資格を満たしていることの表れでもあるのでしょう。
自覚と無自覚、ヒクツと強がり、
その辺を、悪い方向でバランス良く備えていないといけない。

どうでもいいけど、小鷹の常識人ぶりと面倒見のよさは
『俺妹』の兄ちゃんに通じますね。
この二人は気が合うだろうな……。
この二人の座談会が見たいわw
そこにすばるんも強引に押し込んで、二人からリア充ぶりをなじられて欲しい。


あと、Wiiの新しい『ゼルダ』。
さわりの部分をちょっとだけいじりましたが。

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……いやー。
なんでしょう。
「好きな子」が欲しくなってしまいました。
『ゼルダ』の『ゼルダ』っぽいところとは全然関係ないんですけど。

今回のリンクもゼルダも、イマドキでない、ワリと濃い目の、
有体に言うと若干ブサイク気味のキャラクター造形なんですけども、
なんかこう……好き合ってる若い者同士が、近い場所で暮らしていて、
毎日顔を合わせる距離感とか、空気とか、温度とか。
そういうものが導入でジンワリ伝わってきて、
それだけですごく嬉しくなってしまった。

これから先はまた、剣を振り、バクダンを投げ、笛を吹く冒険が始まるのでしょうけど、
どちらかといえばこの二人の恋物語と活劇を楽しみにしたいなあと思わせる、
そんな導入でありましたよ。

結構つかまれましたね。
先が楽しみ……ですが、ゆっくりプレイできるのはいつのことやら



マそんな感じで一つ。
お待たせしているSSは……年内に上げられれば……と、
徐々に志が下がってきているオイサンでした。
頑張れオレ。



  

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2011年11月23日 (水)

■土砂災害 ~地質学者、三次方程式のエレジー -更新第731回-

「女性の、一体どんなところに魅力を感じますか?」
「焼きゴテ」
オイサンです。

別にMじゃないんですよ。
熱い風呂好きの江戸っ子爺さんをMって言いますか? 言いませんよね。
それと同じです。
違います。
いえ同じです。 ← 葛藤

同じシゴトバのいじられ役のヒトを見てると、
自分も影ではなんだかんだいじられてんだろうなー、
という冷ややかな気配を感じざるを得ない。
何故なら、彼がいじられるとき、自分にはそのいじられポイントが
いじられるに値する程、おかしなモノには見えないからだ。



本日はそんなお話。



そのいじられポイントを、
「言われてみればそういう捕まえ方もあるか」とは思うし、
ちょっとズレてるなーとは思うけども、
ズレてるなりに、地すべりを起こした先での理はあるよナー、とも思ってしまう。

そんな風に、自分にはそのズレはあくまでも「何かの側面」であって
それ以上の瑕疵が認められない……から、
何がそんなに可笑しいのかは実感として伝わらないし、
気付かされたところで上手に笑えるわけでもない。

  アレだ。
  以前ネタにした、「黒人が日傘を差していた話」。
  あれと同じ。

  ▼6月4日 随想・ツッコミどころ -更新第680回-
  http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/64-680--743e.html

  アレを面白いと思えるか、思えないか。
  様々な背景まで見通した上でそれでも笑いの方へ強引に突っ走れるか、
  気付いたところで手を打って引き返すのか。

恐らくは、いじる側が共通して既に心に用意している答えと、
そのズレとを比較する作業があって初めて
そこにはいじるに値する「価値」が生じるのだと思う。
だからオイサンはそこには上手く参加できないし、
どっちかといえば、いじられる側として参加する見込みの方が強いなと自分では思う。
それもあくまでも自分の視点だけど。

いじる側にはいじる側で、その地すべりに付き合うゆとりがないとか、
地すべりまで価値として認めてしまうと自分たち(=全体)の軸がブレるとか、
手間が増えるとか、
そこに比較対象を置かないとバランスがとれない……
自分たちの主張のロープのかけどころがない、
などといった事情があってそうなっているんだろうなあ、というのも、なんとなく分かる。

  まあそもそも、オイサンが
  「トシ相応の、日本の社会人男性」のメンタリティやセンスを共有出来ていない、
  という、根本的な欠陥はあるのですが。
  みんなそういうのはどーやって身につけんだろ。
  お酒やタバコやセックスと同じなんだろうけど。
  全く持って謎。

100%好ましくはないけど、単純に良い悪いの問題でもないのだろうと思う。
見る人が見たら、良いオトナのすることか、と眉を顰めるかもしれないけども、
お互いがその位置をある程度納得していさえすればメリットもある(ように見える)から、
マ慣れるしかないんだろうなー。

酒宴においては、その両者が同じ席で笑っていることがうすら寒かったりするんだけども、
その空気を空々しさだと読むのか、
あるいはその笑顔をこそ互いがある程度納得した姿、
「まあ、そうはいっても仲間じゃない」という、
色々譲った後の、実はそっちが最後のカタチだと理解するのかによって、
右辺の状態は変わってくるんだろうなあ。

左辺に空いたパラメータは自分でその場の空気を読み取って代入するしかないんで、
オイサンにはすごくムニャムニャした、
ちょっと恐ろしい空気にしか見えないんだけども。

そこで、宴席の端っこの方の人たちに「ジッサイどーなんすかね」と聞くのが手っ取り早いんだけども、
全員に尋ねて結果を四象限に再配置でもしてみんことには真実には近付けないし、
真実を得たところで何かが変わる、回避されるわけでもない。

  案外、真実には実際的な価値ってそんななかったりしますよね。
  それが湿気を吸ったり煤けたりして、ようやく地面に降りてくる、
  そんな気がします。

一番いいのは、なれること、開き直ること、引き受けること、くらいなのでしょう。
そんな風に考えてる時点で、上手な立ち回りなんか期待できるわけはないんだ。
自分に。


オイサンでした。


 

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2011年11月20日 (日)

■18 years After -更新第730回-

オイサンです。



R0045912
コハク色の満月……


今週は……いやあ、書けることがないなあ。
働いてばかりいたような……あ、一個あった。



■骨折りフレンドのバラード



Twitterで、偶然、高校時代の友人を見つけまして。
リプを送ったところ、ありがたいことに怪しまれもせず
(向こうでは盛大に怪しんでたかもしれませんが)
お返事を戴けまして、チョイと昔を懐かしんだりいたしました。

  まあそのやりとりをしたのも、
  結局オシゴトで帰れずとったビジネスホテルの中だったりしたのですが。
  それもまた楽しきことよ。

マ偶然つうか、その友人とよく似た名前のマンガ家さんがおられまして、
その字面に懐かしさを覚えて検索してみたところ、
首尾よく彼のTwitterアカウントが見つかった、というだけなんですけどね。
偶然でもなんでもねえ……ってことはないか。
偶然半分ですね。

高校時代のオイサンはバリバリの文系で(つって今もそうだけど。オシゴト以外は)、
彼は理系でしたから、
高校2年……いや、3年だったかな? からはクラスが分かれていた筈ですが、
1年の時に、別段全然家も近くないのですが、
似たような時間に学校のある最寄駅に着いていたもので(電車通学でしたよ)、
駅から学校までの15分あまり、朝一緒に歩いて登校していたのでした。

それがどのくらい続いていたのか……それも正直、定かには憶えておりません。
でもほとんど3年間ずーっとだったんじゃないのかなあ。
帰りはマチマチだったような気がする。

お互い、あまりクチが良い方ではなかったのですが、
ケンカをする様なこともなく、というか、
火種になるほどこだわりのある共通の話題がなかったんでしょうね。




  ……なんだか、奇妙な友人関係であったように思います。




教室ではよく話もしますが、昼休み等に遊ぶほどではなく、
休みに一緒に出掛けるかと言えばそんなこともない。

  マそもそもオイサンが休みの日に出掛けるなんてとんでもない!
  という、当時は人種でしたんで。

一度だけ、彼の家に遊びに行った記憶があります。
何をしたかもやっぱりよくは憶えていないのですが、
結構大きくてきれいな、お金持ちくさい家だったような……気はする。
それも嘘かも。
誰か、他の友達ひとりと一緒に行ったはずだけど、それが誰だったかも忘れてしまいました。

  誰だっけなあ?
  マツ? 陛下?  ← いずれも友達のあだ名


まあそんなことで、お世辞にも世間的な「親しい友人」とは表し難い関係であるような気も、
客観的な自分の目で見るとするのですが……
でも、でもですね、気持ちの上では、彼のコトは、
オイサン自身は高校時代の最も親しい友人のうちの一人だと、
やっぱり今考えても思うのです。

何か特別なことを共有した、
支えあった、競い合った、分かち合った、
ほんっと、全っ然、なんもない。
学校の行き帰り、何を話した?
憶えてない。
たった二つ、

  「『動物のお医者さん』ってマンガが面白いぞ」
  「『ご苦労さま』は目下に使う言葉で、『お疲れ様』が目上に使う言葉だ」

それだけです。
憶えてるの。なんだそれ。

  ……彼はこのブログもチラッと覗いてたみたいなので、
  コレ読んだらショック受けるかもな。
  でもそうなんだもん。

  

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ほーんと、何話したっけー。まいいやー。
そんな関係の我々なんですが、
オイサンはやっぱり彼のことを、高校時代の友人関係の中でも
十本の指に入る特別な存在だと思いますし、
その日、メールでほんのちょっと話しただけでも、彼もにたよーなことを言ってくれました。
ありがたいことに。

リプを送って、なんとなく感付いて下すってもいたようですし。
多分、ブログを見た後だろうけど。
それでも、アタリがつく程度には憶えててくれたってことで。

以前、『はがない』の感想のところでチョロっと書きましたけど、
「どんなに近しい関係にあったって、お互い友達と思えないモンは友達にはなれない」
っていう、アレの逆なんでしょうね。
なんもなくても友達は友達だし、憶えてるモンは憶えてる。
ただまあ、時間だけでも共有するってのは大事なことだな、とは思います。
動物ですからね。
そんなもんだと思いますよ。


 ▼鈴鳴り柿の平熱~今期四傑アニメのプチ感想とか
 http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/-724--56f7.html




そんなこんなで、18年。



18年、彼とはお会いしていないことになるんですが、
これまたありがたいことに、今住んでる場所が、近い。
全然オイサンの行動テリトリー内でした。
びっくりするわ。

そんなんなので、マ今しばらくはオイサンも大忙しなので無理ですが、
彼もお忙しそうですし(なんならご家庭もおありでしょうし)、
時間を見つけて、会いに行きたいなあと思っています。

そんで、一体俺らはなんなんだろうねえ、という話で、
18年間引き貯めたカードをチマチマ切って、
うすぼんやりと盛り上がってまいりたいなあと思います。

いや、楽しみだなあ。
ケンカになんなきゃいいけどね。


マそんな感じで……っていうか、そんなことしかホント書けることなかったよ。
気になる記事なんかはあったんですけどねー。

あ、そうそう、『超光速ニュートリノ』さんは
やっぱり追っかけ検証やってたみたいですね。
当たり前だけど。

  ▼ニュートリノ、再実験でも光より速い
  http://www.cnn.co.jp/fringe/30004648.html

ふっふっふ、面白そうじゃないか。
どんなことが起こるかな?
それいけイッシッシッシお楽しみ!



そういや名古屋には、ニコちゃん大王いなかったな。似たようなのは見かけたけど。


ピーッピッピプペポ、オイサンでした。

下書き推敲なしのぶっつけ記事ー。



 

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2011年11月16日 (水)

■無呼吸・深呼吸 -更新第729回-

輪廻転生をすると徳を積んで高位の生き物になると言われますが、
最初の方で大豆とかに生まれると、
一生で積める徳は少なそうですが周回速度だけはグルグルと早そうです。
「自分は一体、大豆ラップを何周くらいしたんだろうなあ」
などと、お昼ゴハンにおいしい味噌汁を食べながら

「来世は味噌になりたい」

とウッカリ思ったイキオイで考えます。


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しかし、アレですね。
「人間 > 大豆」
と決め付けている時点で驕りが見られますな。
いけません。
不浄の人間を繰り返して、ようやく一粒の大豆になれる……
そんな理もあるかもしれませぬ。





  思惟とは、まこと豊かな時間ですね……(貴音さん調)。





マそんなカンジで、
お脳の調子が良い時ほど気が散って仕方ありません。
オイサンです(ここまでマクラ)。

何故ならばオイサンの脳の主幹機能は「いらんコトを考える」なので、
調子の良さに比例して「いらんコト」の処理にさかれる比率が増大するためです。

 


  絢  辻「ねえ。それって、調子が悪いのとどう違うの?」


  オイサン「
え?

 
 

……絢辻さんの言葉はいつも焼きゴテのようです。
絢辻さんの抱擁も焼きゴテのようです。



……。



じゃあもう焼きゴテでよくね? (じゅー



それはサテおき(ヒリヒリ)、
オシゴトをしていると思うのですが、
大人は本当に、息をするようにウソをつきますね。

大きいものはそれなりに深呼吸ですが、
小さいものだと、それはもうホンマにスハスハと。

今出たくない、(自分の都合的に)出るべきでない電話には
「今日は一日いないって言って!」
って、それだって立派なウソですが、
皆さん当たり前のように使いこなしますからね。

  学生の時分だと、出たくない電話をスルーするにも
  それなりの罪悪感くらいはあったように思うのですが。

  「うそは駄目だけど、大袈裟に言うのは良い」とかっていう、
  たまにヘタなビジネス書とかに書いてそうなアレ、
  ああいうのもオイサン得意じゃありませんでしてねー。
  うわー詭弁だー欺瞞だーカックイーと思って、もうワクワクしてしまいます。
  往生際悪いなーウソついてんだぜ! っていう顔で堂々としてればいいのに。
  マそこで認めてしまってると、イザなにかあった時に
  知らん顔出来なかったりするんでしょうから、最後の防衛線なんでしょうけどね。
  それもどーなんよ。

この先の話は難しくなるのですが、
今、話を「それが悪いことだは言いませんが」と繋げようとして、
本当に悪いコトじゃないのかなあ? と思ったりも致します。
「当たり前の(ように横行している)こと」ですし、
「(主観的に見れば)必要なこと」ですし、
「それをやらないとキリがない」のも確かですけども。

「罪悪感がないことが問題だ」と書こうとしても、
そんな小さなことに罪悪感なんか感じていたらそれこそ身が持たない、
という話にしかなりません。

ウソつかないと体がもたないように組みあがっている世の中がまずいのか?
……ともっていくにしても、実は案外悪いコトでもなくて、
そのズルさ・曖昧さをクッションとして
そもそも世界が成り立っているのかも、という気もする。

擬態とか死んだフリは、
野生の生き物でも身を守るためにやることですものね。
「ウソをつくことが悪いコト」という人間の倫理観のようなものの方こそ、
どっちかといえば、不自然で、不義のものであるのかも知れん、
という風にさえ思えます。
ヒトの倫理に照らし合わせてそれが誠実であるかどうかは別として。

  マ自然界の生き物が、
  個体として抜きん出るために同族に対してそれをやるか?
  と問われたら……多分、やらないでしょうけどね。
  それをやるのは、猿とか人間とか、小賢しい連中だけかもしれない。

マ人の世で生きていく限り、人の倫理に誠実である必要があると思うので、
「嘘をついている」ということを少なくとも忘れないようにしておいた方が、
何かと良い様な気は致しますわね。

……などと、
エライひとがメンドクサイ電話をスルーするのを聞いていて、
フと考えた週始めの朝でした。

こゆことばっか考えてるから、
なかなか立派な社会人になれないんですよねえ。
エラくなれない。
マ駆け引きとか苦手だし、メンドクサイですからねー。
無くなれば良いのに。

そんなこんなで、今日もまた。
根も葉もない話を、浅知恵総動員で深く深く、根掘り葉掘り考える
オイサンでした。


あとには何も残りゃあしねえ、
せいぜい落語だよ八つぁん。


 

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2011年11月13日 (日)

■寄る辺無き旅路の涯てに。~四方山日記 -更新第728回-

アニメBDがついたPS3版の『アイマス2』を買ったものの、
まだ家にPS3がありません。

オイサンです。

いよいよもってお忙しくなり、週イチ更新がやっとになります。
来週、再来週はそれも危ないかもなー……。
皆さん、更新なくてもたまには遊びに来てくださいね……。

いや、『アイマス2』はやりたいのよ。
貴音さんがどんな人なのか興味があるから。
けどPS3を、買うのはまあいいとして、
置き場所をこしらえて、繋いで、またなんか……あるんでしょ?
アップデートとか、ナントカのダウンロードとか。
そういうコマゴマしたことを乗り越えて、
ってやる時間が今はちょっとない。


……。


ことは、貴音さんのストーリーを追えさえすればよいのだから、
……。
箱○版、買うか?(マテ

とまあ、冗談めかして申し上げてますが、
かなりホンキなオイサンでした。

でも、貴音さんをリーダーに据えるのだとしたら
あと二人のメンバーを誰にするべきですかね。
あまりシステムをキチンと理解していなくて、
とりあえず貴音さんをメンバーに入れてアプローチかけていけばいいだろ、
と思ってたんですが、リーダーにしないとその人のお話に入らないっぽいので。
困ってしまった。

だって今のオイサンのイメージでは、
貴音さんはリーダーって感じじゃなかったんだもの。
ミドレンジャー的な位置の人かなーって。
リーダーにはやっぱりポジティブな元気者を置いて、
ひとり頭脳派補佐官を置いて、最後にトリックスターとして貴音さんかな、と。
さーて、どうしましょうね。

  ……と、ここまで考えていて、PSの『エターナルメロディ』を思い出した。
  あれも、それぞれ得意分野の違う9人のヒロインから3人選んで
  パーティを組む、っていうゲームでしたね。
  あっちはファンタジーもので、肉弾系か攻撃魔法系か回復魔法系か、
  っていう区分けでしたけど。
  しかも
  「選ばなかった6人はライバルパーティにスカウトされて敵方に回る」
  (自分チーム3人、おてんば王女チームと魔族チームにそれぞれ3人ずつ)、
  というシステムが、とてもありそうでなかった、
  誰でも思いつきそうで実現した作品はなかった、
  つまり、夢と憧れをかなえてくれたゲームでした。
  ダンジョンで会うとバトルになったりしますからね。
  面白かったんです。

  演出や読み込みのせいでテンポが悪く、
  目押しとかバランスとか、ゲーム性も手放しで褒められたものではありませんでしたが、
  根幹部分はとてもよく練られた、すばらしいゲームだったと思います。
  やっぱ、PS中期のシステムドタバタ系ゲームは野心的でいいねえ。

『エタメロ』、アニメ化しないかなあ。
題材としては結構適してると思うんだけど。
ドラマが作りやすいと思うんですよね。

▼『エターナルメロディ』PS版ED 夢見る力



すっかり『エタメロ』の話になっちゃいましたよ。
これだからお年寄りは。ヨボヨボ。



■運転手は君だ。車掌も君だ。


 ▼地雷を踏む勇気 [ 琥珀色の戯事 ]
 http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20111108#p1

以前当blogでも、
『人生の諸問題』という日経ビジネスオンラインで連載されている
対談記事をご紹介したことがありましたが、
その対談のおひと方でいらっしゃいます
小田嶋さんの単独コラムを書籍化した、その本の書評です。

  ちょっとオッサンくさい話題が多いので、
  お若い方にはまだまだ響かんハナシが多いかもですが。

記事前半で取り上げられている「原発マッチョ」について触れた記事は
オイサンも記事をリアルタイムに読んでおりまして、
「うおスゲエ視点をすげえパンチの利いた言葉で書いてんな!」
とノックアウト気味にやられながら読みました。
全文、一読の価値はありです。
いや面白い。

  なかなか言えませんよね、「原子力つえー」w
  でも、やっぱ賛否両論あったんですね。
  さもありなん。

デ後半の、飲酒のハナシについては読んでいませんが、
この中で一つ、オイサンの心に引っかかるくだりがありました。


 「私が酒を飲んだのは、それが必要だったからだ。
  もう少し厳密な言い方をすると、私は、自分には酒が必要だと思い込んでいた。
  (中略)
  けれども、その一方で、酒は、色々なものの入り口になり、
  様々な体験の呼び水になってくれてもいた。

  その意味で、酒は、私と外界をつなぐインターフェースでもあったわけだ(後略)」



この、小田嶋氏とはお酒との関係は……
オイサンとTVゲームの関係に極めて近いものがあるなあ、と、
読んでいてもう、一直線に思いました。

オイサンが、自分と縁のない新しい世界に興味を持つ場合、
そこにはかなりの高確率でTVゲームが関わっています。

北海道好き、しかり。
『北へ。DiamondDust』なしに、オイサンのようなヘタレのめんどくさがりが
北海道旅行なんて企てるわけがない。

減量、しかり。
その関係こそ直截的ではないにせよ、『アマガミ』に出会わなければ、
オイサンの体重が3ケタを切ることなんてこの先一生なかったでしょう。
そして肥満が続いていれば、オイサンの寿命は5年10年、短かったに違いない。
すごいぞ。

お酒、しかり。
別に今でもガバガバ飲むワケじゃないですけども、
一人でいるときに飲もうだなんて思わなかったに違いない。
『ドリクラ』をやっていなければ、
そして、『アマガミ』を通じてたくさんの人と触れ合う機会を得なければ、
お酒を美味しい、楽しいとは思わなかったでしょう。

おとーさん・おかーさんを大事にしようと強く思ったり、
「年老いていく」ということ、
その気持ちを慮るようになったのは、
『俺の屍を越えてゆけ』があったからです。
そしてその明確なメッセージを語る作り手の話を聞いたからです。

ほかにもいくらかありましょう。

そしてその、……困ったことに、
その「憧れの窓」がモニターを通してしか開いていないことも、
このコラムに書かれている通りなのです、オイサンは。

他者の存在、文芸、映画、音楽、絵画。
そして、ゲーム同様にオイサンが愛しているアニメやマンガにおいてさえ、
オイサンを別世界に誘うほどの力を持ったものは、ない。
ゲームだけです。

  イヤ、そりゃ、
  ダリアンがスコーン食ってんの見てうまそうだなくらいは思いますよ。
  ダリアンかわいいよダリアン。
  あ、どうでもいいですけど、最近サワシロさんホント大活躍ですね。
  出過ぎじゃね?

それはつまり、TVゲーム依存症……なのかしらん。

確かに、ロクにゲームに触れられず、
また触れても深くまで立ち入ることの出来なかった
2006年頃から2009年の3月18日まで( ← 明確!)のオイサンといったら
もう無気力の125ccクラス世界チャンピオンみたいなもんでした(中途半端)。

  その間に北海道に5回も6回も行く人間を無気力と呼ぶのか知りませんが(マテ)、
  でもそれも惰性みたいなもんだったんですよ。
  本当に。
  あまりに本来の力が湧かないから、
  どうにかしよう、新しい活力を得ようとあがいていた時期です。

  新しくカメラを買い、新しい場所に出かけて、
  何か道が開ければ、この先の道行きが少しでも楽しく、生活にハリが出ればと、
  本当に困っていた時期でした。
  ……ていうか、困ることも諦めていたような時期で。

  だって、モノ書く気力がなかったんだもんな。
  知ってます? このblogのタイトル。
  『ゆび先はもう一つの心臓』って言うんですよ?

その頃に出た『キミキス』『ペルソナ3』が、
うまく心に響いてくれなかったのが痛かったです。
頼りにしていたシリーズなのに「こいつらナンか違うな」と、
当時、ずーっと思っていました。

そう、「頼りにしてた」んですよね。
ゲームを。
自分のペダルを漕いでくれるものは、やっぱりゲームなんですよ。
「毎日ゲームがなければ、触れていなければ、
 日々をやりすごすこともおぼつかない!!」
……とまではいかないので依存とまではいかないでしょうけれども、
それでも、日々の大切な片輪を預けていることは、否定出来ないように思います。

何か一つの新しく感動出来る作品に出会えれば、
それを燃料にしばらくは前へ進むことが出来ます。
けれどもそれはやがて少しずつ、磨り減ったり、
変化を終えて自分の中でしっとりと落ち着いたものになってしまったりしてしまって、
燃料としては用をなさなくなる。

  決して、飽きたり、消えたりということはしないんです。
  かつて推進燃料となったパワーある作品群は、
  いつ見ても自分を奮い立たせてくれる。
  けれどもそれはあくまでもカンフル剤のようなもので、
  新しい扉を開いたり、長期間にわたって自分をドライブしたりはしてくれないものへと
  変質するのです。

でも、本当に自分で立ち上がる気力もなく、
その手がかり足がかりもないとき、
あるかもしれないけどそれを見失ってしまうときというのは、
人にはあると思うのですが……
それでもどうにか一人で立ち上がることの出来る人というのもいるのでしょうけれど。



 「それでもガマンだ!
  男は自分のモノサシを杖にして、
  泣きながら強くなってかなきゃなんねえんだよ!!」




とは、富士鷹ジュビロ先生の名著、『月光条例』の主人公・ゲッコーの台詞ですが……。
何か、何か、何か。
自分を支える自分以外の何かが、半ば自分の一部になりながらも、
やはりあるモンなんじゃないかと思いますがね。

  

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マそんなことで、
なんかちょっとハナシが違う方向にいってしまいましたが。

  「だからアル中でもいいんだ!」なんて言いませんよ。
  キチンとお医者さんに通って治してもらって下さい?

アルコール依存の方が一体どんな気持ちでお酒を摂取するのか分からないので、
本当のところ、病的な意味での依存がどんなものかは分からず、
今の自分がそこから無理にでも脱しよう、
切り離そうとすることが必要なのかどうかもわかりませんけれども。

次にへこんだときには、
いよいよ自分だけの力で自分を奮い立たせないとならないのかと、
そんな気もしているオイサン(36)でありますよ。

  ……ところで、「アルコール依存症」と「アルコール中毒」は違うんですよね?
  「ニコチン中毒」とは言うけど、「ニコチン依存症」とは言わないもんなあ。

オイサンが忘れてはいかんことは、
「新しい分野のゲームに手を出すときだけは、ゲームは助けてくれない」
ということですかね。
今まで主にやってきたジャンルのゲームでは満足いかなくなったとか、
一時的に飽きたとか、
そういう時には新しい分野へ自分から行くほかない。
「面白そうじゃん?」とね。
他のことへも、そのくらい軽やかに手を出せれば良いかなあとは思いますが。

自分とは微妙に合わない形の歯車と無理にでもがっちゃんがっちゃんやることで、
回転のスピードとか周期とかに変化が起こって
飽きずに時間を過ごしていけるのかもしれませんな。

多分、人間、もともとはそういう風な仕組みに出来ているのを、
そういう仕組みを拒否する選択も出来るように世の中がなってしまって
(多分、ホントはそれ自体が良くないのだろうケド)、
オイサンみたいに変化のストレスに弱いのがそういう選択をするから
どっかで何かが停滞しているのかも知れませんな。

なんか話にまとまりがありませんが、
オイサンは、自らの変化の舵取りと推進力を、TVゲームにほぼ丸預けしている、
というお話ですよ。

皆さんは、変わろうとして、自分の意志と力で変われますかね。



■『ラストエグザイル』が急激ストップ高



変化、と言えば。

2011年も10月期に入ってふた月近く経とうとしておりますが、
アニメの話をしてもここまで殆ど触れてこなかった
『ラストエグザイル~銀翼のファム』が、オイサンの中で急激に株を上げております。
1話目だけを見て、3話目くらいまで貯めてたのを夜中の気まぐれに一気見したんですけど、
いや、面白いワ。これも。
どーしましょ。

この作品の前身に当たる『ラストエグザイル』は、
オイサン一話目こそべた褒めしたものの途中で飽きてしまって
最後どうなったのか存じ上げないのですけれども、ちょっと追いかけたくなった次第。

作品の詳細は公式ページでも読んでみて下さい。


  ▼ラストエグザイル~銀翼のファム
  http://www.lastexile-fam.com/


お話は、日常系ではなくドラマ性のSFファンタジー活劇みたいなんですが、
偏に主人公ヒロイン・ファムの勢いの良さ、痛快さ、
相方ジゼル(♀)の控えめで理知的な魅力、
お姫様ミリアの健気さというキャラクターの魅力だけで見ている感じ。

  あ、あと青年ディーオの謎めいた気持ちよさね。
  野田順子さんの声はこういうとき耳に心地よいなー。

ちょっと百合百合しさもありつつ、女の子同士の男っぽい友情が、
中性的なの好き系属性の弱点・アンドロ袋をクリーンヒットです。
さあ、いよいよ何を言ってるのか分からなくなって参りました。

▼ラストエグザイル-銀翼のファム- OP



快活女子のかぼちゃパンツガーターベルト、
理知系オタク女子の全裸、
強がりお姫様の震える膝


……のいずれかお好きな方は是非どうぞ……ムッ、
アクセスログに"agunesu"の名が。

そんな特殊性癖話はともかく。

「変化」というキーワードからこの話題になだれ込んだわけですが、この作品、
お話はお姫様ミリアの母国が悪の(?)巨大帝国に占拠されるところから始まり、
空賊のヒロイン・ファムがその奪還に力を貸すという、
わりかしオーソドックスな「盗賊とお姫様」がモチーフとなっております。

で、ミリアがファムのアジトに連れてこられたときに、
国を取り戻すために、ここに馴染もう、自分は変わろう、という姿勢が、
至極健気に描かれておりまして……
変わることが苦手なオイサンは、なんだかいたく心を打たれてしまったのでした。

  いえね、別段この作品が、
  そういう描写を格別丁寧にやっていたわけではないんだと思います。
  多分ね、ふつう。
  ただオイサンの心の波長が、いい感じにキャッチしてしまっただけです。
  その辺はなんとなく自覚がある。

そういう描写もなかなか、
上で描いたような萌え要素も十分、
空戦アクションやメカニクスを含めた世界観も見応えがある作品なので、
えー、ぜひですね。
かぼちゃパンツガーターベルトがお好きな方は(そこなのか)お見逃しのないように。



■Closing~ちきりんさんの年金の話から四方山に。



マそんなことで、話もシメに入ろうかとは思うんですけど。
最後にまたちょっと、変化、というキーワードのお話の続きと言えば続きですけど。


 ▼「100年安心年金」なんて超不要! [ Chikirinの日記 ]
 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20111109


確かに100年は長すぎるなあ。
ドラクエで言っても、
竜王が倒れてからハーゴンが出るくらいの時間があるわけですからね。

10年だったらどうだろう。

この10年、2001年から2011年の10年は
比較的予測のしやすい10年だったんではないかとは思う。
世の中の風景の変化として。

  でもその予測のしやすさって、
  つまりは「停滞しているからこそ」のしやすさなのよね多分。
  劇的な変化を迎えるに至らなかったし、
  迎えないであろうということが分かるから予測も出来る。

  この先10年も多分同じかしら。
  テクノロジー的にはロボットがもう少し一般化したり、
  宇宙時代に入ったりっていうのはあるのではなかろうか。
  まだフツーの人がフツーに宇宙に行ったりは出来ないでしょうけど。

でもその前の10年、1991年~2001年は難しかったろうし、
切り取り方を変えて、1993年~2003年てのは多分もっと難しかったでしょう。
プレステもない世の中から、携帯電話、Webが当たり前になっている世の中への変化。
これは多分難易度が高い。

マ時代が進むにつれて、オイサンも大人になり、
情報インフラも変わっているので
それによる予測のしやすさもあるでしょう。

  ……しかしそう考えると、『ドラクエ』世界の進歩は遅すぎる気がするな。
  薬草は量産が効くようになったのか安くなってるし、
  魔法学みたいなものも発展はしているみたいだけど。
  ベギラマが複数に効く様に改良されたり、
  イオナズンが発明されたり、ベホマが発明されたり。
  マその辺は、『Ⅲ』からの関連を考えると
  過去にあったものが発掘されただけなんだろうけども。

現実世界での変化の加速ぶりは、
やはり道具……コンピュータの導入によって、
処理そのものが加速したこともさながら、
自動処理やら並列処理が出来るようになったからこその
2000年代に入ってからの進歩の速さが有るんだろうなあ、
と思うとやっぱコンピュータさんはおスゴイですね。
悪魔の道具だ。

電話やエンジン、飛行機なんかが発明されてからの何年かしばらくも、
さぞや世の中の風景がめまぐるしくかわったことでありましょうね。
それを考えると、変化というものは

 変化が急激な早い時代
  → 前時代の変化の惰性を使った巡航の時代・変化がゆっくり
   → 変化が急激な早い時代

の繰り返しなのかもですね。
早い時代は短く、ゆっくりな時代は長い。

そうして当面の世界には、何かプラスの意味での新しさは望めない様な気がするのですけども、
本当は、他にも気になること、書きたいと思うことはたくさんあるんですよ。
TPPのこととか、
その騒ぎの蓑に隠れて原発どうなってんだとか、
ギリシャとイタリアがやべえとか、
年末にかけて千葉県沖地震が、兆候だけなのに警告が出されてて、
3.11後だからナーバスになってるのかもしれないけど
そんな警告を出すくらいだから相当確率の高い話なんだろうなとか、
オリンパスの問題とか、
超光速ニュートリノ騒ぎはその後どうなったんだろうとか。
気になることはいくらでもあるんです。
例によって、詳細な正しさは分からない話ばかりなんですけど。
でも、どれもあんまりイイ話はないんですよねえ。

  あ、ちなみに巨人の人事騒ぎの話は興味ないです。
  どうでもいいけど『超光速ニュートリノ』ってどっかのギャルゲーみたいだな。

趣味の周りの話とかもね。
PSPの『ロウきゅーぶ!』に『俺屍』、Wiiの『ゼルダ』。
で『アイマス』。
カメラでは、CanonのS100も良さゲだし、富士のX10もいいなあと思ってます。
XZ-1はちょっと魅力を失ってきたかな。

けどまあ、ここで言えることなんて趣味のことくらいなんですけどね。
上の方の、難しいコトは自分では何も言えない。
せいぜい、それについて語られている記事をご紹介する位です。

こうして俯瞰してみると、
「マクロの不安要素しか見えない現状を、
 ミクロの楽しい話題でなんとか相殺するというか目を瞑ろう」
みたいな状況ですね。

超光速ニュートリノは、どちらかといえば「明るい」話題だと思って
気にしてるんですけどね。
だって、色んなことの科学的根拠のさらに根っ子ンところが新しくなろうかってんでしょう?
それは……ときめきだよねえ。

  ちがう? 短絡的過ぎる? なんか実はコレもっとヤバイこと?
  分からずに言ってますけども。
  影響はデカいでしょうけど、その影響はデカいほど良い影響だと思ってます。
  エライひと頑張れ。

なんかこう、ねえ。
エポックで明るい話題はないかしら。
海底からアトランティスが、アホほどでかい大森林を抱えて浮上してきて、
新しい資源は湧いてくるわ温暖化は解消されるわ、
世界中でゴールドラッシュみたいなことにならんかね。
今日から地球2.0開始でーす!! みたいな。

  マそんなことになったら普通に、新大陸の覇を争って戦争になると思うけど。
  隣の国とかまた、むっちゃくちゃなこと言い出すんだろうなあ。
  ……え?
  そんなモン両隣に決まってんでしょうよどっちかじゃないよどっちもだよw
  どっちのお隣さんも無茶言うの超うまいじゃないですか。

どうでもいいけどオイサンの言ってることはもう、アレだな。
完全にアホだなw
四十近いオトナの言うこっちゃねえよww
もっと現実的なこと言えってのね。

現実的なこと考えると死ぬしかなくなりそうなのでこうなってるんだけどさ。
今語られてる希望論は、大抵なんかもう逆を行くしかないところから出てきた
こじ付けみたいな話ばっかりだから、わりとウンザリでねー。

  こうとらえればチャンスだ、みたいなことで。
  そういう物言いが必要だというのもワカランではないですけど。
  逆に見苦しいというか……開き直れていない分、
  現状の苦しさを後押ししかしないみたいで、
  言い方とタイミングをもう少し考えてもらいたい。

けど、まあ、アレです。
こんな状況でも、地道に顕微鏡を覗いたり望遠鏡を覗いたりしている人たちは、
偉いなあ、辛抱強いなあと、本当に感心するばかりです。
自然科学の分野では新しいものが色々見つかったりはしているみたいですし。

  遠くの宇宙で星がどうしたとか、
  ヒトが幸福を感じる時の物質がこうしたとか。

そういう研究者たちにも焦りのようなものが無いワケでもなかろうに、
それでもそうやって、Excelのマス目を一個一個ツブしていくことでしか
前には進めないことを知っているんでしょうね、彼らは。

その精神力は素直にすごいと思います。
みんなも、そういう人たちに感謝した方がいいぞ。


マそんな感じで、あの、まとまりのない話ですみませんね。
一週間かけてぽちぽち拾ってた話題を繋げている感じですので、
ご容赦。

今日は最寄りの駅前で、創作小物のバザーみたいなのをやってまして、
気に入っちゃったので買ってしまいましたかわいいがま口。
独り身アラフォー親父の持つもんじゃないけどね。
でもいいの。
心は乙女だから。


R0045880


『アイマス』貴音さん回の第19話がとても良くてご満悦のオイサンでした。

一応機を見て更新するつもりではありますけれども、
マ皆さん、来週までお元気で。

Soon I Return to the MOON .
Fly me to the EARTH .


▼笠原弘子 かぐや姫は地球を見て泣く




SSはあともう少しだ!
ホンマにもう少しなんや!



 

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2011年11月 6日 (日)

■道標 -更新第727回-

いつの間にかTOKYOMXが受信出来るようになってたので、
前期に人気の声を聴きながらも見られなかった『TIGER & BUNNY』を見てます。
オイサンです。


R0045779x
ファインダーというか、カメラのレンズを通して物を見ている時間は
ゆっくりに感じて落ち着きます。透明感と立体感。




■遅まきながらの『TIGER & BUNNY』




面白いじゃないの。
じわじわくるというか。
まだ4話目か5話目かその辺ですが、今の所、いわゆる「普通に面白い」という感じですね。
肉じゃがみたいな面白さです。

▼OP オリオンをなぞる

しかし、「言葉を紡ぐ」って表現は、いつからこんなに濫用されるようになったんですかね。
オイサンあんま好きじゃないんだけどな。昔から一般的なものだったのだろうか?


丁寧で、当たり前で、王道。
特別な感情がわきあがるわけでなく、
疲れずに、当たり前のことを当たり前に見ることが出来る。
オシゴトからくたびれて帰って来ても、
「ん、なんか録画されてる。
 ああ、『TIGER & BUNNY』か、それなら見られるわ、見よう」
と、まだ思える。
『HEROMAN』に近いものがありますね。
ゴールデンにでもやりゃあいいのに、こんなもん。
子供に見せろ!
『ウラシマン』ぽいですよね。ちょっと。

ただ、終盤になると結構な盛り上がりを見せていたようなので、
このまま「普通に」では終わらないのでしょう、恐らく。
楽しみです。

他でも何だかんだ見てるけど、これと『たまゆら』、
あと『WORKING!!』があれば結構イイ感じ。
次いで『アイマス』『はがない』『イカ』ですかね。

『ホライゾン』『真剣恋』『ベントー』『マケン姫』はオマケ。
『Fate』はそのスジの人たちにはもう鼻血が出るくらい面白がられているようですが
オイサンには縁がない感じです。



■またソーシャルげな話でアレですけども



あー、やっぱ似た様な感想・発想にをたどり着くもんなんだなあ、
という記事二編。

 ▼ソーシャルゲームの未来 ~ソーシャルと家庭用ゲーム機は融合する!~
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20111018/223293/
 [ 日経ビジネス ]

 ▼ゲームもマンガやアニメのように「複数巻構成」にすべき?
 http://gadget.itmedia.co.jp/gg/articles/1111/02/news035.html
 [ ITmedia ]


上の記事は
「作り手との意識しては、ソーシャルの方式はゲーセン時代に似る」
という点において、
下の記事は、
「売り手も買い手も、お金を小分けに制御出来ることにメリットがあるのでは」
という発想で、やっぱ似たようなことを考えるんだなあ、と思いました。

オイサンはソーシャルゲームには、
マどっぷりとプレイ出来ていないってのはあるんだけども、
基本的にあまり良いイメージは持ってないんですね。
ただしそれは「作品」としてのゲームの完成度としてであって、
「作品」の成分を持ったモノを、
「商品」として売るための仕組みとしては優秀だなあと感心はしております。
そこには、立ち行かなくなりつつあるコンシューマゲームビジネスを救うだけの
何かしらヒントがあるに違いない。

買う側が出費を小分けに制御できて、
売る側が売るものなりの稼ぎを得ることが出来る
(ただし、どこかに必ず、泣いてるというか、
見合わない出費を(納得づくで)している人がいるから
成立している循環なのだとは思いますが)というのは、
お互いにとって理想的だと思う。

  レースゲームとかでも、
  オイサンは箱○の『リッジ6』とか喜んでやってたんですけど、
  レースのレベルが

   NORMAL → EXPERT → MASTER → なんかもっとすごいの

  みたいな、レベル分けが後から後から出てきて
  「これ半分くらいでいいな」と思ってしまったので、個別に買えたら良かった。

  とはいえ、レースゲームなんかは基幹システム部分が制作の手間の大半でしょうから、
  上で書いたみたいなレベルクラスを小分けにしたって
  ベースのソフトがそんなに安く出来るとも思えないんですよね。
  基本となるコースもNORMALで全部出てくるので、
  あとは上位マシンのデータと、各レベルでの難易度調整、BGM、
  そんなもんでしょうか。

  『リッジ6』は\6800だったと思いますが、
  NORMAL分だけでも\4800くらいは(或いはもっと)取られてしまうと思います。
  それを\6800にして、あまり手間かけずにボリューム感出すために
  上位クラスを追加した、という印象を受ける。
  その辺は難しいですね。
  閑話休題。

なので最近は、ソーシャル系の記事のことを取り上げることが多いんですけどね。
目に付くってのもありますが。

アニメにしても、
「面白い」と思った作品に実を伴った応援を届けようと思っても、
それをするには結局BD・DVDを買うくらいしか選択肢はなく、
ちょっと、そこまではせんなあ、と思ってしまうことが多々ある。
それは出費がでかすぎる。

もっと小額の応援を、たくさんの人から集められるようにした方がいいんじゃないかと
思いはします。
5000円とか6000円とかするBDを10人が買うところを、
300円400円の、何か小さな物を、200人300人が買うような仕組みに出来たら
いいんじゃないかと。

イマドキ、そっちの方が確実なんじゃないかという気はいたします。
……マとはいえ、
そうなるとモノ自体は最大公約数的である必要が自然と出てきてしまうので、
あまり尖がったものは出てこなくなってしまうかも知れません。
そこはまあ、売りモノと売り方のご相談でしょうねえ。



■昔の人は言いました。



定期的にこういうまとめ記事が紹介されますが。

 ▼名言を教えてくれ
 http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51674710.html


Webの時代になって、
過去にはその著作やらに触れないと知りえなかった名言なんかが
つまみ食いのように知ることが出来るようになりまして、
ありがたいと同時に、陳腐化はするし、消費はされるしで
エライひとも大変だなあと思います。
言葉そのものが放つ威力も、やはり下がってしまう気が致しますしね。
情報化コワイ。
どんどんどんどん、色んなものが均されていく世の中です。

  ……て言うか、
  その前後や流れを味わわないままに美味しいところだけつまみ食いするから、
  受け手の意識として衝撃が小さくなってしまうだけなのでしょうけどね。
  良くないというか、もったいないのかも知れないな。

デ、オイサンのやってみた遊びとして、
この中から、自分が「ああうまいこと言うな」と思うものだけ選んでいくと、
やっぱり傾向があって面白いなあと思う。
あと、昔のエライひとたちも、
ああだこうだと格好のいいことを言いながら、
結局死ぬのは怖かったんだなー、
人生に、未練や不満がいっぱいあったんだなー、と、思った。
当たり前だけど。


上の記事に上がっていた中で、オイサンが選んで残したのは、この辺↓。



 ▼とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ。
                          --太宰治
 

必ずしもそうだとは思わないけども、マ9割方はそうなのでしょうね。
大なり、小なり。


 ▼わたしの人生をわたしはコーヒースプーンで測ってきた。
                          --エリオット


粋だねえ。
オイサンはAボタンと十字キーのストロークの深さですかね。


 ▼智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。意地を通せば窮屈だ。
  兎角にこの世は住みにくい。
                          --夏目漱石


まあ、その通りでさあな。
多少見渡せる範囲が変わったところで、今も昔も変わらないんだね。
それをこう、したり顔で論ってくれたスカタンがいたな。
バーカバーカ!


 ▼自分が立っている所を深く掘れ。そこからきっと泉が湧きでる。
                          --ニーチェ


腑に落ちる。
何かが出るかどうかは別として、人は皆等しく
そこをしか掘ることを許されていないように思われます。


 ▼こころが開いている時、この世は美しい
                          --ゲーテ


言葉の中身よりも、端的な表現力がやっぱすげえなと。
やるじゃんゲーテ。詩人だねえ。 ← 何言ってんだ


 ▼薔薇はなぜという理由もなく咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。
  薔薇は自分自身を気にしない。人が見ているかどうかも問題にしない。
                          --シレジウス


腑に落ちた、というか常々そのように感じております。
二行目よりも一行目。
何かや誰かのためでなく、地球が回る、その遠心力に振り回されて生まれてきて、
回転によって生きるのです。そんな感じ。
その地球も、広い宇宙の何かと引き寄せ合って回るのです。
最初に紐を引いたのが誰なのかわかりませんが、
もう誰にも止められやせんのでしょう。

常世は大きな永久ピタゴラスイッチ。


 ▼レストランで何を注文しても、人が頼んだもののほうが絶対によく見える。
                          --ポーリーナ・ボース―ク


これは「ああそんなことはねえな」と、すごく思ったので逆に残した。
羨まれることは多いですが、人の頼んだものを羨むことはあまりないです。
シェアは申し入れますけどね。
断られたとしても、自分の頼んだものが、今の自分には一番うめえと思ってます大抵。
一人の時はイランこと考えて、失敗した……と思うこともありますが。
人といるときの方がそういうことシンプルに考えてる気がする。


 ▼インタビュアー「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいですか」
  「家に帰って家族を大切にしてあげてください」
                          --マザー・テレサ


真理ですな。
「でかいことは俺たちに任せて、庶民はすっこんでろ!」ってことですね。
わかります。


 ▼自分を憐れむという贅沢がなければ、
  人生なんていうものには耐えられない場合がかなりあると私は思う。
                          --ギッシング


私も思う。
自分を嘲笑ったり憐れんだり、そういうドライバーは大事だ。
話が合うな、ギッシングさん。誰だか知らんけど。


 ▼眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。
  抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ。
                          --サルバドール・ダリ


私も思う。
話が合うな、サルバドールさん。
ダリだか知らんけど。 ← どや顔 ← お前ホンマ怒られろ


 ▼花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ
                          --井伏鱒二


悲観的に見えるけど、強く生きようとする姿勢の一つではあるように思う。
ふくらはぎの強そうな人だ。


 ▼命とは、セックスで感染した病気である。
                          --ガイ・べラミイ


シニカルだとは思いますが、面白い視点だなと思いました。
健康を正常とするのではなく、
命は病がデフォルトで、健康も病の状態の一つだ、というくくり方が。

……などと、分かったようなコメントを並べてはみましたけど、
本当はピンポイントにつまみ食いするのでは
すべての正しい意味は伝わってこないのでしょうね。
上っ面だけではありますが、そんな感じ。



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長いのでここいらで甘いものでも。
宮越屋珈琲のエスプレッソフローズンのフロート(アイス)アリです。
これが美味しいんだわ。




■昭和中期のWWW



先日、オシゴトで珍しく外出をしまして、
お昼もいつも買ってる会社近くのお弁当ではなく出先のお店で戴くことになりました。

そのお店がまあ、都心の街なかでは時々見かけるような、
戦前戦後の頃を模したとおぼしき、古めかしい雰囲気のお店だったのです。
ブリキのおもちゃだとか、デカいラジオだとか、
ボンカレーの看板とか石原勇次郎の映画のポスターとかめんことか、
そんな「イカニモ」なアイテムを店内にちりばめておられるわけです。
あざとい。
オイサン一人だったら、先ず入らないタイプのお店です。

  ちなみに、出てくるゴハンは普通です。
  別に「米兵の焼夷弾焼き(ミネソタ風)」とかは出ません。
  オイサンはさば味噌を、
  同行したお仲間はソースかつ丼とステーキ丼を頼んでました。
  特段、変わった味のするでなし。
  マお肉は、国産米兵の肉を使っているかも知れませんが。
  カベに貼ってあった夜の居酒屋メニューの、鯨ベーコンが魅力的でしたな。
  閑話休題。

そのお店の壁に、なんと申しましょうや、
その当時の暮らしを描いたレトロ調のイラストが貼られていたのですが……
あー、ちょっと違いますけど大体こんな感じですかね。


  ▼パンダにティアドロップサングラス by 昭和レトロはいから館
  http://ameblo.jp/haikara/theme-10015882545.html


デそういう「古い」暮らしぶりを見ていると勘違いしてしまいそうなのですが、
すごく失礼を承知で言うと、
「当時の大人は、今の大人よりも頭が悪そうに見えた」んですね。

  あの、いいですか。
  正しくないことは分かった上で申し上げてますよ。

理不尽で乱暴(物理的な意味ばかりでなく)で、
狭い視野と固定化した主観的な価値観に基づいて
日々の判断を行っている大人が多かったに違いない。
……ように、見える。
それは、一面では間違ってもいないと思います。

ただ、今と当時では社会環境も違いますし、
地域の大人に求められるものも違うので、
「頭がいいとはどういうことか」というものさしも、また違ったと思うんですね。

今の大人には、何よりも
「冷静に、広範な情報から、合理的で客観的な判断が出来ること」
が求められているように、オイサンは思います。
出来るだけ多くの、信頼性の高い情報を集め、分析して決断する。

  ……オイサンは全然そうじゃないですけども。

デ昭和中期に関してですが、
上で申し上げた様な現代的な要素が全くなかったとは言いませんし、
オイサンの知る限りのイメージに過ぎないんですけども、
もっと違うモノサシで、大人であることの価値が量られていたように思います。

それは恐らく、もっと近距離的な、自分の手の届く範囲……
それはコミュニティであったり、職能的なものであったりに特化した
知識や経験、そして思い切りの良いその運用だったのではないかと思います。
無意味に決断力があるとか。
論理的ではないけれども機転が利くとか。
人よりも広い行動範囲を持っていて、コミュニティ間を行き来できるとか。

  なんかアレですね。
  要はこないだ書いた、イヌイットの親子の話とおんなじ様なことですね。

  マ最終的には、その知識や経験でもって、
  生きるためのより正しい結論へと判断をすることが目的なので、
  最後に求められるものは同じっちゃあ同じなのですが、
  集める情報が近距離的なもの重視・経験値重視であるのか、
  グローバルな未知の情報に対して、収集・分析ができるのか、
  という差があるのかなあという気がします。

その時期でも、大人のする思考や判断の根っこの根っこには
根拠があるに違いないのですが、その保存のされ方や伝え方が
言語化や数値化などの定量化・客観化がされないままか、
されるにしても不足しがちであったので、
今の視点で見ると「考えのたらない」大人が多かったように見えるのでしょう。

  恐らくはそれを指して、蔑視的に「前時代的」と呼ぶのでしょうが。

つまるところ、
引っぱたいて「やりゃあ分かるからつべこべ言わずに黙ってやってみろ!」
っていう伝え方・保存の仕方が大半だった、ということですね。
それで許されたのが何故だったのかはワカリマセンが。

今だってそういう部分が残っていないわけではないですが、
そればかりやってると若い人に
「あのオッサン意味ワカンネエ」
といわれてしまうでしょうし、我々世代も上を見て
「ついていき難い」
という感想を抱くことが多いです。

大人に求められるものが、何故そんな風に変化したのか、というのは、
言わずもがな、合理化やらグローバル化というものの影響なのでしょう。
そして「変化の波」が、一定の方向と速度でやってくるものではなくなり、
加速度的に速まり、またどちらからやって来るか分からなくなったから、
なのだろうなあ、と思います。

今と昔で、目に見える範囲で何がそんなに違うかといわれても、
大した違いはないように思うんですよね。
モノがあるかないか
(量的にたくさん・豊富にあるという意味と、特定の何かがあるという意味の両面で)
くらいで。

お店で、その昭和の生活風景を、
ゴハンが運ばれてくるのを待つ間ボンヤリ眺めながら
「……この時代に、携帯電話はともかく、
 テレビのような感覚でWebが存在していたらどうだったろうか」
と想像してみたりしたのですが、
それはイキオイ、広範で多種多様な情報の一般的な頒布に他ならないので、
ただ今のような時代の到来を早めるに過ぎないのだろうなあ、
という結論に至りました。

だから結局は、情報量・速度・それをもたらすシステム、
それらが異なって今のように変化したのだと思います。
たくさんのことが速いスピードでやってくることが、
今の時代と、そこで求められる大人像を生んだのでしょうから。

ただ、今の時代の風潮として
「堂々とした振舞いをする大人が、昔に比べて減ったなあ」と思ったりもするのですが、
……マそりゃそうですよね。
昔は自分の手の届く範囲で習熟していれば、ある程度実感を持って胸を張れたので。
それが今は、未知なるものに対して上手く対応出来ないといけないワケで、
それをうまくやれる人ってのは……割合としては、減るんじゃなかろうかというのは、
まオイサンのこれまたイメージに過ぎないのですが。
そんな気がしますよ。

ですから、大人が大人として、力強く振舞えたのは、
おそらく過去の方……だと、オイサンなんかは思うんですよね。
あー、えーと。
それもちょっと違うのですが、
「大人全体の、大人力の総量が高かった」のは、多分過去の方だ、と。
今はトシをとっても、単純な蓄積では勝負がしにくいと、そういうことですね。

「過去の遺産だけで威張ろうなんてムシがいいんだよ!」
と言われればそれまでなんですけど。
でも、やっぱつらいよねえ。
トシ取ってまでずーっと勉強続けろってのはさ。
いい加減、トシ食ったらあとはラクに暮らしたいと思うと、思いますよ。
ラクさせてあげたいと思うしさ。


 ▼結論というか、一区切りのようなこと

別にどっちが良くてどっちが悪いと言いたいわけではなく、
ふっと
「どうしてそう(昔の大人は頭が悪そうに)見えるのだろう?」
と思ったので、つらつらと思いをめぐらせてみた始末。

今の立場で考えると、
「昔は、今ほどたくさんの情報を参照して、
 何が正しくて何が間違っているのか、正確性を求められずに済んだろうから
 ラクそうでいいなあ」
と、思ってしまいます。

自分の手の届く範囲……コミュニティの外の情報で拾えるものといったら、
いいとこ、新聞・テレビ・ラジオ。
その程度でしょう。
そしてそれらも、基本的には隔絶された社会の外側にある出来事なので
「よそはよそ! うちはうち!」
という論理で排除することが可能です。

マその分、不自由といえば不自由なのでしょうから、
それは不幸といえば不幸でしょう。
たくさんのモノが選べる自由があることは多分無条件に幸せで、
それを拒否するのは愚か者か怠け者の考えなのでしょうけれども。

でもなー。

フツーは、限界あるような気がするんですよね。
今の情報の量と流速は、少なくともオイサンなんかには限界に近いものがある。
不得意な分野では特にね。

取捨背選択のウマイヘタだけでもあるのでしょうけど。
そこでは多分、昭和中期に花開いた才能……「思い切りの良い決断の運用」が、
モノを言ったりするんでしょうね。
オトナとして。



■不惑について惑うという本末転倒な大技



えー、上の話と関係があるようなないような。

近年、不惑という言葉をやたらと耳に致します。
まオイサンがそれに近いトシになったので
身の回りで言われるようになっただけかもしれませんけども。

デこの不惑、何かと言うと、つまりは「四十歳」の別な言い方です。
「四十にもなったら、自分の生き方や考えに迷わない」
ということでして
(それが「そういうものでそれが普通」という論調なのか、
理想論なのかは存じませんけど)、
「だから我々の年代もしっかりしよう」というような、
「言葉の利用」のされ方をしています。

  けど、ちょっと待って下さいよ。

その言いっぷりがいつ頃言われたことなのか知りませんけども、
ここまで書いてきたみたいに、たかだかこの50年ほどの間でも
人を取り巻く環境がそんだけ変わってるわけです。

  マこの50年は、環境という意味じゃ特に激動だったとは思いますけど。

その中で、「40歳の在り方」だけが固定化されてて、
それは普遍的に通ずる(べき)ものなのかしら、という……
またどーでもいい疑問がわいた次第。

それが80だとか90だとか、
ある意味一定の閾値を超えてしまって、もう他にすることのなくなる時期なら
100年経とうが200年経とうが変わらないと思いますけど
(人の寿命が200歳300歳になったら知りませんよ)、
40なんて、それこそゲージの右側なのか左側なのか真ん中なのか、
すげえ微妙な位置にある年代じゃないですか。

ある時代においてはもう完全にロートル、ジジイに属するでしょうし、
またある時代においては、中堅かそこらだったりするでしょう。
……なんかね、その扱いが「昔」と同じであることに、すごく納得がいかない。
いえね、そら生まれてからそこにたどり着くまでの時間は同じでしょうけども。

そんな疑問もあって、その「不惑」、
出展を調べてみたら、論語でございました。
孔子さんですよ。

  すげえなオイサンは。
  とうとう孔子さんにケチつけ始めましたね。
  「お前は古い」と。
  孔子さんは言うでしょう。
  「わかっとるわ」と。

論語の成立年代についてもざらっと調べてみましたが、
春秋時代の末期頃らしく、つまりは紀元前400年頃。
……いつだよ!
想像も付かんわ。
日本でもねえし。

当時の平均寿命は一体いくつだったんでしょうか。
50歳とかだったら……そら死ぬまで十年切ったら、不惑にもなりましょう。
でも、その頃の平均寿命なんて、そのくらいじゃね?

マそんなことで。

いえ、確かにね。
四十にもなったらば、足元身元固めて、どっしり構えてたいとは思いますよ。
身体の衰え具合は、2000年前だろうが今だろうが、そうそう変わらないんじゃないかという気はしますよ。
耳が少しずつ遠く、目もちょっとずつ見えにくくなる、
精力も減衰するでしょうし、
女性だったれば子供を生むのが体力的に辛くなる頃合だと。
ハードウェアとしての人間のピークを過ぎて、
迷ってる場合じゃねえ、さっさとなんだかんだ済ませちゃわないと出来ることどんどん限られてくるよ!
……っていう頃なのでしょう。

けどその、ソフトウェア的に考えるとねえ。
まだまだ。
残り時間もまだそこそこあって、入ってくる情報もたくさんある、
となりの芝生情報も超潤沢ですよ。
そりゃあ……四十やそこらの小僧っ子は、まだまだ迷いもしますって。

マそんなことでね。
果たして、このまま真に受けてていいんでしょうかね。
不惑。
と、思ってしまった秋の宵でしたよ。


以上、
あんまし細かい心配しないでいい世の中にならないかしら。
「とりあえず死なないから大丈夫」くらいの線引きで。
などと考える面倒くさがりのオイサンでした。


R0045780
エエい面倒くさいからごはんにしようぜ!


面倒くさがりのくせに、
面倒くさいことばっか考えてますよねコノヒト。



 

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2011年11月 1日 (火)

■ハロインではしゃぐ -更新第726.01回-

 
絢 辻 「トリック!」
 
 
 橘  (∑ びくっ!)
 
 
絢 辻 「アーンド……!」
 
 
 橘  「アンド!!?!」
 

 
オイサンでした。
なんじゃこりゃ。
 
 
 

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