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2010年3月10日 (水)

■ことば味のミカン、お値段はひと山いくら -更新第446回-

一つ、分かったことがある。


言葉とは、客観的で一般的で平等なものだったんだ、
ということだ。


どうして誰もが
「自分のこの気持ちは、ありふれた言葉では伝えきれない」
と考えるのか。

それは多分、その気持ちを言い表すには、ありふれた言葉でも十分だからだ。

皆が皆、ありふれた言葉でも十分伝え切れるくらいにありふれた気持ちを
自分だけの特別のものだと思いこんでいるから、

逆の言い方をすれば、

皆が皆、特別な気持ちを抱いているから、
その特別は均質化され、ありふれた言葉でも皆が十分に理解するくらいに均される。
皆がその言葉を自分の特別に照らし合わせれば済むことだ。

そんな風に言葉は、実際と均されることが織り込まれ、
「今ある言葉で充分である」と目されて流通する。

ありふれた言葉しか世の中にはないという事実こそが、
我々の一人一人の気持ちが特別なようでいてその実、
ミカンのように不揃いではあるけれどもどれも同じもので
ミカンはミカンであることに変わりはない、と証明しているようだ。
そして、誰もがミカンの味と、その様々であることくらいは知っている。


なんというか、それはそれで、多分幸せなことのような気がする。


……などと。


『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』のエンディングを聴きながら考えた、雪降る三月の夜。

オイサンでした。


 

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