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2010年6月 3日 (木)

■日々の窪み -更新第513.1回-

いかんなーオイサンは。
何するにつけヘタクソで。
よろしくない。

うーん……。

結局その……自分の居場所・自分の中身の在り処だけを知らしめておいて、
あとはまあ、
興味があったらたまに覗きに来て下さいよお茶くらいは出しますんで的な、
そういう触れ合い方がオイサンの基本らしい。
傲慢だ。
チキンでもある。

自分本体というのはもちろん体の現在にこそあるわけだけれども、
それよりなにより、
こうして、文字なり、絵なりなんなり、
そういうものに定着させたものがこそ、
オイサン本体だという意識が多分、オイサンにはある。
……ような気がする。

  最近、そういう傾向も多少マシになっていたような気がしたんだけど、
  それもやっぱり捨てがたいと思ってるんだろう。
  それがないと落ち着かないと感じ始めている。

だから自分で話すより、こうしてこさえた物をどこかにおいといて、
先ずはそれ見てよ、その方がハナシが早いから、と、
思ってるところはあるんだろうな。
うそかまことか。
困った大人だ。

  おんなじなんだろうけど。
  ダイナミックに言葉に現すのか、
  スタティックに何かに定着させるのか、その差だけで。
  でもその差はオイサンには大きいんだのう。

人様のことまで、そうは思ってないのが救いかな。

……とまあ、
頭はクッキリしているけど変な方向向いていて、
妙に冷静に、穏やかに、負の方向へ向かっている自分を眺めている
変な日だった。
なんだろうか、この……。

何か言おうとしても、別に面白くもないなと思って
言うことをやめてしまう、そんな日。

  マじゃ普段言ってることがそんなおもろいのかって言われたら
  スミマセンとしか言いようがないのだけども。

やっぱりこの……
こういうテンションのことは、Twitterには出せないな、
正確に、効果的に出すのが難しいなということをヒシヒシと感じる。
ヒシアマゾン。

そこに人がいることを前提に、
「今やる気が無い」
ということをTwitterに書くのは難しいし、自分は恥ずかしいし。
何もやる気がない人間がどうしてpostだけはやるんだ、という点において、
結局は誰かにかまって欲しいといってるのと同じことで、
そういう意図があるワケでもないから、
なんか納得がいかずにうまくpostすることも出来ず、途中まで書いては手を止める。
いやいや、そういうことじゃないだろ、と。
べつだんやさしくされたいわけじゃなくて、
第三者にも閲覧可能な定着させる場が欲しいと願う。

  第三者に見えるということについて
  この際何か意味があるのかどうかは正直分からない。

  やっぱり結局は見て欲しいということの現れなのかもと思ってみるけど
  それはやっぱり馴染まない。
  見て欲しいわけじゃあない。
  どちらかと言えば王様の耳はナントヤラの類で、
  溜め込んでいるという意識か、解放はした、という意識かの差なのだと思っている。
  その解釈が一番しっくりくる。

  他者に見えるかどうかは別として、
  「自分の外側かどうか」ということが多分この際重要で、
  自分の外側かどうかを規定するには相対的に
  他者の在りっぷりに期待するしかないってことなのだろう、きっと。
  Webって便利。

デそうなると、書くとするならblogになるんだなあと思う。
やる気がなくても独り言くらいは言うわけですよ。
マオイサンの場合、blogは書いてるうちにワリと段々やる気が出てくるわけですけども。

blogだって、人に見られる・見せる可能性があるわけだけども、
見て欲しい記事と、見られてもいい記事があるだけで、
その意識は記事によって個別で、
今日の話なんかは人に見せるつもりでは書いてない。
分かるようにも書いてなく、
見られても構わないけどわかんなくっても知らないよというノンサポートのお話。
この日こんなテンションだったことが、のちのちの自分にだけ分かるように書いている。
ただの記録として。
この説明も、こういう説明を思いついたと書き残してる感じで。

  この文字を打っている自分に、語りかけるように書いてるわけですよ。
  打っているのは自分のはずなのに、
  浮かび上がってくる文字には見覚えがない、
  誰かヨソの人が、画面の向こうで文字をしゃべってるみたいだなあと
  今書きながら思ってます。
  画面の向こうから、自分が語りかけてくるようです。
  聞こえてますか俺?
  はーい、聞こえてますよ。

  ……ということに、今書きながら気がつくわけです。
  なるほど。
  これはそこそこ面白いな。

人が読んだらどう思うかな、という意識はあるけども、
どう思うかな、というだけで、それによって内容は多分変わらない。

やっぱりblogは、基本、
そこには人が……自分以外……いないことが前提で書けるから気が楽だ。
というのは、誰も見ていない状況で書き続けてきた時代が長いから
そう思うのかも知らんな。

かといってホント好き勝手書くわけではないけど。
見られる可能性はやっぱありますからね。
かといって書きたいことを書いてないわけではなく。
ブレーキかけなきゃならないような内容は、
めんどくさくってそもそも書きたいと思わないようにオイサン出来てるぽいので
困ることもない。


マそんなことで、なんのまとまりもないけれども……
さてもさても。


Twitterやってる人たちは、
誰かに聞いて欲しくて呟いているだろうか?
誰にも聞いてもらえないことを前提に呟いているだろうか?
反応はなくても、読まれることくらいは期待して呟くだろうか?
それとも同じように、それぞれ呟きごとに、その意識は異なるだろうか?

 

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コメント

 思う所が多すぎて言葉になりませんね
 140字で、twitterを使う自己の全てを書ききりたいというのがtwitterを使う僕の究極の願いであり。僕を(僕のblogの場合は「アマガミの前にいる僕」限定ですが)何字かけて構わないから書ききりたいというのがblogを使う僕の究極の願いなのかもしれない。

 現実の僕という奴は「究極じゃねーんだよ至高なんだよ!」とか「究極も至高も良いけどとりあえずレトルトカレーうめー」とか訳の分からんことばかりガタガタ抜かしているわけで。

 書けば書くほど自分が固定できずに浮遊している感覚に囚われる。blogでもtwitterでも、感覚としては違うけれど「浮遊感」という類型では同じ。

 その浮遊感が快楽と思える間は、まあ僕はどこかで何かを書いてるでしょうが、さてさて。

 他人様のblogという褌に魔法の絨毯のように乗っかって浮遊するのも浸るのも悪くないと最近思っています。今後ともよろしくどうぞ

投稿: 第4先輩 | 2010年6月10日 (木) 00時01分

私の場合はつぶやきごとに違いますね。
それがまたおもしろさでもあるのかも

投稿: おしんこ | 2010年6月 4日 (金) 13時56分

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