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2009年10月25日 (日)

■明日の風車 ー更新第338回ー

人間……機嫌のいい日もあればそうじゃない日もあるワケで、
その日の気分ってのは、バカにならないものですから。

だからまあ、せめて自分の死ぬその日に、
自分の気分が良いといいですよね。

いいことをとても良いと思えて、
悪いこともそこそこに許せて、
気分良く死ねると、良い人生だったと、多分、思えるんじゃないかなあ。



だからってその日イッパツの勝負に任せてそれまでを漫然と過ごすんじゃなくて、
その日吹くであろう風の向きや強さ、匂いなんかを事前に読みとったり、
なんなら自分でも多少、コントロール出来たりするように、
その日その風が吹くことの意味をじっくりと感じられるような生き方をしていった方が
良いのでしょうね。

難しいもので、ダイエットなんかをしていると感じるのですが、
同じように食べて、同じように動いて、同じように寝ても、
翌朝目覚めたときの気分は、前の日と違ったりする。
それが何故なのかは、自分にはわからなかったりするのです。
二日とも同じように過ごしたのに。
同じにはならない。

それは多分、自分という物が自分だけでは完結していないということの
何よりの証拠でもあるのでしょう。
人だったり、お天気だったり、地球だったり月だったり、太陽だったり、
もっと遠くの星々だったりが押し合いへし合いして出来た気流や気圧や前線のようなものが、
自分の中にも何がしかの影響を与えているのにちがいない、きっと。
或いは、日一日が分断されものではなくて、
自分という長いひと連なりの時間のなかのひと区切りでしかないことの。

自律的であるということは、
そういうものに対して柔軟であるということにもきっと繋がるんでしょう。

だからまあ……気分よく死んでいくためには、
自分のことも周りのこともほどほどによく見て、
頑張ったり、諦めたりをバランスよくやっていくのが
肝要の一つではあるのかなあ、と思う今日この頃の絢辻さんな日々ですよ。



ただ、まあね。



そういう生き様が、自分や世界にとって美しくあるのか、ということとは
また別問題だから……ややこしいやね。
美しく生きることが出来れば、それはそれで、
違う気分の良さで死ねるのかもしれないケドさ。


オイサンでした。


 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

人間は、「自分の存在は変わらない」と考えがちですが、一時たりとも同じ自分などというものは存在しません。
感覚的に言えば、今の自分は過去の自分を経験している分だけ成長しているから。
科学的に言えば、細胞分裂を繰り返して常に新しい自分に生まれ変わっているから。

また、人間は「人の間」と書きます。
自分以外の誰かがいて、初めて人間は「人間らしさ」を持つことができるわけです。
でなければ、本能のままに生きるただの動物と化すでしょう。
なればこそ、自分以外の誰かを幸せにする以外、人間らしい幸せを手に入れることはできないのでしょうね。

普段忘れてしまいがちなこれらのこと、なるべく意識して、日々を積み重ねていきたいものです。

投稿: JKP | 2009年10月25日 (日) 22時49分

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