« ■みずのはごろも、はかいのつるぎ。 -更新第521回- | トップページ | ■六月の鎌倉に降る雨は。その2 -更新第523回- »

2010年6月15日 (火)

■いにしえの瘡も錆びて -更新第522回-

■舟乗り




■今日のお昼休み



twitterが全然繋がらなかった。
ほとんどずーっと。
お昼だけでなく、夕方くらいまで、ずーっと?

そーすると、アレですな。
幾人かはtwitter以外の連絡先も知っている人たちなんだけど、
ワリとフツーに話している人たちでも、
全然お会いしたことなくて自分のblogなんかも持っていない人たちにはもう
連絡をつける手筈もない。
これは……フシギな話だな、という感覚に陥った。

このまま二度と再びtwitterが立ち上がらないようなことが起こったら、
彼らとのあの、心の底からどうでもいい貴重な時間は戻ってこんのだなあ、
と考えてしまった。
うーむ。

……でもまあ、それがtwitterなんだろうね。
だからといって、そのときに備えて彼ら全員と異なるパスで繋がりを保証してしまったら、
それはそれで元の関係とは違うもののような気がするし。
人と繋がるという点において、
あまり過度の期待はすんなってことなんだろう。

そんなに大事な相手なら、
他の手段を講じてちゃんとつながりを残しておきなさいよと、
そう言われているような気がしました。

でもいつかは、twitterも終わるときが来るんだろうなあ。
そんなに、うわあどうしようって思わなかったのも不思議だけど。
「ああ、うん、そうか。この時間は終わりか」みたいな感じだった。

それはきっと、まだ自分にとってこの時間が、
どこか夢のようなものであることの証明なのだろうな。

はてさて。
……先ずはとりあえず、彼の人の連絡先くらいは押さえておくか。



■はやぶさのけんは二回振る。



昨日の話の続きというワケではないのですが、
いや確実に昨日の話の続きなんですが(どないや)。

先日一緒に鎌倉を回って下さったちびすけ父さんさんが、
昨日の”はやぶさ”について似たような内容を記事にしておられて、
オイサンと大体反対のことを言っておられ、
ああなるほどなあと感じ入りました。


  ▽はやぶさ帰還に思う [ まったり日々(?)のできごと ]
  http://hm13chibi.blog36.fc2.com/blog-entry-470.html


鉄の塊だからこそ、みたいなこと。
何もない、されど何もない暗闇なればこそその影におびえるように、
物言わぬ鉄の塊だからこそ、
そこにある何かを見出し得るのが人間の、
というか、オイサンのようないんちき書き物士のゲンドーリョクだったりするわけで、
黙れば黙るほど、イロイロ思いをめぐらせてしまいます。
その思い入れの力は、テンションの差こそあれ、よく分かります。

それはオイサンも昨日の記事の末尾にも書いた通り。

  リンク先の記事の中では、ちびすけ父さんさんは、その心情を
  「自分の責務を全うする者」への敬意として書かれていますので、
  オイサンの言う様な単なる「思い入れ」とは、
  その崇高さにおいて大きな隔たりがありますが。

あとはそのモノのパーソナリティをどれだけ深く理解するか、
ということも大事でしょうね。
OSたん擬人化シリーズを見ていると、そのやり方がよく分かると思います。
今回オイサンは、”はやぶさ”さんが「どんな子」なのかよく知らなかったので、
お近づきになることは出来なかったわけですが。

  ……そもそも、ギャルゲーのキャラクターに、
  その先や奥に広がる時間を、人生を見通すなんてのは
  その行為の一端だと思いますしね。

  ギャルゲーのキャラクターなんてものは既に軽く人格が付与されていますし、
  やはりその「責務を全う」的な意味からも外れるのでまたワケが違いますが、
  明らかに人の作りたもうた人ならざるものを、
  それと知りつつ愛してしまう、なんていうのはね。

  んでも、物言わぬ人格の崇高さへの憧れ、というのか。
  オイサンにとっての絢辻さんなんてのはまさにそれなのですけど。

ただオイサンにはやっぱり出来ないのはそれを同時共有しようという行為の方で、
それは多分、
今のオタク的楽しみをはじめてからこっちの二十年余り、
ずーっと一人でやってきたオイサンと
きちんと人と人との間でやってきた方々との
身に沁みついた、喜びの作り方の差なのでしょう。

大学時代、演劇をやっていてもなかなかその楽しみは味わえませんでしたし、
今更そうそう身につくものでもなさそうです。

我ながらさみしい人生なのかもなと思わないでもないですが、
それなりの強みも見いだせないことはないと
このトシになるとわかることもあるものですから。

ここはヒトツ、後の世のぼっちのために何かの足跡を残せないものかと
冗談半分、思うオイサンなのでした。



■舟乗り(フルコーラスver)

舟乗り、言葉尽きても。

 

|

« ■みずのはごろも、はかいのつるぎ。 -更新第521回- | トップページ | ■六月の鎌倉に降る雨は。その2 -更新第523回- »

[日記]」カテゴリの記事

アニメ・コミック」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

コメント

■第4先輩さん
まいどおおきに。

> >「ああ、うん、そうか。この時間は終わりか」みたいな感じだった。
>
>  僕は自分のことをボッチでも、かといって社交的でもない人間だと思っています。
>
>  それは多分、この感覚から来るものなのでしょう

社交的、ってのは難しいですね。
オイサンはどっちかと言われたら間違いなくボッチ傾向で、
どちらかを選べといわれたら、やっぱりボッチを選びます。

>  前、某にゃさんに不老不死になりたいと語ったことがあって、

不老不死とかw 相変わらずの斜め上ぶり。
ピラフ大王以外でそれを欲してるヒト、初めて見たかも知れません。
ていうか、アナタとニャの字の人がどんな話してるのか興味沸いてきたわ。
なにしてはるんですか。


>  あとは、「物事に終わりがあることを楽しみにしている自分」のメンタリティが、
>  不老不死になることでどのように変化していくのかに興味があるからです。
>
>  うぉ、中二トークw


自分が終わらないことへのジレンマに、どこかでタガが決壊しそうな気がします。
バキに出てきた、ドリアンみたいな。
延々、終わりゆく物事を観察し続けることの出来る喜びに浸り続けるのかもしれませんが、
何周かした頃にそのフラクタルな法則を見つけてしまって飽きてしまったり、
終わり行くことの美しさや面白さが自分にだけ備わっていないことの寂しさに、
やっぱり冷笑的になってしまったり、
しそうな気もしますね、あなたの場合。

あとごめんなさい、どの土管に入ったら、
前半の話から不老不死に繋がるのか分かりませんでした。
あと中二トークをスプートニクに空目。

投稿: ikas2nd | 2010年6月21日 (月) 21時57分

>「ああ、うん、そうか。この時間は終わりか」みたいな感じだった。

 僕は自分のことをボッチでも、かといって社交的でもない人間だと思っています。

 それは多分、この感覚から来るものなのでしょう

 前、某にゃさんに不老不死になりたいと語ったことがあって、それは今でも変わりませんが、それを望むのは単に知識欲と、あとは、「物事に終わりがあることを楽しみにしている自分」のメンタリティが、不老不死になることでどのように変化していくのかに興味があるからです。

 うぉ、中二トークw
 ではでは

投稿: 第4先輩 | 2010年6月17日 (木) 23時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/55967/35286102

この記事へのトラックバック一覧です: ■いにしえの瘡も錆びて -更新第522回-:

« ■みずのはごろも、はかいのつるぎ。 -更新第521回- | トップページ | ■六月の鎌倉に降る雨は。その2 -更新第523回- »