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2010年9月11日 (土)

■オトメノ!~揺れる・ふくらむ・はち切れる~『アマガミSS』第11話感想 -更新第583回-

あの『アマガミSS』がついにゲーム化!!





……すみません、おイタが過ぎました。
オイサンです。


さてタイトルにあるように、
今回はいつものアレなので、アレをアレする人はアレして下さい。

【※
 今回はアニメ『アマガミSS』の第11話・中多紗江編第三章の感想です。
 未放送地域の方、未見でネタバレをお好みでない皆さま方は
 とっとと回れ右して紗江ちゃんのオッパイでもしゃぶってやがれ!!


 ……て言うか、オイサンも是非そっちの方に参加したい……って、
 あ、絢辻さん!!!?
 イヤ違うんだ、これはその、あああああ、
 その手に持った40L入りの牛乳缶をどうするつも……へぶっ……




■本題! まずは全体について。 オッパイは後回し!(←血マミれで)



で、第11話の感想なのですが。
先ずハッキリといいましょう。



軽く化けた。
良い方向に。
待っていて良かった。



そう言ってしまっても……まだコワイところはありますけど……
ほぼ差し支えのない方向に進みました。
これが恒常的な変化であるのか、
刹那的に偶然成し得たシゴトなのかは分かりませんが、
少なくとも今回のデキは、過去10話をはるかに置き去りにして最高と言って良いと思います。
……ある一点を除いては、ですけど。

……過剰な期待を持たせてもアレなので言いますが、
あくまでも『アマガミSS』過去10話と比しての「最高」ですからね?

そして過剰な不安をあおっても仕方ないので言いますが、
その不安な一点も、
あとあとダラダラと文句を言っていますがどうとでもなると思うので。
今の感じを掴んで進んでくれたらいいなあと、
そう思えるくらいの出来の良さ、面白さでした。

それを踏まえて、以下各論。



■お話と、表現と。



言わずもがな……
橘さんの「部屋の押入れ」というのは、
橘さんの性向であったり、この『アマガミ』というお話の範疇に限っては
件の「トラウマ」の象徴となるワケです。

そして今回の冒頭において、
美也でさえ「またそこにいる」と思った瞬間に橘さんは既にそこにはおらず、
中多さんと学校にいた!!
という……これが何を表すかというと、それはもう明白なワケです。

前回の感想で
「情景を使ってキャラクターを表現出来てない」
「中多さんの慕情を聞いた橘さんが、トラウマとどう向き合うかを描けるかどうかが、
 次回のポイントになる、それでキマル」
と書きましたが……
その二点を、まさか開始一分半で、
オイサンの想像をはるかに超える鮮やかさとさりげなさで描ききって見せるとは
思わなかった。
感服、脱帽です。
これには参った。

これを見た瞬間に、オイサンは確信しました。
「あ、こりゃ今回は面白いぞ」
と。
ヘタすりゃ一気に、『けいおん!!』に……
第一期の『けいおん!』相手だったら分からないけど、
今期の『けいおん!!』にだったら追いついてもおかしくないぞ。

  つまりオイサンが『けいおん!!』に見出す面白さというのは、
  こういうことをもっと小さい小さい単位、
  それこそ何秒、セリフ何言というサイズで、
  20何分という時間にちりばめているから面白いんだろうな、
  ということに逆算して気付かされました。
  閑話休題。

……マ結果的にそこまでには及びませんでしたが、
それでも今回の話は軽く「化けた」と言っても良いくらい、良かったと思います。
正しくは、
「化ける兆候を見せて、さらにその先にまで、一先ず足を踏み入れた」
感じです。
崖を上りきり、天辺に指がかかった状態。
これで全身を引き上げ、体を山の上まで持っていけるかはこの先次第でしょう。



■止まる絵と動く画と。~アニメーション、それは……



そして大きな変化として、絵も随分動き出しました。
使い回しっぽいカットも目立ちますがカット数も多い。
屋上の風のシーンで、髪もスカートも派手に揺れて見てる方もアナタ、
これは盛り上れますよ。
その間も、引いたり寄ったりパンしたり、
今までの話では稀だった派手目のカメラワークが目立ち始めます。

  ……こうしてみると、これまでで画が、というか画面・画角が動かなかった、
  動かさずにおいたのは、『TLS』シリーズとしての矜持であるところの
  「決して劇的ではない、普通の風景」をそのまま描こうとした
  演出意図だったのかしら? と思えないでもないですね。
  ただそれが、この作品にマッチしていたか? 効果的に運んでいたか?
  と言われたら、やっぱりNOだと思いますけど。
  考えナシ・工数の問題といった類のものでは(まあ全くとは言いませんが)
  なかったんじゃないかな、という風には見えてまいりました。
  勝手なものですねw

髪・衣類の揺れに反して、周辺の木のゆれが無理やりなのはご愛嬌ですかねw
表情も随分豊かに描かれるようになってきました。

  ナニ言ッテッカチョット分カンナイ、とお思いの御仁は、
  一度お話の流れを頭に一通り入れてから、
  音を消して見てみて下さい。
  なんとなくは分かって戴けるんじゃないかという気がします。

敢えて言いましょう。




  ようやくアニメっぽくなってきたじゃないか!!!




……いや、ここまで褒めておいて、今更クサすこともないんですけど、
でも、これもまたすごく素直な気持ちなのです。
今回の『アマガミSS』を見終えたときの。

なんと言いましょうか、
物語の表現の面では、冒頭の一発でちょっと図抜けた感じになりましたが、
ストーリーラインそのものであったり、
カット数や動きの画の面において、
ようやくイマドキの平均的なアニメに追いついたんじゃないか?
という気になりました。

実際の数値なんて知りませんよ? 見た感じの印象。
オイサンはそんなに沢山、毎期毎期アニメを見ているわけではないですけど、
それでも大体一話目二話目くらいは拾ってみたりしますから、
見た目の感覚的に「大体こんなカンジで、見ていてこんな気持ちになる」
というセンは持っているつもりです。

それは面白い・面白くないを抜きにしても、視覚的にどのくらいの変化量が、
一定の時間内に収められているか(もちろん作品の性質にもよりますが)、
ということの、感覚的な蓄積だと思います。

正直な話、『アマガミSS』のその時間当たりの変化量って、
スッカスカだったように感じていたのです、これまで。
退屈しないラインに届いていなかった。
それが今回、「退屈しない」のラインを超えて、「ちょっと面白い」のラインにまで
手が届こうとしている。

  それに、「絵に力が入る」ということは、
  それを使って物語を豊かに描くことが出来る、物語にも使える、
  ということですからね。大事な大事な肝です。

ところどころ、要らなさそうなカットが入ったり
(遊園地、観覧車を避けてメリーゴーランドに向かうシーンで、
一瞬メリーゴーランドの全景が映る画が入るけど、あれは要らんだろう)、
相変わらず左右をもてあましまくった画面になったりするけども、
それはまあ……何かのクセなのだろうなあ。
つか、最近のメリーゴーランドにはブタがいるの?ネタ?



■そんな中、今回の問題点



とまあここまで褒め気味にやってきました今回の感想ですが、
もうどうしてもガマンできない致命傷があったので、
そのことだけはしっかりと書かせて戴きたい。


ナレーション、ここにきて邪魔。


一章・二章では、ナレーションにはちゃんとした役割がありました。
すべり気味とはいえネタとしての立場と、
展開が地味なために画で間の持たないシーンを繋ぐ役割、
主役二人が引っ込み系のために、その気持ちを表に引き出すための解説役。

けれどつまるところ、
そのどれもが「画や間で語れてない」という映像作品としてそれはどうよという瑕疵に、
おそらくは作り手が自覚的であったがために
回避策として選んだ手段だったワケですが……。

こうして、今回。
表現は整った。
画も、かなり揃った。
そんな環境の中、もうナレーションはその役割を終えたと、オイサンは思います。

モチロンここまで一章二章、ともにやってきたのだから、
そこにいて下さる分には問題ないと思うのですが……
今回何故か、ナレーションは、そうして画で語れるようになった物語、
読み手が自由に心で受け取ることが出来るようになった画を、
片っ端から踏み潰して回っている。
これは許せません。

  あのね、中田譲治さんは悪くないんですよ! 当たり前ですけど!
  中田さん(ややこしいな)も、演じながら困ったんじゃないかコレ、
  と思うほどの、お話ブレイカーぶりだと思います。
  声を当てるときに、画があったのかなかったのか知りませんが、
  もしあったら、「???」と思ったんじゃないだろうか。

たとえば。

バイトの面接前に、夕暮れの学校の廊下で敬礼を交わす二人。
二人がバカをやっているシーンではありますが、
見ようによっては十二分、これまでの二人の信頼と絆を象徴する
「良いシーン」なわけですよ。
周りから見ればバカだけど
(背景に描かれ、二人を指差す男子生徒たちがそれを象徴します)、
本人たちは大真面目、しかも分かり合って、いろんな感情を交換している。
そういうシーンに「見える」わけです。
「見ることが出来る」し、見て「良い」。
そこをどう読み取るかによって、作品の印象とか幅が生まれます。

  もっと言うなら、その
  「ハタから見たら大バカ、でも本人たちは大真面目で、
   彼らにしかわからないプロトコルがある」
  という、ある意味で恋愛の根っこのようなものを描いていると言っても良い。

そこに言葉や解説は要らないはずなのですが……
ナレーションが言葉をつけることによって、
「これはバカなシーンなんですよ」と限定してしまっています。

  ▼遊園地のシーン

そしてクライマックス、黄昏の遊園地、テラスで向かい合うシーン。
中多さんは「私たちはカップルに見えないんでしょうか?」
と、「妹じゃイヤです」というのと同じ旨のことを繰り返して不安を吐露し、
手がふれあい、
ベストカップルコンテストに一緒に出て欲しい、
名前で呼んで欲しいと、
これでもかこれでもかと畳み掛けます。

そして橘さんは……それら一つ一つに対して、
とても真摯に向き合い……驚いたことに!!
この一瞬一瞬ごとに、全く違った、そして一つずつ、成長した表情を見せます。
このシーンはすごい!
名前で呼んで、と言われ、「うん、わかったよ」と応える橘さんはもう、
すっかり彼氏の顔です。カッコイイ。
そして、「ててお」。
自分から中多さんの気持ちに気付き、中多さんの手をとる橘さんは。
もう変態紳士でもなんでもない、ホントただの少年です。
正直、もっと落ち着いて描いて欲しかった、長く見ていたかったと思いますが、
それでも面白い場面です。

  中多さんは中多さんで、そのリクエスト一つ一つに応えてもらう度、
  表情に自信が宿って見えてきます。
  面白いなあ。


……それをですよ。


画から読み取る限りにはもう、
橘さんは手が触れ合ったシーンで、大きな戸惑いの波を感じつつも
「僕はもしかして……!?」
と、半ば気付いているわけです。

そしてベストカップルコンテストに出たいといわれた瞬間には、
中多さんの想いにも……100%ではありませんが、
恐らくは70%程度の確信を得ている。
残りの30%は、その返事までの間が若干短く、表情に重みがないコトで
「(いや、まさかな)」
という打消しを読み取らせます。
そして最後に「名前で呼んでください」というリクエストで完全に感づき……
先にも述べた「彼氏の顔」で、敢然と答えるわけですが。

ナレーションさんは、カップル話の時点でこれを
「少年は、まだ気付いていない」
と、断じておしまいになります。



ナンセンス!!



そのナレーションの言う「まだ」という時間の範囲がどこまでを指すのか、
それがハッキリしないために、
見ている側からすればこのシーン全体がぼんやりと、
「え? 橘さんも中多さんも、もうすっかりそんな顔になってるのに、
 まだ気付いてないの!!?」
みたいな、おかしな空気に包まれてしまっております。

言わなくたって良いんだよ、イチイチそんなコト!
今回、これだけ画も間もしっかりしてるんだから!!

 ▼作り手のキモチ

……とは言いつつもね。
作り手さんの意図も、分からないではありません。

恐らくは、物語の絶対の流れを制御し、
その内容を自分の意図からブレさせることナシに受け手まで届けるために、
こういうことをやっておられる。

敬礼のシーンでもそう。
「良いシーンに見えるかもしれないけれど、
 この場面の主題はバカな場面なのよ」
という意図だと伝えたい。それは分かります。

でもそれならば、それは画のつくりがおかしいことに他ならない。
「見せたい風に見える」画がつかないとおかしくて、
それがないならやはり、映像作品である意味は薄いし、
それを言葉で無理に押し込めるなんてのはあまりに無粋だと思います。
見る側は100%しらける。

遊園地のシーンでも、
「『橘さんが自分と中多さんの気持ちに気付いた』と、
 視聴者に思われては、まだお話上困る」
から、ナレーションでブレーキをかけ、
見るものの気持ちを強引に押しとどめている、
ただそれはやっぱり、お話と演出がちぐはぐだっていう……
実に贅沢な欠陥だと言わざるを得ません。

見てる側の盛り上がった気持ちに蓋をして、一体何のつもりだ。
見てる人間をそんなに信用できねえか。
……という怒りすら覚えます。

  ……ていうのは、
  本編の中多さん編(<スキBEST>のルートだけど)でもあった
  とオイサンは感じているのですが。
  ……そんなことまで踏襲しなくて良いのに!!

つまりはナレーションと画とがちぐはぐで、なんなら
「ナレーションが間違ったことをいうギャグ」
みたいにさえ見えるのです。

今回、この話において、
やっぱりナレーションはもうその役目を終えていると思います。
すっげえ無粋なお話解説。

ヒーローショーのシーンでは、まだ手の足りていないところがあるのか
画で間の持たないところをナレーションで繋いだりと
(それも無理矢理気味ではありますが)役割を果たす場面もありますが。
それでも……ちょっと。
今回は戴けないシーンが多かった気がしますねえ。

……あの、もう一回言っときますけど、
中田譲治さんは全っ然悪くないんですよ。当たり前だけど!!



■Closing



まあそんなこんなでですが、
今回は中多さんも橘さんも、ものすごくたくさんの、そしていい表情を見せてくれました。
そしてそのどちらにも、オイサンは一回か二回かずつくらい、ドキッとするくらいでした。

もう……どうしたのかと言わんばかりに、めちゃめちゃしっかり恋愛モノ、
しかも「ふたりの」物語になっています。
……ただね。
これが『アマガミ』の、中多紗江ちゃんの物語なのかと言われたら、
そのエッセンスは相当薄味な気もしますが……
でも、真芯に通っているのは、これなんだろうなあ。

それに、ちょっと詰め込みすぎたかな、という感もありますが、
それでもそれでも。
ナレーションの件についてはすごく残念でしたけど、
それを補って余りある後半戦へ向けての可能性、
それもかなり具体的なモノを伴ってのものを見せてくれました。
とても嬉しいです。
ラストシーンでは、ちょっとじわっとくるくらいでした。
ようやく本気出てきた感じですかね!

無理はしなくて良いです!
この調子をキープして、後半戦は……後半戦も頑張って戴きたい!

あと、細かなシーンへの感想をちょぼちょぼと。
何の意味もないメモだけど。


 ・森島センパイ、焼きそばパンを振り回しちゃ危ないです。

 ・噴水でちょこんとした一年生三人娘可愛い。

 ・授業のシーン、
  絢辻さんが読む教科書の内容が恋愛に絡んでいるのは遊びとして面白いけども、
  もうちょっと大胆に、
  中多さんの言葉の意味に何かを絡める内容にトバしてしまっても
  面白かったかもしれない

 ・相変わらず、ジングルへのヒキは唐突なんだな。

 ・おろおろ香苗さん、随分良い役じゃないの。
  ていうか、松岡さんが存在感出してるな。
  やっぱすごいや。


以上、またどエラく長くなってしまいましたが、
喜び含みということでご勘弁下さい。

オイサンでした。




 

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コメント

どもです。
オイサンのこの記事を読んで気がついたんですけどね。
私、今回の11話のナレーションの印象がまったく残っていないんです。
ここまでの紗江ちゃん編3話の中でもっともナレーションが少なかったから、と言うことも
あるとは思うのですが、多分、無意識のうちに記憶から取り除いたんじゃないかなあと。
それはすなわち、私にとってあのナレーションは必要なかった、と言うことなんだろうと思います。
全4話に統一感を出そうとすると、あのナレーションを途中でやめるわけにはいかず、
さりとてあの調子のナレーションは今回の流れには合わず……多分、10話→11話で
大きく舵を切りすぎた結果なんだろうな、と思いますが、思い切ってナレーションをやめてしまっても
良かったのではないか、と思います。

投稿: ちひろ | 2010年9月12日 (日) 15時53分

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