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2010年5月12日 (水)

■ある朝の釈明 -更新第494回-

オイサンです。


10日の晩、家で晩ゴハンを食べたあと寝オチしてしまって、
目が醒めたら3時を回ろうかという頃でした。

いかんな、ちゃんと風呂入って明日の支度して寝ようと思い、
PCを落とすために画面に向かうと、Twitterのクライアントが立ち上がっていた。

で、まあ……そのとき、寝起きで頭も変に冴えていて、
それなのに分別はついていなくて、
よせばいいのにそのとき寝る前までに考えていたことを、
とりとめもなく書き込んでしまえ、と……
ちょっとTwitterに関して、閉塞感とか、鬱屈した気分とかがあって、
よぎる不安もあったのだけども
時間軸がパラパラと前後するままに書き殴ってみた。

するとタイミングも良くなく、
そのタイミングが悪いことも承知していたのですけども
(なので悪意が全くないとは言えず、
それについてはどうしようもなく無分別で申し訳ないと思います)、
やはり幾人かの方々の目に留まってしまって、
指摘だったり、リアクションだったり、やんわりとしたお叱りであったりを、
ありがたいことに戴くことができました。

多分他にも目にされた方々はいて、
何かをおっしゃってくれた方同様、そして何もおっしゃらない分、
モヤモヤした感じや不愉快な思いをされたんじゃないかと思います。

大変申し訳ありませんでした。

ですので、まあ、改めて展開してしまうというリスクはあるのですが、
何も言わないままよりはその感情の断片の正体が明らかであった方が
多少なりともマシになったり、矛先を定めやすくはなったりすると思うので、
その全文を再掲して、一個一個、思い出せる限り……
……正直、そういう状態で書き込んだものですから確固たる意図もあったりなかったりで
フラフラするとは思いますが……
ばらしていこうかと思います。

リアルタイムでご覧になった方で、不愉快な気持ちになって、
「もう見たくない」という方は、以下、見ないほうがいいかもしれません。
各センテンスの番号は改めて便宜的に振ったものです。



■本編



1) なんか、あれだな。
  ちょっと歪んだ連中が、やたらと自分の根底に響いちゃって、
  喜んじゃったって感じなのかな。そりゃ共有も拡散もしないと思うよ。
  当の本人たちが誰もそれを望んでないんだもの。

2) 生きた言葉の海で彷徨うのは、やっぱり並大抵じゃないな。
  自分がこれを望んでたのかったら、わからないや。ていうか望んでは無いな。

  不思議なもんだねえ。
  広がれば広がるほど窮屈になっていくのは、オイサン自身のせいなんだろうけど、
  みんなはそうじゃないのかな? 他の宇宙を別に用意してるんだろうか。

3) 美味く自由に、上手にやってるひともちゃんといるわけだから。
  ここも結局はリアルではないってことなんだろうな。

4) 虫みたいだなそれは。あんた、背中が煤けてるぜ?

5) 言いたいこと、やりたいことがある連中と、実はそうでもない連中がまじりあってて、
  そうでもない連中の方が実は上手につきあっている。
  前者の方は、色々ありすぎて、多分うまく回って無い。
  自重で圧潰しなけりゃいいけど。

6) 流れてくる音楽に合わせて踊るのに必死で、
  いたずらしたりアドリブこいたりする余裕がまだまだなかったなあ。
  マまだ始まったばかりだからしゃあねえか。
  隙間隙間に、自然に挟んで行けるようになればいいだろ。

  音楽ばかり聞き過ぎてたら踊るのも楽しくなさそうだもんね。

7) やっぱこの年になれば、そういうことが必要か。
  知らないけど。
  寝よう。おやすみタイムライン。
  おつぶやき



■概要



先ず始めに全体、これがどこの誰とか、
具体的にどんな事柄に向けられたものなのかというハナシですが、
特定の矛先はないです。

タイミング的に「アレのことだろう」とアタリのつく向きはあると思いますが、
それはきっかけに過ぎず、
それによって触発された幾つかのことに複合的に着火した
というのが正しいと思います。

番号を振ったとおり八つのブロックに分けられていますが、
それぞれが全然個別の事象に向けて発せられたもので、
前後の繋がりも全然無視されてます。
唯一大勢を占めるとすれば、Twitterのありようそのものに向けられたセンテンスがほとんどですが、
それも5)についてはちょっと違う感じです。



■各センテンスについて



▼まず、1)。
冒頭から思いっきり迂闊です。
すみませんでした。
このpostをする前日の晩に『アマガミ』関連の議論がTwitterの上でありまして、
それがこのセンテンスの引き金になっていることは否定できないのですが、
このセンテンスの全てなのかといわれたら、それは明確にNoです。

それ以外にも、Twitterそのもののあり方ですとか、Webのあり方ですとか、
『アマガミ』以外の、ちょっと昔の別作品とか、
それら全部を混ぜこぜにして、ちょっとずつちぎった塊に対してついたコメントという感じです。

……そもそも、前日の議論の内容は別段こういう内容ではなかったので、
多分大丈夫だろうと甘えたのがまずかった。
共有や拡散というキーワードは議論に連なる部分がモロなので、
解釈的に無理があるのも承知なのですが、
上記のような色々に関する考察をひっくるめたごった煮がこのセンテンスです。


▼2)。
これはいきなり、Twitter単体の話題です。
キーワードは「窮屈」で、Twitterみたいな、緩やかでお気楽に見えるスペースでも、
知り合いや出来事が積み重なっていくと、無作為にぽんとおいた瑣末な言葉でも、
深く受け止められてしまうことがありそうで怖いな、程度の意味です。

議論上の衝突を取りざたされそうですがオイサン的にはそれはなく、
以下の3)の一人愚痴が出来にくいことへのワダカマリが主です。
「知り合いの前では一人愚痴もやりづらくなるよな」
くらいのことです。

コレに対して戴いたレスが、とても示唆に富んでおりました。
要約すると
「広がるほどに窮屈になるのは当然で、
 それでも他者と自己の妥協点を見つけていくことが成長だ」
というようなことでした。
それに対してオイサンとしては、
文字通り広がるほどに自由になるものもやはり知っているわけで、
マ反論できる立場ではないのですけども、
そこをバッサリやられてしまうのはどうにも居た堪れない。

ただそれは結局その成長によって実現されるもので、
吾でありながら他者を受け入れることを、意識なく、
自然に出来ることが出来るようになれば、
窮屈さよりも広がりが残っていくだろうと思います。

それが妥協によってなされるのかといわれると、
オイサンのイメージとは違うのでまた違う言葉を捜したいと思いますが
今のところは「理解と融和」あたりに落ち着くのかなあと思っています。
マたかだか言葉尻のハナシかもしれませんが。


▼3)。
前半の「美味く自由に~」が2)の続きなのは明白なのですが
(ちなみに「美味く」は「上手く」の誤字ですね)、
後半の「ここも結局はリアルではないってことなんだろうな」は、
翌朝の時点で既に、自分でも意味をよく理解できませんでした。

2)からの流れとしては逆じゃないの? と思ったのですが。
説明を求められ、やはりその場では答えられず、
大変申し訳ないと思った次第で、改めて思い出そうと努力をしてみました。

そこで沸々と思い出したので、それをここでキチンと書いておきたいと思います。

「ここ」は明らかにTwitterのタイムライン上のことなのですが、
Twitterがつぶやきのツールで、タイムラインは勿論公の場で、
それは疑いようのないことなのですが……
なんというか、その「つぶやき」という行為と「公」というスペースの相容れなさというか、
馴染まなさというか、
その齟齬にちょっと欝っとしてしまったことから出た言葉だと
思い当たりました。

たとえば、毎朝の通勤の行き帰りの道も公の場であるわけで、
そこで「負の感情」を呟くことは、まあ、あると思うんです。
「やってらんねえよ」とか「ホント使えねえよな」とか「ばかじゃねえのか」とか。
一人愚痴レベルの断片の発言を。

それをね。
Twitterでは、やっぱやりにくいな、と感じて、
でも、一人愚痴をやりたいときもあるのにな、同じ公でも道端や公園では出来るのに、
例え誰かに聞かれても、道端に吐き捨てられた周囲と無関係の愚痴は
まあ眉を顰めるくらいのことはされるかもしれませんが、
スルーしてもらえるのにな、と思った次第で。
そういう意味で、Twitterの公さとそこのこぼれるつぶやきには「リアルさ」が欠けるな、
という感情です。

基本的には、Twitter上には「言われなき正の感情」のつぶやきはあれど、
「言われなき負の感情」のつぶやきは存在しづらい。

2)で言う「窮屈」の一端が、そういうトコにもあるのかなあ、という流れだと思います。

無論、
タイムライン上に存在する方々、すなわち自分のフォロワーの方々と言うのは、
現実世界と違い、何がしか緩やかな繋がりのある方々に限定されるわけで
そういう意味ではやはり「リアル」とは程遠く
(マそういう意味では実世界でも自分の生活圏に限られたごく一部の方々としか触れ合いませんが)、
またそういう限定空間ではその愚痴を見かけた人は道端や公園の人々に比べて
「負の言葉」を気にかけやすい恐れはあるわけで、やるべきではないのですけども、
道端の無関係愚痴と同様にスルーしてもらうことが期待できれば、
もっと住み良い空間になる一面もあるんじゃないかという
なんとも浅薄な思いが入ってます。

しかし、その緩やかな縛りの中に身を置いた時点で、
そういう……「素」とは異なる別なリアルの上に身を置いてることに、
やっぱりここでもなるんだよな、という意味だったと、思い出しました。

だからまあ、気楽気楽、緩やか緩やかとはいいながらも、
どこか一枚皮をかぶったものであって、
如何せん、自分はまだそういうことを、
意識的に意識していない(変な日本語だけど正しい)とスポッと忘れてしまうようです。
blogももう4年目になるというのに、お恥ずかしい話です。
猛省したいと思います。


▼4)と6)
いきなり一まとめです。4)と6)で時間軸が前後しているので。
Twitter上で自分がどのくらい主体的に立ち回れているのかということを思ったとき、
結局外部からの刺激によってしか動けていないな、という、
6)が多少具体的にそれを書いた反省とやや前向きな思いで、
4)はその凹みと自虐。
センテンス間で時間軸が平気で途切れたり前後したりしているので
目の当たりにした方々はさぞかし混乱されたと思います。
申し訳ないです。


▼5)
ここだけ実生活のお仕事の話です。
わかりにくいな、ていうかそんなん分かるか。
意図的に書いたわけではなくて、
頭の中に浮かんだものを本当に連続postしただけだからこその謎構成。
なので、このセンテンスそのものの背景にあるビジョンは、オイサンのシゴトバです。
なので詳しくはかけません。
ごめんなさい。


▼7)
「そういうこと」は、家庭です。或いは何らかのパートナーシップ。
道端に吐き捨ててもカタルシスはなく、
新たに登場した緩やかなつながりの場でも吐露できない感情を、
じゃあどこで受け止めてもらえばいいんだろう?
という疑問に落ち込んだとき、
そういう話を、深く受け止めるでもなく、突き放すでもなく、
程よい距離感で聞いてくれる相手を見つけておけよいい加減、
という、わりと面白くもなんともない結論で終わっています。

飲み屋にでも行けよ、というハナシですよね。
全くその通りだと、今では思います。
ないもんですかね、Web飲み屋。


以上、本当に支離滅裂。
思い出せる限り、これが全容です。

モヤモヤした方、
心底ムカついた方、
ご意見お叱り、甘んじてお受けしますので、
コメントなりメールなりDMなりで戴けると幸いです。

釈明という意味もあるのですが、
中ほどあたりはTwitter考の一つの像として、
多少の価値はないかと思ったので記事とさせて戴きました。

不愉快な思いをされた皆さんには、重ねてお詫び申し上げたいと思います。
大変申し訳ありませんでした。
以後軽率な発言の内容に留意いたします。


……。


……というか皆さん、ワリと真夜中とかのタイムラインを遡って
ご覧になったりなさるのね。
そのことにワリとびっくりです、オイサン。


オイサンでした。

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