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2010年5月30日 (日)

■手帳の中のダイヤモンド・特別編 スキGOOD・BAD・ソエン考 -更新第511回-

いくつかの可能性がある。


オイサンは以前にもちょっと書いたように、
<ソエン>やら<スキBAD>やらは、
ADVである『アマガミ』においてSLG的にプレイヤーのあらゆる行動・選択に対して
結論を用意しようとした結果実装された、
物語の壮大な分岐の結末の一つである、と思っています。



……えーとね、ちょっと待って下さいよ。
そうだな、最初に言っておこう。



  『アマガミ』における、メインのルートはナニなのだろう?



ということが、今回の記事の最大のテーマです。
「メインのルート」の「メイン」が指し示すところはいくつか考えているのですが、
いくつかあるとお話が発散してしまうので
ちょっと小ずるく言葉を広げてまとめてしまうと、

 「その結末に辿り着いたらひとまずそのゲームを終わらせたことになる、
  『そのゲームが語りたかったことを受け取った』ことになる、
  あるヒトツの道筋」

のことです。

  たとえば『FF』や『DQ』なら、一通りの物語を辿って
  ラスボスをやっつければ「終わらせた」と言えるとオイサンは思っています。
  クリア後のお楽しみとして、神様とかアルテマウェポンとか居たりしますけど、
  大体フツーはいわゆる「表のラスボス」で「終わった」って言うよね、
  というセンです。

  『ぷよぷよ』だったら……なんだろうか。
  NORMALくらいの難易度で、
  まずはストーリーモードをクリアすることじゃないですかね。
  何人かのキャラクターでね。

『アマガミ』における……その道筋・結末というのは、果たしてナニなのだろう、
作り手の想定・設定したものはどんな感じなんだろう?
ということを、ちょっと考えておきたいなーと思うのです。



■明示されているもの



最初にぶっちゃけてしまうと、まずは本編中には仕込まれているものとして、
「カーテンコール」と「全エピローグコンプリート」がありますね。

  あるんですよ。
  オイサンまだ見てねえけど(オイ。
  「カーテンコール」は……メインヒロイン6人全員の、
  <スキBEST>と<ナカヨシ>と、隠し二人のルート、だったかな?
  で、「全エピローグコンプリート」は文字通り、
  全ヒロイン分の<スキBEST/GOOD><ソエン>まで含めた全エピローグを見れば、
  確か流れるんだったと思います。

正直、後者は「そこまでやらないと終わったことにならないの?」
という疑問もわくレベルなので、
マ二段構えとして、
その第一弾がカーテンコール、第二弾が全EPコンプとしましょう。
まずは、それだと思うのです。

一先ず

 「メインヒロイン+2名、全員の、幸せ(?)な結末を見届けること。
  そしてそれをすることで勢い明らかにされる、
  主人公のトラウマの真実と、背後で起こった事件の顛末に触れること
  (+出来れば、その出来事の意味を自分の中でキチンと考えること)」、

そしてさらに+αとして、

 「悪い結末まで含めたあらゆる結末を見届けること」

なのだと思います。



■深彫りしてみる



デここまでは「浅い」部分のお話で。
上で書いた「いくつか考えている」、その「幾つか」について
……つっても二つだけなんだけど……
お話しておこうかなあと思います。

 ▼商品としての物語が抱える二つのテーマ

テレビゲームの世界で、表現力が大幅に向上して以来取り沙汰されている問題として、
「テレビゲームは商品か? 作品か?」
というものがあります。

簡単に言ってしまえば、
「買った人間が全員が、常にお金を払っただけの満足を得られなければならないもの」
であるのか、それとも
「内容によっては買った人間でも満足に至らない可能性があるもので、
 買う側に能力が求められ、責任を持って選別しなければならないもの」
であるのか、と、そんなことです。

  「受け手主権・作り手が、受け手を見て作る(=商品)」のか、
  「作り手主権・受け手が、作り手を見て買う(=作品)」のか、
  と言い換えても良いでしょう。

もちろん、
「必ずどちらか100%である、というわけではない」ことは言うまでもありませんが。
性質としてどっちよりか、ということです。

そしてどうあがいても、
テレビゲームソフト(に限らず商業映画なんかもですが)が一定以上の割合で
「商品である」ことは否定できませんから、
たとえ作品性を持ち、重視しようとする作品でも、
必ず以下のような二つの幹を背負わさます。

 1) 「商品として、これを遊べばひとまずお客さんが満足してくれるだろう」
   という、商品としての背骨の部分

 2) 商品の体裁としての1)を保持しつつ、それとは別に、
   作り手がもっと、最も訴えたいテーマ


本来、1)と2)は商業作品において大きく分離していることは望ましくないのだけれど、
2)があまりにも、商品の幹として……
  ……つまり、
  「お値段分払えば誰でも手に入れられて、お値段分の価値を手に入れられますよ」
  なんていう前提……オイサンはそんなモンウソッパチだと思いますが……
  のもとに頒布されるモノの幹として
……相応しくない場合、つまり
その「満足」という機能を果たしえないものであるときに、
ひとまず表向きの1)をたてて、その影に2)を仕込み、
どうにか受け手と送り手の満足を両立させようとするという目論見がなされます。

つまり、作り手の一番の目的・意図(= 2))が万人に満足を与え難い場合、
満足させるためのダミーの要素( =1))を与えて目をくらまし、
その影で、分かる人間にだけ本来の意図を与える、というやり口です。

マそのくらい、オトナだったら考え付きますよね。



■サテ、話を『アマガミ』に戻します。



『アマガミ』における1)は、
基本的には人それぞれであることは当然ですが、あえて客観的なセンを引くとしたとき、
上で書いた通り、「全EPコンプ」か、「カーテンコール」、
或いは幾人かのメインヒロインの、<スキBEST><ナカヨシ>。
そんなもんでしょう。
「そのくらいやればモトはとれますよ」くらいのハナシですよね。

  ……正直オイサンの感覚では「全EPコンプ」はハードルが高い気がします。
  良くて「カーテンコール」、
  プレイヤーの大多数の皆さんは、メインヒロイン何人かの、
  幾つかのエピローグを見ておしまいにしているんじゃないでしょうか。

では、『アマガミ』に、2)はあるのか? あるとしたら何なんだ?
という話になります。
よーするに、『アマガミ』において、1)とは別に、作り手が一番
「ここを見てくれよ! ここに触れてくれよ!!」
ってところは、何か特別にあるのかな?
それはどこなのかな?、って話なんです。
冒頭に戻りましたけど。


  オイサンは、それは「特にはない」、とお見受けしています。


1)の要素、すなわちフツーの恋愛ADV・SLGとして、
甘く切ない(そして紳士的な)物語を、革新的なシステムと語り口で堪能する、
それも幾通りかの物語で、幾種類かのタイプのヒロインで、
という、ある意味で従来的でスタンダードな作風を
大きく拡大したものが、『アマガミ』が提供するサービスの全てであり、
受け手に触れられるべき一番の要素なのだと思っています。

  無論、幾つかの目新しいシステムや
  突拍子もないエピソード、物語の語り口など、
  物量的・多様的な拡大の仕方はしていますが。

ただ……やっぱり、ちょっとした引っ掛かりはあります。
そう、やつらの存在です。
厄介なあの方々が。

  <ソエン>と<スキGOOD/BAD>です。
  奴らの主張は……いるだけで強烈過ぎる……
  そう「見えて」しまうきらいがあります。

けれどもオイサンは、基本的にはこの二つの「一種異様な」エピローグについても
他のエピローグとフラットな位置にあるものと見ていて、
冒頭で書いたように
「恋愛ADVとして、あらゆる行動選択肢に対して、結末を物語的に提示する」
ための設えのうちのひとつであるとのみ捉えています。
何か、特殊なメッセージを負うものではない、という解釈です。

  ……そらまあ、全ッ然まったく何もないってことはないと思いますが、
  それもまた程度の問題でね。
  たとえば<スキ>と<ナカヨシ>に差があるように、
  それらと<スキGOOD/BAD>にも差がある、という程度のもので、
  1)から分離して2)として配置されるほどの大きさと重みを負ってはいないだろう、
  くらいの解釈です。
  なんか、言いたいテーマくらいはあるとしても。

ところが、上記で述べた
「カーテンコール」と「全EPコンプ」の差分となっているのが、
<スキBEST/GOOD><ソエン>なわけです

そう考えたとき、上では「カーテンコール」と「全EPコンプ」を、
1)の第一段階と第二段階と書きましたが、もしかすると
「カーテンコール」が1)にあたり、
「全EPコンプ」が2)に当たるのではないか、
という仮説に行き当たります。

しかしながら。そこで素直に、
<スキBEST/GOOD><ソエン>が作り手のもっとも訴えたかった部分なのかなあ、
と思いを馳せたとき、そこには大きな違和感が横たわりもするのです。



■違和感と不足感



それは、
もしも<ソエン><スキGOOD/BAD>が2)にあたるものなのであるとしたら、
何故作り手は、もっとそこへ行きやすいように、
プレイヤーをゲームの中で、あるいは外で、誘導することをしないのだろう、
そこに行き着きやすいゲーム性を提供しなかったのだろう?
という疑念です。

  最も伝えたいことのだとするならば、
  何故全く、そこへの道筋を示すそぶりさえ見せないのか。

本編からはその意図が読み取れないのです。
多くのプレイヤーにとって、情報は本編がその概ねであるのに。
「ここやって!」「ここいじって!!」
という、製作者のエッチなおねだりが聞こえてこない。
プレイをしていてもそこへ導かれていかない。

  むしろ取説には、<ソエン><スキGOOD/BAD>に必須である二股を阻害するような、
  「ヒロイン一人に絞って追っていけば良いよ」的なことすら書いてある。

  ……マそれは、『アマガミ』の1)が
  「ヒロインとのハッピーな物語を楽しむことにある」
  ということの証明でもあるのでしょうが。

  そしてところがどっこいその下には、
  二股プレイの可能性をほのめかす記載があることに、
  若干の味わいを感じますけどもねw
  いいですねえ、この躊躇い。
  薄汚い。
  実に良い薄汚さです。褒め言葉ですよ。いとおしい。

マ<ソエン>はね。
フツーにやってれば、何人かのヒロインは自然とそこへ向かっていきますから、
狙ったヒロインのハッピーエンドを回収する傍ら、
あとでLOADして見直せば拾えるので、
さほど到達しづらいというわけではありません。

問題は<スキGOOD/BAD>の方で、
……やっていてもね、作り手が、そこへ誘導しようという意図を感じられないのです。
正直、フタマタとか、狙ってやっても結構難しい。
成立しない組み合わせとかもありますし。
拒んですら、いるように見える。
マ中身が多少キョーレツなこともありますし、
表の顔と比してアンバランスですから、
そこに躊躇いがあったことも想像に硬くありません。

  でも。
  そこで迷うなら……ほな始めからすなよと……
  オイサンは敢えて思い、言ってしまいます。
  やるならやる!……で、その匂いは出して欲しかった。
  こっちだ! ……と、言って欲しかった。
  その個人臭を徹底して消すスタンスは潔く、うらやましくはありますが。

これは、オイサンの好きなゲームデザイナー、桝田省治氏の言葉を借りるなら、
「伝えたいことが、ノイズに負けている」
といわざるを得ない状態。失敗です。

もちろん、2)を1)で覆い隠すという目的もあるものですから、
そこは成功していて、ただもう少し、もーーーーーーーー少しだけ、
二股が成功しやすいとか、ヒロイン二人がバトルになりやすいとか、
そういう仕組みにしておく必要があったのではないか。
本当に、そこに触れてほしかったのなら。

  そこでオイサンが真っ先に思いつくのが、『リッジレーサー』シリーズでした。
  特に『4』。『R4』。
  あのシリーズはうまいもので、プレイヤーがそこそこ上達してくると、
  各コースの一番シビアなところで、
  ライバルカーとの競り合いが起こるように作られています。
  ホームストレッチ直前のヘアピンとか。
  コースに必ず盛り上がりどころが用意されていて、
  そこで、敵車をかわすのか、インをついて弾き飛ばすのか、
  そこはプレイヤーの力量と気持ちヒトツで選択自由ですが、
  バトルはそこで起こる。そういうデザイン。

  オイサンはレースゲームやSTGの「コースレイアウト」というのは
  シナリオだと考えていて、
  『リッジ』のやっていることは、
  シナリオの最も盛り上がるところでライバルと激突が起こりやすくする、
  もしくはそう誘導する、ということだと思っています。

なので、もしも本当に、<スキGOOD/BAD><ソエン>に
作り手の何らかの意図が、想いがこめられているのなら、
そういう構成、そういう誘導、そういうゲームデザインを、
何故作り手はしなかったのか。
そこに疑問がありますし、
同時にその迷いや躊躇いを美しい、愛おしいと思いますし、
やっぱり同時に、惜しい、残念だッと、歯噛みするほかないわけです。
やりたいと思うなら、やれば良かったのに。
見たかった。
彼らが本気の牙を剥いたギャルゲーを。
恋愛ADV・SLGを。

「<ソエン>って何なんだ、<スキGOOD/BAD>って何なんだ。
 なんでこんなものを、作り手は用意したんだ?」
……ということが、ワリと重たく取り沙汰されることの原因は、
1)に含まれるようには見え難く、2)であることも明言されていない、
つまり
「ゲームの目的として居場所がないのに、
 (受け手によっては)強いインパクトを受けすぎる・主張が濃すぎる」
という、
そのせいなのだろうなあと、オイサンは思います。



■……まあね。



こういう話をすると今度は、前作であった色々が持ち出され、
「それら色々を払拭するため」であったり、
「尖りすぎることを嫌ったため」であるなど、
なかなかフクザツな経緯を踏んできているので一筋縄では語れないところはあるのですが、
そこには「程度」というさじ加減含め、いくらかのやりようはあったと思うのです。
それに、やるならやるで、そんなことまで慮ってる場合ではない。
どちらかに絞らなければならなかったのではないか。

デ結局、そこを迷った挙句に両方詰め込んで、
匂わせるべきところで一歩引いてしまった。

  少なくともオイサンには、
  「それが実装されていること」以外にその意図を感じとることが出来ず、
  「実装されている」ことの理由としては、
  <スキGOOD/BAD><ソエン>が、<スキBEST><ナカヨシ>等々と、
  見た目フラットに配置されていることから、冒頭でも書いた
  「あらゆる行動へのレスポンス・結末を用意すること」という動機に解釈することが
  自然で無難であると思ってしまいました。
  それだって、かなりなチャレンジですからね。
  そうであっても不自然ではないと、思えるのですよ。

その時点でもう、
「<スキGOOD/BAD>に特別な意味をこめたことを伝えたい」
というエゴの大部分を放棄したのだと、オイサンは受け止めました
(<スキGOOD/BAD>が作り手にとって2)に当たる、
ということが事実だったと仮定した場合の話、ですよ。くどいようですが)。

なので、
<スキBEST><ナカヨシ>は1)の要素として、フラットに君臨し、
<スキGOOD/BAD><ソエン>は、やはりフラットではあるのだけれども、
ちょっとこう……中二階的な高さにある、けれども特別な何かでもない、
幾つかのエンディングのひとつに過ぎないと考える次第なのです。

各ヒロインごとにEPコンプ的な目印が用意されていれば、
その<スキGOOD/BAD><ソエン>の二つが作り手のメッセージであったという風に
解釈しやすくもなると思います。

しかし『アマガミ』ほどの規模に膨れ上がった物語の中で、
その結末全部を網羅して初めて、
2段階ある大結末の差分の部分が印象として強く浮かび上がってくるかと言われると、
……オイサンの感覚の話にならざるを得ませんが……
受け手の感覚としてはそれは弱く、
「それがメッセージである」という受け止め方をするには、なかなか至らないように思います。

第一段階で示された結末(<スキBEST>+<ナカヨシ>)が第一義とされ、
第二段階で加えられるものは、ボーナス的な扱いか、
良くても他の結末とフラットな位置にあるもののように見えると……
実際に絢辻さんの<スキGOOD/BAD>、そして他ヒロインの<ソエン>を集めてみて、
オイサンは感じるのです。



■えーと、だからと言って。



<スキGOOD/BAD>や<ソエン>を、
ことさら重たく受け止めるのがおかしいとか、
そういう話でも決してないことは、お分かり戴けると思うのですが。

だって、上でも書いた通り、全ての結末は「フラット」なのです。
平地。
平ら。
<スキBEST>だろうが<ナカヨシ>だろうが、
<スキGOOD>だろうが<スキBAD>だろうが、
プレイヤーのとった行動が反映されて導かれた、その過程と結末、
そのどれを最も重く受け止め、価値のあるものであると自らの胸のうちにしまい、
現実に持ち帰るのか、
それはもう、プレイヤーの自由なのだと思います。

  もちろん、「それだけが最重要、それが全て!」
  という判断を、周りに押し付け説いて回る向きがあれば、
  それはやはりおかしなことだと思いますけどね。
  そういう人もいる、そうじゃない人もいる、
  それは、……たかがギャルゲーごときで大袈裟な話になるのは好きじゃありませんが、
  それぞれがこれまで歩んできた人生の中で拾い集めてきたものの、
  どんな窪み、どんな出っ張りに、
  『アマガミ』で、ヒロインが、サブキャラが、そして橘さんが、主人公が……
  ……語ったでこぼこな物語の凹凸が、
  うまくはまったかってことだけなのだと思います。

作り手が本当に見せたかったもの、届けたかった想い、
実際のところそれらの要素がどういう配置で位置づけられているのかは、
今のところ公式の発表にはなかったと思いますが、
……そんな風にね。
彼らが最終的に作り上げ、オイサンらの前にポンと置いたものからは、
読み取れてしまいましたよと、思った次第です。

  そうそう、冒頭で持ち上げた「メインのルート」の話、
  ここまでのお話で大体分かっていただけたと思いますけど、
  「全EPコンプまでの道のりで手に入れる、
   自分の納得のいく、自分にもっとも響くエピローグと、そこに至るプレイ」
  ってことになりまさあね。
  毒にもクスリにもなんねえけど。


      ・
      ・
      ・


まオイサンがこういう結論に至った一つの理由と言うか
経緯をご説明申し上げますと、
オイサンはこれまで、育成恋愛SLGをメインに遊んできたわけです。
そういう世界では、恋愛ADVや、ADV的なSLGとは違って、
<スキGOOD/BAD>や、<ソエン>的な展開も、至極当たり前に起こる事でした。

それは『アマガミ』ほど物語寄りに、ドラマチックに描かれはしませんでしたが、
オイサン扮する主人公の行動や選択によってヒロインたちに降りかかった
不幸な結末に思いを及ばせるにつけ、心は痛みますし、
胃をやられたことも一度や二度ではありません。
そうした結末に対してプレイヤーが心に重いものを感じることで
ある意味一つの責任を果たすということも、一切合財、全然特別なことではない。
そう思うのです。

  そこに発生した不幸を己の身に照らし合わせ、
  同一化し、
  深く感情移入することは、ある意味日常的なことでさえあった。

そんなことから、<スキGOOD/BAD>や<ソエン>の置き場所に困ったり、
必要以上に扱いに困ったりすることに、割と違和感を感じており、
今回、それらに対する解釈を明らかにしておこーと、
記事にまとめるにいたった次第です。


マそんな解釈で、
オイサン的にはあらゆる選択が等価の意味を持つ『アマガミ』の世界では、
そこに重みづけをするのはプレイヤーの仕事であって、
「テレビゲームはプレイヤーに遊ばれてこそ初めて完成する」という、
遠い昔にゲームの神様が言ったオコトバを、
奇しくも体現しているように思うのです。

そしてそこに遊び、
独自の答えを見つけて今日も元気に頑張ってるプレイヤーの皆さんは……
なんだかやっぱり、いいんじゃない?
それってオトナじゃん?
みたいなね。

そういうステキなゲームの世界ですよねってことを、
改めて感じ入った次第でありますことよ(詠嘆)。

マ皆さんのね。
なんつーか、物の考えの一つの題材とか、
酒のつまみの一つにでもなればと思うですよ。



オイサンでした。


 

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