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2010年11月23日 (火)

■底抜けインディアAmazin'!~本日は、カレー気分で~・2・放課後・カレーで寄り道編 -更新第601回-

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     *     *     *
 
 
 
  そんなことがあって、夕刻。
  授業が終わり、絢辻さんの仕事を手伝って、
  色々終わったのが六時を回る少し前。

  僕と絢辻さんは程よく減ったお腹を抱えて、駅に向かって歩いて行った。
  絢辻さんはそのまま素直に駅へは向かわずに、
  住宅街と繁華街の丁度境目あたりにあたる角を折れると、
  住宅の中にぽつぽつと混じり始めるお店……それは薬局だったり、
  パーマ屋だったりするのだけど、そのうちの一軒の前で立ち止まった。


絢 辻「ここよ」
主人公「へえ、『グリル ポム・ルージュ』……。
    カレー専門のお店じゃないんだね?」

  床置きの、シンプルな四角い照明看板に、
  大きなガラスの張られた壁は深いレンガ色をしていて
  お店の中はぼんやりとしか窺うことは出来ない。

  落ち着いて、秘密めいて。
  いかにも絢辻さんが好みそうなロケーションではあった。

絢 辻「そうね、ただの洋食屋さん。意外だった?」
主人公「うん、少しね。だけど昔ながらの喫茶店みたいで、落ち着けそうだよ」
絢 辻「あたしの来るお店なんて大体そんなものよ。
    さ、席もあるみたいだし、さっさと食べて帰っちゃいましょ」
主人公「え?」

  絢辻さんはガラスのスモークが薄くなった部分を熟知していて、
  そこから店の様子を窺うと、さっさと入り口へ向かった。

主人公「せっかく来たんだし、ゆっくりして行かないの?」
絢 辻「ダーメ。帰って明日の予習もしたいし、
    それに、夕食時に学生がカレー二杯でねばってたら申し訳ないでしょ」
主人公「ああ、それもそうか……」
絢 辻「まったく。少しは気を回しなさい。さ、入るわよ」
主人公「ああ、うん」
主人公(そうか。絢辻さん、そうやって自分の居場所を
    なくさないように守ってきたんだな……)


  カランコロン、といかにもなカウベルが鳴り、
  奥から飲食店には程よい恰幅のおじさんが出てきた。


店おじ「やあ、いらっしゃいませ。いつもありがとう」
絢 辻「いえ、とんでもないです。
    二人なんですけど、大丈夫ですか?」
店おじ「え、二人? ああ、もちろん。お好きな席へどうぞ……といっても、
    いつもの席だね?」
絢 辻「フフッ、はい。ありがとうございます」
主人公「どうも」

  会釈で答える絢辻さんに、僕も続く。席は絢辻さんにお任せだ。
  絢辻さんは一応、かける前に一旦立ち止まって間をおくけれど。
  僕は当然、絢辻さんに奥の席を勧める。

  そして腰を下ろしながら「ありがとう」と返してくれるのは
  一連のお約束なんだけど、
  そういうことを守ることで、なんだか色々なことがスムーズに運ぶ気がする。

主人公「お店の人、二人って聞いて驚いてたね」
絢 辻「一人で来たことしかないからね。
    ……あたしと同じ、普通のカレーでいいの?」
主人公「ああ、うん。それでいいよ」


  絢辻さんはメニューを開き、一応僕に確認をとる。
  それが今日の目的だからそれでいい。
  僕は特に深く考えず返事をして、お店の中を見渡した。
  まだ夕飯時には少し早いとあって、お客は僕らのほかに四、五組。
  席は三分の一も埋まっていなかった。

  そんな落ち着きのない僕に、
  絢辻さんは開いたメニューの影から遠慮がちな視線を飛ばしてきた。


絢 辻「カツカレー、っていうセンもあるけど」
主人公「……? ええ、っと……」


  不思議なお伺いがひと手間はさまれ、僕は心で首を傾げた。
  なんだろう。
  胸と背中の真ん中辺りになんともいえない落ち着かなさを感じて一瞬考え、
  ふっと視線を絢辻さんに向けてみても、何のことは無い、
  メニューを覗いて僕からの返事を待っているだけにしか見えなかった。


主人公「……それじゃあ、そっちにしてみよう……かな?」
絢 辻「そう。じゃあ、カツカレーね」


  そんなやりとりの間にも、さっきのおじさんが
  お冷とおしぼりを持ってきてくれた。


店おじ「はい、いらっしゃいませ、と。
    今日のこの時間だと……
    フルーツジュースにクラッカーでいいのかな?」
主人公(え?)
絢 辻「あ、いえ。今日はカレーなんです」
店おじ「へえ、珍しい」


  絢辻さんの返事におじさんは、下がり気味の穏やかな目を、意外そうに丸くした。


店おじ「お休みの夜でもないのにカレーかい?」
絢 辻「ええ、今日はなんだかお腹空いちゃって。
    恥ずかしいんですけど」

店おじ「そうですか。いや、若いんだからたくさん食べないと。
    じゃあ今日は、量も……」
絢 辻「あ、いえ。量はいつもの通りで」
店おじ「はい、承りました。……お連れさんは?」
主人公「僕は、ええっと、カツカレーを」

店おじ「量は、詞ちゃんと同じでいいかい?」
主人公「え?」
絢 辻「あ、この人のは大盛りにして上げて下さい」


  おじさんの意図のわからない問いかけに僕が戸惑っていると、
  絢辻さんが横から助け舟を出してくれた。
  それを聞いて、おじさんは愉快そうに笑った。


店おじ「はは、そうですよね。
    じゃあ、普通のカレーとカツカレーを一つずつですね。
    はい、少々お待ち下さいよ」

主人公「……」
絢 辻「ふー」


  おじさんがテーブルを離れていき、僕はなんとなく落ち着かない。
  絢辻さんはおしぼりで、じんわりと手を温めている。


絢 辻「気持ちいい。……どうしたの?」
主人公「色々、随分慣れてるんだね」
絢 辻「まあね。ここには、カレーだけじゃなくて、来ることもあるから」
主人公「ああ、そうなんだ」
絢 辻「うん。曜日とか時間帯で頼むものも偏ってきちゃうから、
    それで、ね」
主人公「そういうことか。ははっ」
絢 辻「何よ?」


  僕の笑いの意味を受け止め損ねたのか、絢辻さんは珍しく、
  本当にニュートラルな「何よ」を投げてきた。


主人公「いや、さすが絢辻さんは、ちょっと大人っぽいなと思ってさ。
    お得意さんってやつだね」
絢 辻「からかわないで」
主人公「え? 別にからかってなんか……」
絢 辻「要らないわよ。そんな大人っぽさ」
主人公「そ、そっか」
絢 辻「大体……」


  と、絢辻さんは何か言おうとして言葉を切った。
  何が気に障ったのか、気まずい沈黙……。

  けど最近思うのは、こういう沈黙を気まずく思っているのは、
  どうやら僕の方だけみたいだ、ということ。
  絢辻さんにとっては、言葉のやりとりのおしまいで、その気分も
  もう終わっているらしかった。


絢 辻「……」
主人公「……いいお店だね」

  そう分かっていても、次の切り出しは少しこわごわになる。

絢 辻「うん」
主人公「おじさん、一人でやってるのかな?」
絢 辻「オーナーの女の人と、あとは雇われの店員さんみたいね。
    さっきのおじさんは店長だけど、雇われよ」
主人公「そっか」


  店には古い歌謡曲が流れていた。
  やがて厨房の奥からカレーの香りが漂い出すと、ぼくはそわそわ。
  絢辻さんにたしなめられながら待つこと数分、
  テーブルに、中年の女の人がカレーを運んできた。


店おば「はい、お待ちどうさま。
    カレーを二つと……付け合せはここに置くから、お好きにね」
主人公「あ、ありがとうござ……え?」


  テーブルの上に置かれたものを見て、僕は驚いた。
  目を丸くして絢辻さんを見たけれど、絢辻さんも……
  僕ほどではないけれど、軽く面食らっているようだった。

  運ばれてきたのはライスだけが盛られたお皿
  (僕のにはカツも乗っている)が二つと、
  ……カレーソースがなみなみとよそわれた、銀色の……
  なんて言う名前なんだろうコレ、
  アラジンと魔法のランプみたいな、いかにもな形の器が「一つだけ」。
  絢辻さんのお皿には、ライスがぽっちりだけ。


店おば「うん? どうかしました?」
絢 辻「あ、なんでもないんです。すみません」
店おば「そうですか? じゃ、ごゆっくりどうぞ」


  絢辻さんは僕の視線に気が付いて、
  さらにお店のおばさんが僕らの様子を訝しんだのにも気が付いて、
  取り繕っておばさんを追い返してしまった。


絢 辻「ふぅ……。ちょっと、どうしたのよ。びっくりさせないで」
主人公「え、だけど絢辻さん、これ……」
絢 辻「ふぅん……」

  絢辻さんも小さく肘を抱いて、ひと思案。

絢 辻「あなたが驚いてるのは……こっち? それとも、こっち?」


  絢辻さんが指差した、一つ目は、絢辻さんのライス皿。
  極端に量が少ない。
  二つ目は、カレーソースの入った銀の容れ物。


主人公「りょ、両方」
絢 辻「やっぱりね。でも、こっちは簡単」


  絢辻さんのライスは、スプーンで、ひと匙、ふた匙……
  五回も掬えばなくなってしまいそうだ。
  僕のライスの1/4程度、ケーキ皿のような皿に少ししか盛られていない。
  僕のが大盛りだとしても、幾らなんでも少なく見えた。


絢 辻「言ってるでしょ。あたし小食だって。
    だからいつも、この量にしてもらってるの。残すと悪いからね」
主人公「そうなんだ……」
絢 辻「問題は……こっちよね」


  絢辻さんが面食らっていたのは、カレーソースの方だった。
  銀色の船型の器は、とうとう一つしか運ばれてこなかった。


主人公「一つだけ……なんだ」
絢 辻「これで二人前ってことか。
    一人でしか来たことないから、分からなかったわ」
主人公「分量的には……十分そうだけどね」


   僕はその器に添えられたスプーンで軽くひと混ぜしてみて確かめる。
   とろりとした重みがあって、艶のある、明るい黄色をしていて。
   中身はいかにもおいしそうなんだけど。


絢 辻「ソースの味が違っていれば二つ来たんでしょうけど。
    ……まあ、付け合せのポットが一つしかないのと、
    感覚的には同じなんでしょうね」


  らっきょうと福神漬けの入ったガラスの器を
  テーブルの真ん中に移して、絢辻さんは一つ頷いた。


絢 辻「うん。
    まあ、スプーンは専用のがついてるわけだし。
    気にするほどのことじゃないわね。戴きましょうか。
    いただきます」
主人公「い、いただきます」

  二人同時に合わせた手をから顔を上げると、
  一瞬お見合い状態で止まってしまった。
  しばらく様子を窺ったものの、先に動くのは絢辻さん。


絢 辻「お先にどうぞ」
主人公「じゃあ、遠慮なく」


  絢辻さんの掌に促され、僕はカレーソースの器に添えられたスプーンを取った。
  軽くひと混ぜふた混ぜしたソースをライスとカツの上にまんべんなくよそうと、
  スパイスの複雑な香ばしさがより一層強く辺りに漂った。


主人公「あ、いい匂いだ。意外と本格的だね。この器といい」
絢 辻「ふふ、そうでしょ? こういうのって、結構雰囲気が大事よね」
主人公「もしかして、それでこのお店?」
絢 辻「そればっかりじゃないけどね。でも理由の一つではあるわね」


  言いながら、手持ち無沙汰になったのか絢辻さんは
  付け合せの器かららっきょうを一つ自分のライス皿に摘み取り、
  スプーンで口に運んだ。
  唇の奥から聞こえてくる、ぽりぽりというなんでもない音がかわいらしい。


主人公「はい、じゃあ絢辻さんどうぞ」
絢 辻「ありがと」


  僕は絢辻さんにソースの器を譲り、一足先に、自分のカレーを口に運ぶ。


主人公「それじゃいただきます……あ、おいしい!
    本格的なのに、ちょっと懐かしい感じだ」
絢 辻「懐かしい?」
主人公「古めかしいっていうか、庶民的っていうか」
絢 辻「そうなのね。……うん、やっぱりおいしい」


  絢辻さんも、本当に少ないライスをカレーソースと一緒にひと掬いして口に運ぶ。
  長い髪を少しじゃまくさそうに、耳の後ろへ逃がしながら。
  その言葉を聴いて、僕は少し嬉しくなった。


主人公「ははっ」
絢 辻「? また。何なのよ」

主人公「いや、あんなこと言ってたけど……
    やっぱり、おいしいと思ってるんだな、って」
絢 辻「ええ? ああ……。うん、そうかもね」


  お昼に自分で言ったことを思い出し、絢辻さんは苦笑いした。


主人公「うん、でも、本当においしいよ。
    そっか、これが絢辻さんの好きな味なんだね」
絢 辻「そう? お口に合えば、良かったわ。
    あなた、味には意外にうるさいみたいだしね」
主人公「ははは……B級専門だけど、ね……ぅぉ」


  微笑みの戻った絢辻さんを眺めながら、
  もうひと匙ソースを追加しようと掬い上げ……僕は、悲鳴を上げてしまう。


主人公(な……なんてことだ!!
    にんじんを掬い上げてしまったじゃないか……っ!!
    こ、ここは絢辻さんに見つからないように、もう一度沈め直して……)


  そろ~り……。


絢 辻「……! あ! こらっ! 何してるの!」
主人公(ぎくっ)


  僕の怪しい動きを察知した絢辻さんは、子供を叱る調子で険しい声を上げる。
  僕はそのまま動きを止め……絢辻さんはわざわざスプーンを置いて、
  腕組みでこちらを睨み付けてきた。


絢 辻「ハァ……あなたって本当に……。
    子供じゃないんだから、にんじんくらい食べたら?」


  いからせた肩から、小さくこぼれた溜め息とともに言う。


主人公「べ、別にそういうつもりじゃ……」
絢 辻「じゃあ何」

主人公「……」
絢 辻「……」


  目つきは鋭い。到底逃げおおせるものじゃない。


主人公「……ごめんなさい」
絢 辻「まったく……」


  再び。
  かちゃりと自分のスプーンを取った絢辻さんは、
  そのまままた、カレーを口に運ぶのかと思いきや。
  ずずい、と自分の小さなライス皿を僕の方へと突き出した。


絢 辻「はい」
主人公「え? た、食べてくれるの?」
絢 辻「そんなわけないでしょ! 没収よ、ぼ・っ・しゅ・う!!」
主人公「ぼ、没収!?」


  な、何を?


絢 辻「罰として、カツをふた切れ、寄越しなさい!」
主人公「そ、そんな!」
絢 辻「だぁーめ! はい、寄越すの」


  そう言って絢辻さんは、さらにずずいとライス皿を突き出すと、
  さっき掬って食べたライスの空きスペースを、スプーンでつんつんと指し示した。

  一体どういうリクツなのか、全然納得できなかったのだけれど……
  僕はしぶしぶ、絢辻さんのライスの上にカツを……
  嗚呼、こんがりときつね色の香気をたちのぼらせる愛しいカツをふた切れ、
  里子に出した。


主人公「トホホ……大事にしてもらうんだよ」
絢 辻「はい、いい子ね。じゃあ、ご返杯」


  それと引き換えに絢辻さんは、僕の手からカレーソース用のスプーンを奪うと、
  にんじんの乗ったカレーを僕のライスにとろりとよそった。


主人公「ううう……為替レートが随分下がった感じだよ……。
    大体、なんでふた切れ……」
絢 辻「ひ、人聞きが悪いわね。にんじんだっておいしいじゃない。
    ……うん、衣がサクサクね。おいしい♪」


  ちょっと嬉しそうに鼻歌なんか歌いながら、
  自分の……僕のだけど!……カツの上にカレーをかける絢辻さんを見て、
  僕はぴーんと来た。


主人公「……カツが食べたかったのなら、素直に言えばいいのに……」
絢 辻「!」
主人公「そうなんでしょ? 一人前頼んじゃうと食べ切れないから。
    食べてみたかったんだよね? ここのカツ」
絢 辻「……」


  ホラ来た、ビンゴ。
  一瞬、動きをカクンとぎくつかせ。絢辻さんは赤らんだ頬で、
  ギロリと僕をねめつける。
  僕はもう、半分やぶれかぶれだ。
  あとでどんな恐ろしい目に遭わされるかわかったものじゃなかったけど、
  絢辻さんを追い込んでみた。


主人公「ちがう?」
絢 辻「……違わない」


  この気配の懐かしさは、いつか公園で犬におしっこをかけられた絢辻さんを
  あやしたときに似ていた。


主人公「やっぱり」
絢 辻「な、なによ。いいでしょ、別に」
主人公「そりゃ構わないけど、罰として、なんて言わなくてもいいじゃないか。
    『ここのカツを食べてみたいから一切れ頂戴』でいいじゃない」
絢 辻「う、うるさいわね! ……ああ、なるほど」


  窮鼠……否、窮猫、僕を噛む。
  そのとき絢辻さんの瞳が、
  もうこれ以上ないくらいの底意地の悪さで黒光りするのを僕は見逃さなかった。
  それで身の危険を察知して、
  いつでも逃げられるように少し腰を浮かせたのだけれど……
  それが、僕の命取り。
  そのとき一番大切なはずの物から、距離をとってしまうことになった。


主人公「な、何だよ」
絢 辻「フフフ……。
    にんじんが一切れだけだったから、物足りなくてすねてるのね?
    ごめんなさい、気付かなくって。
    そうよね、カツふた切れに、にんじんがたった一つじゃあねえ……」


  お留守になった僕のライス皿に、絢辻さんは……。
  その目、ゆび先には一体どんなサーチ機能が備わっているのか、
  カレーソースの底に沈んで見えないはずのにんじんを次から次に掬い上げ、
  ひょい、ひょい、ひょいと、僕のライスの上に盛っていく……!!

  え、うわあああああああああああああああ!!!
  ライスが! 僕のカレーライスが真っ赤に!!


主人公「ちょ、絢つ、やめっ!」
絢 辻「あ」


  取り乱した僕はもう後先を考えるゆとりもなくて、
  絢辻さんのβカロチン爆撃から逃れることに必死でさっとお皿を引いてしまった。
  いきおい、最後に投下された超大型にんじん(コードネーム;リトルボーイ)は、
  ぺちゃんと音を立ててテーブルの上に落っこちた。


主人公「あ……」
絢 辻「……」


  静寂。
  絢辻さんは……厨房とカウンターへ目をやって、
  お店の人にこの騒動が勘付かれていないことを確認してから、
  ……それからゆっくりと……険しく、鋭い光を僕に投げつけてきた。
  無言で。


絢 辻「……」
主人公「えと……」
絢 辻「…………」

主人公「い、今のは僕は悪く……」
絢 辻「………………」

主人公「あ、絢辻さんが食べ物で遊ぶようなことを……」
絢 辻「……………………」

主人公「その……」
絢 辻「……!…………!!………………!!!」

主人公「すみません……でした……」
絢 辻「はい。じゃあどうするの?」

  ……しぶしぶ。
  僕は、絢辻さんがソースのポットに戻したスプーンを手に取ると、
  テーブルの上のにんじんを掬い上げて、脇にあった灰皿にぽてんとよけた。
  そして備え付けの紙ナプキンで、テーブルの上のカレーソースをふき取った。


絢 辻「全く。みっともないことになっちゃったじゃない」
主人公「……」


  僕は俯き。
  絢辻さんはかちゃ、かちゃと音を立てて自分のカレーを口に運んでいるようだったけど。
  さすがの僕もコレには納得がいかなくて……
  顔の真下にある、にんじんが三つも積まれたカレー皿を見下ろしていた。

  絢辻さんが好きだっていうカレーの味を知りたかっただけなんだけど。
  こうなっちゃったら、それを上手く味わうことも難しくなってしまった。
  苦手のにんじん。
  ここから先は、ゴハンとお水で流し込むしかなさそうだ。


  ……はあ。なんだかなあ……。


  とても残念な気持ちで、僕がやれやれと仕方なしに手を動かしたそのとき、
  下を向いた僕の顔とライス皿の間に、スプーンが割り込んできた。
  それは静かに翻ると、器用ににんじんだけを二つ、
  ライスの上から攫って視界から消えていった。


主人公「?」
絢 辻「悪かったわよ」


  驚いて顔を上げたら、身を乗り出した絢辻さんが
  すとんとソファに腰掛けなおすところだった。
  その手にはスプーンが握られていて、その上にはモチロン、
  にんじんがふた切れ乗っかっている。

主人公「……いいの?」
絢 辻「仕方ないでしょ。
    別に今日は、あなたの好き嫌いを矯正しに来たわけじゃなし。
    楽しく食べて帰りましょ」


  そう言うと絢辻さんは。らしくなく、ちょっとお行儀悪く開けた大きな口で、
  スプーンの上のにんじんを二ついっぺん、あむっと頬張ってしまった。


主人公「……はは」
絢 辻「モグ、モグ……。……なによ。
    いずれ、ちゃんと食べられるようになってもらいますからね」
主人公「うん。そうだね。頑張ってみるよ」

  絢辻さんにそうまで言われたら、こちらも少しはやる気を見せざるを得ない。
  僕は自分のお皿に残された最後のにんじんを救い上げると、
  ぱくっと口に放り込んで見せた。
  ……のだけれど。


絢 辻「……」
主人公「?」


  どうしたんだろ。
  絢辻さんは驚いたような顔をしたかと思うと……見る見る呆れ顔になった。
  そして小さくかぶりをふると溜め息をついた。


絢 辻「ハァ……」
主人公「何? どうかした?」
絢 辻「あなた、それ」
主人公「?」


  絢辻さんは僕の手元を指差すけれど……何のことだか分からない。
  おかしなところは、何も見当たらないんだけどなあ。


主人公「何?」
絢 辻「わからない? ス・プ・ー・ン」
主人公「スプーン? スプーンならちゃんと……あ」
絢 辻「それ、カレーソース用のでしょ」


  僕がにんじんを口に運び……ぱくんとやったそのスプーンは、
  さっきソースポットから引き上げた、カレーソースをよそうためのものだった。
  これは……純粋に僕の失敗だ。


主人公「ありゃあ……はは……」
絢 辻「本当に……ありゃあじゃないわよ」
主人公「ご、ごめん。すぐ替えてもらうね、すみま……!」
絢 辻「いいわよ、別に。ほら貸して。使うんだから」
主人公「え、でも、あ」

  店員さんを呼ぼうと僕が振り向いた、
  その隙を狙って絢辻さんはまた僕の手からスプーンを奪い返した。

  そして僕が制止する間もなく、
  僕が口に入れたスプーンをとぷんとカレーソースの中に沈めると、
  何食わぬ顔でソースをひと混ぜ。
  なみなみと掬い上げたそれを、残り少ない自分のライスと、
  もう一切れのカツにかけた。


主人公「……いいの?」
絢 辻「知ってる? これの名前」


  突然の質問。
  僕はまたその流れの速さについていかれず、二つの疑問の間で右往左往する。
  「いいの?」ということと、「いきなり何?」ということ。

  「これ」っていうのは、言わずもがな、
  カレーソースの入った、魔法のランプのことだ。
  絢辻さんはカレーをよそい終えた、返すピンク色の爪の先で、
  その容器のふちをチンと弾いた。


主人公「し、知らない。……けど」

絢 辻「『グレイビーボート』って言うのよ。
    グレイビーはお肉をもとに作られるソースのこと。
    ボートは、お池に浮かべるあのボート」
主人公「そうなんだ。へえ」


  さすが、絢辻さんはハクシキだなあ。
  ……じゃなくて。
  残されたもう一つの疑問に触れようとしたら、

絢 辻「別に、構わないわよ」

  と、それにもするっと先回りされてしまった。


絢 辻「あからさまにやることじゃないとは思うけど、
    嫌がるようなことでもないでしょ?」
主人公「そりゃ、僕は、まあ……」


  大歓迎、とは言わないでおこう。と心で呟いた僕以上のことを、
  絢辻さんは……


絢 辻「唾液の交換なら、とっくに済ませたんだし」
主人公「ぶっ!!」


  サラッと言うから、僕は暴発事故を起こす。
  そしてそれをまた咎められるんだから始末におえない。


絢 辻「きっ……! だから! 行儀が悪い!」
主人公「げほっ、げほっ……あ、絢辻さんの言葉のチョイスの方が、
    よっぽどお行儀が……!!」

絢 辻「だって本当のことじゃない」
主人公「それはそうかもしれないけど! 露骨な……それに」
絢 辻「……?」


  その先を言葉にしようか……、咳き込む肺の奥で、僕は言い澱む。
  唾液の交換って。それじゃまるで……。
  言ってしまったら、なんだか自分が惨めな気持ちになるような気がするし、
  もし違っていたら……多分違っているとは思うけど、絢辻さんにまた、
  不機嫌な思いを運ぶことになりかねない。

  その、ほんのわずかな間を読み取ったのか、それとも、
  そもそもそういう展開になることまで見越しての、
  絢辻さん一流の言葉選びだったのか。


絢 辻「心配しなくたっていいわよ」
主人公「え?」
絢 辻「それきりのことだなんて、思ってないから」
主人公「え……」
絢 辻「あ、辛い」

  と、絢辻さんは言葉をそこで切って、やっぱり少し邪魔くさそうに髪をかき上げ、
  唇の奥へスプーンを滑らせた。

  かちん、と控えめに、スプーンに歯が触れる音がして、
  薄紅色のつややかな唇は、つるりと出てきたスプーンの
  銀色の鏡面につぶれてふるえ、照り映える。
  そして少しだけカレーの黄金色に汚れた唇を、
  今度は舌がちろりと覗いて拭っていった。

  そんな一瞬の、仕草とすら呼べない当たり前の振る舞いさえ、
  つやめかしくて、艶かしいのは。
  多分僕が、絢辻さんに恋をしているから……なんだろう。
  相手が美也や梨穂子じゃ、こうはいかないものな、きっと。

絢 辻「ね。結構辛いわね」
主人公「え! ……ああ、うん。結構、ね」


  おかしなことに見惚れていたのは、多分、見破られてはいたのだろうけど。
  絢辻さんが見なかったことにしてくれたから、僕もごまかすフリをして。
  自分のカレーをひと匙食べた。

  うん、辛い。
  辛くて、おいしい。そこまではストレート。
  どこか懐かしい、けれど秘密めいた迷路みたいに複雑な香りが、
  顔の中一杯に広がる。

  それは、つまり。
  きちんと、気持ちのこもったものだったって、思って良いってことだよね?

  確かめるまでも無いけれど、
  絢辻さんが額を汗でちょっぴり光らせて、頬や、首筋や、
  耳のふちを赤くしてるのは……
  インド人もびっくりの、この店の特製スパイスのせい……なのかなあ?
 
 
 
                              (続く) 
 
 
 

|

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