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2009年8月16日 (日)

■帰省 -更新第282回-

 冷房の効いた図書館は案外人が多くて、シンと張りつめた空気を
恐れていた僕には、そのざわめきのような気配はちょっとした救い
だった。
 こんなこともあるだろうと思って持ってきていたノートと参考書、
問題集、そして息抜き用にと書架から適当に抜いてきた、僕にでも
読めそうな小説を、出来るだけ物音をたてないように、先に見つけ
てハンカチでマークしておいた席にそっと運んだ。
 向かいの席では見慣れないシルエットの女の子が、僕が来たとき
から、否、恐らく僕が来る前からずっとそうしているのだろう、一
冊が僕の勉強セットよりもまだ分厚いような本を二冊、傍らに積み
上げて、さらにそれと同じシリーズらしい本を机に広げ、緩急自在
な速度で目を走らせて時折何かをブツブツと呟いては頷き、時には
そのさらに隣に広げたノートに何かを書きつけていた。それはメモ
のような日本語であることもあったし、音符だか数式だか分からな
い、謎の記号の連続のこともあって、僕にはさっぱり何の勉強をし
ているのかも分からなかった。けれども、こちらに向けられた可愛
らしいつむじから発せられる波動は爛々とした生気を感じさせて、
彼女が今、如何に自分の望む場所にいて、やりたいことと向き合っ
ているかを物語っていた。僕にはそれが、何故だか我がことのよう
に嬉しかった。
 正直なところ、僕はここで勉強をしたり、本を読んだりしていな
くても、彼女のその様子を眺めているだけでメロンパン五、六個…
…いや、三、四個はいける自信があったのだけれど……一応受験生
という身の上、それを自ら慮り、その姿勢だけでも見せる必要があ
ると思ってその準備をしてきたのだった。そしてまたそれを恰好だ
けで終わらせているとあとあと面倒なことが起こり兼ねないので、
ノートを開き、ペンを持ち、一週間前、帰省旅行に旅立つ前、まさ
にこの場所で開いていた問題集のページを開いて、彼女のつむじと
向き合った。
 本日の面白い発見は、彼女のつむじが、少し曲がってついている
ことだ。



     *     *     *



 開始から一時間は経っていなかったと思う。異変が起こった。
 向かいの彼女がバタバタと、イライラと、手元にあった本を右へ
左へ、ページをめくっては戻りし始めて、知りたい単元が見つから
ないのだろう、いよいよ背表紙を確認し始めた。
 僕も手を止めて、顔はノートから上げないまま、上目づかいにそ
の子の様子を窺っていた。眉を寄せて、すこしツリ気味の目じりに
険をたてると、「うう~ッ」と薄いうめきにいら立ちをにおわせる。
ちょっとイヌみたいだ。
 と、余計なことを考えてしまったせいで僕の鼻から、笑いが細い
息になって漏れてしまい、彼女はそれを見逃さない。うつむいて、
上目遣いの僕と上目遣いの彼女、図書館の大きな長テーブルの真ん
中で、視線が交錯した。
「……」
 さすがに、彼女はちょっとびっくりしたようだった。さっきまで
苛立ち一辺倒だった瞳からは険しさが抜け、その奥からアレッ、と
音が聞こえてきそうな色に変わる。僕はついついこぼれそうになる
笑みをこらえて、「偶然」視線がからまったときの姿勢のままで、
彼女のリアクションを待った。
「……オカエリナサイ」
「ただいま」
 彼女の口からようやく出てきた言葉はごく当たり前の挨拶で、僕
もそれに見合った返事を返した。多分、彼女の中の優秀なセーフテ
ィが働いて、何か感情的な言葉が出てしまう前に一番無難なセリフ
を準備したのだろう。その空いた時間を使って、今彼女の中ではこ
れからするべき重要な会話の組み立てが、猛スピードで進んでいる
に違いなかった。奇策が通じるのはここまで、ということだ。あと
は、慎重にならないと。
「早かったのねえ。今日じゃなかった?」
「昨日だよ」
 絢辻さんは、手帳──と言っても、昨年の冬に焼き捨てたものと
は違う、新しいスケジュール帳だ──のカレンダーを見直して、
「え? 今日って十五日?」と彼女らしからぬ過ちを口にした。
 八月の十四日。僕が絢辻さんに伝えた、帰省から帰ってくる日付
だ。そして今日は終戦記念の十五日。特に会う約束はしていなかっ
たのだけど、「あたしは多分、しばらくここにいるから」と、一週
間前の別れ際に彼女が言ったことで、僕はそれを「居場所は分かっ
てるんだから、適当に会いに来なさい」というリクエストだと受け
取ったのだった。
「勉強があんまり順調だから、ちょっと感覚が狂っちゃったのね。
ごめんなさい」
「いや、構わないよ。約束してたわけでもないしね」
 それにしても、一日分すっぽ抜けるくらい、連日集中していたと
いうことなのだろうか。さっき僕の顔を見たときも、感慨のような
ものを抱いてくれたわけではないようだった。幽霊を見るその目は、
ただ純粋な驚きだけを見ていたように思う。それが証拠に彼女は既
に、手にした本を相手にブツクサと文句を垂れ始め、すごいスピー
ドで本からメモをとるモードに移行していた。
 大きな窓の外で夏の日が天頂から少し傾いて、あからさまな夏の
嬌歓から移ろった
暮れゆく寂しさを匂わせる光が、僕の足元の床を
焼くようになっていた。
「……そんなことより絢辻さん、それ。どうしたの?」
 そうか、もう一週間経っちゃったのかー、とまだ少し悔しそうに
している絢辻さんに、僕は一番に訊きたかったことを「それ」と言
いながらも、自分の眉間を指でトントン指しながら尋ねた。
 眼鏡。
 一週間。
 ほんの一週間見ない間に、絢辻さんは……眼鏡をかけていた。
「ああ、これ?」
 そう、それ。今時流行っているような、安作りのものではないよ
うだった。殆どジュエリーに近い、針金のような細いシルバーのフ
レームに、痩せすぎず広すぎない、実用とファッションどちらのラ
インからもギリギリのところにいるような大きさのレンズ。光の当
たる角度が変わると、釣り糸程の細い紅の光の筋が、どういう仕組
みになっているのかレンズの周りのフレームにだけスルリと走る。
値段の話をすると絢辻さんは機嫌が悪くなることがあるので言わな
いけれど……高そうだ。
 その涼しげな金属の艶のせいで、今日最初にここに来た時、絢辻
さんは僕のよく見知ったシルエットをしていなかった。だから最初
は見つけ損なって、素通りしてしまったのだった。
 少し照れくさそうに。絢辻さんは両手で丁寧にフレームの両端を
支えると、まだ覚束なげに、鼻当ての位置をすこし直した。
「……ちょっとね」
 ちょっとも何も。視力が落ちてしまったのだろう。飾りや伊達で
そんなことをする人じゃないから、それは明らかだった。
「まあ、あっても無くても、っていう程度なんだけど。ちょっとは
楽になるからね……変?」
「そんなことない、すごく似合ってるよ。似合ってるけど……」
「けど?」
 言い淀んでから、しまった、と思った。ここまで言ったらもう止
められない。勿論個人的には「なんでもない」と逃げ出したいとこ
ろだけど、絢辻さんはそれを許す人じゃない。三日三晩、イタズラ
電話を仕掛けてでも聞きたいことは聞きだす人だ。……しかもなん
だか、食いつき方が尋常じゃない。もう一度「『けど』、何?」と
表情に勢いをつけてくる。これはきっと、何かあったんだな。だめ
だ、と僕は観念した。家族に累を及ぼす前に、素直に白状するに限
る。
「……けど、ちょっと、キツ目かな……」
「……やっぱり?」
 睨みつけるようだった表情は一瞬で萎れて、絢辻さんは机に肘を
落としてため息をついた。そして、あたしもそう思ったのよ、もう
少しやわらかくても良かったんだけど、と昔の自分に言い含めるよ
うに続けた。
「はは……。知的な雰囲気には拍車がかかってると、思うけどね…
…」
「店員も同じこと言ってたわ。うっかり、猫かぶって行ったのが間
違いのもとね」
 僕の慰めにも、絢辻さんは落胆の色を隠さない。ああ、なるほど。
猫を被っている時の絢辻さんは雰囲気が数倍柔らかいから……若干、
印象がキツくなっても問題ないと踏んだのだろう、その店員さんは。
さすが、相手もプロと言うことだ。その判断に間違いはないと思う
けれど、如何せん、相手は本気の絢辻さんだものだから……その本
質を見抜くことまでは出来なかったということだ。……ということ
は、絢辻さんの猫はプロ中のプロと言うことか。それもすごい。
「失敗したなー。あなたが帰ってきてから作れば良かった……」
「ほら、絢辻さん。続き、続き。本を探し直しに行くんじゃなかっ
たの?」
 凹む彼女に促すと、絢辻さんは、そうだったと分厚い本を片手に
立ちあがった。……今余計なことを言ったら、アレで殴って貰え…
…否、殴られるのかと思うとゾクゾ……否否、ゾッとする。



     *     *     *



「ねえ」
 絢辻さんが書架の方へ踏み出したのを見て、僕は再び問題集に目
を落としていたから、突然、背後から話題を振られて驚いた。いつ
の間にか絢辻さんは、新しい本を手にし直して戻ってきていた。
「今日はどうするの? せっかく来てくれたんだし、ここを出てど
こかへ行く?」
 林立する書架と書架の合間に立つ、太い柱にかけられた時計を見
ると、時間は午後の二時半。今から出たって、存分に遊び倒せる時
間帯だ。何のプランがあるわけではなかったけれど、表に出ればい
くらでも思いつけるだろう。何せ僕らは受験生で、普段からあれが
したいこれがしたいという遊びへの渇望は、潤うことを知らないか
らだ。
 だけどその日の僕は、そんな渇きはすっかり忘れてしまっていた。
今日これまでの時間で、もっといいものを見つけていた。
「いや、いいよ。今日はこのまま、ここで勉強しよう」
 ピクンと小さく跳ねた彼女の顔の上で、真新しい眼鏡に緋色の光
が走る。僕から提案はそれほど意外だったようだった。てっきり遊
びに誘われるものだと思っていたようだ。拍子抜け? 期待はずれ
? 絢辻さんは、手にした本、さっきの物よりもさらに厚みを増し
たそれを、一端肩に担ぐように持ち直した。
「そう? 別に、気を使ってくれなくてもいいのよ。さっきも言っ
たけど、今、進みはすごく順調だから。二、三日分のアドバンテー
ジはあるわ」
 少し、得意げ。
「す、すごいね……。でも、だから余計に邪魔するのも悪いし……
それにホラ、僕も一応受験生だから」
 僕は開いた問題集とノートをゆび差す。多分、絢辻さんから見れ
ば赤子の手をひねるような問題ばかりだと思うのだけれど、絢辻さ
んはそれを見て、何故か嬉しそうに笑った。
「そ。一応、ね」
「ははっ。絢辻さんとは随分、レベルが違うけどね」
「つまらない卑下はしーなーい」
 担いだ本の背中を、ドスンと僕の後頭部に打ち付ける。こ、これ
は……。自重だけでもかなりの衝撃だ。も、もしも絢辻さんが本気
で、この本のカドを僕の弱い部分に打ち付けようものなら……一体、
一体僕はどうなってしまうんでしょうか、嗚呼!! 
「そんなの関係ないでしょ。あなたはあなたの歩ける、一番の道を
歩かないと承知しないからね」
 さりげない激励。僕の指先でペンが軋む。人のことを気にかけら
れる余裕なんてないはずなのに。
「あ、でも、絢辻さんが息抜きにどこか行きたいなら、それでもい
いけど」
「ううん。メ・ズ・ラ・シ・ク、あなたもその気になってるみたい
だし。お遊びはまたにしましょ」
 そう言って、絢辻さんは。
 大周りに長テーブルの向かいの席に戻……るのかと思いきや、体
を伸ばして、テーブルの上のノートや本や筆記具だけを引き寄せる
と僕の隣に腰を下ろした。
「絢辻さん?」
「いいでしょ、隣」
「ああ……うん」
 その真意はわからない。疑問符を浮かべる僕をよそに、彼女はも
う、一瞬のうちに六速発進だ。細い眼鏡の弦なんかでは隠せない、
大きくて黒い瞳は真剣そのもの、見たもの全てを吸いこんで、自分
の血肉にしようと貪欲に渦巻いている。かくいう僕も、その瞳にの
み込まれたモノの一つなんだけど。
 ……ふと、気付いた。
 積み上げられた本の影、絢辻さんからは死角になっているそこに、
さっき彼女がくっていた手帳が開いたままで、無防備な寝息をたて
ていた。カレンダーに書きこまれている小さな予定と不思議なマー
ク、そのほとんどは僕には意味が分からないけれど……ちょっとミ
ワク的なオンナノコマークなんかもあったりして気にはなるんだけ
ど……僕が帰省に発った一週間前から一昨日までの六日間にだけ、
赤いペンで、大きなバッテンがつけてある。
 最終日は多分、さっきの誤算でつけ損じたとして……これはきっ
と、カウントダウン? 思い切り、一人自由に勉強できる時間のリ
ミットタイムなのか、それとも、待ち遠しい何かを埋めるためのメ
ルクマールなのか。この手帳も、中を見たことがバレたら、いつか
みたいに締め上げられてしまうのかな。
 どっちにしたって、今の僕には、
「……ずっと見てたの?」
「え!?」
 絢辻さんからの急な問いかけに、思考は途切れて冷たい汗が流れ
出す。けれどそれは、
「さっき」
と、すぐに意味が違うことを知らされる。最初に、絢辻さんが気付
くまでの話だった。
「え、ああ……。ずっと、ってわけじゃないけど。いつ気付いてく
れるかなと思って」
「悪趣味」
 絢辻さんは目もこちらに向けていなかった。どうなっているんだ
ろうか、右手はずらずらとメモをとり、左手は顎を支えて、癖なの
かな、時折ゆび先が唇をいじっている。瞳は本の上の文字を、並び
も何も関係なく、縦横無尽に必要なセンテンスを追って検索し続け
ている。それなのに、僕との会話もつつがない。脳が幾つかあるの
だろうか。僕なんかは、そのすごさに驚くことと、自分が今咎めら
れていることを思いだして、謝ることを同時にすることも覚束ない
のに。
「ご、ごめん」
「そうね。でも」
 絢辻さんはそこで初めて、目と手を止めた。体を起こすと、息継
ぎみたいに鼻から息を抜いて眉を下げた。
「すぐに気付いてあげられなくて、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。それは」
 図書館の冷房対策だろう、薄手のカーディガンを羽織ってはいる
ものの、夏の装いは彼女のにおいも体温も、ダイレクトに、僕の夏
を刺激する。
 そりゃあ、まあ。
 絢辻さんの水着も見たい。浴衣も見たい。
 太陽にはじけるベストバランスの肢体も、宵闇に咲く、花火に照
らし出される真っ白なうなじも。海、花火、スイカに夜店に祭囃子。
じんわりと肌を包む汗さえ、いつもよりもたくさんの絢辻さんを運
んできてくれる気がするだろう。子供みたいな無邪気な笑顔で、あ
れやこれやとはしゃぎ回る彼女を見ていたい。水族館のときのよう
に。
 だけどね、絢辻さん。さっきから見ていて、思ったよ。学ぶこと
に向き合っている時の絢辻さん、真剣な眼差しの絢辻さんが、やっ
ぱり一番絢辻さんらしいんじゃないかって。一番、眩しく映るんだ。
 「らしい」なんて言葉を口にすると、絢辻さん一流の曲がったつ
むじで違う一面を見せてくれようと気を張ってしまうから、言わな
いけど。
 高校三年の夏っていう時間は、もしかすると、僕らに一番僕らら
しい夏をプレゼントしてくれる最後の時間なんじゃないかと、そん
な風に思う。だから今日はこうしていたい。このところ、二人のと
きはちょっと優しい絢辻さんだったから。久しぶりに、天下無敵の
絢辻詞……否、新しいアクセサリーを装備して、史上最強になった
絢辻さんを、僕のことも忘れるくらいに一心不乱に喜びを追い続け
る絢辻さんを、そばで感じていたいと思うんだ。
 その目映さを忘れない。それが僕の、もう一つのルーツだと思う
から。



      ~~ Epilogue ~~



 絢 辻「そうだ、さっき見せてくれたノート。
     上から三つ目の答え、間違ってるわよ」


 主人公「え! あの一瞬で!? ていうか嘘でしょ?」

 絢 辻「嘘じゃないわよ、見せてみなさい。……ほらここ」

 主人公「間違ってないよ、だってほら、問題文にはこう……」

 絢 辻「ああ、わかった。あなた、問題文を読み違えてるのよ。
     ここはそんな解釈にならないでしょ、フ・ツ・ウ!
     読解力に難ありね」


 主人公「えー……。でもどう読んでもこれは……」

 絢 辻「……あー、もう! 数学ばっかりやってるから
     そういうことになるの! 現国も古文もやんなさい!」


 主人公「その辺はその、苦手……」

 絢 辻「つべこべ言わッ……ッない!!」


    ゴガッ!!


 主人公「ぐあっ!
     ~~ッ!!
     ~~★♪!?!
     ~~~~~~~~……。
     あ、絢辻さん……カド、カド……。
     カドでつむじは……下痢になる……」


 絢 辻「め・い・し・ん・!」

 主人公(こ、この衝撃か~……♪♪♪)


    ◎『アマガミ』 絢辻さん SS 目次リンク



 

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