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2010年2月 6日 (土)

■ハッピー・バースデーがきこえる<後編・5-1> ~手帳の中のダイヤモンド・番外編 -更新第418回-

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『アマガミ』絢辻さんSS 目次
『アマガミ』絢辻さんシナリオ解読「手帳の中のダイヤモンド」目次



          -- 5-1 --



 夜の喫茶店に沈黙が訪れ、僕は目の前のお茶をちびちびと減らした。絢辻
さんのポットが空になってしまった今、店での時間を支えるのは残された僕
のコーヒーと、絢辻さんの紅茶のケーキだけしかなく、そのケーキは最初の
三手から減っていないからそんな心配はしなくても良さそうに思えた。けれ
ど、絢辻さんの手に全部を預けてしまうのは、やっぱりちょっと不安だった
のだ。
 絢辻さんの誕生日を祝うそのケーキは、幸いスポンジがメインのシフォン
だったから時間をおいても溶けたり崩れたりする心配はなかった。ただ、会
話から取り残された祝い手は職を追われて寂しげで、隣りに添えられたメッ
セージプレートのビスケットと二人、今後の相談しているように見えた。俺
たち、なんでここに呼ばれたんだ? そんな風に。
 絢辻さんはそんな所在なげなケーキになどお構いなし、ベーシックのメニ
ューを眺めるのに満足すると、コトリと今度は木製の台座の付いた小さなケ
ーキメニューのボードを引き寄せて、その上に瞳を滑らせ始めた。
 絢辻さんの、細い……けど、「有事」には信じられないパワーを発揮する
そのゆび先が支えたボードには、裏面にもケーキの写真と紹介の文句が並ん
でいた。モンブランに、フルーツの乗ったお決まりのショートに、ミルフィ
ーユに、オペラに、ムースに、シブースト。でも卒業アルバムみたいなその
顔ぶれの中に、紅茶のシフォンは居なかった。
 今日、絢辻さんの誕生日。十月八日そのものはまだまだ終わらないけれど、
僕ら高校生が活動する領域として、夜は危うい深度に達しつつあった。それ
なのに、ボードの向こうに見え隠れする絢辻さんの黒い瞳には慌てた様子も
見られない。冷静に、さっきまで話していたことの整理も終えて、次の考え
事を始めるために、ボードの上の文字や写真に、何か心地よい刺激を探して
いるようにしか僕には見えない。静かに揺らぐ瞳。今日の疑問に、まだ答え
は見つかっていないはずだった。なのに絢辻さんの周りに、ほのかに包むあ
たたかな香りのようなものを僕は確かに感じていた。「時間はまだある」と
絢辻さんは言い、だけどそれがどうしてなのかがわからずに、ここから先、
僕は自分がどう振舞って良いのか、困り始めていた。
 理由を話してくれたらいいのに、とは思わない。付き合い始めて分かった。
絢辻さんは生のままときでも猫をかぶってたときみたいにたくさんの言葉や
世の中のお約束事で自分を包んでいるように見えるけれどその実、僕の前で
は薄皮一枚、心の、本当のギリギリまでを外気に近づけてくれている。今、
僕の目の前に立ちはだかっている壁はその最後の一枚の薄衣で、理由を言わ
せることはそれを剥ぐことに等しい。最後に心を覆うことばや気持ち、そん
なものが簡単な理屈一つで説明できるなら、世の中がこんなにややこしいは
ずはないって、頭の悪い僕にだって分かる。たくさんの出来事と、それに育
まれてきた感情、そしてそれを感情任せに出来ないと考える理性と知性。そ
んな繊維が複雑に、縦横斜めに作る網目で、今、絢辻さんを包んでいるもの
は出来ていた。そんなものを……他人にはいわずもがな、自分でだって簡単
に取り払えるわけがない。
 絢辻さんがたくさんの隠し事をしているように見えるのは、本当ならもっ
と奥にしまっておかなければいけないものを、ほとんど窓辺に……僕との境
い目に差し出しているからなんだと、思えた。だから今日、絢辻さんが以前
は僕にしか見せなかった、黒くて凶悪な微笑みを薫や梨穂子や梅原にも、ご
く当たり前の自分として露にしたことは、僕にとっては少し寂しいことのは
ずだったけれど、今はもっと、特別なものが僕の前にあるから……そんな気
持ちにはならなかった。
 ──素直に嬉しかった。
 ──喜んでいないわけじゃない。
 今日、絢辻さんの口から聞かれたいくつかの気持ちも、やっぱりきっと本
当だ。その喜びが確からしいことも、さっきの微笑みで分かっていた。
 だけどそれと並んで、
 ──返して欲しい。
 ──時間はまだある。あなたもいてくれる。
 そんな、不思議な含みをもった言葉たちの意味が、そして絢辻さんの欲し
がる腑に落ちる言葉が見つかっていないことが、僕にお茶を飲み干させるの
をためらわせていたし、どうして今日このタイミングで、絢辻さんはこんな
ことを気にし始めたんだろう? なんていう埒もない気持ちも僕の中にプク
プクと白い泡をたてていたけれど、絢辻さんの言うように、もし本当に「時
間がまだある」のなら、今日ここでこれ以上渋っていても仕方ないのかもし
れない……そんな風にも思い始めていた。どうしてだか、絢辻さんがケーキ
を減らさない。その意味をちゃんと考えもしないで。
「そういえば」
 ぼんやり眺めるケーキの卒業アルバムの中に、転校生みたいに不慣れなカ
ボチャのタルトを見つけて僕はほとんど反射的に呟いた。絢辻さんも、まる
で自分が呼ばれたみたいにメニューの影から顔を半分覗かせた。
 そこへ、
「ごめんなさい、お待たせしました」
と、店の茜色を含んだ影を引き連れて、ウェイトレスのお姉さんがやってき
た。
「ケーキですか? でしたら……」
 彼女は絢辻さんの手にあるプレートを見て機転を利かせてくれたけれど、
僕が、ごめんなさいそうじゃなくて、と空いたグラスを低く掲げると、「あ
あ」と短く、手に持ったアンティークな陶器の水差しでグラスを満たしてく
れた。一緒に、絢辻さんのグラスも。
「ここは、ハロウィンやらないんですね」
 僕はその時間を埋めるように、絢辻さんに向けるはずだった世間話をお姉
さんに向けてみた。絢辻さんも僕の唐突なフリを訝しんだのか、メニューを
裏返して写真を追い、カボチャのタルトに行き着くと、納得してプレートを
元の位置に返した。
「それが、そうでもないんですよ」
 グラスと水差し、その二つを結ぶ水の放物線と距離。見た目にも均整のと
れた、お金持ちの庭に置かれる彫像みたいな形を保ちながらお冷やを注ぐウ
ェイトレスさんの返した答えは予想に反していて、
「そうなんですか? でも……」
と、店の中にそれらしい影を探す僕に彼女はくすりと笑い、グラスをテーブ
ルに戻す行きがけの掌で、僕らの視線を、ティーカップと、その下のソーサ
ーへと導いた。
「ほら」
「え? 何ですか?」
「ふふっ、さて、なんでしょう?」
「あ」
 ウェイトレスさんはもったいぶるけど、絢辻さんはすぐにわかったみたい
で弾んだ声を上げた。女の子二人、嬉しそうに瞳を合わせて、僕は一人での
け者だ。
「え? え? な、何?」
「よく見なさいよ、その目は炭団? ホラ、ここ」
 た、たどんって何? 僕の新しい疑問はガンスルー、絢辻さんがチンと鳴
らした爪の先で教えてくれたのは、カップとソーサーのほんの隅っこに、こ
ろりと描かれたオレンジ色の果実だった。鮮やかなグリーンの蔦にばかり目
がいっていたけれど、その物体は紛う方のないカボチャだった。
 ね? と水差しを両手で支えて笑うお姉さんは、
「本当は毎年、今年こそちゃんとやろうって色々調べてみるんです。私も、
祖母も。ですけどどうにも、何をお祝いしたらいいのか……ハッキリしなく
て」
と、眉を下げた。ちなみに、お祖母さんというのはこの店のマスターで、今
日もカウンターの奥でお茶を入れてくれている。
 それで、おおっぴらにやるのも気が引けるから、こうやってコッソリ。全
然相手にして上げないのもジャックが気の毒で。カボチャのタルトも、この
時期だけなんですよ。些細な抵抗なんですけどね──。
 思いのほか舌の回るお姉さんの話を聞くうち、絢辻さんの瞳に小さな渦が
巻き始めたのに気づいて僕は少し警戒し、そうなんですかあ、と上の空で相
槌を打っていた。すると、やっぱり。
「あのっ」
 それじゃごゆっくり、と背中を向けかけたお姉さんに、絢辻さんが身を乗
り出した。結構な勢いがあったから、僕も少し驚いて身を引いたのだけど絢
辻さんはお構いなし。はい? と立ち止まったお姉さんに
「あの、ケーキ、ありがとうございます。とっても美味しいです」
と、まだ半分以上残る紅茶のシフォンに視線を落とした。
「そうですか? お口に合って、良かったわ」
 その笑顔は営業用なのだろうか、上手に笑ってなんだか自信たっぷりのお
姉さんに、絢辻さんは切り分けた小さなスポンジの切片にまた生クリームを
乗せ、口に運んだ。
「うん、美味しい。これ、メニューには載ってないんですね」
「お得意様のバースデー向けはスペシャルなんです。そのかたの好みに合わ
せて、変えるんですよ」
「へえ、そんなに手をかけてるんですか!」
「そうなんですか……そういうのって、お店の方みんなで考えるんですか?」
 僕の素直な驚きの相の手も、絢辻さんには届いていないようで、モムモム
と動く口元を手で隠しながらの絢辻さんの言葉に僕は少しの違和感を覚えた。
瞬間瞬間、会話に小さな隙間があき、時折言葉がかさばった。絢辻さんが、
露骨にならないように色んな計算をしながら言葉を運び、何かを聞き出そう
としているのが伝わってきた。
 そしてそのことにはお姉さんも勘付いていたみたいだった。さっきまでの
僕らの会話も、何とはなしに届いていたのかも知れない。絢辻さんの思いに、
いえ、あたしはそういうことには疎くって、と歩み寄る。
「考えるのは大体、祖母なんです。年の功ですよね。お客様によっても、し
て差し上げたり、しなかったりで。色々タイミングもあるみたい」
 益々、分からない。混乱の度を増す絢辻さんの瞳は小刻みに揺れ始めてい
た。お祝いを、したり、しなかったり。色々。タイミング。ジャック・オ・
ランタンが寂しがらないように、けれど、いい加減な祝いにもならないよう
に。そんな細やかな心遣いも越えて、つまりこのケーキは供されたのだとお
姉さんは告げていた。
「……そう、なんですか……」
「ええ」
 一時の勢いを失した絢辻さんにペースを合わせるように、お姉さんはそこ
で一旦言葉を途切らせた。まだ何か、あとが連なる音の余韻に、次の一手を
打つか打たないか、絢辻さんがその間を測っているのも分かっていたみたい
に視線を外し、カクンと行き場を失った絢辻さんの気持ちを導くように、
「ねえ?」
「え?」
彼女はにっこりと、何故か僕に笑いかけた。
「……『恋人と、初めてのお誕生日。嬉しくないはずがないもの』、って」
 言葉も気持ちも、この上もなくシンプルに。ド真ん中もいいところだ。盛
りを過ぎたピッチャーは球に力がないから、熟練の配球で打たせて獲るのが
常套のはずなのに、恐ろしいほどの真っ向勝負。だけど、ずばんっ! ……
と、バックスクリーンにも届くくらいにミットの革をいななかせ、カウンタ
ーの奥、今日も一人でカップを洗い上げるおばあさん無欲の投球は、「あの」
超高校級モンスター・絢辻詞を三球三振に斬って落とした。
「え? あ、その……」
 僕は何か言おうとするけれど、にこにこと立ちはだかるお姉さんの笑顔の
前では何を言ってもむなしい気がして、絢辻さんに救いを求める。けど、だ
めだった。絢辻さんはまんまるに目を剥いて、なのに、いつもはその大半を
占領している黒い瞳は限界まで縮こまっている。薄暗い照明の中でも「大丈
夫?」と声をかけたくなるほどに、頬を赤くして、固まっていた。こっちは
こっちで使い物にならない。
「……えっと」
 僕の隣の椅子の上、澄ましこんでたいJoesterの紙袋が……何の拍
子だったのか、ガサリ、と姿勢を崩し。
 そして、ドッギャーン。
 時は動き出す。
「……………………………………………………………………そうですね」
 本当に僕って……なんてしょうもないんだろう。そんな言葉しか出てこず、
お姉さんの
「ね」
というダメ押しに屈する格好になった。
 恐る恐る窺う向こう正面では、一応復帰したらしい絢辻さんが垂らした前
髪に色んな物を隠してうなだれ気味、どんな気持ちでいるのか、さっぱり読
み取れない。ただ、そこにいくらかの怒りが混入していることだけは、時折、
風もないのにゆらりとさざめく長い髪から窺えた……「ね」の平仮名一文字
が、なんだか嫌いになりそうだ。
「ええっと……」
 お姉さんは、このテーブルの周りだけ時間がゆっくりと煮凝り出したのを
感じたのだろう、
「それじゃあ、ごゆっ……」
と、立ち去ろうとしたのだけれど、またしても。
「あの」
と、その去り際の後れ毛を、絢辻さんは捕まえた。うつむき加減で無言のま
ま、空のティーポットをささやかに持ち上げるその仕草の意味は、「お替り、
同じ物を」。その要求にお姉さんも無言で……どこまで本気なんだろうか、
え、笑顔で返しただとぉーっ?!
「あなたもいるわよね」
 無防備なところへ正面から飛んできた声に、僕はドキリとする。
 前髪の紗幕に浮かぶ文字はSOUND ONLY、よどみなく、そのトー
ンは高くも低くもない。尋ねる体裁をとってはいるけど、語尾にハテナマー
クは見当たらなかった。それはつまり。
「あ、じゃ、じゃあ、僕も」
 僕は慌てて、カップの底に冷たく溜まったコーヒーの残りを煽ると、同じ
ブレンドで、とお姉さんに告げた。お姉さんは、自分が良いことをしたのか
気の毒したのか分からない様子で、それでも怯むこともなく……
「はい。ええと、シナモンティーをポットで、それと、ブレンドをもう一つ
ですね。それじゃあ、ごゆっくり」
と。寧ろ、ちょっとだけ面白がる空気をエプロンドレスのフリルに尾を引か
せながらカウンターの方へを戻って行った。
 ……うん、言われなくても。
 お替りの強要はつまり、この先まだちょっとあるという、絢辻さんの意思
表示に他ならなかった。




           (前回、「次回で終わり」と言ったアレはウソだ)

 
 
 

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