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2009年10月14日 (水)

■手帳の中のダイヤモンド -18- 第六部 PRE STORY(2) -更新第328回-

その(1)はこちら


 冬の太陽は僕らを置き去り、とっととねぐらに帰ってしまって空は夜。
青みがかった闇のすき間に、砂粒みたいな星が覗き始めていた。
 教室のあと片付けをし、鍵を掛け、静まり返った校庭を横目に、門の
所で待っていた校務員さんにその鍵を渡して、僕と絢辻さんは学校を出
た。生徒では多分、僕らが最後だ。その間、絢辻さんはじっと押し黙っ
たままで、事務的な、本当に必要最低限の言葉しか口にしなかった。時
折ぶつりぶつり呟く言葉は、そうだ、とか、でもそれじゃあ、とか思考
を繋ぐ断片ばかりで、僕が何かを差し挟む足がかりにはならなかった。
「あれ……」
 もう遅い時間だというのに、絢辻さんの足は普段の通学路を逸れ、僕
らの針路が輝日東川に合流する。どうして今日に限ってこの遠回りのコ
ースなのかは分からなかったけれど、僕は何も言わず、そのそばに従っ
た。一応夜で、絢辻さんも一応女の子だ。しかも、今日は色んな事があ
りすぎて、ちょっと周りが見えていないときてる。所詮は通い慣れた道
だから何が起こることもないのだろうけど、放っておくのも後味が悪い。
 三歩離れてついて行く、絢辻さんのコートの背中は相変わらずピンと
きれいに張りつめて隙がなく、また昼休みに見たのと同じ頼りなさ……
寄る辺の無さ、と言った方がいいのだろうか、何がそう感じさせるのか
分からなかったけれど、完璧すぎて、何かが足りない気にさせた。ナイ
フは物を切るために作られて、それ以外のことは出来ない。人が何をす
るために生まれてくるのかなんて知らないけど、絢辻さんは、絢辻さん
でいること以外何も出来ない。……上手く言えないけど、そんな感じだ。
「あなたをあたしのものにしますっ!」……。
 そう絢辻さんは言ったけれど、こうして一人、その足し引き出来ない
背中を見ていると、あの言葉にはもっと別の意味が、……絢辻さん自身
も気付いていないメッセージが込められていたんじゃないかって思える。
あの言葉は、無防備な僕を守るため……そんな意味だったのだけど、そ
うではない、そんな絢辻さん自身から何かを一歩進めるための、方策の
一つだったんじゃないだろうかと思えてきた。
 思えたんだけど……。僕ごときに絢辻さんの何をフォローできるのか
なんて、僕には分かりはしない。何を求められたんだろう? その解釈
自体が、やっぱり間違いなんだろうか?
 だって、今日の放課後。体育館の出来事での絢辻さんの立ち回りの鮮
やかさを見るだけでも、僕の出番なんて一つもないことを、僕自身、痛
感させられたばっかりだったから。



     *行動を決定しますか?  ×



     *     *     *



 あの後。塚原先輩と七咲に話を聞いた後。
 屋内プールを飛び出して、隣接する体育館に飛び込もうとした僕らの
目の前に広がったのは、目を覆いたくなるような惨状だった。
 割れて飛び散ったガラスの破片と、上下まっぷたつに割れて落ちたバ
スケのゴールと、破裂したボールと思しき……多分、これもバスケット
ボールだろう……ゴム製の、球の展開図。破れて穴の空いた、ベニヤ、
模造紙。倒れた脚立。ひっくり返って、ぶちまけられたポスターカラー。
角材、釘……何本か、先端が赤く染まった物まである。そして、ポスタ
ーカラーの赤に混じってもそれとわかる、生々しく飛び散った血と、横
たえられた三人の生徒。それを取り巻く人たちと、青い顔色で叫ぶ、体
育教師の顔。
 体育館の中と外、表と裏手、色んなところに、色んなものが飛散して
いた。
 七咲と塚原先輩が聞いた通り、謎の音の正体は本当に救急車のサイレ
ンで、赤白のツートン車は本当に、体育館に横付けされていた。
「何だよこれ」
 本当に、何をどうしたらこんなことになるのか……徐々に広がりつつ
ある人垣に、僕は前に進むことを躊躇った。絢辻さんもその顔から色を
失っていたのだけれど、短く呼吸を刻むと、救急車を見、辺りの様子を
見、先生がいることを見て取り、すぐさま倒れている生徒に駆け寄った。
横たえられた三人のうち、二人は見覚えのある顔だった。ここに来る前
……塚原先輩を訪ねて三年の教室に向かうそのさらに前に、創設祭委員
のミーティングに出ていた、男子と女子が一人ずつ。もう一人の細長い
シルエットの男子には見覚えがなかったけれど、着ているジャージとそ
の体のサイズから、バスケ部員だろうということは想像がついた。
「大丈夫?」
 人垣を押しのけて女の子のそばにひざまづくや、絢辻さんは静かな声
で彼女に問いかけた。取り乱した様子は一切無い。女の子は制服の右腕
を抱くように、押さえて顔をゆがめていた。
「委員長っ……」
 細い、最後が消え入るくらい涙で震える声を絞り出した彼女の腕は、
肩から先が不自然に延びて見え、その形状の異様さに、僕の背中に怖気
が走った。人の形をちょっとはずれた人、というのは、正直、見ていて
怖い。それでも絢辻さんはひるみもせずに、哀しそうに、辛そうに、そ
して申し訳なさそうに歯を食いしばっている彼女に微笑みかけたのだ。
「大丈夫。気をしっかり持って。心配しないで」
 そこに、救急車から下りてきた隊員が割り込んできた。絢辻さんが素
直に場所を譲ると、そこにストレッチャーが二脚広げられ、細長い男子
と、女の子が先に乗せられていった。
 その間にも絢辻さんは、もう一人の委員の男の子に寄り添って二言三
言声をかけ、うん、うんと彼の言葉にうなずき、やっぱり「大丈夫だか
ら」と精一杯の優しい声で励ましていたのだけど、そこへもう一台、赤
い楕円の音を描いて救急車が砂煙を巻いて校庭を突っ切ってくるのが見
えると、また邪魔にならないよう静かに場所を譲った。
「三人は乗らないものね」
 いつの間にか僕の隣りに戻ってきた絢辻さんは、さも知っていて当然
のように呟いた。輝日東近辺の消防に配備されている救急車、その収容
人数は大型のものでも最大二名……そんなこと、一体どこで憶えてくる
んだろう。
 最後の男の子がおっつけでやってきた救急車で運ばれて行くのを見送
ると、辺りは急速にその熱を冷ましていった。残ったのは僕たちと、ほ
んの少しのざわめき、あとは壊れて散った色々の物だけだった。
「それにしても、これは……」
 何が起こればこんなことになるのか。散らばった様々の残骸を前に、
僕はまだ言葉を失っていたのだけれど、絢辻さんは、
「そうね。大体想像はつくけど」
……つくんだ。すっかり落ち着きはらって、
「一応、話を聞いておきましょうか。作業の進捗にどのくらい影響が出
るか、把握しておかないといけないし。……にしても……」
と、辺りに人がいないことを確かめ、
「ぅん……もうッ!」
 がすっ!
 忌々しげな息と一緒に、体育館の基礎コンクリを、力任せに蹴りつけ
た。



     *     *     *



 その場にいた人から話を聞いて分かった、ことの顛末は本当に絢辻さ
んの推測そのままだった。
 登場人物は三人。厳密には四人。練習中のバスケ部員が二人と、体育
館の外、裏手でパネル作成をしていた委員の男の子、そして体育館の中
にある用具室から資材を運んでいた、同じく委員の女の子。
 ふざけたバスケ部員が冗談で試したスカイラブダンク……一人が発射
台になり、ボールを持って走ってくるもう一人を投げ上げてダンクシュ
ートを決めさせるという、熱血バスケットまんが『主将ウイング』に出
てくるトンデモ技なんだけど……それが、勢い余って成功してしまった
らしかった。ただ、あんまり高く投げ上げ過ぎたものだからその落下の
エネルギーにバスケットゴールが耐えきれず、ゴールはボードごと真っ
二つに割れてしまったのだ。運悪くその下を通りがかった女の子が巻き
込まれ、二人はそのまま、勢いの向こうにあった大窓に突っ込んだのだ。
さらに悪いことにはその窓の向こうで委員三人がパネル製作の作業をし
ていて……うち一人が、その墜落事故に巻き込まれて怪我をしてしまっ
た、ということだ。
 一番怪我が酷かったのは女の子で、良くて脱臼か……悪ければ骨折し
ているだろうと言われていた。あの、腕が伸びたような感じはそのせい
だ。腕や足の表面にもあちこち、ガラスで切っていたのが痛々しかった。
次に酷かったのがバスケ部員。最後の男の子は、窓を突き破った後に巻
き込まれたこともあって軽傷では済んだのだけど、ガラスで掌を深く傷
つけてしまったらしい。やはり何針かは縫うくらいの怪我だということ
だ。
 バスケットボールはガラスでパンクし、二人分の体重をうけとめた、
角材とベニヤのパネルには大きな穴があいて修復は不可能。完全に作り
直しだ。他にも画材やら模造紙やら、資材、出費という面でも被害は甚
大だった。
「まあ、そんなことは良いわよ」
 体育館の裏手で作業をしていた後の二人も無傷ではなかったから、保
健室で手当てを受けさせ、早々に帰宅させた。その場の片付けは僕と絢
辻さんとバスケ部員でやってしまい、僕らが教室に引き上げて来たのは
随分時間が経ってからだった。そこで事態のまとめをしながらの、絢辻
さんの一言だった。
「お金なんてどうとでもなるわ。創設祭の予算に関わる分は、今回加害
者のバスケ部から、幾らか補填してもらうわよ」
「そ、そんなことをしたら」
「分かってる。だから角が立たないように、違う形で上手くやるわよ」
 ……あの部員が部に居づらくなるよ、って言おうとしたのだけど、そ
んなこと、僕が心配するまでもなかったみたいだ。お金の流通経路がど
う形を変えるのか、そこまでは僕には想像がつかなかったけれど、絢辻
さんにはもう具体的なプランがあるのだろう。片付けをしながら、やた
ら協力的に振舞っていたのはその伏線だったのか。
「そんなことより……」
 ふつふつと沸き上がるものに耐えきれなくなったのだろう。絢辻さん
はいらいらとおでこを掻いていたのだけれど、
「あ、絢辻さん……?」
 だんっ!! と突如、机をたたいて勢いよく立ちあがった彼女は、事
件発生からこれまで、押さえつけて、我慢して、後始末までやらされた
憤懣を一気に噴き出させた。
「男の子ってなんでそんなに馬鹿なの!? 何とか治らないもの?! 
スカイラブ!? そんなの七十年代の技術じゃない!! いい加減、国
際宇宙ステーションくらいには成長してもらわないとこっちが困るんだ
けど?!!」
「た、大気圏ならぬ、窓ガラス突入まで成功しちゃったよね……」
「ふ……」
 ぶちんっ。
 あ……しまった。
 我ながら上手いこと言ったつもりだったのだけれど、それが絢辻さん
の怒りに火をつけた挙句、油を注ぐところまでやってしまったみたいだ
った。僕としては水を差して蓋をして、そのまま三分ほど蒸らしたい気
分だったけどもう遅い。三分クッキングのつもりだった一言は、三日三
晩燃え続ける山火事へと発展した。
「あたりに迷惑まき散らすところまでそっくりよね……。そこまで似せ
れば天晴だわ上手いこと言ったものね嗚呼可笑しひ!!」
 ああっ、絢辻さん。本気で怒っているのだろうけど、訳が分からなく
なってちょっと面白くなってる。僕はこみ上げる笑いと恐怖の板ばさみ
に遭いながら、弱々しく反論するのだけれど。
「そ、そんな怒られ方……。僕に言われても……」
「あなただってこの間、体育の時間にスーパーアトミックなんとかって
叫んでたでしょう!! どうしていつまでもそういう……!!」
 げっ、アレを聞かれたのか! あれは『ポンドル』の……って、そん
な説明をしても七咲と違って分かってもらえるはずもなく。絢辻さんは
どっかと乱暴に頬杖をつくと、「そーゆー馬鹿やった男は、いっそチョ
ン切っちゃえばいいのよ」、と……な、何を? とは聞かなかったけれ
ど、何やら傍目にも恐ろしい政策を、マニフェストに盛り込もうとして
いた。
 だ、第三帝国絢辻党は……………………古代バビロニアにも負けない、
スパルタンな社会を約束します!!



     *     *     *



 それからだ。
 そうして、怒りを吐き出すだけ吐きだした絢辻さんは、その後徐々に
静けさを増して黙り込み、ついには一言も言葉を発しなくなった。こと
の直後は興奮状態にあって勢いがついていたのだろうけど、こうして冷
静に考え始めると、今日起こったことが絢辻さんにとっては頭の痛いこ
との連続でしかなかったのは明白だ。表情にも何の遊びも感じられなく
なって、プリントのまとめをやっているときと同じ、真面目で穏やかな
ものに変わっていた。
 僕は……ある意味傍観者だから、責任もなければ具体的な苦労もない。
けれど彼女はこの問題に、これから現実的に立ち向かっていかなければ
ならないのだから……僕みたいな半ヤジ馬の相手に割く処理能力は、今
はないということなんだろう。
 何か僕にも、役立てることがあればいいんだけど……。無い知恵を絞
りつつ見上げる、河原の道の空は広い。漠然と広がって、僕の行けると
ころがどこまでで、どこからが違うのか見当もつかない。だけど今日は
雲が多くて、自分と空との距離が、まだ測りやすいような気がした。よ
く見ると、高い雲と低い雲が交差して、どちらもものすごい速度で、ど
こかにある空の中心へと吸い込まれていくように移動していく。上空は
随分と強く風が吹いているようだった。そのすき間に小さく一つ、貝殻
みたいな星が垣間見えたとき。
「寒い」
 絢辻さんがやっと、僕に何らかの反応を求めるボリュームで言った一
言だった。
 地表まで、徐々に降りてきた風が絢辻さんの髪をなでると、夜の闇と
絢辻さんの境目が曖昧になる。このまま放っておいたら彼女はそのまま
一人で夜にとけて、朝までどこにも帰ってこなくなってしまうんじゃな
いかと、怖くなった。だから。
「そうだね。今日は風も強いし。冷えちゃうよ?」
「……」
 遠まわしに促したのが伝わったのだと思うけど、絢辻さんはまた、黙
ってしまった。
「ね、絢辻さん?」
「うちに帰ると、なかなかゆっくり考え事も出来ないから……」
「そうなんだ」
 賑やかなお家……なのかな? でも、以前町で偶然出会った絢辻さん
のお姉さんは物静かな物腰で、絢辻さんの心配するような感じは見受け
られてなかった。ただちょっと、絢辻さんにかまい過ぎるきらいはあっ
たかも知れない。
「いいわよ、寒かったら。先に帰っても」
「……うん」
 ううん、付き合うよ……って、言いたかった。けれど、このままここ
にいたって、何かの力になれる気もしなかった。だから考えるより先に、
絢辻さんの言葉に素直に頷いてしまっていて、言ってから、何か急に居
心地が悪くなるのを感じた。
 僕の出したその答えに、絢辻さんは何も言わなかったのだけど、ただ
少しだけ。奥歯を噛みしめるみたいに、深くうつむくのが見えた。
 邪魔になるから帰れ……そう言われているのかも知れないと考えよう
にも、そういう要求を遠回しにする人じゃないのは、手帳を拾ってから
こっちのやりとりでハッキリしてきた。むしろ、言わないといけないこ
とは、言いにくいことでもハッキリ言う。そんなときの絢辻さんは、彼
女に「素直すぎて危うい」と評された僕から見ても、ストレートすぎる
くらいの剛球投手だ。しかも狙いは、大抵ド真ん中か胸元をえぐる内角
高めで、低め遠めは趣味じゃないらしかった。
 それでも猫さえかぶれば緩急自在で、変化球、牽制、隠し球。打ち取
るためならボークすれすれの変則フォームまで使いこなすけど、本当の
姿を知っている僕にはまっすぐだけ……ときたま殺意のビーンボールが
飛んでくるけど……だという自負が生まれてきていた。
 --あなたをあたしのものにします--
 マウンドに一人、これまでバックの援護を一切期待しなかった絢辻さ
んのあの言葉は、もしかして、そういう意味だったのだろうか。僕の思
いこみ、自惚れ、なのかも知れない、いや、現時点ではその公算が高い。
でも、たとえそうでも、正体を知るのが唯一僕だけなのなら……どうす
ればいいのかなんて、少なくとも僕の頭で出せる結論は一つだけだった。
「ねえ、絢……」
「痛いわね」
 え。
 勢い込んだ僕を遮った、絢辻さんの不自然にきっぱりとした一言は空
に向けて放されたものだったけれど、僕に二の句を次がせない、牽制め
いたタイミングで発せられて……絢辻さんはハッとして、一瞬だけ僕と
合った目を、面伏せに捨てた。
 その言葉の意味も、絢辻さんがどうして極まり悪そうにしているのか
もわからずに僕は、落ち着かない様子で耳を覆う髪を何度も何度も耳の
後ろに逃がす仕草を繰り返す絢辻さんを見つめた。
「……なによ」
 はにかんだ、視線への小さな抵抗。不思議と空気が温んで、
 --あなたをあたしのものにします--
その言葉に感じた予感は、あながち、間違いではないように思えた。
「え……っと」
 ただ、今、もし。僕が「じゃあ、さよなら」って言っていたら、どう
なっていただろう? 生憎、「痛い」なんて言い出す絢辻さんを放って
帰れるくらいなら、あの手帳のことだって、こんな律儀に黙ってやしな
いんだけど。
「えと、その……どこか、傷めたの? 怪我でもした?」
 そうだ、あんな騒ぎのあとだ、どこか引っかけたり捻ったりしてても
不思議はない。焦りもあって、いつもよりも少しだけ接近しようとして
しまう僕を絢辻さんは懐に呼び込むだけ呼び込んで、くるりと背を向け
た。
「ちーがーうーわーよ。いくらあたしでも、三人分をいっぺんには無理
って話」
 声にはなんだか朱が差して、表情も華やいでいるのだけれど……え?
三人いっぺんに? 痛い? え? 裂けちゃう、とかそういう……。
「委員の話だからね」
 ばさりと。絢辻さんは、僕の頭に浮かんだ無数のクエスチョンマーク
と……それに紛れたサーモンピンクのハートマークとモザイク領域を一
刀両断に切り捨てた。視線が夜風よりも冷たさを増す。あ、あぶない。
「わ、わかってるよ」
「どうだか」
 もう相手にするのもバカ臭いと、絢辻さんはほのかに頬を染めながら
吐き捨て、話を進める。
「どうにか人員を調達しないとね。それもバスケ部に押し付けちゃおう
かしら? そうもいかないか……」
 どうでもいいのを寄越されても意味がないし……あそこに、使えそう
な人っていたかしら……。またぶつぶつと、言葉は沈みがちに小声にな
っていく。一歩、一歩と何かを確かめるように小さな歩幅で歩きながら、
絢辻さんは考える。想像を絶する速度で回転する、彼女の思考。こんな
時、絢辻さんの目や耳や、あらゆる感覚器と脳は分断されているように
見えた。一旦インプットを差し止めて、一つ考え、小さな結論を出して
横に置き、また別の考えをして出てきたもう一つの結論と照らし合わせ
る。そんな無数の並列処理のトーナメントを勝ち上がった最後の結論に
は、大概間違いがない。たった一つのおにぎりを燃料に彼女の奥底で動
くそれは、僕にとって神秘の産物だった。
 その大きな渦のほとりにまた一人、取り残されてしまった僕に、
「そうだ。さっき、何を言おうとしたの?」
と、絢辻さんは急に足を止めた。
「え? さっき?」
「あたしが遮っちゃったでしょ」
 本当に、こっちの都合なんてお構いなしだ。さっきって? 僕は少し
だけ記憶を巻き戻してようやく、あれのことかと行き当たる。
「ああ、あれは……」
 思いついたことはほんの場つなぎ、この場に留まるための苦し紛れで、
今改めて切るようなカードじゃない。僕の思いつきなんて絢辻さんのト
ーナメントでは緒戦で敗退しているに決まってるから、言った後の失望
を思うと、迂闊に口にするのは怖かった。
「べ、別に、大したことじゃないんだ」
「い・い・か・ら!」
 一歩だけ、にじり寄った絢辻さんの抑揚に不機嫌が滲み、僕はその距
離以上に追い詰められる。こうなってしまうと逃げようも無い。何か言
う前に、絢辻さんはもう罰を考えている目をしていたから、僕はしぶし
ぶ口を開いた。
「うん……。友達に声をかけてみる、ってのはどうかな」
「えぇ?」
 絢辻さんの言葉尻が固結びになる、その怪訝そうな反応に、ああ、や
っぱり。聞こえてくる失望の深い溜息と、すくめられた肩越しに飛んで
くる、
『なんだ、そんなこと? 期待したあたしが馬鹿だったわ--
 そんなシーンを勝手に想像したのだけれど……思いがけず、僕を見つ
めた絢辻さんの瞳に、深い影が差した。
「……友達に?」
 絢辻さんには珍しいオウム返しの呟きに促され、僕は戸惑いながらも
補足した。
「う、うん。絢辻さんなら、頼み事が出来る友達なんて、たくさんいる
んじゃないかって」
「頼み事……」
 ためらい……あの野戦病院のような体育館の出来事のさなかでも、一
切の躊躇を見せなかった絢辻さんが、分厚いオイルの膜のような瞳を…
…街灯の、白熱灯の光で揺らめかせた。
「あなたをあたしのものにします」
「少し見方を変えて付き合うだけ」
 その瞳に反射した光を浴びながら、どうしてだか僕は、昼休みの彼女
の言葉をまた、思い返した。その想像もつかないような速度でめぐる思
いの中で、絢辻さんは一体、僕の何を見ているんだろう。値踏みされて
いるようで、あまりいい気はしなかった。こんな美人に見つめられてい
るのに。
 その時不意に、新しいく空から颪りてきた強い風が吹き荒れて、
「うわっ!?」
「なによ、もう!!」
雑木林が揺れ、冬の乾いた砂が舞い上がる。川面もそぞろに波立ち、僕
らは落ち葉のように凪がれて、めいめい、風が通り過ぎるまで身をよじ
って耐えなければならなかった。髪とスカートを押さえ、絢辻さんは大
苦戦だ。
「びっくりしたね。大丈夫だった?」
 やがて過ぎ去った木枯らしのあと、僕はなんともなかったけど、
「大丈夫じゃないわよ、ひどい風。目に砂が入っちゃったじゃない」
と絢辻さんは、猫が顔を洗うみたいに、結んだ手袋のゲンコツで、目を
ぐいぐいとこすった。タイミングが悪かった。あんなに目をぱっちり開
けて、僕を見ていたからだ。ちょっと責任を感じる。
「大丈夫? ちょっと見せて」
「いいから。平気」
「だめだよ、目に傷でも入ったら」
「平気!」
 どんっ、と。ほとんど突き飛ばすみたいに、絢辻さんは歩み寄った僕
を振り払う。僕は二、三歩後ろへよろめき、絢辻さんはふらふらと、街
灯の光を求めた。
 どれだけ一人でいたと思ってるのよ、このくらい……。
 街灯の光を浴びて、そんな風に言ってるようにも見えるその背中は、
やっぱり小さい。ナイフのように不器用な、けれど研ぎ澄まされたその
背中を、僕は出来るだけ見ないように、そっぽを向いて、時が来るのを
待った。

「ねえ、お願いがあるの」
 街灯の下で目をいじりながら、絢辻さんがそう言いだすまで、思った
よりも、時間がかかった。
 言わんこっちゃない。僕は無言でその背中に歩み寄り、
「ほら、こっち向いて」
「え?」
と、絢辻さんの肩を掴むと、ちょっと力任せに僕の方を向かせた。間近
に見る、涙が浮かんだ半開きの絢辻さんの目は、想像以上に……
「このっ……トウヘンボク!!」
「っっっっっっつっっっっっっ!!!」
 想像以上の痛みが左足の甲を貫いて、僕の足はアスファルトと、地球
と一つになった。
 ……踏まれた。放課後踏まれたばかりのリンキュウを……今度は逆の
左の甲を、ガッツリと踏みつけられてしまった。僕はこれで、多分一生、
頭痛・肩こり・生理痛に悩まされることはないだろうというくらい、ガ
ッツリと。なんならリンキュウそのものが削れて無くなっていてもおか
しくないぞ。「過ぎたるは及ばざるがごとし」とはこのことだ。
 だってあの体制で、お願いなんて言うから。僕はてっきり、目を看て
くれってことかと思ったのだ。そうだ、絢辻さんがお願いなんて言うか
ら。
 足を抱えてぴょんぴょん飛び跳ねながら、僕は違和感を覚えて、はっ
と絢辻さんを見た。まだちょっとむずがゆそうに目を気にしながら、絢
辻さんはキッパリと僕を向き直っていた。これは、何かを決めたときの
顔だ。多分、僕が一番たくさん見てきた絢辻さんの表情。
「お、お願い? 絢辻さんが? 僕に?」
 聞き慣れない言葉だった。もちろん普段の話ではなくて、絢辻さんの
声で聞くのが初めて、というだけだけど。命令とか、指示とか、勅旨と
か、宣旨とか。じゃなくて、お願い?
「勘違いしないで頂戴。これはあくまで、緊急の措置なんだから」
「う、うん」
 声のトーンすら変わっている。前に進むと決めた、迷いの消えた肚の
声。それがどんな針路をとるのかは分からない。訊いても多分、教えて
もらえないだろう。ただ信じられるのは、絢辻さんは、僕に出来ないこ
とは頼まない、ということだ。その後、船がどこへ向かうかは乗ってみ
るしかないけれど。
「これは、お願い。命令でも指示でもなくて、お願いよ。頼まれてくれ
る?」
「……わかった。何でも言ってよ!」
 僕は勢いよく返事をする。第三帝国絢辻党謹製、戦艦・詞丸の出帆だ。
ま、絢辻艦長のことだから、沈んだり立ち往生したりはないだろう。幸
いここ数日の輝日東には、ちょっと強めの風が絶えず吹いていて、推進
力には事欠かない。
 だけどその展望は、ちょっとだけ甘かった。
「うん。いいお返事ね」
 そう言ってニッコリ笑う艦長の笑顔に、まさかあんな企みが隠されて
いるなんて。
 そしてこの風が、あんな悪さをするなんて。
 朝のニュースの軍事コメンテーターも、天気予報のお姉さんも……一
ッ言も、言ってなかったじゃないか!!



     *     *     *



「それで、にぃにが友達に頼むことになったの?」
「うん」
 嗚呼、あったかい。暖房は素晴らしい。
 今僕はアドレス帳片手にリビングであぐらをかいて、傍らには電話の
子機。そして背後には我が家が誇る、気まぐれ・わがまま・甘えん坊の
やんちゃな子猫のフル装備だ。
 自前のアドレス帳をめくり、今のクラスと、一年の時の連絡網の名簿
をめくり。記憶をあたってみるけれど……
「でもさー、にぃにだって、そんーなに友達が多い方じゃないよね?」
 うっ……。痛いところを衝いてくれるな、妹よ。その通りだ。確かに、
胸を張って「友達が多いでーす!」って言える方じゃないよ、僕は。い
くら名簿をめくってみたって、名前を見ないと思い出せないような相手
が、こんな急な頼みをきいてくれるわけもない。
「美也が知ってるにぃにのお友達ってー」
 美也の右前脚……もとい、右手の親指が、ぱたりと音を立てて倒され
る。
「梅ちゃん」
「うん」
 でもその呼び方はやめてやってくれな。
「梨穂ちゃん?」
「うん」
 人差し指。まあ、外せない。
「それと、……なんて言ったっけ。ちょっと変わった名字で、髪の毛が
わしゃわしゃーってなった……」
「……薫?」
「そうそう、棚町先輩」
 わしゃわしゃーって……。それ面白いな、いただきだ。明日早速使お
う。
 と、中指までが倒れたところで、うんとー、うんとー、と美也は僕の
周りをウロウロし始めてしまう。……そうなんだ。友達と言っても、気
楽に頼み事が出来るといえばそんなモンだ、僕の交友関係なんて。片手
を埋めることも出来やしない。マサやカズやケンやユウジが、この手の
学校行事を積極的にサポートしてくれるとも思えない。あいつらはダル
ダルなのが好きだから、最近僕がこうして絢辻さんの手伝いをしている
のも、奇異の目で見ているくらいだ。
 けど、仕方ない。心もとないリソースだけど、それでもその三人は鉄
板だ……と、思いたい。三人とも都合が悪くありませんようにと小さく
祈って、僕は受話器を手に取った。
 ……テレビがうるさいな。
「美也、電話するんだから、ちょっとテレビ小さくしてくれ」
「はーい。ええーいテレビよ小さくなあれー。無ー理でーしたー」
「ボ・リュ・ー・ム!」
 やけに素直だと思ったら! ふざけただけか!
「えー。電話なんて廊下ですればいいじゃーん」
「寒いんだから。にぃにが風邪ひいてもいいのか?」
「ぶー」
 我が家の猫がぶーぶーと、鳴きながらも大人しく下げたボリュームの、
テレビ画面に映る日本列島はどうやら天気予報。この時期にあまりそぐ
わない、ぐるぐる幾重にも絡まる大きなナルト模様が……なんだか不穏
な足取りで、輝日東の空に近づきつつあった。



     *     *     *



「と、いうわけで」
 そんなことがあった、翌日の朝早く。まだ授業の始まらないうちから
廊下にズラリ居並んでくれた僕の友達オールスターズを前にして、
「よくぞ集まってくれた、わが精鋭たちよ」
「誰が『わが精鋭』よ」
と、軽く往年の谷隼人を気取る僕に開口一番のツッコミを入れたのは、
最速キング・棚町薫だ。さすが、輝日東の特攻核弾頭の異名は伊達じゃ
ない。その場にいた梅原と香苗さんから、おお~っと小さな歓声があが
り、僕は少し気を良くする。よし、ここは一つ、昨日美也から授かった
ワードを織り交ぜてみるか。
「ム、なにか不満かね、髪の毛がわしゃわしゃーってなった人」
「帰る」
「待て待て。悪かった。パステル髪の毛がわしゃわしゃーってピンクな
人」
「気が変わった。あたしは残る。あんたを帰す、土に帰す」
 素晴らしい。ボケもこなすのか。
 再び、おお~っと梅原と香苗さんから歓声が上がり、拍手がついた。
それにつられて、周りからもパラパラと拍手が上がった。良し、絶好調
だ!
 そこへ背後から……フフフッと柔らかい、けれど僕にとっては寒気を
催させる笑いが挟みこまれた。そこには今日も、朝からずっぽり猫を被
った、
「あ、絢辻さん……」
「やっぱり、あなたと棚町さんの会話は愉しいわね。コンビネーション
も良くて羨ましい。そうだ、創設祭でステージイベントをやるから、二
人で出てみたら?」
 直訳。
 漫才がやりたいなら準備が終わってから、一般客を相手に、思う存分
スベりなさい。
「えーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、じゃあ本題だけど!」
 その真意に辿りつくや、僕は怖くなって無理やり話を切り出した。薫
は不服そうだったけど……やるならピンでやってくれ、僕はお前と心中
は御免だ!!
「急な話に集まってくれてありがとう、事情は大体、夕べ電話で説明し
た通りなんだけど……」
 思いの外、集まりは良かった。
 当初見込んでいた三人はこれといった不都合もなく快諾してくれ(見
返りに色々タカられるのを快諾と言うのかは分からないけど)、それと
さらに、薫にくっついて田中さんが来てくれて、梨穂子と一緒に香苗さ
んまで集まってくれたのは売れしい誤算だった。正直、薫だけだと僕一
人で制御し続けるのは難しかったろうし、梨穂子だけでも何かを任せき
りにするのに心許なかったのは事実だ。
「あたしは、自分とこの部の出し物もあるから、ホントにサポートだけ
だけどね」
とは香苗さんの弁だが、それでも十二分にありがたい。彼女の参戦には
絢辻さんも大満足の様子だった。多分、香苗さん自身もさながら、彼女
の人脈が広げるさらなる助力に期待しているのだろう。あと、それと…
…。
「えっと、ごめん、そっちの君は……」
 見覚えのない女の子が一人。
 茶色がかった髪がラフに短い、なんだかジリジリした目つきだけが印
象に残る小柄な子だった。B組にいたのは憶えているんだけど、まとも
に話をした覚えがないから名前も分からず、どうして来てくれたのかも、
僕にはハッキリしなかった。
「え、あ、あの、わ、私は……」
「ああ、黒沢さん? 黒沢さんはね、話を聞いて、自分から参加するっ
て言ってくれたんだよー?」
 何故だか少しどもりがちのその子に代わって、梨穂子が説明を紹介を
してくれたのだけど……梨穂子にフォローされる子って、大丈夫なんだ
ろうか。
「黒沢さんはすーごいんだよ? 頭もいいし、お父さんが議員さんなん
だよねー? あたしなんかよりも、きっと頑張ってくれるよー」
と、聞きもしない梨穂子の説明で、B組にいた役所のエライさんの娘さ
んのことを思い出した。そうかこの子が。と、思ってもう一度彼女のこ
とを見ると、黒沢さんははにかんで、梨穂子の影に隠れるように、その
ちょっとキツイ目で微笑みかけてくれた。悪い子じゃあなさそうだ。
 そうなると、市と合同の今回のイベントには、連絡役として適任かも
知れない。そう思いつつ絢辻さんの方を窺ったのだけど……何故か、彼
女はこれと言って表情も変えない。静かな笑顔を張り付けていて……な
んだか、ちょっと怖かった。

「みんなにやってもらいたいことは、大きく三つあるんだけど」
 猫を被った、絢辻さんの声。だけど、普段……素の絢辻さんと違うの
は、人に何かをやらせるときの手続きの踏み方と声、しゃべり方くらい
なもので、その実は大きく変わらないと、僕には思える。もちろん、そ
の当たりの柔らかさというヤツが人と接していく中で大切なのではある
のだろうけど……絢辻さんが考えているほど大きな差があるとは、僕に
は思えなかった。
 ……なんていう、僕の考えを余所に絢辻さんの説明は続いていた。
「一つは、エントランスに飾るパネルの作成。これは、半分くらいは出
来ていたんだけど、ちょっと事情があって作り直さないといけなくなっ
たの」
 これは昨日怪我をした男の子がやっていた仕事で、絢辻さんは昨日の
事故のことは、敢えて伏せているようだった。その流れの自然さから、
誰もそのことに疑義をはさもうともしない。
「だからその遅れを取り戻したいの。一応日程的なアドバンテージはあ
ったから、そんなに大急ぎでなくても、まだまだ、間に合うはずよ」
 薫が説明を聴きながら、興味深そうに、腕を組んで身を乗り出す。そ
の目には爛とした光が宿っている。
「二つ目は、資材管理」
 これは、盲腸で倒れたB組のそもそもの創設祭委員と、昨日怪我をし
た女の子が受け持っていた仕事だ。仕事の種類も多いから、この部署に
割り振られている人数は割と多いはずだった。
「各部署と連絡をとりあって、資材を運んだり、足りない物を調達した
りするの。あとは整理と管理。無駄な使い方をしてないかのチェックな
んかも、この人たちの役割ね」
「それってつまり、雑用ってこと?」
 絢辻さんの説明を、梨穂子がぽぽんとまとめてしまう。周りの連中も、
ああそうか、と頷いたのを見て、絢辻さんは困ったように眉を寄せた。
「簡単にまとめるとそうなっちゃうわね。だけどやることは多いし、人
と人を結びつける役割でもあるから、面白いと思うわよ」
「あ、うんうん。嫌なワケじゃないよ。どっちかっていうと、あたしに
出来るのってそのくらいかなー、って」
 ほんわかした梨穂子の反応を見て、絢辻さんは安心半分、不安半分と
言った様子だった。確かに……梨穂子に複雑なことや、この短期間の仕
事に特殊なスキルを求めても酷だと、僕も思う。だから梨穂子にもあま
りためらうことなく声をかけることが出来たんだ。
 一つ、気になっていたのが……絢辻さんが、仕事を「三つ」と言った
ことだった。これまでの説明で、今回欠員になった人たちの仕事は全部
のはずだ、僕の知る限り。最後の一つは……何だろう?
「最後の一つなんだけど……」
 尋ねるまでもなく、その説明が始まる。……かと思いきや。
「伊藤さん」
「あたし?」
 名指しで。
 絢辻さんは香苗さん……2年B組に二人いると伝え聞く、伝説の「伊
藤」が一人(大袈裟だ……)、伊藤”ちっちゃくてサイバーな方の”香
苗さんに呼びかけた。香苗さんは、最初こそ豆鉄砲を食らったハトの面
持ちだったのだけど、絢辻さんの
「これは、伊藤さんにしかお願い出来ないの。サポートで構わないから、
最初だけあたしにつきあってくれる?」
という説明に、
「うん、了解。あと、あたしのことは香苗で構わないから」
と、中身の分からない依頼にも関わらず、悪い気はしないといった風情
で二つ返事でOKする。それを見た絢辻さんも、話が早いと満足げだ。
「分かったわ。よろしくね、香苗さん」
 満面の……素も猫も関係ない、心底の笑顔で喜んで、絢辻さんは両掌
を合わせて傾げる、見慣れたポーズ。とそこへ、
 きーん、こーん、かーん、こーん……。おごそかな余韻を伴って、予
鈴が重なった。僕らの誰も逆らえない、タイム・リミットだ。
「とりあえず、ここまでね」
 絢辻さんが残念そうに……そして、「冒頭の漫才さえなければ!」と
いう苛立ちを僕に向けてだけ滲ませながら……廊下の古いスピーカーを
見上げながら呟くと、皆、三々五々に散っていく。そんな中薫が、
「ねえねえ、絢辻さん。結局あたしら、そのどっちをやればいいの?」
と、至極当然の疑問を口にした。
 薫は昔からせっかちだ。そんな話は、放課後にまた集まってからでも
絢辻さんから説明があるだろう。そう、僕は呑気にとらえていたのだけ
ど。梨穂子と田中さん、梅原。そして黒沢さん。四人もまた寄ってきて
耳をそばだてたから、絢辻さんも、席へ向かう足を止めた。
「ああ、みんなのことは」
 さすがというか、絢辻さんにはもう何らかのプランがあるらしい。ス
ラリと立てた右手の人差し指をくゆらせたかと思うと、それをつつーっ
と中空をすべらせ……ピタリ、と音をたてて、僕の眼前で止めた。
「彼に、『全部』、任せてあるから」
 …………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………え?
 梅原、薫、田中さん、そして梨穂子。四人の視線が、僕に集まる。
「…………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………僕?」
 話を理解するのに一分。声が出るまでに一分。授業開始まで、あと一
分を切った。その間も大体予測通りと絢辻さんは、一瞬、ほんの一瞬だ
け悪い笑顔を僕に向けると、すぐまた猫を頭に乗せて、
「分担を決めたら、報告してね。それじゃあよろしくね」
と……見覚えのあるものすごい笑顔で、僕をくぎ付けにした。
 それをどう理解したのか。
「あ、そーなんだー。……ふ~ん、いつの間にやらあんたもすっかり、
絢辻さんの右ムネってわけねー」
「なぬーっ!? そいつはおすそ分け願いてえな!!」
「た、棚町さん! 梅原君も、セクハラ!」
 感心したのか小バカにしたのか、「じょーだんよー」と笑う薫と梅原
に、絢辻さんが真っ赤になって突っ掛かる。いつもなら微笑ましい光景
なんだけど、そして右胸には食いついておきたいところなんだけど……
僕の心中はそれどころじゃなかった。
 本鈴の鳴る十秒前。教室の入り口に呆然と立ち尽くす僕に、絢辻さん
は。
「お手並み拝見……。『お願い』ね」
 すれ違いざま。肩にぽんと手を置き、甘く、冷たく、囁いた。
 きーん、こーん、かーん、こーん。そこへ重なる、僕らの誰も逆らえ
ない、ホントのホントのタイム・リミット。
 ウソだ、そんなの……聞いてないぞ? 絢辻さん……一体、どういう
つもりなんだ!?



     *新しい行動が発生しました! 

 
 
 
 

 ◆『アマガミ』絢辻さんシナリオ解読企画 「手帳の中のダイヤモンド」 目次
    01 前口上
    02 序文・絢辻詞という「少女」
    03 第〇部 物語のアウトライン 


    04 第一部 学校生活編 PRE STORY (SS)
    05 第一部 学校生活編 その1
    06 第一部 学校生活編 その2


    07 第二部 「目標」編 PRE STORY (SS)
    08 第二部 「目標」編


    09 第三部 家族編 PRE STORY (SS)
    10 第三部 家族編


    11 第四部 手帳編 PRE STORY (SS)
    12 第四部 手帳編 その1
    13 第四部 手帳編 その2


    14 第五部 恋愛編 PRESTORY その1 その2 その3 (SS)
    15 第五部 恋愛編 その1 その2 その3

    16 第六部 終章 PRE STORY その1 (SS)
    17 第六部 感想編 その1

    ◎『アマガミ』 絢辻さん SS 目次リンク

 

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