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2009年8月 9日 (日)

■絶対ハピネス領域の戦い -更新第277回-

オイサンです。

古い友人からメールを戴いたのです。
「先頃、お子を授かった」という素敵なメールでした。

彼との付き合いは小学校からという本当に古いもので
(もしかしたら幼稚園からだったかも知れない)、
今現在オイサンも彼も34歳になろうとしていることを考えると、恐らく、
四半世紀近いお付き合い、ということになります。
永い。
多分世間的には十分「幼馴染」として通る関係だと思います。

しかしオイサンは、そんな彼の「子供が生まれた」という報告に、
素直に「おめでとう」と言うことが出来ませんでした。



  ……今日の『ゆび先はもう一つの心臓』は、そんなお話です。



彼とは小学校からずーっと継続的に連絡を取り合っていたわけではなく、
小学校から中学までは学校が同じで、それ以降は特に連絡してはおらず。
社会人になって3年ほどした2000年頃から、
なんかの拍子にメールアドレスを教え合い、しばらくメールを交換したり、していました。

  ワリと長ーい、濃い目のメールを。

最初は頻繁だったそのやりとりも少しずつ途切れがちになり、
またすっかり途切れた07年の秋……突然また、メールが届きました。

  「結婚する」と。
  厳密には「入籍する」と。

そのときオイサンは、あの忌まわしきアメリカでの業務の只中におりました。
確かこの時も、素直な「おめでとう」の言葉は贈っていなかったハズです。
どうして素直に、「おめでとう」と言っていないのかというと……。

やりとりが再開された2000年の頃のメールの中で、
彼がこんなことを書いていたのです。

「50代後半の自分を思い描くと、そのときの自分は独りなのだ。
 独りでこの時期の時間をかみしめたいと、心のどこかで思っているのだ」
と。

オイサンは彼のことを、その気質からなんとなく、
「独りでい続けることは難しいながらも、
 独りでいながら何かやりたいことを持っている人間なのだろうな」
と思っていました。

その彼からメールが届く。
「結婚をする」
と。
詳らかな説明も、理由も事情もない。

オイサンはごく自然に、疑問を抱きました。
「彼の結婚は、幸せなものなのかな?」
と。
……何かのっぴきならない事情があって、結婚をするのではないかと思いました。

あの、いいですか皆さん。
こんなことは、言っちゃだめです。
絶対に、口に出して言っちゃいけない類のコトです。
もちろんオイサンも、そんなことは直には言っていません。
ただ真っ向、「おめでとう」とは、
オイサンがそう言わないことに彼が気付けるように、言いませんでした。

彼の結婚が幸せかそうでないかは、言いません。
つーか本当にワカラナイだけですが。
それは絶対です。
いいですか。
結婚というのは、幸せなものなんです。
一先ず、それは絶対のことです。
その奥にどんな事情があろうとも、「結婚」というものの最表部第一層は、
絶対に「幸せ」なのです。
そういう風に出来ているのです、そういう構造なのです。
そして第三者……否、第二者にしても、
その第一層より先の奥に立ち入ることは許されていないんです。
だから、結婚というのは、外縁にあるものにとって絶対の幸せなのです。

だから。
オイサンは、彼に、言っても良かったはずなんです。
「結婚おめでとう」
って。

ただ、しかし、けれども、
オイサンは、幸か不幸か、「しないだろう」「出来ないだろう」と言っていた彼しか知りません。
「そう言うこと」に対して、ある種満足げだった彼しか知らない。
その後、途絶えた間に何が起こったのか知りませんし、
多分確実に何かが起こっていた。

  それが彼を変える何かだったのか、
  それとも、彼の周囲の事情だけを変える何かだったのかは分かりません。
  最近、絢辻さんのおかげで、「愛しさ」なんてものにも
  ゆび先を引っかけることが出来たので、
  それが突然やってくることも、
  やってきてしまえばそれ以前の自分の事情なんか慮っていられないことも
  あらがうことも出来ないことはわかるのだけれど。

素直にその変化を肯定的に捉えて、「おめでとう」と言ってしまえば良かったんですが、
オイサンにはそれがイヤだったんですね。
もし、それが幸せなものではなかった場合がイヤだった。
怖いとか相手に申し訳ないとかじゃなく、イヤだった。
オイサンがイヤだったんです。

万が一、その事情が「幸せでない」ものだったとしても、
本人はもはや絶対にそれを「幸せでない」とは言わないだろうし、
他者に対して、言っちゃけいけないんだと、オイサンは思います。
言うときは、やめる時です。
多少そう思っていたとしても、ご本人たちは歯を食いしばって、
それを本物の幸せにするために、全速力で邁進しなければならないのだと思っています。
そして幸せというのは、その先にあるのだと、本当にあるのだと思っています。
偽物や、思いこみではないホンモノのアレがです。

だから世間の人は皆、結婚をした、子供が出来たということに対しては、
疑い無く、もれなく「おめでとう」なのに違いない。


  ただ、オイサンは。


そんな、「もしかしたらおめでたくない気持ち」でいるかも知れない彼に、
薄皮一枚の幸せのオマケで「おめでとう」と言いたくなかったし、
おめでたくない気持ちを奥歯ですりつぶしながら彼が言う
「ありがとう」を受け取りたくなかったんです。

だからもう、言わなかった。
「言わないよ」という気持ちで一杯のお返事を書きました。
彼からも、もうそれ以上のお手紙はきませんでした。
分かってくれたのか、他の何かの都合なのか、
フツーにとりあえず、一端このやりとり終了、だったのか。

そして、今回のご報告を戴きました。
「子供を授かった」と。
しかし、そのそもそもの根っこに対して、確信を持てないでいるオイサンです。
そのことに対して、素直に「おめでとう」が言えるでしょうか。
言えるわけがありません。
だから今回も、似たようなメールを返しました。

……ただ、前回と一つだけ違えたのは……
彼本人の都合は、ワカラン。
ワカランから、置いておく。
置いておくとして、新たにあなたが授かったそのお子、
「その子が幸せに育つと良いよね」
ということだけは、確りとお伝えしました。

それだけはもう。
ホントに何がどうあっても、大切だと思ったから。


……。


そんなヒネくれた、ともすれば、
皮肉やイヤミややっかみと取られそうな言い方をしなきゃならないくらいなら、
そして結婚やコドモということのホントのことを感じ取っているのなら
(実際にそれがホントなのかどうかは、多分当事者になってみないとわかりませんが)、
もう「おめでとう」でいいんじゃないか、と思われるかもしれませんが。

だけどオイサンは、それはやっぱイヤだ。
「六十を目前にして、独りでその時間を噛みしめたい」
と言っていた彼は、やっぱり輝いていたとオイサンは思うからです。

そう思うから、それを止めた彼が、何を想い、
何を選び、何を切り捨て、
そしてそれが幸せだった/幸せでなかったことを確かめないことには
「おめでとう」は上げられない。

そして万が一、その事情が「幸せでない」ものだったのなら、
オイサンは、彼にそれを忘れて「幸せだ」とは言って欲しくないし、
その「幸せでない」感じが、砂一粒分でも残っているのであれば、
それを忘れて欲しくない。

  その感情がなんなのか……今のオイサンには「悔しさ」としか受け取れないので
  この先そう書きますが。

オイサンくらいは、その彼らに、その感じを忘れさせないためにここにいたいと思う。
その砂一粒を、何トンにも何十トンにも感じて、
背負うのか、引きずるのか知らないけども、
自分の中にあるその悔しい感じを、
悔しい感じがあったことを、
そしてその重みに勝る分だけ、そっち側を選ばなかった自分は幸せなはずだし、
たとえ嘘でも幸せにならねばいけないのだと、
その嘘が実は本当であったことに気付くくらいに、
感じながらこの先暮らしていってほしいなあと思うのです。

  或いは、そちらに行けば手に入れることが出来た、
  今よりも幸せな自分を横目に、歯噛みしながら生きていってほしいと思うのです。

そうすることで、
切り捨てたものの大切さも、選んだものの大切さも、
どっちも大事に出来るんじゃないかと思うのです。

と書くと、なんか取り繕ってるみたいでちょっとイヤなんですが、
そんな立派な、人のための気持ちなんじゃなくて、
これはどこまでいってもオイサンの好き勝手だということは理解してもらいたい。
……別に、大事にして欲しいわけじゃなし、
もし、彼が何かを切り捨てたのなら、
多分オイサンはその「切り捨てられたモノのことが好き」なんです。
「60手前でロンリーを愛した」彼を、輝かせていた物が。

なんで捨てちゃったんだろう、と自分は思ってるんだと、思うんです。
だからその切り捨てたもののことを、忘れないで上げて欲しいと思ってるにちがいないんです。

……オイサンはその、お友達が少ないですから。
こんな話、我ながら余計なお世話だ、
「ああそうなんだ、おめでとう」で済ませればいいのにと思うんです。
ホントこういうことを言い出すと、
気を悪くする人もたくさんいますし、
自分もそんなにいい気はしませんし、
その数少ない友達の数を減らしたりまた、するわけで。

良くないなあというのは承知の上なんですが、
やっぱり相手はその、数少ない友達ですから。

せっかくだから、ホントのところを知っておきたいという好奇心もあり、
テキトウなことを、言いたくない。
これもまた自分のためなんですけど。

……そんなコトを、彼が理解してくれた上であるのなら、
彼がたとえ「おめでたくない」身の上であったとしても、
オイサンは「おめでとう」ということに躊躇しません。

奥の方にある事情なんか知ったこっちゃなしに、
周りからよってたかって「おめでとうオメデトウ」を浴びせてやることで、
ご当人たちを「嗚呼、そうか、俺は今、おめでたいんだ」という気持ちにさせ、
実はおめでたくないかも知れないそれを忘れ、
その周囲からもらったオメデトウに報いるために、
全力で幸せを捕まえに行けるのではないか、という風にも思いますから。

だからそんなガンバレの意味をこめて、「おめでとう」と言ってあげたいと思いますし、
本当におめでたい幸せな今であるのなら、
そんなにメデタイことはないじゃないですか。


……。


今のオイサンのやってることは、そんなことの、ただの足引っ張りです。
どっち側から見ても。
だからと言って、やめることも出来ませんけどね。



オイサンでした。
ホント、めんどくさいオッサンだな。


 

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コメント

■関東の塾講師さん

>そこに一般的な概念は通用しません。
>暴論かもしれませんが、いらないんですよ。そこに通例なんて。
>それ以上に「幸せを願う想い」があるのですから。

そうですねえ……。
つまるところは、前回言われてた

>相手とどのような関係を築いてきて、その行動をとったかです。

が、やはり全てなんだと思いますね。
マ相手に届いていればいいな、というくらいで、
せめてその気持ちをここに書く機会があっただけでも恵まれてたと思うべきなんでしょうね。

おおきにです。

投稿: ikas2nd | 2009年8月12日 (水) 20時42分

>「どいつにもこいつにもナンダカンダあるに違いなく、一概に幸>せだと括れるハズもないけども、
>共に暮らしていくこの二人とその先に生まれるであろう生命は幸>せであるべきでその権利もある、
>だから俺たちは、その未来に一点張りで『おめでとう』を賭ける>ぜ!」
>というスタンスをとれるのが、あるべき文化的な大人の姿なんだ>ろな、というところが
>今回オイサンの感じた勘所だったのです。


オイサンのおっしゃりたいことは十分に伝わっておりました。
なのに、的確なコメントを寄せることのできないこの文章力の無さ。
国語が専門なのに……。orz


「あるべき文化的な大人の姿」、間違いなくそうなんだと思います。
ああ言った私も、友人が結婚したら、まず間違いなく、何も考えずに「おめでとう」を言うでしょうから。(実際に言いましたし)
でも、オイサンはそれを踏まえた上で、あえておっしゃらないわけじゃないですか?
「言わないという行為」よりも、「言わない経緯」がここでは重要なんだと思うのですよ。

オイサンだって、あまり親しくない人間が結婚したら、きっとその人の幸せを想って「おめでとう」を贈られると思います。
オイサンのおっしゃる「文化的な大人の姿」ですよね?
一般的に幸せである結婚。
祝福することで、幸せへの道筋を環境からも整えることができる。
そこから生まれる円滑な人間関係と好循環。
礼儀や作法と同様の、社会の縮図がそこにあります。
「文化的」、本当に言いえて妙ですよね。


でもご友人に対しては、幸せを思う気持ちが強くてそれが言えなかったんですよね?
そこに一般的な概念は通用しません。
暴論かもしれませんが、いらないんですよ。そこに通例なんて。
それ以上に「幸せを願う想い」があるのですから。
プレゼントは何を贈るかが大切なのではなく、どのような気持ちで送るかが大切だ、とよく言うじゃないですか。
それは言葉だって同じです。
繰り返しになりますが、形式にとらわれる必要はないと思うのです。


>ちょっと元気出ました。

せっかくこうおっしゃって頂けていたのですから、そこで止めときゃ良いんですが、どうしても蒸し返したくなるのは私の悪い癖です。
本当に出すぎました。
以後気を付けます。
失礼いたしました。

投稿: 関東の塾講師 | 2009年8月12日 (水) 00時33分

■関東の塾講師さん


>はたしてそうなんですかね?
>「絶対なんてものは存在しない」ということが、この世の唯一の真理なのだとすれば、当然幸せでない結婚というものもあるわけでして。

>無論、一般的に人生のパートナーを得られた、自分の分身を授かることができたというのは、生物にとって至上の喜びではありますが。
>我々はそんな理屈で生きているわけでも、本能だけで動いているわけでもありません。
>だとしたら、そんな立場を想像して、あえて一般的な流れに乗らないスタンスというのも必要だと思います。


勿論、そうなんですけどね。
しかしやはり、そんな色々に想いを馳せることを乗り越えて一周し、
「どいつにもこいつにもナンダカンダあるに違いなく、一概に幸せだと括れるハズもないけども、
 共に暮らしていくこの二人とその先に生まれるであろう生命は幸せであるべきでその権利もある、
 だから俺たちは、その未来に一点張りで『おめでとう』を賭けるぜ!」
というスタンスをとれるのが、あるべき文化的な大人の姿なんだろな、というところが
今回オイサンの感じた勘所だったのです。

そういう迷いを、言う側に飛び超えさせるために連綿と作り上げられてきた
「『とりあえずおめでとう』の一般的な流れ」というのは
案外大したものだなあ、と感じるのですよ。
もちろん、現代では何も考えないでその流れに乗っている人たちが大半だとは思うんですが。


>これが全てじゃないですか?
>大切なのは、相手とどのような関係を築いてきて、その行動をとったかです。

そなんですよねー。
……そこまでの関係を築けているか、自信のない自分が一番よろしくないんだろなー。

>型にこだわる必要はないですよ。

いや、どうもです。
ちょっと元気出ました。

投稿: ikas2nd | 2009年8月10日 (月) 15時52分

こんにちは。
懲りずに、またまたどうもです。

>今のオイサンのやってることは、そんなことの、ただの足引っ張りです。

はたしてそうなんですかね?
「絶対なんてものは存在しない」ということが、この世の唯一の真理なのだとすれば、当然幸せでない結婚というものもあるわけでして。

無論、一般的に人生のパートナーを得られた、自分の分身を授かることができたというのは、生物にとって至上の喜びではありますが。我々はそんな理屈で生きているわけでも、本能だけで動いているわけでもありません。
だとしたら、そんな立場を想像して、あえて一般的な流れに乗らないスタンスというのも必要だと思います。
誤解を恐れず言わせて頂ければ、祝福なんて他の人たちが飽きるほど送っているはずですから。

友人が昔の自分の在り方に拘ってくれている。
これも十分な幸せだと思いますよ?


>本当におめでたい幸せな今であるのなら、
そんなにメデタイことはないじゃないですか。

これが全てじゃないですか?
大切なのは、相手とどのような関係を築いてきて、その行動をとったかです。
型にこだわる必要はないですよ。


差し出口を挟みました。
失礼しました。

投稿: 関東の塾講師 | 2009年8月 9日 (日) 01時45分

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