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2010年1月19日 (火)

■めおとぜんざい -更新第405回-

そういえば『NOeL』がPSアーカイブ入りしていたのを思い出して、
とりあえず引っ張ってみた。
ついでに『ときメモ対戦ぱずるだま』も。

  『ぱずるだま』の方は、好雄さんの相変わらずの悪い人ぶりにやられた。
  あそこまで極まってると、もう勝とうという気も起こらないので却って清清しい。
  RPGのイベントバトルを見るようだ。
  その他のザコヒロイン(笑)の皆さん相手にも、
  こうげきだまのパターンを思い出せなくて苦戦したりした。

デ肝心の『NOeL』。

さんざんやりつくしたゲームだから
記念マキコ的に引っ張るだけのつもりだったのだけれど、
イヤ改めてやってみると、これはやっぱりすごいゲームだなと思った。
インタフェースといい、ルールといい。

ただ正直なところ、96年当時はこのゲーム本来の肝であるはずのギャルゲー的要素、
つまり恋愛成分とシナリオについては、実はあまり感ずるところがなかった。
ゲームを面白いとは思っても、キャラクターにときめいたり、
主人公として振舞えるほどの没入感を感じたりと、
心を揺さぶられるようなことはなかった。

後に発売された攻略本「NOeL全部」にて、
ライターの成沢大輔氏が書かれていたインプレッションにこんな文がある。



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 アレが起こったのはゲーム内時間で11月20日あたりのことだったか。
「ねえ、こうして電話しているだけじゃもどかしいよぉ。逢いたいよぉ」
 ただの雑談相手だと思っていた代歩から、
いきなりこんなセリフをいわれるもんだから動転したなんてもんじゃない。
「ぎゃっ」だったか「ええええっ」だったか、
とにかく大声で叫んだ記憶が鮮明に残っている。

  (中略)

 このときからNOeLをまともに遊べなくなっちゃったのだ。
それがゲームだってことはわかっているけど、
代歩の言葉の衝撃がずっとカラダの中にあって、
いざ遊んでみようとするとどうにもこうにもテレくさい。
我ながらおバカだなとは思いつつも、
実際にそんな気持ちになってしまうのだからどうしようもない。

(じゅげむBOOKS「NOeL全部 Le Monde du NOeL」)
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オイサンにはそこまでのノリはなかったので、
「ノリのいいおっちゃんが書いてるんだなあ。
 自分も『ときメモ』には没入したから、それと似たようなことなんだろうけど」
くらいにしか思っていなかったし、今読めば、ここに書かれている感情の半分は
「オシゴト」なのもまあ、わかる。

けれどもなぜか昨晩、ほんの10分ほどプレイしてみたところ、
以前やったときよりも会話がより生きたものに感じられてびっくりした。

何故今になって、という理由は……はっきりとはわからないけども、
多分こんなところだと思う。

以前は、このゲームをあくまでも「ゲーム」としてとらえることで、
その懐の深さを自ら狭めていた感がある。

出来るだけ長く会話の時間をつなごう、
出来るだけたくさんのボールを消化しよう。
出来るだけたくさんの会話を聞こう。
とりあえず好感度を稼ぐために。
良いエンディングを迎えられるように。

そのためには、隙さえあれば、多少流れに無理のあるボールでも
話題をつなぐためにバンバン投げる。
それはいわば、ポケモン図鑑をコンプリートするための構えだ。

確かに、ビジュアルフォンの向こうのヒロインと
出来るだけ長く、会話を弾ませようと奮闘すること自体は
このゲームの趣旨に寧ろ則った心情であるけども、
そうではなく、
もっと自然な会話を、相手のことと相手との間に流れる空気に目をやって、
会話をより会話らしく成立させていこうとした今回のスタンスが、
その感覚の変化を生み出したのではないかと思う。

「今の流れで、さっきのこのボールを振るのはもうおかしいな、
 とりあえず除けておこう」
とか、
「あ、また似たような流れになった。
 とっといたこのボール、まだ使えそう」
とか。

もうすっかり隅々まで味わいつくしたゲームだからこそ、
無駄が出ることや見逃しへの抵抗感が薄まって、
何よりも自然であることを追求するともなく追求出来るようになった、
という感じだろう。

おそらくは、これがこのゲームの本来の姿なのだろうと思う。
本当に会話をするように、会話ボールを判断し、
自分が「このボールを振りたい!」と思っても場の流れがそうではなかったら、
「まいっか、機会があれば」
と軽い気持ちで見送ることができる。
それでもハッピーエンドが迎えられるよう、極めてゆるくチューンされたバランスが
「それで合うてるで」と言ってくれてるみたいだ。

  一昨年、随分放ったらかしにしておいたPS2版の『ドラクエ5』をクリアしたとき、
  高校時代にオリジナルのSFC版を終えたときとは一味も二味も増した余韻を感じて
  「これがこの物語の本来の味わいかー」
  と驚いたことがあった。
  この『ドラクエ5』の場合、映像や音楽の表現も、
  ハードの進化にともなってグレードアップしているし
  物語自体にも若干の手が入っているから今回のケースとは異なるけども。

エンディングは、ヒロイン3人分とも覚えているけども、
このまま続けていけば、そこにいたる道々で拾うものも変わるだろうから
ラストに乗る感情もまた異なるものになるんだろう。
キチンと味わっていけば、また埋もれていた物語や自分の中の感情が見つかるに違いない。

相変わらず馬鹿なことを言うようだけど、それは要するに
「ただしい熟年夫婦の距離感」なのだろうと思う。
お互いの言いたいことが聞きたいことであるように、
互いが場をつくることと、場が互いを導くことが同時に起こるような、
最後には
「ああ、うん、まあ、いいや。満足だから」
と落ち着き合えるような曖昧な距離感に落ち着いたような気がする。

無理に頑張ることのない、肩の力の抜けた、
それでいてそれが幸せな関係。



……。



ただ、まあ、そうした醸成と、倦怠や諦念の類とを取り違えないように
気をつけたい物ではあるけども。



■シンタス・アスミスの Sweetもアマいもカミ分けて







はいはい42回ー。
今回のツボポイントは、

  ・なぜか『オハイオ』といいたい新谷さん
  ・実家では鏡餅を砕いて油で揚げて、おかきにして食べていた新谷さん
  ・謎の競走馬・モチ

の3本です。
いやあ……新谷さんの実家トークはなんでこんなに和むんだろうなあ。
この人、ホンット田舎の出なんだなあ、としみじみと感じます。
そしてそこが良い。
かわいい。
田舎のオタクが、東京出てきて夢をかなえて頑張ってるってところがすごくいいじゃないですか。
そして妄想癖は激しいし。

あと、おウマに詳しい友人に尋ねてみたところ、
競走馬「モチ」は実在するらしく、
「モチ、粘る! モチ粘る!!」
「モチが伸びる、モチがのびる!! モチ一着でゴールイーン!!」
という実況が定番なのも真実なのだそうだ。

ていうか動画あった。

■モチのダンマク


■モチ粘る、モチ粘る!




馬主、実況、GJw
コレがホントのモチねt(ry。



病人でした。
お汁粉食べたい。



 

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