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2011年5月の16件の記事

2011年5月30日 (月)

■修羅場を越えたインディアンの教え -更新第678回-

まあなんてことのないハナシなんですけど。
今日見つけたWebの記事について。


■修羅場を越えた経営者の教え
http://www.gamebusiness.jp/expert.php?id=324


この中で、


  人はとかく、「やっていること」を見る。
  なぜ、それをやっているのか、心の中にある原資を見ないものだ。


ということばの意味だけがよくわからない。
でも、考えて、感じたら分かる気がする。

他の書いてあることは大体意味がわかって、「そんなことわかってるよ」と思ってしまう自分がいる。
マ分かっているだけで実践は出来ていないと思うんだけど、
これまでに言葉の意味を、理解したり、自分で考え付いたりする過程で、
ある程度その言葉に則したからだの動かし方をしているからこそ「わかってる」と思うわけで、
100ではないにせよ、そのうちの10か20かはからだに染み付いて、
知らず知らずのうちに実践できているものだと、自分では思っている。

ただこの、意味のわからない言葉、未知の言葉だけは、
わからないから考えようとするし、これから感じようとする。
折に触れて思い出しもするでしょう。
デ、あるタイミングでハタと、
「あ、あの言葉の意味はこういうことか!」
と実感することになるだろうと思う。

そういう意味で、オイサンにとっては「意味のわからない言葉」こそが、
もっとも素直に聞ける言葉である……場合が、まあ、あるわけなんですな。



なんかそんだけ。



ちなみにこの記事を書いてる最中に、
ちゃんと読み直したら言ってることは分かってしまったので
まあアレなんですけど(笑)。



ていうか、この記事書いてるの平林さんじゃないか。
卒論書くとき随分お世話になったですよ。
いや、著書にだけどね。
ということは、このお言葉の主も、どっかのゲーム会社の社長さんなのかなー。



■風俗店通い日記



いかがわしいタイトルにしてみた。
いや、『ドリクラ』の話なんですけどねモチロン。

あすかさんとの交流日記。
日付は随分進んで、10月も半ば。


R0042728


会話的にはさほどの変化もなく、
ただ、彼女の怪我しているという足のリハビリに付き合うという名目で、高原へハイキングデート。
その冒頭で何故かブルジョワ映画女の亜麻音さんが顔を出したのはビックリしましたが。
なんかその付近にお住まいなのだとかで……ふ~ん。
なんかの伏線なのかしら?
マいいワ。

そのデートを境に、何が変わったのか、随分可愛らしくなってきましたよ、彼女。
態度や言動が大きく変わった様には見えないんだけどなあ。
オイサンの勝手な思い入れのせいなのかしら?
それとも、何か微妙な表情付けが変わったのかしら。
後者としたら、すごいチューニングだと思います。

ただ一点大きく変わったところがあって、
デートを境に、お店での、ソファに座る位置が変わりました。
今まで対面だったのが、お隣にいるようなアングルに変わって。

……それだけでガゼンかわいく見えるようになったので、それには超ビビってます。
こんなに変わるもんなの!!?!?!?
……と、一回目の時は思った。
ふえー。
角度一つで、こうも変わるもんなんだ。

アイドルとかが写真集とかで、
左35度がどうとかこうとかって言う、
あれは決まり文句みたいなもんかと思ってましたけど、
いやー、なんのなんの。
破壊力あるわ―。

その後もう一週立て続けに、今度は買い物に付き合ってくれと言われて洋服を買いにデート。
マこちらはコレといった展開もなく。
サブなシナリオなんでしょうね。

マそんな感じで、彼女のちょっとダル目のしゃべりにも慣れてきて、
段々とかわいく見えるようになってきました。
先の展開が楽しみです。



■そして禁断の



あのねー。
……とうとう。
有料DLCに手を付けてしまいまして。
エエ。
このヒト。
と言っても、ホストガールが二人並んで歌を歌うという、「ドリームデュエット」なんていう
お遊びパーツなんですけどね。

これがまた……すごいわ。
歌はホント、キーを合わせて歌ってるだけで、
フリも並んで同じフリで踊るだけなんですけど。
やっぱ二人並ぶと、なんか圧巻ね。

面白いです。



……。



え?



他?



ほかは……特に。
……ナイトドレスと……髪型を、幾つか……だけ。
あの、上のお写真であすかさんがお召しになっているのが、
そのですね、
オイサンが買ってあげた……ナイトドレス……です。



……。



て、てやんでえー!!



俺が働いて稼いだゲイツポイントだぞ、
文句あんのかこr熱ちちちちちちちちちち
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!
ごめんなさいごめんなさい絢辻さんごめんなさい!!
今すぐ返してきなさいってそれは出来ないんです返金は出来ないんです!!



いい加減ふつうに親から怒られそうな気がするオイサンでした。



 

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2011年5月29日 (日)

■青春として。~『げんしけん』は如何にしてその魂を生贄に捧げたか -更新第677回-

先日、『げんしけん』の新シリーズの単行本第一巻が発売されました。
オイサンです。

げんしけん 二代目の壱(10) (アフタヌーンKC) げんしけん 二代目の壱(10)
(アフタヌーンKC)


著者:木尾 士目
販売元:講談社
発売日:2011/05/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

オイサンは第一期の『げんしけん』は一巻目の雰囲気が大好きで、
遊びに行った高校時代のオタクな友人の社員寮でそれを紹介されるやほれ込んでしまい、
帰りのアシで購入して帰るほどでした。

そのくらい、あの一巻・第一話の印象は鮮烈だった。
当時徐々にはびこり始めていた、
オタク文化を自虐的に縮小再生産したマンガとは一線を画した、
社会の片隅に息づくオタクの本当の姿がそこにあったように、オイサンには思えます。

けれども以降、お話が派手になり、
自虐的縮小再生産のエッセンスも混じっていくに従ってオイサンはどんどん興味を失って、
最終巻に至ってはもうすっかりどうでも良くなっていました。
今回発刊された『げんしけん 二代目』はその延長線上にあって、
また随分ナナメ上向いてテンションをあげていますが、
うむ、
なかなか楽しめました。

一巻一話の雰囲気を諦めさえすれば、面白いお話だと思います。
少なくとも、先の展開は全然読めない。

  マ大体がして、あの一巻一話の空気をまとったオタクさんも、
  世の中の、少なくとも普通に日の光の届く範囲からは随分減ったように思われます。
  それが、メディアが世間に阿っていったからなのか、
  はたまた世間がメディアに引き寄せられていったからなのか……
  どっちなのかは分かりません。
  多分、どっちも。ワリと五分に近い割合じゃないかな。
  メディアって怖いぜ。

デ、その勢いで、もはやすっかり忘れていた
アニメの方のOPがハテどんなんやったかいなと気になって漁ってみたところ……
OVA版のOPに行き当たりました。
ははあ、OVAになんてなっていたんですね。
知らなかった。


▼青春として。げんしけんOVA OP

映像がまた良いんですよ。泣ける。
眩しいほどのクッチーの笑顔。CD-Rの裏面。この画を作った人はホント分かってると思う。




これがまた……


素晴らしく良い曲だな!




ただし、必ずしも『げんしけん』のOPとしてマッチしているとは思わないけどもだ。
そしてそれは初代アニメ版『げんしけん』のOPにも感じていたことなのでした。
ナニが違うかって……オイサンの持っている「オタク」という人種の面影に、
そこそこマッチはするのだけれど、
肝心なところでずれている……そんな気がするのです。
良いところまで接近しているがゆえに、
その少しのズレが気にかかる、
CGの世界で言うところの「不気味の谷」に陥っているように、放映当初から感じておりました。



……。



ちなみに、この先の文章の随所に「オタクとは」みたいな、
オタク論、あるべき・ありうべきオタク像の話が出て参りますが、
それはあくまでも、オイサンがこの三十年あまり、
……いわゆる「オタク」としてのキャリアはうち二十年そこそこですが……
そういう期間、オタクというものを内から外から眺めてきた上での
あくまでも見た目的統計論に過ぎませんので、そこんトコは一つヨロシクです。

共感も反論もウェルカムですが、絶対でも正義でもないので、誤解のなきよう。



……。



 ▼などという、ですね。

モノワカリの良いことを書いてしまうと安全ではあるんだけど刺激的ではなくなるので
書かない方が旨味はあったりするんですけどね。
でもまあ、ホントのことなので書いときますけど。


 ▼ソシテマタ!(Hacking to the Gate風に)

そんな風に、客観的なオイサンは書いていながらも、
主観的なオイサン自身は心のどこかで

  「ケッ!どいつもこいつも良い子ちゃんぶりやがって、
   オタクなんてのは↓こういうモンなんだよ! わかってねえな!」

と、吉野家コピペ然として考えているとコトもまた事実だ、
というコトも合わせて分かっておくと世の中ってヤツがちょっとだけ楽しくなるよ!
どれもこれも、全て矛盾せずに本当のことですからね、エエ。

▼Hacking to the Gate

全然関係ないけど、Hacking to the Gateを略すとH to G、
つまりアルファベット一個分の逆行とか、
そういう意図もあるのかなとか、不毛なことも考えてみたが強引だな。




■第一期OP 「マイペース大王」



タイトルを聞いた時点で、
「あ、失敗したな」
とストンと思ったのを覚えています。

オタクってね。
別に、マイペースなワケじゃないんですよ。

世間の流れに流されず、自分の好きなほうへ向いて、思うところへのみ向かう。
その印象はまあ間違っていないと思いますけど、
決して、世間に対してマイペースを保っているわけではないんです。

皆、常に世間の目を気にして、
流行を羨み、けれどもそこに馴染めない自分を責め蔑んでいる、
少なからずそういうところがあって、
周りからの流れを気にしてビクビクしているもんです。
どうしたってその流れに合わせて歩調を変える、
気にして気にして、流されて、でも流そうとする流れがあるから踏ん張れる、
そんなところにある人たちだと、オイサンは思います。

  そこを越えて突き抜けちゃった人たちはもう、ちょっと「オタク」ではくくれない世界にいる人たちだと、
  オイサン思いますよ。
  オカダトシオとか、アンノヒデアキとかさ。
  彼らはオタクであった以降に、学者さんであり芸術家にちかいところにいるでしょう。
  無論、それらである以前にオタクではあるんだけど。
  「オタクである以前に学者」では決してないと思いますけどね。
  でも今では、オタク以上の地殻が、彼らを覆っていることは事実だと、
  少なくともオイサンのケチな目には映ります。

そもそもマイペースというのは、
最後には自分の歩調が周囲の歩調に対してどこかでキレイに合流する、
どういう結末であれ自分は無事で済むという
(無意識の上であっても)自負があるから貫き通せるわけで。

オタクは……そうではないと思います。
下手をするとその流れのギャップや軋轢にすりつぶされて死んでしまうという
怯えがどこかにある。
だから世のフツーのオタクさんたちは、
「マイペース」という言葉の示すほど、ふてぶてしくもなければ自信もないのです。

そりゃあね。
ある程度「ケッ」って言いますよ、世間様に対しては。
その流れが強くあればあるほど、自分達の存在は際立つし、自分たち自身も強くあれるのですから。
精一杯の強がりで、「世間なんてよっ!」って言います。

でも本当に世間がどうでもいい人は、そんな言葉もクチにしないはずです。
だからそれがある限り、オタクはマイペースではいられない。
そういう意味で、大きく『マイペース大王』を主題歌においてしまった
アニメ『げんしけん』第一期は、オイサンにとっては余り興味のもてる作品ではなくなりました。

アタマ何話かは見ましたが、途中で切ってしまいましたね。
確か。


  だから「自虐」と「縮小再生産」を売り物にしてしまった時点で、
  オタクの世界は変わらずにはおられなかったのでしょうね。



■そして今回の「青春として。」



▼青春として。げんしけんOVA OP フルバージョン



上でも書きましたけど、このお歌、オイサンは大好きです。
ベースとなる色は大好き。
そしてまた、基本線としては合ってると思うんです。
青春ドラマとしての『げんしけん』(一風変わってはいますが)にはマッチするお歌であると。

けれどもね。
青春の各論として、オタクのメンタリティに触れようとしたとき、
このお歌の持つあまりに前向きなアドバンスな力は、
やっぱりちょっと馴染まんなあとオイサンは思います。

まあそもそも、オイサンの思い描くオタクの姿は
『げんしけん』の世界ではマイノリティに追いやられてしまっているので
主題歌に登場するのは不適当なのかもしれませんが。

オタクって……初期のクガピーやクッチーが、
その代表選手だと思うんですよね。
あとはハラグーロに、イイトコ最初の頃の荻上ちゃん。

彼らは、なかなかこう、お日様の下で「ボリューム」や「スピード」を上げる人種ではない。
「輝く未来に羽ばたく」ことを夢見たりはそうそうしない。
もっともっと、流れをきちんと見ていて、聡明な諦めを身に付けていると思うんです、
彼らは。
「今日というシナリオも、明日というアドリブも」
という言い回しも、オイサンは大好きなんだけど、
やっぱり彼らにはおしゃれがすぎると思う。


 ▼お日様の下の『げんしけん』

『げんしけん』の世界は、なぜか二巻以降、
彼らの生活圏であるオタクの世界にのみカメラをフォーカスするようになりました。
彼らがイキイキと躍動するその分野での出来事を追うようになった。

オタクって、今でこそ秋葉原という「聖地」を社会に生け贄として差し出すことで、
その存在を一般社会にある程度認知せしめることに成功してはいますが、
『げんしけん』の連載が始まる丁度その前後まではまだまだ日陰者で、
お日様の下にいるときはすっごいしょぼくれていたように思います。

そんな彼ら(本当は「我ら」なんですけどね)の姿を描くのに、
彼らだけがいる世界を描いてもしょうがなかったんじゃないかなあと、
オイサンは今でも思います。

勢い、原作は結局、オタクなエッセンスをふりかけただけの、
ワリと普通の恋愛物語として幕を閉じていかざるを得なくなっていたように思います。

彼ら・我らオタクは、別に日陰でのみ生きてる訳じゃなくて、
むしろ生活の大部分は普通の人たちと同じ、お日様の下で生きてるわけで、
やはりそこにも、ある程度舞台を持つべきだったんじゃないか。

ああいうフツーの世界にしたからこそ、
『げんしけん』が最終的に今のサイズの成功を収めたことは確かだと思います。
オイサンの望んだ姿の『げんしけん』は、
数字の上では、きっともっと小さなサイズでしか成功しないでしょう。
それでも、やっぱり作品として今の『げんしけん』は不完全で……
もっと高みへ上れる作品だった。

オタク世界にカメラをフォーカスしたことが、
『げんしけん』の成功と失敗両方の原因だったと思うし、
フォーカスするにしても、咲さんはあの世界には、かたくなに染まるべきではなかった。
彼女は外界の代表として、もっと彼らに辛辣であるべきだったと思えます。

  逆に考えると、彼女が態度を軟化させて少しずつ融和を図る姿は、
  当時のオタク文化圏と世の中の距離を、
  なかなか見事に象徴していたともいえるかもですが。


 ▼日陰者の花

チョイと話はそれましたが、まあそんな意味で、
『青春として』に用いられる旋律と歌詞の力強さは、
かげり、しめった世界でのみ花開く我ら・彼らの青春には今一つマッチしないと思えます。

幸せや悲しみを分かち合う青春の仲間、という観点では、
『げんしけん』のドラマにこの歌は正しい。
それはオタクに限った話ではないと思うけど、
このアニメの主題歌に据えられた時点で、この歌はこの作品のものだと思うし。

だからこそ、そこに主旋律としてあてがわれるべき感情の言葉は、
喜びはもっとジトッとして、悲しみはもっとアッケラカンとして、
くすんだ、しなびた、けれどもしなかやであっていい気がする。

それこそ、「すれちがうさみしさ」や「ゆれまどうかなしみ」を、
「今日のところは一休み」するんじゃなくて、それらをこそ強く打ち出して、
メインに描いて欲しかった……んだけどねえ。
オイサン的には。
オタクの日常って、どちらかといえばそっちが大部分だと思うんだけど。

それに、オタクというのは
「ささやかな喜びを分かち合う幸せ」に耽溺して、
「すれちがうさみしさ」や「ゆれまどうかなしみ」を
「今日のところは」と一休みしたまま、ずーっと来てしまったようなところがある人種でもあると、
オイサンは思います。
日々直面するさみしさかなしさを、

  「マママママ、まあ、それは一先ずいいじゃない。
  これからアニメ始まるから」


みたいなことでね。
やっぱし、そこを逃げずに真っ正面から、説教臭くなく、面白く、
描いて欲しかったというのはあります。
丸めた自分の背中を、しっかりと描いて欲しかった。
TPSのようにね。

  「この作品の中にはこういうオマイラの仲間がいるから、
   今はそういう感情はしまっておけ」
  という開幕のメッセージだったのかも知れないけど。

そういう意味で、『マイペース~』のときもそうだったけど、
この作詞作曲のMANZOさんはオタクってものを分かってない……というと傲慢なので、
オイサンの見てきたのとはちがうオタクを見てきたんだな、と思う。

マ、オイサンの偏見だけどね。
オイサンはオタクだけど、オタクに偏見があるんだ。
そしてその偏見にマッチするオタクをいとおしいと思う。
突き抜けて、強い輝きを放ち、

  「お前まぶしいんだよ消せ!!」

と疎んじられる、ギリギリのセンで役立たずな強い光。
役には立って欲しくないんですよね。
どこかで邪魔くさくあって欲しい。
そこにかなしみとさみしさが生じるわけで。
理想のオタク像に近いものがある。

オイサンも、大学時代にそうやって同じ仲間と過ごしていれば、
こうは考えなかったのかもしれない。
こないだの記事でも書いたみたいに、オイサンはここまでコアなオタクの世界には浸れずに、
本来その世界の住人でありながら、外からその世界を眺めて来た人間なので……
だからこそ中立に見られているという若干の自負もあるのだけれど、
見えていない部分も一杯あると思うので。

中に入っちゃうと、楽しい・気持ち良い、世界は全てそれで出来ている、
みたいに思えてしまうものですしね。
オイサンが大学時代に少しだけ浸っていた、演劇の世界もそれに近いものでした。
浸ったがゆえのドロドロも勿論あるわけですが、それは楽しみの裏返しで、
それはそれでやはり、オタク暮らしに固有のものではないでしょう。

だから、今の、明るくて、おしゃれで、
アウトゴーイングな若オタ諸氏を前にすると、
果たして彼らをオタクと呼んでも失礼じゃないのかな? と身じろいだりもするけれど。
これが時代というものなんだろうと、飲み込むことにしています。



■「n%3」の希望



とは言うものの。
やっぱりこの歌、ポップスとしてすごくいい。

……そう、上でも書きましたけど、聴き様によってはこの歌、
もっと全然ゼネラルに使えそうな歌なんですよね。
フツーの青春モノのドラマとか、恋愛ドラマとかにも全然合わせられる。
そんな、売り出しようによっちゃもっとメジャーに売れたかもしれないものを、
こんなニッチな世界に、よくぞつれてやって来てくれたと……
お歌としては、紛れもない「すごくいいうた」だとオイサンは思うので。

両手を広げて歓迎したいと思うのです、



ようこそ!!



  ……今更、ではありますけどね。
  けど不思議と、聴いていると、どうも「アニメの主題歌」以外には
  ピッタリこないような気もしてくるんですよね。
  なんでだろ。
  ちょっとダサイのかしら。イマドキでないというか。
  アニメっぽさ、みたいなものってどこから来るんだろう。

特に

  「人生は3で割る。割り切れないことだらけ。
   だからせめて、その余りに大事なことをギュッと詰め込んで生きていこう」


とは、まさに言い得て妙だと思う。
ここはまさに、理想と偏見のオタク像を見事に言い表してくれていて、
本当に。
うれしくて。
涙がでましたよ。
そだよな。
割り切れなさのあまりなんだよ。
結果論だけど。

けど、3で割るということは人生の1/3は割り切れることだということで、
それはかなり打率のいい人生なんじゃないかな、という気がする。

無限に(?)存在する素数、そのどれを分母において生きていくか。
でも「自分が日陰者だ」と自覚することに成功したオタクは、
案外割り切るのはうまいかもしれない。
諦めとか、開き直りともいうけど。
3か、5か、7か。
案外、表舞台に立って色んなものと戦う人のほうが、
その分母は大きい様な気がするね。
相手にする物の数が多いから、あたりまえか。



■Closing



まあ……そんなことでしてね。
若い人がこんなコトを言われても、全部はピンとこないかも知れないな。
ちょっと特殊な視点も入ってるだろうし。

案外この歌は、
ローソンなんかで『けいおん!』やら『レールガン』やらが大々的に売り出される
今に育った人たちならば、
すべてにぴったりと合点が行く歌なのかも知れません。
分母も、ホント3くらいで。

今オタさんには今オタさんのかなしみ、さみしさ、苦しさがあるのだろうし、
「おまいらはラクしてる、けしからん、わしらが若かった頃は……!」
なんて言うつもりは毛頭ありません。
今には今のあり方を謳歌して欲しいと思います。
それは時代性を伴わないオイサンには到底理解できないことでしょうから。
まかせた。



ただね。



芸人の有吉さんがね。
言ってましたよ。
「ブレイクするってコトは、バカに見つかるってコトなんですよ」と。
それまで役に立たずとされていたものが、
金になりそうだと嗅ぎつけられて、祭り上げられることなんだと。

オタク文化は、芸術だとか、産業だとか、もてはやされてはいますけど、
やっぱねー。
役に立っちゃ、だめだ。

テレビゲームが良い例ですよ。
子供のおもちゃだった物が、株主の都合にまきあげられて、
決算期に間に合わせるために駆け込みで悪質ゲームがリリースされ、
短期利益の追求のために、長期スパンでの開発や投資が認められづらくなって、
有名どころのクリエイターは軒並み独立していったでしょ。

お日様の下に出るってコトは、そういうことなんだよやっぱり。
そこで胸を張って輝き続けるにはそういうコトが求められるし、
コツがいる。

そうじゃないだろ。

「そうじゃないだろ」を叫び続けることはモラトリアムでしかないんだけど。
「あまり」にしか出せないアジを、オタクには出せると思うんだよな。

オタクはロックンローラーじゃないから叫ぶ必要はないし、
明らかな敵意や反骨精神を示す必要もなくて。

  「いやあまた役立たず呼ばわりされちゃったよ参ったねへっへっへ俺キメェ」

って、タフな薄ら笑いでアニカラでも歌っていて欲しいと思いますけどw

ずいぶんと物わかりの良くなってきた感も垣間見えるオタクの世界ですけど、
ちょっとこう、今更ではあるんですけど『げんしけん』発刊のタイミングで
この良いお歌を発掘出来、
いくらかの人にでも聞いていただけたらいいなあと思いましてね。
ご紹介してみました。

  ……Youtubeで紹介すんのもキミそれはどうなのよってのはあるけど。
  オイサン買ったよ。
  ぽちったよ。

皆さんがこのお歌を聞いた時、
自分の中のスピリッツと重ね合わせ……
果たして、残るのが素直な感動なのか、違和感なのか。

別段ワザワザお聞かせ願えなくとも、いいので。
残った物を胸にしまって……
今日も明日も明後日も、
元気に、どうしようもなくオタクでいて欲しいと願うオイサンでした。



……。



うーん。



この記事、ワリと非難轟々の様な気がするな。
どうしよう。
まあいいや。



 

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2011年5月26日 (木)

■つぶやきのようないくつかのこと -更新第676.1回-

わけもなく凹み気味のオイサンです。

こんな気分なんか、あったかい物をおなか一杯食べてちょっとよく寝れば
スカッと消えてなくなるのは分かっているのですが、
やっぱりその只中にいるときは辛いもんですね。

あと解消されるタイミングは……「これはいけるな」という一文が書けた時、か。
別に誰が評価するもんじゃない、
自分で最高だと思える一文が書ければいいと思う。
て言うか、それでオーケーな強い自分でいたいとは思います。
つまりは、自分に何か不安があるってこってすな。
ぽてちん。
あヽ、僕はいつ頃大人になるんだろう。



■虹とエロスのはずれで



オイサンは、同人・エロゲがオタク文化のド真ん中に来る以前に
オタクとして一番勢いのある時期を過ごしたので
(また同人とかにまで向かう方向性を持ってなかったので)、
今でも、好きな作品でも同人誌にまで手を広げたり、
そういうものをたくさん集めたい・触れたいっていう欲求があまりないのよねー。

今回『アマガミ』で身の回りの人がそういう方面にも熱心に手を広げ
活動しているのを見ると、あー自分には足らんなー、
という淋しさを憶えることもしばしば……なんだけど、
やっぱりそこまで手間ヒマやお金をかけようとは、思わないんだな。

そもそも自分が、そういう意味でオタクなのかどうかも怪しいんだよなー。
ぞれはもうずっと。
大学とかで漫研・アニ研とかに入って色々やっているような方々の持つベクトルが、
自分にはない。
イマドキはオタクの在り様やトレンドも変わっているから、
そういうのでない人たちがオタクではない、なんてのは乱暴な言いっぷりかもしれませんが、
オイサンが現役の学生さんだった頃は大体そんな感じじゃったんじゃよ。
悪く思うな。

関東と関西とかでも、違うんだろうな。
同人誌とかミニコミ的なものが、日常的に手に入り易いとか難いとか。

それはオイサン生来の「いい子ちゃん」の部分が邪魔した部分もあるんだろうなー。
「自分の活動領域はここまでー」みたいなセンを、
親とか周りの目を気にして自分で引いちゃう性質。

別に、本当に欲しけりゃバイトでもしてお金もためて、
関東でもどこでも行けばいい話なんで。
やっぱそこまでの情熱がなかった。
欲しいもののために天元突破するような勢いとかはなく、
無難に手の届く範囲でのみ活動する感じで。
それは今もあまり変わってない。

その辺に対する怒りとか反骨精神みたいなものが芽生えないんですよね。
何がこの性質をこしらえたんだろう。
ヒトごとの様に言ってるけど。

ただまあ、そういった欲しいはずのもの全部を手に入れないタチのおかげで
自分勝手に妄想して色々を作り上げるクセみたいなのは、育まれた気はする。
この妄想癖・創作癖みたいなものが何に起因するのかはわからない。
気が付いたらこうだったなあ。

そういうブツを手に入り易くする仕組みが整ったのも、
またワリと最近の話だったりするんだろうし。
とらのあなとか、メロンンブックスとかが広く世間に出来始めたのがさ。
身の回りにはなかったもんなー。
大阪・日本橋のオタ街としての発展だって、ここ10年くらいの話でしょ?
これでも、アニメイトが身近にあった分、恵まれてたと思うぜオイサン。
UHFは全然入らなかったから、テレ東系のアニメなんかは全然見られなかったけど。

だから、そういう、同人・エロゲ方面で大きな発表があったりしても
その大きさが実感としてはわからないし、ノレないわけで。
まオイサンみたいな、思い込みが激しくてのめりこみのキッツイのには、
あんまりたくさんののめりこみポイントが発生しない方が身のためなんで、
いいんですけどね。

毎回『アマガミ』みたいに50kgずつ痩せてたら、なくなっちゃうもの。
そこはバランスが取れてるなあと思います。

何の話かって、同人文化へのかかわりの話なんですけどね。
それをやるのが当たり前、やると当たり前のように楽しい、
という感覚が、やっぱり未だにわかんないって話でした。

あ、間違っても、否定的な意味ではないですよ。
オイサンに実感がわかない、それはなんでだろう、ってだけの話でした。



■買わなきゃハドソン(M&A的な意味で)



高橋名人の件に乗っかって。
ハドソンといえば、「この一本!」と言えないくらいに、
子供時代のヒーロー的なメーカーでしたね。
特に、バリ撃ち系STGが好きだったオイサンにとっては。
『スターフォース』。
『スターソルジャー』。
『バンゲリングベイ』。
『チャレンジャー』。
逆に、
今定番となっている『桃鉄』や対戦がメインの『ボンバーマン』になってからは、
オイサンは離れてしまっています。
PCエンジンが出てから、
……うちはゲーム機を二種類も持てるほどブルジョワジーじゃなかったので……
ハドソンとは離れてしまった感じですね。

次にオイサンとハドソンの道が交わるのは、多分
SFCの『アースライト』、そして『北へ。DiamondDust』ではないかと思います。
SLGにギャルゲーてw
ハドソンぽくねえ。

先日のSTGに関する記事で、
「『怒首領蜂』の次は『シューティング技能検定』だった」
と書きましたけど、
その前にGC版の『スターソルジャー』を相当やってますね。
そうそう。
オイサンにとっての「面白い」STGは、
まさにこのGC版の『スターソルジャー』ですね。
ホント時代遅れ……というか、時流乗らずの人だよオイサンは。

しかし、高橋名人。
確かにすごいですね。
20何年もの間、……メディアへの露出が控えられていた時期もあったとはいえ、
名人であり続けたというのは。

マ今となっては有名無実で、「何の」名人なのかと言われたら?マークですけど、
有名人、一種の「公人」として、
一企業の一広報でありながら、言葉の一つ一つや、行動で規範を示し続けてきた、
ということが、すごいと思います。
フツーだったらどうにかなっちゃうと思うんですけどね。
マどっかで開き直りのようなものもあったのでしょうけど。

むしろ、「ゲームの名人」としての位置づけでは
毛利名人の方が今でもよっぽど名人然としていると思いますが、
貫禄、威厳、そういう意味では高橋名人の方が名人だなあと。
「何かが上手い」という意味での「名人」ではなくて、
「すぐれているひと」という意味で、高橋名人は「名人」なのではないでしょうかね。

フツーのオッサンじゃないですよね。
間違いなく。
彼の人生は、多分彼個人のものである部分よりも、
名人・公人としての割合の方が多いんじゃないのかなー。
彼自身の心に残っている彼の姿の記憶よりも、
オイサンはじめ、世間一般の人たちの心に残っている、名人としての姿の方が、
きっと総量は多いでしょうから。

同じ、企業の一広報として似たような活躍をした人に、
アトラスの広報・相原さんがおられました。
かつて「流星野郎のゲーム業界裏情報」というラジオ番組をやっておられて。
オイサンはこの番組大好きで、一生懸命聴いてました。
オイサンの書くこの文章のリズムとか一部の言葉遣いには、
明らかに彼から受けた影響が色濃く残っていたりします。

同時期にクライマックスの内藤寛さんがやってたラジオもありましたね。
他にも有名な企業人の広告塔としては、セガの広報・竹崎さんがおられました。

皆さん、オイサンの知る限りでも結構な長い期間、
「表舞台に立つゲーム会社の人」でおられましたけど
(内藤さんは社長でプログラマーなので広報じゃないですが)、
その影響力も、活動の長さも、範囲も、高橋名人には遠く及びませんでしたね。
そういう意味で、やはり高橋名人は唯一無二の「名人」であったなあと思います。



■『ドリクラ』あすかさん日記 8月・第5週



なんかちょっととんだな。
マいいけど。

自分の体の中では足が好きなんだと。
恋バナは苦手で、今の足の怪我……リハビリが終わるまでは恋愛禁止なんだと。

うーん。
さすがにこんな雑談を記していくのは不毛だな。
ふもっふ。

とか考えて思うだのが、実際のキャバクラでおねーちゃんと仲良くなろうと思ったら、
やっぱり最初の何回はこうやって通いつめて、
不毛な雑談をやらないといけないのかしら。
マそーだろーな。
うわーめんどくせえ。

最近になってようやくわかってきたけど、
男が格好つけるのも、上手い誘い文句で女性に言い寄るのも、
女性が着飾るのも、扇情的な言葉やポーズで男を惹きつけようとするのも、
求愛行動なわけですよねえ。
なんというか、動物だなあというか、
良い意味で汚らしくて当然というか、その汚らしさこそが聖性なのだというか。
本当の意味でのワイルドさみたいな。
なんでかなー。
なんでその、あって然るべき物を、そうだと気付かずにここまでこられてしまったのか、
自分のそのことがすごく不思議なんだけど。

「理性で抑えられてしまったものを理性で持って乗り越える」みたいなことを、
やれずにここまできちゃったんだよねー。

マンガで描かれる恋愛とか、お付き合いっていう言葉の先にあるものを、
キチンとその先に地続きであるものとして、
とらえられずに来てしまったというかね。
「それはそれ、これはこれ」みたいなことで。

いやあ。
どうなってるんだろう。



以上。
読みやすさとか、推敲とか、ほっとんどなしに。
ゆび先の走るままにぶった切ってみました。


ここは、『ゆび先はもう一つの心臓』。
オイサンでした。


自分のことは書くのラクでいいや。



 

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2011年5月25日 (水)

■雨の月形 -更新第676回-

朝シゴトバに着くなり、どや顔の同僚に
「高橋名人がハドソン辞めるらしいぜ!」
と知らされショックが隠せません。

オイサンです。

な、なんてこった……。
とらサン、それは昨日のニュースだ……。


それはマア笑い話なんですけれども。
ただちょっと真面目に考えてみると、
オイサンはそのニュースは昨日の昼には知っておりましたので、
とらサンとオイサンには約20時間の時間差があったことになります。

コレがもしオシゴト的なお話であったり、
なんなら緊急ピッコロ大魔王襲来速報であったりしたら、
食い扶持、果ては生死を分けることにもなりかねません。
恐ろしいですね。
今の世の中、全部は無理だとしても、
命に関わる情報くらいは最速で入手できるパスを確保しておきたいものです。

マすくなくとも、高橋名人の進退はオイサンの生死を分けません。
多分。



■猫とスズメと苔の三味の音



今朝の関東地方は冷たい雨で、
ここ数日の蒸すような、けれど温かな空気がまるでウソの様に寒かったのです。

昨日はどうにも手足が冴えなかったので
普段より少し早めにオシゴトを切り上げて床に就き、
目覚めても、体はまだどこか霧の中にいるようで。
灰色の空と、水に張り付くような空気の冷たさが、尚のこと気分を後退させました。

家から最寄りの駅までの道を歩きながら、
風も強いことだし、これ以上調子をおかしくしてもまずい、
総武線を降りてからいつもは歩く三駅を、
今日は普通に電車でいってしまおうかと考えておりました。

まあそれも、着いてからの天気とご相談ですねー、と
最後の留保はとっておいて。

結局新宿に着いても雨風ともに衰えず、
そこから十分もしないうちにいくらも収まるとは思えない。
こりゃ今日は最後まで電車かなあと思いながらいつもの駅に着いたとき、
なんとなく、その味気なさに尻を蹴られ、エイヤアと電車を降りて歩き出してしまった。
傘の下、三十分。
雨も風も、思っていたよりは冷たく感じなかった。

道すがら最初に出くわしたのは
誰かのツイッターアイコンに似たちょっとデブ目の白い猫で、
彼はヤブにらみの目でこちらをジトリと伺ったあと
ぬるぬるに濡れた毛並みにふさわしく身をこなし、
ヨッコラショと土手の生垣を越えていく。
肥えてはいても軽やかなもんだ。
ちょっとギリギリだったけど。

靖国神社の裏手ではすずめが二羽、
これまた雨に羽を滑らせながらじゃれあっていて、
こちらに気付くと、からかうように辺りを二巡りすると、
やはりぱたぱたと飛び去ってしまった。

あとには、葛に包まれたようにぬれて光る、苔の石垣が残った。

どいつもこいつも寒くはないのだろうか……と思えど、
水といったらあの蛇口をひねって出てくるやつだという大概の人間どもと違い、
野良猫にも、雀にも、苔にも、水とはやはり雨なのかもしれない。
北の方で危ういものを撒き散らしたあとのこの雨が、
果たして恵みのものなのか、滅びのものなのか……
わからないけども。

嫌うなら電車に乗ってしまえば済むが、
こうして雨を歩くことで彼らとほんの少しでもお近づきになれただろうかと、
そう思えば、まあ……気まぐれに歩いてみて正解だったかなと思える。

少し、気分が良くなった。
しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん。

毎度のことながら春の雨には救われる。
こんな気持ちになれるなら、
春雨じゃ、濡れて参ろうと粋がる月様のこころも分からんではないなあと思う、
残業の確定した皐月の朝の出来事。

これで雛菊が伴ってくれれば言うことは無いんだけどね。



オイサンでした。
ぶひょぅ~( ← 尺八)。




 
■オマケ 『ドリクラ』あすかさん日記 8月第2週・第3週



お酒にはあまり強くないみたいで、ビール1杯半でもうメロメロ。
でもビールが好きみたい。安上がりで大変よろしい。

話題はやはり、バレー、運動をメインに。
お酒の話、怪談が好きな話、下ネタが本当に嫌いだという話。
ETSに入り、延長をかけてその程度。

まあまだ3回目ですしね。
世間話程度です。
あと、一回思いっきりアタックされた。憶えとく( ← 陰湿)。

やはり語尾が気になる。
話してても今一つ楽しくないなあ。

 

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2011年5月24日 (火)

■長七郎 戦国ドリーム日記 -更新第675回-

ねもい。
オイサンです。
眠いアタマで、勢いだけで書きますよ。

『ドリクラ』と『戦国乙女』の二大アホタレ時空のことと、
その他のアニメの事をちょっとずつだけです。
もう、眠いのでほとんど手クセで書けることばかりだ。



■『ドリームクラブ』日記



 ▼魅杏さんとの日々

もうエエ加減帰りが随分遅くなり始めているんですが、
帰って寝るだけなのも悔しいのでチョイとだけ『ドリクラ』でもやるかな、
と思って手を付けたら、
二日分やっただけで突然エンディングが始まってびっくりしました。

というワケで、感慨も薄いまま魅杏さんとハッピーエンディング。
コロッケおいしいです。

そうして判明した魅杏さんの本名をWebで検索してみて、
同名のムフフビデオ女優さんの記事ばかり出てきて若干死にたくなりました。
世知辛え……。


 ▼NEXTコナン's Hint

そんなオイサンの死にたい欲求はサテおき、
次は誰を目当てに通おうかと考えるわけですが、


……うーん。


雪っちゃんには、中の人(ミズハス)ポイントで興味ありますが、
この子は何となく、受付さんに次いでこの世界を牛耳っているようなところがある。
ラスボスさんのような気がするんだよなあ。
自由だし、妙に鋭いところとか有りそうだし、
このお店の闇の部分にも、いくらか勘付き、
その上で気付かないフリをして暗躍しているんじゃないか。
そんな怖さが、この子にはある。

魅杏さんシナリオで途中まで関わったこともあって引き続きお相手したいのは山々なのですが、
シナリオ的に興味がもてなさそう、というのもあり……。
ちょっと二の足を踏みます。

シナリオがオイサン好みにしっとりしていそうなのはメインヒロインの亜麻音さんですが、
あんまりこの子、好きじゃないんですよねえ。
小清水さんのお芝居がそんなに好きじゃない。

半ネタ的に気になるのは、魔璃さん。
ラジオでのしゃべりが面白く、最近中の人(石毛佐和さん)が気になっているのもあり。
ただこれもシナリオ的にハデそう、アホっぽそうで……。
まあそれもいいのかなあ……。

みおさんはちひろパパさんのお手つきだしなあ
(ヘンなナワバリ意識)。

実際のこういうお店では多分、最初は見た目の第一印象で選ぶのでしょうけど、
見た目的には……どれも別に……。
ああ、そうか。
初心に帰って、このゲームに手を出すきっかけになった
あすかさんにでもいってみるかしら。
シナリオもそこそこ湿ってそうだし。
褐色だし(?)。

というわけで、次はコーヒー牛乳色のビーチバレー美少女、
あすかさんに決まりました。

 ♪ ring ring ring rin'ring ring rin'ring ring
    恋のBellが鳴るー


っとくらぁ。 ← 酔っ払い


……しかし、新しいホストガールに行くのもいいけども、
魅杏さんにどんどん、DLCやらお衣装やら貢いで、
自分色にカスタマイズしたくなってしまいますねコレ。
一周目ではそういうことに全然手を出していなかったのですが。
魔物です。

というわけでひかるちゃん、次はコレ着てみてくれる?

……とか言いつつもね。
入店するとき受付さんに、

  「コスチュームのご指定はございますか?」

と訊かれると、

「『ある!』って答えたらなんか欲望丸出しみたい! そうじゃないんだよ!
 『ない!』っていうのはそれはそれで、どーでもいいと思ってるみたいで気が引ける!
 どうしたらいいんだッ!!」

と頭を抱える程度にはピュアなオイサンでピュア(語尾)。

……結果、編み出した結論は(結論が「編み出す」物なのかどうかはサテオキ)、
「『指定する』」を選択しておいて、
 『やっぱりいつものでいいや』とばかりに特に指定は変更しない
 ……という動きを、何回かの入店のうち一回挟む」
というものでした。
めんどくさいオッサンだな!!


 ▼あすかさんとの夜 8月・第一週

そんな感じで行ってみた、二周目・初日のドリームクラブ。
あすかさんはちょっと体育会系で真面目なコみたいです。
一生懸命名前を憶えようとしてくれるところとか。

ビールがお好きな様ですね。
えっちくさい話題はキライみたい。
バレーボールから入って、今はビーチバレーをやっておられるとか。
現在ケガで療養中。

ただ、ちょっと、話してみて……
うーん。
いかんな。
この子の、しゃべり方があまり好きではない。
語尾がちょっと流れたあとで上がる感じ。
「新しいボトル、入れるわねぇー(↑)?」
みたいな。
まあ……そのうち慣れるか。
お店じゃ誰と仲がいいんだろう。
酔っ払うと、すっかり体育会系のノリになって若干説教が入るのが玉に瑕です。
イキナリ呼び捨てになるし。
大丈夫かこの子。

まあボチボチと、気が向いたらレポートするかもです。
今回は2週間もののバイトを増やしていこうかしらね。



■ついでに『戦国乙女』のこともしゃべっとくか



いい加減おふざけが過ぎる戦国さんちの乙女さんですが、
それでも全然赦せてしまうのがスゴイですね。
ああいうフォーマットの強みか。

1クールなのか2クールなのか知りませんが
(↑もうそこまでの興味がないw いつ終わっても「それが『戦国乙女』なのだ」と思っている)、
メインの天下獲りのファクターが全然疎かにされていてステキです。
最新話のオシリで少しだけ、先が出てきましたけど。

そもそもあの世界で、「天下を獲る」ということがどういうことなのかも
全然分かりませんしね。

「天下を獲る=あの世界の理に触れること」で、
真紅の甲冑を集めた者は、あの世界の摂理の全てを見通すことが出来るようになる
(現時点では誰も、女ばかりの世界で自分達がどのようにして生まれてきたのかを
 知らなかったりする、その仕組みを知るようになる、とか)。
……だったりすると、意外だけど……ベタで萎えるなw

大体、天下を獲りたがっているのがノブナガだけで、
他の連中は天下獲りにも甲冑にもまるで無関心なのもまた面白い。

ノブナガのその「天下を獲ろう」とする行いを利用して、
それぞれの目的(それが明確にされているのが誰もいないけど)を果たそうとしているだけ、
「甲冑 ← ノブナガ(のエネルギー) ← 他の武将」
という構造がヘンテコ。
ノブナガさん、すっげえピエロなんですもの。

ケンシンとシンゲンなんて、メインキャラのクセして本筋には全然からんできやしねえw
機能してんのイエヤスちゃんくらいじゃないですか。
あとマサムネさんですか。
ヨシモトさんもただのアホだしw

  今週の「美しすぎて、ご免あそばせっ!」っていうの、
  いかにもアホで大好きでした。

けど、これから、ミツヒデちゃんのシリアスな悲恋が始まるのでしょうね。
正史に(大筋を)則るなら、イエヤスがミツヒデを利用してノブナガを亡き者にし、
その後ヒデヨシをたてて後のその世に君臨しようと画策する、
というのが主線になってくるのでしょうけど……
その場合、主人公がヒデヨシってところも謎ですけど。
そもそも、実際の歴史に則る気があるのかどうかも全然定かじゃないですしね。

  ほんならお前ら、なんで日本史モチーフでやっとんねん、
  という疑問にもつながりますが。
  ……もしかして、誰かが「歴女」って言葉の意味を誤解して始まったとか?

せっかく歴史をモチーフにしているのに、
あまりにもフリーダムにやり過ぎているせいでなぞらえる気があるのかないのか伝わらず、
歴史に則った解釈や先読みや楽しみの見出しをやっていいのかどうかわからないのが、
ちょっともったいない。
「このくらいは期待してくれていいんですよ」
というセンを示してくれれば、受け側も、もう少し上手に楽しめるんですけどね。

  いいんだけどね。
  歴史上の人物から名前とパーソナリティを借りてきただけの
  アホタレ萌え絵巻で。
  ……いや、萌えすらないけどさ。
  オイサンはそれを望んでいますが、裏切られるのも大歓迎。
  ただし、中途半端に体裁を繕うことだけは勘弁して欲しい。

そもそもの「真紅の甲冑伝説」からして誰かが仕掛けたまことしやかなワナで、
魔王ノブナガの力を最大化させるための装置だったりすると……
フツーのマンガだったら面白いんだけども、
そんなひっかきまわした面白さはこのマンガには求めてないぜ!!

戦国乙女よ、舞い踊れ!!

尚、某フォロワーさんからのタレコミによりますと
「原作とは全然違うキャラが多い」とのことで、
原作ファンからは既に黒歴史扱いなのだそうです。
へー、パチンコってそんなにストーリーとか、キャラの人となりとかまで、
分かるように出来てるんだ、とオイサンおかしな方向で感心してしまいました。

まあ、原作ファンのみなさんは……ご愁傷様でした。
こればっかりはしゃあねえやな。



■その他の作品



その他のアニメに関しては、
『そふてにっ』がたるみまくりで飽きてきました。
エンディングのCDが出たら見なくなっちゃうかも。

『日常』は安定して面白いです。
持ち味発揮しまくり。最近マイちゃん出番なさすぎ。

『シュタゲ』がいよいよ本気を出してきました。
お話が動き始め、オカリンが物語の主人公として自覚を持ち始めている。
世界線移動の概念についての疑問も概ね解消されたし、
この先は、落ち着いて彼の苦悩を見所のド真ん中に持っていける気がします。
楽しみ。


 ▼『C』と『アスタロッテ』

ここにきてグイグイと株を上げているのが『C』と『アスタロッテ』。
オイサンだけでなく、周囲(タイムラインのね)でも、
チラホラと「ああ、コレ面白かったんだ」みたいな声が上がり始めていて嬉しい限り。
ただし、どちらも、情念や執念のようなもので作り上げられた気配はなく、
あくまでも「良いシゴトしてますねェ」的な、小奇麗な出来の良さなので
期待するところを間違えると肩透かしをくらいます。

『C』は、お話のテーマが地味にしっかりしていることが、
目新しさは無くも(テーマ自体はアニメではあまりなかったけど)ドッシリしています。
しかしところどころ画が不規則にジャンプするところがあり、
明らかに演出と分かるところと、どうも雑なところとがあってその辺はちょっとフクザツ。
エンディングの画も、エンコードが上手くないのか地デジでは明らかにザラつくところがあり
(まあカラフルな線がたくさん絡まりあうだけの、面白みもない映像なので良いっちゃいいんですが)
正直、画作りの面ではあまり感心しません。
見た目、スタイリッシュで清潔感がありすぎる感じですが、
その分中身がドロドロしているので重たくなり過ぎなくて良いのかも。





『アスタロッテ』は、ソフトロリエロ萌え系に見せかけて、
しっかりとしたハートフルファンタジックホームコメディという
実はドラマ主体のちょっとビターな味付けもあって見ごたえアリ。
こちらは画もしっかりしていますが……
如何せん、OP/EDともにオイサンにはちょっと引っかからない感じでパワー不足。

  azusaさんあんまり好きじゃないんスよ。
  言葉遣いが上っ面な感じがして、歌い方にもパンチが効いてなくて。
  あの年頃の女の子の、最大限のメンタリティなのかもしれませんけど。

声優さんも、小っちゃい女の子がたくさん出てくる都合上、
ワリと似た声質の声優さんがたくさん出ていて、キンキンしますw
マしょうがないんでしょうけど。
そういう意味で、音的に(個人的に、だけど)難アリな感じ。

ちょっと面白いかな、と思っていた『電波女』は、わりとそのまま来ています。
エリオが布団から出てきてからは毒が抜けて、ちょっとトーンダウンでしょうかしら。
ラノベですねえ。





録画から再生までに一番時間がかかるのが『あの花』かしらねえ。
見る気が……なかなか起こらない。
色んなコトが起こるべくして起こりすぎるので、何が起きても逆に驚けない。
心情主体で進んでいる物語のはずが、
お話の筋立てがしっかりし過ぎているのが見えてしまうせいで、
キャラクター達が皆「お話を成立させるために役割を演じている」様にしか見えなくて……
白けるんですよね。
ヘタな舞台演劇を見せられてるみたい。
書き手に色んなものを握られすぎててイライラする感じ。



……。



などという。



『戦国乙女』一本と、その他作品7本とがほぼ同じ文量で語られる、
ここはアホらしさが全存在の大きさを決めるスカタン時空
『ゆび先はもう一つの心臓』。

いやーしかしもう、無理がきかん体だなー。
睡眠時間が4時間切る日が三日続いたら使い物にならんわ。
多少なれてくれないと困るんだけど……。
どうにか考えんといかんなー。

こんなコト書いとらんで寝れってハナシですけどね。
寝る寝る、寝ますよ。
寝るよー。


寝る寝る詐欺。
某フォロワーさんのマネ。



オイサンでした。






(寝ましょう)



(ごそごそ)



(……)



(……z)



(……zz)



(……)



(……あれ?)



(……)



(むくり)



……。



イケネエ。



『Aチャンネル』のこと忘れてた。
本当に、書き終えてから気付いた。
……とまあ、そのくらい、『Ach』はゴマメですw
なんだろうね。
決して、どうしても見続けたいというくらい面白いわけじゃないけども、
録画に入っていれば最優先で再生してしまう、そんな存在です。
要するに、ラクなんですね。
心地よい。
開始当初にあった、OP『Morning Arch』にふさわしいフレッシュさやハツラツさは失せきって、
まったりトローリした感じばかりが残ってきましたが。
緊張感も、毒も、闇もない。
悪役でさえ燦々としている。

ファミレスでご飯食べながら、花火大会に行こうね、という話から、
この後どうしようか、カラオケに行きましょうという話になり、
トオルが一人でビビり、
カラオケから脱したら次は花火を見に行くのに浴衣を出しましょう、となって、
屋台を一通りなめてたら花火を見そびれそうになりました、という。
これで30分。
どうだすごいだろう(オイサンが威張ることじゃない)。

  こないだオイサンが、
  ちひろパパさんやClipperさんたちと鎌倉行ったときの方が
  まだ緊張感とイベントがあったぜw
  そうでもないか。
  似たようなもんか。
  ……。  ← そのときの場面を『Aチャンネル』の四人に置き換えて考えてフクザツなキモチ。

『ひだまりスケッチ』でも、
15分まるまるファミレスに行ってゴハン食べるだけ、
なんていう話があったけど、
なんだろう、もうチョイ緊張感があったような。

……ただまあ、なんでしょうね。
ここまで何もないと……
上で、『C』と『アスタロッテ』のことを「情念や執念とは無関係」みたいに書きましたけど、
『Aチャンネル』は白すぎてコワイ、という思いに駆られることも事実。
職人的な手業でたどり着ける境地でもないように感じるので……
そう考えるとブキミだわ。
『Aチャンネル』。
侮れない。



などと。
わかった風なクチを聞くオッサン小僧でした。
じゃ寝ます。




 

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2011年5月18日 (水)

■OVER THE TIMELINE -更新第674回-

何か知らんが突然
『カミカゼエクスプローラー』とかいう今まで聞いたこともなかったエロゲが気になり出しました。
オイサンです。
エロゲなんか殆どやったことないっちゅうのにどうした。

R0042506
ケーキ。


先日は慌てて二件、
お約束だけしていて気がかりにしていたTwitter上の方お二人とお会いしてきました。
あ、おひと方ずつ別々にです。



■tWITTERの昼と夜



おひと方には、
先頃購入した『エビコレ+アマガミ』の特典物であったクリアポスターの、
地味な人(名前忘れた←おい)と明日夏さんのヤツを差し上げるお約束になっており、
いつお引き渡ししようかなー、とのびのびになっていたのを、
もうひと方とはワリと最近お声をかけて戴き、
じゃあまた時間があったらご飯でも食べましょうかー、なんて言っていたのを、
いつになるか分からなくなってしまいそうだったので、
お昼と夜とに分けて、お会いしてきたのでした。


 ▼昼の部

マあまり細かいことを書く気はないですけど、
お昼の部では『アマガミ』をはじめとしたギャルゲーの、
お互いの遍歴の話に始まって、それら作品の感想的な……
多分にもれず、
「『アマガミSS』は……『キミキス pure rouge』はどうでしたかね」
みたいな話。

あと意外なところで「『ジャイキリ』は面白いですね!」なんていう話。
二人して世良の名前が出てこなかったのはちょっと笑えましたw
村越がどうすごいのか、椿がどれほどの俊足なのか、
そんなことが、現実のサッカー世界に照らし合わせると、
現実を逸脱しない範囲ですごさが伝わるように表現されているのだそうです。

  また面白いのが、
  オイサンもお相手の方も「マンガやゲームの世界でしかサッカーを知らない」ということで、
  そんな二人が挙ってはまれるくらいにあの作品の「お話」は面白く、且つ、
  見る人が見れば、現実のサッカーとしてもよく出来ていることがわかる、ということです。

お相手さんは学生さんでいらしたんですけども、
古典の文学なんかをきっちりと勉強しておいでなので
物語作品のジャンルや基本的な構造の歴史的な知見をお持ちでして、
「主観的な新しさ・古さ」によって面白さの判断が大きくぶれることがない、
お話を伺っていて非常に頼もしい感じを受けました。

  オイサンもぼちぼち『鉄腕バーディー』を読むとしよう。

ものの90分ほどお茶を飲んでお別れしたのですけども、
大変に楽しいお時間でありました。
書き物もされていたり、将来のこととか身の回りのこととか、色々大変なようですが、
それら全部を糧にして行ってほしいと思います。

ホント、なんでもネタになりますからね。
ありきたりな物ほど色んな人の共感を呼びますし、
それらに対して、独特ではなくても、自分で見つけだした視点と、
こころを導く力強い言葉があてはめられれば、それは面白い物になると、オイサンは思います。
是非また、お時間があったらご一緒させて戴きたいと思います。

そうそう、図書カードありがとうございましたw
大事に使わせて戴きます。
「クリアポスターのお礼に」と、図書カードを戴いてしまいましてねw
学生さんに図書カードもらうてw
アカン子かわしはw

R0042638

あとそうそう。
PSの『トゥルーラブストーリー』シリーズが、中古でも手に入りにくくなっているのだそうで。
昔は500円もしない値段で溢れかえっていたものですけどねえ。

 【中古】PS トゥルーラブストーリー- 恋愛・育成シミュレーション - 【中古】PS トゥルーラブストーリー

販売元:ゲーム・DVD・CDミラクル
楽天市場で詳細を確認する

今、版権がeb!にあるのか、アスキーメディアワークスにあるのか知りませんけど、
アーカイブスに出すなら今ですよ。
肝心のPSNがアレですけど。


 ▼夜の部。チェルノブではなく。イヤある意味チェルノブだけど(←しゃれにならない)

続いて夜の部は、秋葉原の焼鳥屋さんで。
こちらはこちらで、意外にもラストはSTGの話でひと盛り。
ゆあーんゆよーんゆやゆよん。

R0042607

こちらも完全な初対面、
これといって決まったフックもなく、Twitter上で、なんかの弾みで
「一回会ってゴハンでも食べますかー」
なんて話でしたので、オシゴトやら、地震やら、郷土のお話から入って、
なんだっけなあ、自転車とか、四方山に楽しいお話をつなげていく時間。
地元の古いゲーセンの話とか。

  まあ、なんか先方的に良いタイミングだったのでしょうね。
  一応ちらちらと、このblogあたりは流し見て下さっているようですが。

そんな中でSTGのお話になったんですが、
まあオイサンはファミコン時代の『スターソルジャー』なんかで楽しんだ残滓を引きずって
STGSTG言ってるだけのジイさんシューターですけども、
先方はSTGの話が始まった途端に
『ガレッガ』、『RISING!』なんていう単語が飛び出すホンマモンでしたので、
いつ「死ぬが良い」と申し渡されるか、オイサンはドキドキぽやっちおでした。
はーこわい。

▼バトルガレッガ


あのほんわかしたアイコンで、「もっもっ」とか「ぎっぎっ」とか、
いったい体のどことどこをこすり合わせて出しているのか
謎の可愛らしい擬音をつぶやくその陰で、あんな極太レーザーを溜めていたなんて!

マそれは冗談ですが、
「最近、彩京の名前見ませんねー」とか、
「グラディウスVは開発どこでしたっけ? あ、トレジャーか」とか、
「やっぱSTGは、薄暗いゲーセンの筐体で背中丸めてやりたいっすよ」とか、
そんな話が出来て、オイサン奇蹟の様な思いでおりました。
次はなにか、そんなSTGがらみのイベントなんかでご一緒出来るとウレシく思います。

R0042613

どうでもいいけど、東北の古い農家の土間に置かれるエアロシティ筐体の図、
是非見てみたいですw
超シュールw

ついでに言っておくと、行った焼鳥屋さん。
美味しかったです、とっても。
特にしんぞうと、「つなぎ」という部位。
また行きたいです。



……。



マそんな感じで。
どうでもいいけどさ、いい加減
「オッサン相手だと思いこんで待ち合わせたら
 小柄でナイスバディーのチャーミングレイディーがやって来てオイサン目が点」
ていうイベントが起こってもいい頃だと思うんですけど、
イベント発生確率は何分の一ですか?
オイサンの人生はバグってますか?

海は死にますか?
山は死にますか?
ウニはニジマスか?

……全然関係ないですけど、ウニって全身が目かも知れないんですってね。
  
  ▼ウニは全身が“眼”だった(イタリア研究) [ カラパイア ]
  http://karapaia.livedoor.biz/archives/52003541.html

いやホント全然関係ないけど。



■会って変わって誤って。



こんな風にしてお会いした方々がオイサンのことをどうご覧になったかわかりませんけど。
オイサンはですね、キホン、人見知りで話ベタです。
初対面の人に会うのなんかすっごい苦手です。
初めての人こあい。

昔……と言っても09年の3月19日以前ですけど(笑)、
昔に比べれば随分マシになっているとはいえ、
決して、見知らぬ人とお会いするのが得意なわけではないし、
場を作るのが上手なわけではありません。

マ別にそれでもいーよなーと思っていましたし、今でも半分はそう思い続けていますけど、
こういうお遊びを始めてしまった以上
思いも寄らない方からお誘いを戴いたりすることも、今回のようにございます。

それはアクシデンタルなことなんだけども、
意外な方が自分に興味をもってくれたんだと思うとやはり嬉しく
(別にそんな大げさな動機でもないかもなので、
そんなに反応されると困るとか、また思われそうだけど)、
そういう人には嬉しい気持ちになってもらいたいと思うのが人情でして、
多少なりとも喜んで戴く、
……まあ努力というほどではありませんが、工夫くらいは致しますわけですよ。

多少はお酒も飲もうかしらとか、場を上手につくれるようになろうとか。
人間、必要に迫られると変わるものですね。

  必要にも色々ありますけど(意味深)。

一つ目のお酒のことに関しては、
『ドリームクラブ』の影響が大きいということもありますし、
美味しいと思えるお酒に出会ったとか、何かときっかけは重なっているんですが。

  オイサンが美味しいと思うお酒なんてのはジュースの延長みたいなものなので、
  お酒独特のお味を楽しんでいるわけではなく、あまり大人っぽくはないのですけどね。

しかしやはり、そもそもこれまでの30猶余年に及んでやってこず、
得意でもないことをこの年になってやるわけですから、失敗が多々あります。

ちょっとこの先は、オイサン自身からの反省を書いておこうかなと思います。
大したことは書きませんが、
同じくこういう遊びに興味をお持ちの方がおられたら、何かの参考になれば幸いです。



■オイサンがミスる二つのこと



 ▼1つ目。聞き過ぎる。

人と会うようになって、オイサン自身上手くねえなあと気付いたのが、
オイサン、相手の話を引き出そうとし過ぎて
なんだかんだとやたら質問をしてしまうのですねどうも。
自分があまり自分のことをじょうずに話せないから
こういう方向性に走ってしまうのかも知れません。

「自分ばかりがしゃべるのではなく、人にも話を促し、よく聞くようにする」
なんてのは、初対面の人とも上手く話す定石としてよく見かけるメソッドではあります。
しかしこれもやっぱり万能・磐石ではないんですね。
困ったモンで。

話題をたくさん持っていたり、普段の自分にやたらキッチリと理由付けがあったり、
話が好きな方がお相手のときにはこれで上手く運ぶことが多いのですが、
「自分で話をするよりも、話を聞きたい・聞かせて欲しい」という方も、
中には当然おられるんですね。

  その辺、お相手がどうなのかということを捉えて、
  その時々で上手く振舞うことが大事だなあと思います。
  ……まオイサン全然器用じゃないのでね。
  そうそう出来るこっちゃないですが。

それに、やっぱり訊かれるばかりでは疲れてしまうでしょうし、
「ワリに合わない」と感じたりしてしまうことも、ままあるんではないでしょうか。
「なんでこんなに訊いてばっかりくるんだろう、アヤシイ」……というか。

バランスよく自分からの話も織り交ぜて呼び水にしたり、
訊いたと同じくらい、自分からしゃべることもやっぱり大事なんだろうなあと
しみじみ感じ入ってしまうオイサンなのですよ。
いやあ、お恥ずかしいですねえ。

それにはそれで、何事につけ、人様に披露出来る自分の考え……意見がないと難しい。
しかもその意見に対して、そこそこに反論があることもあるでしょうから、
それに対する備えというか、耐性、慣れなんかも必要なワケで。
オイサンにはそもそもそういう意見とかを出せることが多くないですし、
出せたとしても、意見への刺激に対する耐久力としなやかさがない、と反省。
……というか、普通にへこむ。

要するに、反論・否定をされたときに萎縮してしまうわけです。
べつにそんなもん、されたところでねえ。
そんなに大した話でもないはずなんですけど。
ただ、そういう反論や否定にビビっていたのではなかなかこう、
実のある話や「真に面白い」話にたどり着くことは出来なかったりするので、
せっかく人と会うのだからもったいないことです。
恐らく、そういう会話を期待して来られた方は、オイサンといて
「退屈だなー」と感じられたことでしょう。
スミマセンねどうも。

  ……どうでもいいけど、IME for アンドロイドさん、
  「スミマセン」で変換したら「(^∧^)」って顔文字が出てきたんだけど。
  こんなんで謝られた日にゃブン殴りますよ。
  閑話休題。

  思えば、話が面白い人、自分からグイグイ話が出来る人、場を作れる人というのは
  皆どこかしらそういう面を持っている人だったなあと、振り返って思います。
  どこかに強さのある人が多かった。

なのでちょっとしたタイミングでポンと話題が尽きた感じになって、
話が途切れてしまいがちなのがオイサンの常なんですけども、
そういうときに助け舟を出して下さるのが上手な方もおられて、
オイサンの方がすっごく助けてもらった、ということもありました。
感謝しています。熊本の人。

他には、
話が上手いというか、人と向き合うことが上手いなあと思った人もおられます。
意識してか知らずか、
ちゃんと自分の話とか、お互いに共通のところにあるであろう話題を振って糸口にしてくれる。
空振ることを、あまり気にしないで。
そしてその何気ない話題に上手に乗っかってくれる人。

オトナだなあと、感心させられたモノです。


 ▼2つ目。詰め込みすぎる。

あと、詰め込み過ぎる。長い。
これは会話のことだけではなく、会ってからお別れするまでの時間をとり過ぎ
イベントを盛りだくさんにし過ぎる、ということで……。

  ……。
  今、画面の向こうで、4、5人頷いたな。
  カオ憶えたからな。

イヤ、でも本当そうでしてね。
初対面なんだから、もし間が持たなくなったらどうすんの、
ってことを全然考えてないくらい、
お会いする一回の時間が長いと振り返ってみて自分で思います。
もうチョイ様子見的なスタンスをとったらどうだいと、自分でも思う。

そして、詰め込みすぎて、終盤にはくたびれてしまう。
オイサン自身はそうでもないんですけど、
ご一緒された方でやっぱちょっと疲れたな、という方も……

  ……。
  また頷いた。さっきと同じ奴らだな。
  憶えとけよ。

いや、頷いた方々は、災難でしたね。
本当申し訳ないと思います。
コレは多分、こういう遊びをするようになって最初の頃にお会いしたのが
それでも平気だった、寧ろ望んで延長かけてくるような連中だった、
というのが、ちょっと大きいかなと思います。

  ……イヤ、誰とは言いませんけど。

始めの頃のそうした目論見が上手く運び、
しかも自分も相手も楽しめてしまった、という下手な成功体験が
オイサンを独りよがりなおもてなしに走らせているのだと思います。
すみませんねどうも。



■Closing



まあ、そんなことでね。
ホントに、色んな人にお会いしたなあと思いますけど、
同じ「人とコミュニケーションをとるのがうまい人」でも、
色んなタイプがあるもんだなあと感心することしきりのオイサンです。

そんでまた、そういう人たちが一つの場に上手く重なり合ったときの、
その場の空気の面白さと言ったらね。
……。
オイサンはそんなとき嬉しくて楽しい気持ちで一杯なのですが、
あとになって、自分がその面白い空気をぶっ壊してやしなかったかと、
一人部屋でgkgkbrbrしているのでありますよ。
ああおそろしい。

  そういうときの自分は、その和の中にいると言うよりは、
  輪の外から、彼らの象るその輪の美しいことを眺めている
  (ような気分でいる)ことが多いので……
  自分は邪魔してたんじゃないかなあと、あとで心配になります。
  ほんとにディスコミュニケーション野郎だな俺は。

しかし、こんなコト書いちゃったら次どなたかと会うときに、
「今こんなコト考えてんのかな」
「今こういうフェイズに入ったのかな」
とか思われて、やりづらくなりそうだな。



……。



書かなきゃ良かったような、気がしてきましたよ。
色んな人に支えて戴きながら、ワガモノ顔で傍若無人に生きてるオイサンですが、
今後とも引き続き、呆れず嫌がらず、
気長にお付き合い戴けると幸いでございますよ。



オイサンでした。
それではまた。


  

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2011年5月16日 (月)

■大根おろし・あとがき -更新第673.5回-

オイサンです。

前回の更新で載せた「大根おろし」というお話は(本編はこちら → )、
オイサンが2007年の2月に北海道を旅行した時にしたためた、
オリジナルの短編小説です。

お話の中で出てくる、
紋別 → 枝幸 → 稚内 というオホーツク海に沿って北上するルートを、
路線バスに載って辿るという、なかなか楽しい旅でした。

  実際は、網走をスタート地点にして稚内まで上がり、
  そこから今度は日本海側を留萌という町まで南下して、
  そこから今度は内陸部・旭川まで切り込んでそこから飛行機で本州に戻るという、
  真冬の道北を九日間かけて一巡りするという……
  今思えばなかなか壮大で無謀な旅ではありました。
  いや、楽しかったのは掛け値なしですけどね。

北海道を巡る旅行記をまとめたサイトはこことは別にあり、
そこには旅の日記の一部として載せてあるのですが、
マ一応こちらをご覧の皆さんにも読んで戴きたいなと思い、
一部修正・加筆をして掲載させてもらうことにしました。

今になって再掲しようとした理由は特にありません。
本当は、同じ時期の2月頃にのっけようと思っていたんですが、
思いの外加筆修正に時間がかかったことと、
先日岩男さんのライブに行った際、JKPさんに「載せようと思ってるんですけど」と
お話をしてしまって引っ込みがつかなくなった、というのが、
まあ、時期が今になった主な理由です。

このお話の背景は……さらに遡って2004年の1月、
オイサンが初めて北海道に一人で渡り、やはり稚内を訪れたときのこと。
稚内の駅前には本当に、一軒、小さな定食屋さんがあって、
そこで食事をさせてもらったんですが、
……そこの大根おろしがまた、辛くてですねw
たまたまなのか、常なのかは分かりませんけど。

んでしかも、そのお店にはその日、
多分お店の子なんでしょう、
中学生くらいの女の子がお店を手伝っておられました。

いやもう、こちとら寒くてどうすんだって思っているのに、
なんかねえ。
スネ丈くらいのズボンはいて、足元なんか素足にサンダルでしたからね。
よく憶えてます。
オレンジ色の、ちょっと蛍光色の入った、ナイキのぱちもんみたいなデザインのサンダルで、
そのサンダル履きで、吹雪の外に、短時間ですけど出たりするんですよ。
すっげえな、寒くないのかなって、見ててビビりました。

それからまた何度か稚内には遊びに行ってまして、
そのお店にもほぼ毎回行ったはずですが、
その子がお店にいるところに出くわしたのは最初の一回きりで、
07年に行ったのは多分4回目。
考えてみればもう最初から3年経っておりますから、
最初が14歳だったとしても07年の時点で17歳。
今となってはとっくに成人されておいででしょう。
なんというか、そんなオイサン自身に流れる時間の経ち方と、
彼女の時間の流れのスケールの違いにハタと気付いた時、
ちょっとしたショックをもとに、書き上げたものです。

今頃、どうしてるでしょうねえ。
結婚してたって全然おかしくないと思いますけども。
オイサンのあれからの7年は、果たしてどうだったか。
彼女の7年ほど起伏に富んではいないと思いますが、
別に、富んでいたって良いはずなんですよね。
起伏の有無は、年齢の問題じゃないはず。
生き方の問題であって。
富んでいればエラいってもんでもないけれど、そのどちらが自分の望んだ時間か、
ということが、何より大事だと思います。
ええ。
そうですとも。


……なんてこともね。
交えながら。
それはこちらの都合なんですけども。
どういう形で皆さんに届くかは分かりませんが、
どうであれ、
お楽しんで戴ければ幸いですよ、と。
お届けしてみたオイサンですよ。


マそんな感じでヒトツ。
オイサンでした。



 

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2011年5月15日 (日)

■大根おろし -更新第673回-




 ソーハチが結婚する、という知らせを受けて、私は東京から古里に帰らなければ
ならなくなった。
「子供がね、できてしもうたんやって」
 電話口の母はこともなげを装ったつもりだったろうが、切り出す寸前に飲み込ん
だ一塊の息が深い音を立て、そのことが寧ろ、母にも、私の胸にも、重いつかえを
残していった。私は
「子供って、そんな」
私でも作ったことない、と言いそうになって慌てて口をつぐんだ。そんなことを言
ったら、
「あったり前やろ、何言いよるん。聞いたことないわ、さっさとあんたも作りや」
と来るに違いなかった。けれどそれも普段の話だ。いくら母の根が図太くても、ソ
ーハチのできちゃった結婚の話のあとにそんな冗談を私に向けられるとは思えなか
った。
 母は私が言い淀んだのを勝手に解釈したのだろう、少し躊躇したあとにことの続
きを話し始めた。
「あんた、おぼえてるかなあ? 宝来のタカギさんて。宗ちゃんと同い年の……小
学校くらいの時に、札幌から越してきた」
「タカギ……ごめん、覚えてない」
 宝来が町名であることくらいは覚えているが、タカギという名字には思い当たる
節がなかった。真剣に考えれば思い出せたかも知れないが、頭を回すだけの余裕が
なかった。何か大事な線がすり切れてしまったように、あらゆる考えが途中でけば
だって消えてしまう。
 そうか、と母は溜め息をつき、まあ、そういうことなんよ、と妙に優しい口調で
続きを諦めた。



 浜頓別のターミナルで最後のバスに乗り継いで、私は雪の落ちる外を見るともな
く眺めていた。枝幸ではまだちらつき始めたばかりだった雪が、今はもう視界を埋
め尽くさんばかりの勢いになっていた。
 わざわざ雪に降られなくとも報せを受けてからこっち私の頭の中はずっと真っ白
だったし、外の景色にしたって、もう降り足さなくたってこれ以上ないくらいに白
かった。そんな中をバスは右に左に、考えがまとまりそうになる度に大きく揺れて、
私が何かの結論を出すことを邪魔するように走っていった。
 ソーハチが、結婚する。
 ソーハチは私と一緒になるつもりだったに違いないし、私だってそうだ。父も、
母も、そう思っていたに違いない。だからこそ母も、電話口であんなに慎重で優し
かったのだ。あの、無神経の塊みたいな母がだ。
 父は電話口に出て来もしなかった。母に「お父さんは?」と尋ねても、「うん」
と濁すばかりで、私のために心を痛めてくれたこともあったろうが、事情も心情も
もう少し、父の場合は複雑だったのだろう。



 ソーハチは私より五つ年下の男の子で、家は稚内の駅前でちいさなめし屋を開い
ている。年も性別も違ったけれど、お互いの父親同志が懇意にしていたせいで、私
とソーハチは幼い時期の長い時間をともに過ごした。
 私の家は駅から少し離れた場所で小さな旅館を営んでおり、一体どこでどう見つ
けてきたのか、旭川なんて言う大都会から母に連れてこられた婿養子の父はあの古
里の小さな町ではどうしても浮いた存在で、腰の低さと愛想の良さで疎んじられこ
そしなかったものの、それは苦労をしたらしい。半分は神経の細い生来の性質のせ
いもあったろうが、当時は気を病む一歩手前までいったこともあったのだそうだ。
 そんな時に助けてくれたのがソーハチの親父さんだったんだよ、と、父は酒に赤
らんだ顔で話してくれたものだった。
 ソーハチの父親は朴念仁で、頑固者だけれど義に厚い。苦労している父を見かね
たのだろう、手を貸し知恵を出し、時には周りに根回しもして、いつも何かに息を
切らしている父の支えになってくれたのだという。
 その息子であるソーハチができちゃった結婚などという、都会でなら多少の市民
権を得てはいるものの田舎ではまだまだはんか者の代名詞のようなことになってし
まったのだから、ショックは大きかったのだろう。
 多分、ソーハチのお父さん自身も。
 私だって、そうだ。



 ソーハチの家が稚内の駅前でめし屋をやっていることは話した通りだ。私たち地
元民の舌には飽き足りた家庭料理を売り物に、観光客を相手に商売をしている。
 ソーハチも、私の物心がつく頃には店で手伝いをしていた。私が中学に上がる頃
には間違いなく店にいたから、ソーハチが小学校二年生の頃だろう。複雑な仕事が
出来るわけではもちろんないから、お冷やや料理の上げおろしがせいぜいだったが、
ただ一つ、調理関係でソーハチが任されていることがあった。
 それは、大根おろし。
 稚内は一応海の町であるから、海のものは最北端であることに次ぐ町のうりでは
ある。店の品書きから焼き魚が途絶えることはない。店の一番の売りものは蟹めし
だったので残念ながらそこに出番はなかったが、店で出される大根おろしのほとん
どはソーハチの手によるものだった。

「大根おろしか……」
 木々の上に積もった手つかずの真白な雪と、水を吸って車輪を汚す黒い雪、その
二つを交互に見ていると、ソーハチのおろした大根おろしが思い出された。それに
しても、今日の雪は随分湿っている。私はバスの大きなガラス窓に頭をつけて空を
見上げた。古里の冬のほとんど、空は雲に蓋をされて過ごす。今日は北から低気圧
が流れ込んで、予報外れの荒れ模様だった。
 稚内までは、紋別の空港に降り立ってバスで雄武という町まで行き、そこからバ
スを乗り換えたあと、更に枝幸、浜頓別で一回ずつの乗り換えを経て更に二時間半。
常ならこんなに面倒なことをしなくても、旭川、あるいは札幌に降り立ち、あとは
汽車で一本、全部あわせたって八時間程度だ。けれども今回、私は嘘に嘘を重ね、
出来るだけ時間を稼ぐこのコースを選んだ。
 旭川行きの便がとれない嘘。札幌行きの便もとれなかった嘘。更に、汽車の切符
がとれなかった嘘。
 ちょっと調べればいくらでも暴くことの出来る嘘ばかりだったが、父も母も見て
見ぬ振りをしてくれた。それはやはり、他ならぬ私が一番ショックを受けているこ
とを理解してくれていたからだろう。
 親類の結婚でもないのだから私が急いで帰る必要もない。正式な婚約者からの婚
約破棄というわけでもない。職場には身内の不幸ということにしておいたが、何の
ことはない、私本人の大不幸だ。式だって当分先だろう。だけども私は電話口で、
「詳しい話は戻って聞くから」と言って電話を切ってしまった。一番焦っていた私
だったが、そのくせまっすぐに帰る気は起こらなかった。古里に足を進めながら、
ゆっくりゆっくり、自分を納得させられる言葉を見つけなければならなかった。

 ソーハチのおろす大根が殊更おいしいわけでもなかった、と思う。誰がおろした
ってさほど変わりが出ないからというのが、彼が大根おろし大臣に任命された理由
の大勢だったのではないだろうか。他に理由があるとすれば多分、ゆくゆくはソー
ハチに店を守ってもらいたいと考えた親父さんの、早いうちから自分の作った物を
人に旨いと言ってもらう喜びを知っておいてもらいたかったという、一種の策略で
あったろう。
 ソーハチの力の入れようも斑が大きくて、見たいテレビでもあろうものなら、彼
はものすごい力と速度で大根をおろして片づけた。そんな日のあの店の大根おろし
はひどく辛いのだ。私もそれで、幼い舌をやられたことが何度かある。
 そう、旅館の仕事が忙しい時期などは、私は家で食事が与えられず、ソーハチの
店で食べることが再々あった。旅館が忙しい時期というのはえてして行楽シーズン
なのだからソーハチの家とて決して暇なわけはないというのは今にして考えれば自
然と分かることなのだが、それでも私を他のお客同様遇してくれた親父さんは、父
の言った通り、やはり義に厚い人だったのだろう。
 ソーハチは、自分がおろした真っ白い大根おろしの真ん中に、私がちょんと赤黒
いお醤油を垂らすのをいつも心配そうに見ていた。それでもただ見ているだけで、
うまいか、とか、味について尋ねてくることはなかった。子供心にも、そこに大き
な差がでないことを感じ取っていたのか、親父さんに禁じられていたかのどちらか
だろうと思う。どのみち、辛ければすぐに顔に出てしまうのだ。尋ねる必要もなか
ったのだろう。
 そんな風にして、私とソーハチは同じ釜のご飯を食べ、北の果てで同じ湯に浸か
って、少しずつ、少しずつ体を大きくしてきた。



 中学に上がったソーハチは手のかかる仕事もこなすようになり、自然と料理人へ
の道を志すようになった。私自身は隣町にある高校の商業科に通い、関東にある同
じ分野の専門学校に進むことになった。どのみちソーハチは稼業を継ぐことになる
か、そうでなくともどこかの料理屋で修行でもして店を構えるだろう。それを見越
した私の選択だった。学校を出るまでの二年という時間はあっという間だったが、
ソーハチが料理人として一人立ちするまでまだ間があったから、私は関東に残り、
今の職場に入った。先の暮らしのためにいくらかでも蓄えがあるに越したことはな
いと思っていたのだ。こちらに残ると告げたとき、父と母が私を案ずること以外に
何も言わなかったのは、そんな面白味のない考えさえ見透かされていたのだろう。
 そして、専門学校で二年、勤め始めて一年。わずか三年のうちに起こった、ソー
ハチの裏切りだった。



 吹雪いてきた。
 故郷の町が近づくに連れ、降りてくる雪の量も風も、勢いを増していた。海沿い
の国道に出れば風は一層烈しさを増すだろう。いっそバスが止まってしまうことを
望んだが、北国の足はこれしきではへこたれない。道も空も、こうであることを想
定して走っている。そうでなければつとまらないのだ。
 山間の道は落ち着きを取り戻して、大きなうねりは減ってきた。けれど丘や林に
阻まれて見通しは悪い。吹雪の中ともなると尚更だ。晴れていればあくびの出るよ
うな道だが、今日は牙を剥いている。運転手は気を許す暇もなさそうだ。
 ときおり大きな牧草地があり、ふっと視界が開ける瞬間がある。夏に広がる、色
とりどりの美しい風景。今は白と灰色の二色だけだが、ここでの暮らしが永い者は、
白にも灰色にもたくさんの種類があることを知っている。そうでもないと、冬の暮
らしに喜びはないから、子供はいつの間にかその力を身につける。

 家を出る日、私が十九歳、ソーハチ十五歳。ソーハチは普通に寂しそうだった。
当の私はというと、都会暮らしの不安だけがあって、あこがれもときめきもなかっ
たから、正直ちょっと面倒くさいだけだった。だからソーハチに、
「大丈夫だよ、すぐ帰ってくるから」
と言って汽車に乗り込んだのだ。本当にそうなる自信があった。というよりも、自
分の未来に他の絵が思い浮かばなかった。他につもりがなかった。そうやって閉じ
ていくであろう私という生涯に、私はまったく不満を抱かなかった。
 だからこそ……油断が生まれたのだと思う。出発の数日前の夜、私に向けられた
ソーハチの熱情が、私だけへの物であると信じ切ってしまっていた。もっとちゃん
と、お腹の底にあるものに忠実でいられたならば、ソーハチの気持ちを受け止める
だけでなく、上手に縛り付けることが出来たに違いなかった。いつの間にか私は、
二人の運命のような物に酔いしれていたのだろう。それが未完成であることが、頭
からすっぽりと抜け落ちて。
 私とソーハチが恋人同士だったのかと言われれば、誰もそんなロマンティックな
言葉に当てこめようとは思わないだろう。もっと実直で、もっと野暮ったい関係。
だから誰もが私たちがいずれ一緒になることを疑わなかった。今回のような衝撃的
な展開を、ソーハチ自らが演出することさえしなければ。

 がくん、とバスが大きく揺れて停まった。丁字の三ツ辻にぶつかったのだ。左に
行けば日本海側、豊富へ抜ける道で、右に行けば真北へ、空港の脇に抜けて湾にぶ
つかる。まだ経験の浅そうな若い運転手は、慎重に、見えるはずもない吹雪の向こ
うを何度も何度も確かめて、大きなハンドルをじっくりと右に切った。



 バスには、私の他には大きなボストンバッグの男が一人だけだった。内地からの
旅行者だろうか、彼ははじめ、網棚もない路線バスの中でその大きな荷物をどう処
したものか置きあぐねていたが、いくつかバス停を過ぎるうちにこの大きな車両が
満席になどなることなど決してないと悟ったのだろう、自分の一列前の座席にどし
りと居座らせ、それでもはじめは人の乗り降りのある度にその動向を気にかけてい
たが、やがてそれを気にすることもやめて、今では窓の外の真っ白な雪煙の向こう
側に、どこか眠そうに投げっぱなしの視線を送っていた。
 景色がまた動き出し、私は停車の衝撃で前にのめった体を、もう一度シートに預
けて目を閉じた。

 イマドキ、子供が出来たといって、他にいくらも――女の私としては出来れば口
にしたくはないが――手段のとりようはあったはずだ。けれども、ソーハチの親父
さんの気性からしてそれを許すわけがなかった。幸か不幸か、それは相手の親も同
じ気持ちのようだった。
 相手の親が結婚を許さなければ良かったのに、と一瞬思ってしまった。けれど、
ソーハチの子供を死なせるのもいやだった。私の子ではないけれど、ソーハチの子。
そんなこと、考えたこともなかったがために。
 ソーハチからの告白を受けた夜の親父さんは、それはそれは凄まじかったそうだ。
店の二階から上がった怒声は駅前が火事にでもなったかと勘違いされるほどに轟き、
隣の土産物屋や、JRの職員まで総出で止めに入ったという。無論その中には、駆
けつけたうちの父もいた。
 これはうぬぼれなのかも知れないが、親父さんは私のために怒ってくれた向きも
あったのではなかろうか。そんな気がしてならない。

 そんなこともあって、ソーハチの結婚の発端に不貞があったことは周知の事実と
なってしまい、多分これからのソーハチの暮らしはちょっとやり辛い物になるだろ
う。こういうとき、田舎というのは恐ろしい。けれど私には同情はしてあげられな
いし、田舎の恐ろしさゆえそうすることも許されない。そこでの私の役どころは、
夫を寝取られた妻とほとんど似ている。
 それをこんな風にして、慌てて飛んで帰って、町が私に注ぐ視線が如何様なもの
であるのか。そんなことに思いが至ったのは紋別の空港に降り着いてからのことで、
しまった、と思ったがあとの祭りだ。
 そして私たちにとって何より辛いのは、ソーハチがあの町で本当に幸せになるた
めには、今度の結婚相手を、そして生まれてくるであろう子供を、一目散に愛して、
愛して、働いて、本当に幸せになるしかないということなのだろう。その気持ちに
は、恐らく誰しも抱くことのあるだろう一片の疑いも許されず、本当の自分の気持
ちに気が付くことがあったとしても、その気持ちをこそ偽りであると、強く断じて
生きて生き続けなければならないということだろう。二度と再び会わないことが一
番の方法だということは、残念だけれど、私にも分かる。



「あ」
 緩やかな登りと鋭いカーブの合わさる道でバスが速度を落としたとき、客の男が
口を開いたから、私もついその視線につられた。丸く拭われた彼の曇りガラスの向
こうに、白でも灰色でもない四つ足の獣が一匹、淡く明るい毛並みを雪に汚してた
たずんでいた。口に何か生き物をくわえ、鳥だろうか。はっきりと見ることはでき
なかったが、その目が妙に逞しく澄んでいたような気がした。
「狐」
 ――珍しくもない。今では数こそ昔ほどではないが、夏になれば町にも姿を見せ
る。人にすり寄って、食い物にありつくためだ。彼らは生きることにたくましい。
今目の前にいるそいつも、体はまだ子ぎつねに毛が生えたほどしかない。周りに親
も、仲間の姿もない。独りだった。街へ出て分かった。都会の街には人しかいない。
そこで人は寄り添う必要がない。北国の町は、私に、人に、寄り添うことしか教え
なかった。それは仕方のないことだ。人の間で争っているゆとりなどないほど、北
の自然は人に厳しかった。人は人同士、寄り添わなければひと冬を越すことさえお
ぼつかない。だから私は、私には、ソーハチや私自身を突き放すことなど……まだ、
及びも付かなかった。

 こんな一幕があったらしい。
 怒りをどうにか飼い慣らしたあと、親父さんはソーハチとタカギさんを畳に座ら
せ、こうソーハチに問うたのだそうだ。
「分かってるな。お前も、中途半端な気持ちじゃなかったんだろう」
 ソーハチはしばらく何も答えられなかったらしい。何度も言うようだけど、ソー
ハチの家は駅のすぐ前にある。それなのに、物音一つ消え失せていたそうだ。張り
つめた、糸も震えない時間が続いた。
「そうなんだな」
 親父さんがどんな返事を期待したのか、少しだけ冷静になれている今なら分かる。
親心だったのだろう。タカギさんも、揃えた膝の上に拳を結んで震えていたに違い
ない。ソーハチはやっぱり答えられずにいて、親父さんは泣きそうな声で
「情けない。お前はっ」
と、畳に吐き棄てたという。ソーハチは、そこで初めて、細く引き絞られた喉と胸
の奥から、はい、と言葉を漏らしたのだそうだ。
 自惚れて、のろけさせてもらうことになるけれど、そしてこんな辛くて悲しいの
ろけは私自身聞いたこともないけれど、これから続くソーハチの、永くて壮大な嘘
で本当の人生、その始まりの演習を、親父さんはソーハチにやらせたかったのだ。
 そして、そこでソーハチが即答しなかったことだけが、私への唯一の救いとなっ
た。
 ありがとう、宗八。



「……まあ、宗ちゃんも、いつの間にか大人になっとったってことやろうねえ。あ
んたも、ねえ。もう少し、前に進んでいかんとね。じゃあ、待っとるから。気付け
て帰って来いな」
と、母は言いにくそうな言葉で電話を締めくくった。
 言いたいことは分かる。けれども、その言葉は何かを置き去りにした、慰めにし
か聞こえなかった。
 生まれた代からでさえも一人である自分にいつしか目覚め、他人との新しく深い
関係を築けるようになったソーハチは、確かに成長したのかも知れない。それを促
したのが、他でもない私自身であるという自負がある。
 けれどもそこから先、彼は、私が経験した以上に男の子だったソーハチは、私に
は想像もし得ない男の子としての何か大切なあるひとつのことを我慢できなかった
だけなんじゃないだろうかと、そう思える。
 ソーハチの成長は、多分これから始まる。私という古びた時間を切り離すことに
よって、切り離すほどの推進力を生み出す力を手に入れる。ソーハチは間違いなく
幸せな家庭を築くだろう。私の知ってるソーハチは、我慢が足らないことを省いた
ら、そういう立派な男だったから。

 カーブを抜け、バスがまた緩やかに速度を上げ始めた。小さく置き去りにされて
いく子ぎつね……いや、もう立派な大人なのだろう、一匹の狐を見送って、旅の男
は名残惜しげに姿勢を戻した。その拍子、私を振り返った。ほんのしばらく結び合
った細い視線は、細いが故にもつれ、男の方からのやけに丁寧な会釈と、頬に忍ば
せた笑みでするりとほどけそうになったところを、私が警戒心丸出しの無愛想な会
釈でぶつりと引き千切った。
 男の、無邪気で、人慣れした目とほほえみには都会的な色気があった。私の知る
北の町のことばとは違う、たくさんの余計な物を吸った気配があった。不要な。ご
みのような。
 そして男はそれを気にも留めなかった。不意に母が電話で語ったタカギさんの事
情が胸をよぎったけれど、私はもうそんなことは考えたくなくて、目を無理矢理外
の雪に凝らした。

 ソーハチがそうしたように、私も三年のうちに古びた時間を切りはなし、新しい
出会いとの経験の中に過去よりも大切にすべきことを見つけて心血をそそぐべきだ
ったのだろうか。
 永遠を求めるつもりはなかったけれど、在った時間のすべてを抱え込んで、二人
共にいきたいと願っていた。たおやかな過去をなげることなく、二人で、いつでも
再生できるようにありたかった。
 いつしか止まっていた古里の町のような私の時間を彼も生きていると、信じたこ
とは甘えであったと思う。ソーハチの時間はまだ流れ始めたばかりだった。この三
年の間で私に遂げるべき成長があったとすれば、それはソーハチが男の子であると
いうことを、もっと私自身の中心で受け止められるようになることだったのではな
いか。最早一人の母として、甘く愛しく、彼を縛り付ける術を持つべきだった。
 生まれてくるソーハチの子に、あっさりと「死んでしまえ」をたたきつけられな
かったそのときに、私の戦いは終わっていた。思い描いた過去の物語を切り捨てる
ことが出来なかった私の敗北だった。



 雪が少し収まっただろうか。吹雪の向こうに海が見える。白く高く荒れる、オホ
ーツクの海だ。バスは沿岸の大きな国道に合流し、丁字の交差点に恐る恐る首を突
っ込むと、西へと向けてたっぷりとハンドルを切った。灰色の空に吹雪が白く線を
引く。湾岸線の先には、いくつかの小さな集落と、丘と、少しの町が見えた。あと
はほとんど一直線に私たちを結んでくれるだろう。

 町を離れる日の数日前、私はソーハチの用意してくれた真っ白な大根おろしの上
にお醤油を散らせた。そのときもソーハチは終始無言で、特に何かを訊ねるでもな
かった。怖かったのだと思う。私も、それを感じ取って何も言わなかった。そのと
きのそれがたとえどんなに拙くても、変えようのない二人の唯一の形であることを
信じていた。それは紛れもない契りであったと、私は今でも思っている。
 
 
 
 

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2011年5月14日 (土)

■スキ間産業再生機構~オトメと童貞のポルカ(後編) -更新第672回-

天はおっぱいの上におっぱいを……
あ、もういいですか?

オイサンです。
じゃもう、サッサと続きに行きますね。


 ▼『オトメディウスX!』がこれまでとちがうとこ、……の、続きから。
   <前編>はこちら。 →  

今回『オトメディウスX!』では、
そのNormalモードの難易度をガックンと落として、
オイサンですらノーミスでクリア出来てしまうほどに、難易度を下げてきた。
上級者向けのExpertモードですら、何度かやられこそするものの、
コンティニューなしで一周出来てしまうくらいに調整されています。

オトメディウスX(エクセレント! ) オトメディウスX(エクセレント! )

販売元:コナミデジタルエンタテインメント
発売日:2011/04/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

正直なところ、オイサンでさえ肩すかし、拍子抜けという感も否めなくはないですが、
STGを「楽しみたくて」買った人みんなが、
気持ちよく遊べるゲームになってるんじゃないかな、とオイサンは思います。

  うん。
  ヌルくて、フワフワしてて、厳しさとかと無縁で、
  「ゲームとは求道である!!」
  みたいな人にはさすがに向かないとは思いますし、
  貧乏性のオイサンなんかもちょっと不安に思ったりもしますけど。

……マここで言う「みんな」というのは語弊があって、
この「みんな」からは、従来の難易度を期待する、
これまでゲーセンのSTGを支えてきたプレイヤーが、バッサリと切り落とされてはいるんです。
これまで、一番の優良ユーザだった方々です。
ある意味で、一番やっちゃいけないこと……でもあるのかも知れません。
……が。
なんというか。


  ……さすがコナミさん、商売の鬼やでぇ……


と、これまで揶揄の意味でしか使われてこなかったフレーズを、
今回ばかりは本当の賞賛の意味で向けてもいいんじゃないかなと……オイサンは思うんです。
今まで最良のお客さんであった人たちを、バッサリと切り離す方針の転換。
痛みや勇気、計算高さ、残酷さ、冷酷さの必要な決断だと思います。
けれども、STGメーカー自身にしろ、
ジャンルにしろ、ユーザーにしろ、
全体を守るために、どこかで切らなければならない舵だったのではないかと思えるのです。

  まコナミさん自身は、
  そんなにアーケードの弾幕STGに首を突っ込んでお商売されてたわけではないので、
  そういったしがらみから自由で、こういう思い切った舵切りが出来た、
  という面もあるでしょう。外側の人間だから出来たことであると。
  ……それにしたって、
  「既存のお客さんにゴッソリそっぽ向かれるに違いない商品」
  をどーんと出して下さった、その決断はやはり勇気のあることに違いないと思います。

その……
「単純すぎる方法を導入して、代わりに何かをバッサリ犠牲にする」
なんてのは、見ようによっては下策に映ると思います。
考えが足らんと。
もっとやりようがあるのではないかと。

……ですけどねえ。

恐らくそれらの手段というのは、この10年間であらかた絞りつくされてしまったと、
オイサンには感じられます。

  この10年、オイサンはやっぱりSTGが好きで、
  面白そうな新作が出る度コンシューマなら買いもしましたし、ゲーセンへ足を運びもしました。
  でもやっぱり、自分にはマトモに遊べない、
  手加減してもらえないと楽しめないというモヤモヤがずっとつきまとっていたように思います。
  弾幕系の開祖である初代『怒首領蜂』をなんとかワンコインクリアして以来、
  次に無邪気に楽しめたのは『シューティング技能検定』じゃないかなあ、というくらい。

冒頭でご紹介した最新のSTG群……
『エスカトス』にしろ『弾魂』にしろ『ストラニア』にしろ、
そのギャップを埋めようとして考えられた様々な工夫が盛り込まれた跡が伺えるんです。
敵の弾を消せるだとか、一時的にバリアを張れるだとか。

けれども、やはり既にどこかで見聞きしたことのあるものであったりしますし、
逆にそれらのシステムそのものが、使いこなすことに一定のスキルを要求するものであったり……
してしまいます。
何より「やる前から難しそうに感じさせる」システムだと、オイサンでも思います。
「それが出来なきゃ楽しくないわけでしょ?」
という。



  これらのタイトルに、ワクワクや面白味以上に感じてしまったのは……
  その10年間の疲弊と、煩わしさでした。



なのでもう、ここらで一旦
「先ず『ふつー』にしてみようや」
という今回の大胆な「アイデア」は至極正しいものだと、オイサンは評価したいと思います。

これからまだまだ、既存の方向性で改善を重ねていくことも、勿論続けていくべきだと思います。
そちら道は、今まで修羅の道を歩き続けてきた猛者たちとその縁者たちが
歩き続けていくでしょう。

それとは別に、こちらの道から歩き出し、
また新しい進化をたどる人たちも、また出てくると思います。
二つの道がいずれ交わるのか、
それとも違うジャンルの物として異なる樹系図を描くのかはわかりませんが……
STGの、ゲームの世界をまた一つ豊かにしてくれるのではないかと、
オイサンは、老舗・KONAMIの決断を、意義にある物として受け止めていきたいと思います。



■で、簡単になったのはいいんだけども。



サテ、ここまで調子よく褒めてきたんですけど、
客観的にゲーム全体をざっくり見渡してみると……。
言っときますよ。
決して、デキのいいゲームじゃないですからねコレ(どないや)。

それは「難易度が極端に低い」とは無関係で、
全体的なバランスが滅茶苦茶なのです。
機体によっては、ボスでもタメ撃ちで瞬殺出来るとか、
兵装の強さにアホみたいに偏りがあって、やたらと使える武器と、
「コレどうやって使うねん」という武器に分かれてしまうとか。

結構、ヒドい。

オイサンはそういう荒さ・ヒドさが楽しかったりするクチなので
(特に「ボスが通常攻撃で瞬殺出来る」というのはポイント高かったりします)、
それも含めて「楽しい」と言ってますけど。
ストイックにSTGを楽しみたい人には、
多分「ナンジャコレ」と言われてしまうと思いますコレ。

うん。
ヤバイ。

なので、STG初心者の人が低難易度に惹かれてやってきたは良いものの、
この荒さに辟易して「STGっていい加減でツマンナイ」と言われてしまうのが
ちょっと心配ではあります。

うーむ。
ままなりなせんね。



■世の中はばかみたい



と、いうのがシステム周りのお話。
ここからは世界観のお話です


 ▼『オトメディウス』の世界

謎の地球外生命体バクテリアンに攻め込まれている地球があって、
それと秘密裡に交戦している地球の組織『G』があって、
『G』にはバクテリアンと戦うための女の子
(なんで女の子なのかは書かれてないけど)「天使」が
地球のみならず「色んな」ところから集められていて、
メインヒロインは地球の聖グラディウス学園の女子高生で、
ビックバイパー的な乗り物に乗って戦う……、っていう。

すごく……ばかみたいです。
いい意味で、と言いたいところですが、ばかみたいに良いも悪いもあったもんじゃない。


▼オトメディウスX(エクセレント!) OPムービー



ただその「ばかみたい」なことがオイサンは大好きで、
あまり細かなことを考えず「面白そう!」と思った素材をとりあえずのイキオイで寄せ集め、
空いちゃったスキ間にはオヤクソクという緩衝材をふんわりと詰めて出来上がった、
この感じ。

俗っぽいというか、雑多というか。

  『オトメディウス』のヒロイン(=自機)には、
  地球人の女子高生をはじめとして、
  他の星の人もいれば、異次元の人もいれば、
  ロボットみたいなのとか、おとぎ話から出てきたようなのもいます。

  そんな風に、「雑多」がただの「雑多」で終わっておらず、
  構成するそれぞれのパーツの個性が大きく振り切れていて、
  気軽に「アホかwwwこれはアカンわwww」と
  笑い飛ばせる力を持っていることが大事なのだと思います。
  オイサンの感覚では、そういうものに捕まることは
  ジャイアントスイングでブン回されるコトに似ている。
  受け取る側がウッカリ真顔になってしまうスキを与えない、
  一撃で諦めをつけさせてしまう遠心力が必要、と言い換えても良い。

  求心力ではなくてね。
  求心力は、人を真顔にさせます。

  似たような構造のモノも世の中には結構あると思いますが、
  面白い/物足りないを分けるのは、その遠心力の力の差だと思っています。

ただ、個々が好き勝手なままにおいておくとそれはただの散漫なものにしかならないので、
世界が空中分解を起こさないように一つ、
そのカオス全てを許容する超然とした存在を配置して、
個々のパーツを緩やかに繋ぎ合わせてある。

  この……なんつうか、駄々っ子大家族を、
  お父さんまで含めて抱きしめるお母さんのようなおおらかな感じ。
  息苦しさは感じさせず、放漫すぎもしない。

構造自体は恐らくSFに近いのですが、
コアにあるものがSienceと呼べるほどのものではなく、
オヤクソクや萌えやアホタレ要素に置き換わっている感じなのでしょう。

そう、まさに『ドリームクラブ』も同じですね。
アンドロイドだとか未来人だとか、ウソかまことか魔女っ子だとかが混じっていて、
それらの存在の根幹を考え始めると色々つじつま合わせが大変になってくるものを、
そこには言及せず、ただ雑多に詰め込んである。

  『ドリクラ』もホストガールにフツーの女の子しかいなかったのであれば
  多分オイサンは、ここまで入れ込んでいないと思います。
  且つその無謀な集合を許容する受付さんという特異点と
  『ドリームクラブ』という場そのものが
  その雑多さを緩やかに結びつける神秘的な器として介在して初めて、
  オイサンはあのゲームを魅力のあるものとして認識出来たような気がしています。

『ドリクラ』にせよ『オトメディウス』にせよ、
最近そういう「ばかみたいなもの」への慈しみというか、
面白みを感じる心がここ数年に比べて随分甦ってきたという感触があり、
今『戦国乙女』みたいなものを面白がって見ていられるのも、
その変化というか、揺り戻しのおかげかと思います。

逆にそこをキメキメに埋めて来る『バーチャロン』なんていう
変態的な世界もあって、それはそれで好きなのですけど。


 ▼スキ間産業再生機構

そんな風に、
ばかばかしい物を無理やり寄せ集めた挙げ句に振り回したりするモンですから、
個々の合間には、やはりスキ間が空きます。
それはもう、どうしたって。
デそのスキ間には

 「まあまあまあ、お互いオトナなんですから、
  オヤクソクってコトで勘弁して下さいよ」

と書かれた紙がまるめて詰めてあったりするんですけども、
オイサンみたいなのは、それを引っ張り出して丸めてポイして、
勝手に書いたお話を、替わりに丸めて詰め込んでおきたくなったりするわけです。
「よくぞこの、絶妙な穴を残してくれた!」
というような喜びです。
その穴の空いた場所であったり、形であったり。
その間隙の心地よさをこそ、愛でていきたいようです、この人は。

イヤ、実際難しいと思うんですよ。
意図して、絶妙な穴を残すということは。
穴を残す場所を間違えると野暮になったり、お話そのものが理解できなくなりますし、
その大きさも、小さ過ぎると埋め甲斐が無く、
大きすぎると面倒くさいというか、手出しのしようがなくなるワケで。

受け手がギリギリ補い得て、
且つそれなりに違う解釈も生まれて幾つかの世界が生まれ得る、
そういう穴の残し方。

  ちなみに、お話が語り終えられる前から穴をちらつかされ、
  それを餌にされるのは苦手です。
  所謂「謎解き」「ミステリー」モノは好かんっちゅうこってす。
  作者にさえもう語る余地の無くなった、語ることを赦されなくなったあとに残る
  結末の一部としての穴が好きなんです。

  余談ですが、『アマガミ』については……
  絢辻さん編に空いた穴と、
  その穴の生み出す渦があまりに素晴らしかったモンですから
  そこにばかり執着してきましたが、
  それ以外の部分に関しては、ワリと無頓着ですね。
  他に対してもああいうのを期待したかったし、してしまったんですが、
  それは野暮だったなあと反省してます。

  まあ『アマガミ』絢辻さん編に空いた穴は
  「おおらかに」放埓にされたわけではなく、
  狙い済まして空け残された針の一穴だと思うので、
  ここでいう「ばかみたいなもの」とはそもそもの質が違いますが。
  あれはもう、穴の大きさこそ針穴ですが、
  その形、数が絶妙すぎて、オイサンは完全にヤられてしまいました。

穴をどこに空けるのか、
どんな大きさで空けると素晴らしいのか、ということは……
未熟なオイサンにはまだまだようワカランのですが、
或いは穴から考えるのではなくて、
結局は「実をどこまで詰めるのか(その結果どこに穴が開くかを計算する)」
で考えるしかないのかも知れませんけども、
『ドリクラ』にせよ『オトメディウスX!』にせよ、
オイサンを魅了して止まないステキな穴……っていうと何か妙にゲヒンなので、
スキ間をお持ちですよと、
そんなことを言いたかっただけなんだけど、
ナンダコレ、
えらく長いな。



……。



まあ、なんというか。
オイサンのギャルゲー遍歴……というか、二次元の愛の足跡は、
PS版『ときめきメモリアル』に始まり、
今のところ、『アマガミ』『ドリームクラブ』ときて、『オトメディウスX!』で閉じている。

この先まだまだ続くと思いますケド。
なんかオイサン、一生童貞らしいから。
……。
泣いてないよ?


まあね、それはさておき、
その愛の歴史のアタマとおしりが今、同じ点で結び合ったこのタイミングは
何かトクベツな時刻なんじゃないか知らん? と……
フッと思ったので。



こんなことを長々と、考えてみたのさ。

こんな、長い上にイミわかんねえの誰が読むんだ。
シンジ君、あなたが読むのよ。
オイサンでした。



 

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■スキ間産業再生機構~オトメと童貞のポルカ (前編) -更新第671回-

 
 
 
天はおっぱいの上におっぱいを作らず、
           おっぱいの下におっぱいを作らず。

 
                           ~福沢諭乳

 
 
……などというどうしようもないネタをTwitterに投げた挙げ句、
「『諭乳』はともかく、『輸乳』だった場合、
 ひんぬーの人にきょぬーの人が献乳する感じなのだろうか?
 それともガワではなくて、絞り出す中身の方をおすそ分けする感じなのだろうか?」
とか、
世界中の誰に聞いても知らないことを考えてしまったオイサンはおムネよりもおしり派。
オイサンです。

マ、
上乳も下乳もすばらしいですよ」、くらいのお話だと思って下さい。



■オトメディウスの話



番組の途中ですが、オイサンはSTGが好きです。
このところのXBOX360はSTGラッシュで、
『エスカトス』ですとか『星霜鋼紀ストラニア』ですとか、
『弾魂-バレットソウル-』ですとかたくさん出ておりまして喜ばしい限りです。

なんですけど、そのどれも、結局買わずにおります。
なんか、どうも……気乗りしませんでね。

  『ストラニア』は、体験版をDLしてやってみたんですがチョイと複雑すぎて、
  且つ演出がわざとらしいというか、
  まあ演出なんでわざとらしくて当然なんですけど、
  盛り上げ方があざとくてイヤらしかったのでちょっとコレはパスだなと。
  ライバル機とか、ソードっていう武器とかね。
  あってもいいけど、前面に押し出すものではないと思うのよ。

  『弾魂』は体験版待ち。
  ただ、飛びつくような要素が見受けられないのは事実で、
  「旧来的な弾幕ゲーを無理やり遊ばせようとしている」もののように見えて、
  それはちょっと違うんでないかいと思っているところ。
  マやってみて面白けりゃ文句はないですけど、あまり過去作品で
  そういう試みが上手くいっているのを見た験しがないので懐疑的。

  『エスカトス』は……なんとなく。
  ……地味?
  プレイ動画を見たんだけど、面白そうに思えませなんだ。

▼星霜鋼機ストラニア



こりゃどれもスルーかなあ、
大本命の『バンガイオーHD』待ちかなあ、と思っていたところに(※1)、
あるWebの記事が目にとまりました。
コナミの自主原作レイプSTG『オトメディウス』の新作『オトメディウスX(エクセレント!)』に、
元祖絶対ヒロイン、『ときめきメモリアル』の藤崎詩織さんがご出演なさってる、
というお話でした。

ほほう、これは興味深い。

  ※1:『バンガイオーHD』は、5月2日にXBLAでリリース済み。
     2011年5月8日現在




■童貞と部屋と詩織



藤崎詩織さんといえば、初代『ときめきメモリアル』における完全無欠の絶対ヒロイン。
オイサンは以前の記事で「絢辻さん=範馬勇次郎だ」と言いかけて
背中に一生モノのヤケド痕を一つ増やしましたが、
似たような物言いとして絢辻さんを地上最強のヒロインとするならば、
絶対ヒロインの詩織さんはヴァンダレイ・シウバです。

  ……。
  詩織さんは焼きゴテを持っていない上にSキャラでもないので一安心です。
  しれっと無視されたり、フツーの女子的な恐ろしさはありますけど。

オイサンにとって詩織は、絢辻さんと同じくらい特別。
なんというか……初めての相手、と申し上げればよいのでしょうか。
オイサンはイイ歳こいて童貞さんなわけですが、
恐らくオイサンが一生童貞であり続けることを宿命付けた(確定なのか!)……
そんな「女性」なのです、藤崎詩織さんは。

日本の成人男性が強弁を打つとき、
何か幼い・つたない考えを披露する人間に対して比較的蔑視的な意味で
「童貞っぽい」と評したりするわけですが
(オイサンにはその意味するところがモ一つ実感としてわかんなかったりしますが。自分が童貞だから)、
そういう意味において詩織は、
童貞だったオイサンの上に更にもう一枚の「童貞的な要素」を重ね着させて行きました。
そんな風に思うのです。

そうして「童貞++」「超童貞」とでも呼ぶべきものへクラスチェンジしたオイサンが
童貞的な状態から脱するためにどうしたらいいのかは、
正直全然わかりません。

ただ、のちに絢辻さんとの出会いによって、
その童貞的な要素を三次元的ではなく二次元的な意味で一歩打ち破ったように自分では感じており、
既にそうして二次元的に破壊されてしまった「童貞」を、
再度今度は三次元的に破壊「し直す」ことが出来るのかと言われれば、
それはもうキレイサッパリ壊されたあとなので……無理なんじゃないかなあ?
だってもう、その壁はなくなっているわけですからね。

……そんな風に感じるわけです。

なので、この先オイサンが生体的・生理的な意味での脱・童貞を迎える機会に、
例え、万が一、天地が逆転して恵まれたとしても(泣いてないよ)、
それは二次元的な意味での童貞及び脱・童貞に庇護包括された上での行為ということになってしまうと思われ、
すなわちオイサンの一般的な意味での「脱・童貞」は今生において永遠に達成されないよなあきっと、
などと考えておるわけです。
いかがなもんでしょうかね。


……え? 「意味がわかんねえ」?
アレ? なんで?



……とかいう文章をですね、
今電車の中で、実はブラックベリーさんを使って書いてるんですけれども、
隣に女子高生さんが座っててなんかガン見されてる!
ウレシハズカシ! ←ドM



■そうじゃないんだよ、『オトメディウス』の話なんだよ



ここまでの文章でオイサン、
多分一生分の「童貞」って言葉を言ったと思いますがそれはまあどうでもヨロシイ。
そろそろ本題の『オトメディウスX!』の話にいきましょうか。

ちなみに『オトメディウス』というのは、
コナミの名作STGシリーズ『グラディウス』のフォーマットの上に、
女の子キャラクターをフィーチャーしたパワーアップ型横スクロールSTGのことです。
昔あった、『パロディウス』を、もっと女の子方面に強化したゲームだと思って下さい。

▼オトメディウスX(エクセレント!) OPムービー

ちなみにオイサンは、このお歌の
「♪碧く澄んだこの地球の次のステージへ!」というところが大好きです。
この星にはまだ何か残ってるんだろうなあ、ということを感じさせてくれます。



あのー……びっくりしましてね。
先の、「詩織が登場する」というコトを知ったWeb記事の中でも
「難易度はヌルイよ」と書かれていて、「ああそうなんだ」とボンヤリ知ってはいたのですけれど、
それでも想像を絶する劇的なヌルさ。
いくらヌルいヌルいといったところで、
相手は横シューの開祖とも言うべきあの『グラディウス』さんの直系です。

シリーズの『Ⅲ』なんかは相当な高難易度のゲームとして名を馳せていたハズなので、
まさかそこまでヌルいとは思っていなかったのですけれども……
いや、ほんとヌルいわコレ。
いいのこれ?
高橋名人に怒られるんじゃないの? と心配になるレベル。

オイサンのSTGの下手っぴさは、下手のヨコ好きの代名詞みたいなもんですが
(ヨコだけじゃなくタテも3Dも下手ですよ)、
そのオイサンがノーミスで一周できてしまうんですから、全国の奥さんも安心です。
最終面でようやく今時のアーケードSTGの2面か3面の難易度に達するくらい、
と申せば多少は伝わるでしょうか。

  おやりにならない方のために申し上げておきますと、
  マ大体、ゲームセンターのSTGとかだと3面あたりから本気で殺しにかかってくるんですよ。
  まともに遊べる人と、そうでない人のふるい落としが始まるのが3面。
  オイサン程度の腕前だと、マちょっと練習をして、4面か5面まで遊べるくらいです。

そのぬるま湯にどっぷりと浸りながら、
いやーコレ良いのかなー、周りから文句でないのかなー、
なんて考えていたのですが……
このユルさはもしかすると、STG界における一つの大英断なのではないか、
と思うオイサンもおるのです。


 ▼STGの歴史

マ簡単に言ってしまうと、いわゆるSTGっていうのは受け容れられ難くなって、
数が減ってるんですよね。
……今となっては、「減ってた」というのが正しいかもしれませんね。
最近のコンシューマ市場では、ちょいちょいと増えてきているようにお見受けしますから。
それでも底の底だけど。

スーパーファミコンとかメガドライブが全盛だった90年代前半から、
初代PSが隆盛を誇っていた90年代中~後半くらいまでは、
まだまだ家庭用ゲーム機オリジナルタイトルのSTGなんかも、結構出ていたんです。
当時はゲーセンにも、まだまだSTGはそこそこあった。

  20年~15、6年前のお話ですね。

それが90年代末期頃からですかねえ、
現在主流となっている、弾幕型と呼ばれるSTGがゲーセンのSTGの大半を占め始め、
それがまたウケたもんですから、その手のタイトルが増え始めて
(というか、もう一部のメーカーしかSTGを作らなくなっていたので
 その周辺がそういうトレンドに流され始めると一気にシーンがそれに染まってしまう、
 という構造がそもそもありました)、
見た目には派手で、目は引くんですけれども、
フツーの人が手を出せそうもないような難しそうな画ヅラだったことと、
やってみると実際に難しいのとで、やる人がどんどん減っていったんですね。

▼怒首領蜂



一部だけが作って、一部だけがやる、という
……伝統芸能みたいな世界になっていったわけです。
まあ、言い古された歴史なんですけどね。

よーするに、
「弾幕STGが見た目的にも実際的にもレベルをあげすぎて、
 お客さんの大勢からはそっぽを向かれた」
ということで……
今回、『オトメディウスX!』が極端なくらいに難易度を下げてきたのは、
その現状に対する一つの回答なんじゃないのかな、
と感じ取れたのです。


 ▼お客さんを呼ぶための工夫と、すれちがいと。

勿論これまでも、色んな手を使って
お客さんを呼び戻そうという工夫はされてきていたんです。
見た目的にもそうですし、難易度的にもそう。
わかりやすくしたり、可愛らしくしてみたり、
同じ弾幕でも、実際やってみれば簡単に出来ていたり。
けれども、それらの工夫というのも、
そこそこにSTGを愛し、プレイするオイサンの目から見ても、
上手く言っているとはお世辞にも言い難かったと思うのです。

というのも今までの工夫は、
新しくお客さんを取り込もう・取り戻そうとする意図と同時に、
既存の化け物じみたプレイヤーたちにも配慮されるもので、
そこには物理的だったり、心情的だったりする壁がどうしても存在してしまったために
一定以上の効果をあげられてこなかった。

それを「難易度の、単純にして極端な低下」という力業を持ち込んで
「痛みの伴う根本的な解決」を図ったのが、
今回の『オトメディウスX!』なのではないかなあと、感じます。


 ▼『オトメディウスX!』がこれまでとちがうとこ

例えば、新しい人が入りやすくするための工夫として、
パッと思いつく簡単な解決策に「易しい難易度を用意する」というものがあります。
普通の難易度をNormalとするなら、Easyモードを用意する。

……ですけどねえ。

STGをやろうなんて人間は、わがままなもんで、キホン「勝ちたくて」プレイするわけですよ。
ハナからEasyを選ぼうなんて、
「手加減をして下さい」だなんて負けを認めてるようなもんで、
そのさらに上のDifficultモードやExpertモードで勝てなくちゃイヤだとまでは思わなくとも、
Normalで負けてりゃ負けなワケです。
やったって、気持ちよくはなれないわけです。
それはつまりその、「お客の欲する快感に応えられない」ゲームなのであって、
お客を呼び戻すには、まあ至らんのではないかなと、オイサンは思います。

  「そんなもん、Normalの難易度をEasy並にしたって、
   手加減されてることに変わりないんじゃないの?」
  と言われそうで、実際その通りだとも思うんですが、
  そもそもゲームの難易度なんてのは
  上げようと思えば開始後即死のレベルにまで上げられるわけで、
  ExpertだろうがInfernoだろうが、どこかで手加減されているのです。

  ですので、まあ世間的な基準というのはあるにせよ、
  あとはそれぞれのゲームが「どこをNormalと置くか」を絶対として、
  そこから「手加減」「手加減なし」のレベルを考えるしかないとオイサンは考えています。
  そこはもう、プレイヤーの意識と、作り手とプレイヤーの関係の問題ですよね。

今回『オトメディウスX!』では、


……。


という話をしようと思ったところで、随分長くなってきたな。
ちょっとここらで一旦切りますか。



<後編>へつづく。



 

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2011年5月10日 (火)

■コンビニエンスな彼女たち -更新第670回-

ちょっと前から言われてたような気がしますが
(あまり興味がなかったのでちゃんとチェックはしていなかった)、
今日から?
またローソンで、『けいおん!』とのコラボキャンペーンが始まったみたいですね。


  ▼LAWSON エンタメキャンペーン けいおん!!フェア [ LAWSON ]
  http://atg.to/campaign/static/k-on/


お仕事向かいがてらのTwitterでわさわさと盛り上がっていたので、
道中にあるローソンに寄ってみたところ、うちわがそこそこ残っていたので
我が家にはムギさんにお越し戴きましたよ。
……お写真載っけようと思ったのにシゴトバに忘れてきた。

しかし、イザ「お、残ってる。買おー♪」と思った矢先に、
別にどれも大して欲しくはないことに気付いて、
とりあえずムギさんにしてしまうあたりに、オイサンの『けいおん!』への思いが顕れます。
和ちゃんアイテムの商品化が待たれます。

  ウチワだけでなくて、実は他にも何か色々アイテムがあったみたいですね。
  携帯の充電台だとか、ぬいぐるみだとか。
  Web上のレポートでは流血喧嘩騒ぎもあったとかで、すごいすなあ。

  ▼『けいおん!!』ローソンフェア開催!
          ぬいぐるみの奪い合いで警察沙汰など激しい戦争が!

  http://otanews.livedoor.biz/archives/51782489.html
  [ 萌えオタニュース速報 ]


……しかしまあ。
これからまた、ちょっと怒られそうなことを書きますけど。

こうしたお祭り騒ぎを見るにつけ、ふっと妄想したことには……
もし、
もしも、
もしもの話ですよ。

もしも京アニやシャフトが最大戦速で『アマガミSS』を作っていたら、
あの棚に、輝日東の6+1人が並ぶ……なんてこともあっただろうか。

……なんてのは、色々なコトをすっ飛ばした妄想に過ぎないんだけど。
色々な、本っ当に大事な色んーなコトをね。すっ飛ばしてますけども。
そんなもん、全てが制作会社の力ではありませんから、失礼な言い草ですしね。

  そもそものコンテンツの力とか、役者さんの力とかね。
  うん。
  全部制作会社とそのブランドネームのおかげ、みたいな、
  他に対して失礼な言い草だと思います。
  ごめんなさい。

それに、星乃さんとはお別れしてしまった過去の経緯なんかもあるので
高山さん・坂本Pが、自ら振るその旗を手放すとも思えませんから、
今の姿からの大きな逸脱はなかったかもですし。
それでも、いくらかはその妄想に近い現在だったかも知れないな。

……別に、アマガミのそんなメジャー化を望むワケでもありませんが、
……。
面白い景色だろうな、と、思ったくらいなのさ。



ウフフ。



どうしたんだろう。



ウェットなオイサンですね。



やっぱりオイサン、Mなのかなあw



ウェットついでにもう一段穿った見方をするなら……。
もう二度と星乃さんとお別れしたくなかった御大は、
過剰に力のあり「過ぎ」ない、
面白さを優先して尖った事やぶっ飛んだ事をやり「過ぎ」ない、
いい意味で手堅く、おとなしそうなヒトタチにお仕事を任せたのかも知れないなあ、
……だなんて。
またらんぼうで怒られそうな憶測をね。書いてみたりも致しますよ。

AICさんの性向や歴史や、
客観的な力量やらを分かった上で書いてるワケではないですから、
スミマセン、としか言えませんけど。
結果だけから一面的に逆算して、思っちゃったのはそんな姿でした。

ホントはこの話、
思いついてTwitter上にポンと流そうとしたネタだったんだけど。
アレだとアレなので、こっちでモゾモゾしてみた。

イヤ、まあ。
もしもそんな風に、満天下にあの6人が並んだら、
殴り合ってまで奪い合われるようなことになってたら、
一体どんな気持ちになるだろうなあって、そう思っただけなんですよ。



嬉しいだろうか。

切ないだろうか。



今ぐらいが丁度いい……
そんな気も、致すんですけどね。



■先週までのアニメの端々から。



ついでに、先週までの今期アニメの、ちょっとした感想を書いときましょうかね。
なんとなくね。

 ▼『日常』

第5話のオープニングで、
「はっかせっだニャン♪」
「はかせ、それは萌えです!」
「はっかせっだニャン♪」
「萌えです!」

と繰り返すシーンがあったのだけれど、
もう「萌え」と言われても、ボンヤリと、
なんとなくその言葉の指そうとする「エリア」が理解出来て、ハッとなった。

オイサンの日常に初めて「萌え」という言葉が登場したのが
大体1999年頃のことで、当時は
「一体、どういうコトを指す言葉なのか分からない」
という理由で敬遠していたのだけれど、今では何の抵抗も感じない。

でも多分、その言葉の指すところの「理解出来ていない具合」は
当時と然して変わっていないはず、なんだよなあ。

多少自分なりに
「『萌え』とは何か、如何様な感情・情緒を指したものであるか」
ということは咀嚼できていて、
且つ世間一般において大体どんなことに向けて発せられる言葉であるか、
のサンプルが大量に取れているので、その辺の安心感はあるけれども。

「もののあはれ」であるとか「侘び、寂び」なんてものも、
そういう言語化の出来ないいわゆる「空気読む」感じから
成立している情感なのだろうねえ。
「萌え」って高級だなあ。

あと、サカモトさんが絡むと途端につまらなくなるのを何とかして欲しい。
アイツ要らんやろ。


 ▼『戦国乙女』

いやあ。
冒頭のイエヤスちゃんの振る舞いだけ見て
「なんか、もしかしてちゃんとし始めた?」
と思ってしまいましたけど、
中盤ひとっつもちゃんとしてなくて、すっごい安心しました。
そうだ、それでいいんだこのマンガは。
くれぐれもヘタに凝った事とかしなくていいぞ。
バカみたいなままでいいんだ。

ただ……。

中盤の怪談シーンは、あまりにゼイタクに時間使いすぎだろwwww
明らかに、時間余っちゃってむりやり水増しして埋めました感全開じゃないですか。
尺が足らなくなって泣く泣く色々削らざるを得なくなってる
アフリカの子供たちに謝れ。

ていうかこのマンガも、
最後の方には時間足らなくなってグダグダになる気がするんだけどw
その伏線(ていうのかどうかわからんけど)としての間伸びっぷりだったら
ちょっと感心しますけどね。

いやあ。
目が離せません。
大好きです。
案外各方面でも好評のご様子で、いやあ、日本も捨てたもんじゃありませんw


 ▼『そふてにっ』

ちょっとこのノリに飽きてきた。
『Aチャンネル』との日常オモロイ系2本立てはキツい。
『Aチャンネル』だけに絞ろうかしら。
イヤ、根本的には違うんだけどね。
どことなく競合するのよ。
『Aチャンネル』単体と、というよりも、
『Aチャンネル』+『日常』の連合と、かもしれません。
日常風景の面白味と、非日常+ハイテンションネタ、そのハイブリッドですんで、
それぞれの専門家同士の連合には、ちょっと敵わんのかも。


 ▼『アスタロッテのおもちゃ』

ベタだけど、丁寧で王道で面白いなあ……と思って油断してたら、
最後に意外な展開。
いいんじゃないでしょうか。
そもそもアスハちゃんが娘で主人公が成人だったってのも意外だったんだけど。
実は色々意外で、タイクツしないで面白いわコレ。
かなり昇格中。


 ▼『C』

あと、意外なところで『C』がオイサンの中で評価を上げてきています。
フツーに面白い、という極めてそっけない感じではありますが、
当たり前のことが当たり前にバランスがとれていて、
見ていて、「引き込まれる」とまでは行かなくても「引き止められる」くらいにはなる。
飽きもせず、かといって見疲れもせず。
『戦国乙女』の裏の位置にいる感じですかね。



ほかは……特に言うことないかな。



マそんな感じで一つ。
オイサンでした。



 

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2011年5月 9日 (月)

■神龍のしつけ教室 -更新第669回-

今日から、オイサンのシゴトバの部署にも新人さんがいらっしゃいまして。
オイサンです。

オイサンのシゴトバは、部署が上下2フロアに分かれていて、
朝礼のときは上階の人間が降りてくることになっております。

新人さんの席は上階にあるんだけども、
朝礼の始まる前、
下のフロアに席のあるエライ人が最初に下りてきた上階の弱・エライ人に
「新人は?」
と訊いた。
「降りてくるように言ってありますよ」
「そうか。
 ……しかし、先輩に言われなきゃ降りてこないってのは
 今年の新人はセンスに欠けるな」
だって。



……。



そんなモン、
そもそも朝礼があるのかとか、
そのときにはどっちがどっちに移動するのかとか、
分かりもしないのに動けるわけないじゃないですか。
どこまで説明してあるのか知りませんけど。

「お前らの席は上だから、初日は一先ず上の階に行きなさい」
くらいにしかお伝えしていないのではないだろうか。
どーして自分の知ってるコトは全部知っている前提なんだ。

とか言ったら言ったで、
「分からなけりゃ訊けばいいだろう」
とかって仰るワケですが、イヤ、状況は分かる/分からないじゃなくて、
「分からないことがあるかどうか『知らない』」状態なんだから、
どうしようもないでしょうに。



……まあね。



今時、相互伝達のベースとなる規範、いわゆる常識レベルの
知ってて当たり前のコトを知らない世代もたくさんいますから
「知らなかったからで『済まさせたくない』」という気持ちも、
大変によく分かるわけですけれども。

「ワカラナイ」と「シラナイ」は、
同じ意味で使われることもありながら土台は似て非なるものですから、
取り違えをしないよう、気を付けたいものです。



■おねがいサミアどん



  ……表題↑が分かる人って果たしているのかしら。
  ンなこたどーでもいいわ。
  オイサンもよくは憶えてねえし。
  ……と、余談から入る本題。

オイサンは朝オシゴトへ向かうとき三駅ほどムダに歩くのですが、
その途中には、大学から高校から中学校から小学校から、
あらゆるレベルの学校の前を通ります。

  それがまた……女子校がどうやら多いみたいでしてね。
  エエ。
  別段調べたわけでもありませんが。
  たくさんの女学生さんを追い越したり、すれ違ったり、するわけです。
  フッフッフ。
  全部三次元だけどな。( ← 当たり前だ)
  残念だ。

時間的にワリと早いものですから大学生さんなんかはほとんどお見かけしませんが、
通過するタイミング的に、ゴッツイ小学生の一団と出くわしたりもいたします。
そんな中には親御さんが一緒に登校されてる例もあるのですが、
チョイと今日は、それを見ててフッと気付いたことでも書きましょうか。


 ▼ギャルのパンティが戴けると嬉しい。

ちょっと前にWebの記事で読んだのですけれども、
親が子供を躾けるときに
「××しろ」「××するな」と、強制や禁止で言うのではなく、
「××してくれると嬉しい」「××しないで欲しい」
というお願いの形で言うといい、というやり方が紹介されておりました。

「人が『こうだったら嬉しい』という気持ちを表した」
  → 「その気持ちを汲んで『自発的に』そうした」
  → 「そうしたら人に『喜ばれた』」
  → 「だから次回からもそうする」

という情動の形成がされることが大切、ということなのでしょう。
マそれにはオイサンも賛成です。

デ、今日すれ違った親御さんがお子さんに対してそのようにされているのを聞き、
アア結構一般的な話なのかな、と思ったりしていたんですが。
そこで気にかかったのが、
お子さんは、お願いというものに対して、勘違いしておぼえてしまったりしないだろうか?
ということでした。
「普通のお願い」と「躾」は根本的には全然ちがうものですからね。

躾には、基本的には強制力が付きまといます。
親としては最終的に、必ず自分の欲した結果へ子供を導く必要がある。
つまり、躾目的で発せられた親の「お願い」は必ず叶えられないとならず、
子は親の「お願い(=躾)」を叶える方向で動かないと(動いてもらわないと)いけない。

コレに対して普通の「お願い」には、
まあ、そりゃ人としては出来るだけ叶えてあげられるに越したことはないんですが、
基本的に強制力はなく、自分と相手の都合を慮って、お断りしたって良いはずです。

それを、片方を利用するようにして一緒に使っていたんでは、
お子さんの脳みそではそこのところがごっちゃになってしまったりしないものだろうか?
「お願いしたことは叶えられる(お願いされた方は叶えないといけない・叶えるべき)」
という風に、言葉と行為の質を勘違いして覚えてしまう、ということはないのだろうか。
自分がお願いを受けた場合に、正しく断ることが出来ない人間になったり、
逆に、
……寧ろこちらの方がタチが良くないので心配なのですが……
自分がお願いする場合に、(理由の妥当性を考えず)
叶えられないことを不満に感じたりする人間に育ってしまったり
してしまわないだろうか。


そういう心配が頭をよぎったんですね。


「躾をどういう風にしたら良いか」ということとは別に、
親としては時に「断っても良いお願い」を投げかけてあげるか、
子供からされる「お願い」に対して、
理由をキチンと示した上でお断りする手本を見せてあげるか、という風に、
何か「躾ではないお願い」を交えてあげることもまた重要なのではないかしら、
などと考えて顔中の穴という穴から煙を吹いてしまうオイサンなのでしたことよ。

マ、ンな心配は自分の子供をこさえてからしろっちゅうハナシですけどね。
いやまったく。

以上、
自分に関係ないことから順番に心配し始めるオイサンでした。
モモンガ。



……。



そう、コドモを拵えてからね。



……。



ねえ、絢辻さん?



……僕らも、そろそろコドm熱い!

た、体罰は最後の手段にしてよ!
口より先に焼きゴテが出る躾はどうかとお父さん思いますよ!?


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▼おねがいサミアどん OP 瞬間はファンタジー




 
 
 

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2011年5月 8日 (日)

■文明開化の手風琴~岩男潤子さんのライブのこと -更新第回668回-

おうおうどうしたどうした。
オイサンです。
何がだ。

R0042282

2011年のGWもオシマイを迎えつつあり、
日本中から「働きたくないでござる!」
絶対に働きたくないでござる!!」


の大合唱が聞こえてくるようで働きたくないでござる!



  ま、巻き戻しを要求するーッ!!



今目の前にウサギみたいな赤目の白いヤツが現れたら、
迷うことなく契約して魔法少女になり4月の29日までもどしてほむほむ!
とお願いをするコトでしょう。

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  そしたら今後一生GWだわ、
  魔法少女になった瞬間になる前の時間に戻るから何かに絶望したりしなくて済むわで
  良いこと尽くしじゃね?
  天才キタコレ。

まあアホみたいな冗談はさておき(←9割がた本気)、
そのくらい、今年のGWは楽しいことが多かった、ってハナシですよ。



■どうでもいいけどいい加減「ゴールデン」って響きは、
  厚ぼったくて、あまりありがたくない気がする。




オイサンの連休は5月の5日まででした。

最終日はアレやコレやとやることを考えていたのですが
晩ゴハンを摂り終えた7時半頃になって、カラダがすっかり動かなくなってしまいました。
やっぱくたびれてたのかなあ。
デ横になってゴロゴロしていたところ、
そのまま寝たり醒めたりで朝を迎えてしまいました。
……惰弱である。

  活動量計(万歩計の親分みたいなやつです)の記録を見てみると、
  連休中の毎日の歩行距離が、
  ジョギングも含めて連日20kmを軽く越えており、
  こりゃくたびれもするかもなあと納得。

別段、起きてたと言ってご大層なコトをするわけでもなく、
与太文を書いたり、ゲームしたりって程度なので良いっちゃ良いんですけど、
ゴロゴロしていると背中にチクチクとした焦りを感じます。

時間の進みはゆっくりに感じますが、
それに呼応して、やらなきゃならないことの進み具合もゼロなので、
あまり意味が無い。
何かやっていても時間の進みがゆっくりだったら良いのになあ、
なんて虫のいいことを考えてゴロゴロしていました。
ゴロゴロ。
ゴロゴロ楽しいです。
ゴロゴロ。

 ▼二つのイベント

ンでまあ、連休中何をしていたのかご報告いたしますと、
大きなイベントが二つ、ありました。

一つ目は、
横浜であった声優の岩男潤子さんのライブ。
二つ目は、
昨夏に四国でお会いしたTwitterお友達が関東にお越しになるというので、
関東のフォロワーさん数人を交えての、鎌倉めぐりオフ会。

  ……「また鎌倉かよ」とか言わない! 他なんか知らないんだモン!
  オイサンだって気にしてるんだ。

でまあ、今日はその一つ目、横浜でのライブのお話など致しましょうかしらね、
という感じです。

GWには、例年なら一人で北海道とかに行くところですが、
今年は小分けに人と過ごす、一風変わった休みになりましたね。
いやあ、楽しかったわ。
いい連休でした。
お付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。
あとパトやんありがとう(何故)。



■岩男潤子さんのライブ in Motionblue Yokohamaに行ってきた



場所は横浜、赤れんが倉庫にあるMotionblueというライブハウス。

R0042355
どうだーい? ちょうアウェイな感じだろー?(くまだまさし風)


同行のお相手は、このblogの読者さんでよくコメントも下さるJKPさん。
そして毎度おなじみ、ちひろパパさんこと、ちびすけ父さん(hm13chibi)さん。
オッサン三人が横浜デートです。

  以前もご紹介したかもですが、
  JKPさんが古くからの岩男さんのファンでいらして、
  横浜でライブがあると、今回約半年ぶりほどにお誘いを戴いたので
  ほな行きまひょかと急遽予定を立てたと、このような次第でございます。

当日は、昼過ぎに桜木町の駅に集合。
神奈川に住んで8年になるクセに本格的な横浜は初めてなオイサンの希望で、
ランドマークタワー → 山下公園の超完全イナカモン仕様のコースを観光し、
その後赤れんがのライブハウスへ向かうことになりました。

  お天気はチョイと優れない感じでしたね。
  曇り模様。
  風は強くて、オイサン好みでしたけど。


 ▼ライブ!

タワーや公園に先に参ったのですがその話はチョイと後回し。
先ずはメインの、ライブの感想から行こうかと思います。


いや、すごかったです。


オイサンが岩男潤子さんのお歌聴いたのは大学生の頃、
『青春ラジメニア』というラジオ番組でかかったのが最初だと思います。
曲は「恋がひとつ消えてしまったの」。
95年のことです。
そしてその次に聴いた「シャッターチャンスの連続」が決め手となって、
今でも、新しいアルバムを追っかけたりこそしていませんが、
当時のアルバムを、聴くとはなしに聴き続けています。

ですので、歌がお上手なのはよく存じ上げておりますが……。

  このページでもレポートしましたが、昨年の4月にも一度ライブに足を運んだのです。
  やはり、JKPさんのお誘いで。

   ▼シャッターチャンスの連続 -更新第482回-
   http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-4737.html

  そのときのライブは、良かったのですけども
  歌にものすごく迫力があるというほどではない、という感想だったのです。
  失礼ながら。
  トークは面白かったですし、歌も演奏も期待以上には良かったので
  存分に楽しめはしたんですよ。
  けど、「ああ面白かった、こういうものなんだな」というくらいだった。

それがまあ、今回のは。
良かったというか……
期待、想像を上回って、桁がいくつも違うくらいに、
演奏が、歌が、すごかった。


 ▼会場・構成

ライブは2部構成になってまして、5時半始まりの……9時半終わり、くらいだったかしら。
間に30分くらい休憩を挟みました。
前半が一時間半くらい、後半が2時間くらいだったかしら。結構なロングラン。
しかしなんか、体感ではあっという間だったのでした。

会場となったMotionblue横浜さんはライブハウスと言っても、
スタンディングでわんやわんやと騒いだり、
ただステージと客席があって聴くだけだったり、というのではなく、
客席にはテーブルが用意されていて、
お酒飲んだりゴハン食べたりしながらお歌を聴くことができるという、
なんともアダルティな空間でした。

R0042341

  あのね、ぶっちゃけ、
  こういう場所に来慣れていないアニメオタクさんには若干敷居の高い、
  オサレリア充空間です。
  世が世なら敵地です。

  一人だったら超アウェイ、会場のwebサイトを見た時点で
  「これは……無理だな」
  と、腰が引けてしまうことウケアイ。
  実際JKPさんも「一人だったら、多分来なかった」とおっしゃってましたし、
  ちひろパパさんでさえ、「ちょっと勝手が分からない」と若干ビビッておられました。

  ふ……ふっ、いなかものめ。  ← おしっこちびった人

しかしまあ、未知なる空間もこうして一度経験してしまえば、
次からは一人でも気楽にこられてしまいそうです。
お酒はともかく、お料理はちょっと興味のあるものもありますし、
興味のあるアーティストさんが出られるようであれば、また来たいと思う空間でした。
うむ、今度デートに使おう。←相手はいない


 ▼え ん そ う !

前半と後半で楽器の編成が変わり、
オイサンは楽器全然詳しくないので間違ってるかもですが、
前半は、
  パーカッション
  ギター
  ベース(ウッドベース)
  アコーディオン
  トロンボーン

で、後半はピアノが加わり、
パーカッションがドラムに、ベースがたまにエレキベースに変わったりしてました。

ちょっと細かい感想はまたあとに回しますが、
あのー……どれもなんか、素晴らしくてですね。
特に印象的だったのが、ベースとアコーディオン。

アコーディオンは……もうね。
すごいんですよ。
紙吹雪の中にいるような、音が、色とりどりの落ち葉やら花びらやらを巻き上げる風みたいでして、
その一枚一枚が鼓膜に張り付くたびに違う音が鳴るみたいでね。
華やか。
ベースはベースで、ウッドベースも良かったのですが、
オイサンはどちらかというと二部で出番のあったエレキベースの
滑らかなレーザーのような艶が凄く印象的でした。
自分はアコースティックなのがきっと好きだと思い込んでいたんですが、
エレキの不思議な魅力にも取り憑かれてしまいそうです。

彩、艶。
聴覚がチカチカするような錯覚に陥るほどでした。

前回に比べて、スペースの音響性能がいいってのも多分、あるのでしょうね。
座席がステージ斜め前方ともう一つ恵まれない感じで、チョイともったいなかったです。
途中ちひろパパさんが
「スピーカーを通さないで、生で聴きたかったなあ」
みたいなことを(意味のディティールは違うかもですが)仰ってましたが、
イヤ全く同感。

オイサンの場合、あまりデカい音にさらされると疲れてしまうというのもあるので、
大きな音でノるというよりも、小さめの細い音でゆっくりしっとり浸りたい、
という希望もあります。
小さな細い音を、息を潜めて鼓膜の真ん中で受け止めるように聴くのが、
本当は好きなんです。
しかし演奏の途中から、こういう大きい音の場合、
耳だけで受けるんじゃなく、体をゆすりながら、
体のいろんな面で受けたり流したりして聴くようにすると気持ち良く聴けるということが分かって
ちょっとフワフワしつつ聴いていました。


 ▼歌!

そうした演奏が素晴らしいのもともかく、
当の岩男さんの調子が、なんかもう、良かったのでしょう。
生来の、声に艶のあることに加えて、音の高いところから低いところまで
(もともと低いところはあまりお得意ではないようですが)出ていましたし、
息も良く伸び、ハリもあり、
……マお年もありますので、
オイサンが主に聴いていた15年も前の若さ弾ける歌声、とまでは行かないようなものの、
それでも、この日のステージはそれに近いパワフルさを装備していたように感じました。

「歌」というのは、つまるところ筋肉を駆使した「運動」なんですよね。

腹筋とのどと肺をメインの器官として
それらを包み支える上体の骨と筋肉の力みと緩みのバランスをとる、
いわば全上体を駆使した運動なのだと、オイサンは思っています。

そうすると体はイキオイ、熱を持つわけですが……。

オイサンは、歌い手さんの体のどこにどんな風に力が入り、また抜けているか、みたいなことが
なんとなく、本当になんとなくなのですが、
自分が歌っている時の状態とすり合わせてなのでしょう、
なんとなく感じ取ることが出来たりするのですけど、
この日の岩男さんから感じる、そのハリと熱と来た日には、もう。
太く、熱く、しなやかで。

R0042320

岩男さん自身も合間のトークの中で
「私は、この体が楽器ですから」
とおっしゃってました。
うた歌いさんは、喉から声を出すしくみからしばしば管楽器に自らをなぞらえたりされますが、
この日の岩男さんは、オイサンには寧ろ弦楽器、
一本の、太くてしなやかで中空の弦のように感ぜられました。
そのくらい、支点となる上体と下半身がしっかりしていて、
中間にある、のどや胸やおなかを強くしならせ、空気を力強く振動させている、
そんな印象だったのです。

  うむ。
  今こうして思い出していても、ちょっと汗が滲む。
  すごかった。

前回のライブではときどき苦しそうにされていたりもしましたが、
今回はもう、
「最後には燃え尽きて死ぬんじゃないか」
と不吉なことを思うほど、
けれど歌うほどにイキイキとされていたように思います。

長年、岩男さんのステージを追って来られたJKPさんをして
「いやー、ここまでのはあんまり聴いた覚えがないですね!」
と、
……タダでも何か爛々とした目を、更に炯々とさせて語らしめるほどでした。
イヤ、興奮する気持ちも分かる気がしますよ。

  全然関係ないけど、JKPさんには噛まれると痛そうです。
  だって歯並び良くて、アゴがすっげえがっしりしてるんだもん。
  あとちょっと瞬きの回数が少ない気がしますが大丈夫ですか。 ← ホンマにどうでもエエな
  閑話休題。


 ▼曲目!

曲目も、前回のちょっとしっとり・ゆったりした感じから、
オイサンでも知っている結構昔のアルバムからより抜かれてきたものが多かった。
ちょっと元気のイイ感じ。

特に第二部のセットがよくて、
『シャッターチャンスの連続』では、上で書いたような岩男さんの調子の良さが存分に味わえた。
あと『May Storm』のような、
声の高さでしっとり、ちょっとズッシリ目の雰囲気を醸す曲なんかも。

R0042316

それと面白かったのが、『そっと誓うとき』という曲。
これはPSのゲーム『超光速グランドール』という、いかにも90年代中~後半っぽい
アホギャルゲー(信じ難いでしょうが誉めてますよ)の主題歌なのですが、
それをね、
このシックな雰囲気と編成でおやりになるわけですよ。

  女子高生がある日突然しゃべる鎧? に魅入られて、
  異世界に引きずり込まれて戦う変身ヒーロー美少女アクションです。
  いいですねえ、異世界! アホですねえ。
  伊勢丹ぐらいにまからなかったものでしょうか。
  最高です。
  あ、曲はアホじゃないです。隠れた名曲として有名(矛盾?)です。
  
  ▼超光速グランドール そっと誓う瞬間(とき) [ にこさうんど ]
  http://nicosound.anyap.info/sound/sm690721

これがしかし面白いことに、アレンジがすばらしいのでしょうね、
曲として、編成にはハマるし、歌われて出来上がったその曲は、
明らかに変身ヒーローモノの主題歌以外の何者でもない。
そもそもの詞に、それだけの力があるということなのでしょうね。

歌と音楽に関しては終始そんな感じでしてね、
一切の退屈を感じることもなしに、長いハズの数時間が過ぎ去っていってしまったことですよ。

  ア、どっかから突っ込みが入ると恥ずかしいので自分でバラしておきますが、
  第一部の終盤でちょっと寝てしまったのは、
  退屈だったんではなく、頼んだお酒が思いの外強かったせいですからね!

あとは……オイサンは是非、あの愉快なメンバー編成で
『1930☆すてきなメリッサ』が……聴きたかったなあ……。
こうなりゃ意地でも、メリッサを演るまで通い詰めにゃあなるまいて!!
また誘っておくれよバーニィ!

  ▼1930・すてきなメリッサ
 
 http://nicosound.anyap.info/sound/sm13194418


 ▼アコーディオン弾きの孤独

上でもちょこっと書いた通り、
……オイサンの書きっぷりでどれだけ伝わるかわかったもんじゃありませんけども、
今回の編成の中でアコーディオンの存在感がちょっと特殊、ものすごかったのです。

  ステージ上のバンドメンバーの間でも皆さん相当お気に入りのご様子で、
  アコーディオン奏者の方がちょっとやりにくそうにしてました。
  いいのかw

そのアコーディオンの音色の多彩なこと、
そして細やかなことは文句のつけようがないのですが……
逆に、ちょっと「浮く」ことがあったかなあ……というのが、オイサンの素直な感想です。

それは音色の問題だけではなくて、
アコーディオンという楽器のイメージは、
どこかおどけて、滑稽で、やはりあのサンドイッチマンであるとかクラウンであるとかの
道化者のイメージにぴたりと寄り添って離れることがないように思われます。
それが邪魔をすることも、ままある。

  ほかの楽器の中に溶け込むことも、よっぽどの腕がないと難しいのではないかなあと、
  そんな風に感じました。

今回の奏者さんはバンドメンバーの皆さんもおっしゃるように相当の腕の持ち主のようで
(ものの分からないオイサンが言うのも憚られますが)、
出だしこそちょっと浮いてるなーと思わせつつも、
気が付くとすっかり溶け込んで分からなくなっている、という場面が何度かありました。

けれどもまた、いくつかの曲はアコーディオン・ソロに任せきりで、
一応、ベースやパーカッションに譜面が用意されていながらも
(ということは、それぞれの奏者さん自らが仰ってました)
ほかの楽器が入っていけない、ということもまた見受けられ。
それについてバンマスのベースが
「アコーディオンが良すぎて入っていけない」
と言っていましたが、その言葉には
「単独で完成しすぎている・自己完結しすぎている」という
絡みづらさが含まれているように感じました。

  アコーディオン・ソロの曲の時、確かにバンマスの人は、
  睨んでると言って良いくらいにアコーディオンの人をじっと見ていたんです。
  すごく真剣に。
  上手だから何かを盗もうとしているのかなー? なんて、
  モノの分からんオイサンは考えていたんですけど、
  あれはずっと「自分が入る余地」を探していたんですね。
  後のトークでネタバラシをされてようやく分かりました。

思えばオイサンのイメージにあるアコーディオンが奏でられる場面も、
アコーディオン弾きが街角に「一人で」立ち、
子供らと一緒に歌い踊る、といったようなモノが殆どです。
それは単に子供向けに編まれた物語から刷り込まれたモノにすぎないのでしょうけど、
一葉の真実も含んでいるのでしょうね。

マそんなことで、アコーディオン弾きというのは……
その滑稽愉快なイメージと鮮やかな音色からはほど遠く孤独で、
楽しさや、豊かな色彩とのコントラストが強まるほどに、
かなしくうつるのだなあと、胸にくるモノを感じたオイサンなのでした。


 ▼照明の疑問

そんな華やかな演奏を聴きながら思ったことですが
こうした音楽ライブに、照明による演出って……必要なものでしょうかね?
今回、オイサンは見ていてどちらかというとノイズに感じてしまいました。

演劇などのように、音と、言葉と、光の要素がからまりあって
総体として何かを伝える媒体であれば、総合的に「場面」を作る必要があると思いますが、
基本的に「音楽」ですべてを伝えることが前提の音楽ライブにおいては、
目から、音楽の補足的情報を流し込むことがどれほど必要だろうかと。

多少、証明を落とすとか強くするとかはあっても良いかとは思いますが、
色を付けたり、ぶんぶん回したりっていう過剰な演出はなくても、
否、むしろない方が音楽に集中できて、
オイサンはちょっとありがたいんだけどなあ、と思いました。


 ▼おまけ バンマスは漫談師

あとは……これは、別に「岩男さんのライブ」で誉めることではないのですが、
バンマスのベース担当、川村隆さんのしゃべりの上手さですね。
本当に、しゃべりが本業じゃないの? と思うくらい、
緩急自在で面白いです。

頭の回転も早いのだろうし、
「場の空気を読む」=「場の空気に流される」だけではなくて、
キチンと自分の仕事として、場の空気のを作る、流れを整えて進行をする、ということも、
その面白さの中でやってのけるから尚すごいと思います。
うーむ。
ウケてるときにただ押すのはワリと簡単だと思いますが、
そこで一旦引いて笑いにつなげたり、繰り返しで笑いをとったりするのが抜群にうまい。
食い気味にかぶせるのも、強引になりすぎないので、
聴いていても全然押しつけがましくないし嫌みじゃないんですよね。
すごいと思います。

聴けば、ナントカ言う国際的なベースのコンクールで、
最年少で賞を取ったという演奏もすごい人……らしいです。
神様は不公平だぜ。



■オッサンたちの横浜デート



こっから先はオマケ。
ていうかオイサンの日記。
ライブ前に寄ったタワーと、山下公園のことをちょっとだけメモ。


 ▼ランドマークタワー

外観。

R0042237

桜木町の駅を出てすぐに見上げるタワーは、
辺りのビルが思いのほかでっかくて、思ったより迫力がなくちょっとびっくり。
実際は、ほかに比べてもダントツ高いハズなんだけど
遠近の都合上、駅から見ると丁度埋もれるくらいの高さに見えるのよね……。

69階の展望台からぐるっと見回してみましたが、
いやなかなか。
面白いものですね。

ちひろパパさんは地元の方なので、
……いや、ヒトコト「地元の方なので」では済まないくらい、
やたらと横浜の地理やら歴史やら制度やらに詳しくて、そういうことと絡めて
そこから見渡せる景観についてお話をして下さり、その面白いこと。

  町のど真ん中にたつガスタンクから始まる考察であるとか、
  斎場(火葬場)にまつわる逸話?とか。

しかし横浜の町というのは思いの外わっさわっさと無秩序で、
その分生活の熱量が感じられる気がいたします。
つくづく人の町なんじゃねえ。

道がまず様々な事情によって好き勝手に敷かれ、
それに向けて家々が立ち並ぶので家の向きが一律ではなく、
あっちを向いたりこっちを向いたりしている。

R0042269

その、通りそのものの流れと、家々の屋根の向く矢印の絡み合い具合がまるで、
石にぶつかり、川底へ潜って子砂利を巻き上げる
複雑な川の瀬と淀みのようで、
家の建ち並び方がそのまま時間の流れを固めて残した軌跡のように見えてきました。

 ▼空模様

一頻り下々の者共の住む世界を見下ろしたあとは、
下界に降りてライブ会場に向かった……のですが、
こっから雨模様になってきやがりまして。
岩男さんは自他ともに認める雨女だそうで、それっぽい雰囲気になってきました。

……そういえばライブでは、一切雨や雨女の話題にはふれませんでしたが……
もういい加減、振っても仕方のないネタ、みたいになってるのかなw
だとすれば相当だ。

 ▼山下公園・大桟橋

まだ少し時間があまっていたので、お茶しながら雨が弱まるのを待ち、
山下公園を一巡り。
西洋理容伝来の碑を散々クサしたのち小急ぎに大桟橋を巡って会場入りしました。

「やっつけ仕事」
「左手で作った」
「彫刻だけで食えてると思えない」

と、言われたい放題の西洋理容伝来の碑の作者。
言いたい放題だったのは主にオイサンです。
だって……あんまりなんだもん。
写真撮るのもちょっとアレだったので撮ってませんけど……あああったコレだ。

  西洋理髪発祥之地「ZANGIRI」 [ 郷土文化財コレクション ]
  http://hazukimap.sakura.ne.jp/guide/14k/yokohama/naka/14104S022.htm


……ねえ? あんまりでしょ?
ZANGIRIじゃねえよ。

大桟橋は形も面白く、眺望もすごく良いので
また人の少なそうなタイミングを見計らって、こっそり出かけてみようかと思います。
うむ、デートに使おう。←クドいようだが予定はない

R0042284
なんとなく目を奪われてしまった、公園内の大樹


公園の入り口のところで、大道芸のお兄さんがなにやら演し物をやっていましたが……
たぶんね、あの兄さんよりも、
岩男さんバンドのバンマスさんの方が、しゃべりは達者だと思います。

……と、ライブが始まる前に結構な距離をうろうろし、ちひろパパさんに
「オイサンのレポートには
 『本編前にやたらと歩かされてクタクタです』
 とか書かれるに違いない」
と先制攻撃を喰らってしまいますが、なんのなんの。
オイサンのブログがそんなに文句が多いわけがない。

やれやれ、足が棒になっちまうよ。



……。



マそんな感じで。
今回のライブはもう、他ならぬ「音楽を楽しむ空間」として、
純粋に存分に楽しむことが出来る素晴らしい出来栄えでした。
脱帽。

また岩男さんに限らず、
ああいう場所で美味しいモン食べながら音楽を聴くというのは、
なかなかに贅沢なじかんであることだなあ、と感じ入った次第。
願わくば、もっと色んなステージを楽しみに足繁く通いたい、
そんな気にさせるライブでしたとさ。



と、これがGW二日目の出来事。
もう一つの出来事……


 「馬鹿がうどんでやってくる!」


については、また後日。
オイサンでした。


 

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2011年5月 5日 (木)

■地図には載らない劇場の。~『アマガミ・ちょっとおまけ劇場』感想2 -更新第667回-

おかゆを食べておなかをこわしました。
オイサンです。
どんだけおなか弱いんだよ。

イヤ、頑丈な方だと思いますけどね。
もうあの、おかゆランチのお店にはいかない。


サテ、前回書き始めた、『アマガミ・ちょっとおまけ劇場』の感想、
各ヒロインのシナリオの各論の続きです。
今回はミルクフォーチュン・中多さん編の感想から。
ちゃっちゃっと行きましょう。



 ▼中多さん編

ここでご紹介している5編の中では、一番面白かったんじゃないかなあ。
しょっぱなの選択肢で、色々な意味でマサカの展開を食らって掴まれた、というのは大きかった。

  半分冗談で選んだ選択肢が正解だとは思わなかったw
  意外過ぎるだろw

話の構成としては、薫編の方がしっかりしてるんです。
起承転結がハッキリしていた
(必ずしもそれがイイとは言わないけれども、面白くなり易いハズ)し、
本編『アマガミ』の上でどこに位置するエピソードであるかもよく分かった。
そして薫編の方がジンワリ・しっとりとにじみ出るものがあって、味わいもある。
それは分かる。

中多さん編は起承転結で言うなら「転」の部が抜け落ちていたと思いますし、
冒頭では「あれ? 付き合い始める前の話なのかな?」と思ったけど、
終盤ではどうもそれなりにお付き合いが進展してからのお話のようにも思える描写があるしで、
位置づけは曖昧。
出だしのネタ一発を、小ネタを絡めつつ最後まで引きずって、お終いなんですけど。
でも、最後まで通して読んだときに、読後感がいいのは中多さん編でした。
……というグダグダさが、中多さんと主人公という関係には丁度良いということのかしら。

発展的であったかと言われたら、
話の位置づけが曖昧なのでなんとも言いようがないのですが、
オイサンの認識では少なくとも、
お話の後半までは「正式にはお付き合いを始める前」のことと思いこんでいたので、
そういう意味では話の中で二人の関係は進展しているから、気持ちの盛り上がりはありました。
本編になかった、
「(主人公のために)お父さんに反発する中多さん」というところから始まり、
しかもそのことを主人公にも(主人公に迫られて、という前フリはあれど)伝える、
という姿勢があったことが、嬉しかったし面白かったと思います。

マそのことには矛盾があって、
中多さんのその変化は、お付き合いを始めていて関係が深まっているからこそ現れるはずだし
告白されてウレシイことであるハズです。

それを敢えて、二人の置かれている状況を曖昧に描くことで、
(遊び手が中多さんの本シナリオを終えていることを前提として)
関係の進展を大きく見せかけることによる面白味と、
与えられるご褒美の心地よさを増進させているようにも思いました。

なので、遊び終えてみて、心にはちょっと引っかかりが残るのですが、
それを補うくらい暖かい気持ちが残った。
これは作り手の計算勝ちなのかなあと。
なんかやっぱり、中多さんのその変化をウレシイ、可愛いと思えたことが、
このシナリオを面白いと思えた一番の原因だと思いますし、
勝利条件だったと思います。

 ▼視点のぶれ

あとは……視点が橘さんで統一されていたので助かりました。
シナリオの根底に流れる感情のトーンが、
薫編では橘さんに寄ったり薫に寄ったりして統一感がなく、
「主人公として物語に参加している」感じが薄かったように思います。
これはもしかすると、オイサンのような「プレイヤー=主人公」の立場をとるプレイヤーだけの
感想かも知れませんが。

  ただ、『アマガミ』本編ではレベルアップやエピローグ付近のモノローグシーンを除いては、
  基本主人公視点でのみお話は進むので、
  その作りが変わってしまったことで違和感が残ったというのもあります。

中多さん編も、確か薫編も、それぞれのヒロインの視点からお話が始まったように記憶していますが
なんだろうな、薫編って結構、薫視点を引きずってたような印象があります。
中多さん編では、ことの起こりのプロローグシーンを越えてしまえば
視点は完全に主人公にスイッチされるので、あまり気にならなかった。

長さ的にも、ギリギリ許容範囲の長さだったように感じました。
うん。
これは結構好きだったな。


 ▼高橋先生編

これは……薫&田中さん編じゃんか?
……というくらい、薫と田中さんのいいところが出ている話だったと思います。
いっそ、
「高橋先生への恋をきっかけに主人公が薫の良いところに気付き、薫とゴールする」
という「高橋先生編」でも良かったんじゃないの。
結構説得力はあると思いますけどね。

その二人を見て自分の恋をちゃんと見つけて前向きになる高橋先生と、
薫への気持ちと、前を向いた高橋先生の背中を目の当たりにして
自分の等身大の恋に帰って行く橘さん、なんていう、
それこそちょっと大人びた、ビターなシナリオだったら俺得だなあ、
と思いました。
全然本編の感想になってないけどw

あと、田中さん。
彼女の良いところにすごく気がついた、そんなお話だった。
ラスト付近で、教室に高橋先生と二人になった田中さんが
「占ってあげます!」
って言い出したときは、占いをダシにして
高橋先生と主人公のキューピッド役に乗り出すのかと思ったけど、
そうはならなかったですね。
それでも、本作での田中さんはすごく可愛かったしがんばった。

ただのミーハー恋愛バカかと思ってましたけど(ヒドい)、
ほかのことはともかく、恋に関してはすごく色々考えて、かつ行動していたんだなあと思うと
ああ、真剣なんだな、すごいな、と普通に感心してしまった。
マこのシナリオにおける主人公は、彼女のそんな一面に気付ける位置にはいないのだけど、
それがもったいないくらい魅力的な女の子でした、彼女は。
イイ大人になりそうです。
やっぱりダメな男にも引っかかりそうだけど。
橘さんはホント、友達に恵まれているね。

  せっかく『アマガミのちょおま』なんだから、
  話数を半分にして、全部ダブルヒロインのバトルものにしてしまえば
  いっそ『アマガミ』らしかったんじゃないのか。
  そうして、片側のヒロインのハッピーエンドのときに、
  ライバルのはずのもう片側が助け船を出したり、そのヒロインらしい行いに出る、みたいなのは
  かなりじわっと来ると思うんだが。
  まオイサンの好みだけど。

肝心の本編の出来、高橋先生の恋物語については、
改めて売り物に出来るほどの面白味もかわいさも、オイサンは感じませんでした。
ありきたりなお話に、主人公の変態成分で味付けをしただけ。
薫や田中さんが花を添えなければ、ちょっと見られたものじゃなかったんじゃないかだろうか。

あと、すっごく長かった。
やっぱり、この長さを気持ちよく遊ばせようと思うなら、
ところどころで強制的に区切りが入ることは必要だと思います。
マそれは、オイサンが読む系ADVに慣れてないからってのが大きいですけど。

  ……でも、そもそも『アマガミ』がひたすら読む系のADVだったらオイサンやってないし、
  これは『アマガミ』なんだから、そういう装置はあって然るべきですよ。
  そう思う。

それから、
メッセージを自動送りにしたらすっごく快適にプレイ出来ることに気付いた。


 ▼絢辻さん編

サテ肝心の絢辻さん編。
楽しさ、普通。
面白味、特になし。
うん。まあ……ドラマCD的な。

お話の要素としては、決して悪くないと思うんです?
意外なセンから始まって、適度な緊張感があって、笑いどころもあって、しみじみ終わる。
……しかし、そのどれもに腑に落ちる説得力がなくて、
「ああ、そうなの」
「へえ、そうなの」
で、サラーッと流れていってしまう感じ。
「ヤラレター!」とか、「ソウクルノカー!!」みたいな、
心地の良い裏切りがなくて……満足感、充足感とは、ほぼ無縁。
デ結果として、終わってみて感じるのは、
「はあ、絢辻さんってそんな子だったの」
という、疎外感というか味気なさというか。

  知ってる入り口から迷路に入って、
  コレといって盛り上がりもなく抜け出てみたら全然知らないところに出てきちゃった、
  みたいな感じ。
  ……それを「出来が悪くない」って言っちゃっていいのかって、ありますけどね。
  ダメなんじゃん。

絢辻さんが何をしたいのか、何故そうしたいのか、全然分からないんですよね。
「書き手が何かをさせたい」というのはきっとすごくあって、
そしてそれは
「読み手はこうされたいに違いない」
というところから出発しているのだろうけども、
肝心の絢辻さんはそれをやらされているだけで、
その裏付けが全然されていないという、すごくスカスカな絢辻さんが
「はいはい、お仕事だからやりますよ」
って言ってる感じ。
そこに植え付けられた感情は、やはり逆算して作られたもののようで。
結局読み手が一番に見たい、「絢辻さんの心からの心」みたいなものは、
全然覗けないわけです。

うーん。

その辺、制作側はどう考えているんだろう?
ファンサービスとして、絢辻さんのSっ気成分をちょっと強調しつつ、
意外なセリフを言わせたかっただけなのかしら?

少し好意的に捉えると、
絢辻さんは、主人公と思いを伝えあってから、
もっと素直に主人公に尽くしたい、自分に色々なモノをくれた彼にお返しをしたいと思っていて、
そのことに今回の状況を利用した? のかな? とも考えられる。

けれども、であれば、勝負のシーンをもっと絢辻さんらしく=強く美しく狡猾に、
回すことが出来たはずだし、
そこに不自然を承知で縁さんまで駆り出したことも、うまく使えると思う。
描き手に随分と、油断が見える気がします。
意図のハッキリしない、中途半端な読み物を見せられているようで、

……うーん。

さほどの喜びはなかったなあ。
まオイサンの愛する絢辻さん(キャッ言っちゃった言っちゃった! ← バカ)の姿というのが
「強く・美しい」女の子ですから……
そのラインというのは、ほぼ感じられなかったのですね。

家族(の幻影)と戦うために、たとえ穢れてもその穢れに負けないくらい強く美しく、
狡猾であろうとするのが絢辻さんであって、
そこから強さや美しさ・自律がなくなってしまったら、
(端から見れば)意地っ張りで浅薄なばかりの女の子が残るわけで、
今回のシナリオではそれが浮き立って見えました。

ラストのモノローグでは、
主人公の存在によって変化し、
我が身にもリスクの及ぶようないたずら心を発揮するほど無邪気さを持つようになった自分への
快感と戸惑いを、絢辻さん自身が語っていたけれども
それはどうにも……読み手に対して、納得のいく形で提示されているとは思えない。
主人公と出会ったことで、より柔軟に、しなやかに
……なっていくはずが、緩さばかりが優ってしまったように、見えるんですよね。
だらしなさが全面に浮き出ることになっている。
それでもフツーの人に比べたら全然立派で強いんだけど。

マ、本編の絢辻さんからは一歩踏み出した姿は描かれていて、
発展的と言えないこともないと思いますが……
なんかねえ。
原点でのEpilogue後、絢辻さんがどっちに向いて踏み出していても、
このシナリオで描かれる絢辻さんに結びつかないように感じられて、
「オイサンが今見ている、この子は誰だろう?」
と、ちょっと思いました。
〈スキGOOD〉からやや〈ナカヨシ〉よりに針を振らせた、
そんな原典では語られ得なかった未来の絢辻さん……であるように、思います。

  マこれもまた、自分の中で姿を作りすぎた者独自の悩みというか、
  感覚でもあるのかも知れませんが。

一つ、考えられる面白味としては。

絢辻さん自身にとっての一番のアウェイ……戦地であるはずの「家」で、
あの立ち回りを演じることに……
もしかしたら、絢辻さん自身にとっては一つ、大きな意味というか、
境界越えのような、メルクマールとしての意義があったのではないか?
という……解釈も、出来ないではないように思うので。
どうかな。
解釈、強引だろうか。
いや、そんなことはないと思うんだよな……。
敵地でふざけて見せる、そのことの意味。

そのつもりで描かれていたと仮定して、問題があるとすれば、
絢辻さんならそのことに気が付いているだろうから……
その決意や緊張感を、わかりやすい形で描く必要があったということだろうか。

うん。

などと、ちょっとした面白味を残しつつも……
やはりこう、お話単体で存分に面白がれるような、完成度の高いものではなかったように、
オイサンは感じるのでありました。
残念だにゃあ。



■Closing



マそんなことでね。
総じて、なかなかうまく楽しめていないオイサンですけども、
それでも、こうしてエクストラエピソードを展開することは、
決して悪いことじゃないと思いますので……
万障お繰り合わせのうえ、色々と不都合のないようにまとめて戴けるとありがたいなあと、
このようにオトナっぽく思う次第ですよ。

まあちょっと、時間が経ってしまって、
こちらも頭の中で色々と、勝手に育ったり、熟したり、
はては腐ったりしてしまった部分もあることは否めませんので、
果たして言ってることがどこまで正しいのかも甚だ怪しかったり致しますが、
ちょっと、現時点では物足らない感じかなと思います。


ただ、せっかく『アマガミのちょおま』なのだから、
『キミキスのちょおま』に引きずられ、
そのスタイルや風向きを固定化してしまうことはあまり有難くないなあと思っている、
そのことだけはハッキリとお伝えしておきたいなあと思う次第です。

もっともっと、『アマガミ』色を出してくれても良かったのではないか。
そんな気が致しますよ。
シナリオ的にも、システム的にも。



オイサンでした。



▼the pillow メロディー

え? なんでここにこの動画貼るのかって……?
それはね、ウフフ!



 

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2011年5月 4日 (水)

■地図には載らない劇場の。~『アマガミ・ちょっとおまけ劇場』感想1 -更新第666回-

Dr.ペッパーって、ハカセなんだろうか?
それともお医者さんなんだろうか?
Drと警部で、真のペッパー決定戦をやって欲しいオイサンです。



■『アマガミ』ちょっとおまけ劇場



心を入れ替えて( ← カートリッジ式)、がっつり積んであった
『アマガミ』のエクストラディスクであるテックジャイアンのおまけ、
『アマガミ・ちょっとおまけ劇場』、略して『ちょおま』に、少しずつ手をつけています。

昨年の12月から毎月リリースされてたんですが、ずっと積んでいたんですね。
今現在vol.5まで、
vol.1に梨穂子編、薫編、vol.2に中多さん編と高橋先生編、
vol.3に森島センパイ編と美也編、
vol.4に七咲編と塚原先輩編、
そして最新のvol.5には、絢辻さん編と、総集編みたいな隠しシナリオが収録されています。
絢辻さん編もリリースされましたのでね。
マやっとこうかなと。

オイサンは順番ちょっと変則で、
梨穂子編、薫編、中多さん編、高橋先生編、そして絢辻さん編と、計5編を終了。

  vol.3のディスクが見当たらん(汗
  おっかしいな、ドコ置いたっけ。
  というわけで、次は多分、七咲・響ちゃん編に行くと思います。

以下、全体的な感想と、各ヒロインのシナリオについての感想を
ちょいちょいとまとめていきたいと思います。

一応最初にオコトワリしておきますと、
同じようにリリースされていた『キミキス』の『ちょおま』を、
オイサンはやったことがございません。
『アマガミ』をやって、Twitterから『キミキス』プレイヤーの方々とお付き合いするようになって
そんな物があったことを初めて知ったくらいです。

  そもそもテックジャイアンがeb!の雑誌で、コンシューマタイトルである『キミキス』『アマガミ』を
  そんなに押していることも知りませんでしたからね。
  多分、Twitterをやってなかったら『アマガミ・ちょおま』のことも知らなかったし、
  ……知っても、手を出さなかったんじゃないかなー。
  多分。

マそんなオイサンの感想だ、ということを念頭においてお読み下さい。



■そ う ろ ん !



えーと。
良い方の感想からいくと、楽しんではいます。
主に、笑う・ほんわかする、そういう方面で。
なんと言うか、それは、この『ちょっとおまけ劇場』というものの特性を自分なりに咀嚼した上で、
「こういうところを、こういうレベルで期待して楽しめばいいのか」
と、楽しみ方を調整して。
……いわば、商品側の都合に合わせる形で楽しんでいるという、そんな感じ。

  カップラーメンを「これはこれでウマイ」と食べるのと似ていると思って下さい。
  実際カップラーメンは好きですし、あの味は美味しいと思うオイサンです。

デ、またややこしいことを言い始めますが、
じゃあ、その『ちょおま』から受け取った面白さは、
もとより期待していた、『アマガミ』というゲームに求めていた姿だったか? と問われれば、
そこには激しくクエスチョンマークがついてます。

オイサンが原典『アマガミ』に見出して感銘を受け、
その後も期待し続けた要素がこの『ちょおま』にあったか? と言われたら、
それはもう、ありませんでした。

  ですが、
  それはあくまでもオイサンの勝手な解釈や、過剰な期待に拠るところなので
  置いておこうと思います。
  ここから先のお話は、その「商品側の都合に合わせる形で」という解釈の上でなお
  ちょっと物足らないなあ、という部分についての感想ということになります。

 ▼説得力のある後日談

ここまでの5編終わらせた全体的な感想を述べるとするならば。
「コレは、公式がわざわざ後日談として語るような内容だろうか?」
という疑問。

オイサンは……また、ゼイタクを言うようですけれども、

「『ちょっとおまけ劇場』を作らなければならないから、わざわざ一生懸命考えた」

ような話は、別に読みたかありません
なくていい。
そんなことはこっちのアタマの中で勝手にやります。

オイサンの見せてもらいたい、後日談としての物語というのは、
「本編で描き切れずにいたコトがまだまだ山ほど溢れているから、
 それを届けるためにこういう形式を採るしかないんだ」
というものです。
本編制作中に「泣く泣く切った」ものですとか、
「制作当初は入れるべきかどうか迷った、もしくは今はまだ、この話を見せるのは時期尚早だと判断した、
 でも今なら入れるべきだと思うし、見せるべきタイミングだと思う」
ものとかを、見せて欲しいと思うのです。
あるいはそれに準ずる位置づけのものです。

完全に後付けのモノというのは、
二次元のヒロインたちに「演じ」させるものでしかないんだとオイサンは思いますよ。
高山さんから台本を手渡されたヒロインたちが
『ああハイハイ、あたしはこうすればいいのね?』
って確認しながらする話、だと思うんです。
でも、それじゃつまんない。

二次元の、輝日東の世界で語られる出来事は、
彼女らにとってはあくまでも全て、真実の人生の断片であるハズです。
どんなくだらない事でも。
演技や作り事じゃなく。
そこに生きる彼女らにとって、生きる場所はそこしかないのだから。

本編では、そんな彼女らの人生の断片の中でも選び抜かれたものだけが語られて、
彼女らが生み出される(つまりは彼女らが今の姿に「成長する」)過程で、
発生したけれど諸般の(容量だったり、内容だったり)事情で、残念ながら
「ヒトサマに見せる用のアルバム」には載せられなかったものがたくさんあるはずで……
『ちょおま』には、そういうものが載るんだろうな、と、
『キミキス』で『ちょおま』を体験していないオイサンは
勝手に思い描いていたんですけどね。

  もちろん、『ちょおま』で語られる新しいお話が本編の中間点である必要はなくて、
  本編を描きながら自然に想起された後日談だってアリだと思います。
  だから、
  「もう本編で描ききった!」
  「これ以上は蛇足だ!」
  っていうヒロインに関しては、『ちょおま』が存在しなくたっていいとさえ思っています。
  それが絢辻さんだったとしても、オイサンは文句言いません。
  ……多分。
  そういう説明をちゃんとしてもらえれば。
  そういうヒロインに関しては、配慮として違う形のExtraがつけば
  喜ばしいとは思いますけどね。

言い方が難しいですが、
「語り終えられた、完成形のヒロインから逆算して作られた物語」ではなく、
「未だ語り尽くされない、変化し続けるヒロインがリアルタイムに生み出す
 (もしくは過去の制作段階においてリアルタイムに生み出した)物語」
が読みたいし、そうあるべきだと思う、ということです。

公式が、新たにヒロインについてエピソードを公開するということは、
「ある時点におけるヒロインと主人公(≒橘さん)の状況を、ある一点に固定する」
ということです。
公式がそれを語らずにおけば、彼と彼女のその時点での状態は無限に存在することが出来ます。
それを、あえて固定してしまう行為です。
オイサンは「公式が語る」ということにはそういう強制力・拘束力が働くと思っています。

それはまあ、メリットであると同時にリスクでもあるのですが、
そのリスクを犯してまで、今回語られたお話は、語られるほどのモンだったかなあ? と、
そんな風に思いました。

  それと関連して、ヒロインに様々な「状態」
  (スキ・ナカヨシ・ソエン等に加え、各ヒロイン同士の関係を含める)が存在する『アマガミ』において、
  今回の『ちょおま』では「今語られている物語がどんな「状態」を前提としたことか」
  という情報が与えられないのも、腑に落ちませんでした。

強いて言えば、
「どのシナリオも(程度の差こそあれ)自然さと説得力が足らず、なんか軽かった」
という感想を抱いたってことですね。
ぽてちん。

オイサンがプレイした5編の中では、どうやら高橋先生編の評価が世間的に高いらしいのですが、
それは多分、高橋先生には本編中で、物語的に固定された点がなきに等しいため、
自然さも、重さも、これが基準となるから、
受け手の誰もがコレを「高橋先生の物語」として受け入れやすいからではないかしら。
誰も見たことのない高橋先生が初めて描かれ、
皆がここから自分なりの高橋先生像を構築していくから、
よっぽど本編で高橋先生に入れ込んでしまった年増gげふんげふん、
プレイヤーさんでもない限りはすんなり新鮮に楽しめるのではないかと。

  細かい感想は後ろの各論で書きますけれども、
  そんなに面白い話でもなかったと思いますしね。

  よーするに、本編での高橋先生には<デアイ>のド頭しかなく、
  この『ちょおま』で一気に<スキBEST>までいった、という状態にあたるのではないか。
  なので、同じ立ち位置の響ちゃんセンパイも似たような状態が生まれえるのではないかな、
  と思います。
  マ響ちゃんの場合、高橋先生に比べて出番も多く、
  メインヒロインとの絡みが多く人間関係も複雑なため、
  受け手によって始点が異なるということはあるでしょうから、縛りの強さは増すでしょう。

マそんな感じで、ヒロインごとに差はあれど、
総じて大きな喜びや驚きを感じるほどのものではなかったと思います。
その名の示す通り、あくまでも「ちょっと」「おまけ」なんだな、
という感想を抱きました。

  人の書いたSSを読むのと、然して変わらん。
  声がついてる、絵がしっかりしてる。そのくらい。

そして……その「ちょっと」「おまけ」に1500円は、
「ちょっと」高かったな、と思ってしまいましたとさ。
積んどいてなんだけどさw

  分量は多いし、「ほぼ」フルボイスという力の入りようから
  原価を考えればこんなもんなのかもしれませんけど
  (ハードホルダーへのロイヤリティがないことを思えばそうでもないのかな)、
  6巻揃えれば10,000円近くになるわけで、本編より高い。
  この12本のシナリオで、本編よりお金かかってるってことはないだろう!
  ……と、思いました。

  まあ、お金はどこからどこへ、どういう科目で流れているのか分からないので
  単純な原価計算で弾けるものでもないのでしょうけど、
  それはお客からは見えない話ですのでね。
  上手く、分からないように、買い手に納得いかせるようにごまかしてもらわないとw

どーなんだろ。
こーいうモンなのかな。
こーいうモンなんだろうねえ。

あと、全体的に長いですね。
お話一本が長すぎる。
サービスとしてのボリューム感なのかもしれませんけど、
長い上に、本編のようにショートエピソードに区切られていない
(時間帯とか、日付とかで切られないで続いていく)ので引き際も分かり辛く、
惰性でズルズルいってしまう。

  ……これを「惰性」と感じさせている時点でお話としての引きは
  ちょっと弱いってことだと思いますが。

一ヒロインのシナリオでも、
『アマガミ』本編の行動マップに倣って話を幾つかのピースに分けて、
一日とか一時間帯とか終わるごとに一回ピース選択画面みたいなのに抜け、
次を選んだらまた再開、みたいな方式をとってくれたら
もう少し締まったプレーが出来たんじゃないでしょうか。
別に、分岐とかは無くても良いので。
せっかく本編でああいう素晴らしい形態を編み出したのだから、
使わないテはないと思います。

 ▼とか、ぶーたれていると。

……なーんてコトをやってると、また江ノ島線の果てから
「文句言うんならやらなきゃいいじゃないですか。アナタには愛がない」
とか怒られるんでしょうかね。

やりますよ、文句言いながらね。
だって、やらないと面白いか面白くないかわかりませんからね。
面白くなかったら面白くないって言うし、面白かったら面白かったって言いますよ。
それはどちらも同じ意味、同じ重みでね。

  「面白い」を言う口も、
  「面白くない」を言う口も、
  根っこは同じ愛で動いている。

文句を言うためにやるんじゃないですよ。
やってみたら面白くなかったから文句を言うんです。

それは確かに、今目の前に供されたものに対しては愛に欠ける行為と映るかもしれませんけど
(それにしたってオイサンは決してそうだと思いませんけど)、
そもそも愛の対象であったAがあったとして、
そこから愛するに至れないBが生み出されたとき、
やりようによっては愛しうるCが生み出される可能性もあったのにBを生み出してしまった作り手に対して
Cの可能性を示唆することは、やはりAに対する愛の行為だと思いますからね。

もちろん、Bも愛せるに越したことはないんですが。
そこはすみませんね、オイサンの視点と心の狭さです。
そこについてはまたお話をしようじゃありませんか。
ああいうお話も楽しいもの。
私信的閑話休題。



■か く ろ ん !



そんじゃ、こっから先は、各ヒロインのシナリオについての寸評。
ユンピョウ。
……ジャッキーチェン、死んじゃったねえ
↑自分の小ボケからうっかりシンミリしてしまう老人脳。


 ▼梨穂子編

ごめんなさい、梨穂子編だけは発売後すぐにやったんで、
あんまり細かいことを覚えていません。
特に何も考えずに笑わせてはもらいました。

梨穂子は、全ての始まりから既に主人公への完成された思いが胸の内にある子なので、
実際のところ<スキ>だろうが<ナカヨシ>だろうが<ソエン>だろうが、
なんなら<デアイ>だろうが、トーンの変わらない子だと、オイサンは思っています。
もう、根っ子の一番の確信は出来あがってしまっているから。

だもんで、シナリオの機微(どういう心情にある梨穂子の話であるのか)が読みとりにくく、
特に何が気になったということもない代わりに
いつも通り、平板で印象に残りづらい面白さしかなかったと思います。
安定はしているけど、エッジはきいてない。
マそういう意味では入門としては良いのかもしれませんが、
オイサンとしては、エッジが効かないのは求心力に欠けるのでぼんやりした印象の方が強く、
「ああ、『ちょおま』ってのはこういうもんなんだな」
「またこんなんなのね」
と思ってしまいましたが。

  まあそれを端的に言い表すと、


  「ちょっとがっかりした」


  って言うんだけどな!!

良くも悪くも60点くらいの楽しめっぷりでした。
最初だったのですごく長く感じた。


 ▼薫編

プレイしていて、一番「?」マークが大きかったのが、この薫編でした。
スキBESTのあとの話に間違いないと思いますが、
あのEpilogueの余韻の後に、語って意味のある話のように……どうも、思えませんでした。

  今ある薫像を、より小さく窮屈に押し込めてしまった……
  薫という、本来はもっと広がりがあって、魅力的なキャラクターを
  せまい所に閉じ込めてしまったお話だと……思いますよ。
  今の薫の作られ方は、彼女をどんどんどんどん、小さくしていっている気がする。

……なんかねえ。
今回の後日談は、如何にも後付けくさいというか、
薫という完成後のキャラから逆算されたもののように感じられ。

  イヤ、実際はどーだか知りませんよ。

その分、完成度は高いと思いますけども、感情がついてこない。
笑えるところは笑えて、面白かったんですけどね。
本筋のところがちょっと食い足りませんでしたね。
ちょっと残念でした。

良いところも、勿論あります。
薫と主人公・二人のやり取りは、お付き合い以前から全然変わっていないんだけど、
「既に二人が恋人同士である」という前提を頭に入れながら見ていくと、
「アこれはハタから見れば、喧嘩やじゃれあいではなく、
 ただのイチャイチャだな、こいつらなりの」
ということに気付いて冷やかしたくなる、とか、そういう発見はあって面白かった。

けれども、発展性がなかったように感じたんですね。
既存の設定の端切れを貼り合わせて都合をつけただけのお話のように見えて、
今までの問題をもう一度なぞり直し、
元の場所に帰ってきて、オシマイ、というふうに見えました。
そこになにがしかの+α……発展した二人の新しい要素や、今まで見えなかった薫の新しい一面が見えれば
面白かったのですが、……なかったと思いますしね。

マこの二人のことなので、
実はゆっくりと螺旋状に上昇はしているのかもですけど、
そこはもう少しわかり易くても良かったんじゃないかなと思います。

良かったんだけど、盛り上がらなかった。
そんな感じですかね。
地味な子だねえ、薫は。
見た目は一番ハデなのにねえ。
オイサン、地味なの好きなんだけど、地味ではなくて覇気がないというか、活気がないというか。
その上でプレイタイムが長いと、冗長で良い印象にはなかなか結びつかないもんですね。
もう少し緩急があってくれればなあ。



……といったところで、ちょっと分量が多いので一旦切りますね。
後ほど。
オイサンでした。


 

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2011年5月 3日 (火)

■嘆きの銚子・其の五 ~アニメ『アマガミSS』舞台探訪 -更新第665回-

どうして、世界の命運を少女に託したがるのかって?
そんなの、現実世界じゃオッサンに任せて間違ってばっかだからじゃないですかね。
二次元でくらい、ステキな夢を見たいじゃない。あと、売れるから。
オイサンです。

アニメ『アマガミSS』ロケハンの聖地・銚子を訪ねる旅レポート
「嘆きの銚子」、今回はその第五回。一応最終回です。


R0040636


 ▼嘆きの銚子 ~アニメ『アマガミSS』舞台探訪 
  ・其の一 -更新第653回-
   http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/ss-653--4b67.html
  ・其の二 -更新第655回-
   http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/ss-654--7bbb.html
  ・其の三 -更新第662回-
   http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/ss-662--2f05.html
  ・其の四 -更新第663回-
   http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/ss-662--2f05.html


前回は、「温泉回にオッサンしか出てこない!」という、
アニメ業界を震撼させる意表を突いたお話でした。
カブいてます。
eb!よりも商売ベタです。  ← ほっといたれ

君ヶ浜、地球の丸く見える丘展望館、銚子マリーナという
七咲好き というワケでは特にない四人には若干キツい にはたまらない3聖地を巡り、
疲労困憊 テンションMAXの四紳士。

サテここらで一先ず腹を満たそうと、
次の目的地への道すがら、ファミレスへと向かいます。
ほんまファミレスの好きなオッサンらやで、とか言わない。



■センパイだって、いやですよね。こんな塩素臭いサイゼリヤ。



次なる目的地は……謎の坂道。
「謎」ですよ? なんでしょうねえ。気になりますねえ。
通学路なんですけどね(←引っ張る気はない)。

アニメ『アマガミSS』の輝日東高校は、
どうやら市立銚子高校がモデルになっているご様子で、
そこへと至る通学路もそのままに使われているようです。

サテ四紳士、そこへ行く前にちょっと腹ごしらえをしましょう、という話になりました。
朝ゴハンがまだでしたからね。
そこで同校近くにある、サイゼリヤの銚子春日店へとやって来たのですが……


「開いてなくねえ?」


我々の到着したのが10時57分。
お店の中は、まだ真っ暗です。
なんとなればランチが始まったって不思議もない時間ですが、
なんということでしょう。
銚子のファミレスは11時開店です。

車で少し待ちますか……と引き返そうとしたところに、
暗闇の中から現れたかわいらしいウェイトレスさんがお店を開けてくれましたw

  これも、オイサンが物欲しそうな顔でお店の中を覗いていたお陰です。
  昔から得意なんですこういうのは(自慢にならない)。

ウェイトレっさんはオイサンたちを席へ案内しながら、
「ご注文は11時回ってからにして下さいねー」
と花のような笑顔でニコリ……ともせず、すっごいイヤそうに言いました。
ごめんよ悪かったよ。

 ▼実は輝日東高校水泳部のたまり場だったファミレス

劇中ですら描かれていませんが、実はこのファミレス、
輝日東の水泳部員がたまり場として利用しているファミレスなのです。
ええ、間違いありません。
公式にもドコにも、そんな情報はありませんが。
ソースは四紳士(キリッ
こんなこと↓がありました。

  「? どうしたんです?」

おトイレから帰って来たよつさんが顔をしかめていたのでお尋ねしてみると、

  「トイレがね……すっげえ塩素クサイんすよ。なんでしょうねアレ」
  「そんなに?」
  「ええ。おかしいですよ。ほとんどプールです」
  「……七咲が入ったあとなんじゃないか?」

    一同、苦笑。

  「ちょっとオイサンも行って来よう」

別に、七咲の使用済みトイレに興味があったわけじゃないんですよ、
純粋にトイレに行きたかったんです。

  ……しかしこの時、気付くべきでした。
  杉花粉に嗅覚を完全にやられているよつさんが言うくらいなんです。
  ヒトの3万倍の嗅覚を持つオイサンがそんな場所に行ったら、
  果たしてどんなことになるか。

……。
オイサン、無言の帰宅。

  「どうでした? 塩素臭かったでしょ?」
  「うん、あのね、ちょっと頭痛がする」

あのねえ、塩素臭いっていうか、むしろ塩素でした。
塩素の香りの消臭剤が置いてあるとしか思えないくらいの塩素臭。
「塩素臭さの部」でインターハイに出場した七咲さんは
「イヤですよね、こんな、塩素臭い女」
と涙イベントで橘さんに語ったと言いますが(←オイサンは見てないイベント)、
ここのトイレの塩素臭は超高校級です。

さすが、輝日東のモデル高校近くのファミレス。
もしかしたら高山さんも、ゲーム制作時にロケハンでこの地を訪れ、
立ち寄ったこのファミレスで件のせりふを発想したのかもしれません。

……サ、どうでもいいネタでいつまでも引っ張っていないで、
さっさと食べて次に行きましょう。
どうせただのファミレスご飯なんだから。



■今日も明日も銚子の道で



サイゼリヤから駅方面へ、少し戻って坂を下り、
V時に折り返すようにクルマ道を逸れて丘を巻くように上っていく坂道。
それが、輝日東高校への通学路のモデルとなったであろう道です。

  この風景が登場したシーンは数知れないので、
  「何話のどこ」と特定はし難いですが、皆さん何かしらの印象があると思います。

R0040564

登り始めはただのしょぼくれた坂道ですが、
ものの数分も歩けば、見覚えのある、甘酸っぱい思い出の坂道が現れます。
歩道。
バス停。
徐々に姿を現し始める懐かしささえ感じる風景に、
吸い込まれるようにして最初に走り出してしまったのは
よつさんだったか、隊長だったか。

  「おー、ここ。ここですよ!」
  「おんなじだよ、おんなじ」

先にそこにたどり着いたお二人が振り返り、嬉しそうに声を上げます。
勾配の急な坂を上った先にあったそこからは、
ちょっとだけ遠く、町が見渡せました。

R0040575

学校の敷地へはアニメの通り、
そこからさらに枝分かれして校門へ続く細い坂道を上っていくことになりますが、
残念、関係者以外立ち入り禁止の結界が張ってあり、
邪悪な紳士の進入を拒んでいました。

R0040581

  おのれ、人間どもめ!!  ← なにモンだ
  か、関係者なのに! 卒業生なのに!! ← まだ卒業出来てはいない

「いやー、ここはもう、そのまんまですね」と、
皆が口をそろえて呟くその調子が何かに似ているなあと思ったら、
大学三回生の頃、ちょっとした用事で母校を訪れたときの高校の同級生たちとの会話と
そっくり同じだったのでした。

  オイサンの母校は、オイサンたちの卒業後しばらくして色々と増改築をし
  その面影をかなり失っていたのですが、
  そのとき、食堂や図書館、チャペル(本当にあるのよ)などは変わっておらず、
  校舎内の構造も随分忘れているところがあって、
  記憶を辿りながら変わっていないポイントを探して校内をうろついたのです。

実際のところこの輝日東の道も、
歩道はアニメで描かれていたのより狭くて二人並んで歩くのもちょっとしんどいくらい。
橘さんが薫や森島先輩としたみたいに、並んでふざけあいながら歩くのは難しそうでした。
車道も、無理やりとられたの二車線は決して広くない上に、
径の小さなカーブに急坂が重なってちょっと危なげ。
クルマも結構通ります。
怖いぞ。
この道を毎朝、やんちゃな高校生が行き交うのかと思うと、
輝日東の朝のような穏やかな風景は、期待できないのだろうなと思いました。

そんな、「記憶」とのささやかな食い違いが心地よく、
あー、なんか同じ学校に通ってたみたいだな、と埒もないことを薄ボンヤリ感じつつ、
坂の上から遠く臨む、町の風景を眺めておりました。



そして……。



いい加減近づきつつある、このおかしな卒業旅行の……
夢のような時間のおしまいを意識せざるを得ないのでした。



■風車は回る~次回予告のあるマイニチ



サテ、
次に向かうは、ラストにふさわしく「次回予告」のあの風景。
しかしこの風景は、テラジさん曰く「ちゃんとした情報がない」とのこと。
へー。(←お前もちょっとは調べてこい)

なので、大体アタリのついているポイントまでクルマで接近し、
あとは地道に足で探すしかない。
さてさて、そんなに時間に余裕のあるわけでもない今日の行程。
果たして、目的の風景は見つかるのか!?
どこまで謎に迫れるでしょうか?
乞うご期待!











R0040612











……先にお写真を載っけてしまうという暴挙。
いや、モロに見つかりましたね。
すっきりさっぱり。
別段引っ張るほどのモンでもなし。

  だって、おみかん隊長がWebラジオの『アマガミカミングスウィート』に
  「行ってきました、見っけました!」って、
  メール送って読まれちゃってるんだもん。
  全国区だもん。
  おめでとう、おみかん隊長。今度ポストカード見せてね。

しかし見つけるまでは結構な時間と労力を要しましたですよ。
先ずは上野朝辺りまでジェントル号で移動し、
スーパー・ミヤスズの駐車場でお別れします。

  テラジさん「済まない。最後まで一緒に来てもらいたいが、ここからは危険だ」
  ジェントル号「キニシナイデクダサイ。ソレヨリモ、ドウカオキヲツケテ」

……そんなやりとりは別にありませんでしたが、
っていうか、ジェントル号はナビも壊れてるくらいですから。
しゃべったって「ルートヲ ハズレマシタ。サイケイサンシマス」
くらいなもんです。
もうちょっと頑張れジェントル号(無茶言うな&失礼)。

畑と住宅がつれづれに広がる、典型的な田舎道。
目的とする風景の、ヒントになるのは畑と、家と、風車だけですから……
なんか、どっちに向いて歩いても、一歩踏み出せばその風景に出くわしそうです。

それでも、風車の立ち並ぶ方位と、畑と住宅街の位置関係、電信柱の並びなどから
徐々に犯人の居所を突き止めていく四……三紳士。
ごめんなさいオイサンなんもしてません。

  そうか、この我々は桜ヶ丘高校けいおん部かと思ってたけど、
  ミルキィホームズだったのかも知れない。
  正解は一つ! じゃない!

あっちへこっちへと15分ばかりさまよった先、
こっちの方じゃないですかねえ、などと言いつつある角を曲がった瞬間、
四人の目つきが明らかに変わりました。
「いや、ゾクッときましたよ!」
と、のちにテラジさんが語っていますが、その感じ、まさにそのままです。

  「アレ?
   俺ら今、一生越えられないと思っていた液晶の壁、またいだ?」


そんな錯覚。
角を折れ、まさにその地点に近づくにつれ、
「お? お? ここじゃね?」
と興奮を隠さない隊長に、ですよねえ、この先ですよねえ? と喜色満面のよつさん。
おっさん二人は比較的後方からの進軍ではありますが、
その足もどーしたって速まります。

R0040603_2

実際の画面とは、左の民家の様子が少し異なっていたり、
右手奥に謎の白い建物が写り込んでいたりと違いはありますが
それでもかなりな再現度でありました。

……しかし、『アマガミSS』の制作陣が、一体何故この無数の田舎道からこの風景を抜き出して
わざわざ次回予告に使ったのか?
そんな謎が、オイサンのメルヘン色の脳裏をよぎります。

……だってさ。
不思議じゃありません?
銚子、こんだけ広いのよ?
風車だって、一つじゃない。

  正解も一つじゃないけど(←引きずってる)。

あの次回予告と似た風景だって、この辺を歩けばいくらだって見つかるでしょう。
畑も民家も、アホほどある。
なんーも特別な景色じゃないのです。
それを、どうしてピンポイントでここなのか。
適当なのか?
……まあ、何もかもにがっちりした理由が必要だとも思わないけども。

たとえば、設定上、橘さんの家がああいう風景の近くにある、とか。
少なくとも、実際のこの風景の辺りには、
あんなオシャレハウスはなさそうにお見受けしましたけれども。
周囲のどこン家も、昭和の末期に建てられた古き良き(?)量産住宅の趣。

  ちなみに地球の丸く見える展望館の近くにはキレイで立派な家が多く、
  「絢辻さんの家があるとするならこの辺りでしょうね」
  なんて、お話をしておりました。
  マ実際はもっと駅から近かったりするのでしょうけど。
  見栄っ張りなオッサンの建てる家ですからね。

  ……。

  案外さ。
  おやじがすっげえ成金趣味でさ。
  金の鯱とかが屋根についてて、絢辻さんはそのセンスに反発してるだけとかだったら
  いっそアホみたいで面白いですけどね。
  原作よりもちょっと軽めで可愛いアニメの絢辻さんには、
  そんな子供っぽい反発も、ちょうど良いスケール感のような気がします。

  マそれは冗談ですけれども、
  銚子の町の風景を、どんな風に再配置・再構築したら説得力のある輝日東の町を作れるか?
  なんてことを考えるのも、また一興かも知れません。

なんだろうなあ。
不思議だなあ。
……案外、あの左側の民家が誰かスタッフの実家とか、
そんなオチだったりしないかな。

そこでまた、テンションあげていいだけ写真を撮り、
隊長さん、よつさんにいたってはその中に写りこんで記念写真を撮っていました。
彼らは完全に二次元と三次元の境界を越えました。
その儀式が一段落終わってしまうと……ちょっとだけ欲が出てきます。

  「あのですね。
   ……風車の、もっと近くまで、行ってみません?」

と言いだしたのは……テラジさんだったでしょうか。
ゴメンちゃんとは覚えてない。
でも、こういう拡張的な提案をされるのは、いつもテラジさんだったような気がします。
機動隊長ですし。
そんな魅力的な言葉に一体誰が逆らえるでしょう。
みんなもう、全っ然帰りたくなんかないのです。
しがみついていられるものなら、何だってしがみついていたい。

おお良いですねえ、行きましょう行きましょう、なんつって、
しかし歩いて行くには遠すぎるので、
再びスーパーの駐車場に待たせてあるジェントル号にまで戻ることに。
その帰途、気になる建物を発見します。



  「中華 たちばな」



……。
マチガイネエ。
コリャモウ、マチガイネエヨ。
「橘さん家がここだから、次回予告はこの辺の風景にしようぜ!」
とか、なんかそんないい加減な理由で、次回予告はあの画になったに違いない!

四紳士ももういい加減なもので、
「ああ、ここが橘さん家なんですねえ」
「中華屋だったのか」
「七咲辺りと一緒になったら、こんなことになりそうだな」
などと話に花を咲かせましたとさ。

で、風車。
テラジさんの華麗なるドライビングテクニックで、
田んぼ道もナンノソノ。
あり得ない位置まで最接近です。

R0040633
「風 車 さ ん 大っ き い お 。」


思えばこの銚子に着いてから、
いつもどこか視界の端で我々を見つめていたに違いない、風車。
皆それぞれの思いで、近くで見ると、ぐおんぐおんと結構な速度で回転する
その誇らしげなブレードを見上げていました。

オイサンは
「風車、でっかいなー。よつさんの肩くらいまである」
「よつさんはそんなにでかいんですか!」
などと、Twitterでフォロワーさんとアホなやりとりをしていたのですがw



■Closing そしてまた、それぞれのキビトへ。



以上で、
四紳士によるアニメ『アマガミSS』舞台探訪の旅はおしまいです。

このあと我々は銚子の駅前まで戻り、
めいめいおみやげを買ったり、謎の醤油ソフトクリームを食べたり、
大通りに面してあった謎の古ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…………い、
おもちゃ屋さんを冷やかしたりしましたが、
特に何があったわけでもなく。
色々と後ろ髪も引かれる思いで、車中の人となったのであります。

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帰りの車の中にはよつさんチョイスの訓練されたiPodから聖なる歌が響きわたり
(HTT率が高かったように思います)、
疲れもあってか、心持ち口数も少な目に、ただただ西へと向けて走ったのでありました。
ごめんオイサンはちょっと寝てしまいました。

今期のアニメの話、
前期のアニメの話、
『まどか』、どうなるんでしょうねー。
オイサンって『けいおん!』とかも見るんだ?
そぅいえばPSPの『けいおん!』ってやりました?
あー、PSPの『俺妹』やんないとなあ。
ソンナーヤサーシークーシナイデー。
帰りたくないでござる! 絶対に帰りたくないでござる!!


ここで高速を降りなければ、


このまま豊郷までいけるぞw!



どうする、さあどうする!!
あー……。
降りちゃった。

日がすっかり西へと傾く頃には、行きにそうであったように
おみかん隊長らのローカルガイドが会話の端々にはさまり始め……
それはつまり、自分たちの、リアルなテリトリーに帰り着いてしまったことに他ならず。
来し方に集った成城の道で、隊長と、よつさんとはお別れをしたのでした。

オイサンとテラジさんはもうしばらく方向が同じだったので、
そこからさらに30分ばかり車中に二人。
そこでもまた、色々とお話をしました。

今回の旅行のこととか
『アマガミ』の話とか、
Twitterの話とか、
『キミキス』の話とか、
『キミキス』の話とか、
絢辻さんの話とか、
絢辻さんの話とか、
絢辻さんの話とか、
絢辻さんの話とか、
絢辻さんの話とか、
絢辻さんの話とか、
絢辻さんの話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とか、
摩央姉の話とかを、
振り返ったり、聞いたり、聞かせたり、また聞いたり、また聞かせたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
聞かされたり、
……しました。



……。



いやあ。
ハンパネエヤ。
そりゃ、オイサンだってさ。
ハンパネエつもりでいるけどさ。
年季がちがうね。



いやあの。



オイサンはこんな書き方しかできませんけど。
オモシロおかしく、書いていますけど。

決してそのお話は、イヤなわけもなく、バカにするワケでもない。
出来るわけがない。
オイサンは絢辻さんが好きで、
テラジさんは『キミキス』の摩央姉ちゃんがお好きなワケなんですけれども、
まるで同じ人のことを好きになったみたいに、
好きになってしまった二次元の向こうの人と世界と物語のお話を交換し、
オイサンはそのお話を聞いていました。

そこにある思いは「ホンマモンからホンマモンへ」以外の何モノでもなくて、
それは四紳士と同じ道を歩むすべての人たち、
恐らくこのお話を呼んで下さってる多くの人通ずる思いであって、
今回はたまたま聞くことが出来なかったですけど、
隊長にもよつさんにも、きっと語れる話なのだと思います。

  言うなれば、修学旅行の夜に友達と、
  好きな子のことを明かしあうような、あの感じ。
  誰が好きなのかということよりも、
  誰かを好きだ、何かを好きだ、その心地良さと誇らしい気持ちを、
  分かりあえる者同士で分かち合う。
  そんな旅の時間だったのだろうなあと思います。

テラジさんのお話は、
せつせつと、
しんしんと、
自分の心の中にもある、自分のもテラジさんのも見たことはありませんけど、
きっとよく似た色と形をしているに違いないモノに染み渡っていくのでした。
このときオイサンもそこそこナンダカンダとお話ししたような気がするのですが
少しでもお返し出来ていたら良いなあと思います。



……。



まあ、そんなことでね。
オイサンは今回、オモシロ半分にこの聖地巡礼への参加をイキオイで決めたのですけど、
単純に「作品の中に出てくる風景を見つける」ということ以上の効能があったと感じています。
愉快なメンバーに恵まれたことや、
まったくのよその方々と旅をするのが初めてだったという旅の面白さはもちろんあるとして。

作品鑑賞という観点からも、
作品と同じか、或いはよく似た、またある時は似て非なる風景に漂う風と土の匂いを感じることで、
その作品が持つ別な横顔が垣間見えることもあるものだなあと知りました。

個人的には、やはり『アマガミ』と『アマガミSS』は、
それぞれちょっと時空のずれた所にある世界とお話なのだということを再確認することになりました。
ですがその「ズレ」は、銚子を訪れた今では、
訪れる前よりも随分と好意的な印象になったと思っています。
アニメの公開前に、
アニメのカントクである平山さんと、ゲームのボスで高山さんが対談において語っていた
「アニメでは、ゲームとは違うアナザーストーリーの様なものを」
と仰っていたのが、「アナザー」という意味において、
あながち嘘でも間違いでもなかったな、と、思います。

  まあ、その発言通りの「アナザーぶり」ではないのだろうな、とは思っていますけど。
  オトナがオトナの話を聴くんだから、いいように解釈してあげればいいよw

同じところで生まれて、違う場所で育った、同姓同名の別人。
そんな感じでしょうか。

最後になりましたけど、あの、ホンマ、
観測ポイントとお写真だけ載っけて
「行ってきましたー」
とだけ書きゃ良いはずのレポートに、
こんなに長々とお付き合い戴きましてありがとうございました。

前回の記事でも動画をご紹介した通り、銚子は先の地震でも被害を受けており、
観光の面でも、恐らく漁業の面でも、やはりちょっと元気がなくなっているようです。

ですので、関東にお住まいでお時間のある方はですね、
マまだまだ地面もグラグラしてますし、
アヤシイ色の空気が漂ってきそうな印象もあるかもしれませんけども、
正しい知識と備えのもとに、
是非一度、銚子の町を訪れて、元気のタシにでもなって来て戴ければありがたいなあと、
このようの思うオイサンでありますよ。
ひなびた良い町ですんでね。

オイサンもまた時間を見つけて……何年か、何十年か、
大好きなあのひとにそっくりだった女の子が歩いたあの町を、
宵闇に沈む神社を、訪ねたいと思います。



Ed3



♪アーナタトー ワッタッシーガ ソーオー コーイーヲシター♪
ソンナーヤサーシークーシナイデー♪(違



オイサンでした。





 

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