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2009年8月 6日 (木)

■嫁入り金魚と、フスマの国のお姫さま -更新第275回-

 お正月、ってこともあったからなのかな。その日の詞ちゃんは、ちょ
っと変だった。
「ねえ、おかしくない?」
 着付けたばかりの振袖を、和室の姿見の前でひと回りふた回り、それ
でもまだ何かが不安だったみたいで……なんと、私に意見を求めてきた。
途中までは普段通り、詞ちゃんが一人でやって、どうしても目の届かな
いところだけ、私が着付けて上げたのだけど……。
「……お姉ちゃん。ちょっと、聞いてる?」
「え? ああ、うん。そうね……」
 これは一大事だと私は察して、念入りに、まるでお嫁入り前の金魚み
たいにひらひらな詞ちゃんの周りをくるくる歩き、うらやましいくらい
にきれいな黒髪を結い上げた頭のてっぺんから、すらりと鋭い足袋履き
のつま先まで、とっくりと眺め上げた。極彩色の晴れ着はなんだか桜並
木の天の川みたいで、あんまり見てると、ちょっとくらくらする。
「うん、大丈夫」
「派手過ぎない?」
「ぜーんぜん。とっても色っぽいわよ」
「そういう余計なことはいいから。……でも、うん。そっか」
 私の率直な一言に詞ちゃんはちょっと不機嫌になったけど、その分、
不安そうだった睫毛が、ピピンと小さく、勢いを取り戻す。
「だけど、急にどうしたの? いつもなら……」
 いつもなら、全部一人でやっちゃうのに。これまでのお正月も、私に
手伝ってくれなんて言ってきたことはなかった。何をするにしたって、
私にも、お父さんにもお母さんにも、詞ちゃんが何かを「お願いする」
だなんて……この何年か、ほとんど覚えがなかった。
「別に、ちょっとキチンとしたかっただけよ。……お正月だし」
「そうなんだ」
 私もそれ以上追及する気はなかった。話してくれるとは思っていなか
ったし、私にだって、多少の覚えはある。大体の見当はつくんだ。私の
場合色々あって、あんまりうまくはいかなかったんだけどね。
 詞ちゃんは鏡の前でもうひと回り、「よし」と満足げに、そして自信
ありげに笑うと、
「じゃあ、あたしはちょっと」
と、しずしずと畳を踏んだ。
「どこ行くの?」
「電話」
 そう言って詞ちゃんは襖を引いた。すあー、っと、桟が敷居を滑って
行く、軽やかな音が私は好きだ。
 と思えば、詞ちゃんは、敷居の手前でぴたりと足をとめたまま動かな
い。
「どうしたの?」
 その小さな背中からは……最近、少しだけ力が抜けたみたいに見える。
パンパンに膨らんでいた薄い氷の風船が甘く緩んで、やさしくなった。
 そんな私の妹は肩越しにちいさく振り返り、
「ありがと。手伝ってくれて……」
と、なんだか謝るみたいな小声で言った。
「ううん。どういたしまして」
「……」
 そんなこと、いいのに。姉妹なんだから。
 ばつの悪そうな目と口元の面影だけを残して、詞ちゃんは自分の部屋
へと帰って行った。
 へんな子。
 本当に、詞ちゃんはへんな子だ。



    *     *     *



 和室の真ん中に一人正座して、お日様の昇る音さえ聞こえてきそうな
元旦の空気をもてあましていたら、
「うん、縁だけか。詞はどうした」
 詞ちゃんと入れ違い、開け放しの襖の向こうにお父さんが現れた。姉
妹二人で着付けをやっていたから遠慮していたのか、それとも、詞ちゃ
んがいなくなるのを見計らったのか。よく分からない。
「お父さん。お部屋に戻ったわよ」
 私は廊下を指差して答える。お父さんの視線は一度そちらを向き訝し
げに。
「勉強か」
と、何を期待したのか、おかしな質問をする。わざわざ晴れ着を着て、
勉強はしないと思うんだけどね。
「どうかしら。電話するって言っ……」



「橘君? あけましておめでとう。どうだった? 念願の初日の出は。
 ……はぁ!? 見逃した!? 四時頃までは起きてたって……結局
 寝ちゃったの? 全く……あなたねえ、『一年の計は元旦にあり』
 
って言葉も知らないの? ……うん……うん…………妹さんのせい
 にしな
い!! ほんとに……。あたしに謝られたって知らないわよ。
 ……ハァ、しょうがないわね。いいわ、だったら初日の出よりもっ
 といいもの拝ませて上げる。駅前まで出て来られる? え? 秘密
 よ。来れば分かるわ。見たくないって言うんなら、無理強いはしな
 いけど。そう? じゃあ、えーと……11時半に駅前でね。うん、分
 かった。いい、新年早々遅刻したりしたら承知しないわよ。あたし
 はお天道様ほど優しくないんだからね。お年玉、全額没収よ。フフ
 ッ、分ーかってる。じゃあ……え? うん……。……こ、こちらこ
 そ……今年も、よろしくね……。……。な、なんでもないわよ、バ
 カ! トウヘンボク!!」
 ピッ!!
「何考えてんのかしら! 正月早々!」



「……てたけど」
 ……ドア、ちゃんと閉めないから。ここ数日、詞ちゃんはこんなうっ
かりも増えた気がする。
「なんだか、楽しそうね」
 微笑ましくて、私はついころころ笑ってしまったのだけど、お父さん
は苦い顔をした。
「あいつは。正月だからといって、男に現をぬかせる立場じゃないこと
がわからんのか」
 ここでため息でもつければまだ楽なのに、お父さんにはそれも出来な
い。頑と骨ばった顎のラインが、怒るとすごく固そうに見える。肺の底
までコンクリートで出来ていそうだ。
「大丈夫よ。詞ちゃん、出来る子だもの」
 私のフォローなんか何の役にも立たないのは分かっているんだけど、
本当のことだ。
「お前には遠く及ばんだろう。二流足らずの公立校なんぞを選んで、何
のつもりがあるのか知らんが……。お前は、男は」
 いないだろうな? と言いたげに、お父さんの眼が鋭くいかった。そ
れなのに、その肩や口元は、どこか寄る辺なげなのだ。詞ちゃんには、
お父さんのその感じがまだ分からないみたい。仕方ないよね。
「私は……詞ちゃんみたいに、人を見る目ないから」
「人を? あいつにか? 馬鹿な」
 お父さんは、悪い冗談をいなすよう。私と、視線の先にある詞ちゃん
の部屋のドアを交互に見た。
 でも、これも本音。面倒なんだよね。人を見るのって。だから私はも
う自分のことしか見ないし、幸せになるにもそれで充分だと思ってる。
お父さんがいるから。そして、だから、詞ちゃんをすごいと思う。
「お父さん」
「なんだ」
 言おうか、やめとこっか。言ったところでお父さんが信じないことは
決まり切っているし、私の意見なんか何とも思わないことも分かり切っ
てる。そういうお父さんだから、私はずっと疑わないで来たんだし。怒
らせるかも知れない。それは厄介だなー。……でも、
「多分……多分だけど」
 ま、いいか。お正月だし。
「将来、この家に大事なのは……多分、詞ちゃんだよ」
「なんだと?」
 案の定。いろんなものを削ぎ落として、要るものだけが残ったお父さ
んの薄い額の皮を押し退けて、びきりと血管が太く浮く。うわー。だけ
ど、私も止められない。それはそれで、めんどくさいのだ。お年玉、先
に貰っておいて良かった。
「そのとき詞ちゃんが、『絢辻』の苗字を大切に思ってくれるかどうか
は……わからないけどね」
「……もういい」
 ほらね。
 とうとうお父さんはそっぽを向いてしまう。そうして現れる五十年の
澱が積もった肩口には、疲れだって見えるのに。だったら許してあげれ
ばいいのにって、私は思うのだけど、それもまた、同じものが許さない
みたいで。色々難しい。だから私は言うんだ。
「きっとね、詞ちゃん、……面白い男の人。つれてくると思う」
「関係ない。好きにすればいいだろう。お前が心配することじゃない」
「そっか。そうだね」
 お父さんはしばらく、そのまま黙ってそこに立っていたけど、結局何
にも言わないまま静かに襖を閉めて、リビングの方……詞ちゃんの部屋
とは反対方向へ、足音を遠ざけていった。
 ほんとに。家が広いっていうのも、考え物よね。
 しようのない人。お父さんも、詞ちゃんも。
 だけど私は、お父さんの苦労も知ってるし、悩みも分かる。絢辻の家
を背負って、それなのに、男の子に恵まれなくて。自分が一番大切にし
てきたもの、自分の力で一番負いたかった物を、余所から来た人の血に
任せなければならない、不安と苦しみ。だからこの人に出来るのは、て
んでんばらばらになりかけたこの世の中でも一番分かりやすい価値観で、
最高の餌を用意して、最高の魚を一本釣りにすることだけなんだって。
そしてそれに、私たちも協力する義務があるって思ってる。古臭い考え
方だって思う人もいると思うけど、それを大事にすることだって、一つ
の道なのだと私は思う。それはきっと、この和室みたいなものだ。私の
大好きな、この和室みたいな。それが分かってしまうから私は、詞ちゃ
んみたいに、まっすぐに、強くはなれない。けれど、辛いとも思わない。
私はこれで幸せだから、それでいいんだ。私にはこれが当たり前だから、
このままがいい。
 ……私の中ではきっと何かが壊れていて、だけどそのことにも、きっ
と何かの意味があるんだろう、と思っている。詞ちゃんはそれが気に食
わないのか、あんまり笑ってくれないけど。それが何なのか、どうして
なのかは……私、考えるのは苦手だからわからないけど。
 けどそれが、お父さんとお母さんからもらったものだけでここまでき
た私の、天然だって散々言われる私の、最後の確信。
 いつか詞ちゃんが、お気に入りだった手帳を捨てたって言ってたみた
いに。
 大切な意味が、きっとあるんだ。



    *     *     *



 また一人きりになった和室でぼーっとしていたら、ちょっとうとうと
してしまったらしかった。
 意識と襖の向こうでとたとたと、廊下を玄関へ向かう足音がして、お
母さんの声。一言二言、素っ気無く答えた誰かが玄関を開けて、下駄を
カラカラ言わせて出て行った。淡く滲む瞼の隙間から覗く、時計の針は
10時半。
 お昼まで、まだ時間あるな。おミカン、食べたいな。
 そんなことを思っていたら、そのオレンジ色の塊が後頭部にすっぽり
収まったような重さを感じて、私はそのまま、また浅い眠りに静かに飲
み込まれていった。
 う~ん……。ビバ・お正月……。



    *     *     *



 天井近い、明り取りの窓から差すほどに高くなったお日様の光を顔に
受けて、私はもぞもぞと目を覚ました。
 いつの間にかヒーターが点いている。誰か来たんだ。
 ぽかぽかとした暖かさと……暮れに替えたばかりの畳からは、夏だか
春だか、青緑色の尖った匂いが強くて少し落ち着かない。だけど時間を
かけて、また心地よい匂いに変わっていってくれるだろう。その時が待
ち遠しくて、私は寝ころんだまま、畳にほほを寄せる。目に沿えば滑ら
か。
 体を起こして、伸びをするついでに時計を見たら、11時。
 和間の障子を透いて差してくる真新しい光は、白くて、まぶしくて、
なのにとっても柔らかで、今日が一日、きっといい日であることを教え
てくれているみたいだった。……もう半分、終わっちゃったけど。
 詞ちゃんはもう駅前だろうか。さっき玄関で、なんて言ってたっけ?
『いいのよ。歩きなれないから、どうせ時間かかるに決まってるわ』
だっけ? にしても、駅まで一時間?

 ……。
 そうだよね。
 駅前の見慣れた風景も、木枯らしの舞う冬の空も、かなしい思い出ば
っかりの河原の道も、詞ちゃんが毎年バカにしていた、初詣に向かう人
波も。きっと、今年は特別だよね。その新しい景色を、詞ちゃん、時間
をかけて、わくわく待ちながら、眺めているといいよ。それはきっと、
その瞬間だけの特権だから。風邪、引かないようにね。
 いつか町で偶然出会ったあの男の子は、どう見てもうっかり者の変態
さんだから、道行く晴れ着のうなじなんかにフラフラ見惚れて、約束に
少し遅れて、この寒いのに汗ダラダラで滑り込んでくるんだろう。そう
したら詞ちゃんのことだから、二言三言脅かした後で、ゴハンの約束も
とりつけて。
 満足げに、胸を張るんだよね。ちょっと、サービスの足らない胸だけ
どね。



「じゃあ、改めて。……あけましておめでとうございます、橘君。
 どう? 眼福、でしょ?」





『うん、絢辻さん。とってもキレイだよ!』





……って。
詞ちゃん。
褒めてもらえるといいね。
それってすっごく、嬉しいよね!





  ~Epilogue~


さて……っと。
私もそろそろ…………ん?

   ドダドダドダドダダ……スパーン!

 パパ辻「縁ッ!! 雑煮に雪見大福を沈めたのはお前か!!」
  縁 「あー、うん。おモチ、見つからなかったから」
 ママ辻「縁さん! どうして黒豆を煮るのに、編み針なんか入れたの!?」
  縁 「え? おんなじー。釘ってどこにしまってあるか、知らないんだもん」
 パマ辻「……」
  縁 「……まずかった?」
 パマ辻(どーしてウチの娘たちはこう……)



 

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コメント

■関東の塾講師さん
毎度どうもです。

>これってやっぱり「好きBEST」後の話ですかね?

あー、どうでしょう。正直、
「晴れ着を褒めてもらう絢辻さん」
という絵から思いつき一発で膨らませたので、あまり深く考えていませんでした。
絢辻家を安易に描き過ぎたと、ちょっと反省しています。
絢辻さんのあまりに強気な態度から考えると、案外ナカヨシ後なのかもしれません。

>「ナカヨシ」後でも十分に幸せなはずなのに、こういう展開は「好きBEST」後にしか感じられないのは何故なんだろう?

やっぱり、手帳を手放すかどうか、あらゆる周囲に対してスを出すかどうか、
というところの違いで、
ナカヨシではまだいろんなモノを抱え込んだ状態から
抜け出していないからではないでしょうかね。

投稿: ikas2nd | 2009年8月 8日 (土) 10時26分

綾辻さんが幸せそうで何よりです。

これってやっぱり「好きBEST」後の話ですかね?
「ナカヨシ」後でも十分に幸せなはずなのに、こういう展開は「好きBEST」後にしか感じられないのは何故なんだろう?

投稿: 関東の塾講師 | 2009年8月 7日 (金) 23時39分

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