« ■六月の鎌倉に降る雨は。その3 -更新第524回- | トップページ | ■フツーに眠い »

2010年6月20日 (日)

■六月の鎌倉に降る雨は。その4・完結編 -更新第525回-

彼女のことをよく知りもしないくせに、室井滋のことがなんとなく嫌いです。
オイサンです。


サテ、開催から一週間も経ってからようやく完結を迎える
Twitterアマガミクラスタ鎌倉オフレポート、最終回となる第4回。


今回、中盤以降ワリと重たい……というか面倒くさい話をしますけど、
それもそんないい加減な気持ちでモノを言うオッサンの戯言だと思って
ユルい気持ちで聞いて戴けると幸いでございますよ。

前回までの記事はこちら。

  ▼第一回 ……プロローグ
   http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/-5201--9cc0.html

  ▼第二回 ……本編その一
   http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/2-523--ad76.html

  ▼第三回 ……本編その二
   http://ikas2nd.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/3-524--6cbc.html




■前回までの あやつじ あらすじ



サテ前回は、北鎌倉の駅から鎌倉の駅前までやってきてお昼ごはんを戴き、
江ノ電に乗ろうと思ったら人が溢れていて乗れず、
佐助方面を回って長谷の大仏へ向かう途中で謎の甘味処に吸い込まれ、
謎の異次元空間・アズキ=クズキリ時空に放り出されるところまででした(本当)。

それでは引き続き、オッサン三人の足取りを追ってみましょう。



■長谷・高徳院~極楽寺・成就院~そして……



ここから鎌倉大仏さんのおられる長谷の高徳院までは十分程度だったでしょうか。
話す話題は、
「twitter上で、誰をどんなタイミングでフォローしたっけなあ?」
みたいなコトだったと思います。
フォローした瞬間が印象に残っている相手、
なんとなくフォローして、あまり憶えていない相手。

  まあそれは、相手の人によるのではなくて、
  周囲の状況の方が大きくものをいうのだと思いますけど。

あの人とはこうだった、この人はどうだっけ?
みたいな話。
具体的なことは思い出しがたい類の話題ですけども、こういうのは楽しい。

これはオイサンの感触ですけれども、
よっぽど印象が強くないと後者で終わるのですが、
なんとな~くフォローした人の方が、上手に、というとおかしいけれども
タイムラインの上に馴染んで、溶け込んでそこにいるなあ、という感覚があります。

個人的には、ちびパパさんがオイサンをフォローしてくれたときのことを
憶えていてくれて、それを話して下さったのが嬉しかったです。

 ▼デ大仏。

到着するも、結局見ず。
ちびパパさんとオイサンはご近所ですからどうでもいいとして、
先輩さんのご意見、
「目の前まで来て見ない、という体験がおいしい」
みたいなことだったのでそれに従います。

ラスボス手前でRPG投げ出すのと同じなんだろうなきっと。
ああ、せっかくん! ……みたいな。

それでは踵を返し、海の方まで出てから極楽寺方面へと歩いていきます。
次の目的地は成就院。
先週はアジサイがまだまだでしたけど、
ボチボチ開いてるといいなあ。

 ▼由比ガ浜

ここで先輩さんが、
「海が見たい」
失恋喰らった昭和生まれのバカなOLみたいな事を言い出した(超偏見)ので、
ちょっと道を外れて海岸に出ることに。

先輩さん的には、ここでの海岸の風景と、このあと訪れる
七里ガ浜付近の海にはシビれるものがあったらしいです。

オイサンはやっていないのでわからないのですが、
彼の愛してやまない七咲の<スキBAD>での情景が、この情景……
荒れる波に、吹き荒ぶ風、そしてひと気の絶えた砂浜……に、
ぴったりくるのだそうです。
なるほど。

……。

そーだな。
オイサンもまた、正月の宗谷岬にでも詣でるとするか。
あの景色は、オイサンのルーツのひとつでもあるからなあ。
みたいな事をことを考える。

 ▼成就院

これは、先週の下見の段階でちびパパさんに教わったスポット。
坂の頂上にあるお寺で、由比ガ浜が見通せる絶景ポイントです。
すばらしい。
アジサイも先週よりもきれいに開いていて、ギリギリ見頃の入り口といった風情。
ここでは人があまりに多くて固まって移動できるような状況ではなかったので、
特に話題はありません。

 ▼サテ、これからどうしよう?

この時点で時刻は、確か16時半頃だったろうか。
このあとJR鎌倉まで電車で戻り、晩ゴハンを食べる手筈になっていたのですが、
お店の予約は18時半から。
時間を早めるにしても、店の開くのが18時からなので時間があまりすぐる。
サテどうしたものかと思案にくれていたところ、
ちびパパさんから「それなら、歩いて稲村ガ崎の海岸まで出てみよう」
というご提案を戴き一も二もなく飛びつきます。

  いいなあ、こういう雰囲気。
  とりあえずダラダラ歩く、みたいなの……北海道行ったときのオイサンの感覚だ。
  幸いにして先輩さんも歩くのが好きなので、
  男三人、鎌倉の山中をのったらのったら歩きます。

  あと、歩いていると頭が動いて、話は弾みこそせずとも回りますし、
  それにね、歩いてるときにした話の方が記憶に残り易い。

  それは多分、移り行く景色とシンクロして時間の経過とともに記憶されるために、
  一つ処に留まってする話よりも、思い出すときに
  「そういや、こういう景色のところでこんなコト言ったな」
  みたいなことになり易いのだと思います。
  ……というのが、オイサンの持論。
  あと、もっとこまめに写真を撮っておれば、
  その風景とあいまって思い出せることも多くなると思うんですけどね。
  しまったな、無駄でもいいから、もっとコマメにシャッター切っとくんだった。

  ですので、旅行記とかを書こうと思うときには、
  全然なんてことのない街中の風景とかでも、
  とりあえず無闇に、バッシャバッシャ撮っておくことをオススメします。
  観光地の画なんかはらんぼうな話、HPにでも行けば、
  自分の撮ったのより数倍美しいのが落ちてますが、
  町の商店街とか、駅の売店とか、観光地のそういうどうでもいい景色は
  行ってみないと見つかりませんので、是非。

……とか言いつつ、
この区間で何を話したかなんてあんまり憶えてないのですけどね(アカンがな)。
遠くに見える里山の風景に目を奪われたり、
鎌倉の地理についてのレクチャーを聞いたり。
リタイアしたらこんなとこに住みたいね、とか、
なんかそんなこと。
暮れ行く鎌倉の空に、ちょっと哀愁漂うオッサン三人、海の時間。
いい雰囲気だった。



■稲村ガ崎~七里ガ浜~そして鎌倉へ戻る



正直、ここから先はのんべんだらだら、詰まった話題は特にない五目トークです
(何言ってやがるここまで殆どそうじゃねえか)。

ウインドサーフィンに興じる方々を眺めつつ、
やたらと荒れる湘南らしからぬ波と風を浴びながら、
「そういえば……」
的な話がポロポロこぼれる、そんな時間。
なので、話題については巻末の面白トーク集の方をご参照下さい。

潮風を浴びて肌もメガネもベッタベタになりつつ
(そういやこの日は3人ともメガネだったな?)、
七咲の<スキBAD>的な風景の海岸を肴に七里ガ浜方面へと歩きます。

  うーむ。
  一人ならともかく、まさか誰かと一緒にこういう遊びをする日が来るとは
  ついぞ思わなかったな。
  嬉しい、うれしいぞ。

そうこうするうちに江ノ電・七里ガ浜の駅に着き、
アイスを食べ、群れ来る高校生に混じって電車に乗り、鎌倉へ戻ります。



■鎌倉駅~イケメンジェラート屋~企久太にて



晩ゴハンは、食べログで「鎌倉最強の酒亭」との呼び声も高い企久太さん。
オイサンはお酒は飲めませんが、
飲める方と一緒だとこういう普段は食べに入れない料理まで楽しめるので
ここぞとばかりに居酒屋チョイスですw

  居酒屋の料理って、美味しいところはホント美味しいんだもん。
  大好き。
  居酒屋が昼にやってるランチとかたまらんですバイね。

  あと、この日のご両名が、各位のブログにてオイサンのお店のチョイスを
  いたく褒めて下さってますが、
  ホントただただ、食べログさんから探しただけですからね?
  なんもしてないよ。
  「あ、ここ美味しそ」って思ったとこだけだよ。

ちなみに企久太に辿り着く前に、
先輩さんが近くのイタリアンなジェラート屋さんにとっ捕まります。


  ▼ジェラテリア・イル・ブリガンテ
  http://r.tabelog.com/kanagawa/A1404/A140402/14011873/


なんか有名なお店みたいですね。
行列してましたし、雰囲気的にオイサン一人だったら
確実にスルーしているところですが……いや、美味しいわ。
濃厚でどっしりしている。
シェフのイタリア人がイケメン過ぎて若干イラッとしますが(我侭)、
さすが、先輩さんの旨い物センサーは確かです。
侮れねえ。


  ▼企久太
  http://r.tabelog.com/kanagawa/A1404/A140402/14004243/


さて、いよいよ本日最後のスポット。
座敷に上がって、18時半から22時半まで、4時間のロングランです。
……イヤ、オイサンの目論見では、
マ21時くらいには上がるかな、と勝手に思っていたのですが。
思いのほか。

とはいうものの!

ここでも話題を覚えてるかといわれたら、
全然体系づいてないので、きっちりした流れは思い出せません!
大体がして、『アマガミ』やSS書きに関する話題もとりあえず、
日々の暮らしのこと
--オシゴトの話、
   若い人とのギャップの話、
   夫婦生活の話w、
   人間関係の話--
なんかも多く、なかなかね。
それぞれが細い糸で、繋がっていないように見えて繋がっていたりするから、
断片的に語ることは難しいのですけども。



ただ一点、オイサンにお話出来ることがあるとすると--。



■大神と更新料



 「どうしてあなた方が、その心配をするんです?」



……今回の会合中、
オイサンが投げた言葉の中で一番強かったものは、
多分これだったとオイサンは思います。
少なくとも、唯一投げる瞬間に一呼吸置いて、一つケツイをしてから投げた言葉。

どんな流れだったか……それは思い出せないんですけど、
話題の内容は覚えています。

  『アマガミ』はその内容に定まらなさから
  ユーザーの拡大や取り込みに失敗していて、
  アニメが始まってもこれ以上広がるかどうか微妙なところだ、
  恐らくは増えないだろう。
  売り方を失敗した、アピールの仕方を間違えたんではないだろうか。
  次があるだろうか。
  心配だ。

細かいニュアンスは憶えていませんが、
オイサンがこの質問を投げたということは、
内容はそんなものだったハズです。

オイサンは思うのです。
その「心配」、
ユーザが口にするその「不安」は僭越なのではないか。
ユーザが口にして良いことではないのではないだろうか。

マ別に言う分には何だっていいんですけど、
なんでそんな心配まで、ユーザーである我々が……この人たちがするのかな?
そんなことを、今まで、ワリとずーっと、思ってきたのです。

お二方から返ってきた答えは、次のようなもので……

  自分たちが好きだった作品が消えることで、
  作品そのものや、作品を好きだった自分たち自身や、その気持ちが
  「その程度だった」と突きつけられるされること、
  あるいは、そこに注いだ時間や心血、作り上げたもの
  ……画だったり、文章だったり……が拠り所を失うこと、
  ひいては、自分も含め、そこに集まった人たちとの繋がり、
  コミュニティが失われるのではないか。
  そんなことが怖くて、不安で、心配なのだ。

……オイサンは、ちょっとホッとしました。
その「心配」が、畢竟、自分たちに向けられたもの……
「自分たちを心配するもの」であったことに対して、安心したのでした。

       ・
       ・
       ・

オイサンは、上のような「心配」が語られるとき、
ある違和感に苛まれます。
それはその「心配」が、上記のような回答ではなく、
作り手や、作品そのものに向けられる時に起こります。

  というか、今回のように一歩突っ込まないと、
  作り手や作品そのものに向けられているように
  オイサンには聞こえてしまいます。
  皆さんはどうでしょうかね。

また個人的には、ある作品の「ビジネス的な成否」をユーザが語ることについても、
正直なところ、違和感を覚えざるを得ません。
それは作り手だけが語れる・語るべきことであって、
ユーザーがおいそれと口を挟むことではないと考えています。

この二つの違和感は密接に関わってきます。

        ▼

ある創作物……ここではテレビゲームに絞った話になりますが……
物語を持つゲームソフトの成否を語る上で、論ずるべき軸が三つあると、
オイサンは考えています。

一つは、1)商品としての、ビジネス的な成否。
二つ目に、2)作品としての、表現物としての成否。
そして最後に、3)ユーザーからみた、作品の良し悪し。
この三点です。

1)の評価軸は……マお金ですよね。ナンボ稼げたか。
そしてちょっと視野を広げると、支持者、
すなわちユーザーをどのくらい集めることが出来たか。
2)の軸は……これは主観的なものにならざるを得ませんが、
作り手自らが、表現しようとしたことをどのくらい描き切れ、
かつユーザーに届けることが出来たか、その感触の度合いと考えています。

ここまで書いた、1)と2)は作り手目線の評価軸です。
最後の3)はユーザー目線のハナシで、
ぶっちゃけて言えば「どのくらい満足して遊べたか」というお話。
また、1)と2)は必ずしも同調するものではありません。

オイサンは上で「違和感を感じる」と書きましたが、その違和感の正体は、
「ユーザーが、1)や2)について、
 すなわち作り手の目線と情報からでなければ
 本来論ずることが出来るはずのない軸について評価を下そうとしている」
ということから生ずるものです。

  3)についてはね。
  ユーザーがする分には、モチロン何の問題もないし、ガンガンやるべきだと思います  よ。
  ここをもっと、ああせえこうせえと言う方が、
  もし次の機会が作り手にあるならば、より良いものがリリースされるでしょう。

物語含みのゲームソフトなんてものは(物語をふくまなくてもですけど)、
商品であると同時に表現物の面も持つものですから、
ただただ利益を上げる、ユーザーの数だけ増やせば良いって物でもない。

  ……イヤ、モノによってはユーザー数の最大化だけが目的の物も、
  勿論あるでしょうけど。

制作者が描き出したいコト・届けたいコトを届けずに、
ただ利益だけを追い求めるばかりでは、意味をなさない場合があります。
作り手の見込む必要な利益をたたき出しつつ、
彼ら自身の届けたい想いをどれだけこめることが出来るかという、
エゴと客観性のせめぎあいがそこにあるものだと、オイサンは思っています。

それはやっぱり、作った人間……
そのプロジェクトを立ち上げ、支えた人間にしか量れないものだと思うのです。
それに対して、外からモノを言うべきではない。

  言っても良いのだろうけども、言い方には慎重になる必要がありましょう。

  ああ、またついでに、表現者としての、個人としての制作者の前には
  会社とか組織とかそういうものが先に立ちふさがりますが、
  そこはクリアした前提でお話ししてますので念のため。
  もちろん、底もそんなに単純化出来る話ではないと思いますが、
  オイサンもプロではない身でこんなことを書いていますので、
  マその辺りはユルく聞いて下さい。

たとえ、その作品の内容そものがユーザーを突き放し、
幾らかを蔑ろにするものであったとしても、
その性質を理解するのならば、
作り手がそれを以って自分たちの利益を確保出来ると判断し、
かつ表したいことを表せる・その線に踏み込んででも表したいと考えたのなら、
受け手がそこに対して行き過ぎた評価をするべきじゃないんじゃないだろうかと、
思っています。

表現の内容によって利益やユーザーが減ること、
それすなわち「失敗」ではないということです。
どれだけのユーザーを取り込み、流出を許容しつつ、描きたいことを描くか、
その相克に成功があると思うのです。

  そこには彼らなりの、表現と利益のバランス感覚がある。
  その分岐線の見えない位置から何かを言って……
  マ的を射ることもあるだろうし、彼らにとって有益な情報もあるかも知れませんが……
  それは基本、プロの彼らにとって、ノイズにしかなり得ないんじゃないかと、
  オイサンは思うのです。

そりゃユーザーはね。
不安になることもあるとは思うのです。
オイサンもユーザーだから、そう思う。
「こんなキッツイ話書いて大丈夫なのか」とか、
「こんなに売れてなくて大丈夫なのか」とか。

でもねー。
彼らはホラ、プロなんですよ。
良しにつけ、悪しきにつけ。
責任の取り方を知っている。
「大丈夫じゃなかったら」、どうなるか。
彼らが食えなくなる。
それだけです。

逆を言えば彼らは、自身が食えなくなっても良いと判断するならば
(ちなみにこれは周囲への影響も含めた「食えない」なので、
その辺は各位で補完よろしくです)、
我々ユーザーに背を向けたって構わないはずだと。

無論それをしないからこそのプロなのだけど、
求めるリターンの量によっては、我々に100%答える義務はおろか、
その必要もないのだということを……
彼らがプロとして、その現実をシビアに受け止めているように、
我々受け手も、もっとシビアに考えるべきではないのかと思うのです。

  我々がいつでも彼らを見放せるように、
  我々受け手だって、いつでも彼らに切られうる。

内容について、文句を言うなといっているのではありません。
それは3)の要素として大いに出していけば良い。
ただ、それと1)や2)の内容を関連付けることは、
やはり僭越にあたると考えているのです。
「こんな内容だと売れないから」
「お客を逃がす、裏切ることになるから」、
失敗だと、
ダメなのだと、
そこを成否に繋げて論ずることには、やはりどこかズレを感じる。

        ▼

ここで、話を違和感のことに戻します。
「心配」が、作り手や作品そのもののあり方に及ぶことへの違和感。

  「作り手に次がないんじゃないか、不安だ」
  「このシリーズが先細りにならないか、心配だ」

……この言いようは、なんか気持ち悪いんです、オイサンには。
そこで今回、似た話の流れになったので、
お二方からその気持ちの悪さを引き出してみようと、
ホントに真ッ正面からその疑問をぶつけてみて、帰ってきたのが先のお答えでした。

その答えはすごくオイサンの腑に落ちました。
ああ、良かった、それならわかるし、何の罪もないと。
その答えが、自分たちの身や、居場所や、活動ににかかわるもの、
つまりはエゴとして将来のわが身を案じる、至極全うな感覚だとわかり。
安心しました。

それではそうではない場合、すなわち本当に作り手や作品に
その気持ちが向けられていた場合ははどうなのか。

本来、自分たちが与り知るはずのないビジネスの成否の行方、
それを考えようとする姿勢の影に現れてくる意識に見え隠れする一種の善意に、
オイサンはナンだか、「ぞわっ」っとしたものを感じるのです。

        ▼

オイサンはサッカーには詳しくありませんが、
サッカーチームには、過激なサポーターさんがおられる場合があると聞きます。

  監督がダメだ、やり方が間違っている、替えろ。
  フロントがだめだ、おかしい、やめちまえ。
  何やってんだ、負け通しじゃないか、やる気があるのか。
  お前たちだけのチームじゃないんだ。
  俺たちも戦ってんだ。

……Web上に見受けられるファンの方のページとか、
道端で聞こえてくる雑談などからも聞くことのあるそうした論調、
そんな言い分と同じ違和感が、その「心配」の影に潜んでいると
オイサンは感じていたんです。

  俺たちはチームを応援している。
  時間を使って、労力も費やして、お金も払ってる。

  愛している。

  だから、強い言葉も使ってしまうし、
  チームが俺たちに応えて頑張るのは当たり前のことで、
  それを勝利という結果として、チームが出すのは当然だ。

……実際のところ、そういう方々がどこまでのメンタリティでやっているかは
オイサンには量りかねるところもありますが、
外見えにはそう言っている様に見える。

サッカーは勝負事ですから、
チームが勝つために頑張ることは当たり前なんですけれども、
果たして「サポーターに応えること」が当たり前なのかといわれたら、
  ……マ人間ですから、
  応援されたらその分ガンバローというのも当然の心理だとして、
  それを差っぴいても……
「応援する側が、応援される側に応えてもらえることを『当たり前』と考えること」、
それは違うんじゃないかなー、というのがオイサンの感覚なのでした。

  俺たちは「愛して」いる。
  「考えて」いる。
  「想って」いる。
  「だから」それに応えなさい。

いや、そんなリクツは通らないだろう、という話です。

こういう場合、人は、愛に、愛で応えなければならないという道理は
無いと思うんですよね。
それは多分、フォローにフォローで応える義務が無いのと同じで。
応えられることがベストの関係であることに異論はありません。
応援は善意で、心配も善意でしょう。多分。
善意に善意で報いられて、世の中は理想的に平和に温和に回るでしょう。

  けれどそこには、上で書いたようなビジネスとしての側面と、
  制作者・創作者としてのエゴと、
  それを受け止めようとする受け手のエゴがあるわけで。

  その受け手としてのエゴを、どう飼い慣らしていきましょうか我々?
  ……というお話、だと思ってください。

本来、自分たちが考えなくても良いようなことまで考えている、
沢山のものや気持ちを費やしている、
だから、そのモノ・創作物は俺たちのものでもある、
俺たちのものでもあるものを、作り手の勝手にして良いわけがない、
俺たちの声を反映させないでどうする……。

自分たちの気持ちが善意だから、愛だから、ということを盾にとって、
お前たち作り手も応えなさいよと迫ること、
応えられることを当然だと考えてしまうことには、危険性を感じます。

  だから我々受け手は、
  今、自分たちから発せられる言葉の根っこにある気持ちが、
  誰に向けられたもので、最後にどんな姿になって相手に届くのかということを、
  しっかり考えていかないといかんなあと思うのでした。

  愛であることを盾にして、
  違う何かを正当化しようとしてやしないかということを、
  今一度自分の中で立ち返って考え直してみることも
  たまには必要なんじゃないかと思う次第です。

        ▼

幸いにして……というか、さすがのお二人は、
オイサンの考えるごとき憂いは一足飛びに飛び越して、

「そらお前、俺らの遊び場がなくなるからだよ今更何言ってんだデブ
 アタマ悪ィなキメェんだよあとドクターペッパー買って来い」

と、バッサリ自分たちのエゴであることを詳らかにして下さった(一部誇張あり)ので、
オイサンはそれにはいたく感心し、安心も出来たのです。

が、そこにもやはり落ちる影は落ちていて、
今度はその心配の動機が自分たちのエゴだからこそ、
自分たちの希望や願いが報われない、
それに制作者が必ずしも応えないことだって、
常に覚悟しておく必要があると思っています。

  そしてそうなったときには、残念がりこそすれ、
  作り手に対して負の感情を撒き散らすことは完全なるお門違いです。

確かにまあ、作り手は一度ステキな遊び場を提供してくれて、
それを今度はアチラの都合で取り上げるとなれば
遊び場を取り上げられる方は穏やかではおられませんが、
それをやはり、
気持ちや支払った対価を理由に、維持し続けることを迫るのはまた僭越で、
彼らにもそれをする、義務や責務や必要はないと、
オイサンは思うんですね。

 ギムとかセキニンとかって言葉を使うのは
 馬鹿馬鹿しいと思うんですが、ちょっと他に、伝わる言葉が見つからない。

対価という意味で言えば、
我々の支払うのはあくまで今ある場所の使用料なわけで、
その先の分や維持費までは払ってはいないでしょう。
作り手がその先をどうするか、どう考えるか、
ユーザに答えるのか、背中を向けるのか、
背中を向けたように見せて、「ついて来い」と言外に語るのか。
それはもう、彼らの自由。

リエキという余剰は支払っているから、
我々から得た利益は我々に向けてこそ還元されるべき、
というのも一つの考え方です。
ありだと思います。

ただマこれはオイサンの考え方の話なのでね。
オイサンは、そこは
「これ」だけ楽しい夢を見させてくれる方々には、
まずはご褒美・御礼としてのリエキを含めて「これ」に対する対価をキチンと支払い、
その先は、彼らのその才能を、向けたい方向へ向けてもらいたいと思います。
モチロン、その矛先が自分たちに向くことを期待し、求めないではないです。
だから「次回も期待しています!」とは言います。
大声で言います。

  毎回、
  「今回これだけ楽しませてくれた、先ずはそれだけで十分だ」
  と思う。

でもそれと同じくらい、
次もやりたいことを、自由に楽しんで下さい、と言いたい。
同じかそれ以上の熱量をもって臨めるお仕事に取り組んで下さいと。

それはもうオイサンの、テレビゲームなんていう
海のものとも山のものとも知れない創作商品に挑み続ける、
ゲームクリエイターと呼ばれる方々への敬意のあり方であり、
テレビゲームを評する時のやり方です。

        ▼

やっぱね、ぶった切られることはあるんです。
ビジネスとしてなのか、作り手の意図とソリがあわないからなのか
それはわかりませんが。

  この遊びも長いことやっていると、
  ひいきのシリーズが先細りになったり、そもそも一発目でダメになったり、
  なんなら権利関係でモメて、作品そのものがお蔵入りになったりね。
  オイサンもワリとそういう憂き目は見てきた人です。

けど、だからといって、そのことについて、
「作品の出来栄え」という意味合い以上の意図をもって作り手に文句を言ったり、
恨み言を並べるのは、やはり間違っていると、オイサンは思う。

作品はどこまで行っても彼ら、作り上げた制作者の物であって、
我々受け手はそこに間借りして遊んでいるに過ぎない、というのが
オイサンの意識の根っこにあります。
彼らの意志や選択を、その真意を知らずに阻害することがあってはいけないと
思うのです。

  何故なら、我々は、彼らの糧や命までは保証して上げられないから。

作ったものが売れなかったら、
彼らは自分たちの暮らしや、命や、そういうもので責任を取ることになる。
それで十分で、
だから、自分たちの選択・考え・挑戦、そんなものにしたがって、
作りたいものを作りたい計算で作ればいいと、やっぱり思う、どこまでいっても思う。
我々に背を向けてでも。

我々は、本当に自分たちの場が欲しい、守りたいのであれば、
それは自分で作るべきだ、ゼロから。
最後の最後のセンは人に頼ることじゃないと思うのです。

今はただ、幸運にもそれに見合ったものを拵えてくれた人たちがいた、
彼らの拵えたものが自分たちの場として適していた、
ただそれだけなのだという覚悟を、心のどこかに秘めておく必要があると、
このように考えるのです。

「彼ら(の作るもの)から、自分たちは切り捨てられるのではないか」
という心配、恐れ、寂しさ。
それは、わかります。
存分に怯えればいいと思います。
そして根本から解決するためにどうすればいいかというと、
それはもう自分で作るしかないんですよね。

自分たちが心血を注いできたもの、
それは絵だったり、文章だったりするのだろうけど、
その根っこが失われるのが怖い、心配だ、悲しい。
それでもやっぱり……
自分たちはその大きな幹と木陰によって立ってきただけで、
果たして自分たちが本当の意味で、それを守ったり、育てたり、しているのだろうか?
と言われると、オイサン的には「?」であるわけです。

  「それはお前がその程度の関わり方しかしてないからだろう」
  と突っ込まれれば、反論出来るだけの矜持は持ち合わせていませんがね。
  へっへっへ。



……。



……とまあ、これは受け手の立ち位置から作り手さんをみたときの、
オイサンの気持ち。
これでもしオイサンが作り手に回ったら、
また何か違う見え方・考え方になると思います。
きっと同じではおられんだろーな、とは思います。

  だって、SS書きの自分としては、読んで下さる方のことは、
  どうあっても出来る限り、大事にしたいと思いますからね。
  書いてるものがタダである分、
  読む側はいつでも惜しみなく捨てることが出来るわけで、
  なればこそ、サービスは旺盛にやっていかないとならんなあ、と思うもの。

  だからといって根っこにあるものを曲げようとは思いませんけど。
  そもそも何が自分の根っこなのかはわかってませんけど。

今オイサンの言っていることが、
冷たいのか温かいのか、ドライなのか湿っているのか。

マ自分では、それなりの温かみと、湿り気を帯びたものであるつもりではおりますが、
受け取り様によっては冷たいなー、ドライ過ぎるなー、
偏ったこと考えてるなーと思われるだろうなーとわからないではないですし、
人様のことをセンエツ僭越といいながら、
もしかすると自分の方が、螺旋階段をもう一回り上がって
より僭越な目線になってる感もあるなと思ったりもするのですが。

オイサン自身の感情が一番腰の据わる考え方、
ものの言い方がこうだったので、
とりあえず「そう思ってみました」。

うん。
なんかね。
これだけ面白いものを作ってくれた人たちだから、
彼らがやめたいと思ったときとか、違うことしたいなーと思ったときに、
スッとそっちにいければいいなー、
そういう位置にオイサンは立ってたいなーと思うんですよね。
彼らの邪魔にならないような場所に。

やめて欲しいとは決して思わないし、
彼らの作るものにはやはり期待もするのだけど。
だからこそ、「次も彼らでいて欲しい」
と、そんな感じ。

そんで……イザその時には、自分の場所は自分でつくらないとね、
と、そんな風に思うわけです。
オトナなんだから、俺は。

この話には、自分たちが築き上げてきた「コミュニティ」というものの存在が
少なからず占める部分があるので、
ギャルゲーの道、テレビゲームオタクの道に入ってから20猶余年、
ほぼずーっと一人でやってきたオイサンには、分からない感覚があることは確か。
でも今こうして、いくらかの人たちとつながりを持ってみても、
その感じは共有できない。





……。





えー、えらく重たくなっちゃいましたけど。
今回別にこの話を絶対しよう、と思っていたわけではないのですが、
前々から不思議に思いながら考えていたことでして、
流れでちょうどそんな話も出たので、お二人の気持ちを聞いてみました。

それでなんか、ちょっとホッとした。

その場の流れでは、上で書いたようなオイサンの意見は出番がなかったのですが、
いい機会なので書いておきました。

マこの話、あんまり突っ込みすぎると
「人や組織は、社会的役割をどうやって果たしていくのか」
みたいな話まで発展するので、こんなミクロな視点でばかり喋ってても
解決はしないんですけどね。

「ガタガタいわずに、高山先生の遊びに付き合ってあげようず!」
って、
フロシキを広げてエラそうに言ってみたら
なんか聞いてもらえるんじゃないかなーみたいなことでした!

おk、身も蓋もない。



■Message from 2-Dimension World



あと、もう一つ。
こっちも重たい話題ではあるのですが、これはもうサラッと。

企久太でのお食事の終盤、
……皆さん、お忘れでないですね。
  これは鎌倉オフのレポートですよ……
のぼった話題は、(二次)創作に、何を乗せるのか。こめるのか。
そしてどう受け止め、反応するのか?
そんなお話です。……でした。

マ基本的に(二次)創作の作品なんてものは、
自ら望んで創り、望んで第三者に対して公開するものです。
特にWebが一般的になってから、その敷居はガクンと下がりました。

その作品をどう受け止めるか、
さらには受け止めたことに対して作り手にどういう反応を返すのか、
ということは、基本的に受け手の自由であって、
……アレですよ、最低限の礼儀と倫理観は、当然必要ですよ?……
またそれと同じくらい、作り手が何をこめるかも作り手の自由です。

この世界において作り手と受け手はそんな関係なわけですから……
お互いに、何を慮り、慮らないのかは自由ですけれども。

基本的にはね。
プロの作家さんが書いたものを世に出した、
それと同じ覚悟を持って出す方は出し、
受ける方は受けてリアクションをすればいい、そう思うのですが。

ただ、そんな関係だからこそ、
プロの作り手と受け手の関係ではあり得ないやり取りがあってもいいんじゃないか、
もしもそこに込められた、何かのメッセージに気づくことが出来たのなら、
それに対しては「作品と受け手」という枠を超えて、
より以上のやさしさや思いやりをもって、
接してあげることがあっても良いのではないかと、
そんな風に思うのでした。

  あ、ついでに言っとくと、オイサンの書くものには、
  少なくとも今のところ、そんな面倒くさいものはこもってないですからね。
  面白いものは面白ェ、つまらないものはつまんねえと、
  シビアに判定して下さって、なんら問題ねえです。

ただ、世に出回っている素人さんによる作品の中には、
作品である以前に、何かお手紙然とした思いのこもってしまうものも多々あります。

面白いものを作るとか、人を楽しませるとか、作品への愛を表明するとか、
それ以外の、パーソナルで、限定的な気持ちが隠されることが、多々ある。

  いわゆる私小説の、さらにベースにその作者個人の事情が滲み出す場合。

確信的にその影に気付くことが出来るのであれば、
それなりの触れ合い方があっても罰は当たらんと思うのですよ。

作品と、それを作った人と、それを受け取った人、
それよりももっとプリミティブな関係の糸を通じて、
汲み取りあい、労わり合うことがあってもいいんじゃないかナーとね。
思った次第ですよ。ええ。

……それを作った人が、そういう扱いをされることを望むか望まないか、
そんな匙加減もあるので一筋縄ではありませんがね。
「創る人」である以上は、それなりにプライドもある筈ですからね。

マ難しいお話でございますよ。
ナマンダブナマンダブ。



■ソエン(違



……やー。
なんか、すみませんね。
アホアホ鎌倉レポートがラストで一転、重たい話にばかり向いてしまって。

ですけど、そういう気配の漂う一幕もある、
そんなオッサン三人の、愉快で、たまにシビアで、そしてちょっぴり切ない、
そんな集まりだったんですよ、ってことが伝われば良いと思います。


結局、企久太では先輩さんがしこたま酔っ払い、
しかもこのオッサン宿を決めてきてないもんだから、
「とりあえず横浜にでも出て宿を見つけろ」
と放り出したのですが、
あんまり酔っ払いの扱いに慣れていないオイサンは、
大丈夫なのかとちょっとドキドキしてました。

ちびパパさんがいなかったら、横浜辺りまでは付き添っていたかも知れん。
アブナイアブナイ。

そうしてJR横須賀線に乗って大船まで行き、
そこからは三々五々、自分のねぐらへと分かれてかえったワケです。

電車の中から、各々、タイムラインを眺めてね。
別れたばかりなのに、お礼のDMを送ったりしながらね。
パトやん腹下してねえかな、とかワクワクしながらね( ← タチ悪)。

いやあ、楽しい一日でありました。
就職して、関東に出てきてからこっち12年余り、
フツーの休日に、誰か人と遊んだ日なんて片手で足りてたオイサン(リアルに本当)に、
こんな日が訪れるとは夢のよう、
そんな一日でしたとさ。



■恒例! 面白発言集 ~Closing



サテそれでは最後は華々しく、アホっぽく締めましょう。

オイサンのオフレポ恒例、面白発言集でお別れです。
時系列、内容、発言者は誰なのか?
一切の考慮もとりとめもなく。
結構、タイムラインの噂話をしてましたねー。

それでは各位、考え過ぎず、傷つかない程度にどうぞ。

 ↓↓↓↓↓  ↓↓↓↓↓  ↓↓↓↓↓





「しかしその、『30歳からの中二病』という病巣の根深さはねー、
 いかんともしがたい!」
「そのタイトルはNHK教育の番組みたいですね」



「多分ね、今そうなったとしても……説教しかすることがなくなる
「www」



「こんな風にして線路なんかを撮ってると、彼辺りは怒るんだろうな」

舌打ちされそう」

「されそうw」



「物怖じしないで、そういうところに飛び込めるところからして
 すごいよね」
「頭いいよねえ」



「今現在のタイムラインは……8割がしゅう君とダグラス君です」
「ああ、いつも通り」
「平和だね」

「つまり、どうでもいいw」

どうでもいいw」

「しかしアレだな。それはこのオッサン二人が、
 休みでもどれだけしゃべってるかってことだね」
「ウム。これだけTLが平和です」



二見さんアイコンの人をはべらせてオフしたい



「ココに来る途中で、高そうな外車がアホみたいな音量で、
 アホみたいな音楽をダダ流しにしてたじゃないですか」
「うん」
「しらすさんなんかは怒ると思うんですけど、ああいうのが」
「そうね」
「うん、湘南



「TL見ていて感心するのが、こまめに料理をする人が多いよね」



「オッサン三人がスキBAD的な海岸をぶらついた挙句に
 なんとなく『男泣き』の流れる感じ
 『アマガミ』オフっぽいというかね」



「この辺りは、懸念としては豪雨ですか渇水ですか」
「豪雨です」
「なるほどぉ。……私も、豪雨とか来たら駆り出されるんでしょう」



「アイスの写真を撮りたいんだそうですよ。三本突き合わせて」

「それはなんでしょう、桃園の誓い的な?」
「そんな大層なw?」



「高校時代のクラス委員が、まさに絢辻さんそのもので」
「おお」
「僕はその手伝いをしていたんだけど」
「おおおお」

「彼女は弓道部でね」
「おおおおおおおお!」
「文化祭のときとか、部の方の出し物の準備をした格好で教室まで来て、
 自分の仕事を片付けて去っていくという……すごい人だった」
「(悶絶)」



「そうなるともう、僕は業務上過失致死罪なんです」



屁キャラは失敗だった……」
「こっちでは『ぼんさんが屁をこいた』とは言わないからねえ」
「そんな真正面から、
 フツーに『ああ、オナラしてから寝るんだな』って思われるなんて
 思ってなかったんですもん!」



「一回目はね、『心配』なんだよ。母性」「おお~」



「アナタは家に帰ると全裸なう全裸なう言うけども」
「はい」
「ゴハン食べるときも全裸なの?」
「食事をとるから、という理由で改めて服を着るということはしませんね」
「よく分かった」

  ※この数日後、タイムライン上に
   「陰毛の上に落とした米粒を食おうかどうか迷っている」
   というあられもないpostが投下されることになります。




「人気者だねえ」「好感度が高い」



「そろそろ父の日の買い物をしないとならない」
「ほう、何を?」
「帆布の鞄が欲しいらしいのだけど」
「なるほど」
「マいざってときには、娘が選んだことにすりゃあ、ワリと何でも喜ぶんで」

力技www」



「タイムラインの主要メンバを並べて、Excelで関係Mapを作ってみたんですよ。
 最終的に完成は諦めたんですけど、並べただけだと」
「うん」

ド真ん中にパト君が来た

来そうwww



「そういうときはね、娘が何故か、朝からポニーテールなんですよ!」
「おああ、『人にものを頼むときは』的な!」




「けどあんた、しょっちゅうラーメン食ってるよな。
 『また今日もラーメンだ!』って、わりと思う」



「しかし、ここに家を買うなんていうのは」
「なかなかねえ。住みたいとは、ちょっと」
「俗っぽいというか」
「あの、高いところに建てた家なんかは……すごいね」
「ポンと入った大金で買うものでしょうね。ちまちま貯めた金では、ちょっと……」
「お、こんなところに西田幾多郎の歌碑が!」

「ここに住んだか! おおおお、幾多郎。案外俗だなあ」



「先輩さん、結構、波打ち際まで攻めてますね」
「攻めてるねえ」

でかいの来いw!」

「来いっww!」

荒れ狂えwwww!!」



「一口飲んで、『辛い』って言って欲しいなあ……」



ダンデライオンの隣に魚三っていう、この感じが」

湘南



「(携帯でタイムラインを眺めて)
 パト君がアイスを求めている。そしえダグラス君が『爽』を食ってる」
どうでもいいなあ」
どうでもいいw」

「デまた、夜ンなってパト君が『おなかいたい』とか言いだしてね」
「言いそうwwww!」

どうでもいいw」


どうでもいいwww!

「パト君ていうのはそんなになの?」

「あのマスコット感は!」

「たまらんです」
「オススメです。華がある。あの華はすごい」





以上!

わざわざ名古屋からいらして下さった第4先輩さん、
二週に渡って、アホほど歩きまわるオイサンに付き合って下さったちびすけ父さんさん、
Twitterのタイムライン、『アマガミ』クラスタの諸氏、
そしてここまで読んで下さった皆さん!


次は、きみの町に行くかも知れない……!!
ワリと本当に行くかもしれない……!
でも行かないかも知れない……。


各々方々、お疲れ様でございました!


お二人と別れ、最寄り駅まで帰ってきたときに、
最後にひとりでとんこつラーメン食ったオイサンでした。
ひさしぶりのラーメンだった。
おいしかったー。









 

|

« ■六月の鎌倉に降る雨は。その3 -更新第524回- | トップページ | ■フツーに眠い »

[創作 SS]」カテゴリの記事

[日記]」カテゴリの記事

アマガミ」カテゴリの記事

ゲーム」カテゴリの記事

創作」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

■第4先輩さん
> 酒はもう少し呑みたかった
> 吐きそびれた

まだ呑む気だったのか……。
ベロベロとは言わないけれども、結構雰囲気変えてましたよね。
はかないと満足しきれないもの?
気持ち悪いからすっきりしたいだけか。

オイサン下戸でごめんなさいね。

> アマガミと過ごしながら変わっていく自分が楽しい
>
> アマガミSSと向き合うことで、自分がどう変われるのかが楽しみですよ

左様で。変わってるんですか。
以前を知らないから分かりませんが……その変化が、
ご自分にとって良いものだといいですね。

オイサンも変わってはいるのですが、
その変わり具合がちょっとしんどいなーと思い始めています。
カラダもココロも、ちゃんとついてきていない。
もうチョイ、自分の芯をしっかりしないとと思ってます。

なりたい感じに近づける気がしない。
この変化に耐性がつけば、上手く制御してなりたい方へと導くことも出来るのかな、
と考えてはいますが……今は、やっぱりちょっとしんどいですねえ。

> 追記
> >出発点が「自分が本当に読みたいところを追求した、読みたいスタイルのものが無い、だから書こう」
>
> これについては同感です
> 色々言葉で飾りながら、最後に残る動機かも
>
> 結局僕ら、骨の髄まで「消費者」なんですよねー

どうなのでしょうね。
オイサンの場合は『アマガミ』のSSを書くことは、
目的でありつつ練習でもあるので、
『アマガミ』やら、絢辻さんを食い潰してオシマイにはしたくないなあと思います。
まあ、食い潰すこと自体にかわりはないので消費者であることは間違いないのですけど。
そもそも「キャラクターを食いつぶさない」ってどうやればいいんだ?

それが商品化されているかどうかという問題だけで、
何をモチーフにして何を生み出すのか、という意味においては
みんな消費者なのではないかなという気はいたしますが。

でも先輩さんなんかはたくさんのフォロワーを生み出しているわけで、
そこからまた違う領域への枝が広がっているのなら、
やっぱり消費者でありながら立派な生産者でもあるのかなあと思って
拝見しておりますよ。

立派ではないかも知れませんが、純然たるゼロからの生産者が、
今の世の中どんだけいるかってアレですけどね。

投稿: ikas2nd | 2010年7月14日 (水) 01時43分

追記
>出発点が「自分が本当に読みたいところを追求した、読みたいスタイルのものが無い、だから書こう」

これについては同感です
色々言葉で飾りながら、最後に残る動機かも

結局僕ら、骨の髄まで「消費者」なんですよねー

投稿: 第4先輩 | 2010年6月22日 (火) 22時40分

酒はもう少し呑みたかった
吐きそびれた

>……でも今回、その「疎外」だったはずの途切れた糸が、なんかイッチバンぶっといところに繋がってしまって、ちょっとやりにくさを感じ始めてるんじゃござんせん?もう気にしてないか。

一番太いのに繋がりましたね。
それを否定するほど子供ではないです。
でも、まあ、気にするようなものでもないでしょう。他人様の騒ぎが見えなくなってきた
ちょっと前まではあんなに気にしてきたのに

アマガミと過ごしながら変わっていく自分が楽しい

アマガミSSと向き合うことで、自分がどう変われるのかが楽しみですよ

投稿: 第4先輩 | 2010年6月22日 (火) 22時37分

■ちひろさん
毎度、ようこそのお越しで。
こちらこそお疲れ様でした。

> 先輩のところにも書きましたが「ほめすぎ」ですよ。

そこはまあ……お互い様ってことでいかがでしょうw?
マ長所は裏を返せばいくらでも、リバースできますから……
あえてそこをつつく理由もないですし
(と言いつつ、下の方↓ではその辺も出してるのでご期待下さい)。

> またご一緒願いますね。

こちらこそ、念願の「鎌倉でデート」が達成できてゴマンエツです。
またよろしくお願いいたします。次はパパさんのお好きな場所にて。
……舞浜で壁にドンします?

色々と反省を強いてしまっているようですが……
「しゃべりすぎ」に関しては……うーん、どうなんでしょう?
それは「頑張りすぎた」のか、「抑制があまかった」のか?
前者であれば申し訳ないことをしました、と思いますし、
後者であれば、それはオイサンらにとっては望ましい事態だったわけで。
知識の話と相まって、先輩さんは満足してたと思いますよ。
無論私も。

「いらん知識」「草臥れる」に関しては……
こういう言い方をすると却って失礼なのでしょうけども……
「そういう人種」とのお付き合いは慣れているので、
こちらが草臥れるということはなかったですよw
うちの兄もそうだし、職場の面々にもワリといますし。

ただ、そういう方々と一緒にいると、毎度毎度
「すげえなあ、タイヘンだろうなあ」と思うので、今回もその延長です。
イヤほんと、そういう畑の方々はイロイロ知っているし、
知っていることについていちいちキチンと考えて自分の意見を持っていて、
かつそれを表に出すことを恐れないところがあるので……
感心するのと、この人メンドクセエなあと思うの、
9:1くらいで見ています。

  ……イヤ、そりゃ思ってますよ、多少は。
  「この人メンドクサイ」ってw!
  でもこの集まり自体、Teamメンドクサイの集まりじゃないですか。
  「9:1」の「1」は参加資格ですよそんなもん。

「宿のケア」に関しては……アレはアレで良いのだと学習しました。
ただ、ツアコンとしては、
もうちょい酒量警告を出して「アンタ宿どうすんだ」くらいの
注意をはさんでも良かったのかも、と反省。
言える位置にいたのは、ご両人と二度目のオイサンだけでしたからね。
それは私のミスです。

あと。
ちびパパさんの「喋りすぎ」と「いらん知識」をあの場から差っぴくと、
静か過ぎると思いますよ。
ホストのくせに話題の無いオイサンとしては、
とても助けて戴いたと思っています。これはとても素直な気持ちです。

> 前回に引き続き、今回も思うのですよ。
> オイサンのツアコンスキル、高いなあって。

実はイロイロ予定を組みながら、
「案外オレ向いてんじゃないか」と思っていました。
あとはサプライズと、
雨天のときや緊急事態発生時の別働プランを持っていれば
尚良かったなと。

> いただいたご要望はできるかどうかはともかく、ちょっと気にとめてみます。

あまり気になさらずw

> レポとオイサンの主張はエントリーを分けた方が
> 言いたいことがわかりやすかったかも知れませんね。

おっしゃる通りです。
考えはしたのですが、メンドクサイだけの記事が増えるのが
気分的にいやだったので逃げました。

> 他にもいくつか書きましたが、長くなったので全部消しちゃいました。
> まあ、またの機会に覚えていればと言うことで。

はい、ていうかこちらが長くなってりゃ世話ないわけですがw
またよろしくお願いします。

投稿: ikas2nd | 2010年6月22日 (火) 22時02分

こんばんは。先ずはレポ更新お疲れ様でした。
先輩のところにも書きましたが「ほめすぎ」ですよ。
本人そんなすごくないです。嫁が横でニヤニヤしながら見てました。

当日は色々とありがとうございました。
お陰で楽しかったです。
またご一緒願いますね。

ところで、三者三様のレポを読むと当日の様子を補完できて良いですね。
ああ、そう言えばそんなこと言ったっけ的な話を、レポを読んで思い出したり
できてありがたいです。

今回のオフ会には私的な反省点がいくつかあって、一つ目が、先輩のブログへのコメントでも
書いたのですが「ちょっとしゃべりすぎ」と言うこと、二つ目が「いらん知識を
出し過ぎた」と言うこと、三つ目が「先輩の宿のケアをもうちょっとすればよかった」と
言うこと。

しゃべりすぎた、と言うのは物理的に発言量が多かったと言うこともありますが、
自分語りが過ぎた、と言うのもあります。
いらん知識を、と言うのは嫁さんからの指摘です。
オイサンの3回目かの本文中に「草臥れないのだろうか」という行があって
それを読んだ嫁に「相手がそう思ったと言うことは相手は旦那の話を聞いて
草臥れたと言うことよ」と言われましてね。ああ、そうだよな、と。
宿のケアはそのまんまなので良いでしょう。

前回に引き続き、今回も思うのですよ。
オイサンのツアコンスキル、高いなあって。

いただいたご要望はできるかどうかはともかく、ちょっと気にとめてみます。

それ以外は……うーん、レポとオイサンの主張はエントリーを分けた方が言いたいことが
わかりやすかったかも知れませんね。
他にもいくつか書きましたが、長くなったので全部消しちゃいました。
まあ、またの機会に覚えていればと言うことで。

投稿: ちひろ | 2010年6月22日 (火) 02時07分

■第4先輩さん
まいどおーきにPart2。

(前略)
> 無論100%意図的ではなくて、そのきっかけはコミュニティがあって、
> 「コミュニティからの疎外」があったわけですけど、少なくとも創作をする上では、そのゲームそのものとは全く関係ないはずの「疎外」を、わざと意識しながら原動力にしている。

……でも今回、その「疎外」だったはずの途切れた糸が、
なんかイッチバンぶっといところに繋がってしまって、
ちょっとやりにくさを感じ始めてるんじゃござんせん?
もう気にしてないか。

>  面白いか、面白くないか。
>
>  と二分したんですけど、それはそれで、自分にとって面白いかどうかとか読み手にとって面白いかどうかとか、意識したことはないですが、二次創作の場合は作り手にとって面白いかどうかとかも、色々入ってくるんでしょうね。

オイサンなんかはもう、自分が面白いかということがかなりの割合を占めます。
出発点が
「自分が本当に読みたいところを追求した、読みたいスタイルのものが無い、
 だから書こう」
ですし。
いろんなヒトが、画一的な指針もないままに書いているから、
二次創作の世界はなんかこう……鬱蒼と湿った森の下草を踏むようで、
面白いのだと思います。
皆、出発点と目指すところが違う。
それは今回飛び込んでみて感じたことの一つ。


>  僕はまあ、オイサンがこれだけ色々と考えて書いて、書いてなお、たまに色々揺らいだり、揺らがなかったりしている所を見ているだけで、十分面白かったわけで……僭越なことを言ってきた甲斐があったというものです、はい。

オイサンの揺らぎは、恐らく9割がた、逃げか、ヨソの方のご意見への配慮です。
攻め込まれたときにゴメンナサイしやすくするためだったり、
「こーだよ」ってヨソの方が言ってくれ易くしたいとかだったり。
心の奥底では、確信があったり、これ以上考えるのが面倒だからという理由があったりで
もう動かす気はないんですけども、
殴られたときのショックを逃がす方策としての揺らぎなのだと思ってます。
オイサンは、思い込み強くて頑固なんじゃぜ?

>  とりあえず、楽しかったです。ありがとうございました。
>
>  機会があればまた二人で、フォロワーさんを襲撃に行きましょうね。

ですね。また。
……と、そこで一つオイサンには
そのパートナーがオイサンでいいのかという不安もあるのですが
それは感じても詮無い不安なのだなきっと。

またよろしくお願いします。

投稿: ikas2nd | 2010年6月21日 (月) 21時59分

 僕はまあ、自分の強みも弱みも明白で、公私を混同しているんですね。アマガミについては。意図的に。無論100%意図的ではなくて、そのきっかけはコミュニティがあって、「コミュニティからの疎外」があったわけですけど、少なくとも創作をする上では、そのゲームそのものとは全く関係ないはずの「疎外」を、わざと意識しながら原動力にしている。

 その疎外を、エネルギーに変えるか、疎外を疎外として愚痴にしてしまうかというのは、個々人の意思の問題になりますし……結局のところ、センスの問題に帰することとなる。

 面白いか、面白くないか。

 と二分したんですけど、それはそれで、自分にとって面白いかどうかとか読み手にとって面白いかどうかとか、意識したことはないですが、二次創作の場合は作り手にとって面白いかどうかとかも、色々入ってくるんでしょうね。

 僕はまあ、オイサンがこれだけ色々と考えて書いて、書いてなお、たまに色々揺らいだり、揺らがなかったりしている所を見ているだけで、十分面白かったわけで……僭越なことを言ってきた甲斐があったというものです、はい。

 作り手視点についてはなんか他に思うこともあった気がしますけど忘れました(っていうか僕は知っての通り毎回言うことが微妙に違います)。

 とりあえず、楽しかったです。ありがとうございました。

 機会があればまた二人で、フォロワーさんを襲撃に行きましょうね。

投稿: 第4先輩 | 2010年6月20日 (日) 23時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/55967/35381056

この記事へのトラックバック一覧です: ■六月の鎌倉に降る雨は。その4・完結編 -更新第525回-:

« ■六月の鎌倉に降る雨は。その3 -更新第524回- | トップページ | ■フツーに眠い »