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2010年1月 1日 (金)

■がたぐらすの絶滅 -更新第388回-

 いよいよ年貢を収める覚悟で、約半年ぶりに帰る実家へ彼女を連れて戻っ
た。
 彼女は自身の家族との折り合いが良くなく、年末年始は実家に戻らないと
親がうるさいから悪いが会えないとオイサンが告げた時、自分はわざわざ帰
らねばならない家もないから、それならばいっそのこと自分も連れ帰って欲
しいと彼女から言い出したのだった。お互いもういい年で、そろそろ覚悟を
決めたほうが良いとは以前から無言の、けれども共通の認識であったから、
ほとんど惰性ではあったけれど、そうすることを決めたのだ。
 話が決まってからは早かった。オイサンは年の瀬を迎える前に彼女の両親
に挨拶に行き、これまで彼女の口からのみ聞いていた「折り合いが悪い」と
いう事態を、身を以って事実であると感じ取ることになった。それは悪いこ
とばかりではなくて、話は案外通り良く聞いてもらえ、あっさりと許可を得
ることが出来て無関心とはかくも鮮やかなものかと拍子抜けをし、続いて胸
をなでおろしたのだが、最後に今後のことに思い至ってしばらくは胃が痛ん
だ。しかし「筋さえ通せば、うるさい人たちじゃないから」という彼女の言
葉にあとはもう開き直るしかないのだという諦めに似た覚悟が生まれて気は
楽になった。
 我が家の方はというと、年の瀬と年始めをまたぐ闖客でありながら、彼女
は喜びを以って一族に迎えられ、彼女はどうだったか知らないが割合楽しい
時間を過ごすことが出来た。それはいつまで経っても身を固める気配のない、
女っ気の欠片さえ見られなかったオイサンへの安堵が手伝ったとともに、彼
女自身の性の良さが大きかった。既に身内となったオイサンが言うのは手前
味噌だが、彼女はオイサンと同い年ということもあって若干トウがたっては
いるものの、十分に、否、そこいらの若い娘よりも数倍美しかったし、むし
ろ幾らかの時間を浴びた分、その美しさが肌になじんで堂に入っていた。そ
もそも高校時代まで周囲に対して猫をかぶって生きることを旨としていた彼
女は自分の手入れの仕方も見せ方も心得ていて、猫かぶりをやめて以降もそ
の手腕を遺憾なく発揮して手抜かりのない自分磨きを続けていたから、当た
り前といえば当たり前だった。
 ただ、新しく家族となるオイサンの両親の前では過剰に猫をかぶることを
彼女が自ら禁じていたから、それなりに緊張はしていたようだったが。
 いずれにせよ、もっと難儀するはずと長年思い描いてきた場面は思いのほ
か静かに過ぎ去って、オイサンと彼女は正月の時間を相応の緩やかな空気で
過ごすことが出来た。
 彼女は、やっぱりというか、オイサンが少年時代から大学時代までを過ご
した町並みの中を共に歩きたいと言ってくれ、オイサンも悪い気はしなかっ
たし、なにより他にすることがなかったので二人で何もない田舎の正月を歩
いた。
 実家から最寄りの田舎駅に向かって五分もない、一度坂を小さく下り、ま
た少し上って、これからさらに長い下りに入ると言う坂の頂点でオイサンは
足を止めた。その道の脇には真新しい小さな公園がいつの間にかあって、公
園を抜けた向こうには公園と同じくらいの新しさのマンションが建っていた。
その風景に、オイサンはしばし呆然とした。
「買う?」
 オイサンがそのマンションの方を見ていたと思ったのだろう、彼女が冗談
めかして言うので、
「仕事がないよ」
と、その声に我を取り戻したオイサンもリアルな冗談を交えてから、そうじ
ゃなくてさ、と本当の話を始めた。
「ここ、大きな空き地だったんだ。僕らの遊び場だった」
 今、公園とマンションになっているその敷地は、半年前まで子供の遊び場
には十分過ぎる広さの原っぱだった。オイサンが小学生の高学年の頃まで、
その空き地はフェンスに囲われはしていたものの、今立つ場所の目の前のと
ころに大きな穴が空いていて、いくらでも自由に出入りが出来た。それを咎
める人もいなかったから、オイサンら子供の間ではそれはやっても全くかま
わないことで、友達と約束をしてそこへ出かけるときも、親に堂々と行き先
を告げてから出かけたものだった。
 しかしオイサンが中学校に上がって学生服を着るようになると、まるでそ
うなる時を待っていてくれたように、何日もしない間にフェンスの穴は塞が
れてしまって、大人も子供も、出入りすることは出来なくなった。無理をす
ればいくらでも越えることの出来る高さのフェンスだったが、子供たちは何
故かそうすることも怒りも泣きもせず、ただいずれこうなることは分かって
いたとばかりにその時間の終着を見送った。
 それから、約二十年。空き地は誰も立ち入れない--厳密には、地主と草
刈りの業者くらいは出入りしていたのだろうけど--空き地のまま、フェン
スに新しい穴も空けられないまま放置されていたのだ。半年前の夏に帰省し
たときも、そのままだった。その空き地が整地され、所によっては土が足さ
れて公園とマンションになっていたのだった。公園に人影は見当たらなかっ
たが、マンションはもう何室も埋まっているようだった。
「ふうん」
 その風景を見たこともない彼女は退屈そうな息の抜き方をした。至極当然
の反応だった。だからもう一歩、彼女にリアリティを与えてみたくなって、
オイサンは自分たちしか知らないその空き地の呼称を披露してみることにし
た。
「『がたぐらす』、って言ってね」
「『がたぐらす』?」
 その不思議な響きには、案の定、彼女も囚われた様だった。確かにその言
葉には不思議な響きがあった。一体、誰が名付けたのかは分からない。自分
たちの代……上下三学年ほどの幅のある近所の遊び仲間たちのうちの誰かだ
ったのか、それとももっと前に子供だった誰かなのか、大人たちだったのか。
そもそも、その場所が一体いつから空き地だったのかが分からないから、ど
の説が有力なのかを量ることももままならないのだ。
 がたぐらす。後半の「ぐらす」は草の意味だろうか? 確かに、その空き
地には遊具や建物や、空き地にはお約束の木材や土管などのオブジェクト類
があるわけでなく、ちょっと地べたに起伏がある程度の草っ原だったから、
その「ぐらす」という音の感じさせる予感には説得力があった。もしもそう
した意図を織り込んだ名であるならば、これ与えたのは悪ガキ連中ではない
だろう。
 しかしでは、前半の「がた」はなんだろう? これはもう推測憶測を超え
ることは出来ない。でこぼことした起伏を表したつもりの音なのか、あるい
は区画整理のされていない、ガクガクとした空き地の形状を言い表したもの
なのか。それとも、「がたぐらす」という一つの単語で何かを言い表そうと
したものなのか、いやいや、それとも、それとも。
「がたぐらす」
 彼女は過去そこにあったであろう見覚えの無い野っ原の風景に追憶の触手
を伸ばすように呟いて、おとがいにゆびを添え、色々と思い出を巡らせる僕
の隣で暇をつぶすように考えた後で、訊いてきた。
「どんな字を書くの?」
「えっ」
 彼女からの意外な問いかけに、オイサンは戸惑った。考えたことも無かっ
た、と言えば嘘になる。誰が考えたかも分からない、その指す意味も定かで
ない名前がどんな風に表記されるのが正しいのか、過去に二、三度、その疑
問に行き当たらないではなかったが、他のもっと大事な考えに押し流された
り、正解の無い答えを探すことの無益さに諦めたりと、結末は様々だった。
様々だったが、共通した結果として、答えは出ていない。大体真面目に取り
組まず、保留にすらしてこなかった。毎回毎回、途中で置き去りにしてきた
のだ。
 そしてずっと保留にしてきたその問題の答えを、今このタイミングで、空
き地の思い出とも無縁な彼女から求められるとは思っていなかったから、慌
てた。慌てたけれど、彼女がその答えを真面目に欲しているわけがないこと
も瞬時に察することが出来た。オイサンの思い出話に調子を合わせてくれた
だけだ。何か、その先に話を広げようとして。
 だからその思いやりに応えて、何か広がる返しをしたかったのだけれど、
それもかなわなかった。分からない物は分からない。それがね、と過去に同
じことを考えた話を披露しても良かったが、結論は同じだ。彼女にはウソも
通じない。素直になるしかなかった。
「……さあ。わからない。字にすることなんかなかったからね」
「そう」
 彼女は不機嫌になるでもなく。その結論も分かっていたようにするりと受
け止めて、
「アイヌ語みたいね」
と、随分と遠くまで話を広げてみせた。アイヌ?
「ええ」
と、オイサンのオウム返しも受け止めると、彼女はそれまで進行方向に向い
たままだった体を、何故か今になって公園の方に正対させ、そこに広がって
いる時間に言い聞かせるように話してくれた。
「アイヌって文字を持たないのよ。だから伝えられていることは全部、口伝
を後から日本語で書き留めたものばかりだし、今北海道に残っているアイヌ
語由来の地名なんかは、全部後付けの当て字」
 どこでそんな知識を仕入れてくるのか……過去に何度も趣味で北海道を訪
れていたオイサンも知らない話を、彼女は堂々と語り、最後に、
「知らなかったの?」
ととどめを刺した。これにもまた、
「うん……」
と。素直になるほかなかった。勉強好きな彼女は、今度ばかりは不機嫌にな
って小さくため息をもらし、
「遊びにばかり行っていないで、そういう文化的な側面にも目を向けてきな
さいよ」
と、お金をかけて遊びに行くのは結構だが、それなりのものを持ち帰ってこ
い。そんなメッセージを送ってくる。或いは、それが出来ないのなら、その
お金と時間は私に差し向けなさい。そんなところだ。そのメッセージを受け
取ったサインとして、オイサンは敢えて、それに関して云とも寸とも言わな
い。知らないふりをすることが、気まずさを表明するのに彼女との間にはも
ってこいだった。だから、会話は普通に続いた。
「へえ、そうなんだ。……でも、アイヌ語って」
「そう。絶滅危惧言語ね」
 このことだけは、オイサンも知っていた。「言語」が「絶滅」する、さら
にそのことが「危惧」されているという字面には、ロマンをくすぐる酸味が
あったからだ。遊び半分で調べた知識が、彼女の機嫌を良くさせた。
 ……けれど。オイサンの少年時代を象徴する「がたぐらす」が、まるで絶
滅危惧種であるように、否、最早その実体が姿を変えて消滅し、存在を憶え
ている者も減り、再生させる術のない「がたぐらす」はまさに絶滅危惧種で
あり、あとはただ消えゆくのを待つのみの、危惧どころではない、絶滅確実
の記憶であるのだと、まざまざと付きつけられた気分だった。寂しさはなか
った。当然だと思った。多分、二十年という立ち入りの出来ない時間と血の
めぐりの中で、いつかこの日が来ることにも、着々と心は準備を進めていた
のだろう、と思えた。
 彼女は自らがそんな処刑に手を下したことにはつゆとも気付かず、うんち
くの続きをたれながらくるりと向きを変えると駅へ向かって一歩踏み出した。
彼女の背中に見送られて、少年時代が逝く。図らずも、オイサンの少年時代
の最期を看取ったのが彼女であったことに不思議な感慨を覚え、これから過
ごす彼女との時代はきっとうまく運ぶに違いないと、オイサンは一足遅れの
覚悟と安心を覚えた。


                               (了)


 


 
新年、明けましておめでとうございます。  

オイサンです。

2010年、本年も「ゆび先はもう一つの心臓」をよろしくお願いいたします。

一発目は帰省中の妄想から。

……ちなみに、「がたぐらす」は実在した空き地です。




 

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