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2010年1月10日 (日)

■推測変換のバラード -更新第396回-

「お墓参り」と「オカマ入り」は似ているが、
肝心の「オカマ入り」が何なのかが分からない。

ども、
ピュアソウル病のオイサンです。


当たり前の話ですが、クリスマスが終わってからこっち、
どのお家もイルミネーションの装飾を片付けてしまわれました。
シゴトの帰り道とかジョギングとか、
オイサンは夜道にいる時間が長いものですから、なんだか結構さみしい感じです。
いや、あんまり気合い入れてアレやってる家はどうかとは思いますけどね。


  ……。


などというマクラとは何の関係もなく。

オイサンは字が汚いので、キーボードとか携帯とか、
当たり前になったことですごく恩恵を浴している人間ではあるのですけども。
今回は、それら便利デバイスは、やっぱ便利なだけにマイナスもあるよなあ、
なんていう、数百歩、出遅れた感じのお話です。



■込める作業の希釈



最近のオイサンは、朝、ファミレスで書き物をし、
そこからちょっと電車に乗ってシゴトバから遠めの駅で降り、
20分ばかり余計に書き物のことを続きで考えながら歩くのが日課になっています。
その歩きの途中で良いアイデアなり書き回しを思いついた時なんかは
携帯のメールにぺけぺけとメモったりします。


デ、それをやってて今更ながらに思うのです。

キーボード、殊に携帯でのタイピングは、
「文字を書く」ことから「そこに気持ちを込める」という段階を、
つくづく奪ったなあ、と。

それでも、手書きの文字のまま読み手に届けられるような媒体でもない限り、
最終的に活字に落ちて伝わる分には同じことなので、
よっぽど、その「込める」ことに強いコダワリのある人でもない限りは
容認出来ていたとは、まあ、思います。

  変わんないですからね。
  それでも、「いや、違う!!」なんていう人は、
  よっぽど立派な人か、ちょっと困った人かのどっちかです。
  イヤほんと。
  炒めモノや揚げモノにお酒を使ったからって
  「そのせいで酔っぱらった!!」ってイチャモンつけてくる人とおんなじです。
  そこはもう、思いこみ・思い入れの問題です。

ですけど、ですよ。
ことが携帯の「推測変換」や「変換候補」になってくると、
これがまた話は変わってくるわけです。

何故なら「推測変換」や「変換候補」の機能は、
伝え手が、自分で言葉や切り方・繋げ方を選ぼうとする
その範囲すらデバイス側で規定してしまうからです。

自分が乗せようとする思い、
それをどんな言葉、あるいはその集合に任せればいいか、
そんなことまでも、携帯電話の言う
「こんなもんでどないでっしゃろか」
という提案に、ホイホイと左右されてしまうワケです。


  漢字を憶えなくなる、なんて、些細な話ではありません。
  イヤそれだって由々しき問題ですが。
  けれどそれ以上に深刻な、
  自分の思いを、自分の言葉とリズムで著す機会を
  さりげなく制限される、というお話しです。


何しろ、携帯のキーは打ちにくい。
長い文章・複雑な文章を打つことには、向いていない。
なればこそ、その二つの機能に頼る頻度が高くなる。

  馴れればンなこたあない、早い人は早い、と仰る向きもあるでしょうが、
  それはアレじゃないでしょうか、
  結局はその「推測変換」「変換候補」の機能を使いこなしているから
  打ちにくさが緩和されている・早いのであって、
  自分でゼロから構築した言葉と分節、リズムをもった文章を
  自分の考えた通りに打ち込むことに長けている人が、
  その「打つのが早い人たち」にどれくらいおられるんでしょう。
  オイサンにはちょっと疑問です。

自分が、
こういう表記の仕方や文節の切り方、言葉選び・言い回しをしたら読みやすい、面白い、
或いは自分が意図した通りの伝わり方をするだろう、
そんな風に練ったものでも、それをそのまま打とうとすると、
「こう打った方が早よおまっせ、
 なんでしたら、他の皆さんはこういう言葉を選んだり、
 こういう繋ぎ方をしてるんでっせ」
ということを言われてしまう。

そして、それに逆らうとなんだか面倒で長くなってしまうから、
とりあえず、ということでそっちを使ったり……
皆さん、なさってませんかね。

そして言われた方を使うことによって、
次回からはその使い方が優先順位的に上の方に来たり、
次の辞書データに反映されたり……するんでしょ?
あれって。

それはつまり、言葉使いの多数決が横行してるってことじゃないんですかな、
などと、偏屈なオイサンは思ってしまうワケです。

個人個人が、自分と通じる他者と伝達しあうときに用いる固有の言葉づかいの在り方、
それをすなわち思いを込めると呼びますが、
ことばの中に占める人間同士の気持ちの割合の希釈を、
この機能はさらに推し進めたのではないかと思うわけです。
今更、ですが。



デ、そこにさらに。



最近じゃあ「Google日本語入力」なんてものが出てきて。
詳しいことはわかんないんで間違ってたら申し訳ないのですが、
こいつはオイサンの理解の上だと、
Web上にある単語や文節などのことばからデータベースをこさえ、
変換やその候補挙げをサポートするものらしい。

要するに、既存のことばの流用の推進じゃないでしょうかね。。

これによって、またワケもわからず
「何やらそれっぽい」という理由でよく知りもしない言葉が使われたり、
伝え手が自分の思い描いていた気持ちが
果たして本当にその言葉で表現できるかを深く考えたり知ろうとしたりしないままに
候補に表示されるままに使用してしまうことが進んだり、
表現としての、新しい言葉の使い方が生まれにくくなったり、
「他でよく使われている」という理由で、無機質に文章作りがされたり……
してるんじゃないかなあと思うのです。

  マ最後のところは、職業表現者がそれをやる……というか、
  それにやられるということはないと思いますが。
  日常の言葉から素敵な言い回しが生まれる、
  その気紛れな機会が失われるんじゃないか、くらいのことですが。

もちろんいい面だってあるわけです。
知らない言葉や、言葉のバリエーションに触れる機会は増えますし。
でもその恩恵は、やはり基礎があってこその話なわけで。
上でも述べたように、多数決みたいなものによって
言葉の流行り廃りも推し進められる。

  最近よく目にした「流行った」表現だと
  「(人間が・心が)太い」とか、「(言葉・思いを)紡ぐ」とかがありますね。
  特に「紡ぐ」は、なんか気持ち悪いなオイサンは。

それによって、感覚と表現を繋げる経路の画一化も進みます。

どういうことかといえば、例えば「カラい」という味覚。
同じ「カラい」という感覚でも、人によって違うはずです。
そこをいかに細やかに表現するか。
今自分の感じている「カラさ」をどう他者に伝えようとするのか。
それが出来ること、自分の感覚を、100%正確とはいかないまでも、
他者に

  「ああ、この人の言っている『カラさ』は、
   自分が××のカレーを食べたときに感じるのと
   同じくらいのカラさのことだな?」

と分からせることの出来る表現力・伝達力。
それがあること、
それをやるときに脳を走る電気信号の経路が他者とは異なることが
個性を育むんではないんでしょうか。
それを……なんだか、奪っているような、そんな気がするのでした。

あの、なんつったってね、ことばだって「道具」です。
使い方が大事で、
人間なんていう、動物の中ではわりかし不器用で不自由な生き物にとって、
かなり存在の深いところに根ざした道具なんです。
その使い方によって、群れから色んな目で見られるようになる、
大事な大事な道具なんです。

  ……少なくとも、オイサンはそう思っていますし、
  オイサンの世代ではそうだと思います。

  けれどももしかすると、これらのデバイスの登場と流布によって、
  新しい世代にとっては既にその前提すら覆っているのか? と、
  今考えてちょっと怖くなりましたが。

使いこなせば面白く使えるし、幅も広がります。
使い方一つで、色んなことが出来るようになる。
それがこなれている人間は魅力的に映ります。
だから、それを自分のものにする前に多数決で縛られてしまうことは、
ちょっと勿体ないとオイサンは思うワケです。



■画一化の必要性



もちろん、これだけ人間が量的に増え、
そして時間や空間を隔てずに多数の人間と触れ合わなければならない場面も増え、
色んな意味での多様化が進んでいる中では、
ある程度画一化・共通概念化の進んだ、「言語の標準表現」のようなものがあった方が
(技術者が技術書や論文に、少しでも誤解やブレのないように書こうとするように)、
話の通りがよく、いろんな人間に、均一な伝達が出来る、ということもあるでしょう。

ある事柄の伝達には、ある決まった表現・言い回しさえ使えっておけば、
そこに込められた感情の種類や量を、画一的・均一的にコントロールでき、
その言葉・文章の向こうにいる人間が、今どういう状態にあるのかを
文字や、画面や、ネットワークのこちら側からでも把握しやすかったりすることがあるでしょう。

ですけどねえ。

それによって失われるものも……
マ道具だから、使い方次第・使う人間次第だってのはわかってるとはいえ……
零れ落ちたり削がれたりするものの量が、
ハンパなく多いと思うんですけどねえ。

  まオイサンの心配することじゃないんだろうけどさ。

せめて、年齢制限を設けるとかさ。
何歳まではタイピングデバイス使用禁止で、
さらに何歳までは推測変換も禁止、とか。

ねえ。
結構、深刻な話なんじゃないかと思いますけども。

そうでもないのかな。
人間の、その、なんていうか、
「個であろうとするチカラ」とか「同・欲求」とかは、
そんなにヤワなものじゃないのかも知れませんけどね。



……。



一昨日、『とめはねっ!』の新刊が出て、
どうやらドラマもスタートしたらしい。

  ドラマの方はチラ見しただけですが、
  かなり高濃度茶番だったくさいので見ませんが。

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ナントカいう書家の方のメディアへの露出も増えているような気がする
(その割には名前が思いだせない)。
マ正月前後だからってのはあるかもしれませんが。

思えば、そんな風に、今の時代に「書」がもてはやされ(ようとし)ているのは、
文字・言葉、それらに思いを込めて書くこと、伝えること、
その行為そのものや作品の美しさ、
そしてそれを受け取る気持ちや能力を育てることの重要性を
みんながなんとなく感じ始めてるからなのかも知らんなあ、
とか、
大げさに考えるのが楽しいオイサンなのでした。


でもさ、河合先生……
段々と「マンガを描くこと」がヘタになってきてる気が……オイサンはします。

絵は綺麗で丁寧になってますし、
お話作りにしても、「面白くしにくいかもしれない題材」を、
少年マンガ的なテンプレートに則って盛り上げることに長けていたりと
巧みになってはいるのですが。
マンガ全体としてみたときに、
肝心のテンポが悪かったり、ひっかかりを過剰に感じたり、
オイサンはします。
ネームが悪いというか、コマとセリフの配置がおかしいというか。
流れるように、流れていかない。

意図的なものなんですかねえ、アレは。



……。



マそんなことで。
最後、ちょっと関係なくなりましたが。

オイサンだって大した使いこなし方をしているわけではありませんが、
ちょっと考えてみてもいいんじゃないかな、とは思いませんかね。
でも、字の汚い人間からすると、ありがたいんですよねえ、キーボード入力。
だって、後から読んでも読めるんだもん。
……って、お前の字の雑さはどんだけだ。



オイサンでした。



 

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コメント

■JKPさん
> 初めて私がこちらにお邪魔した時の会話を思い出しました。
> 「ヤバい」を連呼するだけで会話が成立してしまう若い世代。


オイサンのようにプログラム言語的なものを操っていると、
そういう会話は「抽象度が高い」と言われ、
逆に高等なものとして扱われたりします。
難儀なり。


> 例えば今の子は「暗記の仕方がわからない」と塾を訪れます。
> 我々の世代からすればそれは体得するものであって、教えられるものではないはずなんですが、今の子はそういったことまで含め、全てを用意されないと動き出すことが出来ない。


それを言われると、
オイサンなんかもどこかに人生の正解があるような気がして、
前に進むのが怖かったりはします。
先が見えないとか、失敗がダメだとかばかりが強調される
昨今の風潮もよくないのかもしれません。
失敗すると怒る人も多いですし。

みんな(主に大人が)欲がありすぎて、時間が足りない、だから失敗できない、
みたいに思いすぎてるところがある気がしますね。自分を省みるに。
「合ってるも間違ってるもねえから、とりあえずやってみ」
と言ってあげる事が大事なのかもです。

あー、あとそれと……「やることが増えすぎてる」ってのはないですかね。
だから、効率的に出来ること・既存のやり方で対応できるものは
自分で編み出すよりもそっちを流用したほうが早い、とか。
そこまで考えてねえか。

> 日本の未来が、とてつもなく暗いものになる気がしますね……。

うーん……。
上の世代は我々のことをどうみていたんでしょうねえ。

投稿: ikas2nd | 2010年1月19日 (火) 08時32分

初めて私がこちらにお邪魔した時の会話を思い出しました。
「ヤバい」を連呼するだけで会話が成立してしまう若い世代。
それもこういったデバイスを、幼少期とも言って良い時分から当たり前に触れてきてしまった弊害なんですかねぇ。

例えば今の子は「暗記の仕方がわからない」と塾を訪れます。
我々の世代からすればそれは体得するものであって、教えられるものではないはずなんですが、今の子はそういったことまで含め、全てを用意されないと動き出すことが出来ない。
自分で考え、選ぶを完全に放棄してしまっているのですが、それは今回の議題のようなものの積み重ねの上に自然と培われていくものなのか、と思ってしまいました。

日本の未来が、とてつもなく暗いものになる気がしますね……。

投稿: JKP | 2010年1月10日 (日) 02時11分

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