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2011年8月 5日 (金)

■本当にあったカワイイ話~『異国迷路のクロワーゼ』をホメる -更新第694回-

ちょっと呑気で頼りないけれど、いつも元気で明るくて、
とってもがんばり屋さんのオイサンです!

……って自己紹介したら、オシゴトを干されました。
一体何がまずかったんでしょうか?  (神奈川県 36歳 男性)

オイサンです。
おっかしいな、美少女だったらそれだけで一生食ってけるのになー。


『異国迷路のクロワーゼ』が、ですね。
……もう大変に、良いワケです。



▼PV1



世の、他のエッジの利いた作品・刺激の強い作品群と比べると
すごく「地味に」良いので褒めにくい向きもあると思いますが、
とても丁寧で、ワンランク上の気配りが行き届いたものになっていると思います。

画が派手なわけではないですし、
BGMのメロディにキャッチーさがあるわけでなし。
お話に仕掛けがしてあって、凝ったフックがあるわけでもない。
イキナリ「せいぞん! せんりゃくー!!」とか言ったりしませんしね。

でも、画はしっとり緻密で丁寧で、
音楽は場面と鑑賞の邪魔をせず、
お話は静かに、けれども確実に拍動している。

この作品の持つ「必要以上に強い刺激」を強いて挙げるなら
「湯音が異常にかわいい」ということくらいでしょうか。
しかしそれも、『うさぎドロップ』のリンちゃんや、
萌え強化人間である『神様ドォルズ』の詩緒、
『ダンタリアン』のダリアンたちと同列レベルの強度だと思いますが。

  マあの、美しすぎる世界観そのものが強化された刺激だといってしまえば
  そうなんですけどね。

4話が、とてもわかりやすくて良かったと思うのです。

西洋の人間から見て、日本人の精神性というか、
日本人が大事にする……否、今となっては「大事にしていたとされる」心のありよう、
士道と呼ばれるようなものであったり、侘び寂びのようなものであったりというのは、
不可解で神秘的だとされます。

  ……恐らくはその多くが過去のものなのでしょうけど。
  もったいないことですよ。

そうした日本人の精神性というものが(過去・現在ともに)どこまで本当なのかということについて
オイサンには量りようもありませんが、それが本当のことだとして、
かつ、それこそが日本人の核にあるもの・あるべきものだとして。
このお話が語ろうとしていることはそういうことなのだろうなと、今更ながらに読み取りました。
日本人よ、斯くの如く、しなやかに美しくあれと。
あと、にほんじんよ、かわいくあれ( ← それは違)。

  オイサンは正直なところ、今の日本人は日本人の精神性の独自性を
  ちょっと美化しすぎというか、特殊視し過ぎかなあと思います。
  精神性を含む文化の独自性・唯一性は、他の国の文化にもあるのでしょうし。

  マ他所の国の方々も、
  おのおの自国の文化に対する誇りを高く持っていらっしゃいますから
  それと同じようだと思えば、今くらいで良いのかもしれませんけどね。

  ケレドモ如何せん、それを高いところにキチンと保てていないのは明白なので
  「日本人ってのはこうだぜ!」ということを、過去の栄光ばかりを嵩に着て
  声高に言うのは、やっぱりカッコワルイと思います。
  自ら保ち、身につける努力を続けている人間が言わないと……薄っぺらい。
  今の自分らがなくしてしまってるから、
  すっかり消してしまわないために大声で叫んどくくらいしかないからなのでしょうけども。
  ウーム。

  あと、超どうでもいいけど、
  「COOL JAPAN」
  って。
  既に英語で言っちゃってんじゃんよ!!
  だったら日本語で言えよバカ!! アホ!! おたんちん!! アンドロギュヌス!!( ← ?)
  せめて「KAKKO-II NIPPON」くらいにしとけんか!
  言葉の意味を考えて言葉を作れよ! 字面のカッコ良さにばっか踊らされんな!

話がそれましたけどいつものことです。

このお話って、最終的には
「資本の力を、心の力がひっくり返す(或いはひっくり返らないまでも何かの波を起こす)」
話になるとオイサンは踏んでおります。
それを、そのテーマが前面に出て来すぎないように、
おさえながら、
おさえながら、
丁寧に丁寧に水面下で……水底で、ことを運ばせている。

序盤は主軸を湯音とフランス文化のふれあい、
日常系のごとき筋書きのない物語に重点を置いて、
ギャルリとグランマガザンの対立はあくまでもお話の背景に過ぎませんよー、サブですよー、
と耳元で囁きながら、最後にはその問題が、ざばーっ! と水上に現れてくるでしょう。

  零細商店街と大規模小売店舗の対立なんてのは
  日本でもさんざっぱら問題になったことですからね。
  ちなみにオイサンは大学ではそんな勉強をしてました。

そこにあるのは一意的な力と力・資本と資本のぶつかり合い「だけ」の構図であって、
それはもう誰の疑いもなく、「数値」の大きい方が勝つお話です。
合理のお話です。
そこへ合理ではない力、異国からの、不可思議な精神性……ニッポンのこころの力を携えてやってきた
湯音ちゃんがひと波起こしますよ! というワケです。
そこには、ちいさな数値を大きくするてこのようなちから、
西洋人の量りあぐねるという東洋武道の理合の様なものが働くことになるのでしょう。
奉公と、お辞儀と、約束のちからです。

  そのココロのちからの活躍の場に、
  商店街と百貨店の対立を設えるというあくまでもリアルな
  (「生活がかかっている」という意味で、本当にリアルな)場を選んでいるのも、
  すごく丁寧で、慎重で、静かで、巧みにして大胆だなあと感心します。
  いまや資本主義の代名詞みたいな、
  資本のチカラにすっかりココロのちからを飲み込まれてしまった日本人からしてみれば
  ちょっと耳の痛い話であるのかも知れません。

オイサンは西洋の方々が本当にそんなに合理に生きているのかについても実感的には存じ上げませんので、
ホントのトコロがどうなのかわかりませんけど、
西洋で起こっている合理同士のぶつかり合いに、
東洋のココロの神秘が一肌脱ぎますよ、という展開を示すことで、
東洋人の持っていた思想にはこういう力があるよ、もっと頑張って取り戻そうぜ俺たち!
というメッセージでもあるのかなあ、と。
そんな風にね、嗅ぎ取ったというか、今のところ妄想中のオイサンです。

えほんみたいなモンですやね。
「ともだちにいじわるをすると、このえほんみたいに鬼が来るよ!」っていうのと同じ、
物語のちからやはたらきを、すごく信じているつくりだと思います。


……。


ですけど、案外ね。
逆に、本当に描きたい・見せたいのは湯音とフランス文化のふれあいの方であって、
ギャルリとグランマガザンの対立についてはお話としての体裁を整えるために
(終盤にヤマをこしらえるために)用意した展開なのかもしれませんけど。


 ▼ゆったり髭ジジイのきょうふ

▼PV2

今個人的にすっごく気になっているのは……
クロードがオスカーにたずねた一言の台詞、
「なんで湯音を、わざわざ日本から連れて来たんだよ?」
というギモン。

この台詞もホントなんの演出も加えられない、
するっと出てきたただの一言なんですが、
コレ、すっっっっっっっっっっっごい大事な気がします。
今のところ回答として、

 ・湯音が、お家のシキタリで、ご奉公に出なきゃならないからでしょ?
 ・湯音が、フランスに憧れていたからでしょ?

という二つが提示されておりますが、これはどちらも、あくまでも「湯音の」都合。
ご奉公先として受け入れて下さい、と頼まれた(?)オスカーにはそれも断ることが出来たはずで。
あのゆったりまったり髭ジジイには、
何か別にまた彼なりの考えや目的があると思うんですよね。

話の展開はほぼ読めた(気になっている)オイサンですが
(少なくとも大筋に関してはオイサン的に完結していて、
この通りでなくても、こういうお話が妄想できただけで、
オイサン的にこの作品は既に成功。ハイ名作! ← ヒドイけど本気)
そこだけは読めなくて。
それがどう明かされるのかが楽しみです。

  たとえ明かされなかったとしても、
  絢辻さんのときのようにまた、
  自分で妄想に妄想を重ねて一つの物語にできるかと思うと、それもまた楽しみ。

全体的にちょっと親切すぎる、語りすぎるところがあるのが
オイサンにはちょっと残念です。
そこは別に言葉にしなくてもいいだろうとか、
示唆する画を挿入したり、カメラを向けたり、しなくてもいいでしょう?
と思うことを、やってしまったりしてますね。

作り手もみんなに分かりやすくしようという意図で検討の結果そうしているのだと思いますが。
分かりやすさ最低限バージョンも、すごくみたいなあ。

オスカー爺さんの声が、『ポリスノーツ』の主人公ジョナサン・イングラムと同じ、
田中秀幸さんなんですよねー。
ところどころにコトコトっと面取りした角があって、すんごいまろやか。
ホントいい声してるわあ。
あーもう、結婚して欲しい(無茶言うな)。


 ▼今日から日本人

以前もちょっと取り上げましたけど、
二話で湯音が、初めて目にするたまねぎの名前について質問をし、クロードが「オニオン」と答えるのですけど。

前も書いた通り、オイサンは玉ねぎはもうずっと玉ねぎとして日本にあったものだと思っていました。
その思い込みの一因には、
この「玉ねぎ」という名前が如何にも古くから日本にあったような響きと説得力を持っていた、
ということがあります。
「オニオン」に「玉ねぎ」と和名を与えた人物は、ああ、センスあるな、と思うのです。

実際、玉ねぎはねぎの一種なのでしょうから、
それを「玉みたいなねぎだから、玉ねぎ」と運ぶのは当たり前っちゃ当たり前ですが、
案外そんな風に、若干情緒によった名前を持ちこむことは、
……時代性もあるのかもしれませんが、勇気のいることだと思うのです。

その他の西洋由来の野菜などを見渡したときに、
なかなかここまで日本人の顔をした名前は見当たらないように思います。

例えばたった今、オニオンが西洋から日本に上陸したとして、
つけられる名前は、多分「玉ねぎ」にはならないのではないでしょうか。
今ならカタカナの西洋名そのままで「オニオン」と受け入れられましょうし、
新たに和名をつけるにせよ「セイヨウマルネギ」とか、
合理や機能としての名前、分類上に分かりよいことが優先されて、
「玉+ねぎ=たまねぎ」なんていう、見た目や情緒に左右される名前は、なかなかもらえないんじゃないかと思えます。

  たとえばアーティチョークなら、一般にアーティチョークと呼ばれていますし、
  和名は「チョウセンアザミ」です。
  見た目や食感からつけるなら……なんでしょうね。
  キクキャベツとかでしょうか。
  ……だっせえ。
  ね? なかなかうまくいかない物です。

ちょっとそれは、冷たいというか。
温かみにかけるなあ、面白くないなあと思ってしまったオイサンです。


ですんで。


「Information」という概念を持った言葉に、
「情報」というこの国での名前を与えた森鴎外、
「Baseball」を訳した正岡子規なんかは、やはり偉大だなあと思うわけです。


そういう細かいことにつけても新たな発見をさせてくれるこの
『異国迷路のクロワーゼ』、
まったりゆったりの顔をしつつも、なかなかどうして刺激的です。

一先ずはお話の見せ方の良い教材として楽しんでいこうかな、という気持ちです。
未見の方は是非お試しあれ。

地味とはいえ、音楽もすっごく良いですから。
湯音かわいいよ湯音。


▼OP





まったく、ょぅじょの土下座ってやつは最高だぜ!!

……オイサンでした。


  

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