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2010年2月13日 (土)

■ハッピー・バースデーがきこえる<後編・5-4> ~手帳の中のダイヤモンド・番外編 -更新第426回-

前編 / 後編1 5-1 5-2 5-3
『アマガミ』絢辻さんSS 目次
『アマガミ』絢辻さんシナリオ解読「手帳の中のダイヤモンド」目次



          -- 5-4 --



 それから少しの間があって、絢辻さんはそのセリフをやけにはっきりとし
た調子で口にした。
「それじゃあ、なんていうなまえにしましょうか?」
 一音一音の間に、半紙が一枚挟まるくらいの隙間をあけて、それでも僕は
それを一回で聞き取れなかった。気がした。
「……え?」
「なまえよ、ナマエ」
 ナマエ。何に名前を付けるつもりなのだろう、絢辻さんは。絢辻さんのこ
とだから、
「名前って……なんの?」
はじめは、新しい惑星でも発見したのかなって思ったのだけど。僕の疑問に
答える前の一瞬、絢辻さんはお腹と背中にぐっと力を入れたように見えた。
腕を組み、
「子供に決まってるでしょう」
あたしがぬいぐるみに名前を付けるように見える? と、ちょっと無理をし
たみたいに胸を張って見せる。イヤ、影ではそれも割とやってそうな気がす
るのだけど。でも、そういうことではないようだった。
「ああ、コドモ?」
「そう。子供」
 絢辻さんがポットから紅茶を注ぎ足しつつ、ピンポン玉が弾むような返事
をする。
 かちゃーん、ぱりぱりーん。きゃー。
 また店の奥がにわかに騒がしくなり、僕も絢辻さんも、やっぱりちょっと
の間そちらに気を取られ、また互いを向き直る。
「パトラッショとか」
「犬じゃないんだから」
 犬ではない。確かに、絢辻さん家は犬は飼っていなかった。となると猫で
もなさそうだ。他に、絢辻さんが名前をつけそうなもの。ああ、そうか。
「フランケンシュタイン」
「あなた、あたしが家で何してると思ってる?」
 違った。そして怒られた。
「真面目に聞いて」
 そう言った途端、絢辻さんはポッと頬を赤くした。僕も「ごめん」と詫び
た途端に徐々に冷静さが戻って来、頭の中をよぎって行くいくつかの可能性
に順番にバツを付けていった。そして、心のパンドラの箱サンロクマルから
出てきた最後の選択肢を見つけて、ぐぐっと身を乗り出した。
「絢……辻さん?」
 絢辻さんは、無言になった。押し黙って、顔を赤くして。ちょっとずつち
ょっとずつ、うつむき加減に、上目遣いになっていく。それでも決して、僕
から目を逸らしはなかった。
「え……」
 徐々に角度を下げていく、絢辻さんのつるりとしたおとがいの先端に導か
れるみたいに、僕の視線もやがてそこに辿りついた。絢辻さんの、お腹。お
ヘソ……の、辺り。そこはつまり、絢辻さんをオンナノコたらしめている、
オンナノコのコア・ブロック。
「……わ……分かった!」
 僕は……その瞬間、まるで背筋だけが自分の体ではない、どこかよその国
の、バーベル上げの世界チャンピオンのものとすげ変わったみたいに自分の
体が跳ね上がったのを感じた。そしてやおら自分の学生鞄をひっ掴むと、ノ
ートやら、教科書やら。そんな邪魔なものをかきわける。さすがの絢辻さん
も僕が何を始めたか分からないという風情で言葉を失っていたけれど、僕に
はそれを気にして上げられる余裕がない。そうか、そうか! そういうこと
なんだ!! 
「ちょっと待ってね、えーと、あれはどこに入れたかな……あ、あった!!」
 僕は、それ--授業で使うのより一回り小さい、B5切りのノートだ--
を見つけだすと、大急ぎでバラバラとめくった。急げ、急げ!!
「候補なら、いくつか考えてあるんだ!」
「え?!」
「前にちょっと暇な休みがあってさ、その時ずっと考えてたんだ、子供が出
来たらなんて名前にしようかって! あ、ごめんね、絢辻さんになんの相談
もしなくて! でもまだほら、ちゃんと付きあう前だったから、いくらなん
でも気が早いかなって、それでさ……」
 興奮すら飛び越えて散乱する僕の言葉を、絢辻さんはしばらく目を丸くし
て聞いてくれていたけれど。
 やがて、注射器が最初の一滴を溢れさせるみたいに
「ぷっ」
と、小さく吹き出した。
 そしてその先はもう……怒涛の様だった。
「あ……あはははは、あ、あ、あ、あっははははははははははははっ!」
「あ、絢辻さん?」
「ば、バカね! あなたって本当バカね! あ、あはっ、あはははっ……」
 ここがお店で、しかも夜だってことも忘れ絢辻さんは心底おかしそうにお
腹を抱えるけれど、見ている僕は気が気じゃない……ああっ、お、お腹をそ
んなに圧迫して大丈夫なの!?
「すごいわね、あなたって」
 あーおかしい、なんて独り言を挟みながらどうにか呼吸を短く刻み、震え
る腹筋を抑えつけると絢辻さんはちょっとだけ周りを気にかけた。そしてク
ーッと長めに水を飲み、まだまだ肩に震えを残しながら、
「本当、すごい。まさか候補を用意してきてるとは思わなかったわ」
と、胸とお腹を引きつらせる。あんまり笑わせないで頂戴、だなんて、絢辻
さんが目尻の珠を押しつぶしたその手でお腹をさするものだから。それが絢
辻さんのミスディレクションだと気付くのに、僕は余計時間を要してしまっ
た。
「え? え、あー……うん」
 すっかり、笑われてしまった……。僕は心のちょっと違う部分に衝撃を受
けて黙り込む。だ、誰でもやる遊びなんじゃないのか、これ。
「それが、あなたの閻魔帳?」
 その雑記帳は僕の手の中で、まだ目的のページを見つけられずに全然関係
のない落書きが開かれていただけなのだけれど、絢辻さんは、自分からは表
紙しか見えないそのノートのどこかに眠っているであろう、僕のある休日の
成果へと、目には見えない、気持ちの触手を伸ばしてくる。懐かしむような
視線はあの日燃やした彼女自身の頑なさへの憐れみなのだろうか。僕のこれ
はただの落書き兼メモ用で、絢辻さんの手帳みたいなご大層なものではなか
った。けれど、たかが今の話をそんなに笑われてしまうなら……「人に見ら
れたら、学校にいられなくなる」くらいの破壊力は、あるのかも知れない。
僕はちょっと怖くなり、このノートをサブバッグの方に移さずにおいた昨晩
の自分に向けて、ひそかに親指を立てた。
「良かった。安心した」
 笑いに笑った絢辻さんは、すっかり前のめりになった体を起こし直し、椅
子に深く腰かけ直しながら、微笑んだ。安心?
「おかしな勘違いしないの」
 自分で勘違いを誘っておいて、すっかり晴れやかな声。嬉しそうに困った
みたいに、僕の馬鹿ぶりと、それを上手く手玉に取ったこと、その上で僕に
上回られたことが何より嬉しいみたいで、ちょっともらうわねと、空になっ
た自分のグラスを飛び越えて僕のお冷やを奪った。さっきの大笑いがまだ喉
に残っているのだろう、そうして一息を挟めば、
「ナンニモ無しで……受胎するほど、あたしだって特別じゃないわ」
と、「ナンニモ」と「受胎」、二つの言葉の前では微妙にひっかかりながら、
絢辻さんは言った。
「そ、そっか」
 確かに、言われなくても、僕らはまだ、そうなんだけど。
 今年は受験、そして何よりこの関係を大事にするために、僕らはまだその
センをかろうじて……本当の本当にかろうじてではあるけど、超えていなか
った。だからまあ、「ナンニモ」と言いきるのは若干ダウトだ。
 絢辻さんは水のグラスを僕との丁度中点に返すと、
「尤も、『絢辻さんはマリア様みたいな女性です』って言うなら、否定はし
ないけど」
と澄ました声で、そのダウトを悪びれもしない。
「……」
「どうして黙るの」
「あ、いや……」
 どうしたもこうしたも。調子に乗せたら乗せたで、本当にこの人は。
「……ほら、今年ももうじきなんだなあって」
 いわれの無い追い討ちをかけられて僕はまた、彼女の言葉から適当に退路
をチョイスする。マリア様から思いつくことは、僕らの間ではいくつもない。
その空気に絢辻さんも表情をほっと温ませた。
「そうね、もうすぐね」
 今年もきっと色々あるに違いないわって、すくめて見せるその肩に僕も同
感だ。今年も、きっと。
「そうだね、色々」
「うん」
 そう、もう、色々だ。それは色とりどりの……。
「缶詰とか」
「え?」
「ゼリーとかさ」
「ちょっと」
「100%ジュースの詰め合わせも……美味しかったなあ……」
「待ちなさい」
 一年前の自分に向けて静かに目を細めていた絢辻さんは……ちょっと違っ
て、昨年の味覚を反芻して遠い目をした僕に、唇に寄せたカップをぴたりと
止めた。急制動のあまり、カップを満たしたルビー色の水面がぴちりと溌ね
た。
「なによそれ」
「お、おセイボ」
「……」
「……。えっと、あのね」
 僕からの華麗な、ミスディレクションのカウンターパンチ! ……の、筈
が。下らないマキビシを踏まされて、すっかり手負いの絢辻さんは凶暴さだ
け四割増しで牙を剥く。一発で倒し損ねたらあとが怖いことを、僕はどうし
て毎度忘れてしまうのか。一瞬、絢辻さんは備え付けの紙ナプキンが発火す
るかと思うほどの鋭い熱を、吊り上げた眦から発してのけた。こ、こわい。
 けれど、
「……いいわ」
と収まりは静かに。
「これについては、またあした。ローアングル死刑囚の件と合わせて、とっ
くり話しましょう」
「……はい」
 その攻撃的な言い間違いに突っ込むことも許されず、僕は心で梅原に陳謝
する。スマン、友よ。僕は購入ローテーションの担当月を、大幅に削減せざ
るを得なくなりそうだ。
「脱線ばっかり」
 曲がったツムジのてっぺんから湯気を吐き、絢辻さんはぽんぽんと怒るけ
ど、その石を置いたのは絢辻さんだ。それに、再びお茶を運ぶ口元は、心な
しかたのしげに笑っているようにも見えた。
 そしてまた、絢辻さんは気配を変えた。
「そんな筈ないでしょ」
「え?」
「あたしが、自分の子供に、なんて。そんな風に言うつもり無い」
 その「筈」がどの「筈」だったのか、一番近いところの物には僕もすぐに
合点がいったのだけれど、絢辻さんは一言で、もう一つ、遠くの方の「筈」
と鮮やかに結び合わせた。
 そのもう一つの「筈」を語るとき、絢辻さんは愉しげだった気配をきゅっ
としぼませた。自分で自分を抱くように、両の肘を掌で抱えて視線を落とす。
まるで、おなかでも痛いみたいに体を丸めた。ここまでに出て来た、子供に
まつわる二つの話。僕が持ち出したものと、絢辻さんの悪戯と。その僕から
の問いに、絢辻さんは少し、苦そうに答えてくれたのだった。
「ああ、うん。そうだよね。分かってた」
 僕の頭には、とびきりの笑顔で喜ぶ未来の絢辻さんが再生されて、勘のよ
うな思いに間違いがないことを確信する。そうだ。絢辻さんは絶対に、自分
の子供にそんなことを求めない。それは一年前から分かっていたことだ。そ
して自分の生まれ日を、どうしてそんな風にしか捉えられなかったのか、…
…その原因も分かってる。分からないのは、
「でもね、怖かったのよ」
 呟きが、ぽつりとこぼれ、僕は息を呑む。
 彼女が彼女を温めるその両手にこもる力の大きさを、制服の袖に刻まれた
皺の深さが語っていた。視線の先には、紅茶のシフォン。そしてそれから少
し離れて中トロとアワビが行儀良く並び、それらをあざ笑うみたいに、ティ
ーポットでは小さなジャック・オ・ランタンが背中を向けている。
「もちろん、そんなつもりなんかない。あるわけない」
 同じことをもう一度くりかえす絢辻さんの瞳は中空で留まって、ほとんど
独り言に近かった。逃げることも出来ずに、さりとてまっすぐ目を見ること
も出来なかったのかもしれない。怖い。怖い。何が? 自分が貰って一番辛
かった贈り物、そのお下がりを、気付かないうちに子供にまでお仕着せるこ
とだ。
「でも」
と、背中を丸めたその居住まいは、腿に両肘をかたく押しつけて、掌で支え
きれなくなった肩の震えを締めつけているように見える。僕らの指定席のテ
ーブルがカタリと震えた。
「でも、今のままじゃ、そうなりかねない……」
 そんなつもり、そんな予定。
 僕はもう一度、自分の心に確かめた。絢辻さんがどうしてすごいのか。そ
れは、心も体も、決して自分の思うようにはならないことを知っているから
だ。その二つが勝手に作り出す、力の大きさを知っているからだ。
 こちらのつもりも予定もお構いなし、自分の中に敷き延べられたレールの
野放図なうねりが、知らない間に自分の、心音だって背骨だって歪めかねな
いことを……何故だか、彼女は知っていた。
 そうして少しずつ心のうちから何かが暴れ出しそうになっている絢辻さん
を見て、僕ははらはらしていた。あの図書室でのかなしみに近いものが、彼
女の肩や、背中から立ち上りはしないかと、もしそれが起こったら出来るこ
とは一つしかないと、覚悟を決めていた。
 けれどそれは杞憂に終わった。絢辻さんはやがて、すうと自然な息を取り
戻すとゆっくりと背筋を正し、
「それが、怖かったのよ。だから、ちょっと知りたかったの」
と、また、晴れやかに笑ったのだった。
 それは、突然の種明かし。僕はまた……突然、向きと速度を変えた瀬に翻
弄されて、転覆しないだけで手一杯の体に追いやられる。話を締め括って静
かに僕を見つめた絢辻さんを、真っ白な頭で見つめ返すことしか出来なくな
った。
「えっ、あ? えっと、つまり……」
 意味もなく何かを数えて両手の指を折る僕に、絢辻さんは追い討ち……と
いうか寧ろ、追確認をさせるように
「気が早いーって、思うんでしょうけど」
と、身を乗り出して手を伸ばすと、テーブルの、僕が手元近くに投げっぱな
しにした雑記帳を拾い上げてページを繰った。ああっ! そ、それを見られ
たら、絢辻さんを学校にいられなくしてあげないとならなくなっちゃうよ?
「でも、どうしても考えちゃうのよね。先の時間て、決して長くはないんだ
もの」
 失敗が怖いわけじゃないけど、と絢辻さんは涼しい顔でぺらぺらとページ
を進んでいき、
「ロクなこと書いて無いわね」
と冊子半ばを過ぎた辺りで軽く眉をしかめると、そこからまた少し進んで手
を止めた。
「……取り返しのつかない失敗も、起こりえるから」
 それが自分の様な存在の誕生だと、言いたいのだろうか。水や土を持たな
い自分は失敗作なのだと。そして、自分はその過ちを繰り返さないために未
来を見つめるのだと? 僕は答えられずに押し黙る。失敗は誰にでもある。
取り返しのつかない失敗もある。でも、絢辻さんは。
 お皿に、ポットに、カップに。ところどころにコロコロと描かれた、緑と
オレンジの小さな果実。ジャック・オ・ランタンのうしろ姿が、「TRIC
K OR TREAT ?」と狡猾な一択を迫ってくる。絢辻さんは、カボチ
ャなんかじゃないよ。膝の上で、ぎゅっと音も立てない僕の拳に気がついて、
絢辻さんは少し、湿った調子の笑いを含ませた。
「笑われると思ったのよ。子供っぽいって。だから遠まわしに、気付かれな
いように終わらせようと思ったんだけど……」
「そんな。笑ったりしないよ」
「そうね」
 絢辻さんは意地悪く口元を歪め、指を栞にした雑記帳のページを、くるり
と向けて僕に開いた。
「上には、上がいたから。馬鹿らしくなっちゃった」
 光一。明良。勇太、菜々、プリン。トンヌラ。書いては消され、丸に囲わ
れ、バツを打たれた名前の数々。こんなことをしてる人に笑われたんじゃた
まらないわ。そう言いたげに。
「ああ……ははは」
 書いたときには僕一人のただの手すさびだった、けれど真面目くさったた
くさんの名前が、今日と言う日の絢辻さんの心の門扉にかけられた、一面の
表札に見えた。
 --皆は一体、あたしの何を喜んでくれたのかしら?
 --あなたは、分かる? あなたならわかるでしょう--
 油断だらけの梨穂子のケーキに始まった絢辻さんの謎かけの本当の疑問は、
そんなところから始まっていた。いや、本当の始まりはもっと昔、一年前、
あの六週間が始まって間もない頃まで遡る。……僕……と、出会ったこと。
そして変わったこと。その僕からのお祝いに喜んだ絢辻さんは、未来を見つ
める絢辻さんは、やがて自分にもそんなケーキを焼く日が来るって思ったん
だ。そして、気がついた。自分の中に、当たり前と気持ちを繋ぐ、これ以上
無いくらいに繊細で、それなのに僕らのご先祖から連なる何億年を最初から
おしまいまで結びつづけてきた糸、あるいはそれをつむぐために必要な蚕の
気持ちが足りないことに。そして怖くなった。
 絢辻さんはまだ少し照れくさそうにお茶に口をつけ、ともすれば湿って重
みを増しそうな話に、シナモンの香りでさらりと勢いをつけた。
「これでいいのかな、なんて……。不安に思いながら、おめでとうなんて言
って上げたくないじゃない? それこそ、子供がどうにかなっちゃうわ」
 絢辻さんはその祝いや喜びがあまりにうつろであることに気がついて、も
っと確かな言葉や理由……そうでなくても、胸にストンと響くものを、生ま
れついての水も土も持たない自分にも届くあたたかなものを、求めたんだろ
う。それをきっと、僕なら見つけられるはずだと願って。
「……そっか」
 でもそこには、やっぱり何もなかった。僕たちでさえ、何年のうちにそれ
を失っていた。だから余計に慌てたんだ。
 絢辻さんは言っていた。「時間ならまだある」って。「せっかく、僕と知
り合えたんだから」って。今度こそ、全部の思いと言葉が繋がって、僕の押
し入れにまた一つ、新しい星座が加わった気がした。絢辻さん。
「そうだね」
 つもりも予定も、一息で飲み込んでしまうその恐ろしい魔物を相手に、だ
からこそ絢辻さんは「たたかう」。たとえそれがまがいものだとしても、自
分に配られた大切なカード、土と水から丁寧にこねあげた、混じりっけのな
い絢辻詞メイドの傀儡のような塊を、自分の中の唯一本当である、無限に沸
き上がる黒い炎で焼き上げて、一つ一つのパーツを作り上げて。
「うん。本当にそうだね」
 ……思えば、目の前の不思議な女の子は、夢のような出来事も、「本当」
へと引き寄せてしまう力を持っていた。ノートに書きつけたいくつもの名前
も、絢辻さんの抱いた不安も、元を正せば子供っぽい、逸りのような気持ち
に過ぎない筈だった。なのにそれを心から不安に思い、自ら未来に備えるこ
とで、絢辻さんは、曖昧で、目を逸らすことが当然のその輪郭を、自分のゆ
び先に確かなものへと探り出す。落書きだったノートの名前も、絢辻さんに
ジロリとひと睨みされたその時から、明日には役所に届け出る、誰かの名前
へと重みを増した。現実を、現実だからと諦めるんじゃなく、夢を夢のまま、
毎日の舞台へとくるみ出すそのやり方には、誰にも汚されない、彼女の、僕
らだけのリアリティがあった。本当に望みさえすれば、手を伸ばせば、それ
はもう手が届く場所にあるのだと……たった一つの不自由と引き換えに、あ
らゆる自由を手にいれた絢辻さんは言っている気がした。
 そして僕は、そんな絢辻さんが……深く、遠く、「そのこと」に心を痛め
てくれたことの意味を知って、何より、嬉しかった。絢辻さんの腕の中には、
もう僕らの子供が抱かれているみたいで。絢辻さんがなんの迷いもなく、そ
の子に微笑みかけているようで。
 本当に、本当に嬉しかったんだ。


                            (あと少し)


 

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