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2011年10月 3日 (月)

■ソーシャルさんが、そう仰る2~TGS、CEDECを経たソーシャルゲーム周辺のお話について -更新第718回-

いっつも文句ばっかり言ってるオイサンが、
今日も力いっぱい文句を言う、それが「ゆび先はもう一つの心臓」。

……イヤ、別にそんなコンセプトじゃないんだけど。

でもTwitterやってると、
アー俺なんか文句多いなー、って思いますわ。
文句って言うか、自分がつまらないと思うものに対して、
「つまらない」っていう感想を言ってしまうことが多いと思う。

世間の人は……ていうか、なんだろう、Web界隈の「出来た人たち」は、
そういうことをあまり言わないのね。
マ言うと喧嘩になることを知ってるからでしょうけど。
でもオイサンは、
「自分にとってコレのここはこう面白くないと思う、
 もっとこうならいいのに」
って言っといた方が、
「いやそれはこう見ればいい」
とか、見方を教えてもらえたりしていいんじゃないかと思ってるので言います。
作った側に届くとして、もしそれが作り手が気付いていない部分なら
直ればいいと思うし、
分かっててどうしようもなくてそうなってるなら……
そらもうしゃあないわな。

えーと、そんな前置きはどうでもいいんだ。
今回もまた文句の多くなりそうな話なんで、そんな前置き。



■ソーシャルさんが、そう仰る2



東京ゲームショウ、CEDECを経てからこっち、ソーシャル系ゲームに関する記事が
なんかもうワッと増えましたね。
目に見えて。
ていうか、目に付くところに出てくるようになったのかも知れませんけど。

 ▼これが5年間の技術的失敗と成功の歴史、
   GREEの成功を支えた技術者たちの闘いが今明かされる

 http://gigazine.net/news/20110909_gree_tech_cedec2011/

 ▼「個人のセンスよりも数千万人のデータの方を信じる」、
  これがGREEの作り方

 http://gigazine.net/news/20110914_gree_howto_cedec2011/

 ▼オンラインゲームを「オカンでも説明無しで楽しめる」ように作るために
  すべきこと

 http://gigazine.net/news/20110920_dropwave_game_planner_cedec2011/

                                  (以上、[ GIGAZINE ])

 ▼[CEDEC 2011]ソーシャルゲームは“ゲームの主流"になり得るか。
  稲船敬二氏,水口哲也氏,DeNAの小林賢治氏が語る「ゲームの未来」とは

 http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20110906080/

 ▼モバイルでもっともっと面白い作品作りを目指そう。
  パネルディスカッション「ゲームユーザーはどこに向かうのか」レポート

 http://www.4gamer.net/games/114/G011492/20110918030/

                                  (以上、[ 4gamer.net ])

その多くはGREEやモバゲーといった、
主だったソーシャル系会社の作り手がノウハウを語った講演記事だったりしますが……
どーもいかんせん、
読んでいて、ゲームの受け手としては穏やかでない感じの論調が多い気がしています。
やれ
「ゲームバランスは二の次で、稼ぐ仕組みを作るのが先」
だの、
「稼げるゲームはどんどん真似るべき」
だの、
「趣味に五万十万、つぎ込んで(そうなるような仕掛けのゲームを作って)
 何がいけないのか」
だの。

  複数記事を跨いで読んでると、言ったの言わないのあるみたいなんですけど。

ビジネスノウハウを語った講演なので、
聴講者の多くは制作会社の方々なのでしょうが、
コレを聴いてどう感じなさったのか。

  ……経営者は深く頷きながら聞いてたんだろうなあ、と思うと
  ちょっとぞっとしますが。

論調があまりに極端なので、
記事的に悪意を若干割り増し気味に書いていたりするのかもしれませんが
(読む限りそうは感じませんでしたが)、
それにしてもちょっとなあ、と、
……あくまでもユーザー、プレイヤー、消費者、
そして(従来のコンシューマ系)ゲームを愛する者の観点で見ていると、
思わざるを得ませんでした。


 ▼オイサンのソーシャルゲームへの思い

まず最初にオイサンの立ち位置を明確にしておくと、
マ現在のところ、ソーシャルゲームってものにはあまり良い印象を抱いておりません。
それは、ゲームの中身の面についてもそうですし、
その収益構造? って、難しい言葉を使わなくてもいいですね、
プレイヤーからのお金の取り方に関してもそうです。

ただまあ、頭っから全部感情的に「ダメだ!」って言うのが良くないのはもちろん分かっていて、
自分が楽しめそうだなあ、と思うものが見つかったら手をつけてみたいとは思っています。

  だってねえ。
  この先、主流になっていっちゃいそうなんだもん。
  コンピュータゲームがない暮らしは考えられないし、
  コンシューマゲームは先細って行きそうな気配だし。

だもんで、そういうものに関する情報はなるたけ拾っていこうと思っていますが、
今回、これらの記事を読んで、
……ちょっとね、良くないイメージが深まっちゃった。
その「何が引っかかったか?」について、今回は書いていこうと思うのです。



■面白いゲームを作ることとお金儲けの理念



彼らソーシャルゲームサービス提供会社のえらい人の話の記事を読んでいて、
もっとも違和感を感じたのは、
「良い(ソーシャル)ゲーム」のことを語るにあたって
彼らの言葉の中に「売れる・お金になる」という尺度以外の言葉が
見当たらなかったことです。

話の内容は、キホン
「こういう仕組みで作れば、ソーシャルゲームでお金を設けられます」
というコトばかりなのですが、どうもその論理の流れが
「こういう良いゲームを作れば、お客さんに素晴らしい体験を提供できます。
 そうして支持を集めて、その対価としてたくさんのお金をもらえます」
という方に全くいかず、
「こういう落とし穴を掘ればユーザーははまってくれるので、
 そこにどのくらい料金を設定したらこのくらい儲かります」
という方向にしか……流れていないと思うんですよね。

まあ、講演のコンセプトが「設け方・稼ぎ方」にあるのだと思いますけど、
しかし、
だとしても、
そういう講演の話の中にゲームそれ自体の話が出てこないというのはつまり、
「商品(=ゲームソフト)それ自体には、売れるための骨子……
 突出して優れた、ウリになるような部分はない」
と言ってるようなモンだと思えます。
ソーシャルゲームの、「ゲームとしての」良さ・新しさ・独自性みたいなものは特になく、
それで儲けること即ちユーザに認めてもらうことは出来ない、
ってことなのかなあ……と、
この記事を読んで感じてしまったのでした。

ソーシャルゲームはあくまでも「ゲームという快感をエサにした良い落とし穴」であって、
ユーザーの人生や、ゲーム文化の発展のために、
新しい独自の発明でもって寄与するものではない。
彼らの言う「良い」が、お客にとっての「良い」ではなくて、
自分たちにとって「(都合の)良い」という意味合いでしか構成されていない。
そんな印象を受けました。

「客はお金を払ってるんだから、それは『良い』と認めてるってことだろ」
と言われそうですけれども。
これだけ万端に心の隙をつく「仕組み」を高らかに提唱しておいて、
そのリクツは通じ難いと思うんですよね。

  「『(顧客にとって)良い』商品が売れるとは限らない」
  というのはイマドキの定説ですが、それと等価で、
  「売れた商品が『(顧客にとって)良い』商品だとは限らない」
  とも、オイサンは思うのです。
  誰も、麻薬のことを顧客にとって素晴らしい商品だとは……思わないでしょう?
  というのはまあ、例が極端ですけどね。

「ソーシャルってのは基本の仕組みがこうだから、
 こういう要素を組み込めば『ゲームとして』面白くなります、
 そしたらお金を払ってもらえます」
って話がホンットなくて、
「手っ取り早く儲けるにはユーザーを通せんぼして、通行料を取ります」
みたいなことしか言ってない。

たとえば、
「『ドラクエ』を、『ときメモ』をソーシャルにすると、
 こんな楽しい遊びが出来るんですよ!
 物語的に、システム的に、こんなことが起こせて、
 今までのゲームでは実現できない楽しさが待ってるんです!
 でも、そのためにはこういうお金がかかります」
っていう話であれば、まあ、分からんでもない
(本当はその「こういうお金がかかります」成分に関しても、
あとで一言ありますが)。
それがねえ。
ないんですよね。

マ上でも書いたみたいに、
「今回の講演はそういう講演じゃない」
といえばそれまでなんでしょうけど……気配も匂ってこないのは、
やっぱちょっと……どうだろうね、って思いました。


 ▼お商売の捉え方

お商売としてやる以上は、お金を稼がないといけません。
それは当然です。
ゲーム作品は、作品か? それとも商品なのか? というのは、
32bit機登場以後長きにわたって為されてきた議論ですが、
それは両面あって、会社ごと・一作一作ごとに異なって良いと、オイサンは思います。
また受け止め方も、受け手それぞれにあって、あーだこーだと
議論をすれば良いと思うのです。

で、今回のソーシャルゲームはものすごく商品よりに体重をかけたところにありまして、
その商品としての在り様さえ、
ちょっとお商売から逸脱しているように感じます。

物を作って売るお商売って、
 1)良い物をつくる
 2)良さを認めてもらう
 3)その商品が生むメリットの対価としてお金を戴く
……がキホンなのだと、オイサンは思っております。
マきれいごとかもしれませんけども。
ただ、「社会貢献としての労働としての商い」の本来の意味がそこにあることは、
まあ間違いはないでしょう。

世の中に貢献する対価として、糧を戴く、という、まあ、フツーのお話です。
働かざるもの食うべからず……という言い方も、
今の時代にはそぐわない気がオイサンにはしますが、
働いて食おうとする以上、その「働き」と「食うこと」が、
必要以上の欲で繋がっていてはよろしくないなあと思うのです。

デ、ビジネスの考え方としては、そこから逆算する格好で、
 3)お金を払ってもらうにはどうすればいいか?
 2)良い商品とはどういうものか?
 1)それを実現するにはどう作ればいいか
となるハズ(オイサン本来はモノから始まる考え方の方が好きですが)……
と思いきや、
彼らソーシャルゲームサービスプロバイダの頭の中では、
話が商品にいかず、常に「仕組み・仕掛け」の方に向いています。

……まあ、なんというか、それはそれで仕方ない部分もあると思います。
イマドキ、そこは認めなければならないでしょう。
「プロダクトのデザインとは、
 その生態系やライフサイクルまで含めてプロダクトでありデザインである」
みたいな事が言われる世の中ですしね。
確かに、これほど大勢の人類が、既に生まれてしまって生きていて、
それら全てが食べていかなければならない都合を慮れば、
それもやむをえないバランスのとり方なのだと思います。

けれども彼らの話だと、最終的に「儲けるための仕組み」が「商品」を侵食していく、
これが問題だなあと、オイサンは感じます。

たとえば
「効率よくお金を稼ぐにはどういうタイミングで課金をすれば良いか」
というハナシを突き詰めたとき、
「じゃあゲームの仕様・バランスをこういう風にすればいいよね」
という話になっていく。
お金を稼ぐ仕組みありきで、商品本体が作りかえられ、
お金儲けのための論理が、商品の中枢に組み込まれていく。

言ってしまえば、
買い替え需要を喚起するために一定期間で壊れるように強度設計する……
そう、みんな大好きソニータイマーですけど、そんなんですとか、
絶対に虫歯にならない歯磨き粉は、歯医者さんが発見してもつくらないとか。
そういう理念が、商品の根っこにぶっこまれてるってコトです。

これもヒトツの「プロダクトのデザイン」だとか、
「商品の生態系」とかだと言われたら……うーん……。
どーなのかなあ……。
「ビジネスモデル」という言葉一つで肯定されてしまって良いことなのかと、
首をひねってしまう次第です。


 ▼課金の正体

ゲームソフトの値段って、今まで頑張りすぎてた部分もワリとある気が、
オイサンしているんですよ。
5800円・6800円という枠組みの中で、
利益を越えるボリュームやクオリティを求められて、サービスしすぎてしまった。
そのツケを払わされてるのかなあ、という……
今まではみ出ていた部分を、「課金」という形で回収しようという試みである、
という解釈も、ちょっと考えます。

ただその回収行為で許容できるのは、オイサンの感覚だと、
ダウンロードコンテンツとか、オンラインRPGの追加シナリオパッケージとか、
そういう範疇までだと思うんですよね。

 ある程度の実体をともない、塊になったものを、それなりの値段で売る。

たとえば『トルネコ』みたいなダンジョンRPGで、
今までは5800円で、「練習ダンジョン・本編・隠し」まで全部入っていたのが、
これからは本編パッケージは「練習・本編」だけになってて、
もっとやりこみたい人には「隠し」を別売りしますよ、っていう……
それはアリだと思うのです。
今までは、頑張ってサービスで詰め込んでいた部分を、
これからはお金下さいね、っていうのは。
今まで景気良かったからサービスしてたけど、ゴメンちょっとムリ、
っていうアレです。

今のDLCってワリとそういうトコもあると、オイサンは思っています。
『アイマス』とか『ドリクラ』とか、アコギだなんだと言われますけど、
あれを全部のっけから6800円なりで詰め込むのはムリが大きくて、
きっとどこかにしわ寄せがいく。

そしてそのしわ寄せは……多分大きな会社が引き受けるのではなくて、
小さな制作会社だとか、……声優さんのギャラだとかねw?
そういうところに小さな小さなさざなみになって、
大きくて硬かったはずの岩を、じわじわジワジワ、削っていたんだと思いますよ。

  イヤでしょ?
  大好きな声優さんや、絵描きさんの仕事が買い叩かれるの。
  オイサンはヤだよ。
  だったら、多少無理したってお金払うよ。
  キライな奴はどうだっていいけど(オイ

そのしわ寄せ分を、負担したいユーザが負担するならいい。
「ある程度の大きさのパッケージで楽しみを追加していく」
という考え方の、追加要素やDLCは、
これは感覚的なものかもしれませんが、許容出来るんですわ。

ソーシャルの、記事の中で言われているような、
「お金を払わないとあとあと面倒ごとが増える」だとか、
「お金を払うことでゲームが楽になる」だとかいう、
微細な部分をお金で買うというのは、ちょっと好きになれないわけです。
「ゲームの中で邪魔をしている小石を一個除けるのに10円」とか。
それは……ヤだ。

それってつまり、作り手有利の「後出しじゃんけん」なワケですよ。
そんなものに、小銭とは言え、つきあう気にはなれんなあ……と、思うのでした。
この差異の感じって伝わるもんですかね。

それにその、あとでちょっと毛色を変えてお話しますけども、
ゲームが語るモラル・カルチャーという側面においても、懸念してしまいます。
記事の中には
「たとえば『ドラクエ』で、
 はぐれメタルが逃げないアイテムを300円で売ったらユーザーは買う」
みたいな言葉がありまして。
それはもう、なんかすげえダイレクトにぞっとする発言でした。

それって……綺麗ごとのように申し上げますけれども、
「結局ヨノナカ金や」という風潮を、プレイヤー……殊に子供に、若い世代に、
正当化して植え付けてしまうんじゃないかコレ? と、
真っ先に思いついたのがそんなことで。
しまいにはカネ持っとるモンがラクして強うなるんや、と。

  ……別にねえ。
  子供を盾にとるんじゃないですけども。
  でもそれは、ワリと真面目に心配。

「若い頃の苦労は買ってでもしろ!」とか言いませんし、
はぐれメタルをやっつけることが苦労だとも思いませんけどもw。
そこはその……お金じゃない工夫で、ラクをして、人に先んじる、
そういうセンスを磨いてほしいと思うのですがいかがでしょう?
ゲームって(TVゲームに限らず)、遊びって、そういうセンスの練磨の場でもあると思うんですよ。
その場を、大人のビジネスの論理で荒らしていいのか?

あの……大人がね。
ビジネススクールで、ビジネスの勉強をするための模擬戦として、
そういうルールのゲームを遊ぶことはありだと思うんです。
でも、子供相手にリアルでする商売じゃないと思います。
そういう線引きの危うさも感じるわけです。

あーあと単純に、
「はぐれメタルやっつけたぜ!」
って、まっすぐに自慢しにくくなっちゃうのがすごくイヤ。
お金の力を借りてないことをイチイチ証明しないといけなくなりそうで、
それはなんかもう、生理的にすッッッッッッごい、イヤ!



■カルチャーとして



デ上でちょっと出ました、カルチャー、文化としての話。
ソーシャルゲームの、ゲームの中身そのもののお話ですわ。


 ▼ゲームの、娯楽としての二面性

ゲームの、商品・作品としての二面性の話には上でもちょっと書きましたが、
ここではまたそれとは違う二面性、
「娯楽としての二面性」というものがまた、ゲームにはあると思います。

一つは、ヒマつぶしとしての楽しみ・遊びであり、
もう一つは、遊ぶことから何かを学び取って現実に持ち帰るような遊びです。

前者(暇つぶしの遊び)は……まあ、言ってみりゃ刹那的なものですよね。
鬼ごっこしてみたり、お酒飲んで酔っ払ってみたり、
おねーちゃんとえっちなことしてみたり。
後者は、マ一般的には、
映画、音楽、絵、本、とか。芸術的なものに親しむ様な感じのものです。
そこから得た感動や教訓が、のちの人生をドライブする類の娯楽。

  勿論そんなモンは受け手による部分も大きいですよ。
  送り手の側で、完全に規定し切れるものでもありません。
  前者(暇つぶしの遊び)のつもりで作られたものからでも何かを学び取る人間もいるし、
  その逆もある。
  けれどもやはり、作り手の狙い・姿勢によって、その性質は少なからず左右されましょう。

  また、前者が低俗で劣っていて、後者が高尚で優れている、というつもりもないです。
  世間的な評価がどうかはおいておいて、
  オイサンがそこに客観的な優劣を付ける気はありません。
  どっちも存在として好きですし、両輪の関係にあると思っています。

  優等生的な模範解答ですね。
  ええ、嫌われるタイプです。
  でも本音です。ホント。

オイサンなんかは、ゲームの後者的な価値を主に重視している人間です。
そのゲームが直截に物語るテーマや、
作り手が現実のどういう部分に着目して解釈し、
それを強調したり切り取ったりしているかということから感動を受け取り、
日常を生きていく糧とすることの、まあ多いこと多いこと。

  それは別に物語のあるゲームに限らず、システムやシナリオ
  (この場合ストーリー的な意味ではなくて、ゲームにおける緩急の配置を指します)
  からでも受け取ることの出来る物です。

でー……話を戻すと、
記事の中で紹介されるようなつくりで量産されるソーシャルゲーム化の流れと言うのは、
オイサンには、
「全部、ヒマツブシゲーム(前者)のつもりで作りますよ」
って言ってるように聞こえたのです。
「普通の文芸作品は『儲からないから』、全部の小説をケータイ小説にしましょう!」
って言われてる……そんな怖さを感じます。

ホンモノの文芸は、芸術・文化としての側面が確立されていて、
ある程度保護もされてますからそんなことは起こらないと思いますが、
何の後ろ盾も保護もない、テレビゲームという「産業」は、
所詮は利益や資本という唯一の「正義」に拠って立つしかない脆いものですんで、
「儲からない」の一言で流れがざざざっと変わってしまうものなんですよね。
その作品が持っている、お金以外の「価値」は顧慮されるものじゃない。
簡単にそーなってしまう可能性があるからコワイ。

今のゲームユーザーの中に、後者的なゲームを望んでいる人間が
どの程度数いるかわかりませんけども……
暇つぶしでケータイ小説だけ読みたい人間ばかりではない、
と、思うんですけどね。
ただ、それでお商売が成り立つほど人がいるのかと言われたら、
それは確実な話では、恐らくないのでしょう。

  かといって、
  お上の後ろ盾やら保護やらをもらってしまい始めたら、
  またガンジガラメに遭って、それはそれで本来の、
  後ろ暗さを伴いながらもピュアであった姿をカンタンに失ってしまうでしょう。
  ですんで、
  あんまりね。そんなにね。
  オイサンも、ゲームを芸術だの文化だのと、
  大上段に据えてお話するのはあまり好きではないんですよ。
  あくまでも親しみやすい、俗のものであって欲しい。
  そういう理想がオイサンにはあります。

けども、ゲームにはそういう側面も確かにあって、
それを味わうためにゲームをプレイするような人間も、
多分相当数いるはずなのです。
それを、「今の」ソーシャルゲームで味わえるだろうか?
今回、ゲームショウやCEDECのソーシャルの講演で語られている中で、
そのゲームが果たしてどんな思いに基づいて作られ、
どのような感動を提供してくれるのか。

それが講演の内容から見えてこないのは、
やはり講演の性質と異なるので仕方がないとしても、
講演の内容の通りの手法と考え方から生み出されたゲームから、
後者的な感動を受け取れるという、「予感」すらしない。

だって、そもそもは何かの強い思いに沿って考え出されたゲームだったとしても、
今回語られている制作手法の中では
その思いは多分に「利益の最大化」によって侵食されつくす可能性が、
すごく高いように思えます。

「このゲームのこの部分は、
 こういうことを言いたいがためにこう作られてます」
「じゃあそこに、こういうワナを仕掛けてお金払ってもらおう」

っていう……そういう「仕組み」重視のものからは、
当初の思いが完全に消されはしないまでも、
読み取ることができるほどに残るのかと言われたら……
絶対に、そのノイズの方に押され負けすると思うんです。

逆に!

お金を払うことでそのテーマが強調されて、より強く読み取れるものが生み出されるなら、
それは一つの進歩だと認めていいとも、オイサンは思いますけども。

……。

またなんか、小難しいことを延々と言ってしまいましたけれども。
そういう懸念があるんですよ。ええ。

それに、上でもちょっと書きましたけど。
やっぱりその……ゲームって、子供でも触れるもので、
教育とまでは言いませんけども、情操にはかなり強い影響力を、ですね。
持つと思うんですよ。
モラルの形成に一役買う、と言ってもいいと思います。

  マこれは、ゲームに影響されてやたらな親孝行をしたり、
  北海道に15回も6回も行ったり、50kgも痩せたりしてしまう
  妙なオッサンの個人的な体験から出る言葉ですけれども。

何しろゲームは、体験を作り出すものですからね。
そんなこともあって、
記事中の講演内容からは逸脱した感想ではありますが、
そういうところにまで懸念の及んでしまう話だったなあと、オイサンは思いました。


……。


まあねえ。
オイサンの言ってることなんて、
甘っちょろい若造(オッサンだけど)が外野から暴投した世迷言かもしれませんけどもね。



■Closing



最後になりましたけど。
そうしたTGSやCEDEC、はたまた各社の決算の結果などから、
「ソーシャルゲームでゲーム市場が活気づく!」
みたいなアオリ記事も、わんさと出てきてます。

 ▼ソーシャルゲームの勢い、恐るべし!
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110929/222887/?mlt&rt=nocnt
 [ 日経ビジネスオンライン ]

 ▼激動のゲーム市場をめぐる3つの誤解 「スマホ・ソーシャル躍進」の裏側で
 http://p.tl/ULY6 [ 日本経済新聞 ]

これを見るにつけ、
やっぱ盛り上がっている層も確かにあるんだなあと実感しますね。
ずーっとコンシューマゲーム機なり、アーケードなりでやってきた層の中でも、
そちらにシフトして楽しんでいる人たちもあるのでしょう。

どのくらいなんだろうなあ。
既存のユーザーでうまくシフトした人間の割合って。
身の回りや、オイサンが主に出入りする様なサイトでは、
あまりいい評判は聞かないので、実感はないんですけどね。

ただ、オイサンも希望を持つのは、
そうして盛り上がっていくことで、幾らか余裕が出来れば、
オイサンらのような古いタイプの人間でも楽しめる様な……
つまりソーシャルの世界ではニッチな層もとりこもうという、
「逆のすそ野が広がっていく」ことが、
今後、起こって行ってくれるんじゃないかなあということです。

……というような記事を延々まとめきれずに機を逸していたらば、
今日、Mr.デジキューブこと黒川氏が、
オイサンと似たような思いを綴っておられて、
しまった先をこされた、と思うと同時に、
ア業界の人でも似たようなこと感じてくれてるんだな、と思って
ちょっと心強かったとさ。

 ▼黒川文雄のサブカル黙示録 : 「もうければ良し」の風潮に危機感
 http://mantan-web.jp/2011/10/01/20110930dog00m200050000c.html
 [ MANTANWEB ]


超長くなっちゃいましたが、
マ今日はヒトツ、こんな感じで。

オイサンでした。


 

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コメント

■もぐ夫さん
もぐ夫さん

毎度Twitterではお世話になっています。
機会を見つけて、直にお話してみたいですね。

そうですねえ。
プレイしたことがないので、
実際「楽しむ」ためにどの程度のお金がかかるのか分からないので
言い切れない部分もあるのですが。
「5000円も払えば、30時間程度は遊べて満足した気分になれますよ」
っていうんだったら、良いと思うんですよね。

逆に、オイサンの場合の話ですが、
「メインストーリー30時間、クリア後のお楽しみ70時間! 8800円!」
とかいうやりこみ系をウリにしているコンシューマのゲームがあったら、
「クリア後のお楽しみまでやるつもりも時間もねえから
 そこは別売りにしてメインだけ5800円で売ってくれあとDrペッパー買って来い」
という気持ちがないでもないのですよね。

ただその、30時間を遊ぶ5000円の中に
「ムダに有利になるための料金」
とか、
「ゲーム的に何の意味もない障害の取り除き料」
とかが含まれてくると、それはつまり
「本来必要であるはずのお楽しみ料」以外の
「ゲーム的に不純な」お金を払わされている気分になり、
損をした気持ちになるとは思います。

純粋なゲームを遊ぶための料金が5000円、
無駄な利便性や追加要素を融通してくれる追加料金はそれ+α、
という思想だったらば、
(料金的な面でいえば)別にソーシャルでもいいんじゃないかなあと思います。

  マそれじゃ儲からないだろうから、
  今現在そうはなっていないと思いますけどね。

『ドラクエ』を例にとるなら、
フツーに全部自分でクリアするなら、なんだかんだで5000円、
 ・ローラ姫捜索隊を雇う+50円/隊員一人(増やすと発見率が上がる)
 ・鍛冶屋を雇う(武器の性能アップ)+500円
 ・教会に寄付(回復魔法の威力が上がる)+100円
 ・橋をかける(色んな場所までショートカットできるようになる)+100円
みたいなことまでであれば、まあいいのかなと。

「ゲームから得るもの」については……もう、お祈りするしかないですよねえ。
どーなんだろ。
今のソーシャルゲームには、あるかしら。そういうのが。
上のお金の話とは、うまくすれば切り分けられるところだとは思うのですが。

『俺屍』を作った桝田省治さんという変り種のゲーム作家さんがおられますが
この方は、商売っ気と作家性をものすごく高次のバランスで装備した方でして、
彼あたりが乗り出してくれたら、きっと色々、変わると思うんですよね。
コジマ"メタルギア"秀夫監督とかね。
本当はそこに、任天堂の宮本さんとか、
中"ソニック"祐司さんとかが乗っかるといいんだけどなあ……って、
そんな風にもう20年30年選手の方にいつまでも頼ってるのは、
恐らくそれこそ「業界的に先細って」いってしまうんでしょうね。

あー、桝田さんの『勇者死す』やりたくなってきた。

でも、古きよきアーケードゲームの時代と、
コンシューマゲームとをバランスよく味わって作ってきた方々の、
腕の見せ所のような気はするんですけどねえ。
 

投稿: ikas2nd | 2011年10月17日 (月) 23時37分

どもです
自分はソーシャルゲームに対してどちらかというと否定派で、それはもう単純に「金が勿体ない」という汚い一言に尽きます。
例えばコンシューマーゲームに対しても購入の基本的な基準は「価格相応、またそれ以上の価値があるか」で、自分はこの基準をそのままソーシャルゲームにも適用していて、わざわざ短いプレイ時間のために一万円も使うのはバカらしいことこの上ないです。
あとは、自分にとってゲームというのは常に何かしらの影響を与えてくれるもので、アマガミなんてその典型だし、他にも色々なゲームが今の自分を構成する大切な要因となったという自覚があるだけに、ソーシャルの姿勢は気にくわないです。

ただ、そういう面はおいといて、コストの面においてあらゆる場面で利益へと転じさせやすいソーシャルゲームというのは、やはり商売の形と綺麗に合致させやすいものだと感じています。

このままだと、より高いクオリティを持ったゲームと簡単に遊べるゲームとの二極化が進み、その中間にあるまだ芽は出ていない将来性のあるゲームが消えてしまい、ゲーム業界そのものが衰退してしまうのではないかという危惧が自分にはあります。

長々と申し訳ありませんでした。
では。

投稿: もぐ夫 | 2011年10月 7日 (金) 01時07分

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