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2009年6月24日 (水)

■ちゃぷんと画面に波紋が落ちる -更新第239回-

鼻血噴いて死にたい。
オイサンです。


……とか、冒頭で書いておいてアレなんですけど、
自分はあとどれくらい生きられるんだろう?
とか、今日は考えてしまった。
シゴトバで。

もしかすると、帰り道、何かの事故に遭って死ぬかもしれないし、
健康なつもりではいるけど、
オイサンの体の中には自分でも全然気付いていない致命的なダメージがあって、
あと数日、数週、数ヶ月という単位で死んでしまうかも知れない。
あと天災。大地震が起こるとかね。



自分には、
まだまだやりたいコトがたくさんある。



……というワケでは実はあんまりなくて、
とりあえず『アマガミ』の隠しシナリオと絢辻さんのスキBADだけは見ておきたい、
くらいにしか思ってないんだけど。

  その2つについては、今、他のどんなことよりも優先して
  死ぬ前に見知っておきたいと思ってるんだけどね。
  それに、その2つを見終えたとき、オイサンの魂にはきっとまた
  「死ねない!」と思えるくらいの新しい火種が熾るだろうと確信してはいるんだけど。

まオイサンなんかはオッサンとはいえ
年齢的には普通死ぬようなトシじゃないので、
上で書いたような不測の事態や特殊な異常がない限り、
今日明日、死ぬようなことは考えにくい。
一応、ヒトサマよりは頑丈に出来てるつもりですしね。

だから、オイサンが今こうして想定している死は、
こう言っちゃアレだが、一種のファンタジーであり妄想だ。

  今、自分の想定する「死」がそういう性質のものだと分かってても、
  『アマガミ』のプレイを焦ってしまうくらい、
  上で書いた2つの「見たいもの」は
  今のオイサンにとって大切にしたいものなんだけど。


  ……。


そう考えたとき、
じゃあ、オイサンの父や母はどうなんだろう。

まだ還暦を迎えて数年のような人たちだから、
年齢的には、そんなにリアルに死に近いかと言われれば、
まだまだそんなではないハズだ。
統計的には。
けれども、オイサンなんかよりは全然リアルに、卑近に、
死を感じてもいるハズだ。

  そんなに、日々深刻に感じているかは分からないけど。

そんな二人は、何かやりたいことや欲しいモノが、
生きることを焦ってしまうくらい大切にしたいものが、何かあるのだろうか。
「俺の今生に、コレだけは外せねえ!」ってものが。
またその焦りは、一体どんな質の、どれくらいの量のものなんだろうか。
怖いだろうか。
そりゃ怖いだろうけど。

でも、ある程度の悟りや諦めも、きっとあるだろう。
じわじわと迫り来る、いつガッと襲い来るか分からないそれと、
どんな風に向き合っているのか……。
訊くに訊けることではないし、
出来れば自分が、「両親の死」なんてものを意識していることは悟られたくはない。

だって、ヤじゃん。
そんなの。
自分の子供がさ、親……つまり自分が死ぬときのことを考えてる、なんて、
知ったら、自分の死が如何に近くて、確実なものなのかを
ムダに色濃く感じさせてしまいそうで。

それとも、そうしてある程度話をした方が、
安心したり、開き直れたり、腹が括れたりするものなのかな。
それだったら、たとえ自分が多少辛くても、話を聞いてあげたい。


……。


オイサンは自分のことを、人として随分欠陥が多いと、
我がコトながら自覚していて。

『ときメモ』で恋を知り、
『To Heart』で愛を知り、
『北へ。 Diamond Dust』で生を、
『水曜どうでしょう』で三十路四十路のあり方を、
『俺の屍を越えてゆけ』で両親・祖先・血筋への畏敬といたわりを知ったような、
本来、人とのふれあいの中で学ぶべきだったそれらを、
作品そのものと、
制作者がそこに込めたであろう気持ちや、彼らの経験のピースと、
自分の創造と妄想の力とで以って、(勝手に)学んできたような人間で。

  Web上でさんざんネタにされている
  「『CLANNAD』は人生」
  と言った誰かを、決して笑えるような人間ではないのだけど。

だけどもそれらに教えられることで、
自分が生きていくチカラと、自分を愛してくれる人たちへの接し方を、
それらはとんだマガイ物かも知れないけれども、
どうにかこうにか、獲得することが出来たと思っている。

そしてそれを実践することで、
マそれも無いよりゃマシな程度にはなれたんじゃないかな、
とも思っている。
モチロン、もっといい方法があったに違いないとも思うんだけど。

  「『CLANNAD』は人生」も、
  彼が本気でそれを言ったのなら、多分それを言った彼にとって、
  それは本当に真実だったんだろうことが、オイサンには分かる。
  そして、そこに感じた気持ちを行動に表すことによって、
  それは本当に真実にもなりえると思ってる。

だからまあ、なんつうかね。
ホレ。
今回、ほんの気まぐれとはいえ、『アマガミ』やってて、
両親の向き合うであろう、そんな焦りや恐れに思いを馳せることが出来たのだから、
そのことともちょっと真面目に向き合って、
オイサンと両親の人生を、ちったあマシにしていけたらいいなあって、
そんな風に思ったんですよ。
ええ。
そんだけです。

だってオイサンには、ゲームやるくらいしかないんだもん。
だったら、ゲームから拾っていかないと。
ホントに何にもなくなっちゃうからね。

  だから『けいおん!』見て楽器始めるとか、そんなん全然アリなんだと、
  思うですよ。
  拾った人は落とし主から、一割から三割、もらっていいことになってるんですから。

それがたとえ恥ずかしいことでも、
……オイサンはそれが恥ずかしいことだなんて夢にも思わないから、
  シゴトバでも素のオタクで通しているし、
  そういうことを話して良い場があったら話すようにもしてるんだけど……
「人って結局、そうやって生きてくしかないんだ」、
ってのが、
それら全部からオイサンが考えたことです。
多分だけど。


オイサンでした。


 

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