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2011年1月 8日 (土)

■光合成する世界へ -更新第627回-

2007年、1月。
あの夜、『スケッチスイッチ』の脳天気なまでのクラップに、
「オイサンこちら♪ 手のなる方へ♪」
と囃されてから、早、……早……。


  ??? 「放映が2007年の1月だから、4年だな」


そ、そうそう。4年。
……あ、ども。
オイサンです。


そう、初めて『ひだまりスケッチ』のあの日差しを浴びてから、早4年。
『アマガミ』で、絢辻さんに心の喉笛を食いちぎられてから、未だ二年足らず。

だけどもこの二つの作品の現在は、そのありようを余りに違え、逆転させている……
今回はそんなお話で、「ゆび先はもう一つの心臓」、スタートです!



■あの日差しを浴びてから。



まあ何かっつったら、
「『ひだまりスケッチ』は、(アニメの)お目見えからもう4年も経って、
 基本的なリリースの展開は(現時点では)停止してるのに、まだまだ元気に見えるよね。
 反対に、『アマガミ』は2年弱で、アニメとか(放映は概ね終わったけど)CDとか漫画とか、
 色々動いているにもかかわらず、なんかもうお迎えが来てる感じだよね」
なんていうお話ですよ。

コンテンツの寿命、なんていうと大仰ですが、
「作品にあらぬ息吹きを吹き込むものは……一体何なんだろう?」
……ということをですね、
今現在オイサンが愛してやまないこの二作品の趨勢を見守ってきて、
痛切に感じています。


 ▼そんなことを思った背景、母上様。お元気ですか。そうですか。良かったですね。


オイサンはTwitter上では、
大きくは『アマガミ』クラスタ……と呼ばれる緩やかな集合体のようなものと、
『ひだまり』関連のクラスタに足を突っ込んでいます。

  マ活動の殆どが『アマガミ』で、
  『ひだまり』に関してはまだ殆ど何も出来ておらず、
  今年はその辺もうちょっと楽しくやれると良いなと思っていますが。
  人に会ったりしたいなあと。

で、それぞれのクラスタにいる人々を眺めていて思ったのが、
上のようなことだったわけです。

『ひだまりスケッチ』を楽しんでいる人たちは、
アニメ第一期が放映されてから4年の間、
第一期、二期、三期と続いた各期の間も、
第三期……『ひだまりスケッチ×☆☆☆』が終了して9ヶ月あまりが経過した今でも、
息切れすることも、作品そのものに飽きることもせず、
未だ元気に、キャラクター・中の人、はては原作者にいたるまで、
なんだかモリモリと好きだ好きだ、オモロイオモロイと愛を叫び続けておられる。

  もちろんオイサンもその一人で、その気持ちは良くわかる。
  『ひだまり』好き……ひだまらーたちの息吹きは、
  針が振り切れるほどの熱の高さやスピードを発揮することは稀であるにせよ
  (たまに瞬間最大風速的に吹っ飛ぶことがありますが)、
  途切れることを知らない。

その点で『アマガミ』は、
昨年末にアニメ『アマガミSS』の放映が関東圏で終わったばかりで
(マ原典ゲーム『アマガミ』とアニメ『アマガミSS』を同一の盛り上がりの上で語ることに
納得がいかない方もおられるかもしれませんが。オイサンもそのケはチョイあります)、
原典のゲーム版がリリースされてから、まだ1年9ヶ月くらい。

それなのに……なんかね。
「一段落ついちゃった感」がすごくある。

  これから出るものも、まだ控えてるんですよ?
  アニメ版のBD・DVDも……
  ある意味「本命」とも言える、ゲームのエビコレ+版も、「ちょっとおまけ劇場」も。
  こないだもなんか、漫画また新しく始まってましたし、
  東雲先生の『アマガミ precious diary』も薫編が続行中だし、
  Webラジオ『アマガミカミングスウィート』も続いている。
  そのラジオCDも出すでしょう。

  まオイサンも、マンガ系統は特定のものしか見てませんけど。
  ……ところで『Sincerely Yours』の再開はもうないんですかねえ。

ゲーム本編が出てからアニメが始まるまでは1年チョイありましたが、
その間もWebラジオは流れており、ドラマCDはリリースされ、
コミカライズが次々とされました。
矢継ぎ早だ。

なんですけど、今現在、
どうもオイサンの目に入ってくる『アマガミ』クラスタの面々の熱というのは
「やあ、終わった終わった、次はなんだ?」
という類のもので、

「『アマガミ』を! 輝日東を!
 『アマガミ』! 『アマガミ』! 次の『アマガミ』はどんな展開だ!?
 ラブリー! 七咲! 紗江ちゃん! 薫! 梨穂子! 絢辻さん!
 ウオオオオオオオオオ!!」
っていう……
……イヤそんな暑苦しいのはイヤだけど、
「今の『アマガミ』世界の続き」、「『アマガミ』の世界が息吹続けること」
を求めるカンジではないんですよね。
静かに眠りに就くことを、当然至極のこととして、ずっと前から受け容れているようにお見受けする。

そこまでいかなくても、
「もっと続くといいよねー、広がるといいよねー」
という言葉すらめったに聞かれない。

  いや、まあ、個人差はありますよ。
  求める方は、求めておられます。
  発声源の母数という要素に、印象の左右されるところもあるでしょう。

ただ、ざーっと眺めてみたところ、
行き当たる一人ひとりが作品とその行く末に対してウキウキしている割合が、
『ひだまり』サイドは、時を置いた今でも非常に高いように感じたワケです。
続くかどうかはわからないけれども、
『ひだまり』のあの世界が「終わらない」ことを信じるともなく自然に了解していて、
それを当然のこととして振舞っているように思うのです。

……なんて言うんですかねえ。
例えば今、この世界が明日終わるだなんて、
ここをお読みの諸兄は誰も思っていないと思います。
ひだまらーはそんな感じ。『ひだまり』の世界に、明日の太陽が昇ることを疑っていない。
それが『アマガミ』周辺では、最後の太陽が沈むのをあっさり見送ってしまう感じです。


  ▼だれが殺したクック・ロビン




その背景にはモチロン、そもそもの作品世界を象る物語の性質とか、
根幹を成すメディアの性質とか、歴史とか。
そういうものが深く関わっているということもあると思います。

  たとえば、『アマガミ』は本編が「完結している」。
  短い期間で終わるお話ですから、世界の時間軸のある一点に物語が集中して既に閉じている。
  それに対して『ひだまりスケッチ』は、
  単純に「まだ原作が終了していない」ということに始まり、
  かつ作品の時間は日常に軸足を置いたもので、
  かつ「いついつの出来事」と明示されたものでもないため、
  捉える側としては、無意識に、ほぼ無限の広がりを感じ取ることが出来ます。
  その印象の差……前提として「続くもの」「終わっているもの」という認識の差は
  大きいと思います。

  あとは、「ゲームか、アニメか」という差。
  アニメは、昨今の制作体制・事情から、比較的短いスパンでの、
  第一期・第二期、という作られ方が常態化していて「次が来る」という期待感を持ちやすい。
  ゲームは、続編というスタイルはありますが、
  そうそう短いスパンでリリースされることはありませんし、
  あるとしても今回のエビコレ+のような廉価+チョイ変版。
  完全新作シナリオが遊べる「ちょっとおまけ劇場」が、
  PCでとはいえ遊べる『アマガミ』は恵まれている方だと思います。
  あとは、続編があるにしても、アニメにおける一期・二期のように、
  同じキャラクター・同じ世界でのプラスアルファの物語を遊ぶことの出来る機会というのは
  殆どないように思います。
  まあ、それを乗り越えるためのメディアミックスでもあると思いますが。

そんな事情もあるにせよ、『アマガミ』側には

  「ひとまず終わっちゃったけど、次を期待して、
   引き続きこの世界を愛していこう、もっと親しんでいこう、
   なんなら次があるかは分からないけど、
   ないならないで、自分らで支えていこう」

という、受け手からの……執着とか、愛着とか?
そんなものがモ一つ感じがたい。

終わって尚、モリモリ喜び続ける『ひだまり』クラスタと、
満足したのかしないのか、とりあえず終わりを終わりと受け入れて
ある程度見切りをつけたように見える『アマガミ』クラスタ。
その違いを生み出したものがナニなのかというと……
「プロデューサーさんの手腕」なんじゃないのかなあ、と思ったわけです。



■プロデューサーのお仕事



……とは言うものの、お断りしておかねばならんのは、
別にオイサンが「アニメ・ゲームのプロデューサー業」に対して
現場の知識をちゃんと持っとるワケではないというコトです。
本とか記事とか、そういうもので読み聞きした内容から
推察したイメージなので、あまりその辺厳密に怒らないで下さい。

  イヤ怒ってもいいけど、追求されても不毛なので。
  この辺↓なんかを読むと、なんやらやたらと何でもおやりになるようで。

   ▼Togetter - 「テレビアニメに要らない脚本家」
    http://togetter.com/li/1292


  マ不況の昨今、何でもやらんとイチイチ人をつけてたらお金かかってしゃあないんでしょうな。

以下で述べるのは、要約すると
「ある作品に対する
  ・話題づくり
  ・関連商品の
    情報展開
    品ぞろえ
    リリース時期の決定
 のやり方とその内容が、作品の『商品としての寿命』を決めるよね」
というお話で、
「それをやったり、やるための仕組みを作ったり、
 お金の確保と配分と決定をするのはプロデューサなんだよね?」
とオイサンが思っている、というお話です。

  違ったらごめんなさい。

……って書いたら、この先書くコトなくなっちゃった。
どーしよ。
まあ、つまりそういうことなんですよ( ← 無計画)。
多分。

 ▼とりあえず簡単にまとめておく。

えーと、つまりですね。

軸となる主要媒体……『ひだまりスケッチ』の場合はこの際アニメですけど、
その開始と終了に合わせて周辺のアイテム、
……それはドラマ・サントラ・キャラソンなどのCDだったり、
  アンソロやら設定資料やらのムック本だったり、
  Webラジオだったりすると思いますが……
それらそのものを発売するタイミングや、
それらがいつ出ますよーっていう情報出しのタイミングを、
どういう風に配置してお客さんの気を引き続けるか、
その上手いヘタに、作品の商品寿命は左右されるんじゃないのかな、ということで。

まあ当たり前の話なんだけどもさ。
その実例を、
『アマガミ』と『ひだまり』、
たまたまオイサンが足を突っ込んでいた二つの作品の息遣いによって、
今回やけにまざまざと感じたと、そんだけだよコンチクショウ。

 ▼研究論文的にやるんであれば。

これでたとえば、
『ひだまりスケッチ』と『アマガミ』の情報・商品展開年表みたいなものをこさえて、
並べて比較でもすれば尚のこと面白いんでしょうけど……。


  ……。
  そこまでやろうかな。
  面白い気がしてきた( ← 商学部卒)。


まあ、そこまでやるかどうかは別として、
やらない以上はこの記事の中では印象論に過ぎませんし、
『ひだまりスケッチ』のナニが良くて、悪くて、
『アマガミ』のナニが良くて悪いのか、
そして、実際ンとこそれぞれのクラスタの人たちはどう感じているのかを
データとしてとってみないとワカラン、
そしてとってみたって結局はワカランわけですが、
ざーっと見渡す限りでは、
『ひだまりスケッチ』のそれは、結果論的に色々サジ加減が良くって、
『アマガミ』のはあんまり上手く運ばなかったんじゃないかなって、
そう感じたワケです。

  ……あとは、それぞれの作品が惹き付けるお客さんの性質といいますかね。
  年齢、職業、収入……
  どんな人間が寄ってくる作品なのか? ということも重要なファクターで、
  お客さんによって、どんな情報・商品の展開やペースが有効なのかは
  変わってきたりもするのでしょう。

……ムウ、思いのほか遠大で、追求したら面白そうな話になってきてしまった。
結局はマーケティング論みたいになってきちゃいましたね。



■Closing



まあ、小難しい話はいいや(ホナすなや)。

オイサンが不思議に思ったのは、
『ひだまり』は、何がそんなに人為的に良くってそんなに元気で、
『アマガミ』は、何が不味かったんだろうな、ということです。

その答えを、プロデューサーさんのお仕事に求めようとした、
っていうだけでね。

それに、『アマガミ』の今の状態が特段にマズイとは実は思っておらず、
一介のギャルゲーとしては普通……寧ろすごい頑張っていると思います。
オリジナルのコンシューマギャルゲー発としては
昨今ではかなり大きなプロジェクトであって、
それなりに上手く運んではいるのだと。

多分、『ひだまり』の元気の在り方が異常なだけ。
しかもその、若者的な元気さじゃなくて、
「長い時間もっている」という意味では、
ある意味ジイサンバアサン的な元気の良さなんですよね。
ひだまらー全員が、時速7、8kmくらいのノンビリペースで、
えっほえっほとおみこし担いで走ってる様なもので。

ただ、その空気の作り方、
やる気を削がない、押しつけがましくない燃料の投下の仕方とか、
そういうところを学べたら、
オイサンの大好きな『アマガミ』も、もっと元気にやっていけたんじゃないかと
そんな風に思ったのでした。

  ……多分ねー。
  特殊だと思うんだよな、『ひだまり』。
  ユマス(ひだまり宣伝担当)といい、すっごい優秀なんじゃないだろうか。
  優秀というか、気立てが良いというか。

あとはその……これはある種致命的でもあるのですが、
リリースされる関連コンテンツの統一感。
『ひだまり』は揺るぎない。
あんなにユルいのに。ユルぎないユルさ。
中の人さえ巻き込んだ統一感がある。

『アマガミ』関連商品のいけないところは、
これが出来てないことだなあとつくづく思います。
どうしてもブツ切れなんですよね。
それは、そもそもの世界の成り立ちが云々ということを差っぴいても。
なんか、統一感がない。

『アマガミ』と『アマガミSS』でさえ分断が著しくて、
どこかで決定的に違えばパラレルワールドだとかアナザーストリーだとか
極端な解釈で逃げられる気もするのに、
差分が微妙だから「不気味の谷」につかまって逃げ切れなかったりするのが苦しい。
それはまあ、プロデューサーの役割ではないと思うのだけど。


……。


恐らく『アマガミ』の寿命は、
その後継者である(と目される)『フォトカノ』にバトンを渡すまでもてば良いとされていて、
その使命はほぼ達成されるであろうから
『アマガミ』プロジェクトは「成功」の太鼓判を押されるのだと思います。

でもねー。

オイサンなんかは、一度愛した世界は、至極自然に
「どこかにあって、そこに住むキャラクターたちは今も息づき、
 日々を営み続けている」
と思ってしまう、思いたい、思ってしまうくらいに世界を生かしてほしい、
そう望んでしまうクチなので。

……オシゴト的な寿命を設定されるのは結構なんですけども、
望みうるなら、後味良く。
彼女らはいつも、今も、そこに息づいているのだと
錯覚させるような世界の構築を心がけて戴きたいと……
そんな風に思う次第でございますよ。


ニントモカントモでござるな。
オイサンでした。


ニンニン。



■『熱帯低気圧少女』OP あした天気になあれ


名曲。名OP。異論は認めないッ!




 

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コメント

■くりっぱーふりーだむさん
毎度お世話になっております。

メディア展開、チカラは……入っていたと思うんですけどねえ……。
気張りすぎたというか、計算しすぎたのか。
……いや、とかくこの世は、ままならないですね。

なんというか、
「運を天に任せる」ことをせずに全部人の手でやろうとした、
或いは人の手で出来る範囲だけでやろうとした……。
そんな窮屈さがあったように感じますわ。
競馬の騎手には「鞍上人無く、鞍下に馬無し」という言葉があるそうですが、
馬から下りて一人で走って競馬をやったのかなあと。

なんというか、坂本Pを責める気は全く無くて、
「頑張りましたね、大変でしたね。疲れたでしょう」
という気持ちでいっぱいです。

アニメ、マンガ、
大好きな作品でビミョーな肩透かしを食らう寂しさは言い知れないものがありますが、
『キミキスみたいなアニメ』が
今回のような新しいスパイラルを生んでしまった向きもありますので、
我々は、次の作り手にそんな轍を踏ませたりしないようにしないといかんなという風には思います。

なので、今回のことは最低限のことだけを心にとどめ、次回作はまた、
引きずらず、まっさらな気持ちで臨んでもらいたいなあとも思うオイサンです。
 
 
■第4先輩さん
毎度どうもです。

なんか色々と言葉を尽くそうとしたけれど、やはり
「あの世界が作り手の手を離れきっていない」というところに、
問題が、問題……問題じゃないかもしれないけれど、
この物足りない空気の源泉があるように思いますね。

余談になるかも知れませんが、オイサンは
山おろしさんトコの「ツカサちゃん」シリーズが大好きでして。
……あの辺はなんか、自由ですよね。
あの有り様にはすごく希望を感じます。
何故だか分からないけど。

オトウフ先生の作品も、多分同じで。
ノブヨシ侍先生がそこからちょっと下がったところにいて、
『あまがみっ!』は、完全に不自由の領域下にいる、そんな風に見えています。
その辺にヒントがないかなあ、と考え中。

>  ……と、いうのが。僕の見てきたアマガミの色々な側面のうちの一つですね。

すごくよく分かります。
原作にて、彼女たちの六週間の人生の全てを描ききってしまった、
というところから既にその流れは始まってしまっていたのかもしれませんね。
そういう意味でも『アマガミ』はSLGではなくADVなわけで。

>  (前略)アマガミの今後の展開とかファンの気持ちのこととか別にして言いたいわけです。

そうですねえ、是非。
まあオイサンの場合、こと『アマガミSS』にこだわらず、
やっぱり『アマガミ』についてお話したいと思います。
お疲れ会はやりたいですね。
「なんで俺らが疲れてることになってるの?」ってところで揉めそうですけどw

よろしくです。
美味しいモン食べようぜ。

投稿: ikas2nd | 2011年1月12日 (水) 01時16分

 お世話になります。トラックバックをさせて頂きました。

 作り手側の話をするならば、ご指摘の通り「統一感」あるいは「外伝感(異世界感?よく分かりませんが)」が中途半端だったことは無視できないと感じます。「公式」の中に、ゲーム、初回特典CD、ラジオCD(橘佳奈さんとか変態紳士とか……)、コミカライズ(東雲版・桜小鉄版・その他諸々)、アンソロジー、ドラマCD、アニメ、アニメのテーマソング、そして、ちょおま。
 何もかもが、緩やかに「公式のアマガミ」の中にいて、どこからどこまでを外のモノとして、どこからどこまでを中のモノとするか、まるでバベルの塔のごとく言葉が入り乱れて。
 そして、分裂した。

 公式が、手綱を強く握りすぎた。
 自由なはずだったものを、自由にできなかった。

 ファンが、公式に従順すぎた(これは自分自身に対する後悔でもあります)
 多彩な可能性から目を閉じて、与えられるモノを待つだけとなった。

 作り手と受け手のお互いの「善意」が、相互作用として。アマガミという一つの作品を破壊して、あるいは、その中にいるヒロインの彼女達の生命を、少しずつ殺していて、人形のように消費していく所を。僕は約2年かけて見てきたような。そんな気がします。

 ……と、いうのが。僕の見てきたアマガミの色々な側面のうちの一つですね。

 色々な思いがありますが、とりあえず、オイサンのご指摘のようにお疲れ様でした、とまずは言っていいような、そんな雰囲気でいます。少なくとも僕はオイサンに対して、ひとまずアマガミSSについて、お疲れ様でした+またどっかで呑みましょうね、と。アマガミの今後の展開とかファンの気持ちのこととか別にして言いたいわけです。

 そしてまあ、前回もコメント致しましたけれど、今、僕はドキドキしています。ようやく落ち着いて、好きなように……他の誰のためでもなく、自分のためだけに、アマガミのこと、考えられるなー、と。

 今後ともよろしくどうぞ。

投稿: 第4先輩 | 2011年1月10日 (月) 17時16分

更新お疲れ様でした。
先ほど、アマガミSS24話を見終わったところです。

確かに、アマガミのメディア展開には首を傾げたくなるところが多々ありました。
なぜアニメをオムニバス形式にしたのか?
これは未だに納得がいかないところです。
ゲーム上の設定(舞台となる街、登場人物の人となりなど)を生かした上でまったく別の物語を描くと言う方法も有ったはずです。
これはビジネス(出資者の思惑とか)が絡んでくるので仕方が無いのかもしれませんが。ぽ○○○んェ…

そしてコミカライズ。
おいおい、これを商業誌に載せるのかと言いたくなるような作品が散見されましたし、きちんと完結させたのが東雲・上乃版だけという体たらくです。
個人的に気に入っているシンシアリーは休載中だし…まあ、これ以上言うのはヤメにします。

私なりの結論としては、作り手が作品としての「旬」の終わりを早めてしまったような気がするのです。

次回作ではアマガミの轍を踏む事が無いよう願いたいところです。

投稿: くりっぱー・ふりーだむ | 2011年1月 9日 (日) 01時50分

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 これは、裡沙ちゃん編の感想と言うより。  アマガミSSの総括となる。  アマガミSSが真っ直ぐに好きな人が不快に思うことを書くかと思うから。  閲読は自己責任で……というか、見るべきではない、と...... [続きを読む]

受信: 2011年1月10日 (月) 16時54分

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