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2009年7月18日 (土)

■あの夏キミらはモンスターだった  -更新第260回-

今年最初に目にした蝉が死骸でした。
オイサンです。

ようやく見てまいりました、
『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版・破』。
今日の演し物は、その感想なんかです。

……が、最初にぶっちゃけておきますと、
あまり肯定的な気持ちではないので、こっから先は
13年前、あの熱に浮かされて見た悪夢から、
未だ醒めやらぬオッサンボーイの妄言と思って読んでも……
特にバチは当たりません。



■さて、先ずは体的な感想から。



今回の「破」は、前作「序」と違って、殆ど新作と言って良い中身になっています。
「TV版のエピソードをツギハギして、絵と音と演出を新しくして、
 数十時間あったものを2時間ばかりに詰め込みなおす」
……という性質の、「作り直し方」ではありません。

むしろ、
「TV版で出てきたキャラクターや、大体の話の流れや、設定やエピソードを使って
 かなり違うお話を作るのだけど、
 その中でTV版のエピソードや絵が使える場面では、それを使う」
といった感がある。
メインパーツの隙間の穴を埋める作業をするとして、
「メインパーツ」と「穴」の関係が逆転したような格好になっています。

よーするに、話として、新しい要素の部分が大半。

あの、前半は面白かったです。
特に開幕、アスカの登場初戦での単独大活躍のアクションは、
短いながらもとても見応えがあったと思います。

それから、オイサンの好きだった
落下爆弾使徒のエピソードが活かされていたのも嬉しく、
あまり好きではなかったTV版の中前半戦の、
「静止した闇の中で」とか「マグマダイバー」とかの使徒のオンパレードのあたりが
バッサリと圧縮されていたのもありがたかったです。

  マあの辺は、周辺キャラクターの細かいパーソナリティやら
  ハッタリ伏線やなんかを描写するのに要った部分だったのでしょうから、
  それをする必要がなくなった本作においては削られて然るべきだったんでしょうけども。

デ、前作「序」の感想でも書いたコトですが。

「間がなくなるのが一番ツライ。
 つぎはぎして、何時間もあるものを2時間弱にまとめ上げるんだから
 余計な間がなくなるのもしょうがないんですが。
 それでも、間がなくなると、退屈になってツライ」

と。
今回もマンマ、同じ気持ちがあてはまります。
話が新しいんだからそんなコトないだろ、と思われそうですが、
やはり「全体的な流れは数十時間の密度を2時間に圧縮」していることには変わりなく、
お話としての盛り上がりどころのオンパレードになってしまっていて……
後半は、その蓄積された密度の疲労がのしかかってきて、重かった。
しんどかったです。

前半はラクに見られる場面もたくさんあったので、そのギャップもあったと思います。

間も短い。
間が欲しい。
詰め込まれた矢継ぎ早のものよりも、間で見たいです。



■光と音のパラダイス



音楽……というのか、音響全般というのか。
これは「序」に引き続き、とてもよかったです。
聴きごたえがありました。

絵の説得力もものすごかった。
TV版では伝わってこなかった、エヴァとパイロットのシンクロする感じ、
エヴァがパイロットの筋肉であり血である感じが、ギリギリと伝わってきました。

冒頭でアスカが使徒コアを蹴り抜く力の入りよう、
爆弾使徒のフィールドを引き裂く感じ、等々。

「序」では、使徒のCG化が、あざとくていやらしくて、好きじゃない
と書いたんですが、
今回の使徒……特に爆弾使徒は、禍々神々しい感じ(なんだそれ)になっていて、
とてもステキだったと思います。


……。


デ、そこまで、なんですよね……。
他は、普通。
イヤ全体のクオリティは勿論とても高いと思うのですけど。
いわゆる普通の、普通に見てて分かる、分かってしまうアニメになった。

伝説的な、あの嵐のような論議を巻き起こした、
プレミアムな作品としての『ヱヴァ』ではなくなってしまったなあ……というのが、
オイサンのとても、とっても素直な感想。
そして寂しさ。

とても正直な話、
「この話って、初代『エヴァ』の作り直しの体をとる必要があったのだろうか?」
……ということまで、
ぼんやりと思ってしまいました。
もうバッサリと『エヴァンゲリオン2』にしてしまって、
キャラも話も、すっかり改めてしまっても良かった、それでも成立するんではないかな、と。
アスカのような誰か、シンジのような誰かたちが、
どこかで見たことのあるシーンを再現しつつ、また違う結末に辿りつく、
パラレルなようでパラレルでないハナシという方が、
……冒頭で述べた、「作り直し方の変化」とも相まって、
また面白みも出たんではないだろうか、と、オイサンは思いました。

  マそれがまた、全然カンタンな話ではないというコトも分かりますけど。
  実制作的な面でも、商業的な存在の面でも、作り手の納得性の意味でも。



■それが時代というものなのか



何がそんなにダメだったのか、イヤ全然ダメじゃないんだけど、
何と言えばいい?
……これが『エヴァ』であることの何が、オイサンの心にこんなに風穴を開けたのかというと……。

お話、展開、テーマの追い方……というのか、テーマに沿って話の向かう方向が
「ごく普通の方向」を向いていて、寂しかったのです。
TV版のあのトチくるった感じ、
テーマはハッキリしているのに、ハッピーエンドとは違うあさっての方向に全速で走っていく感じ、
だからこそ何がハッピーなのかが見えてくる、反面教師のような疾走感がなく、
「テーマはこうなのに、なんでそっちに向かって走って行っちゃうんだ!?
 オイサンの見ているものはなんか間違ってるのか!?」
というものすごいバカでかい囮を見せられている戸惑いと居心地の悪さ。
そういうものがなくなっていて、
……物足らないというか、とても寂しい。

それと関連して、
「みんな、カンタンで分かりやすい奴らになっちゃったなあ」
というのがすごく残念。

TV版では、あれだけ深く、重く、狂おしく抱え込み、背負いこんでいたものを、
ホンの数日だかの触れ合いの中で、シレッと融解させ、
解決の糸口を見つけてしまうキャラクターたちに、
「じゃあ、あの(TV版の)お前たちはなんだったんだよ?」
という疑問が湧いて出る。

あの重みがあったからこそ、苦悶する価値のある悩みであったと思えたのだが、
随分とイージーな子供たちになってしまった。
「触れ合いってステキやん、大事やん?」
みたいなことです。
TV版のキャラクターたちがそれをそれと分かっていたかは別として、
作り手たちには分かっていたはずのそれを、
TV版では安易に与えずにおき、それを今回何故あんなに簡単に、
答えとして与えてしまったのかが分からない。

そしてそんな簡単なことで、彼らが大事に大事に抱え込んでいたモノが
捨てられるようなものだったんだ!?
ということが、13年越しの今、すごく驚きとしてあります。
13年前にあなた方が描きたかったものは、一体何だったんだ。

  まあ多分、「それはそれとして、今回はコレ」って言われそうですけど。
  だって13年も経ってるんですもんね。

そうして解決の糸口を見つけて感じ入り、行動する彼らの姿こそが、成長であって、
鬱屈から抜け出した監督の、精神的な成長の答えなのかもしれないけども。
ならば、あのときこれを描かなかったのはなぜなのか。
あの時はあれが正解だったのか、
描けなかったのか、描きたくなかったのか。

もしくは、それが時代というものなのか。



■「モンスター」としての『エヴァ』



表現の面でも、トチ狂った感、突き抜けた感がすっかり潜まってしまった。
トチ狂いも、突き抜けもしないで描いてしまっているので
凄味が薄まってしまった。
TV版のあの、

  何を見せられているのかわからない感じ

が、起こっているコトのワケの分からなさ、
分からないゆえのものすごさ、

 「理解を超えたことが起こっているのだ!!」

ということがアリアリと伝わってくる緊迫感を感じさせてくれたのに……。
今回は、それもなく。

ラスト付近の絢波を救いだすシーンなどはそういうことも出来そうだったのに、
それもされない、どこかで見たような絵を、ただ奇麗に、ハイレベルにして出されても、
やっぱりそれは、「程度のスゴイ普通のもの」でしかなくて、
これまた残念。

この期に及んで「ネブカドネザルのなんちゃら」みたいな
謎ワードでドスを利かせてくるあたりは……正直、ちょっと醒めた。

  あとネブカドネザルといえば、
  中学の頃通ってた塾の先生が、「眠いけど寝ない=ネブカドネザル」とかって
  語呂合わせなのか何なのか分からない憶えさせ方をしてたのを思い出した
  (そんなこと思い出してるから醒めるんじゃないのか)。

あとそれと似た話で、
「コード反転、裏モード・『THE BEAST』!!」
とかいって、新キャラのマリさんが2号機を意図的に暴走? させる、
野獣モードみたいなことを使い始めるシーンとか。
あれも……正直どうかと思います。
なんつうか……安っぽい。
コードとかモードとか、そういう「在る感じ」を使って根拠っぽく見せてしまうと、
その根拠について重厚なバックボーンが『エヴァ』の世界にあるわけでも、
見え隠れしているわけでもないので、安っぽく見えてしまいます。

  これがその「コード」やら「モード」やらの言葉が、
  『パトレイバー』の中で使われるのと同じくらいの重みをもっていたら
  また話は違うのでしょうけれど。
  『エヴァ』の世界で重みをもつのは、A10神経だとか、アンビリカルがどうとかいう
  言葉のドスのきき方の方でしょうから……。

  あとマリさんは、ネルフジャパンと敵対的な、
  ネルフEuroとかそのまた裏の人とかなのでしょうね。
  だからドイツ製の2号機の裏モードとかを知ってるって話なのでしょう。

……まあ、そんなことでねー。
『エヴァ』特有のすご味、否、モノスゴ味が……まったく感じられませんでした。
そういう意味で、今回の『ヱヴァ・破』も、前回の『序』に引き続き、
やはり普通であったと。
オイサンには、感じられてしまうのです。

もっと、ワケのわからない怪物に襲いかかって来られたときのような、
逃げ出したいのに目を離せない、絶望的な脅威と畏れ。
……そんな気持ちにさせて欲しかった。

オイサンにとっては、そんな化け物のような存在感こそが
『エヴァンゲリオン』なのだから。



■その、雑感



新キャラの真希波・マリ・イラストリアスは、
殆ど見せ場ナシと言ってもいいくらいの扱いにしかなってませんでしたね。
登場シーンとか、最強使徒に単騎で向かっていくシーンとか、
良い意味でカッコつけるシーンは多々あったのに、
印象薄いし、ナゾなだけに薄っぺらな感じしか受けませんでした。

あーそうだ。
どうしてラストの「翼をください」を歌うのが林原めぐみだったんでしょうか。
イヤ、その雰囲気もちろん分かりますが……
林原めぐみの歌が、その意味をキープできるほどの輝きやクオリティをもっているとは……
オイサンには思えない。
超ド級のプロの歌い手を引っ張ってきた方が、物語のクライマックスとしては良かったんではないか?
……と、オイサンは思います。
あのシーンは、見ていてちょっとイラッと来ました。



■そして、TV版



最近関東では、その新劇場版の番宣を兼ねてTV版の一挙再放送をやってまして。
それを、他の番組とかち合わなければとりあえず録り貯めておいて、
たまに見たりしてたんですが。

テレビがデジタルになったせいか、
OPの激しい切り替わりがモヤってたり残像が出たりで
ちょっと悲しい気分になったりとかいう細かい不満はありますが
(BD版とか出ると嬉しいけどそれはそれで多分買わない)、
やっぱり今改めて見ると、当時は捉え切れていなかった細かな感情が見つけられて
ちょっと嬉しかったり、しますね。

オイサンが一番、ああ、としみじみ感じられたのが、
ケンスケの優しさでした。

第伍話『雨、逃げ出した後』の中で、
放浪するシンジ君が、
どこぞの野っ原で一人サバイバル訓練ごっこに興じるケンスケと出くわすシーン。
二人のテントの中、ふさぎこむシンジ君に対し、
延々一人で、独り言のように、
いつもの調子で飾らない言葉で自分のことを発し続けるケンスケ。

放映当時も、ケンスケがそうすることで
「シンジ君に対して何らかのアクセスをしているんだ」
ということは分かっていたのですが、
それが何なのか、オイサンはハッキリとわからずにおりました。
だけども今見るとそれが明らかに優しさ、
シンジ君に対するいたわりであることがわかる。

何かを引き出そうとしたり、反応を期待してそうするのではなくて、
ただ隣で誰かが自分に話しかけてくれることが安らぎになるのだと理解して、
「ただシンジのために」そうし続けるケンスケの優しさ。

こういうときにはそうしてやることが、人の、シンジ君の心を安らがせ、
自然で、楽でいさせることをわかっての行動だったんだと
今更ながらに気がつきました。

促すでも責めるでも、安易に同調するでも放置するでもないそのやり方が、
すごく優しくて、印象的に映りました。
とても鮮やかなケンスケの優しさ、
こんなにいいキャラクターだったのかと改めて感心した次第です。

トウジの前時代的男くささや、
ミサトさんの直情径行でベタなメインフレームは分かりやすかったのですが、
こういう細やかな部分は、134年前のオイサンには
まったく見えていない部分でした。


……。


今回の『新劇場版・破』が……十数年の後に、
そうした再発見の出来る作品になっているのか、と言われると……
今ンとこのオイサンには、ちょっとクエスチョンマークなのです。

BDかなんかで出たら、もう一回、
是非見直してみたいとは思いますけどもね。

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オイサンでした。



 

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受信: 2009年7月26日 (日) 04時05分

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