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2010年4月22日 (木)

■いつか、つぶやきの海で。 -更新第479回-

果たして、オイサンがオイサンであることに
一体どれだけの意味があるというのか。

そうは言いつつもオイサンです(なんなんだ)。



■さざえのつぶやき



ここ二、三日、twitterにワリと浸ってみた。
というか、『アマガミ』ラジオの公録が近づいたので、
同じ参加する人がいないかなーとか、
他の『アマガミ』周りの人たちのお話も聞いてみたいなーと思って、
らしくなく、人との繋がりを求めてみたのですが。

  ……そんな活動をするなんて、一体もうどのくらいぶりだろうか。
  本当に久しぶりの感覚です。

そんな中でtwitterを使っていて気がついた、
或いは嬉しかった幾つかのことを書いておこうかなあ、と思います。

 ▼こんな風に使ってます

twitter、マどんな使い方も出来てしまうツールなのでアレですが、
オイサンのtwitter周りはほんとにザックリ
「不特定多数相手のおしゃべり」の道具になっています。

適当に、思いつきで大して意味もないことを言い放ち、
人のつぶやきを眺めて、
時につっこみ、
時につっこまれ。
誰のつぶやきを見られるようにするか(いわゆる「フォローする」というヤツです)は
使う側の好きに出来ますから、
ただただ眺めて、気が向いたらつっこんで、
風向きがよければお返事も戴けて。

ときに議論が発生したりして。

フォロー返し(自分からフォローした相手に、フォローしてもらえる)は
ワリと高確率で発生しているので、
自分がフォローしている相手は相手も自分のことをフォローしてくれているものだと思い込んで
砕け気味の話しかけ方をしてみたら実は相手はまだこちらのことをフォローはしていなくて
いきなり話しかけた格好になっちゃったとか、
たまに失礼なこともしてしまっていますが。

  ……ここで謝っておこうか。
  えーと、オイサンの相手をして下さってる皆さん、どうもすみません。
  極力自分で気をつけていますが、
  失礼があったら指摘を戴けると幸いです。
  オイサン、いい年なのにお調子者ですから……。

そんな中で発生した、ちょっと意外だった出来事。

 ▼1. ゴカゾクみたいかもしれない

昨日、家に帰り着いてすぐのことです。
体力的に、なんだかやたらと消耗してしまって、
ほうほうのていでPCを立ち上げて、ざーっと着替えた傍らで、
「ようやく帰り着いたぜ……」
的なくたびれ気味の一文をボソリと落としたのですが、それに対して
「おかえりなさい」
と、何人かの方が返信をつけて下さった。

別に、そういう挨拶返信自体は初めてのことでもなく、
寝起きに「起きた」と打てば「おはよう」と返信がつくことも普通だし、
「でかける」 → 「いってらっしゃい」
「寝る」 → 「おやすみ」
というのは普通にやりとりされているのですが。

  ……本来、ここまでのやり取りをするための道具ではないのかも知れないなあ、
  もっと実の詰まった情報共有・展開的な使い方をしてる人の方が
  主流なのだろうなあと思いはするのですが、
  いろんな使い方があっていいツールなのでもちろんこれだってありでしょう。
  こういう挨拶なんかでタイムラインが流れていってしまうのを嫌う人には、
  若干申し訳ないと思いはしますが。

そのときはくたびれていたせいか、
その「おかえりなさい」が妙に嬉しかったのです。
ジンワリ沁みた。三日月刀。
関東で独り暮らしを始めてからはや十数年……
なかなかこう、家に帰り着いて人に「おかえり」と言葉をかけて戴く機会なんて
なかったものですから。
変に感激して元気が出てしまい、
「あー、こういう元気の出方も、ホントにあるモンなんだなあ」
と感心してしまいました。

こう……メッセンジャーとか、「特定の相手に投げかけるもの」だと、
こうはいかないのでしょうね。
特定の相手に向けて送る場合、他に目的や用事があれば、
そのマクラや連絡として「家に戻ったよ」くらいのコトは言えるのでしょうが、
ただただ「帰ってきた」という報告だけを投げたりは……
余程親しい相手でもないとしないでしょうし。

それがtwitterの場合、
一応自分で相手を選別して「場」を作る(=誰と誰をフォローする)とはいえ、
場にいる人間はそれなりに多数いて、
その場の中の誰に向けたか、誰に届くか分からないからこそ
人ではなく「場」に向けて、気軽に言葉を投げられ、
何も返ってこないことを前提に振舞う準備も出来る。
スルーするときには自分も気軽にスルーするから、
「スルーされる」ことに対しても重くならずに気軽でいられる。

それでもまあ、応えてくれる人はいるし、
自分も応えようという気になる。

なんかその在り様に、素っ気無さの温かさみたいなものがあるなあと思って、
……こーいう風に書くと、その気も無くその場にいた人たちとか
もっとドライなツールだと捕らえている人たちには「ゲッ」と思われるのだろうから
言うのを躊躇うけども、素直な感想として言ってしまうと……
大きな家族みたいだなあと、勝手に思いました。

家族とまではいわないまでも、共同体というか。
クラスというか。
実際、何を期待したり依存したり、実益があったりっていうこともないので
おかしな話なのですけども。

下宿に帰って誰かいるかどうかも分からずにとりあえず
「ただいまー」
「おうお帰り」
「アいたの」
みたいな感じです。

 ▼2. 自分、不器用ですから

デそういう温かみを感じてしまうと、
自分がしてもらったことをお返ししたいとか、失礼のないようにしたいとか、
他の人にもしてあげたいとか思ってしまうわけで、
そうなるとオイサンなんかは……
「そのタイミングを逃したくない」と思ってしまったり、するわけで。

  それはtwitterの売り物である、せっかく「緩いつながり」という要素を
  台無しにする考え方なワケですが。

若干、張りつき気味にもなってしまうわけです。
不器用ですね。
勿論、義務感とか強迫観念ではなくて、
「面白い議論発生のタイミングを逃したくない」とか、
そういう気持ちもあいまって、ではあるのですが。
やはりそういうキツめのキモチというのはこの際、よろしくない。

それと、ここ十何年、新しい、穏やかな人との繋がり
(よーするにオシゴトとか抜きの友人関係)をほぼ持たず作らずに来たオイサンは、
一端乗ったその和/輪の流れから、外れることが怖かったりもする。

  ……誤解のない様に申し上げておきますが、
  そこには多分、明確な「和/輪」なんてものは存在しないのだとは思います。
  あったとしても、至極緩やかな連帯というか、仲間意識というか。
  不器用なオイサンが勝手に、
  自分のタイムラインの上に思い込み、見出しているだけであって、
  客観的に認められるものではない。
  そこに落ちている点同士を、ユーザー一人一人が主体的繋げて
  見出していくものなのでしょう。
  だから、あるといえばあるし、ないといえばない。
  皆さんそれぞれに、輪のようなものを感じてはいると思いますけど、
  それもまた皆がみんな、ちょっとずつ違う形に捉えていると思います。

そんなキモチのせいで、この数日はちょっと入りすぎたな、と。
他のことに満足に手が回らなかったし、何なら若干寝不足気味で。
この先ちょっとずつ上手にその見逃しを諦めていかないとなあ、
と思ってはいます。
ただでさえ、書き物もゲームも、うまく時間配分できていない状態ですしなー。
アカンわあ。
ホンマ不器用。

皆さんが当たり前に暮らしている時間は目に見えないところでいっくらでも流れているわけですから、
そこをちょっと覗く窓が開いた、くらいのキモチでいた方が
多分、健全に回るのでしょう。

 ▼3. みんなでおてほん

デ、もう一つ見つけた面白いこと。

そのどうでもいいことを安心して報告できる空気感の中で
無遠慮に投げ続けられる
「起きたー」とか「仕事行く」とか、
「ご飯食べた」「なに食べた」
「帰る」「帰った」
「風呂」「寝る」
というのを連続的に眺めていると、
その人々の「生活のタイムライン」のようなものがボンヤリと、
本当にボンヤリだけど見えてくるようになるワケです。

  厳密には、「タイム」ばかりでなく「スペース」も
  垣間見えますが。

何時頃に起きて何食べて、出かける前に何をして、
何時頃に出掛けて、何で移動して、通勤/通学にどのくらい時間がかかって、
どのくらい働いて/勉強して、どのくらいサボってw、
どのくらいに帰ってどのくらいにお風呂入って寝るのか。

もちろん、一人の人にフォーカスして追っかけたりするワケではないので
誰がどんな、という詳細は分からないんですけど(それはtwitter的ストーカーだな)、
学生さんならではのライフスタイルとか、
サラリーマンっぽいあり方とか、そういう大きな括りでの傾向は見えてきます。
やっぱ社会人は学生さんのテンポではつぶやけんなあとか。

  また自己申告だもんですから、覗き見のような背徳感がないのもいいです。
  あと関係ないのですが、やたら働いてる人とかいて、
  アタマの下がる想いです。
  みんな、思った以上に立派だわ。
  働き者。
  オイサン含めて、ダメ人間はホントダメだけどw
  あ、良い意味でね。愛おしい。

それを見ていると、自分と、自分以外の多くのみなさんとの隔たりというか、
どのくらいテンポを異にしているのかとか、
落ち着きが足りないとかw、節操があるのかないのか、
「自分と似たような境遇・立場にある(と思しき)人たちと比較して、
 自分はどう違うか、何が足りないか?」
みたいなことが、うっすらと感じられたり、します。
これは面白い。

「大人はこうあるべきだ」じゃないですが、
「自分と同等の社会的位置にある人間は、
 このような配分で生き、このようなことを身につけている」
ということが分かる、
そんな、『自分以外のみんな』という大きなデータベースからにじみだす
『ぼんやりした、どうやら当たり前的なもの』を共有することで、
「世間から見た、今の自分の立ち位置に相応しい暮らしのあり方」
のようなものを、ある程度思い知り、身につけることが出来るのではないか。
そんな風に思いました。

「みんな」の「全部」が、自分の暮らしのお手本になりうる、
そんな感覚。

  時空的に不特定多数ってのがまた良い。
  同じ職場とかだと、やっぱりローカルルールや似たような時間軸に
  しばられますからね。

「別にイマドキ、そんなに周りを気にする必要もないんじゃね?」
というのも当然ですが……
でも、今の世の中、やっぱりあった方が良い、
「ある程度の線引き(年齢・地位 etc)」と「それに伴うたしなみ」が、
ちょっと失われ過ぎなんじゃないかと、
オイサンは感ずるところもあったもんですから……。

まその辺はオイサンが大人として弱っちい、
お手本がないと不安でうまく振舞えないというだけかも知れません。
ンなもんない方がやりやすい、という方もおられるでしょう。
でも、社会規範のようなものはある程度あった方がいいというのが
オイサンの考えです。

  そんで多数決が規範になんのかとか
  twitterでいいのかという問題はありますけど。

マそんなことでね。
まとまりはありませんが、以上がここ数日のtwitter雑感。

楽しい時間なのですが、
若干中毒性もあって、
このまま続けてると変にテンションが上がったり、
暴走してイタイ目を見たり、迷惑をかけたりしそうなので、
使い方とコントロールを考えないとなあ、という感じです。

何よりもかなり心地良いので、他を蔑にしてしまいそうでよくない。
自重、というやつです。


ですが、せっかく繋がった和です。
出来ることなら大事にして、面白いことのヒトツも出来ればいいなあと、
小さな群れでしか生きてきていないオイサンなんかは
心から願う次第なのでした。


イヤ、ほんとにね。
楽しいですし、なかなか無いことだと思いますから。



オイサンでした。



■勇者王ガオガイガーED いつか星の海で




 

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