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2010年12月26日 (日)

■ミューズの祝福~宮子(上) -更新第620回-

 
 
 
 吾輩は……。
 
 
 
     *     *     *
 
 
 
 世界で戦争が始まって、八ヶ月が経とうとしていた。
 どこの誰が始めたのか? くらいの大雑把な情報はまだ皆大体憶えていたが、そ
の後どの国が、どういう経緯、どんな力関係のもとで参加していったかのか、細か
いところを把握しているのは、一般人のレベルでは曖昧になってきた。第一それを
把握したところで誰にもどうにも出来ないほど、事態は進退窮まっていた。
 それに、悪いことというのは重なるもので、お星様の体調も思わしくなかった。
 どこかの国が撃ち込んだ、いわゆる核ミサイルが引き金になって撃ち合いになり、
その何発かがこの星の「やらかい」部分を刺激してしまったらしい。ヒロシマの何
千・何万倍という量の粉塵が巻き上げられて気候が無理やりに捻じ曲げられ、小さ
な歯車が順を追って大きな歯車を回すように、もともと若くもなかった星の体にと
うとうガタがきた。天候にとどまらず、地殻、海流。あらゆるものが秩序を失い出
して、もう、いつ、どこの地面が割れても、水が枯れても、はたまた逆が起こって
も。……一切の不思議はなくなっていた。
 そんな状況になってようやく世界のえらい人たちの間でも、一部戦いをやめよう
とする動きも出始めたが手後れで、お天道様の曲がったへそはもう元には戻らなか
った。
 空さえ、もはや青くない。
 見上げれば、赤紫の地色に茶色い雲がコーヒーフレッシュを落としたみたいに渦
を巻く。風の吹き方も、雨の降り方もでたらめだ。気温も無茶苦茶、半袖で大汗を
かきながら越えた踏切の向こうでいきなり凍え死んだなんていう話も、まことしや
かに聞こえてくる。
 太陽? 日の光? こもれび?
 ……ひだまり?
 ないとは言わない。届く日もある。
 そんな中、この小さな町に一人の若い人間の女が、大きな大八車を引きながら現
れた。

「おー。良かったあー、まだ残ってたー」
 彼女は車を引く足を止めると、道の傍らに建つくすみきった軽量鉄骨二階建ての
賃貸物件を喜ばしげに見上げた。次いで振り返り、今度は通りをはさんだ反対側の、
住宅とは一線を画す、広さの敷地を見やった。そこには、鉄筋四階建ての大きな建
物があるはずだったが……そちらは一割を切る残存率で、その姿をとどめていなか
った。
「ありゃー……」
 まいったなあ、とばかりに彼女が黒く煤けた頭をかきむしると、煤がもわりと立
ち上り、ところどころ、本来の稲穂色が露になる。彼女は
「まあ、しょうがないよね。学校は」
と、然して残念そうでもない眉で諦めをつけると、もう一度、むかいの小さな方の
建物を見上げた。そちらとて見えないところに無数のダメージを負ってはいるのだ
ろうが、形をとどめていることだけでも満足し、へへへ、と笑みをこぼした。
 建物を囲うブロック塀は殆どの部分が失われていたが、門柱のあったあたりは比
較的大きく残っていて、彼女はそのことに気が付くと
「おお? これはまだ、希望がもてますなあー♪」
と、大八車も置き去りに、嬉しそうに塀に駆け寄った。
「さてさて、残ってるかなぁ~?」
 既に穴だらけの軍手をはめた手で。彼女は瓦礫を一つ一つ拾い上げては、
「ひ、ひ、ひ~♪ だ、だ、だー♪ ま、ま、ま~♪」
とでたらめに口ずさみながら、顔を出さない太陽にすかすように、キラキラと光る
瞳で見定めていった。それは、今の世情ではなかなかお目にかかれないものだった。
「あなたのお名前なんてぇの~♪ それは表に書いてます、あソレ表札、表札~♪
 ……お、あったー!」
 高らかに叫んだ、彼女のつかむ瓦礫にはちいさく、ところどころに木片が張り付
いた跡があった。
 探していたものは、かつて自分もその制作に参加した、このアパートの表札だ。
平仮名で四文字の、温かな名前。そのとき住んでいた住人四人で、一人一文字一枚
ずつ、正方形のプレートに好きに書いた。それを壁の門柱辺りに貼り付けたのだ。
 最後の「荘」の字のプレートは、壁ごと吹き飛んで無くなっていた。
 頭の「ひ」の文字のプレートは、三分の一ほどだけ、斜めになって割れ残ってい
た。文字としては、完品を見たことのある者にしか読めそうになかった。
 「だ」は完品、健在。
 「ま」は……それらしい壁の部分は残っているのに、プレートだけ剥がれてなく
なっている。どんなに辺りを探しても見つからなかった。代わりに表面の焼け焦げ
た、それらしい木の板が見つかった。
 「り」は、四隅が欠けてしまってはいたものの、文字にダメージはなかった。
「……うーん。『ひだまり荘』は『だり』になっちゃったねー」
 拾い集めた表札のパーツを地べたに並べ、金髪、長身のまだあどけない彼女……
宮子は、腰に手をやった仁王立ちで
「ダリ、かぁ……。出世かな? 『ひだまり荘』から『ひまそう』を取ると、天才
画家になっちゃうんだねー。ははっ。今度みんなに会ったら……」
と、そこまで独り言つとのどに何かが詰まって咳き込んで、咳払いをした。そして
続けた。
「……今度また、みんなに会ったら、教えてあげよー」
 そして、薄暗い空に聳えたひだまり荘をもう一度、眩しそうに見上げると、うん、
と大きく強く頷いて、大八車に駆け戻った。
 
 
 
     *     *     *
 
 
 
 一階の三部屋もまったく無事だった--窓はガラスや桟が吹き飛んでしまって瓦
礫や砂埃は入り込み放題ではあったが、部屋としてのフレームと空間は確保されて
いた--が、宮子は敢えて、かつて自分の住まった二階の真ん中、202号室にま
でわざわざ荷物を上げた。
「よっ……おっ……」
 二階に上がるための階段と廊下部分の鉄骨は、ところどころ支柱が歯抜けになっ
て不安になる箇所もあったが、彼女一人とその荷物くらいの重量で崩れることはな
かった。けれど、このデタラメな温度変化や、おそらくは周囲にばら撒かれた爆撃
の影響だろう、かなり侵食が進んで脆くはなっていて、手や肘をついた途端にガラ
ンと外れて落下することもあったから、それなりにスリルがあった。
「っとと……こりゃゆのっちがいたら、間違いなく落っこちてるなー」
 ドアは失われていたから、両手一杯に荷物を抱えていても通行に不便することは
なかった。
「ただいまー」
 ……自分がこの部屋の主で無くなってから数年。残り香が漂うとは夢にも思って
いなかったが、不思議と部屋の持つ雰囲気や風合いは、自分が居た頃とさほど変わ
りなく感ぜられた。室内は一階と同じく窓が飛び、埃と塵芥、周囲への爆撃で飛び
込んできたコンクリの飛礫や木っ端だらけでひどい有様だったが、雨風を凌ぐには
充分すぎた。思えば自分がここへやってきたときも、なんだか部屋に呼ばれたよう
な懐かしさを覚えたことを思い出す。この部屋だけは、六室の中でも特殊な事情の
せいで家賃が格安だから、似たような境遇と感受性の持ち主が、宮子の後にも脈々
と続いたのかも知れない。
「ゆのっちー。なずな氏ー」
 大八車の荷物を一通り移し終えると、宮子は両隣の部屋、ゆのの居た201と、
なずなの住んでいた203を覗いた。誰がいるはずもなく、薄暗い、ぼろぼろに汚
れた灰色の空間を、遠くの空で時折光る稲光が痛みを伴う光で照らすきりだった。
一階の部屋も、どこも同じだった。
 柔らかな中間色に溢れたかつてのひだまり荘は見る影も無かった。グレーだけが
無限の階調を持って建物全部を覆い、自分の発した音だけが、ところどころ剥き出
しになった鉄骨に冷たく弾かれて返ってくる。自分に色の使い方を教えてくれた母
校・やまぶきからして無残に失われてしまったのだから、致し方ないことなのかも
知れない。六つある部屋、どの入り口に立っても、彩りも、音も、同じきりで……
その六つ目……かつて怒りんぼうの眼鏡が住まった101号室を回り終えたとき、
宮子は小首を傾げ、ほころんだ頬のまま肩から息を抜いた。砂礫をふんだんに含む
ざらざらした風を吸い込んでげへげへと咳き込み、鼻の穴にたまったその粒を指で
乱暴に掻き出すと、
「……さあて。んじゃ、はじめますか!」
と、大きな声で、伸びをした。
 
 
 
     *     *     *
 
 
 
 イーゼル。キャンバス。パレット。油彩筆に、ナイフ。オイル。水は来る途中に
見つけた謎の水溜りで灯油缶に汲んできた。その水を飲用に使うのはさすがの宮子
にも躊躇われたが、……いざとなったら、ゼイタクは言っていられないとも思って
いた。画材のごとき、かさばるばかりで腹も膨れないものを引きずって歩いている
のも今の世の中では正気の沙汰ではないから、そんなことに躊躇するのも今更な感
じがした。
 描きかけのキャンバスをイーゼルに載せる。どこで拾ったか忘れた、平和だった
頃に釣り人が使うのをよく見かけた、折りたたみ式の小さなパイプを広げて腰掛け、
キャンバスに向かい合う。無くしたはずのたくさんの色彩が、災いによって失われ
た物たちの陰影を伴って、かろうじてキャンバスの平面の中にだけ息づいていた。
 食べ物のあるところ。水のあるところ。雨風と夜がしのげ、人のいるところ。転
々として、それぞれでそれぞれに見合ったメリットを受けてきたけれど、そのどこ
でもこの絵の続きは描けなかった。今と同じに支度を整えて向き合ってみても、筆
もナイフも、ピクリとも動かせなかった。腕を組んで唸るばかりの自分に、焦りは
無かったが困惑は募った。
『おかしいなあ』
 九ヶ月前に手をつけ始めた新作は難しくも特別でもないモチーフで、完成形も頭
に浮かんでいる。なのに気持ちと体がついてこなかった。向かい合っては筆を下ろ
すばかりの時間が続いて、そんなに大きくもないキャンバス一枚にこれほど時間を
かけたのは初めての経験だ。世の事情が事情だけにいたし方もない。けれど宮子に
は、自分がどこかおかしくしてしまったとしか思えなかった。
「ふむ……」
 少し間を置いて向き合ったキャンバスが、最後に見たときと少し面差しを変えて
いるような気がするのはよくあることだった。宮子はその機嫌を軽く窺うと、「お
客さん、今日はどうしますか?」と訊ねる美容師の角度で首を傾げ、
「ああ、そうか」
と、筆先にぬたりと色を取ると、思い切りよくキャンバスに乗せた。頭の中にある
情景を、キャンバスの上に思い出す。それが彼女のやり方だった。
「そっか。そっかそっか」
 ぺた、ぺた、ぺたと、宮子自身の司る世界に、思い描いていた光がモチーフに遮
られて影を残していく。歩みを止めていた時間がまた、三歩、四歩と前進を始めた。
 
 
 
     *     *     *
 
 
 
 筆はそのまますんなり運ぶかと思ったがそうもいかず、ひと刷毛、またひと刷毛
と、昔を思えばまずまず以下の進み具合だった。それでもここ半年あまりの進みを
一気に追い越すほどだった。
 一時間うなっては十五分進むのを何度か繰り返し、また止まってしまった手を不
思議そうに眺めると、宮子は床に体を投げ出した。ざらざらしたつぶてと砂の向こ
う側に、懐かしいフローリングの感触が背中にちくちくと伝わってくる。この下に
はまだ、無数の湿気取りが敷き詰められているのだろうか?
 そんなことを考えたとき、絵筆を握ったまま伸ばした右手に、こつんと触れたも
のがあった。木片。さっき下で見つけて拾い集めてきた、アパートの看板……の、
残骸だった。
 頭の「ひ」は三分の一ほどだけ、斜めになって割れ残っていた。文字としては、
完品を見たことのある者にしか読めそうになかった。
 「だ」は完品、健在。
 「ま」は……壁の部分は残っているのに、プレートだけ剥がれてなくなっている。
辺りを探しても見つからなかった。代わりに、焼け焦げた、それらしい木の板が見
つかった。
 「り」は、四隅が欠けてしまってはいたものの、文字にダメージはなかった。
 「荘」は、壁ごとどこかへ飛ばされて見つからなかった。
「……」
 話し相手もいない。口にしても、誰も何も答えてはくれないだろう。そんなこと
を考えたかどうか分からないが、宮子は薄く開いた唇から……実は少しだけ甘酸っ
ぱい記憶の染み付いた唇からすうと細い息を漏らすと、むにゅむにゅと、彼女自身
はろくに引いたことのないリップを馴染ませるような仕草で黙った。

  にゃ~ん……。

「お?」
 自分の口から出たのかと思った、消え入るようなその声は、どこからでも入り放
題のこの部屋で律儀に玄関の方から聞こえてきた。寝転んだまま、宮子が首だけを
捻って見ると、痩せさらばえた猫が一匹、虎の足取りのまま立ち止まり、部屋へ踏
み入るか入るまいか、様子を窺っていた。
「おー、君はもしやー!」
 がばり、と宮子は跳ね起きて、その猫にも負けないくらいの臨戦態勢で、低く、
四つんばいに身構えた。猫の方はさすがにビクリと身を固くしたが、
「……」
「……。にひひ~」
と宮子が笑うと、邪気のないのを感じ取ったのだろう、しばらくにらみ合うと
 にゃーん……。
 ……ひたり、と桃色のニクキュウを一歩、前に出した。
「わは」
 嬉しそうに笑った宮子の頭にあったのは、数年前、彼女がここの住人になってま
だ一年経たない頃に数日間同居した、あの大きな猫の面影だった。その猫はふてぶ
てしく肥えわたっていて、茶虎ブチの毛並みを悠々と遊ばせていた。
 目の前の痩せ猫にその面影は薄く、体躯たるやその半分にも満たない。毛並みは
……宮子同様薄汚れて分からないが、強いて言うなら、目元に残るニヒルな鋭さく
らいしか、似たところは見つからなかった。
「……そんなハズないかあ」
 宮子は、あっけなく。数年という時間とこの戦火という日常をストンと飲み下し
た。そして何かに気付いたように、
「あー……」
とまた。不揃いになってしまった看板に、思うともなく目をやった。
 猫はその隙にもしずしずと、視線をはずした宮子に答えるように室内に歩みいり、
宮子の隣を素通りすると、
「お?」
彼女の荷物、なけなしの食料の入った鞄にたどりつき、カリカリとツメを立てた。
「……そっちかあ」
 体を起こし、宮子はやれやれと溜め息をつきながらも、そうですよねー、じゃあ
ご飯にしますかねー、と。画具もそのままに、猫と鞄に独り言ちて歩み寄った。
 
 
 
                             (つづく)
 
 
 

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