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2010年2月 7日 (日)

■ハッピー・バースデーがきこえる<後編・5-2> ~手帳の中のダイヤモンド・番外編 -更新第419回-

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『アマガミ』絢辻さんSS 目次
『アマガミ』絢辻さんシナリオ解読「手帳の中のダイヤモンド」目次



          -- 5-2 --



 取り残された気分。
 二人とも、食べかけの紅茶のケーキに視線を落とし、こんなときにだけ聞
こえてくる、店のどこかにある水槽の音を聞いた。ブゥンと低い浄水器のう
なりと気泡のはじける音に、ごく稀に、元気者がぱちゃりと尾びれで水を發
ね上げる音が混じる。静かだ。静かだけど、その分、正面から揺らいでくる
高い熱の気配も空気の揺らめきになって感じられてしまうから……身動きが
とれない。
 この、沈黙の意味が分からないほど、馬鹿じゃない。だからこそ、こちら
からは動けなかった。絢辻さんの頭の無意味な高速回転が収まるまでは、そ
こに手を突っ込むのは危険だ、指が飛ぶ。
 それにしても、コーヒー一杯が落ちるまでの時間って、こんなに長いもの
だったろうか? これまで絢辻さんと過ごしてきたこの店での時間、お客が
ちょっとだけ多くて注文が滞ることは何度かあったけど、それでもこんなに
待たされたことってなかったんじゃないかと思うくらい、時計は進むほどに
逆加速度的に、ゆっくりになっているように思えた。水飴のプールで全力疾
走したら、多分こんな感じなんだろう。でも、それも錯覚なのだとわかるく
らい、お茶のお替りを運んできたお姉さんの足取りはいつもの倍か、二・五
倍、店の落ち着いた空気を切り裂くくらいだったから……煎れるのも相当に
頑張ってくれたんじゃないかとは思う。そして終始無言のままテーブルを設
えると、そそくさと定位置に引っ込んでしまった。奥でお祖母さんに何か言
われたに違いない。
 改められたカップとソーサーには、やっぱりさっきと同じカボチャの影が
見え隠れし、今度はティーポットにも同じ絵がついていることに気がついて、
絢辻さんは一瞬手に取るのを躊躇した。それでも、頬は赤いまま目つきをぐ
っと鋭くすると、それからカップにお茶を注ぎ、その香気と味をじっくりと
自分の中に沁み込ませていった。僕も、この隙を逃すまいと慌てて一口味見
をし、いつもより少し控えめに砂糖とミルクを落とした。甘ったるいのは十
二分、今の僕に必要なのは苦味と酸味だ。
 そうして、ようやく。
「自分でも、認めたつもりではいたけど」
と、絢辻さんは自分から口を開いてくれた。
「他人の口からああもはっきり言葉にされると、やっぱりちょっと、腹立た
しいわね」
「は、ははっ。そ……」
「『そうですね』」
「ぐっ!」
 引き攣れ気味に僕が笑って安易に同意しようとするや、さっきの僕の一言
を、絢辻さんは抑揚まで完全にコピーしてジロリと僕を睨めつけた。い、今
そこを衝かれるのは、割と傷つきます!! お茶を喉につまらせながら物乞
いの瞳で許しを請うてみるけれど、お代官様はそれでもぐぐっと目尻のアー
ルをきつくして、お慈悲どころか。無慈悲の構えを崩さない。だけどやっぱ
り、顔は真っ赤だ。
「馬鹿じゃないの?」
 冷たく言い放っても、それはまだまだ疑い。言い返せない。
「ううん、馬鹿なのよね」
 疑いは確信に一歩近づき、そしていよいよ。
「バカ」
 ……厳正なる三度の審査をくぐりぬけ、このたびめでたく、絢辻印の馬鹿
認定。保存料、添加物、遺伝子組み換え、一切なし。一生モノの烙印は額に
焼きゴテ、天然国産、自然のお日様を一杯浴びて、のびのび育った本物の馬
鹿です。わーい。
「ひどいよ……」
「ひどくないっ」
 絢辻さんはズバリと言い切って、今度はお冷やのグラスを手に取った。塊
の氷をごりごり噛み砕き、はーっと深く息を吐く。だけど、最後の「バカ」
は、……なんだろ。ちょっと、ウレシイ……。
 冷却と排気を終え、絢辻さんは、冗談じゃないわ、と普段なら絶対にやら
ない、僕がやったら鉄拳確実の乱暴な飲み方で、冷えた口に熱い紅茶を注ぎ
込んだ。
「あんなの……ただの、ノロケじゃない」
 この、怒りの気配と振る舞いが物語るところはつまり、絢辻さんの今日の
喜びの全貌が、店のお祖母さんの言葉のままだということだった。数十年を
醸成して初めて生まれるあたたかなまなざしと心づかいが、絢辻さん心の最
後の薄皮をあっさりと湯剥きにしてしまったというわけだ。……そうか。こ
れが、腑に落ちるってことなのか。
「大体、あなただって分かってた筈でしょう?」
 絢辻さんの険は収まらない。
 僕がお祝いをするのは、もちろん絢辻さんに喜んでもらいたかったからだ。
喜んでもらえる、わずかばかりの自信もあった。だけど、それが今日という
日の絢辻さんの喜びの全部だとまでは思えなかった。周りに出来るのは、あ
くまで絢辻さんの抱える何か別の喜びの盛り立て役で、言ってみれば、そこ
で寝ているケーキみたいなものの筈だった。美味しいケーキで、おめでとう。
だけど、絢辻さんの気持ちの中では僕こそがその中心に据えられていて、…
…それは思案の外も外の外、大外だ。それをどう伝えたら良いのかしどろも
どろに、いや、分かってたけど、分かってなくて、と繰り返す僕を、絢辻さ
んはほとんど無視した。
「それを、さっきから……」
と敵意を剥き出しに、それでも一番の弱いカードを横から場に切らされてい
るから強気の攻めにも出られず、憮然として歯切れが悪い。
「あたしに言わせようとして。……いやらしいったら」
「そ、そんなつもりじゃ……」
「いいわよ、もう!」
 ち、違うのに……。弁解も説明も聞き入れてもらえない。さすがにちょっ
とストレスが募って、
「なあ?」
僕はボソボソとカップのカボチャに同意を求めた。その姿でどうにか憐れみ
を誘えたのか、ああもう! と絢辻さんは頭も少し冷えたみたいで、腕を組
むと、いつもの調子を取り戻した。
「少し考えれば分かることでしょ? 一年前のあたしと、今日のあたし。違
ってることなんて、一つしかないじゃない」
 頬に淡く朱を浮かせ、言いにくそうに。それでも言ってしまうのが絢辻さ
んだ。喜べなかった去年までの誕生日と、それがほんのわずかでも喜びに変
わった今日、何が彼女を変えたのか……他のことならいざ知らず、そんな大
事な部品を絢辻さんが取り換えるきっかけにそうそう心当たりはないから、
僕も観念して手前味噌になるしかなかった。
「そりゃあ、そうかもしれないけどさ……?」
 そんなことを言ったって、そんな大事な部品を変えたら、絢辻さんの端々
がどんなに変わるかなんてわからない。絢辻さんは気付いてないんだ。この
一年で、自分の細部がどれだけ変わったか。やっぱり煮え切らない僕の丸め
た背中を困った瞳で見下ろすと、絢辻さんはごくごく自然に、いかる肩と肺
をしぼませた。
「悪かったわよ。正直、甘く見てた」
 どさりと背中を椅子に預け、またしても、視線のピークをきつくする。
「ドンカン」
 ああ……。それでも謝ってくれる時は、そっち方向なんだね……。僕はも
う、怒ることも、口癖みたいにごめんと謝ることも封じられて、渋く押し込
めた顔の中心から無言に乗せた三点リーダを飛ばすしかなかった。……。
 だけど、そっか。それでさっきからあんなに僕のことを睨んでいたんだと、
今更ながらに辿り着く。そりゃあ確かに、そんなことをされたら癪に障るだ
ろう。けど、それは買いかぶりってものだった。


     *     *     *


 その沈黙で、ひと段落。お互いずずいとお茶をすすったそのあとに、
「まあ、いいのよ。あたしのことなんてどうだって」
と、絢辻さんのこぼす一言は、僕にとってはまた、ちょっとした衝撃だった。
「えっ? だって、絢……」
「いいの」
「あ、はい……」
 絢辻さんの話じゃ、なかったの? 決着のつきかけた問題にまた一つ不思
議な波紋を投げかけておきながら、絢辻さんはばさりと言い切る一言で、僕
の疑問にはがっちりと蓋をして、漬け物石まで乗せてきた。その上で、これ
で少しは話がしやすくなったとばかりに、
「だけど、これって特殊ケースよね」
と、冷静に分析を始める。
「どういうこと?」
「おめでとう、か」
と、尋ねても僕の問いかけには答えてくれず、天井のランプを仰いでうーん
と難しいうめきを上げた。
「どちらが先か……っていうのは、考えても、仕方がないわよねぇ……」
 ピンク色の唇から薄く漏れてくる言葉をヒントに、僕は僕で勝手に考え始
める。それはきっと、僕がおめでとうを言うのが先か、絢辻さんが喜ぶのが
先かという問題だろう。それは、確かに。お互い、勝手に始めることだから。
それがたまたま、僕らは一致したんだ。それはそれで、すごいことだと思う
のだ。
 絢辻さんは。
 繰り返すまばたきの向こうでたくさんのことを考えて、僕がナニゴトかを
思っているのを見透かすと、引いた顎の奥、上目使いのまつげから、細い視
線と短い疑問を投げかけてきた。
「みんなも大抵同じなのよね」
「……だと、思うけど」
 これもまた難しい質問だったけれど、聞きたかったのは誰かの誕生日をお
祝いする、その時の気持ちの話だろう。誕生日のおめでとうにハッキリした
理由なんてない。父さんにも母さんにも、きっとない。それでもそれは、だ
からこそ価値のあることなんだと、僕らは心のどこかで思っているに違いな
かった。
「やっぱりだめね、わからない」
 よいしょっ、と体を起こすと、絢辻さんはあっさり……諦めを口にした。
ヒントと感触だけはあるんだけどね、と、それを拾うかどうかは僕の自由だ
とばかりに言葉をテーブルの真ん中に置くと、鮮やかな手つきでケーキを一
かけ、口に運んだ。もぐもぐ、ごっくん。腑に落ちない、ということだろう。
 僕ではそのスピードに追いつけず、ただただ彼女の動きを追うに終始した。
絢辻さんはさらにケーキ一口分の塊をこしらえて、生クリームをこんもりと
乗せ。それを突き刺したフォークを、
「はい、あーん」
ずいと僕に突き出した。
「え……えっ?」
「『あーん』よ。あーんっ」
 突然の出来事に。……わけがわからない。というか、罠? の、気もした
けれどその兆し、必要以上の笑顔も、怒りの影も、僕のセンサーはひっかけ
ていなかった。だから余計に気味が悪い……はずだったのだけど、その気味
悪ささえ感じない。ただ自然に、何かを分かち合おうとする、平らかな姿に
思えた。その気配は図書室で本を開き、「ほら、ここ」と指を差すときと、
然して変わりなかった
 ぐるぐると動きを止めたままの僕に絢辻さんは、
「あーーん」
と何も付け加えず、もう一度同じ抑揚で、少し長めに言った。ケーキは美味
しそうだ。僕を見つめる絢辻さんも、いつもと変わらず魅力的だった。卑し
い僕の心は、手前勝手にゴクリと喉を鳴らした。
「い……いいの?」
「……いらないの?」
「い、いるいる! いります!」
 ふらり、とフォークが取り下げられそうになるのを目の当たりにすると、
反射的に飛びついてしまう自分が情けない。フィッシュ・オン。それでも絢
辻さんは、いつもみたいにそれを馬鹿にすることもしなかった。寧ろ、ちょ
っと安心したみたいにはにかんで、
「じゃあ、はい。あーん」
ともう一度、白い手首でフォークを支えた。
「あ、あーん……」
 ……ドキドキする。絢辻さんの差し出してくれたお祝いのケーキが僕の唇
にふわりと触れた。甘くてやさしい香りが口から鼻へ抜けて、頭が少し、痺
れたみたいにぼうっとなる。そこでぱくっと、口を閉じられれば、良かった
のだけど。
 さっきまでなりを潜めていた絢辻さんの悪戯心は多分、口を開けた雛鳥の
ごとき、僕のマヌケ顔を見て鎌首をもたげたんだろう。ケーキのかけらは入
場ゲートをくぐったその後も、前進を止めなかった。
「ふぉ、ふぉっふぉ?」
「ふふっ、ふふふっ」
「ふほっふ、ふほっふ! ふぁふぁふふぃふぁん!」
「ざんねん、止まりませーん」
 ニコニコ顔の絢辻さんが差し伸べる小さなケーキの塊は口の中で上あごに
押し付けられてひしゃげ、もはやそれを貫通したフォークの先端がつんつん
と、僕の粘膜をノックしてくる! どっしりとしたクリームの甘味に、血の
香り!? こ、こんな味初めて!!
 ……こういう時の引き際は、本当に見事だと思う。いじめられっ子が、「
絢辻さんにやられました!」と言い出すギリギリのタイミングを見極める。
絢辻さんがゆび先に小さなひねりを加えると、つるんっとフォークだけが引
き抜かれ、僕の舌の上に、スポンジとクリームが着地した。それを僕は反射
的に飲み込んでしまう。ろくに味わえもせず、胃と食道がくすぐったい。
「お……美味、しいっ?」
 絢辻さんは、ぶるぶると。内側の感触の異様さに僕が目を白黒させている
のを見て、暴発寸前の肩を震わせながら尋ねてくるのだけど。
「ひどいよ……。味なんか、わからなかったよ……」
 その答えも予想通りだったのだろう。びくんっと強く全身を震わせて、噴
き出してくる笑いを押さえつけていた。そうしてしばらく固まったあと、
「ごめんなさい、あなたの顔見てたら、つい楽しくなっちゃって」
と、あ~と震える肺の息を抜きながら、目尻に溜まった涙の珠を指で弾いた。
 そして、臆面もなく。
「それじゃ、やり直しね」
とまたも、僕ら男子には絶対に真似の出来ない絶妙のさじ加減……否、フォ
ーク加減で、どうやってあのフワフワを形を変えずに切り取るのか、一口小
のちびケーキを拵えてフォークに乗せると、その下に掌を添えた。
「はい」
「……」
「しないから。はい」
 強めに言い切って、譲らない。僕がもう、これ以上ないくらい不審の目を
向けているにも関わらず、絢辻さんは一切物怖じなしの掌で、フォークを僕
に近づける。むむむ、騙されないぞっ!!
 しばらく。そうして膠着の火花を散らせていたのだけれど、さすがに埒が
あかないと踏むと絢辻さんは、掌とケーキを胸元まで後退させた。
「食べてくれないと、安心して先の話が出来ないでしょ?」
 その言葉が一体何を指していたのか、僕には未だに分からない。このとき
も、その答えを要求する、「どういう意味?」の視線を送ってみたのだけれ
ど。絢辻さんはもうこれはしめたとばかり、
「あーーーん」
……やっぱり、答えてはくれない。ずるい。観念するしかない。けれど僕も、
絢辻さんがこのことに何か大事な気持ちをこめようとしているんだと分かっ
たから、応えざるを得なかった。そんなに大事なことなら、はじめから真面
目にやってくれれば良いのに。諦め同然に覚悟も決めて、自分の入り口を彼
女に開放した。もう、何を放り込まれたって驚かない。そう心に決めた。切
った爪とか、鼻をかんだティッシュとか……むっ、それは、それで……いや
いや、何を考えてるんだ僕は。
「……。あーん」
「はい、おりこうさんね」
 今度は、本当に素直に。小さめに作られた僕用のケーキは入り口のところ
でフォークの先につんと弾かれて、ころんと口に転がった。さっきとはまる
で味わいの違う、スポンジ生地が舌の上で甘くほどけ、僕はつい
「うん」
と力強く肯いてしまった。
 絢辻さんは……やっぱり、さっきと同じ。図書室の眼差しで、それを飲み
込む僕を見ていた。少し神妙だ。どんな意味があったのだろう。僕たち高校
生の恋愛なんて、大人の人たちから見れば、おままごとみたいだって笑われ
てしまうのかも知れない。この不思議な儀式は、絢辻さんが置き忘れてきた
おままごとのやり直しなのだろうかって、僕は口の中のクリームを舌で回収
しながら、詮も無いことを思っていた。



                    (敢えて言おう。続くのだと)
 
 
 

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