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2009年7月31日 (金)

■たたかえせんせいさん!! -更新第270回-

『アマガミ』やりつつエアコンつけっぱ寝オチして、
寒くて夜中に目を覚まし、ちょっと体を温めようと、
『アマガミ』ラジオのゆかにゃん回を聞きながら、
1時間ばかり筋トレをして再び眠りにつきました。

オイサンです。
階下が空き部屋でよかった!

イロイロあって、今日はちょっと「先生」のはーなし!



■3人のやさしい日本語教師



オイサンも、日本のギム教育からギムデナイ教育まで受けてきて、
それなりの数の、「先生」と呼ばれる職業の人たちに出会ってきました。

担任的な立場にある人という意味では、
小学校から高校まで9人、大学のゼミ担当という人を入れると10人。
その他、専門的に教科を、学力をつけてくれるという立場の人をいれたら
そらもうわからないくらいたくさん。

  小学校から学習塾なんかに通っていた身としてはね。

そんな中で、特に印象に残っている先生は、4人。
1人は大学のゼミの担当教授でしたが、
あとの3人は、皆、国語の先生でした。

  中2の時の現国担当、ドーモト先生。
  同じく、中学時代の塾の国語担当、ミツジ先生。
  デ高校のワタナベ先生。
  あと、ゼミのヤスダ先生。この人はマーケティング論の先生。

今オイサンが、こうして曲がりなりにとはいえ、
ほてほてと駄文を書き散らかし続けるのには、
その3人の国語の先生がいたから、という面があります。
それは必ずある。

全てがその先生たちのおかげや影響かと言われればそんなこともありませんが、
学生をやめて15年近く経った今でも、
彼らの息吹がオイサンの中に息づいていることは間違いありません。

もちろん、学力をつけてくれた他の先生方にも感謝はしているのですが……
本当の意味での「先生」、
安西先生やアバン先生と同じ意味で「先生」だったのはきっと、
彼らだけだったんだなあ、と思っています。

彼らは、どうしようもないオイサンの、どうしようもない人生に、
一本だけ、絶対に折れない柱を立ててくれたのだと、
そう感じています。

  ……いや、一回折れそうになってたんだけど。
  そしたら絢辻さんがやってきて
  「いつまでウジウジやってんのよ、さっさと立ちなさい。
   どうせ他に、それ以上に大したものは持ち合わせて無いんでしょ?」
  って言ってくれた感じで。
  ええ。



■およしにならないでTeacher!



彼ら3人の先生が、特に何をしてくれたというわけではありません。
授業時間以外で長い時間を一緒に過ごしたとか、交流の時間があったわけではない。
当時からハタハタと、今と変わらず書き散らかすオイサンの駄文を見て、
彼らなりの態度で、ただ本気で、感想を、指摘をくれたということを除いては。

馬鹿にもせず、流しもせず、叱るわけでも逃げるわけでもない、
ただキチンと読んで、キチンと言葉を返してくれました。

  ……ワタナベ先生はちょっと特殊で、何も言ってはくれませんでした。
  ただ読んで一言、「『鉄腕アトム』だ」と。
  けれどその「お前のそれは、俺にとっては無価値だ」という
  あまりにあまりな態度が、
  逆に彼の信念、日本語や、国語や、文学に対する燃えるような本気の姿勢を表しているようで、
  すごく良い意味で、胸に響いたのを憶えています。

けれどもこれは、
「オイサンと彼らの大事にしていることがたまたま一致していて、
 好きなことだっただけに、お互いに真摯であった」
というだけの出会いだったのだと思います。
彼らの「教育者」としての資質や行いとは、多分あまり関係がない。
その役割から外れた、彼ら個人の熱量の賜物だと思います。

  特にワタナベ先生なんてのはひどくって、
  彼が担任だったこともあったんですが、
  進路を決める三者面談でずーっと昨晩のプロ野球の話をしてた、
  なんてこともありました。
  進学校の先生とは思えんw

ただ、自分の好きなことについて、信念を持って、
子供みたいに話ができるオトナというのは、子供の目から見ても、
否、
子供の目から見れば格別に、魅力的に映るのでしょう。
そのコトバに、キモチに、嘘や「オシゴト」がないことが伝わるのです。
気を抜くと本気でぶん殴ってくる、
「こいつ……バカじゃねえか? オトナのクセに本気だ!」
というキラキラとした気持ちが、子供の中に芽生えてくるんですね。多分。

オイサンと彼ら先生たちとの間でその媒介となったのが、
国語であり、文章を通したコミュニケーションであったというだけで、
ポイントは、
「ヨノナカってのは、本気でうてば本気で響いて来るんだ」
ということを、彼らが趣味の領域において図らずも教え、
オイサンが受け取ることが出来たことなのだと思います。

その時用いた手段が文章であったから、
オイサンは自分が文章に込める本気の力を、
「奴らオトナから、本気の撃ち返し弾を引き出すことが出来るくらいの力だ」
と信じることが出来たんです。
それが嘘かマコトか……まだわかりませんが。

  そんなことを思い込んだがために人生失敗してんのかもしれませんしw
  でもそれもまた、貴重な瞬間なのでしょう。
  失敗にするのか成功にするのかは、受け取った側の責任ですしねー。

……おもしろいと思うのが、オイサンを信念づけた彼らが、
「専門」側の、本来は「学力をつける側の立場にあった先生」であったことです。
担任という立場の人や、習い事でやってた書道の先生などの、
「人間教育を主眼においていた先生」たちではなかったということ。

基本的に「国語の」先生であった彼らが、
オイサンという「人間」の設計図に、一番太い線を引っ張っていったということ、
ゼネラルではないスペシャルに尖ったものを持った連中こそが、
知ってか知らずか、人の魂に火をつけていってしまったことを、
オイサンは愉快に思います。

  マニアックなオイサンの嗜好と、偏屈モノの彼らの波長が
  いい具合にシンクロしたってだけかもですけど。

  ……『アマガミ』の高橋先生も、ちょっといい先生ですよね。
  人間くさいところをたまに見せてくれて、
  生徒にわからないことは「分からないと思うけど」と付け加えながらも話してくれる。
  ワリと子供に対して全力な、良い先生だと思います。
  でも高校生男子に対して、
  「あたしだって学校を出たら、一人のオンナだもの」
  ってのは……全力すぎると思います。イロイロ考えちゃいますよ。



■「決まっているでしょう。誇りです」



今でも思います。
彼らには、もう一度会いたい。
特にミツジ先生。
学習塾の先生だったんで、今一番、何をしてるか分からない。
先生を続けているのかどうかも。
多分彼は、文筆家か、文学者になりたかったんだと……思う。今考えると。
それに一番若かっただけあって、一番本気で、熱かった。
ヤスダ先生は何年か前に死んじゃったけどさ。


  ……。


……まイマドキの先生なんてのはね。
言えば言っただけ、黙れば黙っただけ、
家や社会からいわれのないカウンターを喰らうという、
八方塞がりに割の合わないご職業のようです。

大変です。
冗談じゃない。

そんな厄介な後ろ盾をもった「敵」相手に本気で殴りかかるなんてことは、
ちょっと利口な人間なら、出来るわけがない。
それだったらお互いに距離をとって、様子見のジャブを繰り返し、
ポイントアウトを狙う試合展開になることも、致し方なし。

……そんな環境で育ってきたかつての子供が、
今、草食系なんていわれているのかもしれません。

オトナの本気を見たことがない、
燃えるような瞳とキラキラしたハートで牙をむくオトナを見たことのない彼らが、
小利口に、堅実に、「資本」や「個人」という名の、
この国で数少ない、みんなに対して絶対であるものを守るために
まとまっていくのは……ある意味しょうがないことなのかもしれません。

  イヤもちろん、お金も個人も大事ですよ。

そらモチロン、ガッコや塾なんかの、
いわゆる「キョウイクのゲンバ」に責任の限った話じゃないんですけどね。
親もそう。
ご近所もそう。
オトナに希望が持てない世の中で、熱い子供が育つわけもなく。
オトナがみんな「教師」になれるわけではないけれど、
オトナはみんな「先生」にはなり得るんでしょう。
ヒトゴトじゃあ無エ。

……それでも、幸か不幸かそういう現場に立つことを生業としてしまった、
一番子供に近い場所にいるたくさんの「先生」たちは……
専門家として、頑張ってもらわないとなりません。
そこに立った理由があるのでしょうから。

夢があったのか、
たかき志があったのか、或いは。
オイサンのように、誰か「先生」から受けた言葉によって、
そこに立つことを、何となく宿命づけられたのか。

……「とりあえずゴハン」っていう理由だったのなら、
まあホドホドに頑張って、って思いますけど。
今の日本の世の中は、そうそう単純じゃありませんからね。
そういうことだってあるさ。
それは責められない。


……けどやっぱり。


こうして今も、3人の先生のことを思い出すオイサンがいますし、
全然違うお仕事に手を染めながらも書く事を忘れられず、
それを拠り所の一つにして生きていこうとしているオイサンがいる。
この力で、もっとナントカなりたいなあ、と思い続けています。

  「撃ち返し弾はリフレクトフォースで紋章に変えて100兆点!!」
  ってのが、シューターの心意気ですんでね。

彼らの本気に報いたいと思うんです。
いまだに。
このことはきっと、先生というオシゴトだったり立場だったりの、
一つの価値の証明だと思うのです。

彼ら3人の本気がオイサンの心に植えつけたものが一体何だったのか、
と問われれば……↑アレです。アバン先生の。
先生と生徒で、セリフが逆になっちゃいますけどね。
それこそ、特に根拠もなく、残りの人生なんとか生きていこうと思えるほどの。

  ……マ、
  「お前みたいなインチキ物書きがいるからって
   それはどれだけの価値だよ誰得wwww
   ロクでもないモン書いてる暇があったらシゴトの勉強の一つもしろよデブ
   あとDr.ペッパー買って来い」
  と言われたら、そらグゥの音も出ませんけど。

そんなオイサンの書いたものが、どこかの誰かを喜ばせることが出来たのならば、
彼ら3人が「先生」になったことには確かな意味があったのだと、
オイサンは確信するですよ。


  ……。


まあ、そんなことでね。

大変なはずですよ。先生は。
直接の相手はすごく未完成な人間だし、
背後には、ちょっと知恵をつけただけの、同じく未完成な人間がついているわけで。

けどまあ、こんな風に、先生がぽそっと漏らした一言を、
タヌキのように執念深く憶えていて、
20年から経って尚、それを拠り所にしようなんていう輩もいるわけで。

それをやり甲斐や誇りと思うのか、
迷惑な話、重荷だと感じるのかはその先生次第だと思うんですけど、
生徒はそれをありがたいことだと思ってると、思うですよ。

だから先生は、子供に、生徒に対して恥ずかしげもなく見せられる、
どこか本気の部分を一つでも持って、
そこに切り込んでくる子供がいたのなら、
バッサリと返り討ちにしてやって欲しいと思います。

  古めかしいもの言いでは、あると思うんですけどね。

それは多分、「先生」にしかできないことだと思うんです。
家族に対しては、家族だからこそ言えない見せられないものを、
人は一杯持ってますから。
ご近所になんて尚のコト、気は許せないでしょう。

そういうところからひと山越えた別のコミュニティにいる存在、
友達のように無邪気な、中途半端な大人の「先生」にだからこそ、
……もっというなら、家と繋がりがある恐れのある「担任」とは違う、
専門の教科の先生だからこそ……
明かせるってことも、あると思うんです。

  案外ね、学校とか、塾とか、世の中のシステムというか、
  場としての「島」として、良く出来てるなあと思いますもの。

それにやっぱり、こう言っちゃ実もフタもありませんが、
「先生という看板」が持つチカラは、今も昔も、やっぱりあるんじゃないでしょうか。
大人はともかく、子供に対しては。
自分に都合の悪い事まで、子供が素直にいうことを聴くとは思いませんけど、
都合のいいことはスンナリ受け入れるでしょう。
「先生が言った!」っていう、大きめのレッテル付きで。
自信を持たせては上げやすいんじゃないかと思います。

  誉めて自信をくれた人、一度信じた人の批判はまた、
  受け入れやすいとも思いますしね。

でも、その持たせた自信には先生、責任をある程度負わないとなりませんから。
そこはホレ。
ねえ。
上で書いた、先生自身の「本気」の出番ですよ。
本当に誉めて上げられることは誉めて、そうじゃないトコは本気で突っ込んでやれば、
見合った答えが得られるんじゃないでしょうかね。

オイサンはやっぱり、あの3人+1人の先生に出会えて、
ワリとね。
幸せだったと思います。
マ、ロクでもないのもいたんですけどね。


オイサンでした。





……とかね。
「先生」について。

いつか書こうと思っていたことなんですけど、
せっかくいいタイミングだったので、今日、記事にしてみました。

口はばったいようですけども……
ガンバレ、「先生」!





■「先生」ったらコレっしょw




 

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