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2010年4月30日 (金)

■ハッピー・バースデーがきこえる<後編・6> ~手帳の中のダイヤモンド・番外編 -更新第483回-

前編 / 後編1 5-1 5-2 5-3 5-4
『アマガミ』絢辻さんSS 目次
『アマガミ』絢辻さんシナリオ解読「手帳の中のダイヤモンド」目次



            -- 6 --



「ありがとうございました。また、いらしてね」
 店のマスターであるおばあさんの柔らかな微笑みに見送られて店を出る。
店内の調度品と同じ茜色のドアが、時を感じさせるくぐもったドアベルの音
とともに閉まり、僕らが背を向けて数メートル歩いたところで店の灯りがふ
っと落ちた。僕らの影の向きと形が変わって、狭い路地は街灯と秋月の明か
りだけになった。
「しかし本当、お年寄りっていうのは食えないわね」
 振り返り、店から漏れ差してくる灯りが、弱い、奥の厨房からのものであ
ることを確かめてから絢辻さんが呟いた。
「え? 食べちゃだめだよ」
「……良い予備校を紹介しましょうか」
「……」
 い、今起こったことをありのまま話すと、絢辻さんの言った意味が良く分
からなかったからちょっと面白い返しをしたら大火傷をした。何を言ってる
か分からないかも知れなけれど、そういうことだ。絢辻さんといると、こう
いう恐ろしい事態の片鱗を味わうことが割と頻繁に起こる。
「冗談はさておき」
 細いベルトの腕時計に目を落とし、絢辻さんはため息を落とした。
「結局、こんな時間になっちゃったわね」
 でもその頬と口元は満足げに緩んでいたから、それなりの収穫はあったと
いうことなのだろう。

 とどのつまり、絢辻さんの探した腑に落ちる言葉が見つかることは最後ま
でなかった。
 あのあと、絢辻さんは僕の三冊百円のノートをさらさらと最後までめくり、
「はい。素敵な物をどうもありがとう」
と冷やかした。そして、
「前に、少しだけ話したことがあったと思うけど」
と、僕がノートを受け取って鞄にしまおうするのを、いつも通り、肝心でも
言いたくないことは言わない文体で引き止めた。
「え、何を?」
「本当は、当分はそんなつもりなかったのよね」
 まだヒントは出揃わず、僕は黙って、うんと鼻を鳴らした。
「予定が変わっちゃったから」
 予定。絢辻さんの、予定? 特別ではないのに、聞き覚えのある響きに戸
惑って泳いだ僕の視線を、絢辻さんはその大きな眼差しで捕まえて、鞄から
半分飛び出たノートへとチラリと導いた。
 そういえば、訊ねたことがあった。
『絢辻さんは、いつ頃結婚したいとか予定はあるの?』
 答えは確か、
『自分の人生がひと段落したら、そのときゆっくり考えてみるつもり』
だったっけ。
 絢辻さんのことだから、すぐにケッコンの、シュッサンのと言い出しはし
ないだろうけど、そのための心構えを意識し出す時期は確実に早まってしま
った、ということだろう。
 去年の今頃、創設際の準備に追われていたときも、彼女は
『やることだらけになっちゃって』
『仕事が、かさなっちゃってね』
と、サラリ澄ました猫の仮面に汗を滲ませていた。今も同じように、思わぬ
イレギュラーに苛まれて準備に追われているんだ、それを僕のせいだと、素
直になった大きな瞳で責め立ててくる。……か、可愛いっ……! 嬉しいッ
……!! ぼ、僕の彼女がこんなに可愛いワケがッ!!
「ははっ……それは、悪いことしちゃったね?」
「……。ゾッとするわよ」
「うッ」
 ……だから、その。調子に乗りました、スミマセン。皮肉めいた問い掛け
に、絢辻さんは僕をジトリと睨めつけて一拍分の間を置いた。だって、しょ
うがない。今のこの、可愛い絢辻さんを堪能したかった……。重く湿った声
に押しきられて僕は縮こまり。……絢辻さんはそれを確認して片目をつぶっ
た。
「そんな先まで、こんな大事なこと考えずにいたとして。その時、あなたみ
たいな人がそばにいなかったら、って思うと、ゾッとする」
 それは、ちょっと素直すぎるんじゃないかって……仕掛けた僕が怖くなる
くらい、絢辻さんはソーメンでもすするみたいにつるっと口にした。何故だ
ろう、それは夏の華やぎ。華やかな鰹の香りと、おろし生姜のスパイシーな
さわやかさで、空の底まで届きそうな深い青から下りた、束の間の影を冷や
したそよ風のようだった。その気配に、グラスの氷が姿勢を変えて白く光っ
た。
 これで満足? 冗談をかすめた糸が一筋と、幾筋かの、それでもほのかに
照れの残った糸とが僕の背中をくすぐっていく。
「絢辻さん……。そ、そっか」
「本当のことよ。……そうまで感じちゃうのは、やっぱり癪ではあるけどね。
今日ばっかりは認めて上げる」
 自分で言わせておきながらしどろもどろになる僕とは違い、絢辻さんは堂
々と、頬を染めつつも強い視線で微笑んだ。あたしに、ここまで言わせて。
どんなコテンパンの雪辱戦にしてやるかと心を躍らせている。
「おぼえていなさいよ」
 ……本当に素直だ。心の薄皮がまた一層、研ぎ澄まされて僕に近付く。そ
してサービスが過ぎたことにも若干居心地の悪さを感じたのか、それともく
たびれたのか、
「まあ、そんなことだから。あたしたちがこのくらいのトシで恋をするのに
は、きっと、それなりの理由があるってことよね」
と、ちょっと記憶にない曖昧さでお尻をずるずると滑らせ、背中も、首も、
腕も、だらしなく椅子に大きくだらりと預ける。珍しい。そして美容院です
るみたいに背もたれに首を預けると、長い髪がばさりと滝のように落ち、そ
のシルエットはまるで崩れかけの遺跡みたいで、
「十八かあ……」
と、気怠げな吐息と一緒に宙に放した。
 今このときが、そんな大切なことに気付くようにと体が仕掛けたアラーム
の鳴りどころだったのだというのが絢辻さんの考えなのだろう。
「分からないものよね」
 絢辻さんは少し悔しそうにして、白っぽい光を閉じ込めた視線を天井のア
ンティークなランプに泳ぎつかせた。ランプの傘に染み込む埃のような時間
の澱に何かを語りかけるような瞳は、しぼられて深く集中するようでも、開
かれた、散漫な諦めのようでもあった。憧れも見え隠れする。ゆび先で一押
しすればそのどちらにも振れて、でもまたすぐに真ん中に戻ってくる、そん
な視線はやっぱり迷いって言うんだろう。
 ……まだ遠い未来にあると思っていたものが、ちょっと「手を滑らせた」
だけでたちまち目前にまで距離をつめてきた、時間と、出来事の脈のような
もののふくらはぎの強靭さ・しなやかさは手に追えない。突然やってきたそ
れらに、失くしたものを思い出せ、取り戻せと突然の一夜漬けを強いられて、
しかもそのとびきりの難問にはヒントもない。先生もいなければ資料も残っ
ておらず、肝心のパートナーは筋金入りのトウヘンボクときている三重苦…
…。
 さっきは茶化してしまったけど、僕は本当に、少しすまない気がしてきた。
僕があそこで手帳を拾わなければ。拾ったとしても、もっと違う態度を取っ
ていれば……たとえば、毅然と中を見ていないと主張するとか、キスの契約
を受けないとか……絢辻さんのこころは、もっと穏やかで、高いところに居
続けられたのかもしれないと思った。
 ランプの照らし出す黄味がかった明かりは、柔らかで心地よかった。その
光は絢辻さんの輪郭をぼんやりと滲ませて照らし出し、今、僕らにふさわし
いだけの暗さを残した明るさであることは疑い様がなかった。
 絢辻さんでも、迷ったり悩んだりすることがあるんだと、僕はおかしな感
心をした。
 絢辻さんの抱いた不安……家族に始まる水と土を持たない自分が、そうし
て家庭を築き、自分の受けたのと同じ過ちを犯さずにいられるかどうかとい
う恐れ、そして、突如自分の目の前に現れた家庭への道筋を前にして、準備
の時間と手がかりがあまりにも少ない、という焦燥。
「……でも、絢辻さんは大丈夫だよね」
「え?」
「もらうよ」
 首だけを起こして僕を見た絢辻さんを放っておいて、彼女から譲り受けた
ケーキをさらにひと匙、チンと切り取ってパクリと行った。
「あっ」
 絢辻さんがとがめるように声を上げた。秋の空調にさらされたスポンジは、
さすがにはじめの頃よりもわずかに乾いてしまっていたけれど、そこに潤と
しみ込んだ紅茶味の甘みはしっとりとしてがっしりとしている。
 絢辻さんのお誕生日スペシャル、紅茶の大きなシフォンケーキは、これが
ようやく折り返しの一歩目だ。……にしても、でかい。生地がフワフワシフ
ォンで大半が空気だということを差っ引いても、女の子一人に出すサイズじ
ゃあない。店のマスターであるおばあさんも、随分と考えなしだ。そうは思
いつつも僕はちゃっかり、そのご相伴に預かっているんだけど。ゴクン。
「うん。やっぱりこれ、おいしいね」
「ちょっと、なによそれ。ひとの話ちゃんと聞いてた?」
「き、聞いてたよ」
 嬉しそうに、モシモシとスポンジを食んだ僕の態度と言葉、その二つのち
ぐはぐに絢辻さんは不服げで、緩んだ姿勢のまま険しい視線を投げてくる。
真剣に不安がっているのに、大した問題じゃないと言われたみたいで気分を
害したのだろう。
「まったく……その様子じゃ、根拠なんてなさそうね」
 けれど少しの沈黙の後で、そんな風にいからせた肩から力を抜いた。
「ははっ、まあね。勘だよ、カン」
 僕の妄想の中の絢辻さんが、子供を抱いて嬉しそうに笑ってるから……な
んて言ったら、今、いくら素直になってるといっても曲がったおヘソとツム
ジに絡め取られて絞め殺さるに違いない。だから今は適当な言葉でごまかし
た。でも僕には確信があった。絢辻さんはその喜びに--たとえ一人でも-
-誰より、敏感になれるはずだって思った。梅原。マサ。ケン、ユウジ。誰
が呼んだか、「ジェントル四魔貴族」。そんな連中にも一目置かれるこの僕
の最新鋭の妄想エンジン、その馬鹿げた紳士性能が生み出すトルクは現実に
強く接地して、リアルな幻を生み出すんだ。だからきっと間違いない。
「うん、いいわ」
 絢辻さんは、やけにハッキリした声を僕の心に割り込ませた。ほぼ寝かせ
ていた体を立て直し、おろしたての消しゴムのような、ピンとまっすぐだけ
ど丸みのある声で、
「じゃあ、この件に関してはあなたに一任」
……と、僕に決裁を突き付けた。イキナリだ。心の中で、ばんっ! と分厚
い音を立て、「承認!!」と書かれた大判の認めが押される。突如下った決
定に、僕は吃驚してのけぞった。
「えっ!? 僕にって、何を……」
「いいの、気にしないで。あたしが見方を変えるだけ」
「って、言われても……」
 まただ。あの時と同じだ。「あなたをあたしのものにします」って、……
決定事項を通達するだけなのは絢辻さんの、上司としての悪いクセだった。
 絢辻さんの危ぶんだ、やがて訪れるだろう瞬間……梨穂子の焼いた油断と
喜びに満ち溢れた、ケーキのような時間とその主役の送り迎えを、失礼のな
いように出来るかっていう、そんな、優しくて甘やかな心配事だ。ただ、そ
れを僕に任せるっていうことの意味と形が分からなかった。僕は一体、何を
すればいいの?
「考えなくていいの。あたしももう、半分はあなたに預けるつもりだったん
だし……ん?」
 絢辻さんはさりげなく、またケーキに手を伸ばそうとしたのだけれど、そ
のフォークが僕の手の中で、クルクル、クルクル、驚きと戸惑いをごまかす
つもりで寧ろ「びっくりしてます、困ってます」と、踊っているのを見ると、
その手を膝に戻した。
「あなたがそう来るなら……そのあなたが大丈夫って言うなら、それを信じ
ることにする。それだけよ。お互い、やることは変わらないわ」
「ああ……うん」
 曖昧に肯きはするものの、最初の「預ける」が、何をどうすることなのか
は、やっぱり分からない。気持ちの問題なのか、それとももっと、体を使っ
たご用事なのか? けれど、人生の、そんな先の瞬間にまで僕がそばにいる
ことを思馳せ疑っていない、そんな、絢辻さんの覚悟の決まった無根拠に僕
ごときの気まぐれな無根拠が抗い通せる道理はなかった。僕は白旗を揚げた。
「わかったよ」
 というか、丸呑みした。
「はい、じゃあ、お手」
「え? ワ、ワン。 あ……」
 ……あんまりだ。思案の隙を突かれ、僕は差し伸べられた掌のあまりに柔
らかそうなことに、ついつい反射的に自分の手を重ねてしまった。絢辻さん
は小さく吹き出して、僕の手に摘ままれたままだったフォークをさっと奪っ
た。
「そうね。それでいいわ」
 しっとりとした微笑みで切り取るケーキのかけらは、本日三度目。僕の鼻
先に差し出されて、釈然としないまま僕はそれを口で受け取った。
「ほんとにもう……あむ」
「おりこうでした。良く出来たわね」
 温かく細めた眼差しと、まるで猫かぶり時代のようなころころと丸い声で、
お褒めの言葉を頂戴する。もぐもぐとスポンジを口の中で転がしながら、僕
はいよいよ最後の紅茶にクチをつけ始めた絢辻さんをひそかに見つめた。
 ピンク色した艶やかな唇が、外国生まれの陶器のフチでひたりとつぶれて、
ぷるんとふるえる。その奥にちろちろ見え隠れする、もっともっと艶かしい
舌先は、まるでそれが絢辻さんに住まう主のようで……。
 うーん。
 ドキドキする。
 ……美味しそうだな。
 あとで、ひとクチもらおう。



                              (続く)



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