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2010年5月17日 (月)

■彼女・三 ~『アマガミ』絢辻さんSS~ -更新第499回-

◆「彼女」~『アマガミ』絢辻さんSS~  一  二  三  終 
 
 
 
        *     *     *



 そろそろ、だろうか。
 夕暮れの屋上、体育館。プール、テラス、グラウンドといつもの巡回を終
え、いい頃合いになったのを見計らって僕は図書館へと向かった。するとビ
ンゴ、丁度廊下の真向かいから、ひと抱えはある書類を両手と胸に積み込ん
だ絢辻さんがやってきたから、僕は先を急いで扉を開けた。
 絢辻さんは驚いて、
「あれ? なんであなたがいるのよ」
と、扉をくぐるのも忘れて訊いてきた。
「いいから、ほら」
「あ、ああ、うん。ありがとう……」
「足元気をつけてね」
 少しふらついた絢辻さんが扉をくぐり、後に続いて僕はバタンと扉を閉め
る。そして僕はまた先回り、絢辻さんの抱える書類の上半分をパッと攫って
横に並んだ。
「あ、ありがとう……ねえ、なんでいるの?」
「絢辻さんが待ってろって言ったんじゃないか」
 いつもの意地悪のつもりだろうか。それにしては捻りがないなと逆に不安
になりながら、僕は怖々反論する。けれど、いつもと様子が違った。絢辻さ
んは上目遣いに記憶をたどり、そんなことないないと首を横に振った。
「あたしは、そんなこと。遅くなるから先に帰ってって確かに言ったわ」
「で、でも、悪いわねって」
 お昼の記憶。遡ってみても、議論は平行線を辿るばかりだ。絢辻さんの言
ったのは「遅くなるから」「悪いわね」。傍目で量れば、それだけだ。
 ああだこうだと言い合いながらいつもの作業場所にやってくると、僕らは
何の合図も必要なく、図書館独特の長机に、ドスンドスンと書類を積んだ。
 そしてやっぱり何の合図も無く、どちらともなく、ぷっと吹き出した。
「ふふっ」
「ははっ」
「ふふふっ」
「ははははっ」
 しばらく、けたけたと、ひと気の絶えた図書館、その蔵書のページの隙間
に、僕らの笑い声だけが沁みこんで行く。次に誰かが開いたときに、飛び出
てこなけりゃ良いけれど。
 呼吸も整い、絢辻さんは勢いよく鼻から息をつくと、書類の山を見下ろし
た。
「……あーあ。じゃあ、せっかくだから。早いとこやっつけて一緒に帰りま
しょうか。手を貸してもらえる?」
「そうだね、勿論だよ!」

 それからわずか二時間ばかり後、僕と絢辻さんは駅前の小さなカフェにい
た。
 思いがけず早く片付いたわ、と満足げな絢辻さんに、僕も少しは役立った
ろうかと誇らしい。
「あなたも随分手際が良くなったわよね」
と、いつもは紅茶一択のところを今日は珍しくアップルジュースをストロー
でかき混ぜて、絢辻さんはストローをくるくるいじる。
「そりゃあ、まあね」
「上司の仕切りが良いと、部下の成長も促進されるってことかしらね」
 ……。
「……ソウデスネ」
「冗談よ。感謝してる」
 口をへの字にした僕を肴に、絢辻さんはりんごジュースをひとすすり。だ
ったらたまには、オチ無しで褒めて戴きたい。まあ、結局は絢辻さんの指示
通りに動いているだけだから、言われる通りではあるのだけれど。
「ありがとう。助かったわ」
「ははっ、なら良かったよ」
 どこかで聞いた様なセリフを口にして、僕は椅子にもたれかかった。
 僕と、絢辻さん。少しだけ顔と顔の間に距離がひらいて、そこに何か、見
えない静けさのようなものがぽわんと挟まって僕らは黙った。
 今日は朝から一緒だし、お昼も結構話をした。作業をしながら雑談もこな
して、何かほかに話せることがあっただろうかと、僕は視線でテーブルの上
を一撫でした。アイスコーヒー、アップルジュース。紙ナプキンに、お冷の
グラス……。
 絢辻さんがゆび先で、クルクルとストローの吸い口をいじっているのが、
何だか妙に目に付いた。
「……珍しいね」
「何が?」
「今日は、りんごジュースにしたんだね」
「……うん。たまにはね。なんだか酸っぱい物が欲しくって」
 ……それって……。
「中途半端な知識だけで、短絡的なことを言わない方がいいわよ」
 沈黙の幅と、喉の動き。そんなものだけで僕の脳みその中身を殆ど正確に
読み取って、絢辻さんは眉間に皺を寄せた。
「な、何も言ってないよ」
「まだ言ってないだけでしょ」
 ……どうしてわかるんだろう……。
「今日は、頑張ってくれたものね。気も回してくれたみたいだし」
 絢辻さんはストローをいじる指を止め、まだ自分の頭の中にしかない何か
を話し始めた。とりあえず、褒めてくれている。落っことされそうな気配も
無い。
「だから」
 すっと身を乗り出し、僕のアイスコーヒーに刺さったストローをひょいと
摘み上げる。何をする気だろう、そんなことを尋ねる間もなく、僕のストロ
ーから落ちる黒い滴をコップのふちでとんとんと払い、挙句に、その濡れた
先端をひょっと持ち上げてちゅるっと吸った。
「あ、絢辻さん? 何するの?」
 僕がようやく追いつくその頃には、そのストローは……絢辻さんのりんご
ジュースにちゃぽんと浸かり、先客のストローと、仲良く混浴露天風呂。
「ごほうび。……検証、しないといけないんでしょ?」
「け、検証? 一体何、あ……」
 同じグラスに、ストローが二本。

 --どちらがよりィ、ストロンーグッ! ……だと、思ゥ?--

 ……出来れば、こんなロマンチックな場面ではあまり思い出したくなかっ
た野太い声が、僕の脳裏にこだまする。ケン、もう少し遠慮してくれないか。
 でも目の前には、頬をちょっとだけ赤くして、ぐっと前傾姿勢の絢辻さん
がこちらを見ている。お店には……他にも、お客はいるけれど。幸いなのか
絢辻さんの意図的なのか、僕らを見える位置に、人はいない。それでも、い
つ誰が割り込んでくるか分からない。新しいお客かもしれない。店員さんが
通るかもしれない。以前の絢辻さんでは考えにくい、リスキーなシチュエー
ションの選択だった。
 けれどくるりと見開かれた目には『さあ、どうする?』と書いてある。時
間はないわよ、と。そんなの、決まってる。
 僕は後ろに寝せていた上半身を腹筋総動員で起こし直すと、テーブルに肘
をつく格好で……絢辻さんに瞳を合わせて、それに応えた。二月の空気と店
の暖房、唇が渇きを増していて、僕は舌先でちょろりと湿らせた。絢辻さん
はリップをなじませる時の面持ちで、上下の唇をもむもむ合わせていて、お
互いその仕草を見つけて、見つめあって、ちょっとだけ照れ笑い。
 そして二人ほぼ同時に周囲の様子を改めたとき、ガラスの外に一人、今に
も店に入ってきそうな背広姿の影を同時に見つけて慌て気味にストローに口
をつけた--。
 僕の目の前で、絢辻さんの唇の隙間からきれいな歯先と舌が顔をのぞかせ
る。でもそれはほんの一瞬で、唇はすぐにかぷりとストローを咥える。僕も、
同じように咥える。そこで一呼吸の緊張。上目遣いの絢辻さんが、無言で『
早く吸いなさいよ』とプレッシャーをかけてきて、僕も無言の『お先にどう
ぞ』を返してみる。
 結局せーので、お互い胸の奥の気圧を変えると、鋭く冷たく、甘酸っぱい
りんごジュースが、喉の奥へと落ちていく……。
 硬い筈のプラスチックの感触は目の前の唇と繋がっているようで、僕は嬉
しくなってその小さな丸いふちを舌でなぞってみる。キスだってもう何度も
しているのに、それとは違う、遠くて近い、同じ液体の中に、まるで裸で浮
かんでいるような。……そうして神秘的なものが、僕と絢辻さんの中で交換
され、混ざり合っていくのを、痺れる瞳の裏で実感していた。
 ちるるるると吸い上げたのは、実際はほんの二口三口。それでも細身のタ
ンブラーに満たされたりんごジュースは驚く早さで水位を下げて、いらっし
ゃいませー、の声が聞かれる頃には、底から三センチほどを残すのみになっ
ていた。
「……どう……だった?」
 さっきのスーツの人は案の定、店にやってきて僕らの隣に腰をおろした。
彼がやってくるまでにはもちろん僕はストローを回収して、自分のコーヒー
に差し戻していた。……ちょっとだけりんごジュースの味が混ざって、おか
しな味になったけれど。
 そのおかしな味のコーヒーを啜っていたら、絢辻さんが遠慮がちに尋ねて
きたのだった。
 正直、思いがけずすごかったのだけれど……絢辻さんの『あ~ん』と、ど
っちがよりストロングかって問われたら……。
「……ごめん。よくわかんなかったよ」
「そうよね?」
 あんなに大慌てじゃね、と絢辻さんは隣に聞こえる声で言い、僕らはまた
顔を見合わせ吹き出した。弾かれたように、あははははっと声をたてて笑っ
た。
「あー、おかしい。……さてと、それじゃあここから本題ね」
 え、本題? 目じりに溜まった涙を指で払いながら、絢辻さんは切り出し
た。今のはオマケだったのか。
「この続きを来週やらない? もちろん、それだけじゃなくって」
と絢辻さんは財布から二枚、なんだか上等そうな紙に刷られたチケットを取
り出して、テーブルの上に滑らせた。
「あなたの好みに合うかはわからないんだけど、クラシックのコンサート。
夕方からだから、昼間は、どこかで」
 買い物でも良し、お茶をするも良し。なんなら勉強だって構わないわよ、
と絢辻さんはぱちんと財布のボタンをかける。
「本当は、明日か週末にでもしようと思ってた話なんだけどね」
 せっかく一緒に帰れることになったから、と付け加える。
 絢辻さんが取り出したチケットの、表面に印字された作曲家の名前は中学
生でも知っている有名な字面だったけど、曲目は交響曲の何番の何楽章とか、
似たり寄ったりで区別はつかない。指揮者がなんだか有名な人らしいことは、
絢辻さんから解説を聞いて初めて知った。
「へえ。面白そうではあるんだけど、でも」
 正直、起きていられる自信もないけれど。
「でも?」
「それ、随分高そうだね……」
「ああ、そんなこと」
 心配はそこだった。チケットの金額は僕の小遣い二カ月分だ。払い出すの
も辛いけど、絢辻さんにもたせるわけにだっていかない。その上、お支払い
はどうしたってローンになる。
「貰いものだから心配しないで」
 絢辻さんはチケットを回収しながら言い、どうする? ともう一度確認し
た。
「好き嫌いがあるから、そこは遠慮しないで言って頂戴? 当然あたしは…
…」
「そういうことなら、もちろん喜んで。絢辻さんの好きなものなら、僕も聴
いてみたいよ」
 絢辻さんが言おうとする何かを言わせまいと、僕は自分でも珍しいなと思
いながら彼女の言葉を自分の気持ちで遮っていた。するとやっぱり、嬉しそ
うに。絢辻さんは要らなくなったその先を喉の所で止めて、ため息みたいに
微笑んだ。
「そ。じゃあ決まり……」
「うん。空けとくよ」
「……と言いたいところだけど」
「まだ何かあるの?」
 今度は、僕が尋ねる番だった。絢辻さんはもぞもぞと鞄をあさりながら、
「そのデートにはね? 参加資格が、あるのよ……どこにしまったかしら」
と、耳を疑いたくなるようなご通達。
「さ、さんかしかく?!」
「ああ、あったあった。これね」
 そんなデート、聞いたことがない。やっぱりあれだけ格調高そうなコンサ
ートともなると、聴く人間を選ぶのだろうか……。戦々恐々とし始めた僕に
絢辻さんが再び提示したものは……さっきのとよく似た形の、けれどこっち
は随分と可愛らしい……。
「絢辻さん、これって……」
 絢辻さんはまた二枚の長方形の紙を僕に渡すと、照れくさそうに、きまり
悪そうに。居住まいを正して、上目遣いに僕を見たのだった。
 
 
 
 
                             (つづく)
 
 
 
 

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